限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第30回目)『漢文を読むときの注意点』

2009-12-30 11:32:06 | 日記
私のこのブログでは漢文を取り上げることが多くあります。また漢文学習のテクニックに関する私の経験則もいくつかご紹介しました。

沂風詠録:(第6回目)『麻生川流・漢文学習のポイント』
沂風詠録:(第7回目)『漢文の読み方・Rule of Thumb』
沂風詠録:(第22回目)『漢文の連語は六字』

これらを読んだある人から、『もうすこし具体的に漢文を読む時の注意点を挙げて欲しい』という要望がありましたので、その返事をここに紹介しましょう。

【1】基本姿勢
*中国の古典に接するときの態度としては、分からなくて当然、または、何を言いたいのか焦点がつかめなくて当然、と割り切ってください。つまり、『読書における功利主義・速効主義』を排しましょう。

*まずは、原文ではなく、現代語訳を2,3回よみ、その後、原文をとにかく5回以上読んでください。それでも、理解できてない語句は、『縁なき衆生』とあきらめましょう。語句のうち、いくらかでも記憶にのこり、励まされることがあれば、それで『元はとれて』いる、と私は割り切っています。



【2】現代語訳を先に読むこと
*語学的な試験をしているのではないので、まず、現代語訳をさーっと読んで、細かいところは無視して、内容の全体を把握してください。原文あるいは書き下し文は始めはちょっと覗く程度でかまいません。気に入った箇所だけ、原文などを見る程度でいいでしょう。

*『勉強しないといけない!』という強迫観念は捨てましょう。論語の『雍也編』には、『知之者不如好之者、好之者不如樂之者』とあります。意味は、『知識を得るぞ、と肩肘をはって頑張っている者は、これが好きなんだ、という者と比べるとまだまだだな。しかし、これが好きなんだ、という者も、これをしていると楽しくてしかたがないんだ、という者にくらべるとまだまだだ。』という言葉があります。勉強している、という意識より、楽しんでいる、という境地にならないと長続きはしないでしょう。

【3】あせらないこと
*中国の古典というのは、なにしろ 2000年も前の文であるので、表現(レトリック)が現代人と異なります。 1,2回読んだぐらいでは理解できなくて当然と悠然と構えてください。三国志時代の董遇の言に、『読書百遍而義自見』(読書、百ぺん、義、おのずからあらわる。)とあります。1,2回ではなく、5回程度読まないと分からないので当然です。

*頭の中で漢文が熟成するのを気長に待ちましょう。 5年たってようやく分かるようになればいい、という長期スパンで考えて見てください。

【4】コンテンツではなくレトリック的な観点で読む
*中国の古典の中では、論語や孫子がよく読まれますが、私は、韓非子をお奨めします。ただ韓非子がいいと言うのは、別に哲学的や思想的に薦めているわけではありません。レトリック的な観点です。

*それが一番よく現れているのが、『説林・内儲説・外儲説』などの編です。これら、説話がたくさん載っている箇所から読み始めてみてください。説得の仕方、比喩の用い方、簡明な書き方、しびれるような対句表現、これらの表現法を垣間見るだけでも、非常に参考になることでしょう。
コメント
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