続・知青の丘

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壱岐研修旅行(3/15~3/16)

2012-03-19 10:24:34 | 古墳・菊文研
菊文研の1泊2日の旅行は今回は壱岐!
観光ツアーで2年前に行った島だが、今度は古墳がメイン。
このところ、古墳漬。
1月末には、松橋・人吉の古墳と
青井阿蘇神社の神仏習合の装飾、球磨の山田大王神社の丹塗りなどの見学にも。

(1日目)
東唐津港からの乗船前に唐津市にある
北部九州最古級の前方後円墳・久里双水古墳(3世紀後半~4世紀前半)へ。
周辺より高い前方部分が長く、
後円部頂部は標高37メートルという高さ。
竪穴式石室。
前方後円墳の形を「壺」とみる専門家もいるらしい。
面白い発想だな。

こんもりと小高い墳丘の登りで息切れしてしまった。
年配の人に運動不足!と言われた。
その人は、1日に14000歩あるいているそうな。

その後、同市にある縄文時代後半の日本最古の水田耕作遺跡・菜畑遺跡
の近くにある末蘆館に行く。
「ブタ」のあごの骨や祭事に使った「ブタ」の骨(穴があけられていた)の展示をみて、
「あのころのは猪だよ」と言っている人がいたので、同行の専門家に聞く。
当時の「ブタ」は、猪を飼育していたもので、
歯に歯槽膿漏痕があれば、「ブタ」なのだそうだ。(なるほど!)

壱岐の印通寺港へは、東唐津港からフェリーで1時間45分。
原(はる)の辻遺跡見学後、一支国博物館見学へ。
壱岐は、海の「シルクロード」のルート上で、当時交易が盛んだったそうだ。
また、古墳の数は300基前後あり、首長級のもいくつか~。
装飾は、彩色のは無く、線刻のがいくつか。
筑紫岩井の反乱が鎮圧された後は、古墳の形も大和の影響下にあったという。
卜骨や人面石は興味を引く。
また、壱岐は長崎県内第2の平野を有し、米どころらしい。

壱岐の酒造蔵元で、水を片手に持ちながら試飲して、
「壱岐っ娘」38度、2000円を買う。

あとで、ホテルのローカルニュースでわかったことだが、
孫文の辛亥革命を物心両面で支援した梅田庄吉の妻トクの出身地が壱岐だったらしく、
その日の博物館では、中国からトクの胸像が贈られるというセレモニーが行われたようだ。
最近は、宮崎滔天よりこちらの方がクローズアップされているような。

(2日目)
郷ノ浦町にある鬼屋窪古墳
石舞台みたいに墳丘は完全に消失。
横穴式とおぼしき石室が露出。
くぐって中の袖石を見ると、イルカのようなクジラの線刻!
銛らしきものが射られた捕鯨のようすの線描。
周りにスミレの花が咲き誇っていた。

勝本町にある双六古墳(6世紀後半)
壱岐島中央部に位置する長崎県最大の前方後円墳。
全長91m。基壇の上に墳丘を築き、前方部が長い。
前方部とこんもりとした後円部頂部との比高差は5m。
国際色豊かな遺物が出土。

勝本町・掛木古墳(6世紀末)
前室・中室・玄室に分かれた横穴式石室
凝灰岩の刳り抜き式家形石室。

あのふるさと創生資金で作られたという壱岐風土記の丘を見学して
研修は終了!

ここまできたのだから、対馬まで行きたかったなあ・・・
古代山城・金田城趾をみたかったのもあるが、
韓国人に占有されてしまわないか心配でもあるし・・・


4月3日~4月7日まで上海・蘇州あたりへ観光旅行。
4月14日菊文研・福岡遠賀川流域装飾古墳見学旅行。
4月22日科目最終試験(あと1科目で修了)







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阿蘇野焼き見学ツアー参加(2月24日)

2012-03-04 15:32:12 | 阿蘇

このツアーは、
熊本県と県観光連盟等が、
阿蘇市、国立阿蘇青少年交流の家の協力のもと、
野焼き見学ツアーを企画し、九州産交ツーリズムが主催した。
野焼きをツアーに組み込み、商品化したいらしい。

阿蘇青少年交流の家の広大な敷地内で野焼き見学後→
阿蘇あか牛の溶岩焼きの昼食→
阿蘇神社参拝とその周辺の商家の水基めぐり→
中岳火口までロープウェイで登り→
阿蘇ファームランドでお土産を買って帰宅という行程。
4980円也。
料金の一部は阿蘇の草原の再生支援となる。

このツアーは、お天気に恵まれれば、成功だが、
前日の雨や雪、強風で、当日野焼きができなければ、
かなり価値が下がる。

この日帰りのツアー客は、県内人だったから、お目当てはやはり野焼き!
実際、俳句をやっている方々が数名参加していて、
野焼きを目の当たりにして、体感したかったようだ。
わたしも~(*^_^*)

偶然にもお天気に恵まれ、
はじめて、眼前に立ち上る野焼きの炎柱をみた!
池を挟んで3方の斜面に野火が走った!
カメラのgood timingをしっかりはかっていないと、
あっと言う間におわる。
斜面の高い方では、空につかみかかるようー。



草地のコンデション次第なのが、主催者泣かせだろう。
雨天時はクラフト体験になっていた。
クラフトって、「火消し棒」でもつくるんじゃないの?なんて冗談を言った
野焼きボランティアに登録している三男は、
講習後の翌日と招集がかかった2回目も野焼きが出来ないでいる。

阿蘇の草原は、
人間の手が入ってはじめて維持されるという。

夏場に輪地(わじ)切りをして、防火帯を作り、
春先の野焼きに備える。
両方とも、重労働だ。
身体が丈夫なら、野焼きボランティアに登録したいところだけど・・・

野焼きのあとの末黒野には、
どこから湧いたか不思議というほど
愛らしい黄スミレが咲く。
黄蝶が飛び立つ前のように。

春りんどうも草陰に。

いつまでも見たい光景である。

野火と行く大阿蘇グリーンストックの人ら 知青






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