続・知青の丘

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やっと一息、熊本県現代俳句協会総会終了!

2017-03-26 16:52:28 | つれづれ
これで一段落と言いたいところ
ではあるが、あとまだ会報第3号を出さねばならない。

(郵送していた委任状提出をお願いしたりして
総会成立するかどうかから心配しなくてはならない現状があって、
ホッとしたのもつかの間・・・。)

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先週の私の誕生日に、横浜の息子から届いた花は
3日くらい前から枯れかけてみじめな風になってきたが
当日に撮っておいた。
我が愛する『We』の誕生日に近いから一緒に。



息子よ、気持ちは有りがたいけれど、
もう、食べ物のほうがいいかもね~。

むかし、
岩波子どもの本に『イーヨーのたんじょうび』
というのがありましたね。
思い出していましたよ。






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結社は「賞」で繋ぐのか?

2017-03-18 18:32:50 | 俳句以外
熊本の短歌誌『稜 kado』(通刊220)の「歌事片々」(65)に
「短歌新人賞について」というタイトルで
橋元俊樹氏が、
昨年の「角川短歌賞」と「歌壇賞」の佐々木兄弟受賞のことを書いておられた。
門外漢のわたくしですが、
へえええ~と面白く拝読した。


えてして、賞というものは
選考委員という人間のやることなのだから
最初から貰える人は、
いろんな思惑や恣意が絡み、裏のほうでは決まっていて
上記のように家柄や出身のいい人、
結社に忠実で今後も結社のために十分奉公する人
結社にプラスになる人などに・・・・
「デキ」レースなんじゃないの。
それは、短歌に限らず、俳句もそうなのでしょう。
(実は身近で知っている!)

だけど、第1回角川賞が該当者なしになったというエピソードは愉快。
5人の選考委員がそれぞれの弟子を推して譲らず、
結局決まらなかったという。
(露骨すぎて、正直で微笑ましくさえある~)
それで、
第2回目は、編集部が有力な新人に応募させて
その中から安永蕗子さんが選ばれたのだそうだ。
へええええ~
でも、結社どうしで順に回せば、
事は解決もするというものだが(笑)

若者よ、寄らば大樹の陰にかな。


*きょうのGYAO無料映画は
「雨あがる」(2000年)を観ました。
山本周五郎原作
寺尾聡、宮崎美子・・・
気持ちのいいさわやかなお話でしたね。
最後の方~
賭け試合をしたために藩の剣術指南役の話がボツに。
その時、宮崎美子演じるたよが、賭け試合をした夫を称えて
お城からの使者に放った言葉に胸がいっぱいにー。





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明日から一泊二日で宮崎方面へ

2017-03-14 22:50:06 | 古墳・菊文研
明日15日から、
菊池川流域古代文化研究会の
研修旅行に行ってきます。
久しぶりの参加です。

古墳の見学は、
えびの市の島内地下式横穴墓
宮崎市の蓮ヶ池横穴墓

あとは、青島散策→ANAホリデイ・インリゾート宮崎泊

歴史民俗資料館の見学は両日で3か所となっているようです。

お買い物や霧島酒造霧の蔵ブルワリー見学の時間は
ちゃんと取ってありますが、
今、行程表を見て気が付いたのですが、
2日目に霧島酒造見学ということに。
試飲ができない!!

県装飾古墳館に到着したら車運転して帰宅せねばならないもんね。
ああ~なんて勿体無いこと~。




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{img18:chisei,922.jpg}海峡の白菜です!

2017-03-13 21:36:57 | 俳句

海峡の白菜割って十二階  知子
この句の絵を描いて送って下さいました。

もともとさんからです。
柳本久々さんから、でもなく、柳本ママさんからでもなく
柳本々々さんからです。

落ち込んでいた時だったので、
格別にありがたく頂戴いたしました。

この「海峡の白菜」
大した白菜になりました!
私の手から離れて、関悦史さんを経て、もともとさんに行って
こんな素晴らしい絵になったのですから。

台北にある故宮博物院のお宝の白菜(翠玉)
もありますが、
私には、こちらの白菜が宝物となりました。


そして同時に、
Tさんから甘いものも届きました。
ホワイトチョコの生チョコ
パッションフルーツ味。
いやされる~

これに「を」をいれると
いやをされるになっちまう。
なんてこと!

UPしたら気が晴れました!







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ふたたび、柳本々々氏「フシギな短詩88」より

2017-03-01 14:54:42 | 俳句
きょうは、孫の子守もないし、
夕方に『We』3号配達されるというし
なんとなく、久々にゆったりとした「待ち」の気分です~

それで、「俳句新空間」をのぞいたら、
柳本さんの文章が気になった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「フシギな短詩88[丸山進]/柳本々々 より」

あなたから見ても私は変ですか  丸山進

(中略)
ところがそれを詩として反転させることも可能だ。
この「あなた」は読者のひとりひとりに切実に問いかけてくる
実存的な「あなた」として機能する。
それは「から見ても」という言葉の使い方によるものだ。
他のひとはわたしを変だと見ている。それは、いい。でも、
「あなた」はどうなんですか。わたしはあなたに問いかけたい。
「あなたから見ても私は変」なの「ですか」。

言語の技術的な面が駆使されることで読み手である〈あなた〉に
実存的に問いかける構造になったこと。
わたしはそうした文を詩と呼びたいと思う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私も、
〈あなたから見ても私は変ですか  丸山進〉
をそのように受け取った。
胸にナイフでも突きつけられたように、
「で、あなたはどうなのよ!?」と。

そしてそれは、「言語の技術的な面が駆使」されることで
担保されるということなのですね。

北川透氏も、『詩的レトリック入門』(思潮社)において、
「詩的なことばの在り方」が相対的に詩と詩でないものを区別するといい、
それを「詩的レトリック=詩的仮構」と呼んでいる。

どこから詩になるのかどこから詩にならないのか。
いつも悩ましい。
そこが磨かれなければならないところ~。














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