癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

カレーとコーヒーの店「カンペシーノ」

2014年07月31日 | 食べ物

 妻の仕事が午前中で終わったので、いろいろなブログで評判の厚沢部町鶉(旧清和小学校隣)にあるカレーとコーヒーの店「カンペシーノ」に行ってきた。オープンして3年目だそうだ。


 「カンペシーノ」とは「田舎人」を意味するスペイン語とのこと。オーナーはもと航海士で、退職後に田舎暮らしをしたくて、ここに、この店を2年半かけて手作りで建てたそうだ。廃校になった厚沢部高校の解体時に譲り受けた木材も利用しているとのこと。階段はその高校のものだそうだ。見た感じ体育館のステージへの階段かな?

 インド風スパイスカレーとタンドールという石窯で焼いたナンやチキンが特徴らしい。


一番人気らしい「カンペシーノプレート」(ナンにご飯とキーマカレー、簡単なサラダと焼いた鶏肉の塊が2つ)


「チキンカレー」(地元の野菜と焼いた鶏肉が4つ)~もちもちのナンがとても美味しかった

 
ミニサラダ         素材の仕入れ先が書かれた黒板


2階から1階を見下ろす(他サイトから借用)


ベランダのテーブルと裏庭のヤギ



帰路ついでに、北斗市の八郎沼のスイレン(ヒツジグサ)目的で立ち寄ってみた。年々スイレンの面積が増えているような気がする。

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松の実 ささやか展

2014年07月31日 | イベント鑑賞・参加

 同職だった女性たちの退職後の楽しみや余暇を生かした趣味の交流展「第2回 松の実 ささやか展」の招待状をいただいていたので、オープン日の今日、表敬鑑賞に出掛けてきた。

 このような芸術的なことにはまったく縁もセンスもない自分ではあるが、それぞれの退職後の生きがいを見つけて頑張っていることはとてもうれしいことである。

 会場は、ネッツトヨタ美原店2階で、期間は7/31(木)~8/4(月)10:00~17:00

   

  

  

 
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函館港先端部までのジョギング

2014年07月30日 | ジョギング・ラン・ウオーキング

ともえ大橋から眺める函館市国際水産・海洋総合研究センターとおしょろ丸(右側)

 6/20に見学会に参加している函館とつくの奥に開設された「函館市国際水産・海洋総合研究センター」という長ったらしい名前の研究施設までジョギングで往復してきた。距離は15kmほどだった。


函館市国際水産・海洋総合研究センター
 
 行き先の目的は、センターの岸壁に係留している5代目となる北大水産学部の練習船「おしょろ丸」の新造船とセンター内の水槽でのマイカの飼育展示である。車で行っても良かったが、距離的にジョギングのコースにも良さそうなので9:00にスタートし、いつものともえ大橋コースから港湾沿いの道路を走った。



 北大水産学部の練習船「おしょろ丸」の新造船がこの22日に、函館港に入港し、この研究センターの岸壁に係留している。31年間活躍し、引退する4代目おしょろ丸(1396トン)の後継船。三井造船玉野事業所(岡山県玉野市)で建造され、全長約78メートル、幅約13メートル、1598トン。学生60人が乗船できるらしい。 
 なお、8月2日には、船内見学会が予定されている。



 前回の見学会のときにはホッケが泳いでいた道内最大規模の水槽では、研究用のスルメイカ(マイカ)370匹とえさになるカタクチイワシが泳いでいた。
 370匹のマイカは、水槽の上部の両側から流れ込む海水?の方へ分かれて固まっていた。


水槽の真ん中を我が物顔で泳いでいたのはえさになるカタクチイワシだった

 マイカの生きた展示の群れは珍しいという。北大大学院の研究者が孵化から産卵までの「マイカの一生」を研究するらしい。昨日のTVや今日の新聞でも報じられていたこともあり、たくさんの市民が押し寄せていた。

 帰りは、気温も上がり、ふくらはぎに痛みが出て、走ったり歩いたりになってしまった。
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ピリカスキー場存続へ

2014年07月29日 | スキー・クロカン

 数日前の新聞に出ていたが、今金ピリカスキー場がとりあえず民間による委託経営と形ながら存続することになった。

 業者は、昨シーズンから噂になっていた小樽の「スノークルーズ・オーンズ」を一昨年から経営している会社だった。スキー場の下にある温泉宿泊施設の「クアプラザ・ピリカ」のセットということらしい。

 とりあえず4シーズンという形のようだ。町としては、その間に経営が好転すれば、施設売却や譲渡へと持っていきたいようだ。スキー場としては、とても良いスキー場だが、何しろ都市部からは遠いし、周辺町村の人口減少も進んでいる。どんな秘策があるのか・・・?  

 ここ数年、我が函館スキー指導員会でも資格返上者が増えている。会員数が600名に至るまでは右肩上がりだったが、それ以降は右肩下がりで、毎年新取得者はいるにもかかわらず、現在は510名ほどにまで減って来ている。これは全国・全道的な傾向だが、せっかく指導員の資格を取っても、スキー場の閉鎖などによって、指導する場がなくなってきていることが大きな原因だ。

 このピリカスキー場にもピリカスキー学校がある。今金町や周辺町村の指導員の活動の場となっている。取りあえず「良かった~」というのが実感である。                                            

  
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勝田のざる豆腐と100円野菜

2014年07月28日 | 食べ物

 国道5号線の旧道にある七飯町大川の勝田商店は手作り豆腐の有名店だ。その中でも「勝田のざる豆腐」と言えば函館市民なら知らない人はいないくらいのブランド名になっている。手土産にいただいたことが2度もあるほどだし、いろいろな料理屋やホテルでも使っているほどだ。また、札幌方面からわざわざ買いに来る人もいるという。

 
 今日、旧道を車で通った際に、看板を目にして急に思いついて寄った。妻が初めてという青大豆のざる豆腐を選んで買った。あとで分かったが、月曜日にこの青大豆、金曜日に黒大豆のざる豆腐が店頭に並ぶらしい。

 540円と少し高目で、二人で食べるには多い感じだったが、早速夕食に一気に味わった。非常に甘くて美味しいことに驚いた・・・改めて、「恐るべし、勝田のざる豆腐!」を実感した。 


 また、この旧道の大中山付近には、農家の野菜直売店が多い。その中で最近人気でいつも混んでいる直売店がある。今日買った上掲の野菜はすべて100円だった・・・すごいお得感に妻が大喜び。
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第123回箱館歴史散歩の会「古地図で巡る明治の函館」

2014年07月27日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 明治15年発行の古地図「函館真景」には、明治11, 12年の両大火後に稀な都市設計で整備された坂、道路、山の麓の教会や洋館等が鮮やかな彩色で描かれている。特に函館湾岸沿いに描かれている税関、桟橋、居留地、運河、倉庫や造船所は夫々の機能を発揮し、その後の函館発展に大きく貢献した。
 今日は、この湾岸沿いの埋め立て地部分を中心に、古地図に記載されている建物跡地を巡り、主宰の中尾さんが用意してくれた当時の建物の写真と説明で、当時の函館の繁栄の様子に想いを馳せた。

<コース>: 栄国橋 → トムソン造船所跡 → 常備倉跡 → 三菱倉庫跡 → 東浜桟橋 → 凾館税関跡 → 外国人居留地跡 → 辻造船所跡 → 沖の口番所跡 → 島野造船所跡 → 厳島神社 → 弁天岬砲台跡

★函館の埋め立て地について
 函館は土地が狭かったこと、港が浅かったことから浚渫をしてその土砂で埋め立てて、港湾部分を広げ、港湾機能を充実させていくことは江戸時代から主に商人の手で行われてきた。おおよそ、今の電車道路から海側はほとんど埋め立て地と言っても過言ではないとのこと。


現在の銀座通りの入口・・・古地図には願乗寺川と繋がる掘割と、ここに「栄国橋」と記載されている



電車通りをはさんだ向かい側に設置されている「明治5年ごろの願乗寺川と蓬莱町掘割図の案内板」


現在の国際ホテル前の道路・・・ここも埋め立て地で、我々が背にしているところセブンイレブンの辺りの古地図には、「公立病院」と記載されている。明治11年建設の第一公立病院で、当時の「公立」は財界人の寄付に市のお金を足して建てられたもの。「官立」は開拓使が建てたもの。この病院は、のちに民間に払い下げられ「豊川病院」となった。


古地図によると「氷庫」と記載されているところ(現在のニチレイの場所)・・・当時は五稜郭の堀で氷を作り、ここに運んで、船で横浜などへ運んでいた。「函館氷」「五稜郭氷」のブランドで国内トップクラスの品質だった。
この隣に「外国造船所」と記載されているが、これはトムソン造船所で、西洋型の帆船の技術をリードした。


古地図で「常備庫」と記載されているところ(現在のラビスタベイの場所)・・・明治6年~8年にかけて4棟の官営倉庫が建てられた。その後民間へ払い下げられて安田倉庫となった。そのレンガの壁が、現在のラビスタベイの外壁として利用されている。


三菱倉庫(BAY)と七財橋・・・三菱の自社倉庫だった。このレンガの積み方はフランス積み。
七財橋は当時の財界人石川七財(石川七左衛門)の名前による。


金森倉庫・・・明治20年以降なので古地図には載っていない。こちらは貸倉庫で、レンガの積み方はイギリス積み。一番函館山寄りの倉庫は東本願寺と同じころの鉄筋コンクリート造り。

現在の海上自衛隊の敷地は、古地図には「税関」と記載されている。明治5年から昭和43年までは「函館税関」で、その前身は「箱館運上所」だった。


古地図に「外国人居留地」と記載されているところ・・・現在の緑の島の橋の東側で、その居留地造成のために埋め立てられた場所だった。外国人には評判が悪く、結局、町中に雑居することになり、函館独特の西洋文化の形成に大きな役割を果たした。


古地図には「造船所」と記載されている。函館4大造船所の「辻造船所」だった。現在の小熊倉庫の敷地。


古地図には「船改所」と記載されている現在の函館市臨海研究所の敷地。北前船から税金を取る役所「沖の口場所」だった。その後、水上警察署~西警察署となった場所。


古地図には「造船所」と記載されている場所。明治8年建設の島野造船所だった。


現在の厳島神社で、その函館どっく側に、古地図には「砲台」と書かれている「弁天岬台場」があった。この台場は五稜郭と並行して造られて同じ1864年竣工。どちらも武田斐三郎の設計。
その台場の西側に「弁天」と記載されている神社が、現在の厳島神社の場所に移り、名前も変わった。

★今回は珍しく初めて妻も参加したが、目的は終わった後の元町に昨年オープンした「まんまる月夜」のおにぎりランチだったらしい。
 
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イザベラバードのフットパス(門別~平取15km)

2014年07月26日 | 登山・旅行

天気予報が良くないので山は諦めて、「イザベラ・バードの道を辿る沙流川流域(門別町・平取町)フットパス」(15km)を歩いた。

明治11年に英国のイザベラ・バードは横浜から東北地方を経て、函館・森・室蘭・白老を巡り、佐留太(現在の門別町富川)から目的地である奥地の平取のアイヌ部落へ向かっている。その旅行記が昨年読んだ『日本奥地紀行』である。

このフットパスは、その門別町(現日高町)富川から平取町本町(義経神社)までのコースである。沙流川流域に広がる牧場風景・水田・トマトハウスなどの豊かな農村風景を楽しみながら歩くことができた。しかし、『日本奥地紀行』によると、当時はまだ暗い森林の中に続く細い道だったようだ。

ワンウェイなので、戻るバスの時間を昨日のうちに平取まで行って調べたら平取発が13:00だった。それに合わせてゴール後の平取での昼食時間も考えて、7:00にスタートした。
沙流川の堤防や町道や農道などを繋ぎ、最後は自然遊歩道の歩きだった。

ゆっくり歩いたつもりだが、ゴールの平取義経神社下にはちょうど11:00に着いた。時間があるので、義経神社と義経資料館を見て、義経公園の展望台へ登ってバス停に下りてきたら12:00だった。昼食を摂り、バスに乗ってスタート地点へ戻った。


初めの4kmほどは、道路の両側に広い牧場が続く


イザべラバードが舟で渡った沙流川の紫雲古津大橋


平取町の水田風景と道内一のトマト生産地の温室群


自然遊歩道


ゴールの義経神社前


昼食に食べた平取の「ニシパの恋人ランチ」(名産の平取トマト、びらとり牛のハンバーグ、ひらとり黒豚のカツなど)


詳しくは、下記ホームページでどうぞ!
http://sakag.web.fc2.com (アップ完了)
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楽古岳途中撤退

2014年07月25日 | 登山・旅行
《戻った地点から谷を挟んだ頂上へ繋がる尾根と滝を望む》


朝から山の方には低く分厚い雲。目指す楽古岳は見えない。しかし、山の予報は良いので回復を期待して楽古山荘前(画像)をゆっくり目の8:00にスタート。小屋に泊まった先行者が一人。

1時間15分ほどで2合目を越える。その上で尾根の上の方が見えたが、相変わらずの黒いガスで回復の見込みはなさそう。もう2回登っているし、今回の目的は写真である。無理しても展望はなさそうなので撤退することにした。

○浦河ウロウロ

JRA日高育成牧場の入口


明治41年建設の日高育成牧場メモリアルホール(旧事日高種畜牧場事務所)


広い牧場の馬の親子


明治13年建設された「赤心社記念館」。赤心社は北海道開拓を目的に神戸で設立された団体で浦河町の荻伏に入植した。


クリスチャンの開拓団赤心社の信仰の拠点となった「元浦河教会」



日高昆布の天日乾燥と取り込み風景

☆明日は、今日より天気が良くなさそうだし、全道的な「煙霧」の影響で山の展望は期待できそうもない。
山は止めて、門別から平取までのイザベラバードのフットパス15kmを歩くことにした。
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小花井山&幌萌山

2014年07月24日 | 登山・旅行
この山名だけを見てどこの山か分かる人は、かなりマニアックな方だ。
静狩峠を越えて豊浦町へ下って行くと、正面に見えてくるアンテナを林立させている山が小花井山で、その後に見える、山頂にウィンザーホテルを乗せている山が幌萌山だ。

明日と明後日の天気予報に期待して、南日高の楽古岳と神威岳の写真撮り山行を目的にやって来た。その途中に立ち寄った山である。この後、珍名に惹かれて有珠山の外輪山の貯金山も狙ったが、薮が酷くて頂上手前500mでギブアップした。

○小花井山(おばないやま)(418m)
豊浦市街地の後ろのアンテナ山である。距離か1650mのNTT管理道路を歩いて登った。


途中から見える海岸線と豊浦の畑地がきれいだった。昆布岳~ニセコ~羊蹄山も見えたが、頂上に雲が絡んですっきりしなかった。


頂上には三等三角点(点名・東小金井)があるはずだが、施錠された鉄柵で囲まれたアンテナ敷地の中で入ることができなかった。奥の方には開発局などのアンテナもあった。

往復1時間。

○幌萌山(ポロモイ山)(642m)


2009年のサミット会場になったウィンザーホテルが建つ山だが、今回初めて一等三角点(点名・幌内山)の山だと知って立ち寄った。

ホテルの駐車場からホテルとゴルフ場の間の道を10分ほど歩くと、奥に山頂標識が立つ展望台になっていた。


サミットの首脳たちが記念写真を撮ったテラスからは洞爺湖が見える。

○貯金山(三等三角点名(243m)
地図上には頂上まで道が記載されていたが、背丈を超えるほどの薮が酷くて途中撤退。山が近くなったら、道の痕跡すら見当たらず。残雪期にリベンジ予定。

下山後、伊達温泉で汚れを落とし、室蘭のHYML仲間が経営するなかよしラーメン工大前店で昼食を食べ、浦河まで走った。

明日は、楽古岳の予定だが、日高山脈は濃い雲で覆われたままだ。

その後、明日の予定の楽古岳
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今年初のロングジョグ(17km)

2014年07月22日 | ジョギング・ラン・ウオーキング

 先週1週間で、日・月・木・金と4日間それぞれ10kmを走っていたので、今日は、距離を延ばして走ろうと思ってゆっくりペースでスタート。


 いつもの巴大橋コースから~谷地頭~漁火通り~競輪場通り~旧戸井線(富岡本通線)と廻って家まで戻った。帰宅後地図上で測定したら、17.3kmほどあった。


 信号待ちとトイレ休憩以外は歩くことなくなんとか走り通すことができた。時間は正味1時間50分ほどだったので、6分30秒/kmペースということになる。これから函館ハーフまで2ヶ月以上ある。この調子で、山旅の合間を利用して、なんとか6分/kmで21kmを走れるようにするつもりだ。

 
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30数年ぶりの奥尻島(2日目)

2014年07月21日 | 登山・旅行

日の出のタイミングのなべつる岩をカメラに収めたかったので、4時に起きて出掛けた。


狩場山塊の上の雲間からの日の出をゲット


予想通りイカ刺しがメインの朝食。ウニの塩辛も。
この後、軽四のレンタカーを借りて、島内を一周ドライブ

まず向かったところは21年前の北海道南西沖地震で一番大きな被害を出した青苗地区
 
きれいに修復された青苗港   港のそばにある緊急避難用高台 人工地盤「望海橋」


奥尻島津波館

以前これと同じ写真をネット上で見たときに「奥尻 島津旅館」と読み違えて、恥ずかしい思いをしたことがある
展示も素晴らしいが、実際に震災を経験している説明員の案内が非常に臨場感があって良かった


時空翔・・・北海道南西沖地震で犠牲となった方々の慰霊碑

中央のくぼみは震源となった南西沖を向き、震災のあった7月12日にくぼみに太陽が沈む。「心と海と翼」を表現しており、下部の傷は波しぶきを表現している。壁には犠牲となった198名の名前が刻まれ、天皇陛下の歌と、奥尻島出身の詩人 麻生直子氏の詩が刻まれた石版がある。


震災で全滅した青苗岬先端一帯・・現在は徳洋記念緑地公園となり、津波館や時空翔などがある

 
津波で倒れなかった徳洋記念塔  津波の高さを示す表示板   


群来岬の手前から無縁島と海岸線を望む

西海岸に連なる奇岩
 
ホヤ岩(手前)と無縁島    モッ立岩(下ネタの伝説あり、元々の名はイチモツ立岩だったらしい)
 
神威岩(カブト岩)      屏風岩


流政之製作の8基のモニュメントがある北追岬公園


島内最高峰・一等三角点の神威山(584.5m)・・・航空自衛隊の基地になっている
許可申請が必要で、書類のやり取りに1週間ほどを要するので、今回は間に合わなかった

  
展望公園になっている球島山への階段    ここにも一等三角点


バックに奥尻港となべつる岩が見える


最北端の稲穂岬灯台


稲穂岬の食事処さくらばなでの昼食・・・手前はイカのすりみ汁定食


稲穂岬の賽ノ河原


宮津弁天宮

島内をゆったりと一周し、16:05発のフェリーに乗る。18:15江差到着。
2日間ともよい天気に恵まれ、海の色の美しさが印象に残った。


5月からあと2日後まで江差に長期出張に来ている帯広の山仲間若葉さんと ラッキーピエロ江差店で楽しい2時間のお喋りの後、帰路に就いた
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30数年振りの奥尻島(1日目)

2014年07月20日 | 登山・旅行

<なべつる岩の前で>

自分は30数年振り、妻は初めての奥尻島。昨年の夏に来るつもりだったが、宿が取れなくて、今年へ延ばしていた。


9:30江差発のフェリーに乗る。奥尻島をバックに。

 
11:10、うにまるとその後ろに写っている民宿の車に迎えられた奥尻島到着



まずは、迎えの車で民宿清運丸へ。漁師が経営している民宿で料理も一番良いらしい。
奥尻の民宿では一番収容人数が多く、10室とも満室だった。


 宿で一休みして、なべつる岩へ。その後、狭い市街地の中を歩いて回り、海岸線の道路をぶらぶら歩きながら南下し、うにまる公園へ。


 うにまるモニュメント


 同じ公園の中にある佐藤義則野球展示館へ


佐藤義則野球展示館の中をじっくり見学


うにまる公園からなべつる岩と奥尻港方面の海岸線を望む


 
宿へ戻り、時間つぶしに一人でフットパス「奥尻の森と街のコース」の森の道へ 「調理師の森」は果樹園だった

 

北海道南西沖地震復興20周年追悼植樹祭の森  北海道では珍しい孟宗竹林



楽しみだった夕食
 
予想以上の量のウニとアワビに大満足。
 
このほかにタコとソイの刺身とサクラガイの酒蒸し



食後、腹ごなしにライトアップされたなべつる岩を見に行って、1日目は終わった。
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第122回箱館歴史散歩の会「幸坂と千歳坂巡り」

2014年07月18日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
久しぶりに箱館歴史散歩の会に参加した。今回は、「幸坂と千歳坂巡り」だった。

 「幸坂」は明治8年に坂下の海岸を埋め立て幸町としたことからこの名が付き、西部地区では2番目に長く、また勾配の急な坂である。「千歳坂」の東側に神社がありここに松の木があったので、千歳の松に因んでこの名が付いたそうだ。上下和洋折哀の住宅や昔懐かしい大黒商店街、初代函館病院等を巡り、大正湯や旧ロシア領事館にも入館した。



 いつものように10:00に函館市地域交流まちづくリセンターに集合し、簡単な説明を受けてから、旧桟橋~ミートハウス他和洋折衷住宅~大黒通り商店街~旧高龍寺跡~大正湯~初代箱館病院跡~船見公園~山上大神宮~旧ロシア領事館と巡った。



 旧桟橋と呼ばれる「東浜町桟橋」は、明治4年から函館港における唯一の旅客乗降場所として利用が開始されている。本州から北海道に渡る移住者や旅行者が、はじめて北海道に上陸する場所が、この桟橋だった。当時、函館港はまだ水深が浅く、船舶は直接陸地に着くことが出来なかった。そのため、本船を沖に停泊させ、旅客はしけなどで、桟橋や船揚場などに乗降していた。


 この旧桟橋の根元にある「函館市道路元標」・・・ここが大正9年(1920年)、国道4号線が認定され北海道における道路の基点として建てられた標石。昭和27年(1952年)に、駅前から札幌へ向かう道路が国道5号線となり、この元標は役目を終えた。往時を語る貴重な資料である。ちなみに、現在の国道5号、278号、279号の3路線の起点となる「函館市国道元標」は、函館駅前にある。


西部地区のあちこちで見られるもっとも函館らしい建物「和洋折衷住宅」
1階が和風で2階が洋風。共通なのは、2階の外壁がペンキ塗りで縦長の窓、しかし、内部は和風(擬洋風)。
開港後、洋風建築技術を身に付けた大工が、当時財力のあった海産商を中心に店舗や住宅にこの様式を勧めたらしい。


長い間西部地区の中心で歓楽街でもあった「大黒町商店街」



現在も営業を続けている「大正湯」・・・創業は1914年(大正3年)と古く、現在の建物になったのが1927年(昭和2年)。西部地区に多く見られる洋風建築風の外観が印象的で、古いながらも当時のモダンさが偲ばれる外観。函館市の景観形成指定建築物にも選定されている。ピンク色にしたのは終戦後直ぐだそうだ。 
2009年の9月に入浴している。内部の様子もどうぞ!


「初代函館病跡地」・・・1861年に建立。箱館戦争のときに幕府軍も政府軍も分け隔てなく怪我の治療をした高松凌雲が有名


明治11年開校の公立常盤小学校跡地<現船見公園>

                                                              

山上大神宮・・・現在の旧西消防署弥生出張所付近にあった箱館神明社が現地に移転。
坂本龍馬のまたいとこで、ここの宮司になった沢辺琢磨の数奇な人生が面白い


旧ロシア領事館・・・ドイツ人の設計で1906年(明治39年)に完成したが、翌年明治40年の大火で全焼し、翌年元通り再建した(現在の建物)。日本に唯一残る帝政ロシア時代の領事館の建物。
1965年(昭和40年)「函館市立道南青年の家」として1996年(平成8年)まで利用。

 今年度から、保存活用を目的に、市内建築士で構成される「ハコダテ☆ものづくりフォーラム」が主催し,旧ロシア領事館をテーマとする「国際設計コンペ」がスタートしている。8月23日(日)に、市民参加の公開コンペが中央図書館で開催される予定。


玄関ホールと2階への階段


当時のまま残っている食堂
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ストック回収(大千軒岳銀座の沢)

2014年07月16日 | 登山・旅行

リングを引っかけた状態で回収を待っていたストック

 5/10に雪渓の詰まった銀座の沢から大千軒岳に登り、下山の際に、雪渓を踏み抜いて滝の下に落ちた。
 そのときに、片方のストックは雪面に落ちていたが、もう片方は一緒に川に中に落ちた。這い上がる方に気を取られ、ざっと暗い中で捜したが見つけられなかった。Fuさんの形見のストックなので、雪が解けたら回収に来ようと下山を続けた。

 6/22に回収を兼ねて再訪したが、小滝が連続する状況にスパイク長靴では無理な感じだった。次の機会に沢靴持参で出直すことにして、頂上を目指した。

 今日は、ストック回収だけを目的に向かった。沢靴を持参したので、せっかくなら、砂防ダムの先から始まる広川原までのアップダウンのきつい高巻きの登山道をパスし、ずっと川の中を往復することにして、最初から沢登りスタイルでスタート。


セバットも水量が少なく難なく通過。
この後も、とくに緊張するような場面もなく、涼しく歩くことができた。


1ヶ所だけ深い釜があったが、左から巻く。
水量の少ないこの時期なら、長靴でも十分歩ける感じだった。


いつもは1時間は要する広川原まで、45分で汗も掻かずに到着。
この先は、川のそばに続く登山道をスタスタ歩く。

 
すでに瑠璃色の実を付けていたサンカヨウ  今がピークのヤマアジサイ


1時間10分で金山番所に到着。
千軒金山で働いていたキリシタン106人が処刑された場所とされている。
毎年、ここで、7月最終日曜日に巡礼ミサが行われている。


さらに20分ほどで、登山道と離れて銀座の沢へ。
踏み抜いたところはここから200mくらいの距離だったと思う。
沢の中を捜しながら小滝が連続する沢を登っていく。
そろそろかな?と思ったところで、リングを引っかけた状態のストックが目に飛び込んできた。


踏み抜いて落ちた滝を探して1段上へ遡ると、分流が垂直に落ちている滝があった。
感じからして、ここに違いない。しかし、落ちたとき下から見上げた雪渓の穴までは3m以上あったはず。
右の岩が雪の上には出ていなかったので、その岩の上から滝の方へ落ちたのかもしれない。
しかし、脱出するときに、木の枝に掴まった記憶もあるので、左側の岩の上からだったかも知れない?


さらに3段ほど上へ遡ってみた。7mほどの2条の滝にぶち当たった。
直登は無理な感じだが、高巻くことはできそうだ。急な沢なので、この上にもまだ多くの滝がありそうだ。
単独行なので無理しないで、ここで戻ることにした。
沢登りは仲間がいた方が絶対に楽しいし安心だ。次の楽しみに取っておこう。


今日のGPSトラックログ




帰りに、地元の老人たちが栽培から手打ちまで行っている「千軒そば」を食べた。
10割そばだが、数年前に食べたときの方が美味かったような気がする。


67日ぶりに2本そろったストック
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齊藤さんの慰霊プレート&報告書

2014年07月15日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

 2月24日に北斗市の毛無山~設計山の縦走中に行方を絶ち、4月7日に遺体で発見された齋藤浩敏さんの慰霊プレートを発注した。

 捜索に関わった仲間と相談して、遺体発見現場に慰霊碑か慰霊プレートを建てたようということになっていた。そこまでの「慰霊の道」の開削作業も終えている。

 石の多いところなら、ケルンを積んでそれにプレートを填めたいところだが、林の中の斜面でそれは叶わなかった。いろいろ相談した結果、プレートを作って単管2本で立てるしかないだろうということになった。当初は手彫りや手書きを考えたが、齋藤浩敏さんの氏名の画数が多く、それは難しい・・・ならば、業者に依頼するしかない。

 仕事の関係で標識や看板製作業者に詳しいChiさんが掛けあってくれて、画像のような案が示された。傾斜地で火山灰の多いところなので相談したら、地中の根入れ部分にX 型根枷(ねかせ)を大きく付けてくれるとのことになった。

 遺族からいただいた謝礼で十分間に合うので、先週発注した。なんとかお盆前には設置でき、遺族を案内できればと考えている。

 また、現在、「齋藤浩敏さん捜索活動報告書」(仮称)の発行の準備もしている。
 内容的には、拙ブログに掲載し続けた捜索活動経過を編集し直し、捜索に関わった方々の感想や想いなどを付け加えて、さらに、慰霊プレート設置作業や遺族の案内等の内容も入れて、8月中には発刊したいと考えている。なお予算の関係で、手作りで印刷・製本の予定である。

 今日の午前中に、捜索活動に協力してくれた方々への原稿依頼を、メールや郵送でお願いする作業を終えた。

 午後からは、当時のブログ内容をワード文書にコピペし、報告集用に編集し直す作業に取り組んだ。
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