続・知青の丘

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熊本県現代俳句協会会報2020年度第1号「現代俳句くまもと」 第13号

2020-05-30 22:17:31 | 熊本県現代俳句協会
俳句を 詠んで 読んで
 免疫力アップして
  コロナに克とう‼

創立30年記念行事
 合同句集刊行について 
当会は、1991年(平成3年)6月30日に設立され、2021年(令和3年)に創立30年を迎えます。
それを記念して、アンソロジー的な合同句集の刊行を致します。ひとり当たり、1ページの割り当ての予定です。
旧作新作問わず、渾身の作品をお待ちいたします。また、短文掲載ご希望のかたは、150字以内でお願いします。メールで送ることのできる方はメールにてお願いします。
所属の結社や同人誌等の明記もよろしくお願いします。
合同句集は、100部印刷し、現代俳句協会本部や現代詩歌文学館、国立国会図書館等にも寄贈します。
周りの会員の方々へのお声かけをよろしくお願いいたします。
提出先:
熊本市 南区 
中山 宙虫 宛
参加資格:本会員及び準会員(今年のみ準会員可)
作品提出数:15句
締切:令和2年(2020年)7月末日
参加費:2000円(2冊分含む)

作品提出後、下欄口座のいずれかに
速やかに振り込んでください。
・ゆうちょ銀行
記号 
番号 
名義 熊本県現代俳句協会
・熊本銀行 
東託麻支店  普通預金
口座番号 
名義 熊本県現代俳句協会
《 発行予定日:令和3年1月1日 》

2019年度総会・句会報告
3月7日(土)、熊本市国際交流会館・研修室に於いて、熊本県現代俳句協会の総会及び句会を実施した。総会は成立(委任状17名参加者6名)し、すべての議案は全会一致で可決した。
新型コロナウイルス流行のご時世のため、参加予定者には無理しては来ないようにと事前に電話連絡。またマスク着用を呼び掛けた。事務局も個人用エタノール消毒用スプレーと手指消毒用ポンプを持参し、間隔を取って座ってもらった。会場のドアや窓の開閉をしつつ、空気が澱まないように気を付けた。
(参加者一句抄)
若作りとは言はないで春ショール  荒尾かのこ
義母逝くや厨にのこる葱の束    生田一代
女装とはおのこの特技夕茅花    加藤知子
風船ふわり二十才の晴着かな    田上公代
くり返す腹式呼吸牡丹の芽     徳山直子
ペンネームの夜は辛夷に触れている  中山宙虫
にくしんは死ぬまでつづく斑雪    西村楊子
引き潮に似た呟きや母の春     林 紀子
息白しこのおしゃべりな下り坂    林よしこ
朧夜のジェラシー包帯がきつい    真弓ぼたん
進行協議寂として法廷年度末     右田捷明

《私の一句自句自解》 
日を弾くちりちりはじく樟の花    荒尾 かのこ
江田船山古墳公園は、広い丘に石人が立ち、大きな前方後円墳あり、樟の大木がいっぱい。まぶしい五月の光に樫や椿とは違う繊細な輝きをみせる樟。
奥の縄文橋にさしかかった時、大木の樟の花を手に触れる高さでみてしまった。

『 現代俳句 』 列島春秋 掲載句 
(2020年)
二月 菜の花や官薩対峙の川狭し   右田 捷明
三月 肥後椿初陣前の咳払い     丘 菜月
四月さくらさくら指の先までさくらの香   佐藤恵美子
五月 鳥交るこゑしてしづか五高の森   光永 忠夫

会員句集紹介

*星永文夫句集『俗神』
2020年1月、文學の森刊
蟹喰つて氏も素性も解体す
蛸壺に眠る 晩年の逃避行
おい同志 火をくれないか 国は雪

*青島玄武句集『優しい樹』
2020年3月、文學の森刊
花は葉に花は優しい樹となりぬ
寄り添うにも漕がねばならぬ春の鴨
どれほどの蝶の毒味をせしことか

★第54回滔天忌俳句大会
令和元年12月5日
中華街人湧き出づる滔天忌   右田捷明
言の葉の夢の一字や鵙高音   徳山直子
夫はまた宇宙の話日短か   荒尾かのこ

告知
  1. 現代俳句協会の年会費一万円の納入はお済みですか?
  2. 『現代俳句年鑑』の2021年度版の作品5句提出と参加費3千円送金はお済ですか?(5/31締切)
  3. 第57回現代俳句大会への投句はお済ですか?(7/31締切)
  4. 「神話のふるさとみやざき」全国俳句大会の投句用紙も同封しました。
    どうぞ、ご協力の程宜しくお願いします。
2020年 5月12日 発行

発行人  会 長   加藤 知子 
編集人  事務局長  西田 和平

(会報の形をそのまま反映できませんでしたが、
だいたいのところで見てください。)

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もうすぐ孫から開放されるかな。

2020-05-27 19:31:36 | つれづれ
この2週間(手帳見たら3週間だった!)ほど
毎晩たまには昼間も
関東のほうの孫1号(もうすぐ5歳)とface time
幼稚園がずっとお休みなので
退屈していて元気を持て余していて
facetimeで1時間~1時間半を
ジジババがたっぷり相手してやっていた。
ごっこ遊びやらトランプ、トミカ遊び
恐竜や蜥蜴、守宮の研究などにつき合わされていた。
恐竜にはとても詳しいので
こちらも名前をノートに書いて話を合わせたり
画面越しに闘いをしたり・・・
いつぞやは
なぜか
せをはやみ~なんて言い出して
こちらも百人一首の札をもちだして来たり・・・
が、
やっと来月1日から幼稚園が始まるらしい。

きょうは、昼間1時間20分を。

時計草が咲き出しました!
そういえば時計草の句を詠んだこと無いなあ~



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『七岳』(2020年、垂水市文芸集団発行)

2020-05-21 12:13:18 | 俳句


学友・俳友の瀬角龍平から『七岳』23号が送られてきた。
毎年一回発行される鹿児島県垂水市有志による文芸雑誌。
鄙びた漁港あり、背後に高隅連山、
その中でも低い峰々の七岳を朝夕に仰ぎ見るという
垂水市民の文芸誌。
垂水島津氏等に関する歴史的論考から、
エッセイ、俳句、短歌、薩摩狂句、
子どもの作文・俳句等幅広く収録されている。

今回の表紙絵は、高峠の芋畑の写真。
1981年生まれの、故郷垂水にUターンした写真家塩屋大輔氏の作品。
数年前からわたくしも俳句参加しているが、
若い人の参加はうれしい。

(俳句のみ選をしてUP)
あさぎまだら大海原の風連れて  片桐暁花
母恋うや二月の雨の横なぐり   篠原郁子
あじさゐを旅するごとく蝶飛べり 下八重光子
二歳児の鰯雲連れ里帰り     山ヶ城實行
門前に家紋のごとく白芙蓉    関谷裕子
ヒヤシンス友がポツリと「婿になる」 西野英昭

この文芸誌の中心にいるのが
しんがりの差羽ひとりの鷹柱  瀬角龍平

話かわって、
日本国も早く経済活動を再開しなくていいのだろうか。
いままで積み上げてきたシェアを他国に奪われたりしないのだろうか。
新型コロナを完全に封じ込めることは、
もとより不可能なことだろうし、
アビガンもレムデシビルも整ってきたようだし・・・
(私が感染したら、アビガン頂戴!)

私みたいな小市民にできることは、
給付される10万円を使って
旅行したり消費還元することだと思っている。
お金が回らないと経済活動が停滞してしまう。

甲子園も中止決定になった・・・
無観客でもやはりムリなのかなあ。

9月入学への移行なんて要らない。
こんなことに時間割くのは時間の無駄だと思うけれど・・・
なにも国際基準に合わせなくてもいいんじゃない。




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山頭火『行乞記』より~湯平温泉

2020-05-14 13:09:29 | 俳句
いちにち雨ふり一隅を守ってゐた(木賃宿生活)
貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)

夕しぐれいつまでも牛が鳴いて
しぐるゝや支那さんいつしよに寝てる
支那の子供の軽業も夕寒い


昭和5年9月9日より始まる種田山頭火の日記『行乞記』、
十一月十日(湯ノ平温泉、大分屋)と
同月十一日(同宿)の分より俳句の一部を抽出した
(「青空文庫」より)。

<焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか>
と、それまでの日記は焼いてしまったらしく、
2回目の行乞の始まりは、
熊本の八代→日奈久→人吉→小林・・・

湯布院の近くの湯平温泉にも2日間滞在したようで、
ここの温泉をべた褒めしている。
私は、山頭火は水のソムリエと思っているのだが、
こう記している。

此温泉はほんたうに気に入った、山もよく水もよい、湯は勿論よい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だった。
こゝの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶ/\飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などゝすっかり浴泉気分になってしまった。

と十日の日記を締めている。

たいてい、山頭火は、水の美味しいところばかり歩き回っていて、
どこそこで、ほんたうによいと褒めちぎっているが、
ここは格別のようだ。

ここの湯は「胃腸病に効験いちじるしいそう」で、山頭火もよく飲んだようだが、「もしこれが酒だつたら!と思ふのも上戸の卑しさからだらう」と書いているのは、正直、可愛いもんですね。

翌12日は湯布院湯坪の筑後屋に宿している。


(柳本もともとさんが拙句「山頭火読む間違いだらけの良夜」を描いた絵俳句)


ついでに言うと、
山頭火が泊まった木賃宿で現在建物が残っているのは、日奈久の織屋(おりや)だけらしい。このブログにもUPしていたなあ~(ヤプログの時)
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かくまでももみずれるとは荒蝦夷  飯島晴子

2020-05-11 13:33:32 | 俳句
かくまでももみずれるとは荒蝦夷(あらえみし)  飯島晴子

『月光の象番 飯島晴子の世界』(山地春眠子著)によれば、この晴子句の「もみずれる」には文法上の問題があり、この句の発表後、大分の「鷹」会員で高校の国語教師の女性が晴子に尋ねたことがあったという。

以下引用
<「もみづ」は古典文法ではダ行上二段活用で、未然形・連用形「ぢ」、終止形「づ」、連体形「づる」、已然形「づれ」、命令形「ぢよ」活用するので、「づれる」という活用形はない。また、已然形「もみづれ」に「る」(完了の助動詞「り」の連体形)が接続することはない。「り」は四段活用とサ変にしか接続しないので。従って、「もみずれる」は文法上誤りである。>と。

これに対して、晴子は、次の句をひきあいに出して<葉書二枚に細字でびっしりと>返答したそうだ。

樺太の天ぞ垂れたり鰊群来   山口誓子

<・・・・文法通り「垂れたる」としますと、切れもわるくなりますし、垂れている天の裾が捲き上ってしまいます。かかる名句と拙句を比べるのは気がひけますが、基本の理由は同じかと存じます。つまり、文法専門家以外には文法の間違いが気にならず、間違うことによってかえって詩的効果を上げている場合、文法の間違いは許容されてよいのではないかということでございます。
 拙句も『もみづれる』と重たいラ行音を二つ重ねることによって、ねじくれたように紅葉を強烈に塗り上げる効果を得ていると存じます。『もみぢせる』ではサラサラと意味だけに終ってしまいます。
 (中略)まず文法があって言語があるのではなく、言語現象があってあとから文法ができているのだと思います。話は大きくなりますが、詩人の理想は、既成の文法を訂正さすような言語構造の詩を書くことではないかと存じます。
 そうは申しましても、私は、文法を決して軽視するものではなく・・・(後略)>

大変示唆深い言葉だと思います。
晴子の優れた言語感覚が言わせているのだと思いました。
雨上がり(新葉が紅くなるカエデ)

芸術は文学は理屈ではない。
この『月光の象番』を半分位読んできて、
ここが一番、晴子に共感できるところ。

これも雨上がりのホタルブクロ
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