(前回)
〇「日本では不人気、中国で大人気の『資治通鑑』」(『教養を極める読書術』P.194)
宋代は中国の歴史の中では文人がもっと数多く輩出された時代ではなかろうか。文人といっても、現在のように文筆で身を立てているのではなく、政治家でありながら、プロのレベルの文筆もこなすエリート文化人のことだ。残念なことに日本の学校教育では歴史と言えば政治面の事柄が多いので、宋の文人の文化面の功績は授業ではあまり取り上げられることがない。また、入試にも出てこないのであまり知られていないのではなかろうか。しかし、そうはいっても、宋代初期に起こった新法を巡る政治闘争で、王安石とその反対派の領袖である司馬光の名は記憶されている方も多いだろう。しかし、司馬光の本領は、人生をかけて編纂した『資治通鑑』に歴史史家の力量が発揮されている。さらには、司馬光が後顧の憂いなく資治通鑑に取り組むことができたのは、王安石のバックアップに拠るものだったというのは、宋代文人の美談として記憶されてよい。
さて、この『資治通鑑』であるが、私はこれまでに『資治通鑑』の抄訳本を3冊ばかり出版した(『本当に残酷な中国史』『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』、『資治通鑑に学ぶリーダー論』)。それだけでなく、部分的に資治通鑑を取り上げた本が2冊ある(『教養を極める読書術』『社会人のリベラルアーツ』)。いわば、私の出版活動の大部分に資治通鑑が関連している。このきっかけは、最初の本『本当に残酷な中国史』の冒頭に書いたように、大学院修了の直前、つまり修士論文を書いているさなかに、ある晩、急に二十四史の正史・三国志(中華書局版)が読みたくなったことにある。翌朝、早速、寺町二条の中国専門店に買いに行ったところ、棚に中華書局版の資治通鑑(全4巻)が置いてあったので、三国志のついでに買ったのだ。
その時まで、漢字だらけの中華書局の史記を購入して、つまみ食い的に幾つかの編は読んだものの、正直なところ漢文はまともに読む力はなかった。それでこの時、『資治通鑑』を見ても、真っ先に、私にとっては宝の持ち腐れになるのではなかろうかと危惧した。しかし、ここで買わないと一生縁がないだろうと感じたので、1.6万円もする分厚い本を思い切って購入した。さて、大学院を卒業して会社に入り、新入社員研修が終わって部門に配属が決まってから、ぼちぼちとこの部厚い本を最初のページから読みだした。初めは漢和辞典を何度も引きながら読んでいたので、なかなか進まず、頑張って毎日読んでも1年かけて、ようやく2000ページが読めた程度であった。当時、私は中国の歴史・文学に関する事典や参考書は皆目持っていなかったので地名・人名について調べることもできず、中途半端な理解のまま読み進めることにフラストレーションが溜まってきた。さらにその後、 1982年にアメリカへ留学したり、帰国してから仕事が忙しいこともあって資治通鑑からはすっかり遠ざかっていた。
しかし、今から考えるとこの時に無理して資治通鑑を読まなかったのは正解であった。というのは、インターネットが1990年から急速に発達し、Web上に様々なデータがアップロードされたからだ。資治通鑑に関する資料で言えば、台湾の中央研究院(Sinica)が『漢籍電子文獻』として、大量のデータを無料公開していた(現在は、完全有料)。この中に、二十四史や清史稿とならんで資治通鑑と続資治通鑑の全文がBig5のデータで載せられていた。このデータが私にとって非常に役立ったのは、私の持っている中華書局版のページ毎に独立の html ファイルであったことだ。これを全文ダウンロードし、ページ数も表示できる検索システムを自作したおかげで、それまで数年、あるいは数十年にわたる事件などに登場する人名の関連を探すのに一苦労していたのが瞬時に分かるようになり読むスピードが格段にアップした。
さて、ウェブ上の原文は、中央研究院以外にも何通りもある。文字コードは当時は台湾の繁体字コードのBig5、あるいは大陸中国の簡体字コードのGB2312が主流であったが、現在ではUTF-8が主流となっている。これらの原文を複数ダウンロードして分かったのは Web上の原文には字の打ち間違い、あるいは俗字、異体字(異字体)などが散見されるということだ。つまり、一つの原文サイトで検索してヒットしなくても、別の原文サイトの文ではちゃんと見つかることもあるということだ。それで、私の漢文検索システムでは複数の原文を検索している。これら、いわば現代のテクノロジーの恩恵を受けて初めて、資治通鑑、全294巻を通読することができたといえる。
再度、最初から読みなおし、読了まで足かけ数年かかったが、実質1年で読み終えた。というのは、途中、職場が替わったので中断していた時期が1年半ばかりあったからだ。こんな事を言うと「1万ページもの漢文をわずか一年で、そんなのありえへ~ん」と思われるかもしれないが、当時土日は完全に空いていたので、この時に集中して読むことができた。 1万ページあると言っても、一日100ページ読めば週末に200ページ読める計算になる。これを52週、つまり 1年掛けると 1万ページになる勘定だ。とにかく一年で読了することを目標として、諸橋の大漢和や辞海は時たま引くことはあったが、あとは自作の漢文検索システムで、人名をキーワードにして過去の関連事項を探して事件の推移を確認しながら読んでいった。この時は、まるまる一日、朝から晩まで、受験勉強のように10時間程度没頭した。ところが、これは「10時間も漢文とにらめっこ」という苦行とは全く逆の興奮の連続だった。『本当に残酷な中国史』を読んだ方はお分かり頂けるだろうが、資治通鑑は、我々日本人にとって、故事成句的に言えば「応接に暇なし」の驚愕することだらけだ。一年もの間、あたかもスリル満点のアイマックシアターを観ていたようだった。
資治通鑑を読むために自作した漢文検索システムの制作過程を通して、中国文化の底力を強く感じた。というのは、中国は官民問わず、数多くの原文がウェブ上にアップロードされていたからだ。有料のサイトもあるが、たいていは無料で閲覧、ダウンロード可能だ。つまり、全世界の人が中国の古典文学・歴史書・哲学書を自由に見ることができるのだ。それに引き換え、日本の古典文学などはウェブ上にアップロードされている数が極めて少ない。とりわけ Wikisource のようななかば公的なサイトでは圧倒的な差がついている。ざっと確認したところ、中国の Wikisource では高校で習うような中国古典は、ほぼ全て原文を見ることができる。マイナーな公孫龍子、困学紀聞、日知録などもいくつもある。その上、とてつもなく大部の類書の冊府元亀、太平御覧、欽定古今図書集成なども現時点ではまだ全文ではないものの、整備されつつある。それに反し日本の Wikisource では、超有名な源氏物語、徒然草、太平記は流石に見つかるが、マイナーな御堂関白日記、吾妻鏡、大日本史、愚管抄などは影も形もない。大日本史などは日本の書でありながら、中国の Wikisource ではエントリーサイトは存在している。
それだけでなく、原文の載せ方が検索向きではない。例えば、徒然草(日本文學大系)では、冒頭の「つれづれなるままに、」という文章は上のように打ち込まれている。これは、国文研究者にはいいかもしれないが、普通の人が読んだり、原文検索するには非常に不便だ。検索する、という行為を全く無視している。原文の多さはなにも中国だけでない。ギリシャ・ローマ関連の Wikisource の充実を見るにつけ、世界における日本文化の影響力の薄さに落胆させられる。
そのような愚痴はともかくとして、司馬光の『資治通鑑』は私の人生に大きな影響を及ぼした、忘れられない書となった。上にも書いたように私は抄訳を既に3冊出版しているが、どれも同じく精魂を傾けて書いたのだが、残念なことに 1冊目を除いてはあまり売れていない。一つの原因はタイトルの付け方にあるように感じる。とりわけ、第2冊めの『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』は反中論を煽るようなタイトルで、私の意図には全くそぐわない。当初、出版社の編集者は「なるべく穏やかなタイトルにしたいですね」と言ってくれていたので、安心していが、出版直前になってこの過激なタイトルを知らされた。どうやら、出版社の営業部門が付けたようで当時(2017年)の反中的心情に迎合した「いや~な」タイトルだ。その上、先行の角川新書で謳っていた「資治通鑑」という文字が抹消されてしまい、ありきたりの反中本と思われてしまった。それに懲りて第3冊目の『資治通鑑に学ぶリーダー論』では出版社との打合せでは当初から、「必ず資治通鑑という名前を入れて欲しい」との要望を出したところ、編集者も「それこそ当方が望んでいることです」とこの点に関しては、どんぴしゃりと息が合った。いづれにせよ、この3冊はそれぞれニュアンスは異なるも、どれも資治通鑑の内容の広がりを知るためには欠かせない本であると私は自負している。はかない望みであるが、いつかこの3冊が合本として出版されることを秘かに期待している。できれば、ついでに幻の原稿である『資治通鑑にみる中国の庶民生活』も加えたいものだ。
【参考サイト】
●猪狩一郎氏の 2017年6月1日 書評:『本当に残酷な中国史』
==> 猪狩氏の書評は私の思いを十二分に伝えてくれているという点で、大いに敬服している。
●讀懂了《資治通鑒》、也就讀懂了人生
==> ある中国人が『資治通鑑』を読了しての感想を述べている。
(続く。。。)
〇「日本では不人気、中国で大人気の『資治通鑑』」(『教養を極める読書術』P.194)
宋代は中国の歴史の中では文人がもっと数多く輩出された時代ではなかろうか。文人といっても、現在のように文筆で身を立てているのではなく、政治家でありながら、プロのレベルの文筆もこなすエリート文化人のことだ。残念なことに日本の学校教育では歴史と言えば政治面の事柄が多いので、宋の文人の文化面の功績は授業ではあまり取り上げられることがない。また、入試にも出てこないのであまり知られていないのではなかろうか。しかし、そうはいっても、宋代初期に起こった新法を巡る政治闘争で、王安石とその反対派の領袖である司馬光の名は記憶されている方も多いだろう。しかし、司馬光の本領は、人生をかけて編纂した『資治通鑑』に歴史史家の力量が発揮されている。さらには、司馬光が後顧の憂いなく資治通鑑に取り組むことができたのは、王安石のバックアップに拠るものだったというのは、宋代文人の美談として記憶されてよい。
さて、この『資治通鑑』であるが、私はこれまでに『資治通鑑』の抄訳本を3冊ばかり出版した(『本当に残酷な中国史』『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』、『資治通鑑に学ぶリーダー論』)。それだけでなく、部分的に資治通鑑を取り上げた本が2冊ある(『教養を極める読書術』『社会人のリベラルアーツ』)。いわば、私の出版活動の大部分に資治通鑑が関連している。このきっかけは、最初の本『本当に残酷な中国史』の冒頭に書いたように、大学院修了の直前、つまり修士論文を書いているさなかに、ある晩、急に二十四史の正史・三国志(中華書局版)が読みたくなったことにある。翌朝、早速、寺町二条の中国専門店に買いに行ったところ、棚に中華書局版の資治通鑑(全4巻)が置いてあったので、三国志のついでに買ったのだ。
その時まで、漢字だらけの中華書局の史記を購入して、つまみ食い的に幾つかの編は読んだものの、正直なところ漢文はまともに読む力はなかった。それでこの時、『資治通鑑』を見ても、真っ先に、私にとっては宝の持ち腐れになるのではなかろうかと危惧した。しかし、ここで買わないと一生縁がないだろうと感じたので、1.6万円もする分厚い本を思い切って購入した。さて、大学院を卒業して会社に入り、新入社員研修が終わって部門に配属が決まってから、ぼちぼちとこの部厚い本を最初のページから読みだした。初めは漢和辞典を何度も引きながら読んでいたので、なかなか進まず、頑張って毎日読んでも1年かけて、ようやく2000ページが読めた程度であった。当時、私は中国の歴史・文学に関する事典や参考書は皆目持っていなかったので地名・人名について調べることもできず、中途半端な理解のまま読み進めることにフラストレーションが溜まってきた。さらにその後、 1982年にアメリカへ留学したり、帰国してから仕事が忙しいこともあって資治通鑑からはすっかり遠ざかっていた。
しかし、今から考えるとこの時に無理して資治通鑑を読まなかったのは正解であった。というのは、インターネットが1990年から急速に発達し、Web上に様々なデータがアップロードされたからだ。資治通鑑に関する資料で言えば、台湾の中央研究院(Sinica)が『漢籍電子文獻』として、大量のデータを無料公開していた(現在は、完全有料)。この中に、二十四史や清史稿とならんで資治通鑑と続資治通鑑の全文がBig5のデータで載せられていた。このデータが私にとって非常に役立ったのは、私の持っている中華書局版のページ毎に独立の html ファイルであったことだ。これを全文ダウンロードし、ページ数も表示できる検索システムを自作したおかげで、それまで数年、あるいは数十年にわたる事件などに登場する人名の関連を探すのに一苦労していたのが瞬時に分かるようになり読むスピードが格段にアップした。
さて、ウェブ上の原文は、中央研究院以外にも何通りもある。文字コードは当時は台湾の繁体字コードのBig5、あるいは大陸中国の簡体字コードのGB2312が主流であったが、現在ではUTF-8が主流となっている。これらの原文を複数ダウンロードして分かったのは Web上の原文には字の打ち間違い、あるいは俗字、異体字(異字体)などが散見されるということだ。つまり、一つの原文サイトで検索してヒットしなくても、別の原文サイトの文ではちゃんと見つかることもあるということだ。それで、私の漢文検索システムでは複数の原文を検索している。これら、いわば現代のテクノロジーの恩恵を受けて初めて、資治通鑑、全294巻を通読することができたといえる。
再度、最初から読みなおし、読了まで足かけ数年かかったが、実質1年で読み終えた。というのは、途中、職場が替わったので中断していた時期が1年半ばかりあったからだ。こんな事を言うと「1万ページもの漢文をわずか一年で、そんなのありえへ~ん」と思われるかもしれないが、当時土日は完全に空いていたので、この時に集中して読むことができた。 1万ページあると言っても、一日100ページ読めば週末に200ページ読める計算になる。これを52週、つまり 1年掛けると 1万ページになる勘定だ。とにかく一年で読了することを目標として、諸橋の大漢和や辞海は時たま引くことはあったが、あとは自作の漢文検索システムで、人名をキーワードにして過去の関連事項を探して事件の推移を確認しながら読んでいった。この時は、まるまる一日、朝から晩まで、受験勉強のように10時間程度没頭した。ところが、これは「10時間も漢文とにらめっこ」という苦行とは全く逆の興奮の連続だった。『本当に残酷な中国史』を読んだ方はお分かり頂けるだろうが、資治通鑑は、我々日本人にとって、故事成句的に言えば「応接に暇なし」の驚愕することだらけだ。一年もの間、あたかもスリル満点のアイマックシアターを観ていたようだった。
資治通鑑を読むために自作した漢文検索システムの制作過程を通して、中国文化の底力を強く感じた。というのは、中国は官民問わず、数多くの原文がウェブ上にアップロードされていたからだ。有料のサイトもあるが、たいていは無料で閲覧、ダウンロード可能だ。つまり、全世界の人が中国の古典文学・歴史書・哲学書を自由に見ることができるのだ。それに引き換え、日本の古典文学などはウェブ上にアップロードされている数が極めて少ない。とりわけ Wikisource のようななかば公的なサイトでは圧倒的な差がついている。ざっと確認したところ、中国の Wikisource では高校で習うような中国古典は、ほぼ全て原文を見ることができる。マイナーな公孫龍子、困学紀聞、日知録などもいくつもある。その上、とてつもなく大部の類書の冊府元亀、太平御覧、欽定古今図書集成なども現時点ではまだ全文ではないものの、整備されつつある。それに反し日本の Wikisource では、超有名な源氏物語、徒然草、太平記は流石に見つかるが、マイナーな御堂関白日記、吾妻鏡、大日本史、愚管抄などは影も形もない。大日本史などは日本の書でありながら、中国の Wikisource ではエントリーサイトは存在している。
それだけでなく、原文の載せ方が検索向きではない。例えば、徒然草(日本文學大系)では、冒頭の「つれづれなるままに、」という文章は上のように打ち込まれている。これは、国文研究者にはいいかもしれないが、普通の人が読んだり、原文検索するには非常に不便だ。検索する、という行為を全く無視している。原文の多さはなにも中国だけでない。ギリシャ・ローマ関連の Wikisource の充実を見るにつけ、世界における日本文化の影響力の薄さに落胆させられる。
そのような愚痴はともかくとして、司馬光の『資治通鑑』は私の人生に大きな影響を及ぼした、忘れられない書となった。上にも書いたように私は抄訳を既に3冊出版しているが、どれも同じく精魂を傾けて書いたのだが、残念なことに 1冊目を除いてはあまり売れていない。一つの原因はタイトルの付け方にあるように感じる。とりわけ、第2冊めの『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』は反中論を煽るようなタイトルで、私の意図には全くそぐわない。当初、出版社の編集者は「なるべく穏やかなタイトルにしたいですね」と言ってくれていたので、安心していが、出版直前になってこの過激なタイトルを知らされた。どうやら、出版社の営業部門が付けたようで当時(2017年)の反中的心情に迎合した「いや~な」タイトルだ。その上、先行の角川新書で謳っていた「資治通鑑」という文字が抹消されてしまい、ありきたりの反中本と思われてしまった。それに懲りて第3冊目の『資治通鑑に学ぶリーダー論』では出版社との打合せでは当初から、「必ず資治通鑑という名前を入れて欲しい」との要望を出したところ、編集者も「それこそ当方が望んでいることです」とこの点に関しては、どんぴしゃりと息が合った。いづれにせよ、この3冊はそれぞれニュアンスは異なるも、どれも資治通鑑の内容の広がりを知るためには欠かせない本であると私は自負している。はかない望みであるが、いつかこの3冊が合本として出版されることを秘かに期待している。できれば、ついでに幻の原稿である『資治通鑑にみる中国の庶民生活』も加えたいものだ。
【参考サイト】
●猪狩一郎氏の 2017年6月1日 書評:『本当に残酷な中国史』
==> 猪狩氏の書評は私の思いを十二分に伝えてくれているという点で、大いに敬服している。
●讀懂了《資治通鑒》、也就讀懂了人生
==> ある中国人が『資治通鑑』を読了しての感想を述べている。
(続く。。。)