goo blog サービス終了のお知らせ 

限りなき知の探訪

50年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第275回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その118)』

2016-09-29 21:41:48 | 日記
前回

【217.事宜 】P.2636、AD299年

『事宜』は前回説明した『時宜』と同じ発音であり、また意味も「物事を行うのにちょうどよいころあい」とよく似ている。辞海(1978年版)では、『事宜』は「謂事務之機宜也」(事務の機のよろしきをいうなり)と説明する。ここで「機」が使われているように、「タイミングがよい」という説明だ。

一方、辞源(1987年版)では「事理」、つまり「事の理(ことわり)」と説明する。つまり、都合よいのは「タイミング」ではなく「ことがら、役割が適切」である、という意味に解釈できる。

ついで、ここで前回説明した時宜や今回の事宜も含め、「宜」のつく4つの単語(時宜、事宜、便宜、適宜)を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索した結果を下記に示す。この中では、「便宜」という単語が最も頻繁に使われていることが分かる。



さて、資治通鑑で「事宜」が使われている場面を紹介しよう。

西晋が司馬炎(武帝)によって建国されたが、後継者選定でごたごたがあり、結局、司馬炎の死後に起こった八王の乱で社会が大混乱し、その結果、西晋は滅亡してしまう。その原因の一つが、司馬炎の息子、司馬衷(恵帝)の妃である賈妃(賈南風)にある。賈妃はなにかと癪に障る、太子の司馬遹を引きずりおろそうと画策した。ある時、太子を泥酔状態にさせておいて、予め用意しておいた反乱文を書き写させた。その文を宮廷で大臣達に見せ、太子の退位に賛成せよ、と迫ったが、文面が太子の直筆か疑わしいとの発言があった。

 +++++++++++++++++++++++++++
裴頠は、とにかくその文面の字が太子の他の書面と比べて直筆であるかどうかを検証すべきだ、そうでないと偽物かどうか断定できないと述べた。そこで、賈后は予め用意しておいた太子が書いた公文書(啓事)を十枚ほどとりだして皆に見せた。それをチェックすると、皆は納得せざるをえなかった。さらに、賈后は宦官の董猛に武帝の娘で、帝の姉の長広公主からの伝言だと偽って帝(恵帝)に「この件はさっさと結論づけなさい。臣下の中には、違った意見をもち、帝の命令に背く者もいるでしょうが、そやつらは軍法裁判にかけなさい」と言わせた。

裴頠以為宜先検校伝書者;又請比校太子手書、不然、恐有詐妄。賈后乃出太子啓事十余紙、衆人比視、亦無敢言非者。賈后使董猛矯以長広公主辞白帝曰:「事宜速決、而群臣各不同、其不従詔者、宜以軍法従事。」

しかし、朝から始まった議論も日が沈むころになってもまだ結論がでなかった。賈后は張華たちが頑として自分の意見に賛成しそうもないのを見ると、クーデターを起こされるかもしれないとおそれて、太子を死刑にするのではなく、とりあえず庶人の身分に落とすことで手を打ち、その旨の詔を発令した。その後、秘書官(尚書)の和郁たちが、正式の使いとして東宮に出向き、太子を退位させて、庶人に落とした。太子は服装を変えて出てきて、詔を受け取った。そして、歩いて承華門を出て、粗末な牛車に乗った。東武公の司馬澹は儀仗兵を率いて太子と太子妃の王氏(王恵風)、王子の虨、臧、尚の三人をガードしながら、金墉城まで連れていって幽閉した。太子妃の父親の王衍は王恵風の離婚を請願し、許された。妃の王恵風は慟哭しつつ実家に戻った。

議至日西、不決。后見華等意堅、懼事変、乃表免太子為庶人、詔許之。於是使尚書和郁等持節詣東宮、廃太子為庶人。太子改服出、拝受詔、歩出承華門、乗粗犢車、東武公澹以兵仗送太子及妃王氏、王子虨、臧、尚同幽于金墉城。王衍自表離婚、許之、妃慟哭而帰。
 +++++++++++++++++++++++++++

太子(司馬遹)の不注意で、賈后のワナにはめられて、結果的に自分だけでなく、実母と3人の息子も皆殺しされる運命となった。しかし、群臣の誰もが、これは賈后のワナだと知ってはいたものの、太子直筆の反乱文という証拠物件があるだけに、太子を擁護することはできなかった。それでも、何とかして救いたいとして、宮廷での討論の結論はなかなか出なかったという場面だ。



この場面からも分かるように、中国では太子と雖も、決して命や身分が安泰しているわけではなく、政敵から常にあら探しの危険にさらされている。また、一般的に「中国は中央集権国家で、皇帝が権力の頂点に立つ」という通俗の歴史書に書かれているのは、単なる形式上の話で、実際には今回の例でも分かるように、皇帝を自由に操る黒幕がいることがかなり頻繁に起こっている。

また、政敵から陥れられてしまって、一旦、公式のプロセスを経由して詔という書面が公布されてしまうと、たとえ皇帝の本心ではないとしても、あるいは誰の眼にも明らかな冤罪であったにしても、決定を覆すのは不可能であった。このような理不尽な処分が成立することこそが、悪名高き中国の人治の真髄であり、現在の共産党政権の権力闘争でもしばしば見られる現象だ。

【訂正】2016/10/07 付記
本記事に対して、通りすがりの高等遊民様から投稿を頂き、いくつかの間違いを指摘されました(2016/10/01)。まず、引用文の第一節の「事宜」とは、熟語ではなく、「事はよろしく。。。べし」と読むのが正しいとの指摘でした。またご指摘により「尚書」の訳を「総理大臣」から「秘書官」に変更し、修正しました。御指摘にあつく感謝申し上げる次第です。

続く。。。

最新の画像もっと見る

4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
差し出口ですが‥‥ (通りすがりの高等遊民)
2016-10-01 22:37:37
たまたまネット渉猟の折りに、貴ウヱブログ
に至り記事を拝見した次第です。

未だほんの一部しか閲覧しておりませんが、
最新の書き込みと覚しきところ━想溢筆翔:(第275回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その118)』━に間違いが看取されました
ので、一応東洋史学者の端くれとして指摘を
試みたく投稿致しました。


捏造された長広公主の発言部分にある
「事宜速決」のくだりは、「事は宜しく
速やかに決すべし」と「事」を主語と捉え、
「宜」は所謂再読文字として訓読するの
が妥当なところでしょう。仮にここを時宜と
取ってはこの文脈では意味が聊か通じません。

他にも、たとえば「尚書」を総理大臣と訳出
したり、「持節」を正式な使者と解釈するのは、中国史に関する知識を欠いたものだと言
わざるを得ません。

工学系の素晴らしいキャリアの保持者が、更
に漢籍にも造詣があることには敬意を表しま
すが、インターネットで広くご高説を公開さ
れている以上は、正確さを期して頂きたいと
存じ、失礼ながら書き込みに及んだ次第です。
返信する
過而不改、是謂過矣 (麻生川静男)
2016-10-03 09:24:29
通りすがりの高等遊民様

ご指摘、誠にありがとうございます。

別に孔子を気取るわけではありませんが、まさに『論語』(述而編)にある
 「丘也幸、苟有過、人必知之」(丘や幸なり、苟しくも過ちあれば、人必ずこれを知る。」)
の心境です。

ご指摘の点について、下記のように考えています。ご意見をお聞かせ下さい。

 ===========================

1.「事宜速決」の読み方

再度原文を読み返し、また、手元にある「和刻本 資治通鑑」(汲古書院)をチェックして、ご指摘の読み方が正しいと考えます。

この点では、統計表の「時宜」や「事宜」などでも句ではなく、ご指摘のように、「時、宜しく。。。」「事、宜しく。。。」と読むケースもありますので、統計表の数も訂正する必要がありますが、全体をチェックすることはできませんので、このままにしておきたいと思います。

2.「尚書」を総理大臣と訳す点

「尚書」の次代変遷では次のような記述を参考にしました(世界大百科事典)。

「後漢以来の,皇帝直属の秘書官室である尚書が政務遂行の中心になる傾向が推し進められ,それまでの三公が権力を失っていき,尚書の最高官の録尚書事が宰相の権力を掌握した。」

それで、実質的に臣下としては権力の頂点に立つのが録尚書事であるので、総理大臣と意訳した次第ですが、この記事(AD299年)は魏晋時代で、権力の中心がすでに中書省に移っていたことを考慮しますと、総理大臣というのは適切な訳ではないというご指摘の通りだと思いました。(辞海では「魏晋皆重中書之官、掌機衡之任、尚書之権漸減」と説明。)

さらに「尚書」の和郁という人物を調べてみますと、この時点(AD299年)ではまだ尚書令ではなく、10年程してようやく尚書令になっています。それで、ここでの「尚書」は「秘書官」ぐらいの訳が適当ではないかと考えます。

3.「持節」を正式な使者と訳す点

たしかに「持節」とは、「節」を持った者という意味で、この際の「節」とは「証明書」の類であると理解しています。(辞源では「節」を「符節。古時使臣執以示信之物」と説明。)

ただ、この意味で直訳してもブログ読者には状況が分かりにくいと思い、和郁たちが賈后の命令を受けて、太子を退位させるには、何らかの権威ある書類を持参したに違いない、と私が勝手に想像して「正式の」という句を挿入した次第です。

 ===========================

ところで、私は、誤った表現を広める意図は全くありませんが、かといって漢文に縁遠い一般読者に、正確ではあるけれど、理解しにくい表現を使うのは不親切だと考えております。「極力正確を期しながら、現代人が理解しやすいような訳をする」というのが私の基本姿勢です。

ただ、ご指摘のように正確性を欠く表現があるのは事実で、私自身、過去の自分の投稿をチェックすると間違いに気づくことがあります。さらに、自分の気づかない間違いについては、今回のようにご指摘を頂けることは大変ありがたく存じます。論語にも「過而不改,是謂過矣」(過ちて改めざる、これを過ちという)とありますように、間違いはためらわず正していく所存でございます。

最後に、一つお願いがございます。

「中国史に関する知識」について、専門家が使うレベルで、ご推薦の工具書があれば、ぜひお教え頂きたく存じます。私の身近には、先生のような東洋史学の専門家がいないので、訳しながらいくつかの点であやふや感が残ったまま投稿せざるを得ないことも、間々あります。

ご返事は、このブログのサイトへの投稿でも構いませんが、もし差支えなければ、下記の私のメールアドレスへ直接頂ければ、まことに幸甚に存じます。

sasogawa2002(@)hotmail.com(ただし、(@)は 小文字の@に換えて下さい。)

今後とも、厳しいご鞭撻・ご指摘のほど、よろしくお願い申し上げます。
返信する
管見をつらつら (通りすがりの高等遊民)
2016-10-06 22:00:33
此の度は、然程意を尽くさぬ余のコメントに対して、論語の章句を踏まえて自発的に進んで再吟味を加えられるなど真摯に受け留めて頂いたことに寔に頭が下がる思いでありました。

あまり縷縷述べてもいけませんので、「持節」
について掻い摘んで申しますと、

古来より節には斧鉞が附随することがしばしばでありまして、節鉞など形容されます。節は旗標(はたじるし)と解釈するのが妥当です。
主として懲罰の執行に際し、皇帝から委譲された正当な権源を証するシンボルなのです。

尚書も注意が必要ですね。ご丁寧に和郁の官歴を検められたのは流石ですが、そもそも今回の文脈と表記では、尚書令や録尚書事、領尚書事の如き宰相級の職務では有り得ません。

中国史における政治制度とりわけ官職は、数千年単位の王朝の変遷と相俟って複雑奇怪な様態を呈しております。同一名義が複数の役割に及んだり、時勢とともに絶えず位置付けが更新されたり、あるいは実体を失い虛号と化しても完全に廃されるわけではなく、称呼だけは存置したり、実に厄介極まりないものです。
東洋史関連の工具についてもお尋ねがありましたが、百科辞典よりも専門的なたとえば平凡社のアジア歴史事典をとってみても項目によっては通史的に充分な記述と言えないようなものも散見されますので史料に拠る精査が必須です。

最後に以下の記述につきまして。


また、一般的に「中国は中央集権国家で、皇帝が権力の頂点に立つ」という通俗の歴史書に書かれているのは、単なる形式上の話で、実際には今回の例でも分かるように、皇帝を自由に操る黒幕がいることがかなり頻繁に起こっている。


ここにイメージされている中央集権の皇帝親裁の体制が整うのは宋代以降のお話で、特に西晋時代は帝室一門への冷遇が曹魏滅亡を招いた教訓に鑑みて、宗室諸王への封建を強化していること、更には恵帝個人の資質の故に朝廷に於いては重量級の輔政の存在を要したこともあって、なかなか皇帝万能とはいかない訳です。

生憎と方今は些と身動きが取りにくいので、取り急ぎ今日のところはこれぐらいと致しまして、また落ち着いて機会があればお示ししたいと存じます。
返信する
再度の投稿に対するお礼 (麻生川静男)
2016-10-07 13:20:33
通りすがりの高等遊民様

再度のご投稿、誠にありがとうございました。

○「持節」を正式な使者と訳す点

節は旗標(はたじるし)と言う表面的な意味だけにとどまらず、背景の意味にかんしても詳しい説明、ありがとうございました。ご説明からすると、「皇帝から委譲された正当な権限」の印を持って和郁たちが東宮に向かったことになりますね。

この個所を「皇帝から委譲された正当な権限を示す旗じるしを持って」というのを、私が「正式の使いとして」と表現したことは確かに学術的には正確性を欠くとは思いますが、前回も弁明しましたように、私は一般読者を対象としてなるべく通読性を高める訳を心掛けている次第です。

このような訳にしようと思っているには理由があります。

昔、学生のころ、カントの『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft)をドイツ語で読んでいた時に部分的に理解できないところがあったので、英訳をのぞいてみました。すると、驚いたことに英文ではかなり文章が変えられていました。つまり、カントのドイツ語を英語に訳した、というより、もしカントが現代英語のネイティブスピーカーだったらこういうだろう、という想定での意訳となっていたのです。

この経験があってから、私は学術論文ではない普通の文章での翻訳文というのは、極力現代人が注釈なしでもそのまま読めるように書くことを方針としております。従いまして、今回「持節」に関し、いろいろと御丁寧な説明を頂き感謝いたしますが、訳文はそのままにしておきたいと存じます。

○次に「尚書」に関する詳しいご説明、ならびに、中国の皇帝の権限のありかたが一様でない、などのご教示も誠にありがとうございました。私も資治通鑑を通読し、建前と内実はかなり違うなあ、という感じをうけました。

○最後に、工具書に関しても、一部問題はあるとのご指摘ですが、平凡社のアジア歴史事典、早速、購入手続きをとりました。

今後とも、お手すきの際には、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。