限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第62回目)『日本流と西洋流のりんごのむき方』

2010-05-17 07:24:16 | 日記
沖縄の普天間基地移設問題で、政治のどたばた劇が現在進行中である。毎日が、『次回をお楽しみに』というテロップが流れているドラマのようだ。この三文劇(ソープオペラ)を見ていてつくづく、以前述べた『日本人は多様性をマネジメントできない?!』の確信を強めた。結局行き着くところは、日本人が多様性、複雑性をマネジメントできないにも拘らず、どうして西洋の諸国はそれができているのであろうか?という点である。

西洋人といっても所詮同じ人間であるから、多様性、言い換えれば高い複雑性のマネジメントを難しく感じているはず、と私は考えている。しかし彼らは、複雑度を低める手段を知っていて、それを適用することで高い複雑性を『手に負える範囲の複雑性』に落とし込んでいるのである。ただ、このように論理的に説明してもなかなか意味する所を理解してもらえないと思うので、次のようなたとえ話を考えた。



りんごのむき方を考えてみよう。

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【1.西洋流とは】
  a.りんごに縦横(網目状に)すじを入れる。
  b.複数の人間が、分割された特定の部分(上、下、腹の部分など)だけをむく作業を分担する。

この利点は、分割が上手であれば、曲線部が少なく素人でもすぐにむくことができる。反対に、上手な分割を指示できる人がいないとうまくいかない。この意味では、オーケストラの指揮者に該当する、分割の指示をする指揮官の責任は大きい。一方、指定された部分だけをむく人は指揮官の命令に忠実に従わないといけない。ここで、曲面のりんごをむく、という作業が、りんごの分割という作業と、小さな分割部分をむく作業とに分解されることで、複雑度が極度に減少している。

【2.日本流とは】
りんごをまるごと全部一人の人がむく。上手になるまで、時間がかかるし、むく人の技量でむき方の出来、不出来がある。また、全体をむく、という作業をマニュアル化しようとしてもは関連する要因(パラメーター)が多すぎて法則を見つけ出すことが難しい。したがって、素人が上達するのは、個人個人の資質に依存することになる。しかし、一旦りんごを上手にむけるようになると、他の果物、例えば柿や梨をむくにも応用が効く。

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結局、西洋流では、各作業を部分的にとりあげて、いかにすればより効率的にできるかという法則を創りあげることができる。この例でいえば、どのようにすれば最適な分割ができるか、という法則と、分割されたものをどのようにすれば最短にむけるかという法則、を見出すことになる。つまり専門化することで、今まで手に負えなかった高い複雑性が、人が理解できる程度の複雑性に落ちるので、科学的に解明することが可能となる。こうして法則化されたものは、属人性のない普遍なルールとなって、汎用的に使われることになる。

このように、西洋流というのは、複雑な問題をいかに切り分けて簡単な部分に落とし込むかという点に先ずは智恵を振り絞って考え抜くのを是とする哲学を持っている。この観点から言えば、現在のどたばた劇は大きなナイフを振り回しながら、りんごの切れ目をどこに入れたらよいか右往左往しているだけで、問題の複雑度が一向に減少していない。
コメント
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