続・知青の丘

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ふたたび、柳本々々氏「フシギな短詩88」より

2017-03-01 14:54:42 | 俳句
きょうは、孫の子守もないし、
夕方に『We』3号配達されるというし
なんとなく、久々にゆったりとした「待ち」の気分です~

それで、「俳句新空間」をのぞいたら、
柳本さんの文章が気になった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「フシギな短詩88[丸山進]/柳本々々 より」

あなたから見ても私は変ですか  丸山進

(中略)
ところがそれを詩として反転させることも可能だ。
この「あなた」は読者のひとりひとりに切実に問いかけてくる
実存的な「あなた」として機能する。
それは「から見ても」という言葉の使い方によるものだ。
他のひとはわたしを変だと見ている。それは、いい。でも、
「あなた」はどうなんですか。わたしはあなたに問いかけたい。
「あなたから見ても私は変」なの「ですか」。

言語の技術的な面が駆使されることで読み手である〈あなた〉に
実存的に問いかける構造になったこと。
わたしはそうした文を詩と呼びたいと思う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私も、
〈あなたから見ても私は変ですか  丸山進〉
をそのように受け取った。
胸にナイフでも突きつけられたように、
「で、あなたはどうなのよ!?」と。

そしてそれは、「言語の技術的な面が駆使」されることで
担保されるということなのですね。

北川透氏も、『詩的レトリック入門』(思潮社)において、
「詩的なことばの在り方」が相対的に詩と詩でないものを区別するといい、
それを「詩的レトリック=詩的仮構」と呼んでいる。

どこから詩になるのかどこから詩にならないのか。
いつも悩ましい。
そこが磨かれなければならないところ~。














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1 コメント

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Unknown (糸魚 香)
2017-03-01 21:37:19
直接『あなた』と問いかけられると、ギクリとし、否応なしに向き合いざるを得ないような不思議な立ち場に追い込まれる感覚が面白いです。

普通の会話文が五七五に収まっていると、なにか特別感を覚えますね。
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