続・知青の丘

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旧石器時代の福井洞窟見学(2013/2/21~22)

2013-02-24 11:23:18 | 古墳・菊文研
今回の菊文研の一泊研修旅行は佐世保~平戸へ。

*{福井洞窟遺跡}
佐世保市吉井町にある洞穴(国指定になると洞穴は「洞窟」となる!)。

黒曜石や安山岩を加工した旧石器が多数出土し、
縄文草創期の隆起文土器なども出土。
この「福井15層」と呼ばれる何層にも堆積した層からは
旧石器時代から縄文時代に移り変わる生活の様子がよーくわかるという。

発掘調査が完了し、もうすぐ埋め戻されるそうで
今回の見学は、熊本県人ではあなたがたが最後に見る人達!だと。

近くを流れる福井川の東岸に開口した間口15m、奥行き5mの洞窟。
ビニルシートに覆われ足場のくまれた幅1mくらいの階段を地下約4mまで、
ヘルメット着用で身をかがめながら降りて行く。

一番底まで着くと
約16000年前の旧石器時代の人達の住居跡にはなにやら炉跡が見える。
赤い部分(焼けた赤や黄色の石)と黒い部分(炭や焼けた土)とが見える。
その下の層には「石の集中した跡」がある。

炭素14の半減期を応用した放射性炭素年代測定で年代がわかるそうだ。

上記の隆起文土器は当時日本最古の土器といわれていたが
1973年にそれよりも下の層から
豆粒文土器が佐世保市の泉福寺洞穴遺跡から出土。
それは、同年代測定の年代データを年輪によって暦年較正すると
17000~16000年前のものという。
小豆大くらいの粒のついた土器片をつなぎ合わせた豆粒文土器が
島瀬美術センターに展示されている。

この土器片に最初に手をつけて掘りだそうとしていたのは
当時大学4年間の夏をこの地の発掘に通った
熊本県立装飾古墳館館長木崎康弘だと本人は言う。
背中越しに川道寛氏に「ど(土)き(器)なっせ!」((笑))と言われたそうだ。

佐世保港には海上自衛隊の鼠色の船と
海上保安庁の白い船が停泊していた。
地図でみると、アメリカ軍用施設がかなりある。
今のような状況下では頼もしくもあり・・・・
だれかが
エンタープライズ入港反対で動員がかかったことがあったなあ~と
言ったー。
そいうえば、学生の頃、そういう話もあったような・・・原子力空母~


*{里田原遺跡・里田原歴史民俗資料館}
平戸市田平町の小盆地の底部にあった
縄文晩期~弥生中期初頭の低湿地遺跡。
水田跡や農耕・漁労・生活具関連の木製品が多数出土。

出土品で目についたのは、
大きなヒスイの勾玉と漆塗りの木製品、陽根(男根)状木製品、
甕棺の副葬品の朝鮮半島系の多紐細文鏡。
野外展示の支石墓。

受付もいないような田舎の、この小さな資料館には、
当時の朝鮮半島との交流や稲作文化の成立展開を示す大変貴重な出土品がある。


あとは
田平天主堂、松浦史料博物館、
オランダ商館を復元建築して資料館とした平戸オランダ商館見学。
商館近くの商店街で買ったするめとあごの干物は安くて美味!最高!

宿泊した平戸海上ホテルには山頭火句碑があり

平戸よいとこ旅路ぢやけれど
旅にあるよな気がしない   山頭火

春さむい島から島へ渡される
弔旗へんぽんとしてうららか
酔いどれも踊り疲れてぬくい雨
ふるさとの遠い雨の音がする
        ここで詠まれた句らしい・・・・

山頭火もあごも売られて春うらら  知青

翌日は
生月町博物館、紐差(ひもさし)教会、平戸城、亀岡神社の見学。

教会の建物は美しく、
生月町博物館には捕鯨関連の史料が沢山あり、面白かった。
30分しかなく捕鯨の史料に感動して見いっているうちにタイムリミット!
2Fの隠れキリシタンの資料まで行けず残念ー。
これだけが心残り・・・・

疲れたので、
写真は後日挿入予定!
(2013/4/15)









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