大日本赤誠会愛知県本部ブログ版”一撃必中”

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「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」 祖国防衛 招集を待つ女性一般予備自衛官 

2011年05月02日 06時41分26秒 | 我が国の安全保障問題
未曽有の大災害となった東日本大震災では、普段は民間人として過ごしながら有事に備える予備自衛官が初めて災害派遣された。だが、招集されたのは自衛官OBからなる即応予備自衛官が大半で、自衛官未経験者の一般予備自衛官の本格的な出番はこれから。今後はがれきの撤去などの力仕事以外に入浴や給水など生活支援が重要になるため、女性の予備自衛官も「女性だからこそできることもある」と、招集命令を待ち続けている。3人の女性予備自衛官に心境を聞いた。

「いつでも被災地に行けます。私には日本を守るために働く義務があります」。東京都北区の会社員、遠田千穂さん(35)は決意を述べた。平成21年11月、予備自衛官に任命された。自衛官未経験者でも予備自衛官になれる「予備自衛官補制度」に応募し、神奈川県横須賀市の陸上自衛隊武山駐屯地で計50日の訓練を受けた。現在の階級は、1等陸士だ。勤めるIT企業「富士ソフト企画」(神奈川県鎌倉市)では、138人の障害者を雇用。人材開発グループ長として、彼らのサポートが遠田さんの仕事だ。震災時には停電になったビルの2階から付近の小学校まで、障害のある従業員を避難させた。「2人1組でバディを組んで、お互いの障害を助け合うようにしました。自衛隊で学んだことです」と語る。中学生のころまで過ごした仙台市宮城野区は津波にのみ込まれ、がれきで覆い尽くされた。福島県の高校の同級生とは「今でも4人と連絡が取れません」と表情を曇らせた。

現代日本社会を象徴する売国奴の防衛相北沢俊美は3月16日、予備自衛官制度発足以来初の招集命令を出した。しかし、予備自衛官補卒の予備自衛官の中で招集がかけられたのは、東北方面隊などに所属するのべ7人で、語学や医療の知識を持っている人だけだ。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」。東京都港区在住のキャスター、佐波優子さん(32)=2等陸士=は、教育勅語のこの一文を人生で実現する道として、予備自衛官に志願した。「自衛隊だけはダメだよ」と両親は反対した。それでも、昨年2月に予備自衛官に任命されたときには一人暮らしのアパートの一室で喜びをかみしめた。4月下旬、母親から電話があった。「自衛官には人を助ける役目もあるんだね。それが本来の姿なのかもね」。両親と和解できた瞬間だった。「早く被災地に行かせてほしい。入浴や洗濯、子供たちのケア。女性だからこそできることもある」

佐波優子2等陸士

「待つことも大事です」。予備自衛官で陸士長の中曽根麻里さん(40)は、訓練中に教官から聞かされた言葉を繰り返した。普段は東京都台東区の自宅で1歳の女の子を預かる家庭福祉員。体験したことがない揺れに「子供だけは守らなければ」と大きな柱の下に子供を抱いてうずくまった。地震が収まると、迎えにきた両親に受け渡すことができた。「招集は強く望みます。ただ、出動も大事ですが、待機するから予備自衛官なんです。いつでも出ますし、何でもします」と静かに話した。

予備自衛官 昭和29年の自衛隊発足とともに創設。自衛隊OBだけに応募資格があったが、防衛基盤の育成を図るため、自衛隊未経験者でも教育訓練を受けると予備自衛官となれる「予備自衛官補制度」が平成13年に導入された。身分は非常勤の特別職国家公務員。同制度から予備自衛官になったのは昨年3月末時点で1648人。

@「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」・・・この一文を人生で実現する道として、予備自衛官に志願した。きょうび我が陣営でもまともに教育勅語が言える人間が少ないというのに、美人で才女の佐波優子さんがどこで教育勅語に出会ったのか、是非お会いしてお聞きしたいものです。日本の若者はガンガン応募して「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」まさに祖国防衛の一役を担ってください。ところで、我が家にも自衛官募集のパンフが入っていましたが、今からでも遅くないですか?