限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

希羅聚銘:(第17回目)『策略でガビィ族を攻略する』

2010-01-14 13:39:26 | 日記
Livy, History of Rome (Livius, Ab urbe condita)

(英訳: "Everyman's Library", Translator: Canon Roberts, 1905)

ローマと聞くと『パンとサーカス』やネロに代表されるような風紀乱れた廃頽の国というイメージがあるが、これはだいたいがローマの帝政(AD1世紀以降)の話であり、元来は尚武の国。ローマの兵隊が強かったこともさることながら、勇猛な将軍に率いられ、正々堂々と戦う、その姿が周辺の国家の尊敬を得ていた。

タルクィニウス王も、わがままな国政を行ってはいたものの戦時に於いては優秀な将軍であり、近隣の都市との戦いには勝ち続けていた。ただ、ガビィ(Gabii)族との戦いにはどうしても勝利を収めることができなかった。そこで、それまでのローマの伝統を破って奸計・策略(fraude ac dolo)を用いることにした。

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Book1, Section 53

タルクィニウス王はあたかも、もはやガビィ族の攻略はあきらめ、ローマの内政と神殿づくりに精をだすつもりだと吹聴した。その一方で、敵を欺く入念な計画を立てた。つまり、一番末の息子のセクトゥスをガビィ族に駆け込ませ、父親の残酷さはもはや家族でさえ耐え難いものとなったと訴えさせた。

Nam cum velut posito bello fundamentis templi iaciendis aliisque urbanis operibus intentum se esse simularet, Sextus filius eius, qui minimus ex tribus erat, transfugit ex composito Gabios, patris in se saevitiam intolerabilem conquerens:..

【英訳】He pretended to have given up all thoughts of war and to be devoting himself to laying the foundations of his temple and other undertakings in the City. Meantime, it was arranged that Sextus, the youngest of his three sons, should go as a refugee to Gabii, complaining loudly of his father's insupportable cruelty,...
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この計画は図星にあたった。ガビィ族はセクトゥスを信用し、ついには、自軍の総司令官(dux belli)に任命した。そこへ、ローマとガビィ族との間にいざこざが持ち上がった。皆は、セクトゥスがガビィ族のために勝利をもたらしてくれるものと大いに期待していた。しかし、セクトゥスは父、タルクィニウス王に密使を送り、どうすればよいか尋ねた。

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Book1, Section 54

タルクィニウス王はその密使がもたらした質問には答えず、宮廷の花壇を思案げな面持ちで散歩した。そして、持っている散歩用ステッキでケシの花のうちで高いものだけを打ち落としていった。

rex velut deliberabundus in hortum aedium transit sequente nuntio filii; ibi inambulans tacitus summa papaverum capita dicitur baculo decussisse.

【英訳】The king went into the palace-garden, deep in thought, his son's messenger following him. As he walked along in silence it is said that he struck off the tallest poppy-heads with his stick.
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伝言をもらえなかった密使は、仕方なく戻ってセクトゥスにタルクィニウス王の行動の一部始終伝えた。それを聞いたセクトゥスは父の言わんとするところ、つまり、ガビィ族の有力者を殺してしまえ、という暗示を理解し、その通り実行した。有力者の多くを失ったガビィ族の軍は骨抜きとなり、もはや一戦も交えずローマの軍門に下らざるをえなくなった。



類似の話に、三国志演義の赤壁の戦いに出てくる、黄蓋の『苦肉の策』があるし、ヘロドトスの歴史には、キュロス大王の家来・ゾピュロスが自分の鼻と耳を削ぎおとして敵に寝返ったふりをして、バビロンを陥落させる、という話が載せられている。(参照:想溢筆翔:(第28回目)『客人よ、妻をご自由に!』

考えてみると、こういった話が成立するためには、他国人を信頼して自国の軍隊を一任するという度量がなければならない。日本の歴史には、寡聞にしてこういう類の話を聞かないのは、国民性として外国人を日本人と同格に受け入れ難たかったためではないか、と私は考える。アメリカではシュワルツェネッガーがカリフォルニア州知事に選出され、フランスでは、移民の子のサルコジが大統領になった現在、日本の根強い排外主義は諸外国から見て異様に写るのではないだろうか。
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