限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第246回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その34)』

2014-08-17 23:01:51 | 日記
前回

 『TOEIC英語ではなく、多言語の語学を(17)』

【2.古典ギリシャ語・ラテン語の語彙と文体(その7)】

ローマの歴史家にコルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus、 ca AD 55 - 120)という人がいる。『年代記』(Annales)や『同時代史』(Historiae)などの超一級の歴史書を書き残した。タキトゥスは古来、「翻訳不可能」と言われるほど、ラテン語の特長を存分に駆使し、実にひきしまった文体を編み出した。私は一時期、『年代記』を辞書(紙ベースと、 Whitaker氏のPCソフト)を使って読んだが、確かに他の人のラテン語とはまるっきり質が違うと感じた。澄み切ったソプラノのような、あるいは清冽な湧水のような、そんな感じだ。

彼の代表作の『年代記』からいくつか文を選んで、ラテン語特有の文体を紹介したい。

尚、訳文は日本語は岩波文庫(国原吉之助)、英語はLoeb、ドイツ語はReclamのものを使用した。

ここで一言、記法に関して注意しておきたい。現在、ラテン語の記法では j の代わりに i 、v の代わりに u を使うことが主流になりつつある(Oxford Latin Dictionay など)。i はともかくも、 v の代わりに u で記述すると非常に分かりづらいので、私はこの記法には賛同しない。ここでは読者の便を考え、英語の綴りが連想し易いように、わざと旧式の j, v の記法に従う。

1.『年代記』(巻1、19節)
 【ラテン語】Profecto juvene modicum otium.
 【英訳】After the young man departure there was comparative quiet.
 【独訳】Nach der Abreise des jungen Mannes herrschte im allgemeinen Ruhe.
 【和訳】この青年副官が出発したあとは、かなり静かになった。

この部分は、AD14年に属州のパンノニア(現在のクロアチア)で兵士たちが待遇改善を要求したことから、暴動が起こった。議論の末、長官の息子をを先頭にローマに陳情に出発したことでようやく沈静化したところである。

元のラテン文を、ためしに英語的に書いてみると次のようになる。
 【英語的ラテン語】Juvene profecto, modicum otium.
 【上の文の直訳】The-young departed, comparative quiet [came.]

つまり、意味的には前半の主語は juvenis(青年)であり、動詞は proficiscor(出発する)。(ここで、juvenis は形容詞(若い)もあり、その時の比較級は junior 。) 

後半は単に主格の形容詞+名詞 modicum (いくぶんか・形容詞)、 otium(落ち着き)、と続くが動詞はない。

さて、ここで juvene は juvenis の奪格という格をもつ。奪格とは主格でないので、主語ではない。ところが、意味的には主語であるが、それだけでなく原因・理由・手段などの意味もつく。つまり、英語でいうと、when XXX ...., as XXX ..., for XXX ..., などのような(接続詞+主語)を一言で言い表しうるのがこの絶対奪格(あるいは、独立奪格ともいう)という用法である。この時、動詞は必ず分詞(英語で言うと、--ing)の形をとる。

後半の文章には動詞がないが、主格の名詞が来るということは、『。。。である』というような意味が暗黙の内に了承されているので、不要ということである。

この文を見るとよくわかるが、僅か4ワードで一文が成り立っている。英語では、9ワード、ドイツ語では10ワードも要している。この差は:
 1.ラテン語には冠詞がない。
 2.格変化(奪格)のおかげで、前置詞(英訳では after, 独訳では nach)が不要。
 3.格変化(主格)のおかげで、動詞(英訳では there was, 独訳では herrschte)が不要。

に起因する。

奪格には多重の意味がある、という感覚は日本語の『で』の用法に近い。『で』には、ざっと思いつくままにあげても、次のような意味がある。
 1.手段 -- はさみ『で』切る。
 2.理由 -- 彼は脱税『で』捕まった。
 3.材料 -- この布は不燃布『で』織られている。
 4.場所 -- ここ『で』待ち合わせよう。

もし、単独の『で』が意味不明なら、語を補って説明する必要があるが、これはラテン語の場合も同じだ。

ただ、いい事ばかりではない。主格はともかくも、奪格は(前置詞+名刺)のトータルの意味を持つので、どういう意味の前置詞を意図しているのかが不明のケースが出てくる。つまり、名詞を部分的に見ただけでは意味が分からないので、文全体から類推する必要がある。つまり奪格の名詞の意味は context dependent なのだ。それ故、前回述べたように近代のヨーロッパ人(ニュートンやデカルトなど)は自国語で分析的な表現に慣れ親しんでいるので、奪格のように名詞を単独で使うのではなく、明示的に(前置詞+名刺)を使うのを好むのである。


【出典】A Capriccio View of Roman Ruins along the Tiber, by Jacob van der Ulft

もう一つ例を示そう

2.『年代記』(巻1、30節)
 【ラテン語】 et Drusus, non exspectato legatorum regressu, quia praesentia satis consederant, in urbem rediit.
 【英訳1】Drusus, without awaiting the envoys' return, as for the present all was quiet, went back to Rome.
 【英訳2】Drusus himself, since affairs were settled enough at present, went back to Rome without staying for the return of the deputies.
 【独訳】Auch Drusus wartete die Rückkehr der Abordnung nicht ab, sondern kehrte, da sich nunmehr dir Lage im allgemeinen beruhigt hatte, in die Hauptstadt zurück.
 【和訳】ドゥルススは、現地の状勢も落ち着いてきたので、使者の帰りをまたずに、都にひきかえした。

元のラテン文を、ためしに英語的に書いてみると次のようになる。

 【英語的ラテン語】et Drusus non exspectato legatorum regressu, rediit in urbem, quia praesentia satis consederant.
 【上の文の直訳】and Drusus, who not waited-for the-legatus's return, went-back to the-City, because the-present-situation enough is-settled.

この【英語的ラテン語】を元の【ラテン語】と比べてみると、骨格をなす主語 Drusus(ドゥルスス) と動詞 rediit(帰った) が文頭と文末に置かれている。その間に、 non exspectato legatorum regressu(使者の帰りをまたずに)という説明文と、quia praesentia satis consederant(現地の状勢も落ち着いてきたので)という理由文の2つがサンドイッチ状にはさみこまれているのだ。このように、文がねちねちとくっついて団子状になっているのがラテン語の文体の一つの大きな特徴と言える。

さて、この文の先頭に et という単語があるが、ラテン語の et は英語の and に相当するが、意味もなく(と私には思えるが)しばしば文頭に使われることがある。専門家はどういう解釈をしているのかは知らないが、私には『え~っと。。。』というような意味で使っているのだろうと感じられる。この点、ギリシャ語も、καιを同じように、意味もなく文頭によく置く。

ついでに言うと複数のものを数える時に、日本語ではご丁寧にすべてに『と』をつけるが、英語をはじめとして近代ヨーロッパ語では、最後の名詞の前にしかつけない。例えば『リンゴと桃とオレンジを買った。』 "I bought an apple, a peach and an orange."ところが、ギリシャ語もラテン語も、我が日本語と全く同じようにすべてを『και』や『et』で連結するのである。うろ覚えなので確信はないが、英語やドイツ語でも昔は and や und を全てにつけていたのが、次第に現在のように最後の名詞だけに使うようになった(らしい。)

今回取り上げた、タキトゥスの 2つの文を見ても分かるが、ラテン語の文章を英語に訳す時には、元の語順通りに訳すとかなり分かり難い文になってしまう。つまり、格変化を失った英語では、ラテン語の意味は伝えることができるものの、訳文は語順通りにはならない。一方、格変化を保存しているドイツ語はラテン語でも(ギリシャ語でも)かなりの程度で元の語順通りに訳すことができる。

以前に紹介したショーペンハウアーの言葉、『近代ヨーロッパ言語の中で唯一ドイツ語だけが、ギリシャ語とラテン語という2つの古典語と肩を並べることができる』というのも、まんざらの虚言やはったりではないのだ。

【参照ブログ】
 【座右之銘・76】『Salus populi suprema lex esto』

続く。。。
コメント
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