限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・17】『行年六十而六十化』

2010-01-15 00:21:02 | 日記
私は、荘子が好きである。いつ読んでも荘子の自由精神と、天性の語感がさらりとつむぎだしたような絶妙な警句にしびれてしまう。

もっとも、我々が現在、手にしている荘子という本は、彼自身の言葉は2割程度しかなく、残り8割は彼の後継者が付け足したものらしい。しかし、私は全体に荘子の思想的雰囲気は一貫していると感じる。



さて、その昔、春秋時代の小国の衛に遽伯玉(きょ・はくぎょく)という賢大夫がいた。(遽は、本当は草かんむり)その賢明さは、中国じゅうに鳴り響いていたらしく、孔子も、論語では、次のように誉めている:『遽伯玉こそは、君子の鑑といえるなあ。国が治まっているときには、有能な官吏として仕え、国が乱れているときには、でしゃばらずに自制している。』(君子哉、遽伯玉!邦有道,則仕;邦無道,則可卷而懷之)

また遽伯玉は、いつも自分に何か落ち度あるのではないかと反省していたというから、非常に内省的な性格の持ち主であったようだ。(欲寡其過、而未能也。『論語・憲問』)

その反省も一時期だけのポーズではなく、一生続いていたようだ。荘子の雑篇の則陽には、次のように記されている。『遽伯玉、行年六十、而六十化』(遽伯玉、こうねん、六十にして、六十、化す)

つまり、彼は、昨年までの自分はまだダメであった、今年は全うな生き方をするぞ、と毎年反省していたらしい。それが、六十歳になっても、まだ続いていた、と言うのだから、恐れいる。そうすると、私の年ではまだ反省途中であったということになる。

ただし、淮南子という本によると、どうやら反省していたのは六十歳ではなく、五十歳であったという。(遽伯玉、年五十、而有四十九年非)そうすると、私はどうやら赦免を頂いて、今後は反省する必要はなさそうなのだが。。。
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