きょうは、孫の子守もないし、
夕方に『We』3号配達されるというし
なんとなく、久々にゆったりとした「待ち」の気分です~
それで、「俳句新空間」をのぞいたら、
柳本さんの文章が気になった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「フシギな短詩88[丸山進]/柳本々々 より」
あなたから見ても私は変ですか 丸山進
(中略)
ところがそれを詩として反転させることも可能だ。
この「あなた」は読者のひとりひとりに切実に問いかけてくる
実存的な「あなた」として機能する。
それは「から見ても」という言葉の使い方によるものだ。
他のひとはわたしを変だと見ている。それは、いい。でも、
「あなた」はどうなんですか。わたしはあなたに問いかけたい。
「あなたから見ても私は変」なの「ですか」。
言語の技術的な面が駆使されることで読み手である〈あなた〉に
実存的に問いかける構造になったこと。
わたしはそうした文を詩と呼びたいと思う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私も、
〈あなたから見ても私は変ですか 丸山進〉
をそのように受け取った。
胸にナイフでも突きつけられたように、
「で、あなたはどうなのよ!?」と。
そしてそれは、「言語の技術的な面が駆使」されることで
担保されるということなのですね。
北川透氏も、『詩的レトリック入門』(思潮社)において、
「詩的なことばの在り方」が相対的に詩と詩でないものを区別するといい、
それを「詩的レトリック=詩的仮構」と呼んでいる。
どこから詩になるのかどこから詩にならないのか。
いつも悩ましい。
そこが磨かれなければならないところ~。
夕方に『We』3号配達されるというし
なんとなく、久々にゆったりとした「待ち」の気分です~
それで、「俳句新空間」をのぞいたら、
柳本さんの文章が気になった。
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「フシギな短詩88[丸山進]/柳本々々 より」
あなたから見ても私は変ですか 丸山進
(中略)
ところがそれを詩として反転させることも可能だ。
この「あなた」は読者のひとりひとりに切実に問いかけてくる
実存的な「あなた」として機能する。
それは「から見ても」という言葉の使い方によるものだ。
他のひとはわたしを変だと見ている。それは、いい。でも、
「あなた」はどうなんですか。わたしはあなたに問いかけたい。
「あなたから見ても私は変」なの「ですか」。
言語の技術的な面が駆使されることで読み手である〈あなた〉に
実存的に問いかける構造になったこと。
わたしはそうした文を詩と呼びたいと思う。
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私も、
〈あなたから見ても私は変ですか 丸山進〉
をそのように受け取った。
胸にナイフでも突きつけられたように、
「で、あなたはどうなのよ!?」と。
そしてそれは、「言語の技術的な面が駆使」されることで
担保されるということなのですね。
北川透氏も、『詩的レトリック入門』(思潮社)において、
「詩的なことばの在り方」が相対的に詩と詩でないものを区別するといい、
それを「詩的レトリック=詩的仮構」と呼んでいる。
どこから詩になるのかどこから詩にならないのか。
いつも悩ましい。
そこが磨かれなければならないところ~。
普通の会話文が五七五に収まっていると、なにか特別感を覚えますね。