癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

ロングウォーク・自宅~函館山縦走~自宅(22.3km)

2020年09月30日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 少し欲張ったロングウォークに出掛けた。自宅から亀田川沿いに大森浜へ出て、立待岬から七曲コース~函館山~観音コースを縦走して、西浜ふ頭~湾岸道路~自宅へと回った。距離は22.3km、歩数計33,300歩。

 8:00自宅~11:00函館山11:15~13:15自宅<所要時間5時間15分>。一昨日のポタリングの疲れがまだ残っていたようで、最後は結構疲れた。

①宮前町の新世橋から亀田川の向こうに函館山を望む。

②大森橋から亀田川河口とそばの旧宇賀の浦中学校の解体工事現場を眺める。

③旧宇賀の浦中学校の横から大森浜へ出る。このあと、護岸沿いの道を住吉漁港まで歩き、立待岬へ。

④共同墓地の中の立待岬への道。左の登り切ったところに石川啄木一族の墓がある。

⑤立待岬と海峡を挟んだ下北半島を眺める。

⑥七曲コース登山口

⑦千畳敷から御殿山(函館山山頂)と函館市街地と函館港を眺める。後ろの山並みは駒ケ岳と横津連峰。

⑧ちょうど3時間で函館山山頂に到着。

⑨つつじ山駐車場から観音コースを下る。

⑩称名寺の墓地にある、函館山三十三観音巡りの第丗三番観音。

⑪ベイエリア~修学旅行の中学生の姿があったが、まだ観光客は少ない。

⑫ともえ大橋を歩いて自宅を目指す。

⑬ともえ大橋から縦走した函館山を振り返る。


月下美人鑑賞会in五稜郭タワーアトリウム

2020年09月29日 | イベント鑑賞・参加

 五稜郭タワーアトリウムの中に植栽されている月下美人が年に何度も咲く。今年はこれで8回目だそうだ。そのうち、鑑賞会の案内がされたのは今回が3回目とのこと。開花に合わせ、営業終了後の19時から21時まで特別開館してくれる。

 月下美人は、サボテン科孔雀サボテン族の常緑多肉植物。その名の通り、夜だけ徐々に開花する一夜限りの花である。しかも、連続的に咲くのではなく、2~3回ほどにまとまって開花する。花には強い香りがあり、花を見なくても、漂い始める香りで咲き始めたことがわかるほど。

 今回の観賞会の案内は、9/27と9/28であった。そこで、一昨日の27日に出掛けた。ところが、開花の目論見が外れたようで、「申し訳ございません。今夜は咲きません。明日の夜にいらしてください」と係りの方が謝っていた。

 そこで、昨夜、7:20頃に出直して、カメラにその様子を何枚か写し、五稜郭の堀周りのウォーキングを2周して、20:00過ぎに再度入場し、20分間ほど椅子に座って咲く様子を眺めていた。

 9/27、19:15ごろの様子。この夜は咲かないとのことで、昨夜出直した。

 9/28、19:20ごろの様子。蕾が膨らみ開花寸前

 19:40ごろの様子。開花が進んでいる。(妻撮影)

 20:00ごろの様子。だいぶ開いてきた。以下、その後20:20ごろまで。

 

過去最多の180輪が咲いたという、前回8月19日の鑑賞会(他サイトから借用)


豊穣の函館平野をポタリング(44.2km)

2020年09月28日 | MTBロングライド・ヒルクライム

 函館平野は豊穣の秋を迎えている。秋晴れの下、その様子を眺めながら、MTB(マウンテンバイク)を漕いで、平野の周辺とその中をぐるっと回るポタリングを楽しんできた。

 函館新道の側道を走り、平野部を俯瞰するために、城岱スカイラインの半分ほどをヒルクライム。そこから、平野部まで下って、道の駅なないろななえまで走り、休憩して、まっすぐ帰ってきた。走行距離44.2kmだった。

函館新道側道の桔梗付近の畑~真ん中が大根で、両側がキャベツ。

七飯町大川のりんご園

ネギ畑とその収穫作業

水田が広がる平野部を弧を描いて縦断する北海道新幹線高架

城岱スカイライン途中から七飯町市街地と平野部を見下ろす

稔りの水田の向こうに伸びる北海道新幹線高架

稔った稲穂を他の鳥から守るカイト

コンバインによる稲刈り風景

大豆畑

ガマの穂~子供のころ、この穂を石油に浸して、松明(たいまつ)にして遊んだことが懐かしい。

道の駅なないろななえのりんごのオブジェとエネルギー補給に食べた林檎ぱん(216円)

道の駅で売られていた地元のりんごや野菜


「函館市亀田公民館」解体工事始まる

2020年09月27日 | 日常生活・つぶやき

 すぐ近所にある函館市亀田公民館の解体工事が始まった。

 今年の4月1日に、「函館市亀田交流プラザ」<亀田地区の市有5施設(亀田福祉センター、亀田公民館、美原児童館、亀田青少年会館、美原老人福祉センター)の機能を統合した多世代が集う交流拠点>がオープンしたことに伴い、3月31日で閉館していた。

 古い建物ではあったが、赤い屋根にピンク色の壁は、見慣れてはいたが、結構目立つ建物であった。

 この公民館は、旧亀田町(市)時代から、「亀田公民館」として、地域に根ざした文化交流・生涯学習を育むまちづくりスペースとして幅広い年代の人々に利用されてきた。

 いつオープンしたかは不明だが、自分が昭和41年(1966年)に、すぐそばの旧亀田町立亀田小学校に新卒で勤めた時にはすでにあった。しかし、当時は、今の建物と同じでなかったような気がする・・・というのは、左側半分は消防署だったからである。

 我が家の前の家を現在地に建てたのは、昭和46年(1971年)である。その頃は火事になると、消防車のサイレンより早く、出動の準備の音や声で火事が起きたことを知ったものである。

 昭和48年(1973年)12月、函館市との合併により、「函館市亀田公民館」と名称を変えている。翌年に、現在の函館消防署亀田本町支署が新築されて、ここにあった消防署が移転している・・・ということは、現在の建物の玄関の左側は、その後に改築されているはずである。

 亀田小学校在勤時にも、何かの会合で利用していることは確かだが、自分にとっての一番の思い出は、平成17年(2005年)に町会から依頼された「四国遍路」の講演会である。町会行事始まって以来最多と言われた参加者で、講堂が一杯になったことが懐かしい。

 跡地の利用は不明だが、とりあえずは、更地になると、今度は五稜郭中学校の校舎が道路から直接見えることになる。それにしても、この界隈で50年以上経過する建物がまた一つ消えてしまうのは、寂しい限りである。


便利という名の不便

2020年09月26日 | 日常生活・つぶやき

 この度、買い換えて2ヶ月以上を経過した中古のX-TRAIL2号車は、快調に走っている。前の所有者は10年で8万7千kmしか走っていなかったので、年平均の走行距離は8700kmである。しかし、ここ2ヶ月あまりで、すでに4000km以上走っている。車もさぞかしびっくりしていることだろう。

 添付書類をよく見たら、自分のこれまでのX-TRAILより1年あとの平成22年車だった。道理で1部モデルチェンジがされているはずである。しかも、前の車よりグレードの高い車なので、いろいろな便利な装備が付いていている。

 さて、本題だが、今度の車のキーはインテリジェントキー(日産の登録商標)になっている。いろいろ便利な機能であることは確かだが、困ったのは、スペアキーである。新車の場合は、スペアキーが1本付いているらしいが、今回の中古車には前の所有者が紛失したのか不明だが、付いてこなかった。

 前の車の時に、藪漕ぎ登山でキーを落してしまったが、財布にスペアキーを入れて持ち歩いていたので助かったという経験がある。それ以来、必ずスペアキーを財布に入れて持ち歩いてきた。しかも、それまでのスぺキーは鍵屋で1000円もしないでいくらでも作ることができた。

 そこで、担当者にそのスペアキーのことを聞いたら、作成することはできるけど高いとのこと。2種類あって、薄い方の上の出っ張りの部分を削れば財布に入れて持ち歩くことは可能ではないかとのことだった。しかし、見積もり書を見てビックリ・・・黒い頭部にチップが入っているので、13,500円もするという。

 落とさないように十分気を付けてはいるが、万が一ということもある。ましてや旅先で落としてしまったら、鍵の作成まで1週間以上は車を動かせないことになる。泣く泣く必要経費だと思ってお願いした。

 使用する本人がインテリジェントでないので、以前のままキーで良かったのに・・・これこそ、便利という名の不便である。

 さらに、財布に入れやすくするために、頭の部分の出っ張りを金切り鋸で切り取った。

 特に、コンピューターがいろいろなところに使われるようになってから、車の進化はものすごい勢いで進んでいる。10年前の車でもこうである。代車で最近の車に乗ったが、「こんな機能はなくても良いのに・・・」と思うような、かえって不便に感じることもあった。ましてや、それらが故障したりすると、部品の交換が莫大に高くなる・・・。 


今回の旅を振り返る

2020年09月25日 | 登山・旅行

 今回の旅は、移動日の9/12と今日を除くと12日間だった。メインは登山だったが、天候にあまり恵まれすに、山に登れた日は5日間だけだった。

 本来は大雪山系の紅葉登山が目的だったが、紅葉が大幅に遅れていて、1週間ほど知床方面へ移動して、再び大雪山系に戻った。

 9/13は、旭岳ロープウエイを利用して、「裾合平~中岳温泉~中岳~北鎮岳~比布岳~安足間岳~当麻岳~当麻乗越」と回ることができた。この時点で紅葉が1週間以上遅れていることが判明した。裾合平のチングルマ斜面もまだ早かったが、標高の高い比布岳や安足間岳斜面のチングルマ斜面は、それなりに見応えがあって満足できた。

 9/19は、15年ぶり、3回目の「斜里岳」に、道内の登山道や縦走路で唯一歩いたことのない、念願の三井コースを往復することができた。頂上直下の岩稜歩きと最後の急登が印象的だった。しかし、変化があって楽しいのは、やはりメジャーコースの清里コースであることを確認することができた。

 9/20は、4回目の「羅臼岳」に、24年ぶりの岩尾別コースを往復した。5年前の羅臼コースからの時は、頂上は雲海の上だったので、展望は雲海しかなく、天候に恵まれた360度の展望は24年ぶりだった。羅臼コースとの分岐付近にある岩清水は、昔のようにすだれ状の湧水がなくなり、登りでは見逃してしまったくらいである。斜里岳も羅臼岳も4連休と日本百名山なこともあり、登山者の数ももの凄かった。

 9/22は、大雪山系に戻り、シャトルバスを利用して、「黒岳~北海岳~白雲岳~赤岳~銀泉台」と縦走した。このコースは、大雪山系の山岳紅葉を一番堪能できる贅沢コースだが、草紅葉は例年と遜色ないほどきれいだったが、赤を演出するナナカマドはオレンジ色のままで残念だった、それでも、ほかの山に比べると十分きれいなのだが、例年の写真を比べるとそのあまりの違いに愕然とした。

 9/24は、紅葉期待ではなく、「14年ぶりに復活した松仙園コース~沼の平~当麻乗越」と歩き、高層湿原の湖沼群や池塘群を単横することができた、幸い好天に恵まれ、青空を映す水面の色が美しかった。

 ◎大雪山系の例年との紅葉の違い

 上が、今年9/22の黒岳のまねき岩付近と銀泉台紅葉斜面である。下が、例年の9/15前後の状況である。違いが一目瞭然である。このあと、さらに赤くなれるのか、そのまま枯れてしまうのかは分からないが・・・。

 山に登れない天気の日は、あちこち探訪等を楽しみ、余った時間は図書館や温泉でのんびり過ごした。

 9/15は、知床方面への移動も兼ねて、当初からの計画だった、「遠軽のコスモス園と網走の能取湖のサンゴ草(アッケシソウ)」を鑑賞することができた。

 コスモス園は、その広さに驚き、いろいろな種類のコスモスを楽しむことができ大満足だった。サンゴ草は過去にも一度見に寄ったことはあるが貧弱な感じだった。しかし、今回は地元の人たちの努力で見事なほど復活していたことに感動した。

 9/23は、雨予報だったので、朝のうちに、過去2回訪れたことのある「大雪森のガーデン」に行った。この時期でも考えられないほどの多くの花が咲き、その中にあるいろいろな施設の野菜等を使った何気ないアレンジメントにも心奪われた。

 9/14は、小雨の降る中、旭川の博物館や公園や古い建物を歴史探訪を中心に走りまわった。上川アイヌの暮らし、屯田兵による開拓、北辺の守りを担う「北鎮部隊」と呼ばれた第七師団等の歴史に触れることができた。

 9/16は、斜里町の道の駅で朝を迎えたが、やはり雨予報だったので、網走まで戻り、午前中にまだ訪れたことのなかった「網走監獄」を探訪した。明治初期の北海道開拓の先駆けとして、囚人による道路建設や屯田兵舎の建築があったことやその苦労等を再確認することができた。その帰りに、天都山展望台からの景観や小清水町のいろいろなところをカメラに収め、18日のブログネタにした。

 9/17は、朝は斜里岳が見えていたので、登山口を目指したが、途中で雨が降ってきたので止めた。その後、雨は止んだので「清里町フットパス」を歩いた。清里町は、全国農村景観コンクール全国特選の20選の町で、それらを楽しめる「パノラマの丘コース」と「タウンコース」を歩いた。最後の5分で土砂降りに見舞われ、発着地点の温泉「緑清荘」で午後からのんびりと過ごした。

 9/18は、やはり雨で、小清水町の図書館で一日時間をつぶした。その前に、前々日に営業時間外で中に入ることのできなかった「ほがじゃ」の工場見学をし、お徳用の4種類の割れものを購入した。この日のブログネタは、前日のカメラに収めたものと、この「ほがじゃ」のことを書いた。

 9/21は、大雪山系への移動日だったが、朝に内に、「知床五湖」をようやく歩くことができた。どの湖からも知床連山が眺められ、その姿を湖面に映していた。4連休中なので、駐車場待ちの車列が1kmも並んでいたし、道の駅、ビジターセンター、見所、ウトロ市街地も車や観光客が溢れていた。

 本来の目的であった山旅は天候に恵まれず、停滞日が多かったが、その分、いろいろなところを見たり、歩いたりして、それなりに充実した旅だった。山中や温泉で5グループの岳友やHYML仲間にも会うことができた。


松仙園~沼の平~当麻乗越

2020年09月24日 | 登山・旅行

  松仙園の新しい木道の向こうに愛別岳~永山岳~安足間岳の連なり

 今年になって14年ぶりに復活した愛山渓・松仙園コースを歩き、沼の平を通り、当麻乗越までが今回の計画である。下山は、沼の平から直接三十三曲りコースを愛山渓へ下った。

 永山岳へ最初に登った時に一度下っているが、その時の記憶と、松仙園までの登山道は泥濘が酷いという情報があったので、スパイク長靴で登ったが、大正解だった。

 〈登り〉6:00愛山渓~7:15松仙園~8:30沼の平入口(八島分岐)~9:50当麻乗越(3時間50分) 休憩40分

 〈下り〉10:30当麻乗越~11:35沼の平入口(八島分岐)~12:35愛山渓(2時間05分)

 まだ、太陽の恵みを受けていない愛山渓駐車場から愛別岳(左)と永山岳の稜線を眺めてスタート。左の建物は、下山後に入浴した愛山渓温泉。

 松仙園への分岐(右へ進む)

 旧林道を20分ほど進む。この道も結構泥濘があった。

 松仙園への登山道に入る。

 このような泥濘がほとんど。長靴でも苦労するほどである。

 1時間15分で松仙園入口に到着。

 新しい木道の向こうに、逆光の愛別岳から旭岳までの連なり。

旭岳を眺める。

 松仙園の池とう群(二の沼?)。奥の高い山は天塩岳。

 アカエゾマツと池とう群(三ノ沼?)

 四の沼を中心とした湖沼群

 再開削に苦労したであろうハイマツ帯とネマガリダケ帯の道。

 

 

 八島分岐の出口ゲート(一方通行)

 八島分岐から沼の平へ向かう。

 半月沼や五の沼の湖沼群。ここからひと登りすると六の沼が現れる。

 六の沼を中心とした湖沼を見下ろす。

 今年はこれが精一杯の紅葉を呈しているウラジロナナカマドとその向こうに当麻岳の尾根。

 当麻乗越直下の沼

 3時間50分で、11日前にも通過した当麻乗越(1650m)に到着。

 当麻乗越から、松仙園(左奥)や沼の平に広がる高層湿原や湖沼群を俯瞰する。

 11日前にも眺めたピユケナイ源流部の紅葉は進んでいたが、やはり、赤がない。

 同じく11日前に歩いた裾合平とその後ろにそびえる熊ヶ岳と旭岳。

 今年の大雪の紅葉はこれが精一杯のようだ。ずいぶんと長い間大雪の紅葉登山に来ているが、これほど赤くなれない紅葉は初めてである。それでも、他の山に比べたら十分にきれいである。

 今日を今年の大雪の紅葉の見納めとして、40分ほど休憩して、下山を開始した。しばらく下っていくと、登ってくるご夫妻に「坂口さんですよね。ニセコのNaです」と挨拶された。初対面ではあるが、お互いにフォローしあっている「ニセコのおさる」というブログを公開している方で、古いHYML仲間でもある。昨日のこちらのブログを見ていて、会えることを楽しみに登ってきたそうだ。

 下山後に愛山渓温泉から上がって車まで歩くと、下山してきたご夫妻に声を掛けられる。こちらも古くからのHYML仲間で、我が家にも泊まったことのある札幌のSuご夫妻だった。

 まだ、紅葉がきれいであれば、トムラウシ山や新得コースからの十勝岳も登りたかったが、明日は台風も来るようだし、今回の山旅はこれでお仕舞いにして、帰路に就くことにした。

 愛山渓から国道に出たところで、ブログをアップした。これから、走れるところまで走って、明日の午前中には帰宅できるだろう。


大雪森のガーデンほか

2020年09月23日 | 登山・旅行

 上川町の大雪高原旭ヶ丘にある「大雪森のガーデン」。過去に2回訪れている。広い自然を生かした敷地の中に、「森の花園」「森の迎賓館」「遊びの森」の3つのエリアがあり、いつ行っても、その季節のいろいろな花が咲いている。

 今日は雨絡みの予報だったが、朝は降っていなかったので、ここを再訪した。入場料は800円。

 駐車場の入り口から上っていくと、チケット売り場がある。

 キレンゲショウマとレンゲショウマ~よく聞くけど、初めて知った。

 

 このあと、上川町市街地に出て、11時過ぎから図書館で過ごしている。図書館は「かみんぐホール」内にある。

 かみんぐホール内に、「原田雅彦選手の栄光の記録」の展示と部屋がある。いずれは、「高梨沙羅選手」のそれらも登場することになるのだろう。

 明日は、愛山渓の松仙園から沼の平巡りをして当麻乗越まで歩く予定である。今夜は、以前にも利用したことのある上川町市街地の児童公園と役場の間の駐車場に泊まる予定である。新しくてきれいなトイレがあり、向かいにスーパーがある。


黒岳~白雲岳~赤岳~銀泉台縦走

2020年09月22日 | 登山・旅行

 今年は大雪山系の紅葉が大幅に遅れている。銀泉台へのマイカー規制のシャトルバスの運行も今日が最後である。

 下山後にシャトルバスを利用して層雲峡へ戻る計画で、黒岳~北海岳~白雲岳~赤岳~銀泉台へと縦走した。

 いつも、9/15日前後に来るのだが、すでに1週間経過しているのに、リフトから眺める黒岳の斜面は、赤が全くない。ずっと歩いてみて、赤を演出するウラジロナナカマドの紅葉が遅れているというか、赤くなっていないのである。草紅葉は、例年に遜色なく十二分にきれいだった。 

 他サイトから借用(スタートとゴールが逆)

 6:00の黒岳ロープウェイに乗り、リフトを乗り継いで(1900円)、7合目からスタート。

 6:35 7合目~7:30黒岳7:40~9:30北海岳~10:50白雲岳11:00~12:00赤岳~13:50銀泉台〈所要時間7時間15分〉

 リフト終点の7合目から、層雲峡を挟んだ北大雪山の山並みを眺める。雲海が効果を演出している。

 9合目半から眺めるまねき岩。いつもは、濃いくらいの赤になっているのだが、鮮やかさに欠ける。

 まねき岩の下の残念な紅葉斜面。いつもはグラデーションが際立っているのだが・・・。

 黒岳からお鉢平向こうの間宮岳~中岳~北鎮岳~凌雲岳~桂月岳を眺める。

 黒岳からこのあと進む、白雲岳(左)~北海岳(右)を眺める。

 黒岳の下りから黒岳石室と北鎮岳を眺める。

 草紅葉を演出するクロマメノキ(左上)、ウラシマツツジ(右上)、チングルマ(下)

 北海岳をバックにした草紅葉。

 北海岳をバックにした草紅葉とウラジロナナカマドの冴えない紅葉。

 お鉢平から流れて来る北海川。水は毒性を含んでいて飲むことはできない。

 まだ残っている雪渓。下を水が流れているので、穴が開いている。

 北海沢手前の紅葉と凌雲岳。

 北海岳から眺めるお鉢平と北鎮岳。

 黒岳からご一緒した札幌の男性と北海岳にて。彼は、このあとお鉢平を回って黒岳に戻られた。

 北海岳から白雲岳を目指す。

 白雲岳手前の草紅葉。

 白雲岳への登り斜面の草紅葉。

 白雲岳山頂直下の岩場とチングルマの紅葉。

 白雲岳山頂。奥は9日前に歩いた安足間岳~比布岳~北鎮岳。

 白雲岳山頂から眺める旭岳方向のハイマツと紅葉のゼブラ模様。この眺めも例年は赤が濃くてもっと鮮やかである。

 白雲岳分岐から小泉岳への緩やかな登り。

 登山者が憩う赤岳(手前)と、その奥に北鎮岳と凌雲岳を望む。

 赤岳山頂。

 赤岳からの下り斜面を見下ろす。

 赤岳の下りの左斜面の草紅葉。

シマリスとクロマメノキの実(甘くて美味しい)。

 第三雪渓斜面の上から下部の紅葉を見下ろす。

 第三雪渓斜面の下から上を見上げる。

 

 奥の平下の沼地の紅葉

 第二花園付近の紅葉。

 銀泉台上の紅葉斜面。赤が全くなく、鮮やかさに欠ける。例年であれば、このオレンジ色が真っ赤になっている。

 銀泉台のシャトルバスに到着。

 14:00発のシャトルバスでレイクサイトまで下りて、15:35発の層雲峡行きのシャトルバスに乗り換えた。乗り継ぎの関係で、そのバスに乗るのは自分一人だけなので20分も早く発車してくれた。

 15:40、層雲峡へ戻り、いつもの黒岳の湯(割引で500円)に入り、ブログ更新作業に取り組む。

 登山軒で、夕食にザンギ味噌ラーメン(1050円)を食す。

 明日は雨予報である。上川町の図書館にでも引きこもり、読書三昧の一日にするつもり。

 もっと紅葉がきれいな直近の過去記事の中から、お勧めページ。

 2017年9月16日の黒岳~雲の平

 2015年9月14日の赤岳


知床五湖巡り

2020年09月21日 | 登山・旅行

    1湖の展望台から眺める知床連山

 以前に、この知床五湖を見たくて行ったが、1湖だけは自由に歩けるが、2湖~5湖は5000円のガイドツアーしか歩けないと言われ、1湖だけ往復して帰っている。

 今はどうなっているか、今朝改めて調べてみたら、5~7月のクマの活動期はガイドツアーのみで、8~11月の植生保護期は、レクチャーを受けると無料で歩けることになっているようだ。

 レクチャーが7:30からなので、入口へ向かったら、7:00ですでに開門待ちの車の長い列ができていた。さらに、15分も経ったら、自分より後ろにも長い列ができていた。

 上の建物は、知床五湖フィールドハウス。下の建物は、パークサービスセンター。

 コースの歩き方の説明とコース図。

 1湖以外コースは、利用券250円を購入し、申込書を記入し、10分置きに30人ほどがレクチャーを受けて、出発する。内容は、クマの生態や出会わないための注意点などである。

 コースは5湖から反時計回りに回る。トドマツなどの原生林の中の遊歩道を進む。

 やがて、5湖が現れる。湖面に知床硫黄岳~サシルイ岳の連なりが映っている。

 次に4湖。

 3湖には羅臼岳側の連山が映り込んでいる。

 2湖には島もある。

 このあとに続く1湖の遊歩道は、すべてクマ避けの電線が張り巡らされた高架歩道になっている。

 高架歩道に乗る前の角度からの1湖。

 高架歩道から知床連山を眺める。

 知床連山展望台から連山を眺める。

 約3kmのコースを1時間強でゴールし、サービスセンターの中でコケモモソフトクリームを食す。

 このあと、駐車場を出たら、駐車場待ちの車が、朝の倍ほどの1kmもの車列ができていた。この連休、知床のありとあらゆる観光地には車が溢れている。

 このあと、斜里町のコインランドリーで洗濯をしてた。明日の黒岳~赤岳縦走に備えて、層雲峡まで走って泊まることにする。


4回目の羅臼岳(1661m)〈岩尾別コース〉

2020年09月20日 | 登山・旅行

    羅臼平から見上げる羅臼岳山頂部 

 知床連山の最高峰・羅臼岳も日本百名山に選ばれている。この山に初めて登ったのは、かれこれ50年前である。職場の5人で、登山口の木下小屋から2泊3日で縦走して、ルサ川へ下りている。

 次に登ったのが1996年、このときは日高山脈のカムイエクウチカウシ山に日帰りで登って、3時間しか寝ないで車で移動して、翌日に登っている。今なら考えられない暴挙である。

 その後、2014年には長い羅臼コースを10時間掛けて往復している。今回は、24年ぶりの岩尾別コースから4回目の登頂である。

 車中泊の車で満杯状態の知床の道の駅で朝を迎え、暗い内に登山口を目指した。この山は登山口の駐車場が狭く、遅くなると、道路のずっと下から歩かなければならないからだ。

 着いたら、すでに路肩に20台以上が並んでいた。昨日の斜里岳同様、日本百名山は、道内の車より本州ナンバーやレンタカーの方が多い。下山後には70台以上が並んでいた。

 山も大賑わいで、ざっと150人は登っていたような気がする。昨日斜里岳山頂で一緒だった本州のお二人とも会うことができた。

 〈登り〉5:05登山口~6:20弥三吉水~7:30大沢入口~8:05羅臼平~8:55山頂(3時間50分)山頂休憩20分〈下山〉9:15山頂~12:30登山口(3時間15分)トータル7時間25分

 登山口へ向かう途中から夜明け前の羅臼岳を眺める。

 5:05、登山口の木下小屋をスタート。この時点で20人ほどがすでにスタートしていた。

 スタート直後は、急な斜面を大きなジグを切って登って行く。やがて、斜度が緩み、淡々とした道が続く。

 斜面をトラバースする道では、このようなダケカンバが並んでいた。

 1時間15分で弥三吉水に到着。50年前は、午後のスタートだったので、ここに1泊目のテントを張っている。

 さらに1時間ほどすると、目指す羅臼岳の山頂部が見える。

 左側には三ッ峰の北西斜面が見える。

 2時間半ほどで、ようやく林の中から抜けて、色付いた大沢入口へ出る。ここから羅臼平まではこの沢地形の中を登って行く。

 上の方は岩場が続く。

 夏場は花畑なのであろう。陽光を浴びて光るチングルマなどの草紅葉が美しい。

 大沢を登りきると、ハイマツ帯の羅臼平に出る。やがて、方向を90度変えて、羅臼岳山頂部へ向かう。

 少し登って振り返り、羅臼平を挟んだ双耳峰の三ッ峰を眺める。

 ハイマツ帯を抜けると、険しい岩場の登りが続く。

 ウラジロナナカマドの紅葉の上に山頂岩峰を見上げる。ここから先の岩場の歩きが核心部である。ペンキの矢印を探しながら、慎重に岩を伝いながら登って行く。

 3時間50分で4回目の岩峰の上に立つ。6年前の羅臼コースからの時は、雲海の上に抜けて、見渡す限り雲海だけだった。頂上写真も雲上人だったので、今日の展望は24年ぶりである。

 バックは、50年前に縦走した三ッ峰から硫黄岳までの連なり。

 後続者たちが最後の岩場と闘っている。

 昨日登った斜里岳方向の連なりを眺める。左下の湖は羅臼湖。

 近くて遠い国後島。戦前までは日本人が住んでいたのに、今はこんな近くにロシア人が住んでいると思うと不思議な気がする。

 狭い頂上なので、次から次と登ってくる登山者で頂上渋滞が起きない内に下山開始。

 下山を始めると、案の定、次々と登ってくる登山者の姿が見える。

 登りでは、陽光が届かず暗かった大沢の上からオホーツク海を見下ろす。

 下山後、昨日と同じウトロ温泉の夕陽台の湯に入り、のんびりブログを打つ。泊まりも昨日に引き続き知床道の駅シリエトクに連泊するつもりだ。

 明日の天候は大きく崩れそうにもなさそうだが、山は休みにして、紅葉狙いの大雪山系への移動日にするつもりだ。

 過去の羅臼岳の記録は、こちらからどうぞ!


3回目の斜里岳(1545m)〈三井コース〉

2020年09月19日 | 登山・旅行

 日本百名山に選ばれている斜里岳に登るのはこれで3回目である。過去2回はメジャールートの清里コースから登っている。このほかに清里コースから西斜里岳にも登っている。

 今回、三井コースにこだわったのは、道内の登山道や縦走路で歩いたことのない唯一のコースだったからである。

 斜里町の道の駅で朝を迎えた。ようやく天候に恵まれ満を持して登山口へ向かった。

 東側の海別岳の山頂横から昇った朝日を捉えた。

 農地との境の鹿柵ゲートを開けて、快適な林道を5kmほど走ると登山口である。

 まだ、誰も来ていなかった。入山届を記入してスタート。

 コースの説明図。この先、ポイントごとに、同じ地図に現在地の表示が記されていた。

 〈登り〉6:00登山口~6:35沢歩き終点~7:50ガマ岩~8:55山頂(2時間55分)山頂休憩35分。〈下り〉9:30山頂~11:50登山口(2時間20分)

 スタートしてすぐに、玉石沢の歩きとなる。水流のない涸れ沢である。この中を30分ほど歩いて、尾根道へ入る。

 アカエゾマツ、トドマツ、ダケカンバの混合林の中を登って行く。マイナールートではあるが、整備が行き届き、快適な登山道である。

 約2時間で1250mのガマ岩に到着。

 この先から、ロープが張られた急登が続き、尾根が徐々に細くなってくる。

 ハイマツの上に、このコースの核心部である、細い岩場や頂上までの急な尾根などの複雑な地形が近づいてくる。

 唯一、紅葉したウラジロナナカマドに癒される。

 足元のコケモモの実とゴゼンタチバナの実に秋の山を感じる。

 1420m地点で方向を変え、頂上までのこのコースの核心部が目に入ってくる。左手前のポコは岩稜である。

 細い岩稜を越えると鉄ロープが張られた岩場のトラバースもある。ここを越えると、ハイマツに掴まりながらの頂上までの急登が続く。

 清里コースからの先着のお二人に迎えられて、3回目の頂上に立つ。お二人とも本州からの日本百名山巡りの人で、明日はこちらと同じ羅臼岳とのこと。

 眼下のわずかに紅葉した清里コースの尾根とその向こうの西斜里岳を望む。

 オホーツク海沿いの幾何学模様の畑地は、この山ならではの景観である。

 東側の海別岳から続く知床連山を眺める。

 西側の摩周湖と摩周岳(カムイヌプリ)と西別岳。遠望は霞んでいるが、360度の展望に恵まれた。

 30分ほど休んでいる内に、次々と到着し、賑やかになる。下を見るとまだまだたくさんの人が登ってくる。これ以上賑やかになるのも嫌なので下山を開始する。

 核心部の下りを眺める。登りでは振り返らなかったので気づかなかったが、こんなところを登って来たのだ。

 真上を通過しなくてはならない岩稜へ向かうと、青い服装の人が休んでいるのが見える。

 「坂口さんですよね。はまちゃんです。入山届を見て、お会いできると楽しみに登って来ました」と挨拶された。2015年6月に田中陽希さんが日本二百名山巡りで駒ヶ岳に来たときに、一緒に登った「はまちゃんの山日記」を公開している厚岸町のご本人である。5年ぶりの再会だった。

 彼は、清里コースの登山口に自転車を置いてきて、向こうへ縦走するとのこと。

 こちらも山頂までの急登尾根をバックに撮っていただいた。彼と別れて、岩稜を越えた時に、若い男性が登ってきた。

 1420mまで来ると、ひと安心である。これから下る尾根を眺めて、下山を続ける。

 過去2回の斜里岳(清里コース)は、こちらから、どうぞ!

 下山後、明日は羅臼岳の予定なので、途中のウナベツ温泉の研修センターに入ろうと思ったら閉館になっていた。そのまま、今夜泊まる知床の道の駅まで走り、ウトロ温泉街の日帰り専門の夕陽台の湯に入って、休憩室でブログを打った。

 4連休の初日で好天だったこともあり、山も温泉も道の駅も大賑わいである。知床の道の駅の駐車場は広いのに、空きを探すのが大変だった。


網走市や小清水町で拾った光景

2020年09月18日 | 登山・旅行

 今日は夜半から強い雨が降り続いていたので、朝は連泊した道の駅はなやか小清水の駐車場でのんびりし、11時過ぎから斜里町の図書館で引きこもりに徹している。

 ブログネタは、昨日までの2日間で、網走市や小清水町でカメラに収めておいた光景等をアップ。

 網走市天都山展望台。中に流氷館もあるが、以前に見たことがあるので、展望だけを楽しんだ。

 網走市街地の眺め

 逆光に光る網走湖と能取湖(右)

 藻琴駅舎~映画「網走番外地」の網走駅としてロケに使われている。中にトロッコというカフェが入っている。

 藻琴湖~対岸の施設は三和牧場。

 海岸線にずらっと並ぶサケ釣りの竿。

 北浜駅の流氷展望台にたくさんの人がいるので、寄ってみた。

 撮り鉄ファンの人たちが、進んでくる列車を撮っているところだった。自分もその人たちを入れてパチリ。

 小清水原生花園の濤沸湖岸に放たれているドサンコの群れ。

 レンガ造りのサイロの廃墟

 小清水道の駅の傍に建つフレトイ展望台

 展望台からはっきりしない知床連山をながめる。

 小清水町海岸線の市街地の斜里岳

 句碑の向こうに能取岬を眺める。

 

  キガラシ畑~見たときは菜の花だと思ったが季節に合わない。調べてみたらキガラシだった。収穫後の畑に植えて、刈り取ることもなく、そのまま鋤いてしまうらしい。

 道の駅はなやか小清水の新名物「なんだこりゃステック」(500円)

 上から、知床のたこ柔らか煮、網走の揚げかまぼこエビ、小清水のあげいも。

 最後に、小清水町にある、今や北海道を代表するお土産銘菓として有名になっている「ほがじゃ」の工場・直売店について、少し詳しく・・・。

 旧小清水町立北陽小学校校舎をそのまま利用した工場になっている。

 入口の看板には、「福太郎株式会社北海道小清水北陽工場」の看板。てっきり地元資本の会社だと思っていたが違うようだ。

 福太郎株式会社とは、福岡市に本店があり、明太子や明太子を使った煎餅「めんべい」の製造販売を中心とした総合商社・株式会社山口油屋福太郎の子会社のようだ。

 なぜ、福岡の会社が?との疑問が湧く。調べてみたら、本社は明治42年に福岡で食用油の製造メーカーとして創業し、食品全般を扱っている。明太子の製造販売もしており、辛子めんたい風味せんべい「めんべい」を発売したところ大変好評だった。しかし、8年前、この「めんべい」原料である「じゃがいもでんぷん」が大変な不作で品切れして困り果てた。その時に、社長がたまたま聴いていたラジオで、小清水町にじゃがいもでんぷんが豊富にあることを知った・・・ということで、ここに進出し、オホーツクの素材を生かした「ほがしゃ」も製造販売したということらしい。

 見学もOKとのことなので、学校がどのように工場としては利用されているのか興味もあったので、見学させていただいた。

 玄関ホールには、北陽小学校の子供たちが描いた絵がデザイナーの手によって残されている。

 上は、体育館の工場(撮影禁止)で作られたほがじゃがベルトコンベアで流れてきて、検査や選別等がされている工程。

 下は、職員室だったところの直営コーナー。

 上は、現在製造されているほがじゃの製品。

 下は、お徳用の割れ物が、4種類、それぞれ500円(税込)で販売されている。

 福岡で製造販売されている「めんべい」

 お徳用の割れ物をそれぞれ1袋ずつ購入。下の2枚ずつ袋に入った正規の商品は工場見学のお礼。


清里フットパス(17km)

2020年09月17日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 小清水町と斜里町と境をなす清里町は、この両町から分村している。当時は上斜里村としていたが、昭和30年の町制施行に伴い、それぞれの町名の清と里を1字ずつを取って「清里町」と名付けられている。珍しくアイヌ語地名ではない。

 「日本で一番美しい村」という標柱には驚いたが、全国農村景観コンクール全国特選の20選の町村は、「日本で一番美しい村連合」を組んでいるようだ。北海道では、美瑛町も同じフレーズを謳っている。また、カントリーサインは、斜里岳と焼酎工場である。

 6月に来たときには、神の子池やサクラの滝や裏摩周に寄ったが、今日は「清里フットパス」を歩いて、美しい農村風景を堪能することにした。

  このフットパスは、「パノラマの丘コース11.3km」と「タウンコース6.3km」からなっているが、続けて周回できるようになっている。

 温泉ホテル緑清荘を起点とし、まずはパノラマの丘コースを歩き、緑ヶ丘公園からタウンコースを回った。両コースのダブリの部分の0.3kmは歩かなかったので、ちょうど17kmだった。

 7:00、雨の心配もあったが、本格的な降りにはならないだろうと希望的観測でスタート。

斜里川を渡り、高台への農道を登って行く。

 登り切ると、畑地が広がり、正面に雲に纏われた斜里岳が見える。朝に見たときより、雲が低くなっていて、止めて良かったと思った。

 高台の美しい農村風景が広がる。

 大根の獲り入れ風景

 獲り入れが終った広大なじゃかいも畑の向こうにやはり雲で覆われた海別岳が見える。天気が良いと、この左手に知床連山が見えるはず。

 洒落た農家だと思ったら、ペンション「旅の宿 風景画」だった。

 しばらく進むと、今度は「清里イートバーヴ ユースホステル」が現れた。

 高台の畑地から平地の畑地へ下りていく。ここもじゃがいもの獲り入れのようだ。

 パノラマの丘コースからタウンコースへの繋ぎの緑ヶ丘公園のきれいに整備された林の中の遊歩道を回る。

 清里神社の前を通る。昭和2年に上斜里神社として創立し、昭和18年斜里村より分村して上斜里村になる。昭和30年上斜里村より清里町へ町名変更を受け現社名に変更する・・・とのこと。。

 市街地のメイン通りへ出る。

 「庭園のまち きよさと」を謳う交差点の花壇。

 清里町役場~人口は4000人弱。

 情報交流施設「きよ~る」とカントリーサインにもなっている焼酎工場。

 きよ~るの中の清里町特産品コーナー

 立派な武道館もある。この手前に、清里高校と清里中学校が並んでいた。

 上は、生涯学習センター。下は、総合保健福祉センター。

 ゴールまで、あと5分ほどの清里小学校の広い前庭を歩いていたら、本降りの雨に見舞われた。校庭の東屋で小降りになるまで5分ほど雨宿り。

 10:40、雨の中、スタート地点の緑清荘の駐車場の車の中に飛び込んだ。濡れた衣服を着替えて、温泉へ(450円)。

 ほぼ貸切状態の休憩室でブログを打ち終え、のんびり過ごしている。

◎今朝の斜里岳と知床連山

 今朝はすんなりと清里フットパスを選んだわけではなかった。斜里岳の見える小清水町の道の駅で朝を迎えた。斜里岳は後ろの両側から雲は押し寄せているが、山頂は見えている。しかし、上空は濃い雲に覆われていた。

 気は進まなかったが、用意をして登山口を目指した。

 途中から低い雲の下に、東側からの雲がオホーツク海側へ流れ来んでいる知床連山が見えた。

 登山口へ向かう途中に、雨が降ってきたので、山の方を見たら、山頂付近はすでに降っているようだ。これ幸いと、迷わずに、Uターンして、清里フットパスへ転進した次第である。結果的に、大正解だった。


博物館「網走監獄」散策

2020年09月16日 | 登山・旅行

 昨夕になって、急に天気予報が変わり、夜半から10時過ぎまで雨になった。

 斜里岳登山は諦めて、どこで時間を費やそうかと考えていたら、道の駅で「博物館網走監獄散策マップ」を見つけた。見応えがありそうな感じだったし、まだ、見たことがなかったので、40kmほど戻って網走へ。

 博物館網走監獄は、広大な敷地のなかに、移築復原、あるいは再建築された旧網走刑務所の25もの建物群である。この内8棟が国の重要文化財、6棟が登録有形文化財である。

 明治・大正期の歴史的建築物が物語る刊行建築と北海道の歴史を感じる散策をたっぷりと楽しむことができた。

 入館受付と正門。この正門は、現在の網走刑務所と同じらしい。

 入館料は大人1100円だが、70歳以上は半額の550円だった。ラッキー!

施設の配置図

 庁舎~囚徒が切り開いた北海道開拓の歴史と、重要文化財の見所を紹介した展示コーナーがある。

 北海道開拓は、まず囚人が道路を開削し、屯田兵村の兵屋を建てる「監獄開拓」から始まったことを再確認できた。

 旧網走刑務所職員住宅。看守長屋と呼ばれ、1軒の広さは9坪。瓦屋根なことに驚いた。

 休泊所~中央道路の開削の時に使われた仮の宿舎で、動く監獄と言われていた。

 休泊所の中の再現。

耕でん庫~農機具庫や鍛冶屋もある。

 上は漬け物庫の中。下は当時の農機具。これらのほかに味噌・醤油蔵もあり、刑務所は自給自足だった。

 釧路地方裁判所網走支部法廷復原棟。

 監獄博物館~監獄の歴史や当時の囚人の暮らしや作業を紹介。

 中央道路の開削のデータ~いかに困難な工事だったかがよく分かる。シアターでも再現されていた。

 当時の囚人の服装

 現在の網走刑務所の共同房(上)と独居房(下)~テレビまであるのには驚いた。ホテルのシングルとほぼ同じで3食が保障されている。これなら、また戻りたくなる訳が分かる。

 二見ヶ岡刑務支所~自給自足の先導的な建物として明治19年に建てられた。開放的処遇施設なので看視も緩やかだったそうだ。

 二見ヶ岡刑務所の内部~上は舎房、下は作業場

 二見ヶ岡刑務所の農作作業の様子の再現。

旧網走刑務所の舎房及び中央見張所~5棟が放射状に広がる舎房で、木造行刊建築物としては、世界最古で、最大の規模を誇るそうだ。

 共同房(左)と独居房(右)のドアの違い。

 浴場~入浴時間15分。入り方にもルールがあったそうだ。

 独立独居房~窓がなく真っ暗な部屋。規律違反者が入れられ、受刑者が恐れた場所。

 教かい堂~外観は和風、内部は洋風の和洋折衷の建物。

 監獄レストラン~いろいろなメニューがあるが、現在の監獄食と同じものが2種類あったので、ほっけ定食を食べた。麦飯は子供の頃を思い出し、やはり美味しくなかった。

 見て歩くのにも時間を要したが、それ以上にブログアップに時間が掛かり、良い時間潰しになった。

 昼から素晴らしい天気になったのが悔しい。しかし、斜里岳の山頂部は雲に覆われていた。果たして明日の天気は?最近はその日にならないと天気が分からない日が続いているし、それぞれの予報がまちまちなのも困る。