癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

一人旅はボケ防止に

2020年08月31日 | 登山・旅行

 とにかく一人旅が好きである。一番の趣味である登山も単独行が基本である。2回の四国遍路、五街道全踏破、熊野古道などの歩き旅も然り・・・一人だからこそ、これだけ続けられていると思っている。一番は、他人に気を使わないで、自分の好きなように行動できることであろう。だからと言って、人嫌いなわけではない。孤立感は嫌いだが、孤独感は結構好きである。基本的にわがままなのかもしれない・・・。

 昔から自分で判断し、自分で計画を立てて、自分の能力で課題解決や目標実現をし、達成感や充実感を味わうことが好きだった。基本的に人の後ろをただ付いて行くというのは性分に合わなかった。独自色や独創性にこだわった。ただ、独りよがりにならないことだけは一番気を付けた。それが組織の中では、リーダーシップとして発揮できたものと自負している。多くの組織でトップに立たせていただいた。もちろん自分の力だけでできたなどとは毛頭思っていない。人に恵まれたことが一番である。

 しかし、組織では、常に責任が伴う。遊びたくて、多くあった再就職話も一切断って退職した時に、「明日の心配がない」という解放感が一番だった。退職後も務めたいろいろな役職も、4年前にすべて降りて、現在は、責任というものから一切解放されている。

 責任のない生活、明日の心配のない生活・・・「きょうよう」(今日する用事)も「きょういく」(今日行くところ)もない生活・・・一番心配なのはボケである。ましてや、自分の場合、家にいるときは、すべて妻にやってもらっていて、自分では頭を使うことがない。

 それを補っているのが、年に何回か長期間出掛ける山旅や歩き旅だと思っている。自分で計画を立てて、自分で調べて、知らない土地で、非日常的な生活の中で、何から何まで自分で判断して行動する・・・常に緊張感が付きまとい、脳が活性化している感じがする。新しい発見や感動もある・・・家にいるときより、ポカや物忘れが少ないような気がする。

 ましてや、自分の場合は、「登っては書く、歩いては書く」を常としている。山旅も歩き旅も、ブログを書き上げて、その日の旅が終わりである。これも、ボケ防止になっていると信じている。だから、家にいるときも、毎日のブログ更新を日課としている。

 昔から「かわいい子には旅をさせよ」と言われてきたが、「かわいくない年寄りは一人旅をせよ」と言いたい。いずれ、あの世への旅立ちも一人なのだから・・・ただ、これだけは自分で選んだり、判断したりはできない・・・だからこそ、体力のあるうちは、贅沢を極力抑えた山旅と歩き旅は、いつまでも続けたいと思っている。


この度の「東北百名山」巡りの旅を振り返る

2020年08月30日 | 登山・旅行

登った山々(14座)

(左上)8/13高松岳 (左下)8/14虎毛山 (右上)8/16丁岳 (右中)8/18鳥海山 (右下)8/19須金山

 

(左上)8/20禿岳 (左下)8/21小又山  (右上)8/22薬莱山 (右中)翁山8/22 (右下)8/23杢蔵山

 

(左上)8/25甑岳 右上)8/26黒伏山 (左下)8/27面白山 (右下)8/28月山

 北海道内の主だった山はすべて何度も登っているので、道外の新しい山に登りたいと考えた。その対象として選んだのが、昨年に引き続き、すでに79山登っている「東北百名山」だった。

 今回の山旅は、妻と仙台で別れた翌日の8/12からスタートするつもりだったが、初日から雨で、1日停滞後に高松岳からスタートした。天候にも非恵まれ、17日間のうち13日間で14座(1日2座もあり)を踏破することができた。そのうち、日本百名山の鳥海山と月山は、コースを変えて再訪することができた。前半はすっきりした天候に恵まれなかったが、後半は晴天に恵まれた。

 計画では、8/28の月山以降3座残っていたが、悪天候が続きそうなので、来年に持ち越しとして帰路に就いた。結果、東北百名山は82座踏破し、残り18座となった。 

 日本三百名山に選ばれている山や目立つ山はすでに登っていたので、物足りない感じの山が多かった感は否めない。しかし、それなりに新ピークの新鮮さと、知らない土地の旅を満喫することができた。また、鳥海山と月山の再訪は、やはり日本百名山ならではの魅力を満喫でき、低山続きのうっぷん晴らしの効果もあった。

 下山すると連日30℃越えの酷暑だったが、所要時間が6時間以内の山が多く、最後の月山以外は、夜明けの涼しいうちにスタートして、午前中には下山することが多く、連日登山も苦にならなかった。

 何よりうれしかったのは、この歳になっても、ハードな山はなかったとはいえ、連日登山がまったく苦にならなかったこと。さらには、どの山もコースタイムをオーバーすることなく登り続けられたことであった。ちなみに、連日登山は後半に5日連続が2回あったが、特に疲れを持ち越すこともなく、足の筋肉も痛いところや張っているところもまったくなかった。まだまだ80歳くらいまでは今の調子で遊べるかな・・・?

 

停滞日の観光・歴史探訪

(左上)9/12湯沢市の川原毛地獄 (右上)9/15湯沢市の両関酒造第二工場 (左下)8/17酒田市の山居倉庫 (右下)尾花沢市の銀山温泉

 登る山が見えない日や、雨予報の日は、無理しないで、その近くの土地の観光・歴史探訪を楽しむつもりだった。結果的にはわずか4日しかなかった。湯沢市は意外と見所が多く、2日間も楽しませてもらった。酒田市は、当初から計画に入れていた。最後の尾花沢市の銀山温泉は、向こうへ行ってから観光パンフレットを見て、ぜひ訪れたいと思った・・・今回の山旅で、最も大きな収穫だった。

 

基本的な行動計画

 基本的な日程だが、夕食を食べると、暗くなるし、晩酌の酔いで、19時~20時には寝て、3時~4時には起きるという毎日だった。結果、酷暑続きだったが、朝の一番涼しいときに登り、午前中には下山できたので、それほど暑さを感じることはなかった。

 これまでの長い山旅の時の食事は、いつも朝起きて、まずはドリップコーヒーを入れて、無洗米でご飯を1合炊くことから始まる。炊いたご飯を3等分して、2個おにぎりを作り、残りを朝食にして、卵スープでおじやにしたり、レトルトカレーで食べたりすることが多い。空腹でないときは、おにぎりを3個作って、山で適当に食べることも多かった。夕食は、外食かコンビニ食で済ますことが多かった。

 下山後、一番先にすることは温泉で汗を流し、疲れを抜くことである。その後、翌日の登山口の確認をした。当日の朝にうろうろしたくないことや、最近はあちこち豪雨被害が多く、登山口まで車で入れるかどうかの確認は非常に大切だった。その後、涼しいクーラーの効いたところでのブログ作成である。温泉の休憩室やロビー、特に今回は図書館と市役所のホールにお世話になることが多かった。図書館は、ブログを書き終えてから、本や新聞などが読めるのでもっとも好都合である。

 ただ、この「コロナの夏」のお陰で、山は普段と全く何の変わりなく迎えてもらえたが、温泉や図書館や食堂などはコロナ感染防止対策の徹底ぶりには頭が下がる思いだった。また、例年より道の駅で車中泊している車が少なかったようである。

 下山すると、連日30℃越えだったが、なるべく標高の高いところで泊まるようにした。しかし、平地の道の駅でも内陸が多かったせいか、夜は結構涼しくなり、寝苦しいことはほとんどなかった。

 

旅の楽しみはその土地ならではのグルメ

 

 旅の楽しみの一つは、なんといってもその土地ならではのグルメである。妻と一緒の青森や仙台でのものも含めると、以上のようになる。基本的には、朝と昼は手作りおにぎりなので、夕食の楽しみでもある。しかし、登山口や山中で泊まるときにはコンビニ食が多かった。

 今回は、主に秋田県南部と山形県・宮城県北部の山が多かったが、来年以降は宮城県と山形県南部と福島県の山になる。今回で残り18座となったので、無理しないと、あと2年は楽しめそうだ。

 今後の山旅の計画は、9月中旬から半月ほどの道内の紅葉登山の予定である。10月下旬からは「みちのく潮風トレイル」の歩き旅(前半)を考えている。

 

それにしても極端な、昨日と今日の函館の気温

昨日の函館の気温の推移   →   今日の函館の気温の推移

  昨夜は、早めに涼しくなったので、夕食後まもなく寝た。朝には外気温が18℃まで下がっていたので、12時間ほども爆睡した。

 今日は朝から雨が降り続き、閉め切った部屋の室温が25℃と昨日までの暑さが嘘のような1日だった。

 それにしても、昨日と今日の12時の気温を比べると、32.1℃と17.6℃である。この極端な違いは、そう経験できるものではない珍現象であろう。


酷暑の函館に無事帰宅

2020年08月29日 | 登山・旅行

 昨夜は、外気温が25℃になった所の道の駅で泊まろうと思い、北上した。22時頃になって、ようやく秋田県上小阿仁村の道の駅に泊まることができた。 

 今朝は、のんびりと青森まで走って、11:15発のの青函フェリー(北海道キャンペーン割で13.200円)に乗り、15:15函館着で、無事帰宅することができた。 

 大館市でたまたま目にした古民家。こ

 

 青森に行ったら必ず食べる、青森駅前の長尾の煮干しラーメン。この世のラーメンで一番好きかも?

 

 帰って来たは良いが、函館も、昨日までの山形県並みの32.7℃の今夏最高気温を記録したらしい。今夜、眠れるだろうか?

 ところが、明日は、一気に、最高気温が21℃まで下がるとか・・・。風邪引きそう。


湯殿山口コースから再訪・月山(1984m)<山形県>

2020年08月28日 | 登山・旅行

 

 月山は日本百名山に数えられ、鳥海火山帯に属するアスピーテ状の古い成層火山である。標高1,500mの湯殿山、418mの羽黒山とともに出羽三山の一つに数えられ、修験者の山岳信仰の山として知られる。山頂には月山神社が鎮座し、多くの修験者や参拝者が訪れる。古くからの名では犂牛山(くろうしのやま)という。

 日本三百名山巡りでは、2007年に、一番人気の羽黒山口コースを登り、前日に羽黒山神社と湯殿山神社にも参拝している。今回は、前回と反対側の湯殿山口コースを往復した。変化のあるハードなコースとのことで楽しみにしていた。

 ところが、昨夕の内に、湯殿山神社まで車で入って泊まろうと思ったが、行ってみたら、湯殿山神社までの有料道路が、登りは15:50で閉鎖され、朝は8:15でないと開門されないとのこと。仕方なく、前夜は、少し先にある道の駅月山に泊まった。

 有料道路(400円)を大鳥居まで車で入り、8:30発の本宮までのバス(200円)に乗った。帰りは、本宮から大鳥居まで歩いた。

 〈登り〉8:40本宮登山口~9:20施薬小屋~10:00金姥~10:25牛首~11:15山頂(2時間35分)山頂休憩20分。3時間半のコースだが、1時間近くも速く登った。タイム設定が甘いようだ。

 〈下り〉11:35山頂~12:20牛首~12:40金姥~13:15施薬小屋~13:50本宮登山口~14:15大鳥居(2時間40分)下りは、大鳥居までまで歩いたのでその分、時間が掛かった。 

 大鳥居から湯殿山(右)を見上げる。この湯殿山には登山道はない。このあとバスに乗った。

 本宮登山口。ここから神域につき撮影禁止。以前に月山に登る前に御神体の温泉の石灰華ドームは参拝しているので、パスし、そのまま登山道へ。同じバスから降りたもう一人の男性は、登りも下りも10分ほど後ろをほぼ同じペースで歩いていた。

 少し登って行くと、しめ縄の張られた滝が見えた。

 川から離れ、急な沢形の中の急な露岩の登りが続く。

 やがて、このような鉄梯子が5連も続く。

 これを登り切るまでが、このコースの核心部だった。スタート間もない元気な内だから助かった。

 やがて、施薬小屋へ到着。これから登る緩やかな斜面が広がる

 やがて、施薬小屋を通り、振り返ると、登山道のない湯殿山が見える。この先で最後の水場があり、そこで、冷たい水を給水。

やがて、金姥に到着。ここからは、リフトを利用して登ってきた多くの登山者が合流して賑やかになる。右のガスで覆われた尾根の先が目指す頂上である。

 このような石畳の道がしばらく続く。

 次の牛首から、姥沢コース方向を眺める。リフト下駅も見える。姥沢コースを登ってきた登山者が合流して、さらに賑やかになる。

 ずっとガスに隠れていた山頂の月山神社(左奥)がようやく姿を見せた。

 ベンチがいくつも設置されているところで寛ぐグループ。

 頂上稜線までの最後の登り。

 山頂を占拠する月山神社。参拝はしないで、その裏にある一等三角点を目指す。

 前回来たときには、一等三角点だけだったような記憶だが、今回は山頂標識も用意されていた。最高地点は神社に占拠されているので、ここを山頂としているようだが、あまり知られていないようである。

 残念ながら、ガスで遠望が利かない。これは北側に延びる尾根である。昼食の手作りおにぎりを食べながら20分ほど寛いだ。

 これは、前回往復した羽黒山口コースの何本もできている踏み跡。

 東側に広がる湿原を眺めながら、下山を開始する。

 〈目についた花々〉

 この時期にしては、多くの花が見られた。標高も高いし、遅くまで雪が残っていることもあるのだろう。

 遠くから眺めるとなだらかな山に見えるが、予想以上に多くの尾根や深い谷が入り組んでいる。前回登ったコースも面白かったが、今回のコースも変化に富んで、ハードな登りもあり、予想以上の花も観ることができて満足だった。やはり、百名山に選ばれている山は魅力が多い。

帰路へ

 今回の山旅の計画は、仙台近くの山と岩手県南部の山が3山残っている。ところが、明日以降のそちら方面の天気予報を見たら、2日連続雨で、そのあとも晴れマークがない。

 そこで、今回の山旅は、今日で切り上げて、明日のフェリーで帰ることにした。

 下山後、鶴岡市に出て温泉に入り、いつものパターンで市立図書館へ。閉館時間になってようやくアップができた。

 青森のフェリー乗場までカーナビを入れたら、300kmと出た。涼しくなるまで走って、適当な道の駅に泊まる予定。


81座目・面白山(1264m)<宮城県・山形県>

2020年08月27日 | 登山・旅行

 天童高原キャンプ場手前から眺める面白山~中面白山

 御所(船形)火山群と蔵王火山群との中間地点に位置し、南方4kmの南面白山(1225m)に対して北面白山ともいう。昔、地元の人々は、積雪の多さからか「つらしろやま」と呼び親しんできた。また古くは、山寺立石寺の奥ノ院とされてきた。
 山頂はハクサンシャクナゲ、コメツツジ、チシマザサなどの灌木帯に覆われ、わずかに裸地があり、天狗の角力取場と呼ばれている。

 天童高原キャンプ場から、三沢山~面白山~中面白山~長左ェ門平と縦走して、長左ェ門道を長命水まで戻って周回した。

 5:15天童高原キャンプ場~5:45長命水~6:10三沢山~6:45面白山(30分休憩)7:15~7:40中面白山~8:20長左ェ門平~9:30長命水~10:05天童高原キャンプ場(4時間50分)

 面白山からは、これまでにないほどの360度の大パノラマに恵まれた。しかし、あと30分遅ければ、ガスに巻かれて、その展望がなかったかも知れない・・・「早起きは三文の得」

 まだ薄暗い内に、施設の整ったキャンプ場からスタート。ここから長命水までは快適な遊歩道として整備されている。

 35分ほどで、長命水に到着。ここで空のペットボトルに給水。

 ここから登山道となる。右の長左ェ門平への道は帰りに歩いて、ここへ周回する。

 三沢山(1042m)に到着。

 三沢山から逆光でシルエットになっている面白山を見上げる。面白山までの登山道は、良く歩き込まれてある上に、昨日に草刈り整備がされたようで、快適に歩くことができた。

 スタートから1時間35分で面白山頂上に到着。朝日に照らされる2体のちいさなお地蔵さんと「面白山大権現」と彫られた石碑、むき出しになった三角点、案内標識が設置されていた。

 あまりの眺めの良さに、朝食の手作りおにぎりを食べながら、30分ものんびりした。

 素晴らしい遠望が広がる。上は、月山と葉山、右端には鳥海山も見える。下は、朝日連峰。その左奥には飯豊連峰も見えた。

 左手前はこのあと通過する中面白山。左奥は2013年に登っている大東岳。右が南面白山。その奥が蔵王連峰。

 北東側は雲海と沸き上がる雲。

 このあと縦走する中面白山(右)とその稜線。左のピークから長左ェ門平へ下る。

 少し中面白山への道を下ると天童高原が見えた。

 面白山から長左ェ門平までは、山形県と宮城県の県境で、分水嶺でもある。面白山から中面白山へはコルまで下って登り返す。この登りが一番急だった。しかも、ここまでの登山道とは雲泥の差で、踏み跡はしっかりしているが、草が道を覆っていて、夜露でズボンも靴もずぶ濡れになった。

 中面白山には標識もなく、通り過ぎてしまい、慌てて戻り、面白山を振り返ったがガスで見えなくなっていた。しばらく待ったら、ガスの中から姿を現した瞬間を撮ることができた。

 中面白山から長左ェ門平までは、展望もないガスの中を、濡れた薮こぎ状態の踏み跡を黙々と下るだけだった。

 コルに下り立った広場が長左ェ門平だった。

 ここから長命水までの5kmほど続く長左ェ門道は、標高850mの等高線に沿って拓かれた水平道で、車でも走れそうなほど広い快適な道だった。後半、沢を横切る地点で数ヶ所崩れているところもあった。

 長左ェ門という人が拓いた道なのだろうが、いつ頃、何のためにこのような立派な道を造ったのか、ずっと気になりながら歩いた。

 下山後、ネットで検索しても、その歴史についてはヒットしないし、キャンプ場の人に訊いても分からなかった。

 長左ェ門平から1時間10分の歩きで長命水に戻った。天童高原キャンプ場まで戻ってゴール。

 すでに、面白山はガスの中で、月山もはっきり見えなくなっていた。良い時間に登れたことに感謝した。

 今日のこの面白山は、今回の山旅計画の一番南の山である。これより南の山形県・宮城県南部と福島県の残り16山は、来年の楽しみである。明日、月山を再訪したあとは、宮城県へ戻り、太平洋側の残りの3山を帰路がてら北上して登る予定である。

 

 下山後にまず向かったのは、昨日道の駅で教えてもらった、60歳以上250円の天童温泉街にある、オープンしたばかりのはね駒荘へ。

 今日も登山口は25℃くらいだったのに、町へ下りてきたら30℃を超えていた。まずは、ブログアップのために、昨日に引き続き、天童市立図書館へ。15時には35℃になったそうだ。

 明日は、月山に湯殿山コースから登る予定である。登山口に泊まるつもりだが、カーナビを入れたら、1時間半ほどで着くようだ。また、夕方まで図書館でのんびり。

 明日の登山口の湯殿山神社へ向かう途中の寒河江の道の駅で食べた「冷たい肉そば」。ここ寒河江の名物らしく、そばも肉も汁も美味しかった。

〈追記〉

 明日の登山口のある湯殿山神社への有料道路へ着いたら、登りは15:50で閉鎖され、朝は8:15に開門とのこと。そこまで調べていなかった。

 別コースの可能性をいろいろ調べてみたが、予定通り、有料道路の開門時刻に合わせて、湯殿山コースを登ることにする。


80座目・黒伏山(1227m)<山形県>

2020年08月26日 | 登山・旅行

 登山口のある黒伏スノーパークスキー場付近から眺める、南峰の大岩壁と本峰(右)

 この黒伏山(くろぶしやま)は、船形連峰の主峰・船形山の西の支脈上にあり、東北最大の300mの岩壁を持つことで知られる。衝立状に立ちはだかる岩場は威圧感を与えるが、東北屈指のクライミングのこの岩場をホームグラウンドに、巣立ったクライマーも多いという。

 黒伏高原スノーパークスキー場の下から4つの名前のあるピークを越えて周回縦走できるコースもあるが、山頂までの大平黒伏コースを往復した。 

 登山道は本峰と南峰の根元を巻くように西に進み、遅沢分岐から裏側へ回り込んで、ブナ林の急な尾根にトラロープがずっと張られて、一直線に登る部分が核心部だった。

〈登り〉5:20登山口~6:00南壁分岐(南壁根元まで往復)6:20~6:45遅沢分岐~7:45頂上(2時間25分) 頂上休憩20分

〈下り〉8:05頂上~8:45遅沢分岐~10:00登山口(1時間55分)

 昨日下見で見つけておいた道を下り、入山届けを記入して、その先の仮橋を渡る。

 少し進むと、周回コースとの分岐があり、そこに大平黒伏コース登山口の標識があり、足元に鉄製の矢印が置かれていた。

 ここから少し登ると、小さなアップダウンを繰り返しながらの長い水平道が続く。先週末に登山道整備が入ったようで、草刈りや倒木処理がされていた。東根登山会に感謝しながら歩かせていただいた。

 木の幹や岩にペンキで○や⬅が書かれているので分かりやすい。

 やがて、クライマーたちの利用する南壁への分岐があった。それほど遠くなさそうなので、そちらへ入ってみた。途中にきびたき沼があり、そこへ注ぐ湧水も汲むことができた。

 落差300mの大岩壁を根元から真上や両側を眺めてみた。凄い迫力だ。クライマーはこれを登り降りするのだから感心以外の何物でもない。亡くなられた方の慰霊プレートも取り付けられていた。

 再び登山道へ戻る。往復20分だった。南壁の横へ回り込んで、遅沢分岐から、いよいよ核心部の直登尾根である。

 途中から南峰が見えた。この裏側があの南壁である。

 急な尾根が続き、トラロープがずっと張られていた。登りは掴まらないでポールで登ったが、帰りは、懸垂下降の要領で、後ろ向きになってスルスル下りた。

 南峰と本峰のコルの手前で稜線に出た。その先に目指す頂上が見える。

 右下には黒伏スノーパークスキー場が見える。

 少し登って振り返ると、ほぼ垂直の南壁とその向こうに連なる山並みとのコントラストにしばし見とれる。

 平成29年に東根山岳会が設置した新しい山頂標識と二等三角点に迎えられて山頂到着。展望が全くないのが残念。

 南壁の根元まで往復したのにも関わらず、下りのコースタイムより15分も速く頂上到着。下りは45分もお釣りが来た。76歳、まだまだ元気!

 下りの水平道に入ってから、単独行の男性が登ってきた。「早いですね~」と挨拶されたので、「涼しい内に登りたくて・・・」と答えて別れた。

 

 下山後、東根温泉に向かう前に、日本一の大ケヤキがあるというので、そちらに寄った。

 東根市立東根小学校校庭に生育するケヤキの巨木である。樹齢は1000年以上とも1500年以上とも推定され、1957年(昭和32年)に国の特別天然記念物に指定された。ケヤキとしては日本一の巨樹といわれている。幹の周囲16m、直径5m。

 このあと、何軒かある公衆浴場のオオタの湯へ。昨日もこまつの湯に入ったが、どちらも400円だった。300円のところは定休日だった。

 温泉から上がり、明日の面白山登山口のある天童高原キャンプ場へ下見に行き、登山口を確認した。今夜はそこに泊まることに決めて、天童市街地へ。市街地に下りてきたら、32℃もある。迷わず避暑地の図書館へ。

 早目にブログを書き上げたので、40年ぶりの山寺へでもとも思ったが、この暑さではあの800段の石段を登ったら熱中症になってしまう。おとなしく、休養も兼ねて、夕方まで本を読んで過ごすことにした。

 今日のすき家での夕食。明日も頑張れそう!

 標高600mの天童高原キャンプ場から東根市街地の夜景と月山(左)と葉山(右)。明日も晴れて暑くなりそう。


79座目・甑岳(1015m)<山形県>

2020年08月25日 | 登山・旅行

 船形連峰の西端に位置する甑岳(こしきだけ)は、村山市に近く、市民に親しまれている山である。夜を明かした道の駅むらやまのラウンジの正面にどーんとそびえている。山名は、東根市側から見ると甑を逆さにしたように見えることが由来だという。ちなみに、甑とは、日本酒の原料米を蒸すためのせいろのような蒸し器のことである。

 なお、東北百名山に、秋田県と山形県の県境に、すでに登っている甑山という山もあって紛らわしい。

 山頂にある甑岳観音は、大化4年(648年)開山と言われ、大同2年(807年)に開かれた寺屋敷跡や、村山市出身の江戸時代の北方探検家最上徳内の『青雲の志』碑などがあり、歴史の古い山である。

 東沢公園の上の幕井コースを往復した。

 〈登り〉5:25車止め~5:35登山口~7:20山頂広場(1時間55分)

 〈下り〉7:25頂上~7:30山頂広場8:00~9:05登山口~9:15車止め(山頂広場での休憩を除いて1時間20分)

 登山口は右の林道の奥なのだが、テープで進入できないようになっていたので、ここからスタート。

 先日の山形県を襲った集中豪雨で土砂崩れになり、林道が塞がれていた。

 10分ほどで、登山口へ到着。この丸木橋を渡って登山道へ。

鬱蒼とした杉林の中を1時間近くも歩く。

 

 途中に馬立沼に寄る。馬立とは、馬を繋ぎ止める意味で、あちこちに地名として残っている。ここも、昔は上に寺屋敷があったそうなので、この辺りに馬立場があったのかも?

 750付近で杉林を抜けると、クリの大木の林となる。珍しいなと思ってしばらく進むと、「栗林へようこそ」の標識がある。クリは先人が植えたもののようだ。この辺りは、平坦な地形で、約1200年ほど前、いくつかのお寺があり、寺屋敷と呼ばれていたと伝えられているそうだ。

 やがて、南尾根に乗り、方向を北に変えるが、斜度は緩い。

 尾根に乗ったら、一気に南の視界が開けた。眩しい太陽をかすめる飛行機雲と、その下には明日登る黒伏山(中央右)が見えた。

 尾根道は、まさにママコナロードである。ママコナは北海道では函館郊外の汐首山でしか見られないが、ここは、頂上まで、この花だけがずっと咲いていた。

 しばらく進むと、山頂広場のあるピークが見えてきた。山頂はその奥で見えない。

 その山頂広場ピークへの登りがこの村山市出身の最上徳内に因んで「徳内坂」と命名されていた。

 やがて、「青雲の志」碑や「甑岳観音」の石祠のある山頂広場に到着。

 ここは、展望が開けているので、戻ってから、ゆっくり休むことにして、山頂儀式に必要な三脚とカメラだけ持って頂上へ向かった。

 5分ほどで着いた山頂は本当に展望はまるっきりない。標識に書かれているのは、「1015.5米二等三角点、甑嶽(齋藤茂吉翁)、甑ヶ岳(最上徳内元吉)」である。二人がそのように何かの書物に記しているということなのだろうか?

 すぐに山頂広場へ戻って、30分ほどものんびりと展望を楽しんで寛いだ。

 この「青雲の志」碑は、最上徳内がこの山に登り、立志して、江戸に出て、その後、北方探検家となって多くの業績を残したことを讃えている。

 南方向の展望。平野部は東根市の市街地とその南側。左後ろは蔵王連峰。

 北の方向の展望。右奥には鳥海山。

 肝心の村山市の展望がないと思いながら下っていくと、まもなくその展望台のようなところがあった。

 眼下に広がる村山市街地とその後ろに、すでに登頂済みの葉山とその後ろに月山が見えた。

 なお、この最上徳内の出身地である村山市は、2013年の飯豊連峰縦走のあと、停滞と葉山登山も含めて道の駅むらやまに3連泊している。そのときに、村山市の観光・歴史探訪をし、夜にはむらやま徳内まつりも観ている。

 下山後、まずは、明日の黒伏山の登山口の下見に。登山道入口への道がなかなか判らずに非常に苦労したので、前もって行って良かったと思った。

 その後、東根温泉のこまつの湯で汗を流し、疲れを癒した。休憩は有料なので、東根市立図書館へ避暑。ブログを書き、夕方まで本を読んで過ごす予定。その後、コインランドリーで洗濯をして、登山口手前の石崎農村公園駐車場に泊まるつもり。標高が高いので涼しくて寝やすそう。


78座目・杢蔵山(1027m)〈山形県〉

2020年08月24日 | 登山・旅行

 この杢蔵山(もくぞうざん)は、神室連峰の南端に位置し、新庄市民の山として親しまれている。新庄市北東の郊外から東を見ると、右手前に三角山に乱立するに針峰群のような電波塔があり、その左奥(中央)の山が杢蔵山である。

 神室山への古くからの登拝路である山屋口から入山し、帰路は三角山を経由して、長い市道を歩いて周回した。

 6:10登山口~7:50杢蔵山荘~8:15頂上8:30~8:55三角山分岐~9:10三角山9:20~10:20登山口(4時間10分)

 荒れた市道を進むと、広場があり、そこが登山口だった。鬱蒼とした杉林の中を進む。

 戸前川を右下に見ながら進むと「一の滝」の標識があり、川へ下りていく道がある。川辺に下り立ち少し登ると、2段の滝が現れた。

 登山道へ戻ると、すぐに「不動明王」の石塔が建っている。裏をみたら、文政9年建立と彫られていた。

 やがて、道は、右下に見ていた戸前川の上流を渡渉して、急な尾根に取り付く。

 まずは、「七曲りの坂」、それを登り切ると「心臓破りの坂」が続く。この山の核心部である。

 登り切ると、避難小屋の杢蔵山荘に到着。そこから頂上が見える。一部笹原になっていて、その中に登山道が見える。

 5分ほどで湧水「金杢水」に到着。山で出会う湧水は元気をもらえるお楽しみポイントである。

 笹原の上部から振り替えると、新庄市街地を中心とした平野が広がり、左手に帰りに通る三角山が見える。

 頂上からのこの展望はないので、ここが一番の展望台である。帰りも眺めることができた。

 やがて、稜線に乗る。その先に見えたピークは偽ピークで、頂上はその陰だった。

 もちろん誰もいない頂上に到着。

 北の方に、一昨日登った小又山(中央の尖峰)とその左に神室山が見える。

 左手前から続く登山道は神室山までの縦走路である。この縦走路が昔の神室山への登拝路だったというのだから、大変な距離である。

 朝昼兼用のおにぎりを2個食べて下山開始。

 山荘手前の分岐から三角山へ向かったら、開けた小ピークがあり、そこに「障がい者とともにふれあい杢蔵山登頂記念」と書かれた木柱が建っていた。ほのぼのとした気持ちになった。

 やがて、いろいろなアンテナ群に占拠された三角山に到着。

 あとは、荒れた市道をひたすら下る。この市道、あれだけたくさんのアンテナ群があるのだから、舗装道路でも良いのにと思いながら下った。タイヤ痕を見ると、かなり苦労して登っているようである。

 三角山からちょうど1時間で登山口に到着。今日はハーフパンツで登ったが、下山して左脛を見たら、ダニが4匹も食い付いていた。すぐに取れたが、やはり、長ズボンかタイツを履かなきゃと思った。

 新庄市には温泉がない。明日は、村山市の甑岳の予定なので、国道を南下するがなかなか温泉が見つからない。

 村山市に入って、国道から2分ほどのところにあった、山中の一軒宿の湯舟沢温泉へ。 

 約200年前、江戸時代開湯の名湯で「薬師の湯」と呼ばれ、名湯を守り続ける一軒宿だそうな。美肌効果抜群のぬるぬる湯だった。

 そのあと、甑岳の登山口を下見して、村山市立図書館へ行ったが、定休日だった。外は32℃である。外に出たくない。今夜のねぐらになる道の駅むらやまへ行き、寒いくらいクーラーの効いたラウンジ兼レストランでブログを書いた。17時閉館なので、それまでお邪魔するつもり。

 道の駅むらやまで食べたローズヒップソフト。ローズヒップ(バラの実)の果汁の味が強くて、とても新鮮で美味しいソフトクリームだった。バックの山は、明日登る甑岳。


尾花沢市観光・歴史探訪

2020年08月23日 | 登山・旅行

 長い名前の「道の駅尾花沢花笠の里ねまる」で連泊の朝を迎える。山は見えない。その後も山には雲が絡んでいた。心置きなく休足日を満喫することができた。

 尾花沢市は、山形県の北東部に位置する人口約1万6千人の市。尾花沢牛牛と尾花沢スイカの産地として知られる。また、全国的に有名な銀山温泉もある。

◎銀山温泉散策

 今回どうしても訪れたかったのは、この銀山温泉である。

 古く16世紀に銀鉱が発見され、江戸時代には公儀山として栄えた銀山。現在は、大正から昭和初期に建てられた木造三層四層の旅館が軒を並べる温泉街として注目を集めている。大正ロマンを売りにしていて、風格のある落ち着いた町並みには見どころも多く、四季を通じて人々が訪れるという。

 今日は、日曜の朝とあって、12軒ある旅館はどこも満杯のようであった。

 

この温泉街の奥に、渓谷沿いに昔の銀山を偲ぶ散策路が整備されている。

 白銀の滝

 洗心峡

 夏しらず坑~涼しい風が吹き出る風穴。

 面影園の池

 銀坑洞入口

 銀坑洞内部の一部。

 大正ロマンを感じさせる民家とバス停待合室。

 

 大正浪漫館~銀山温泉から少し離れたところにあるレストランと土産店。

◎徳良湖

 「花笠踊り」発祥の地~この徳良湖の築堤の作業に合わせて歌われた土つき唄に、人夫たちが使用した菅笠で踊ったことが、今では山形県に全体に広まった。

◎芭蕉、清風 歴史資料館

 芭蕉は、俳人仲間の鈴木清風を訪ね、ここに10泊をしている。鈴木清風は紅花を扱う豪商だった。

 この資料館は、江戸時代末期の町家を移転復元した貴重なたてものである。

◎尾花沢市のグルメ

 尾花沢スイカの名産地で、スイカにまつわるグルメがある。自分が昨日は食べたスイカソフトは、思ったより濃厚で美味しかった。

 上は、今日の昼に市街地で食べた「尾花沢牛ラーメン」~極上の尾花牛の肉をコトコト煮込んだ濃厚なスープととろける牛肉に、爽やかでピリ辛のスイカのぺらそ漬けをトッピング。これまでに味わったことのないラーメンだった。牛肉が思いの外多かった。

 下は、昨日、道の駅で食べた「板そば」~尾花沢そば街道の専門店ではないので、期待していなかったが、本格的な手打ちでとても美味しかった。

◎3連泊することになる「道の駅尾花沢花笠の里ねまる」

 夕方6時まで営業し、近くにコンビニもある。

 午後から、尾花沢市立図書館へ避暑し、ブログを打ち、本を読んでのんびり過ごしている。


76座目・薬莱山(553m)<宮城健> & 77座目・翁山(1075m)<山形県・宮城県>

2020年08月22日 | 登山・旅行

 今日は杢蔵山の予定だったが、新庄市まで行ったら、山も見えず、霧雨が降っていた。諦めて、県境を越えた宮城県は晴れていそうなので、次の予定だった薬莱山へ。そのあと、県境に聳える翁山の2山を登った。この2山は、どちらも2時間ほどの山だったので、登山口は50kmほど離れているが、セットで1日で登る予定だった。

◎薬莱山

 この薬莱山(やくらいざん)は、船形連峰の北東山麓に広がる大崎平野の西方に位置する独立峰である。標高は低いが、円錐形の均整の取れた山容から、地元の人は加美富士と呼ばれている信仰の山である。

 天平時代、多賀城の鎮守府将軍・大野東人(おおのあずまんど)が秋田への道を造るためこの山の頂上に薬師如来を祭ったとか、坂上田村麻呂が射た矢がこの山でなくなったので矢喰(やくらい)山になったとかいわれている。山頂の神社は、明治初年(1868)の神仏分離まで薬莱山大宮寺と呼ばれていた。

 低山なのに、東北百名山に選ばれたのは、その歴史にあるのだろう。

 薬莱スキー場登山口から周回した。

 〈登り〉8:15登山口~8:55頂上(40分)

 〈下り〉9:00頂上~9:25舗装道路出会~9:50登山口(50分)

 

 スキー場横の鳥居を潜って参道を登る。ニノ鳥居のところに登山口の標識があった。

 ニノ鳥居の先にあった大岩。この山が噴火したときに飛んできたらしい。そこで草刈り整備をしていた男性によると、昔はここに社務所があったとか。

 706段の急な階段が続く。看板のキャラクターは、拙サイトのマスコットキャラクターと同じ男の子。出典が同じらしい。こんなところで目にするとは・・・。

 

 一気に706段は登りきれずに、400段で一息入れた。半分くらいは横に踏み跡があるのでそちらを登った。

 登りきると、ミズナラの道となり、まもなく南峰に到着。

 南峰には、薬師堂が建ち、少し進むと、怖い感じの姥神の石像があった。

 その先に展望台があり、霞んだ大崎平野が見えた。

 北峰が頂上で、薬師堂と石碑の頂上標識が鎮座していた。

 いつもの儀式。

 頂上からの周回コースを下る。こちらには階段はなく、斜度が緩やかだった。舗装道路に出たら、そこにも登山口の石碑が建っていた。

 スキー場の下から南峰と北峰の山頂部を望む。こちらから見ると双耳峰に見えるが、北から見ると、加美富士と呼ばれる形をしていた。(トップ画像)

 このあと、国道347号を山形県に戻り、翁山へ。

 ◎翁山

 尾花沢市の東、奥羽山脈の中央部に位置する翁山(おきなさん)は、地形図上では宮城県側の呼び方「翁峠」である。笹原に覆われた稜線上には、広く刈り払われた縦走路が延びている。明るく開放感に満ちた稜線漫歩が楽しめる山である。

 しかし、時間が遅かったので、ハリマ小屋からの往復だけにした。

〈登り〉11:30ハリマ小屋~12:25頂上(55分) 〈下り〉12:35頂上~13:15ハリマ小屋(40分休憩室)

 避難小屋のハリマ小屋と広場。着いたときに、下山してきた男性が帰る準備をして、こちらがスタートする前に帰っていった。

 いきなりトリカブトに迎えられた。もう秋・・・。

 ブナ林の中に快適な登山道が続く。

 ほぼ中間地点に湧水「白髪の泉」。冷たく美味しかった。

 登頂5分前の地点から山頂が見えた。

 周りはガスで展望もない中での儀式。ただし、山頂標識はなかった。

 翁山を愛する会が寄進した翁山神社の石祠

 下山後、花笠温泉ふくの湯に寄り、道の駅尾花沢ねまるへ。

 明日は、雨予報だったので休足日にしようと思っていた。ところが、天気予報が変わって、晴れ間が広がるらしい。しかし、来週はずっと好天が続きそうである。この尾花沢で見たいところもあるので、晴れても、明日は、休足日にすることにした。


75座目・小又山(1367m)<山形県>

2020年08月21日 | 登山・旅行

 昨日の禿岳から眺めた小又山(左)。右が神室山で、その間に見えるのは鳥海山

 山形県の北東部に南北20kmに渡って連なるアルペン的山容を誇る神室連峰の中央部に位置し、主峰・神室山よりわずかに高い連峰最高峰である。三角形の端正な姿はどこから見てもそれと分かる山である。

 ちなみに、神室山は日本二百名山なので、登頂済みである。

 一般コースとしては2コースあるが、ネット上の記録の多い西ノ又コースを往復した。

 今日で4日連続登山だが、なぜかこれまでで最も疲れを感じないで、快調に登り下りすることができた。コースタイムが7時間近い山なのに、5時間25分で往復した。これまでも、コースタイムより遅いことはないが、ここまでお釣りが来たのは初である。

 昨日の軽登山が良かったのか?9時間近く爆睡できたのが良かったのか?はたまた、体が慣れて来たのか?・・・それらの複合的要素もあろうが、これまでの経験からすると、体が慣れて来たのが一番だろう。こうなると、何日連続でもOKの気分である。「日本三百名山」巡りで、天候に恵まれて15日連続というのを2回経験している。ただし、約10年以上も前の話である。

 しかし、生憎山頂は雲の中で、展望には恵まれなかった。

 〈登り〉5:30登山口~7:10 1110ピーク~7:40越途ピーク(1191)~8:35頂上(3時間05分) 頂上休憩15分

 〈下り〉8:50頂上~9:30越途ピーク(1191)~10:00 1110ピーク~11:10登山口(2時間20分)

 夜を明かした最上町の白川渓流公園。登山口の3.5km手前の快適な公園だったし、とても涼しくてぐっすり眠ることができた。

 西ノ又登山口。いきなり渡渉から始まる。長靴で渡って履き替えた。

 このあとは、この辺りの山はどこも同じで、まずは杉林の中を歩き、やがて、ブナ林となる。

 2合目を越えたところにあった「山神様」と彫られた石。

 休憩で寝転んで上を見たら、ブナやホウノキの葉の重なりの美しさに癒された。

 1110ピーク手前の長い急登斜面に設置されたロープ。登りでは使わなかったが、下りでは非常に助かった。

 1110ピークから尾根続きの槍立ピークと東側の山を眺める。東側の展望はぼやけながらも見えたが、反対側の頂上方向は白い雲に覆われたままである。

 次の越途ピークまでは、ブナ林のほぼ平坦な稜線歩きが続く。

 6合目標識のある越途ピーク。ここで大又口コースと合流する。

 方向を西に変えて下ってから登り返すが、頂上方向は白い雲しか見えない。

 1250m付近からは、ガスの中の歩きになる。これが頂上への最後の登り。

 今回の山旅で初めて、ガス中の頂上。「こまたさん」は、「こまったさん」だった。

 頂上に咲いていたハクサンフウロとコガネギクが唯一の癒し。長居してもしようがないので、おにぎり1個食べて、下山開始。

 下っていくと、見えなくても良い、登り返さなくてはならない越途ピークが見える。

 このあと、7時にスタートしたと言う男性と出会った。

 1110ピーク手前で頂上方向(右)を見たら、雲が高くなって、山頂部が見えそうな感じになっていた。

 1110ピークを下っていくと、樹間から、ようやく尖った山頂が見えた。昨日の禿岳から目にはしているが、これで心置きなく下山することができた。

 登山道から河原に出たら、あとからやって来た男性と自分の長靴が2足迎えてくれた。長靴に履き替えて渡渉して、ゴール。

 このあと、国道を横切って、大堀温泉にある保養センターもがみへ。400円だったが、JAF割引で350円だった。

 温泉から上がって、ラウンジでブログを打ち終え、のんびり休憩。外は、連日の30℃超えである。16時までOKなので、貸し切りでテレビを視て過ごしている。

 このあとは明日の杢蔵山の登山口を確認して、手前の山屋キャンプ場に泊まる予定。

 〈追記〉登山口そばの山屋キャンプ場は、かなり前に廃業したらしく、荒れ放題なので、一番近くの道の駅尾花沢ねまるへ移動した。


74座目・禿岳(1262m)<宮城県・山形県>

2020年08月20日 | 登山・旅行

 禿岳(かむろだけ)は。山形県最上郡最上町と宮城県大崎市鳴子温泉鬼首の県境にまたがる山。小鏑山(こかぶらやま)とも呼ばれており、鬼首カルデラ外輪山の最高峰であり主に花崗閃緑岩で成り立っている。山岳愛好者の方々からは、その急峻な山容から「リトル谷川岳」という愛称でも親しまれている。麓から見ても、登行意欲をそそられる山容の山だ

 「かむろ」とは頭が禿(は)げていることであるが、この山は山肌が剥げ落ちていることに由来するようだ。秋田・山形・宮城の三県にまたがって「神室(かむろ)山地」がある。この禿岳もその一つである。「かむろ」にあえて「神室・鏑・禿」の3文字を使っている。神室山は古くから信仰の山として崇められてきたのでこの字を当てたのだろう。「鏑」は音を拝借し、「禿」は山の姿を反映したものらしい。

 今日も快晴に恵まれ、うれしいことに標高差460mの楽勝登山の上に、山頂からは360度の大展望を満喫することができた。

 地方道最上鬼首線の県境の標高800mの花立峠口コースを往復した。

 〈登り〉6:30登山口~8:00頂上(1時間30分)、20分休憩、〈下り〉8:20頂上~9:30登山口(1時間10分)

 登り初めは昨日までの疲れからか、結構辛かった。しかし、一汗掻いたらいつものペースに戻った。明日以降に疲れを残さない意味でも、ラッキーな山だった。

 花立峠登山口から眺める禿岳。 最初はブナ林の中だが、まもなく、展望の広がる快適な登りが続く。

 途中から、頂上方向を眺める。開放的な登りを楽しむ。

 西側には、最上町付近の平野とその奥に月山が見える。

 9合目に祀られている石祠と石仏

 9合目から最後の登りへ。

 鬼首温泉カルデラを見下ろす。

 昨日歩いた須金山稜線を眺める。ここから見ると、山頂標識のあった1192ピークは高くは見えない。右奥の緩やかな高みが本峰であろう。

 立派な御影石の石柱の山頂標識にびっくり。今日は、人気ルートの歩き込まれた道のようなの、草や藪が被っていないと思い、初めてTシャツとハーフパンツで登った。

 この山旅では初めて360度の展望が広がり、これまでに登った山や、こらから登る山も見えた。

 一番奥に連なる山は、最初に登った左から山伏岳~高松岳~小安岳、その右手前のドーム形の山が虎毛山。

 一番奥に見える鳥海山。左が明日予定の小又山、右は神室山。これらの展望がを楽しんで下山開始。

 途中で、ビニール水筒を片手にぶら下げただけの男性が登ってきた。しかも、この方は峠まで自転車で登ってきていた。

 その後も、4人グループと単独の男性も登ってきた。今回の山旅で鳥海山以外でほかの登山者に会ったのは初めてだった。

 時間が早かったので、鳴子温泉郷へ。

鳴子温泉探訪

 川の対岸から鳴子温泉郷を眺める。

 駅付近の商店街

 湯巡り広場

 源泉箇所。右の木の樋は下の足湯までお湯を流している。

 鳴子郵便局のポストはこけしだった。

 こけし資料館も覗いてみた。

 このあと、観光案内所で教えてもらった無料休憩室のあるホテルニューあらおへ。温泉に入って、クーラーの効いた休憩室でのんびりブログを書き、休養に努める。ここを出たあとは、コインランドリーで洗濯をし、明日の小又山登山口手前の白川渓流公園まで走る予定。


73座目・須金山(1253m)<宮城県・秋田県>

2020年08月19日 | 登山・旅行

 

 左から踏破した7合目の水沢森~1192(山頂標識)~1241ピーク(最高地点)※本峰は1241ピークの陰で見えず。

 奥羽山脈の宮城県の北西端、間欠泉で知られる鬼首(おにこうべ)温泉の北側に聳える鬼首カルデラの外輪山の1ピークである。江戸時代には鉱山として知られ、採掘跡が今でも残る。

 検索しても、最近の記録が見られない上に、地図上の須金山には縦走路から道がなく、途中の最高点でないところに山頂標識があるという。不安ではあったが、山頂標識のあるピークも最高地点ピークも踏みたかったので、大森平コースから登り、寒湯コースを下り、上ノ台から県道と国道を歩いて周回した。

 最高の天候に恵まれ、気にしていた登山道は、特に大森平コースは整備が行き届いた1級国道並みの快適さだった。

 530ゲート前~5:45大森平登山口~7:25水沢森(7合目)~8:00 1192ピーク(山頂標識)~8:30 1241ピーク(最高地点)~寒湯コース登山口~10:30上ノ台(県道248)~11:45ゲート前〈6時間15分〉

 大森平コースは旧国道のゲート前からスタート。直ぐに林道へと進む。

 15分ほどで、登山道入口の標識があり、杉林の中を進む。やがて、ブナ林の広い尾根道となる。

 途中から、最高地点でないのに山頂標識があるという1192ピークが見える。ここから見ると、まさに山頂である。

 合目標識がときどき現れる。ブナ林の尾根にまさに1級国道並みの広くて快適な登山道が続く。

 最初のピークである水沢森までの登りが一番きつかった。 

 7合目が1018mの水沢森だった。このあと、950mまで下り、1192ピークへの登りが続く。

 途中から鬼首カルデラ地形を見下ろすことがてきた。

 やがて、バラバラになった山頂標識がある1192ピークへ到着。大森平コースも寒湯コースも合目標識は、ここが10合目である。山頂標識があるから、見晴らしでも良いのかと思ったが、まったく展望もなく、腰を下ろそうにも、狭い広場状の湿原でそれもできない。

 なぜ、この先の最高地点の1241ピークでなくて、ここなのだろう?自分なりに考えてみた。麓から眺めると(トップ画像)、手前に突き出ていて、稜線上で一番高く見えるからではないだろうか?

 足元のモウセンゴケとミズゴケ

 山頂広場に見えるが、湿原である。その先に続く稜線上の道を進む。しばらくは、湿地状の歩きだが、その後は乾いた登山道が続く。

 やがて、カーブして、最高地点への稜線が続く。

 眼下には、下山後歩かなければならない県道248号に沿った狭い平地がみえる。

 やがて、最高地点の1241ピークに到着。標識は何もないので、GPS画面を写して証拠とした。ここでおにぎりを1個食べて、下山を開始する。

 須金山本峰への踏み跡もそれらしい痕跡もまったく見当たらなかったし、最高地点より11m高い本峰も目にすることができなかった。

 稜線から下り始めると、東側に栗駒山が見えた。今回の山旅で、遠くの山が見えたのは初めてである。

 寒湯コースは、尾根が狭くて急である。大森平コースに比べて、あまり歩き込まれている感じではない。1192ピークを山頂としている以上、大森平コースの方が近いせいもあろう。

 下っていくと、旅する蝶として有名なアサギマダラがまとわりつくように前後を優雅に舞いながら付いてくる。ササにとまって撮影タイムのサービスまでしてくれる。15cmまで近づいても逃げなかった。山で一番カメラに収めやすい蝶かもしれない。これまでに何枚も撮っている。

 急ながらも、快適なブナ林の尾根を下ると、きちんとした3合目標識があった。ここまでにも、割れたり、折れたりして落ちていた。

 やがて、寒湯コース登山口へ下り立つ。ここには、案内図が設置されている。これには、1191ピークは「天狗の相撲場・仮の山頂」と書かれていた。

 ちょうど5時間で、上ノ台で県道248に出た。ここから約5kmの県道歩きと1kmの国道108号歩きが暑くて辛かった。

 県道の途中で、湧水を見つけた。非常に冷たくて美味しい。天の助けとばかりがぶ飲みした。車に戻ってから、再び汲みにきて、空のペットボトルにたくさん汲んだ。汲んでいるうちに手が痛くなるほど冷たかった。

 鬼首温泉の日帰り専門の「目の湯」へ。休憩室はスマホの電波が弱くて、ブログアップは、温泉街の上の林の中へ移動して、車の中でした。

 明日の禿(かむろ)岳もここの鬼首市街地から登山口へ向かうので、これからどこか泊まるところを探さなくてはならない。


コースを変えて3度目の鳥海山(2236m)<秋田県・山形県>※矢島口コース

2020年08月18日 | 登山・旅行

 

 

 5時頃、矢島口駐車場から眺める山頂(七高山)

 秋田県と山形県に跨る鳥海山は、その秀麗な容姿から出羽富士、秋田富士、鳥海富士と呼ばれている。成層火山であるが、山頂部は複式火山特有の荒々しい表情を見せている。高山植物の種類と群生は東北随一で、チョウカイアザミやチョウカイフスマなどの固有種も多い。登山コースは、両県合わせて、9起点13コースもあるのが特徴である。

 この山には、日本三百名山巡りで2007年8月に、新聞連材の再取材で2017年7月に2回、いずれも一番人気の象潟口鉾立コースから登っている。

 今回は、丁岳から近いことや再び奥羽山脈の山に戻る便利さから、秋田県側では一番古い歴史を持つ矢島口コースを往復することにした。5合目(七高山までの合目標識)、標高約1,200mから登り始める最短コースらしい、

 今回は、このコースのピークである七高山(2230m)までの往復とした。2回登頂している頂上の新山は、狭くて落ち着かないし、七高山からは急な谷へ下りて、さらに急なガレ場と岩場を往復しなくてはならないこともある。過去の2回の鉾立コースは直接新山に登り、七高山から尾根伝いに下山している。七高山に鳥海山の一等三角点があり、展望もこちらの方が良く、落ち着いてのんびりできる。

〈自分と全く同じコースを登り下りしていたヤマレコのログを拝借〉 

〈登り〉5:30登山口~6:45 8合目七ツ釜避難小屋康~8:45七高山(3時間15分) 頂上休憩45分間

〈下り〉9:30七高山~10:558合目七ツ釜避難小屋~12:00登山口(2時間30分)

 明日からしばらく好天が続くので、明日以降に疲れを残さないように、ゆっくり登ったことや標高が高いせいか、これまでで一番汗を掻かなかった。

 5:30スタート。5時頃には晴れていたが、出発時にはガスで覆われ、竜田ケ原湿原もこんな様子。帰りも同じ。

 10分ほど歩いて、祓川神社の前で、先行グループの前に出る。

 高度を上げていくと、ガスは取れてきたが、山頂部はガスで覆われているようだ。

 北海道では見られないヒナザクラ

 8合目の七ツ釜避難小屋でトイレを借りる。新しくてきれいな洋式トイレだった。ここで8合目だが、これから先がここまでの2倍ほどの時間が掛かった。

 登山道そばの細い滝

 ようやくすっきりとした青空が広がり、目指す七高山山頂も見えてきた。

 大きな雪渓を登る

 チョウカイアザミ

 チョウカイアザミの群落と七高山山頂

 1950m~2100mの間は、このような石畳の道が続く。整備作業に感謝しながら登る。

 一面にアキノキリンソウ(コカネギク)で彩られた頂上直下の斜面

 一等三角点や信仰関係の石碑の多い七高山山頂。今回はここがゴール。

 この下まで下って、登り返さなくてはならない、6mしか違わない新山(鳥海山最高地点)と左下の大物忌神社と山小屋。今回はパス。

 過去2回、新山から登ってきて、この尾根から下山している。

 360度すべて雲海で覆われ、山麓の眺めは全くなし。45分ほどのんびり休んで下山開始。下山途中、40名ほどとすれ違う。

 七合目の御田で寛ぐグループ。いやにのんびりしていると思ったら、避難小屋に泊まるそうだ。

 

 目についたの花の中から

 

 ちょうど12時に下山。車が22台停まっていた。平日でもこの台数である。やはり名山は違う。

 ただし、過去2回登っている一番人気の鉾立コースの方が、距離は長いが、いろいろ変化に富んでいて、今回のコースよりずっと楽しいことが再確認できた。

 今回の東北百名山巡りは、日本三百名山巡りで登った山以外の山ばかりなので、どうしても地味な山が多く、標高も低いので、林の中の登りが多くて展望も少ない。そういううっぷんを晴らす意味でも、この鳥海山を計画した。天気に恵まれて、大満足だった。後半には月山も予定している。明日から、また地味な山が待っている。

 下山後、一昨日もお世話になった猿倉温泉の310円で入れる国民宿舎鳥海荘へ。温泉で疲れを抜いて、のんびりブログアップに励んだ。

 これから、明日予定の須金山の登山口へ向かい、下見をした後、泊まるところを探す。


酒田市観光・歴史探訪

2020年08月17日 | 登山・旅行

 この酒田市は山形県北部に位置し、江戸時代、北前船(西廻り航路)の寄港地として、さらには、江戸の米不足を防ぐため、庄内藩の米を円滑に江戸へ輸送する航路の起点として、栄えた港町である。従って、酒田には全国から物資・人が集中し、「日本の中心」とか「西の堺、東の酒田」と呼ばれるほどに繁栄したという。

 NHKの「ブラタモリ」でも取り上げられていて、昔の栄華を偲べる文化財や歴史的建造物も多く残っている。機会があったら、ぜひゆっくりと訪れてみたいと思っていた町である。

山居(さんきょ)倉庫

 酒田市一番の人気観光地である。米どころ庄内のシンボル、山居倉庫は明治26年旧藩主酒井家によって建てられた米保管倉庫。

 米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝え、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなった。
 白壁、土蔵づくり12棟からなる倉庫群のうち、9棟は現在も農業倉庫として使用されている。

二重屋根~上と下の間から空気を取り入れて温度が上がるのを防いでいる。

 一番奥の倉庫は「庄内米歴史資料館」として、利用されている。

 当時の山居倉庫のジオラマ

 当時の米の検査の様子の再現

敷地内の屋敷跡

 敷地内に建つ皇族を迎えたときの記念館

 最上川の水運で物資を運んだ船

 当時を再現した山居橋

欅並木と倉庫~秋の紅葉時の名所である。

 

本間家旧本邸・旧別館

 明和5年(1768年)本間家3代光丘が藩主酒井家のため、幕府巡見使(将軍の代替りごとに特派された役人)用宿舎として、旗本2000石の格式をもつ書院造りを建造したが、その後拝領し、本間家代々の本邸として使用された。


 本邸の敷地には大きな長屋門と東側に薬医門があり、桟瓦(横断面が波状になった瓦)ぶきの平屋建てとなっている。

 別館「お店(たな)」は、本間家初代原光の「新潟屋」開業以来、本間家が代々商いを営んだ場所。


 館内には、実際に使用された帳場や度量衡、行灯等の照明具、台所用品、そして商いに使用された看板などを展示している。

 

旧鐙屋(あぶみや)

 鐙屋は、酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えている、。
 当時の鐙屋の繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永代蔵」にも紹介されたほど。屋敷は石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りとなっており、内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、板の間が並んでいる。昭和59年に国の史跡指定を受けた。

 

山王くらぶ

 明治28年建築の料亭「山王くらぶ」~この建物は、外観もさることながら本市で一、二の格式を誇った老舗料亭にふさわしく、各部屋ごとの組子建具、床の間などは銘木をふんだんに使った優れた意匠となっている。

 館内には、北前船でにぎわった時代を中心とした展示エリアと、市民と観光客がふれあう傘福などの体験工房と常設展示室などがある。

 

歌舞伎茶屋・相馬楼

城輪柵跡
 
 水田地帯のど真ん中で、昭和6年に発見された一辺が約720メートル、52ヘクタールの広大な遺跡。平安時代の出羽国の国府跡と言われている。
 国から史跡として、昭和7年に指定、昭和56年に追加指定を受けました。現在、政庁南門、東門および築地塀の一部を復元し、歴史公園として親しまれている。
 
 
日和山公園
 高台にある桜の名所でもあり、園内には、日本最古級の木造六角灯台や方角石、往時活躍した千石船(2分の1で再現)や西廻り航路を開いた河村瑞賢の銅像などがあり、港町の風情を醸し出している。

 酒田港が一望できる展望台からの眺め

 

旧青山本邸(遊佐町)

 今朝、遊佐町の道の駅から酒田市へ向かう時に、案内表示を偶然見つけて寄ってみた。小樽にある「旧青山別邸」の本邸がここだった。初めて知って感激!

 遊佐町青塚の貧しい漁家に生まれた青山留吉が、北海道の漁業で功を成し、その財で故郷に建てた邸宅。平成4年に町に寄贈され、平成8年から一般公開されている。平成12年には、明治時代の特徴的な建築様式をよく残すものと評価され、「旧青山家住宅」として国の重要文化財(建造物)に指定された。

 月曜日は休館日で、中には入れず。

 

 ランチは有名ところの「平田牧場とんや」の厚切りとんかつ定食で、栄養補給。

 今夜は、明日予定の鳥海山の矢島口駐車場に泊まるので、これから、そちらへ向かう。

 〈追記〉標高1200mほどの登山口駐車場は広くて、トイレもある。携帯の電波塔もあり、スマホが使える。標高が高いので、18:00で19℃。この旅初めて寝袋だろう。まだ、雨が降っている。果たして、明日の朝までに晴れて、山が姿を見せてくれるか甚だ心配だ。