続・知青の丘

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「婆子焼庵」が気にかかる

2014-02-28 00:05:02 | 俳句以外
あるドラマの中で
突拍子に禅の公案・「婆子焼庵」がでてきた。

「今の自分を受け入れる」ということで
ドラマはそれなりに進行したのだが

なんのことか知らなくて
ネットで検索すると
うん、いろいろ
あるわあるわ・・・

いくつか読んで
以下、私なりに適当に書けば

ある信心深いおばあさんが雲水に庵を建ててあげた
長い年月が経過し修行もできただろうからと
その雲水を試すため若い孫娘に抱きつくように言った。
娘に抱きつかれた雲水は
「枯木倚寒厳三冬無暖気」
(枯木寒厳に倚って三冬暖気無し)
冬の厳にたつ枯れ木のように、3年経っても私の心は少しも動かない
という態度だったらしい。


そこで、このおばあさん
怒りに怒って
庵を焼いてしまったのだという。

一体なにがお婆さんをそんなに怒らせたのか?

一見修行をまっとうしたかにみえるが
この態度は
「虚無的清浄静寂の心境を尊ぶもので
自ら独り良しとする独善的阿羅漢の悟り」
だそうで
「執着しないというところに執着して
禅者の活発々地として生き生きとした働きを失ったなまくら悟り」
だそうです。

愛も悲しみも苦しみも感じないことに自己満足しててはならない
そういう枯れ木や石であってはならない
だからといって抱いてもいけない。
では一体どう対処すればよかったのか???

相手の好意にどう現実的に寄り添えばよかったのか???

肉欲より
もっと素晴らしい官能の境地があるというのか。
交わらずに心で感じることなのか

こういう肉欲的な場面でなくても
相手のある関係性の築き方の問題のような・・・

月曜の夜からずっと気になる
とても奥深い難題だ。

cf:「婆子焼庵」と「十牛」(2014/04/22)






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ガスストーブのはなし~青木能率研究所製作

2014-02-24 19:34:44 | ニューラジアント

青木能率研究所製
この研究所は八王子市東浅川町182にある。
(電話:042・661・0507)
(FAX:042・661・0521)


宿舎が手狭で霧島に移住した時に
友人が雑誌で紹介してあって
とてもいいらしいと推奨してくれて

1989年11月購入以来
もう24年以上使い続けている。
いくらで購入したかはもう忘れた!

家族5人のべ何本の足が載せられ
手が温められたことだろう。

とて~も寒い日はエアコンと併用するが
このストーブはみんなファンだからはずせない。
おこたはしない。
息子たちが居た頃、
おこたにもぐりこんだが最後
3人とも眠ってしまうのはわかっていたから
このストーブで通した。

生乾きの洗濯物も上に載せて乾かせるし
食卓の下にも潜りこませられるし
小さなブランケットを懸けて足を突っ込めるし
青い火が見えるし・・・・・・

身体が冷え切っているときなどは
上から胸をのせて抱きかかえるようにしても
だれも一度もやけどしたことなどなく

毎年はがきが来てメンテナンスのご案内。
こちらから送れば
一万円位で整備点検して送り返してくれる。

一度お願いしたことはあるが
その後は自宅でやれるだけやって・・・

それでも
ガス点検のお兄さんが
ほとんど不完全燃焼がないと驚いていた。
そろそろ
点検してもらったがいいかも。
箱をさがさなきゃなあ・・・


かなり重宝してて
大事大事に使わせて頂いている。
これからもずっと~。
考案者に感謝!


((後日談))

*いつでもいいですよという通知を貰っていたので
6月にストーブを送り出しました。
我が家のは、息子三人が座ったり足を乗せたり抱えたり・・・
いろいろ大活躍していたものだから
かなり外観はくたびれていたのですが
費用のなるべくかからないように、偶々あった中古の部品と交換してくれました。
ほんとに親身なメンテナンスをして頂きました。感謝感謝です。
このちいさなガスストーブやさんがいつまでも繁盛しますように!


今日のメモ:
友人に教えてもらった言葉
洛陽の紙価高からしむ

((2015年2月))
年に一回必ず来るハガキがまたきました。

2010年以来製造を中止していたが、
製造再開を断念した旨の記載がありました。
もうメンテナンスだけになるようです。

素晴らしいものがまたひとつ
失くなっていくようで
さみしくなりました・・・・・・








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『小さいおうち』

2014-02-19 20:11:13 | 映画
今日は水曜日。

愚息の卒論提出も発表会も口頭試問も
かろうじて完了した。

いまどきの卒論発表会って大変!
スーツにネクタイを締め
レジュメ4枚を科の8人の先生方に準備し
12分で発表を終わらせるための原稿も準備し
時間超過しないように自宅で練習して発表し・・・
その後の口頭試問を受けるなんてー。
教育学部中学英語科なので、すべて英語でとか・・・

出来はともかく
晴れて私は友人と映画に~

話題の「小さいおうち」
同名のバージニア・リー・バートンの絵本を思い出していたが
なんと見覚えのある絵本が最後のほうで出てきたよ。

昭和10年頃から戦争に突入していった10年あまりの
裕福なサラリーマン家庭でのできごとが
年取ったお手伝いさんの自叙伝ノートと
交錯させながら描かれたもの。

端々に見るその時期の雰囲気や
日本文化にほのかに郷愁さえかんじた・・・・

最初に
お手伝いさんの立場を暗示する伏線があった・・・・
ストーリーは観てのお楽しみ。

なんといっても松たか子
色気が出てきて、着物が似合っていて美しい。
黒木華も独特の魅力があって、これから先がたのしみ。
どちらも申し分のない日本美人だ。

あの寅さんの妹役された
倍賞美津子さん
お歳をめされて・・・・

ランチして
友人を送って行って
コーヒー飲んでかない?
と誘われたけど断り
早めに帰宅。

来月は
泉鏡花作「日本橋」・玉三郎主演がおもしろそう。
ポイントが8ポイントになっていた。
(6ポイントで1回無料鑑賞できる。)







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くまにち論壇「民族的誇りは持つべきだが」より

2014-02-05 20:05:59 | 俳句
五百旗頭 真(いおきべ・まこと、現・熊本県立大理事長、元防衛大校長)
の寄稿記事(平成26年2月2日付)だと思うのだが
感動したので、ブログに残しておきたいと思います。

五百旗頭氏の見解・主張は
いろいろと危うい昨今、
一番示唆に富みかつ必要とされる
「歴史に学ぶ」ということを具体的に提示していると思われる。

その文章を私なりに要約すると以下のとおり

歴史家トインビーは、諸文明の遭遇を研究し、
外部文明の挑戦を受ける社会には
二つの典型、ゼロットとヘロデ主義が登場するという。

ゼロットとは、
昔ユダヤにあった熱狂的愛国者集団。
選民思想を持ち、他国への屈従をよしとせず、
ローマ帝国が侵入してきたときマサダの砦に立てこもり、テロ活動を続行。
ローマ軍制圧の際、勝者の辱めを受けることを拒否し前夜に集団自決をして果てたという。

これについて氏は、民族的誇りの極致といえなくもないが、
視野狭小な誇りの暴走は集団的破局しかもたらさないという。
また、日本は先の敗戦でそれを再確認したはずであるという。

ヘロデ主義とは
ユダヤの王ヘロデが民族的に玉砕する悲劇を避けるためローマに協力しつつ
その支配を間接統治に留め、ローマの力の秘密を内側から学び取り、
長期的にローマから自立しようとしたことに基づく主義。

トインビーによれば(一応大学の授業で聴いた名前ではあるが、こんなことを言っていたんだ!!)
明治維新後の近代化日本はこの「ヘロデ主義の成功例」とされるそうだ。

五百旗頭氏は、
663年白村江の戦いに敗れた後の国土防衛網の確立と中国唐の文化を吸収しつつ
律令国家の建設をはたしたこともその例に挙げる。
ゼロットの魂を保ちつつ、ヘロデ主義の営みを成功させた素晴らしい例として。

以下本文抜粋
「白村江の敗戦後、黒船に国禁を破られた後、そして第2次大戦後の対応は、国難のどん底から再生バネを利かせて大躍進した輝かしい3局面である。白村江の戦いや第2次大戦が正しかったと言ってはいけない。それらは失敗であった。だがそれから教訓を学んで見事な躍進を遂げた日本を誇るべきである。敗戦に至る愚かな戦争そのものを神聖化する者に、学習と再生の歴史はやってこないであろう。」

読後に、爽快感があり希望がみえる。
そして、これは外部文明からの挑戦を受けた場合の国の対応について述べているわけだが
個人レベルでも組織や他人から攻撃・挑発などされた場合の対処の仕方でもあるような気がする。
歴史を学ぶとはこういうことだという明確な答えがここにある。

久々に偉大な文章を読み、胸がすく思いだった。

五百旗頭氏は69歳と出ているが
こういう方たちが戦後の日本をいい方向に導かれたのだと思う。
だんだんこのような方が少なくなっていくと思うと、
この先の日本がそら恐しい。

関係は薄いけど、第2次大戦中、こんなこともあったそうで・・・・

国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき  栗林忠道中将

大本営に決別の電報を送った栗林の歌だが、
硫黄島決戦の総司令官だったため、
「散るぞ悲しき」では女々しいとして「散るぞ口惜し」と
長い間改ざんされたままだったそうです。
         『現代俳句』 2月号(平成26年)の「深い深い言葉の源を探して」(柳田邦男)より
  





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