限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第55回目)『漢文は音読で、完全にマスターできる!』

2010-05-14 00:04:10 | 日記
今年も『国際人のグローバル・リテラシー』の授業で最後の10分程度を使って、まともな漢文の読み方の実践を行っている。

私は、従来から我々日本人が文章力を高めようとすると、漢文をまともに読める必要があると思っている。しかし、高校の漢文の授業では、返り点のついた文章をあたかもパズルを解くように読んでいるだけで、結局は漢文をよめるようにはならない。それは、漢文も一種の外国語であるのにも関わらず、音を無視して学習しようとしているからに他ならない。

逆に言うと、漢文マスターの正攻法としては、漢文の書き下し文を自分で iPodなどに吹き込み、返り点のない文章(ただし句点はあるもの)を何回も聞くことだ。ある程度慣れてくれば、文章を見ずに通勤・通学や散歩の道々聞くことも効果がある。

ところで、返り点のない文章というのは、日本では入手しにくいが台湾のサイトから html 形式でダウンロードすることができる。そのhtml文書を縦書きのワード文書に変換し、それを印刷すればよい。
漢文のサイト例:
台湾・中央研究院 漢籍電子文献 
中華文化網離線閲覧

これらのことは、過去にいくつか記事にも書いたのでそれらをご参照頂きたい。
沂風詠録:(第5回目)『漢文教育の重要性』
沂風詠録:(第6回目)『麻生川流・漢文学習のポイント』
沂風詠録:(第7回目)『漢文の読み方・Rule of Thumb』
沂風詠録:(第22回目)『漢文の連語は六字』
沂風詠録:(第30回目)『漢文を読むときの注意点』



ところで、実際に書き下し文を自分で音読して録音すると思いもかけなかった事実が分かった。それは、たいていの古典は、実に短いものだということだ。具体的にいうと、例えば:
 論語: 3時間
 韓非子: 10時間
 春秋左氏伝: 25時間(但し、伝だけで、経の部分は省く)

何とあの論語などは、わずか3時間で読めてしまうのである!実際に自分で録音してみて、古典を読む時間の短さを知って初めて、江戸時代の寺子屋でどうして素読教育が成り立ったのかが理解できた。つまり、先生が朗読し、子供がその後から声を出して繰り返しても、論語であれば 10時間足らずで一回が終了するのである。そうすると、一日30分づつでも一ヶ月であれば論語は一回通読できるのである。これを2、3回繰り返して、数ヶ月もあれば、論語など大体暗記できる程度までは行く、と考えられる。

現代人に論語が難しくまた一回も全部を読んだことがない人が大多数なのは、江戸時代のように意味も分からずに1ヶ月の内に先ずは素読で済ませてしまって恐怖心を取り除くことをしないからである、と私は考える。私も遅ればせながら、自分の声で録音し、その音読を聞きながら返り点なしの漢文を『眺める』ことで、漢文がまともに読めるようになった。振り返って、もっと若いときにこういう方法を知っていたら、とちょっぴり悔やんだ。そうだからこそ私の体験から、漢文をすらすらと読める最短の方法を伝授しているのである。
コメント
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