続・知青の丘

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このブログを開いたら、この画面が

2022-06-01 11:57:29 | ちょッと言わせて


最近、2回ほどこの画面が現れたのですが
これって
私がUPした内容についての
警告の意味の画面なのでしょうか。
それまでは一度もありませんでした。

他の方々にも
この画面が現れたことはあるのでしょうか。
もしよければ
どなたか教えてくれませんか。


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垂水市文芸集団『七岳』25周年記念号と鹿屋の石橋・大園橋

2022-05-07 21:54:57 | ちょッと言わせて
学友瀬角龍平が中心になって発行していた
『七岳』は創刊25周年を迎えたようで
今号は特にバラエティーに富んだ内容になっている。
一部カラー写真もあり。

黄泉へ行く藷焼酎を飲み残し 瀬角龍平
垂水の歴史と文化面に業績のあった方が
急死されての追悼句か

創刊号から24号までの企画展も垂水市で開催され、
南日本新聞でも取り上げられたようだ。

さて、
これに同封されていた
2022年4月号(No.130)
自治研「かごしま」に
鹿屋の石橋・大園橋の存続と保存活用について
大隅史談会会長もしている瀬角が特別寄稿しているので
応援のつもりで取り上げておこうと思う。

ご覧のように大園橋は眼鏡橋。
明治37(1,904)年に鹿児島伊敷の石工が造ったもので
全長30メートル、橋幅内法3.1メートル、
高さ5メートルの複式アーチという。

ウィキペディアによれば
日本初のアーチ式石橋は
長崎の眼鏡橋だそうで
寛永11(1,634)年に中国の僧によって架けられたということだ。
それから270年の歳月を経て
鹿児島の大隅にまで到達していたんですね。


令和2(2,021)年の7月に南九州を襲った豪雨災害によって
祓川に架かる大園橋の橋桁にも流木がひっかり
右岸の家々の床上浸水
その下流域の温泉施設も休業に追い込まれ
(・・・・・)
令和3年、鹿屋市は
今後も河川氾濫の恐れがあるとして
撤去の方針を固め
市教育委員会に文化財指定取消申請をした
ということらしい。

令和3年10月には鹿屋市長に対して
大隅史談会は撤去方針の撤回と
氾濫原因解決の再考を求めて陳情書を提出している。

石橋は何といっても
その姿が美しい。
そして本来あるべき場所にあってこそ
その美しさも格別であろう。

石橋というものは
当時の地元民の思いの結晶であり
技術面からも資金面からも
大変な苦労の賜物なのだ。

熊本にも沢山あり種山石工集団は有名で
鹿児島にも招かれている。

氾濫を回避する土木技術は色々あると思う。
お金のかかることではあろうが
長崎市の眼鏡橋も解決されて
観光資源となっていると思うので
そのようになってくれればと
他県の者からも
切に願っている。

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この1週間ばかり
顔、顎、首筋、耳、背中が痒くて
抗ヒスタミン薬アレグラを一日2回飲んでいる。
きょうはだいぶよくなってきたので
ブログアップする気にはなったのだが
まだ万全ではない。
草取りをして草にかぶれたのかなあ~
どくだみにかぶれる事はあるのか
ちょっと、と思って抜き始めて
ついつい・・・
素手で頑張ってしまったからかなあ。
疲れも溜まっていたしなあ~





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水俣の「からたち」からメールがきたので

2022-03-11 23:26:09 | ちょッと言わせて
昨年甘夏ミカンを購入した
(2021年2月26日拙ブログ)
水俣の「からたち」からメールがきていて
パール柑があったので、注文してみた。

(何年か前にお隣さんから頂いた黄水仙!?)


きょうは、
このグループに属しておられる
杉本肇(1961ー)さんのお母様のことを取り上げたいとおもう。

(我が家の狭庭に咲いている水仙の花も同時UP。)

(この水仙は実家から掘り出してきたもの。
幼いころからよく目にしていた水仙なので
思い出深い。)

1~2週間くらい前、明け方4時過ぎていたか、
ふと目が覚めて、
すぐには眠れないからNHKラジオを入れたら
杉本肇さんが出演されていて
インタビューに答えて話しておられた。

杉本さんが、水俣を出て東京に移り住んでいた時、
堂々と故郷の話が出来ず、
「故郷を隠した」と発しておられたあたりからぼーっと聞こえてきて
そして、あの有名なお母さまの言葉
「国も許す、県も許す、チッソも許す」という言葉が耳に入ってきた。

「国も許す、県も許す、チッソも許す」
私はずっと前からこの言葉を考えている。

語り部杉本肇でネット検索すると、
そのことについて書かれた箇所がある。

https://bigissue-online.jp/archives/1073831433.html
水俣病にもがき苦しんだ母が受け入れた受難―漁師・杉本肇さんの語り部講話@関西大学 より

“しかしまた母は、差別は絶対に仕返しをしてはならないとして、チッソも許す、国も許す、県も許すと。水俣病というものが一種の「のさり」(天からの恵み)なのだと。人を恨むことは絶対しないと。母の、この「許す」という言葉は、ニ度とこのような事件、差別を起こしてはならないという魂の言葉だったんじゃないかなと思います。

 水俣病を「のさり」と言った母から学んだのは、こうした水俣病という受難を受け入れて、その土地で生きていくという覚悟です。”


「水俣病にもがき苦しんだ母」とは、
杉本栄子(1938―2008)さんのことです。
肇さんの母の栄子さんは勿論のこと、
祖父、祖母(1959年茂道という地域で初めて水俣病認定を受けた)、
父、自分と弟たち(全員は水俣病患者と認定されていないー2018年の肇氏講演より)が水俣病患者。

身体の辛さは、いかばかりだったろうかと思うが、
共同体の中での差別が一番辛かったという。
正直にいえば、
私には、そういう経験がないので、
情けないことだが実感としてはわからない。


(この水仙は日本水仙の八重なのかな。
一重は既に咲き終わった。)

10年前の私は、
そういう人生になってしまって、
チッソも行政も神様も恨まないで「許す」とはどういうことだろう、
なぜ、栄子さんは、
「チッソも許す、国も許す、県も許す」と言ったのだろう、
ほんとに言ったのだろうか、と疑問に思っていた。

自分の人生は自分で好きなように生きるためにあると思っていたからだ。

しかし、栄子さんが水俣病という受難を受け入れたことは、
いまなら少し分かるような気がする。
というのは、
死期を悟ってきて思うことは、やはり残していく子どもらのこと。
母親というものは、
子どもに人を恨むことを教えて死ぬわけにはいかない、ということだったと思うのだ。

ここに、人間の哀しさと尊さをみるような気がする。


(この花の名前がわからない。
白色もある。)

杉本肇さんは、
水俣で無農薬の柑橘類作りとチリメン漁をされているようです。

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新聞記事の間違いってあるんですね!

2021-10-27 21:10:21 | ちょッと言わせて
人間のやることだから
絶対的なコトなどないのは分かっていましたが。

いま、Oyaziさんのブログを読んでいて、
自分がずっと間違っていたことに気が付きました。
でもね~たしか~しんぶんにぃ~でてたよねえ~
てことで、これ!

2012年4月21日付け熊本日日新聞の切り抜きですが、
文化審議会が20日に、この土偶ともう一件を国宝に指定するように
文科省に答申したという記事です。

切り抜きを拡大して読まれたらわかりますが
こう書いてあります。

西ノ前遺跡の土偶は1992年に出土。ほぼ完全な姿に復元した。
高さ45センチは最大級で、「縄文のビーナス」とも呼ばれ
学術的価値が高い。

文章もちょっとおかしいところありますね。
「復元した。」ではなく「復元された。」でしょうか。

正確には、この土偶は<<縄文の女神>>なのだそうです。
ネットでググってもそのように書いてあります。

たしかに、Oyaziさんもおっしゃっているように
こちらのほうを
「縄文のビーナス」といいたくはなりますが・・・。

私もこの<<縄文の女神>>に逢いたくて逢いたくて
ずっと目につくところに貼っているんです。


話は変わりますが
今年は美男葛の豊年



数えてはいないけれど
鈴なりです。
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もうフツーに戻ってもいいんじゃないかなあ~

2021-07-09 15:01:26 | ちょッと言わせて
このヤフーニュース(元はロイター)を見て、
コロナワクチンはホントに
ワクチンビジネスだと思った。

最初から胡散臭い面はあったかとおもうけれど
もう~さ
インフルエンザみたいな扱いでいいんじゃないかなあ。

罹患することが、抗体(?)が一番確実につく方法だとしたら
治療薬の開発にしのぎを削ってほしいし
オリンピックもあまり委縮した形ではなく
フツーにやってもらいたいし
(ワクチン接種は何の為?!)
居酒屋もどこもここも
経済活動を元にもどしていいんじゃないかなあ~
このままでは
日本の経済はどうなるのか
日本の将来まで心配になってくるよー

わたし、昨年のいつ頃だったか
10日間ほど調子悪かったけれど
コロナに罹っていたかもと
密かにおもっているんだよね~
市販薬を呑んで
対症療法で治したのだけど。
検査をしなければ
コロナの診断はないし
検査自体も100パーセント確実に
それと示すわけでもないし・・・

なんだか
振り回されすぎのような気がしますねえ~。

話かわって
昨夜というか今日未明にかけて強雨と雷が酷かった。
PCやネットのほうに障害がでないようにと
そちらの電源は切って寝たのだが
雷が鳴ると夫はすぐPCの電源を切るように言う。
(今までも電話機やモデム、エアコンなど
雷の被害には遭っているので仕方のないことなんだが)
で、今朝は一旦凄まじい雷雨は収まっていたものの、
少しだけ雷さんがまだいらっしゃって
また切られたので編集作業ができないし
時々強雨も来たりして
『ブッダ』3巻目を読んでいたのだけれども
これじゃ仕事がはかどらない
今できることをしようと
13時頃北郵便局に行き
熊本県現代俳句協会会報17号を投函してきました。

いま、15時
なんと、晴れ間が見えてきました!

ああ~水を買いにイオンにいかないと~
金曜日は飲料関係が5パーセント引き(酒類は除外)
5パーセント引きに振り回されてるよね(笑)



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