癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

DVD映画「そこのみにて光輝く」

2019年08月31日 | 読書・映画

 昨夜は雷が轟き、珍しいほどの豪雨に見舞われた。函館も警戒レベル3が発令されたようだ。低い土地や低い川の付近では道路に水が溢れたり、浸水被害を受けた家もあったらしい。

 8月も中旬以降涼しくなり、夏も終わったか?と思っていたのに、ここ数日はまた暑さがぶり返してきた。特に今日は、朝から晴れ間が広がり、最高気温28℃超えを記録した。

 午前の早い時間に整骨院(肩の治療)へ行ったきり、暑かったので外にも出ず、家の中で過ごした。片付けていた扇風機もまた出してきた。

 そんな中、午後には、妻が借りてきていたDVD「そこのみにて光輝く」を2人で観た。
 原作は、芥川賞候補5回、三島賞候補にもなったが受賞せず自殺した函館出身の佐藤泰志の遺作である。ロケも函館市内や近郊で行われた2014年春に全国ロードショーとなった映画である。

 やはり、佐藤泰志原作の最初の映画で、函館市内のロケで製作された「海炭市叙景」も観ている。芸術作品としては理解できるが、内容やストーリーが暗くて押しつぶされるような重さだけが感想として残っていた。
 今度のこの作品も、多くの賞を受賞しているだけに、興味はあったが、きっとまた同じような暗くて重い作品だろうと2014年の上映時は観にいかなかった。

 ストーリーは、函館の一瞬の夏を舞台にした愛の物語である。貧困な家庭、半身不随で寝た切りの父親とパチンコ好きの母親。仮釈放の身ながらも人懐っこい弟。そしてその家庭を支えようと、自分の体も売り物にしていく姉。その姉に惹かれて行く心に傷を持つ主人公・・・・。

 案の定、これでもかというような底辺の生活の生々しい情景設定の中で展開され、救われない人達を見ているのが辛くなるような閉塞感と陰鬱感が漂う作品だった。
 そんな底辺の生活の中でも必死に生きて行く、そんな2人に光が射した描写で、最後のシーンで少しは救われた感じだった。

 不器用にしか生きられない人達のそれでも日々生きる様が痛くも愛おしい。しかし、理解はできるが、あまりにも自分の世界とはかけ離れているためか、共感はできない感じだった。

 なお、ロケ地でもっとも多く出てくるのが、主人公が惹かれる姉の家族が住むバラックの家がある、対岸に函館山を望む北斗市東浜の海と砂浜だった。あとは、啄木小公園と大森浜、本町エリアの飲食街、山上大神宮、津軽屋食堂など。暗い設定のせいか、函館の魅力ともいえる観光地などはほとんど登場していない。

「自分史」について考える

2019年08月30日 | 自分史

 先日、ある知人から「坂口さんの人生って面白そうだから、自分史を書いてみたら?」と言われた。おだてられるとすぐその気になる悪い癖で、それをきっかけに、「自分史とはなんぞや?どんなメリットがあるのか?」などと考えるようになった。

 最近、確かに「終活」ブームと相まって、「自分史」という言葉をよく見聞きするようになった。また、それに関する本も多く出版されている。自分史を書いて自費出版したり、ブログで発信している人が増えているらしい。実際に、元同職の先輩数人からそのような出版物をいただいたこともある。

 自分がこの20年以上に渡って発信してきたホームページ『一人歩きの北海道山紀行』やほぼ毎日更新しているこのブログ『癌春(がんばる)日記』だって、ある意味、この20数年間の日記でもあり、自分史のようなものである。また、一昨年出版することができた拙著『ほっかいどう山楽紀行』や新聞への連載だって、登山という窓から見た自分史でもあると思っている。

 検索してみると、ネット上でも、「自分史」に関する記事も非常に多く見つかる。非常に難しく書かれているものもあれば、好きなことを好きなように書けば良い的な安易なものもある。

 そんな中、自分が納得できたことを整理して並べると、下記の5点である。

1、「自分史」を書くのは、基本的に自分のためではあるが、書く以上は読み手を意識しなくてはいけない。
2、子どものころから現在にいたるまでの自分の歴史をあらためて振り返ることで、自分の人生を客観的に把握することができる。
3、これまでに関わって来た周囲の人との絆を実感したり、生きる意味を再認識したりして、「今後の生き方」や「やりたいこと」が見えてくる。
4、年をとってから過去を思い出す作業は、脳の活性化という点でも悪いことではない。
5、タイムスリップを楽しむことこそが、自分史を作る醍醐味である。

 自分が取り組むとすれば、そのモチベーションを持続できる一番の原動力は、5番の「タイムスリップを楽しむこと」になりそうだ。しかし、出版物などという大それたことは考えていない。手段は、毎日の読者の実数が1000名を超える(感謝!)このブログである。
 これまでに散々自分をさらけ出していて、今更隠すこともあるまい・・・しかも、ヒマな時に書きためておいて、ネタがないときに小出しにする・・・。


 大人になってからの自分しか知らない人や、拙サイトを通して出会った人からは「坂口さんって、子どもの頃から万能で、ガキ大将だったのではないですか?挫折なんか味わったことなんかないでしょう!」などと良く言われる。

 ところが、どっこい! 子どもころは体が非常に小さくて(高校入学時の身長148cm、体重37kg)、小中学校時代は体育の成績が最も悪く劣等感の塊りのような子供だった。
 周りは農家ばかりで、「配給米や麦めしを喰っている奴は、勉強はできるが体が小さくて力がない」などと言われたりもした。「勉強なんかできなくても良い、背が大きくなりたい、運動ができるようになりたい」といつも思っていた。

 今のように自分が何かを仕切るなどということはなくて、いつも(当時の良い意味での)ガキ大将の後ろにくっついて歩いていた「その他大勢」に属する子供だった。

 そのような子供が、どうして今のような、座右の銘を「挑戦と感謝」などと謳い、自信過剰気味で、苦労知らずのようなノー天気な人間になったのか・・・それを振り返るだけでも面白そうだ。
 ずっと変わっていないのは、子どものころいつも通信簿に書かれていた「落ち着きがない、おっちょこちょい」である。それすら、今は自分の長所として生かして生きているつもりである・・・?

 さてと、これから、どんなことを、どのように書くか考えなくてはならない。それがある程度見通せたら、書くことを楽しみながら、ネタ切れのときに小出しにしていくつもりである。あくまでも自己満足の世界なので、期待しないでいただきたい。

函館文化会・市民公開講座「湯の川温泉いまむかし」

2019年08月29日 | イベント鑑賞・参加





会場となった、湯倉神社拝殿(右奥)


講演の前に行われた、参加者の健康を祈願するお祓い

 一般社団法人函館文化会主催の市民公開講座が、湯川町の湯倉神社を会場に開催された。
 演題は「湯の川温泉いまむかし」で、講師は「湯の川の原住民」を名乗る元湯川町1丁目町会会長・村山信夫氏。参加者は70名ほどだった。元同職等の知り合いが非常に多かった。

 内容のレジュメの大項目だけ並べると、下記の通り。
1、「湯の川温泉」のあらまし
2、いにしえの「湯の川村」の様子
3、「湯の川村」のなりたち
4、函館・湯の川間のアクセス
5、湯の川商店街・旅館街などと行事
6、忘れられない災害と出来事
7、今後の湯の川の発展と課題

 数多くの古い写真を基に、詳しい説明やいろいろエピソード等が話されるので、時間があっという間に過ぎてしまった。

 最初の写真がトップ画像の「松浦武四郎が来た頃の南部屋」だった。当時の湯の川村は人家が20軒、宿はこの南部屋1軒のみ、主な仕事は昆布漁だったらしい。この宿には武四郎も泊っている。
 当時の湯の川村までの道だが、本道は亀田経由で、副道が現在の漁火通りの2本だったようだ。
 温泉は昔から湧いていた言い伝えはあるが、史実に基づく湯の川温泉の発祥は1653年で、松前藩の殿様が幼少期にここの湯に入って病が治ったので、翌年鰐口と金の薬師尊像が奉納されて湯倉神社が創建されたことに始まると言われている。

 明治31年の東川町からの馬車鉄道開通、大正2年の路面電車の開通に伴い、温泉観光地として急速に発展した。それ以降の懐かしい名前の温泉宿やその様子、旅館街や商店街などの写真をたくさん見せていただいた。子どもころの微かな思い出を蘇らせてくれるものもあった。


講演終了後、宮司さんの案内で、境内を見学した


社殿の説明。創建は360年以上前だが、この建物は1941年(昭和16年)造営。


御神木のイチイ~湯川一の古木で、樹齢は約370年。


なでうさぎ(神兎)~神話「因幡の白うさぎ」に因み、創建360年を記念し御神前に設置された。


豊受稲荷神社~御鎮座の経緯や時期の詳細は不明だが、古くから湯の川地区の篤い信仰を集めている。


日吉神社~以前は日吉町4丁目にあったが、道路の拡張工事でここへ移設された。
明治初期に大阪から50人が入植して開拓に当たった際に、滋賀県大津の比叡山「日吉大社」の分霊を祀った。
場所を貸しているだけで、管理は湯倉神社ではなく、氏子が自分たちで行っているという。


湯川温泉発祥之地碑~湯倉神社前の東角にある。昭和22年に湯川倶楽部によって建造。


そのそばに生える「湯倉の大銀杏」~樹齢220年で、境内一の大木

プラタナスの脱皮

2019年08月28日 | 花・紅葉だより

我が家の前の車道のプラタナスの街路樹

 この度この記事を書くに当たって、いろいろ調べていたら、この木の和名はスズカケ(鈴懸)だったことが、この歳になって初めて分かった。正確にはモミジハスズカケというらしい。

 「スズカケ」と言えば、子供のころに良く耳にしていた灰田勝彦の「鈴懸の徑」という歌を思い出す。その後、多くの歌手がカバーしている ♪友と語らんスズカケノ道、通いなれたる学び舎の窓♪ で始まる歌である。
 このスズカケがまさか毎日目にしているプラタナスと同じものだったなんて・・・というより、鈴懸の木を知らなかったといった方が正しいのだが・・・。

 函館市内の高木の街路樹で一番多いのがこのプラタナスで、2番目がナナカマドとのこと。4年ほど前にも一度このブログで触れたが、秋になると、その大きな枯れ葉が風で飛んで来て、我が家の前にたくさん散らかって大変である。その上、毎年大がかりな枝の剪定作業が行われ、非常に費用も掛るやっかいな街路樹だと思っていた。
 ところが、「プラタナスは、あっというまに大きな葉をびっしりと繁らせるし、この木が一番、二酸化炭素(CO2)や車の排ガスを吸収し、酸素(O2)を放出するので、世界でもっとも多い街路樹」なのだそうだ。


 今回興味を持ったのは、この迷彩色の木肌のことである。毎日目にしているのに、その変化にも気付かず、最近になって「なぜ、このような模様になるのか?」と思って調べてみた。

 これは、春にはぶ厚い皮に覆われていて、夏になるとどんどんはがれて、このような模様になるらしい。はがれたばかりのところはクリーム色で、薄い灰緑、濃い灰緑のところはその前に剥がれたところである。秋を迎えるころになると、このようなきれいな迷彩色になるそうだ。



確かに、夏の暑いころに、このような光景を良く目にする(他サイトから借用)。

 これを目にしても、なんの疑問も持たなかった。チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」と叱られそうである。

 調べてみたら、コルク層という組織・・・などという難しい言葉が出てくるが、要は、樹が太く成長していくと、表皮には分裂して成長する能力はないので、引き裂かれ、破れてしまうということらしい。

 確かに、このように脱皮する木といえば、良く山で目にするシラカバやダケカンバをすぐに思い出す。これらも同じ現象だったのだ。多かれ少なかれ、気付かないだけで、多くの木は脱皮をするらしい。
 マツなどは、古い樹皮と新しい樹皮は断絶せず、古くて直系の狭い部分はひび割れるだけになるため、鱗のような木肌となるとのこと・・・。

今シーズン最後の横津連峰の花々

2019年08月27日 | 花・紅葉だより
 昨日の自宅からの袴腰岳~烏帽子岳~横津岳~自宅のトレイルウォークでカメラに収めた花々。
 すでに秋の気配を漂わせ、これが今シーズン最後の花々であろう。


エゾトリカブト(蝦夷鳥兜)


ホソバトリカブト(細葉鳥兜)


アキノキリンソウ(秋の麒麟草)(コガネギク)(黄金菊)


ヨツバヒヨドリ(四葉鵯)


終わりかけのチシマアザミ(千島薊)にとまるクジャクチョウ。アサギマダラもいたが逃げられた


稜線で最も多くにするエゾノオヤマノリンドウ(蝦夷御山竜胆)


ハナイカリ(花錨)


シラタマノキ(白玉の木)


雲井沼に咲くスイレン(睡蓮)~もともとはなかったので、誰かが持ちこんで植えたのだろう。


アラゲハンゴンソウ(粗毛反魂草)~北アメリカ原産の帰化植物


横津岳への道路の路肩を覆うアラゲハンゴンソウ


ウツボグサ(靫草)


ナガボノシロワレモコソウ (長穂白吾木香)


フランスギク(仏蘭西菊)~マーガレットとは違う。ヨ-ロッパ原産で江戸末期観賞用に持ち込まれた


巨大なエゾニュウ(蝦夷にゅう) ~和名の「ニュウ」はアイヌ語に由来する。


すでに紅葉を始めているタカネザクラ(高嶺桜)

 昨夜は、さすがに疲れて、12時間も爆睡した。しかし、足には疲れはあるが、筋肉痛はない。

自宅から袴腰岳~横津岳周回トレイルウォーク(46.5km・11時間)

2019年08月26日 | 登山・旅行

GPSトラックログを基にしたコース図

 このコースはトレイルランナーたちが良くトレーニングに使うコースである。予てからいつかは歩いてみたいと思っていたコースである。2年前にトライしたが、赤川林道の橋の架け替工事で、途中から戻って赤沼探訪に転進した経緯がある。

 5:00スタート、16:00ゴール。涼しいくらいの天候に恵まれて、距離46.5km、標高差1150mを11時間を踏破することができた。歩数計約7万歩。

途中経過

5:45、赤川IC手前から、この後縦走する横津連峰を望む。


6;45、中野ダム公園 8.9km 標高213m


7:05、中野ダムから烏帽子岳を望む


8:05、アメダス登山口、14.4km 標高519m。入口は薮。
ここから林道に抜けるまでが整備されていないので一番厄介だった。


8:25、登山道を横切る植栽地。ここで迷って植栽地の中を登ってしまう人が多い。
ここはピンクテープを頼りに斜めに横切る。


8:40、第二登山口 15.9km 標高519m


9:25、三角山 18.1km 標高889m。この辺りから上空が雲で覆われて涼しかった。


10:00、1000m肩から袴腰岳を見上げる。


10:10、袴腰岳 19.9km 標高1108m


袴腰岳から函館市街地を見下ろす。


10:20、袴腰岳北峰の下りから烏帽子岳(左)~横津岳~駒ケ岳(右)を望む。
この下のコル付近が時間的には中間地点。


10:40、烏帽子岳、21.3km 標高1078m。
この手前でNa女史を初めとする函館マウンテンクラブの4名と出会う。


11:20、袴腰岳分岐から横津岳を望む。この辺りが距離的に中間地点。


11:25、横津岳神社


11:25、雲井沼


11:40、横津岳頂上 24.2km 標高1167m。


12:10、横津岳登山口 26.7km 標高960m。


12:30、旧横津岳スキー場下。リフト鉄塔の除去作業をしていた。


14:25、大川IC 38.6km 標高100m。ここから函館新道の側道を歩く。


15:00、函館新道出口 42.0km 標高50m。
この後が疲れが出て辛かった。16:00ゴールを目指してラストスパート。
16:00、自宅 46.5km 11時間ジャストでゴール。歩数計7万歩。

 積年の念願を果たすことができた。気温が低かったのが幸いした。稜線は寒いくらいだった。汗もほとんど掻かず、水は1.5㍑持ったが1㍑で間に合った。

過去の横津岳・烏帽子岳・袴腰岳の山行記録は下記でどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com/yoko-haka-index.htm


なお、道中カメラに収めた「今シーズン最後の横津連峰の花々」は、翌日夕方にアップします。

函館山花散策

2019年08月25日 | 花・紅葉だより

啄木小公園からの朝日を浴びる函館山

 ようやく好天になった昨日と今日は沢登りのお誘いを受けていたが、沢登りはどうしても腕を上げる場面が多い。肩の治療中なので自粛し、今日は北海道マラソン中継でも観てのんびりしようと思っていた。 
 しかし、朝早く起きたら、広がっていた爽やかな青空がもったいないので函館山へ。カメラ片手に初秋の花や木の実狙いで、旧登山道~千畳敷コース~汐見山コースと回って、道マラが始まる前に帰宅した。


モミジガサ(紅葉笠)~春は山菜(シドケ)として食べられる


オクトリカブト(奥鳥兜)
エゾトリカブトの次に毒性が強い。奥の由来は陸奥に多いことから。


クサコアカソ(草小赤麻)


ナンテンハギ(南天萩)


すでに初秋の訪れを感じさせるススキ(薄)


ホタルサイコ(蛍柴胡)


千畳敷コースから見下ろす寒川海岸と海峡を挟んだ下北半島(左)と津軽半島(右)


オオカメノキ(大亀の木)の実~別名ムシカリ(虫狩)


ノブドウ(野葡萄)


オオウバユリ(大姥百合)の実


サルナシ(猿梨)の実~果実はコクワと呼ばれる。


マユミ(真弓)の実~このあと赤くなり割れて中から赤い種が下がる。

これらのほかにまだまだ多くの花が咲いていた。

9月末で閉店の「パスタリア」

2019年08月24日 | 食べ物

 函館のスパゲッティ屋さんで最も美味しい店と評判の高かった本町交番裏のパスタリアが9月30日で閉店するという。
 昭和58年にオープンした老舗人気店だったが、37年間の歴史に幕を閉じるという。
 昔から名前は良く聞いていたが、実は一度も入ったことがなかった。何度か行っている妻に誘われて初訪問となった。

 最近は、閉店の噂を聞きつけた人々で連日物凄い混んでいるらしい。昨夕の空いていそうな17時過ぎに行ったのにもかかわらず、すぐに満席になり、待っている人もいた。昼や18時過ぎになるともっと並ぶらしい。


 「人気店なのに、なぜ?」との思いで入ったら、噂は本当だった。理由は聞けなかった。


 カウンターに座ったが、調理の様子が実に良く見える。右側の蓋のされた大きな釜?でパスタを茹でて、右上の棚に上がっている大きな笊でお湯を切る様は、洋食屋さんのイメージではなくダイナミックで面白かった。その笊からとり分けて次々と1人分ずつ完成していく3人の連係プレーも見事で、見ごたえがあった。


パスタリアグリーンサラダ。2人で分けて食べても十分な量だった。


自分が注文した醤油味の「海の幸」の大盛り


妻が注文した一番人気の「タラコとウニ」

 評判に違わず、どちらも本当に美味しかった。これまで食べたスパゲッティでは一番かもしれない。妻は「閉店までにもう一度来よう」と話していた。このような店が消えて行くのは本当にもったいない感じである。
 昔からピザはアリタリア、スパゲッティはパスタリアと覚えていたが、どちらも消えてしまうことになる。

忘れられた映画「ひろしま」

2019年08月23日 | 読書・映画

 この映画「ひろしま」は、去る8月10日のETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」が、NHK Eテレで放送されて、初めて知った映画だった。それが、8月16日の深夜にEテレで放映されたので録画しておいた。
 
 まず、この「ひろしま」は日教組(日本教職員組合)の独立プロ作品だということに驚いた。次に驚いたのが、原爆の投下から8年後に製作されたということと、8万8千人もの広島市民が撮影に参加したということである。

 長田新編『原爆の子―広島の少年少女のうったえ』を八木保太郎が脚色し、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』の関川秀雄監督が映画化した反戦ドラマである。

 ベルリン国際映画祭で長編劇映画賞を獲得するなど国際的にも高い評価を受けた。しかし、日本では映画配給会社が「反米的だ」ということで嫌がったため、上映が拒否され、大規模に公開することができず、ほぼお蔵入りに近い形になって、その存在は忘れ去られていたそうだ。

 これまでいろいろな広島原爆の映画等を見て来たが、これほどリアルで衝撃的な映像は初めてだった。それもそのはず、映画の脚本は、被爆した当事者達の手記を基に作られている。また、出演している人の多くが、被爆した人々だそうだ。被爆した衣類やがれきを持ち寄りもした。実際の映像も使用されており、原子爆弾の恐怖や広島の惨状、市民の苦しみが、原爆症に苦しむ高校生の姿を通して描かれている。

 出演したのは岡田英次、月丘夢路、神田隆、山田五十鈴、加藤嘉、利根はる恵ら。監督の関川秀雄は映画製作の7年前に広島に原爆が投下された直後の地獄絵図の映像化に勢力を注ぎ、百数カットに及ぶ撮影を費やして、克明に阿鼻叫喚の原爆被災現場における救援所や太田川の惨状などの修羅場を再現したという。そして被爆者たちのその後の苦しみを描いている。

 詳しいストーリーは省くが、広島原爆の衝撃と惨状、その後の苦しみ等をリアルに知る貴重な作品であることは間違いない。
 TSUTAYAでもレンタルのDVDを扱っているようだし、amazonでもDVDを扱っている。

肩の痛みの治療 & 甲子園決勝戦

2019年08月22日 | 大腸癌以外の検診・健康関係

 過去に右肩の腱板損傷や変形性肩関節症の既往症があり、右肩はまっすぐ上まで上がらないし、時折痛みが発生してきた。その都度、かかりつけの五稜郭整骨院で治療をしては、何とか過ごしてきた。
 
 今回は、8/8の朝起きたら痛みが出ていた。数日で痛みがなくなることもあるので、様子を見ながら旅へ出た。しかし、角度や捻りなどによって痛みがあり、良くなることはなかった。それでも不自由はなかったので、うまく付き合いながら過ごしていた。

 しかし、今朝がた2時頃にトイレに起きたら、上腕骨前面の夜間痛が強くて眠ることができなかった。この夜間痛は肩の痛みには付き物で、腱板損傷のときに良く起きた症状だった。

 そこで、我慢できずに、肩では5年振りくらいだが、五稜郭整骨院へ出掛けた。肩の周りから首や背中にかけて強い筋肉のしこりがあるという。これが夜間痛の引き金になっいるのではないかとのこと。思い当たるのは、3日前にダブルポールで登り下りした羊蹄山である。

 患部を冷やしながら背中から遠赤外線で温めたあと、電気を掛け、その後の調整マッサージで上半身の筋肉のしこりを丁寧にほぐしてもらった。最後にWAという機械で血行を良くするという上半身の振動によるマッサージを受けた。
 首周りや肩周りが非常に楽になった。湿布はかぶれが治っていないので止めてもらった。かぶれが治ったらテーピングをしてくれると言う。

 明日から、痛みがなくなるまで当分の間治療に通うつもりである。

◎甲子園決勝戦

 令和元年の甲子園の決勝は、ここまで自責点ゼロという今大会随一の好投手奥川を擁した石川の星稜高校と、これまですべての試合で2桁安打を放ってきた大阪の履正社高校の対決となった。
 
 7回には3対3の同点となり決勝戦らしい接戦となった。どちらも勝てば初優勝だったが、昨年も大阪の桐蔭高校が優勝したので、北陸の星稜に勝たせたかった。しかし、最後は打力で勝る履正社が5対3で逃げ切った。

 今年は投球数の問題、暑さ対策など今後の課題を新たにした大会だった。北海道の2校はともに1点差の惜敗だったが、1回戦で消えてしまったのが残念だった。

五稜郭兵糧庫公開

2019年08月21日 | イベント鑑賞・参加

五稜郭築造当時からの現存する唯一の建物「兵糧庫」~昭和47,48年と平成13,14年に復旧整備


兵糧庫(土蔵)の移り変わり

 五稜郭築造当時の図面には「土蔵」となっている。1871年(明治4年)の明治政府による解体を免れた貴重な建物である。明治6年以降は陸軍省所轄になる。

 1913年(大正2年)、五稜郭は函館区に無料貸与となり、翌年から公園として一般公開される。大正6年からはこの兵糧庫は松山藩出身の片山楽天が「懐旧館」の名称で箱館戦争の資料館として開設。(後に閉鎖)
 そのころの写真は板張りになっているが、当初は土蔵造りだったことが判明し、昭和47,48年に解体・組立工事を実施し、当初の土蔵造りに復旧整備。平成13,14年には元来付属していたとされる庇屋(下屋)についての遺構確認発掘調査くを行い、庇屋(下屋)を含む現在の姿に復元された。

 ここ数年、毎年8/1~8/31のひと月間だけ一般公開される。中は五稜郭に関する資料展示館となっている。



中は2部屋となっている。上が北側の部屋で、下が南側の部屋


五稜郭築造当時の鳥瞰図(当時の図面等から想像して描いたもの)


五稜郭に関する諸資料の展示

五稜郭からの出土生活用品







五稜郭出土の建築用材


明治新政府軍艦「朝陽」の竜骨の一部


五稜郭内の上水道跡木樋(当時亀田川から水を引いて敷地内の建物に上水道が敷かれていた)


亀田川から水を引いていた上水道木樋


箱館戦争後に発見された大砲


五稜郭築造当時の旧橋(一の橋、二の橋)の敷板・橋脚
昭和55年、56年の一の橋、二の橋の復元工事の際、堀底から発見された


上掲の立面模式図


南側の出口

夏の終わりに?本日オープンの「麺屋 彩辛」の担々麺

2019年08月20日 | 食べ物
 

今後1週間の天気予報と気温

 昨夕から急に涼しくなり、部屋を締め切っても心地よく眠ることができた。今日以降の函館の最高気温を見ても、一気に下がり22℃前後で推移するような気配だ。これで、暑かった夏も終わりを告げるのだろうか?ただ、天気も良くないのが残念だ。


 今朝の新聞によると、近くの桐花通りの富岡町に、坦々麺専門店「麺屋 彩辛」が本日オープンするらしい。
 今日と明日に限り、オープン記念価格で、500円だという。


以前、「とんかつ和」があったところである。
そこで、早速訪問をしてみた。開店時間より少し遅れて行ったら、満席で第1陣の退席待ちとなった。


メニューは「坦々麺」(800円)と「汁なし坦々麺」(750円)の2種類。
さらに、ラーの辛さ(唐辛子)とマーの辛さ(山椒)の2種類。
今回は最初なので無難な所で、2人とも坦々麺のラーの辛さの小辛、無料のライスを注文。


麺は中太麺のストレート麺で、汁にカシューナッツが入っているのがオリジナルのようだ。
ひき肉もたくさん入っていて、小辛だったが、舌先が少しビリビリするほど山椒の辛さが強い。
いろいろ研究しての開店のようで、その成果が表れているようで、とても美味しかった。


最後に、ライスに残った汁をかけて食べてみた。ひき肉とカシューナッツが効いて美味しかった。
次回は、汁なし坦々麺(好きな太麺)のマーの辛さ(山椒)を食べてみたい。

 涼しかったせいで、汗もかくことなく、夏も終わったかな?との思いで店をあとにした。

オノエリンドウ狙いの羊蹄山(京極コース+お鉢回り)

2019年08月19日 | 登山・旅行

北海道では羊蹄山でしか見られないオノエリンドウ(花の大きさ6~7mm程度、丈5cmほど)


GPSトラックログ

 これで20回目の羊蹄山である。羊蹄山は日帰り圏内でもっとも登りごたえのある山である。体力診断を兼ねて、今後も最低1年に1回は登り続けたい山である。雪の春山スキー登山以外は、花の6月と紅葉の9月が圧倒的に多い。暑い時の8月はこれで2回目である。
 
 今回は、北海道ではこの山でしか目にできないオノエリンドウとまだ1回しか回っていないお鉢周り(父釜)がメインの計画である。旧避難小屋付近に最も多いオノエリンドウとお鉢回りだけなら、真狩コースがもっとも効率的である。しかし、京極コースを往復した。それは、京極コースはこれまで一番少なかったからである(往復1回、喜茂別コースへの縦走で登り1回、8の字縦走の下り1回)。なお、春山スキーで1度往復している。

 暑そうなので、涼しいうちにと思ったが、寝坊して目が覚めたのが5時だった。1時間の遅れだった。
 これまで一人歩きのときは、どのコースでも登りは4時間を超えたことがなかったが、75歳にしてついに4時間を5分だけオーバーしてしまった。それでもこのコースの標準時間は4時間30分である。まだ余裕がある・・・?
 このコースを初めて登った1995年9月は2時間50分で登っているし、2回目の2008年9月は3時間だった。今回は加齢もあるが、前の2回に比べて暑かったこともあろう。気温はそれほどでもなかったが、湿気が多く、過去にないほどの大量の汗を掻いた。


 5:40登山口発。手前のガスは10分も歩いたら抜けてしまっていた。


1合目付近までは登山道の両側の伐栽地にトドマツを植栽していた。
3合目までは斜度も緩く、1合15ペースで、わずか45分だった。
しかし、その後は斜度がきつくなり、1合ごとの時間は30分前後のペースになった。
全く展望もなく、黙々と急登を進むだけだった。


登山道沿いに最も多かったヤマハハコ


8合目を越えてようやく目にできた眼下の展望


多く目に付いたエゾオヤマノリンドウ。ほかの花はほとんど終わって、すっかり秋の気配だった。


8.5合目でガレ場となる。


9合目から頂稜を見上げる


同じ場所で後ろを振り返る。


9:55、4時間05分で頂上到着。20分ほど休んで、9:15、お鉢回りへ。

◎お鉢回り
このお鉢を回るのは1992年以来27年ぶりである。当時よりコースも明瞭になっていた。


頂上から続く岩稜を進む。


岩稜に咲くイワベンケイ


ウラジロイワタデの果実


10:55、40分で真狩下山口へ到着。この後の登り返しが辛い。


真狩下山口から火口越しに頂上(中央ピーク)を眺める。


イワギキョウ


11:05、オノエリンドウが最も多く見られる旧避難小屋に到着。この土台の中に数十株があった。
外側にはほとんどないところをみると、この避難小屋の撤去後にここに生えたとしか思われない。

<オノエリンドウ>~本当に小さな花なので、良く探さなくては気付かない。


もっとも大きな株


父釜と母釜の間の登山道沿いでも数株目にできた。


父釜と母釜の間のヒラフコース分岐下の花畑。この中に入って探すとまだまだありそう。


アキノキリンソウ(コガネギク)の群生


コケモモの実

オノエリンドウ探しと撮影タイムを入れて、1時間45分で京極コース下山口に到着。

下山


12:00ちょうど、京極コース下山口から頂稜とお別れし、下山開始。

14:30、2時間30分(頂上からなら+10分)で登山口到着。ちなみに標準時間は3時間30分である。
スタートが5:50だったので、頂上での休憩時間も入れて、総所要時間は8時間40分。
持参した水はポカリスエット900ml、ふきだし公園の水1㍑。ちょうど良い量だった。


道々66号の喜茂別町と真狩村の境界付近から眺める均整のとれた羊蹄山


留寿都村へ向かう道々66号沿いの真狩村の黄色い百合ロード

真狩温泉は定休日だったので、ルスツ温泉(65歳以上200円)に入って、19:00に帰宅。

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孫たちとの再会 & 京極ふきだし公園

2019年08月18日 | 日常生活・つぶやき


左から孫1号~3号

 函館は7月がお盆なので、こちらの両親と妻の実家の墓参りをする。8月のお盆は札幌にいる長男・長女の家族と義母が、亡妻の実家の菩提寺に集まって、亡妻と義父の墓参りをして、ホテルのレストランで昼食会を開くのが恒例となっている。ここ数年は、孫たちとの再会の場にもなっている。


長男のところの孫1号(1年生)と孫3号(4歳)


長女のところの孫2号(6歳)


昼食会会場プレミアムホテル中島公園の最上階の和乃八窓庵から中島公園を見下ろす。


子供たちのセット。大人は和食のコース料理


 当初は日帰りするつもりだったが、明日は好天予報で明後日以降はしばらく悪天候が続きそうである。そこで、明日は羊蹄山(京極コース)に登って帰ることにした。

◎京極ふきだし公園




ふきだしの滝


上の池


下の池


展望台への階段


展望台からふきだし公園や京極町市街地を見下ろす。


京極温泉の裏から眺める羊蹄山

このあと、京極温泉に入り、夕食を摂り、道の駅でどこでもホテル。

台風の後のひまわり畑ほか

2019年08月17日 | 花・紅葉だより

 昨夜、台風10号崩れの温帯低気圧が去って行った。外出のついでに、今年は観に行っていなかった大沼の「ひまわりの山里」がどうなっているか足を延ばしてみた。
 倒れてはいなかったが、南側から風が吹いたようで、すべてがあっちゃ向いてホイの状態で残念だった。
 
 ちなみに、この「ひまわりの山里」は、バス会社大沼交通と地元農家が、大沼の新たな観光スポットをつくろうと整備したもので、毎年の30万本のひまわりが咲き誇っている。


中には抵抗して?別方向を向いているものもあった。


2年前の同じひまわりの山里の画像

 最近のひまわりは、ひまわり畑でしか目にすることができなくなっている。それも、昔に比べて可愛い小さな花がほとんどである。


昔よく目にした巨大ひまわり(他サイトから借用)

 昔のひまわりはよく家の庭に植えられていて、太い幹で2~3mも伸びてその上に30cmもの大きな花を付けて、その種を採るものがほとんどだったのだが・・・。

◎車の修理完了
 連休に入る前の8/7に車のマフラーが壊れて、爆音を上げるようになったのと、エアコンのモーターが回ったり回らなかったりの不安定な状態になったので修理に出した。しかし、会社もお盆休みに入るので、修理できるのは連休明けとのことで代車を貸してもらった。

 その代車(日産ノート)でも、7泊8日(1泊は旅館)の車中泊旅行を計画通りに実行することができた。自分は助手席を倒して腰の所にクッションを詰めてなんとか苦にすることなく寝ることができた。妻は3泊だけだったが、運転席との間に荷物や大きなクッションを詰めて後部座席で器用に寝ていた。むしろ、一番熟睡できなかったのが、なぜか天売島で唯一宿に泊まったときだった・・・。
 小さい車で窮屈だったが、ハイブリット車だったので、燃費が良く、ガソリン代が半分くらいで済んだのは助かった。

 修理は、マフラーのフロントエキゾーストチューブの交換とブロアファンモーター&ファンコントロールアンプの交換だった。マフラーの部品は中古品を使ってくれたので、だいぶ安く済んだようだ。