北海道新聞夕刊(道南版・みなみ風)の「どうなん・とうほく山楽紀行」の連載を始めてからは、掲載後にいろいろな方から多くの反応があって、非常にうれしい。
この2/17で最終回(115回)を迎える5年間にわたる札幌圏版の「ほっかいどう山楽紀行」は、地元では読めなかったので、こうはいかなかった。
そんな中で、2/7の「横津岳」の掲載後に、20代のころ同じ職場であちこち連れて行ってもらった、私の山の元祖師匠であるyamaさんから、「戦前の新聞に連載されていた函館近郊の山歩きの紀行文を1冊にまとめた貴重な本がある」と電話をいただいた。昨日、早速借りに行ってきた。
それは、函館山岳会初代会長だった阿部たつを氏の昭和37年発刊の著書で『身近なの山』だった。阿部たつを氏は、医者で歌人だったことは知っていたが、登山家だったことは初めて知った。
「はこだて人物誌・阿部たつを」によると、登山家“阿部”としては、大正末から昭和初めにかけてアタックした山は数知れず、中でも横津岳、駒ヶ岳など登山道もない道南の山々は阿部氏が登って新聞などに紹介した・・・とある。
表紙を開いてみて、冒頭の貴重な5枚の概念図に驚いた。ここにスキャナーで取り込んだものを掲載する。彼が歩いた登山ルートや伝説に残っている古い登山道や山道が点線で記載されている。
紀行文の内容は、それらのルートを歩いたときのもので28編にも及ぶ。まだ最初の昭和8年の新聞に掲載された「横津嶽登山記」しか読んでいないが、歌人だけに、まずは文章の素晴らしさに感嘆。当時の登山の服装や装備、周りの景観や登山道の様子の表現もさすがである。
しかも、その登山コースが凄い。七飯の駅から当時の七曲コースを登り、今ではすっかりヤブに埋もれている軍川へ下る道を縦走し、大沼公園で遊んで大沼駅(現在の大沼公園駅)から帰函している。
これから、その1編ごとを、概念図と照合しながらゆっくりと読み進めることが楽しみである。