癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

昔懐かしい田植え餅

2019年05月31日 | 食べ物

 子供のころ、旧大野町(現北斗市)で育ったが、周りはほとんどが水田農家だった。今と違って、すべて手作業だった当時の田植えは子供も重要な労働力だった。
 この時期になると、学校も1週間~10日間ほどの田植え休みがあった。自分の家は農家ではなかったので、あちこちの友達の家の田植えを手伝ったものだ。

 作業には必ず午後3時ごろに小昼(こびる)という休憩時間があった。そのときに、どこの家でも直径10cmほどもある5個セットの田植え餅(大福餅)が振る舞われたものである。1個食べたら腹一杯になり、残りは持ち帰ったが、子ども心にそれが一番の楽しみだった。5個のうち、どの家でも必ずよもぎ餅(草大福)が1個入っていた。

 ふと思い出して、ネットで検索してみたら、北斗市本町の金丸菓子舗で、昔懐かしの田植え餅の草大福を季節限定で扱っているという。
 子どもの頃は屋号の「カネスンさん」が通称で、店の前は毎日の通学路だった。朝のうちに電話を入れたら、予約が多いとのことで、その場で5個セット(950円)を注文し、車を走らせた。


 道路拡幅工事で、新しい店になっていたが、昔と同じ場所にあった。この付近の子どもの頃の店では唯一残っている店だ。
 明治40年創業で道南で2番目に古い歴史を持つお菓子屋さんとのこと。ちなみに道南で1番古いお菓子屋さんは茂辺地にある一福さんで、こちらより2年古いらしい。

 店に入ったら、5個セットの予約の包みがたくさん積まれていた。人気ですぐに売れ切れてしまうらしい。一気に7セットも買って行った客もいた。豆大福との「ミックス」もあるらしいが、すでに売れ切れていた。注文の少ないときは、どちらも1個200円でばら売りもしているらしい。。

 購入後、60年ぶりに拝顔した10歳近く年上の女将さんに名前を名乗り、子どもの頃の話をしたら覚えてくれていた。しかも、子供のころ見ていた女将さんと同じ顔をしたお嬢さんが函館市内で自分と同職にあったこともあり、お嬢さんからも聞いていたらしく、新聞の連載記事を楽しみに読んでくださっていたという。




 子供のころから「うす皮」と呼んでいた、懐かしい経木(きょうぎ)に包まれていた。


 中から現れた5個の「草大福」(950円)・・・よもぎが手に入る5/10から2ヶ月間ほどの限定販売らしい。


子供のころの田植え餅よりはひと回り小さい直径8cm。

 女将さんも、「昔の田植え餅はもっと大きかったよね。これでもお客さんから大きいと言われるんですよ」とのこと。

 帰宅後、早速、ひと口食べてみた。懐かしい歯ごたえとあっさり目の甘さ、さらには、繊維も残っている新鮮なよもぎの味が美味しい。
 昔の田植え餅には、豆大福はなかったはずだが、今度ミックスで求めてみようと思う。


 帰りに撮った田植えがすでに終わっている田んぼ。これも懐かしい光景だ。

HPの目次やページの再構成

2019年05月30日 | PC・HP・ブログ

 このブログの親サイトである「一人歩きの北海道山紀行」のINDEXの項目やページの分割や新設をし、項目の掲載場所の入れ替えを行った。

 ページの分割は、これまで「日本三百名山&道外の山紀行」を「日本三百名山紀行」と「三百名山以外の道外の山紀行」に分けた。

「歩き旅・フットパス・旧山道紀行」のページを、「道外の旧街道・古道歩き紀行」と「道内フットパス・旧山道紀行」に分けた。

 また、ページの新設では、すでに完登している「日本3000m超峰・21座登頂記録」を設けた。さらに、数えてみたら現在52座を踏破している「東北百名山紀行」のページを新設し、今後できれば完登を目指したいと考えた。
 北海道内の山は何度も登っている山が増えて、登行意欲が減退している。その点、知らない土地の山旅は新鮮である。登山のついでに観光も楽しめる。そこで、東北百名山踏破を考えてみた次第。

 中途半端な内容だった「北海道の山名の由来」のページは削除した。

 なお、項目の掲載位置だが、左側には、主に北海道を舞台とした内容を、右側には、道外や海外ほかを中心とした内容に整理した。

 一昨日のブログに取り上げた児玉さんの本に、私のことを「デジタリアン登山家」という表現があった。それは、開設以来20年を経過したこのホームページが由来となっている。
 
 私が山の世界で有名になったのは、登山そのものの実績よりは、このホームページの存在が大きい。当時は、北海道内の山名を検索すると、必ずと言っていいほどトップにこのホームページがヒットしたものである。山の情報がほしい人たちにとっては、非常に役に立ったらしい。
 そのころ、『北海道夏山ガイド』の執筆陣から、「坂口さんのホームページのせいで、自分たちの本が売れなくなった」とさえ言われたこともあった。

せたな町の薮山低山2座「(鵜泊)丸山 &(北桧山)丸山」

2019年05月29日 | 登山・旅行
 道南全山219座完登まであと5座を残していた。今日はそのうちせたな町の薮山低山の(鵜泊)丸山と(北桧山)丸山を登って来た。どちらも楽勝の薮山だった。ただし、どちらもまったく展望のない山だった。

◎(鵜泊)丸山(334m)
 丸山はたくさんある。この山は鵜泊漁港の上の高台にある鵜泊団地の裏に聳える山なので、(鵜泊)丸山とした。
 3月に下見をしておいた団地の上の南端から延びる林道を300mほど車で進み、水道施設の建物があるところが尾根の取り付きなので、そこから北西尾根を往復した。


鵜泊団地の南端の林道入口から望む丸山


GPSトラックログ
登りは尾根をまっすぐ登れるが、下りは登りのGPSトラックログに合わせて軌道修正しながら右往左往して下った。


林道の最高地点にあった水道施設の建物?
その向かい側の尾根に取り付いた。GPSで測ったら頂上まで直線距離で1kmだった。


下の方は薄い薮で、全く苦にすることなく登ることができた。


しかし、250mを超えると、ネマガリダケが出てくる。密度はそれほど濃くないのが幸いである。


やがて、人工林が現れて、その縁に廃道化した林道が現れた。それは頂上の方へ向かっている。
しかし、頂上の下を通過しているので、少し戻ったら、頂上方向へ向かう作業道跡の分岐があった。
そちらへ進んだら頂上のすぐ横を通過していた。


三角点のない頂上なので、木にテープをぶら下げて記念撮影。


すぐそばに枝を広げたブナ?の大木があった。

 下山時に、廃道化した林道がどこから上がって来ているのか気になった。しかし、カーブして反対方向へ向かっていたので、諦めて、登りのログを頼りに薮に入った。

 枯れた笹の茎が鼻の中に入り、鼻血が出た。目の保護は透明のサングラスをしているが、鼻はどうにもならない。


下山してきたら、車のそばにタニウツギが咲いていた

登り 10:50スタート~11:50頂上<1時間> 下り 頂上12:00~12:50ゴール<50分>

◎(北桧山)丸山(103.7m)
 この山は、現在の地図には山名は載っていない。しかし、『日本山名事典』(三省堂)にも載っていて、故齋藤浩敏さんの道南全山219座にも、故児玉保則さんの北海道全山1594山にもカウントされている。昔はきっと地図に載っていたのだろう。山名は載っていないが、その山の北側の集落には丸山という地名は載っている。
 当初は標高しか分からず、地図上のどこにあるのかなかなか探せなかった。うぐい沼(浮島公園)から南東1.3km地点に位置するピークだった。

 地図上には北側の丸山集落の奥から源頭部を巻くように長い林道が点線で記載されている。しかも、それは頂上を通過している。それを辿ると3.5kmもある。
 林会長は、積雪期に南側の尾根から登頂したと聞いていたので、自分も3月に下見をしておいた。その時に尾根の末端から作業道のようなものがあることが分かっていた。


 自分が登った方からはその丸山は見えないので、下山後、愛知の方へ回り、丸山集落からその姿を確認して帰路に就いた。


GPSトラックログ
 
 林会長から聞いていた、国道229号の若松トンネル手前の栄石端から東に入る道路を走り、南尾根の末端の人家の前から尾根に取り付いて往復した。ほとんど、薮に覆われた作業道歩きで楽勝だった。


人家の右の尾根が南尾根の末端である。


 人家の車庫の裏に細い丸太橋が架かっていた。そこが作業道の取り付きだった。
 GPSで測ったら、頂上まで直線距離で600mほどだった。この山に登るには最短距離である。


 作業道跡の分岐。行きははっきりしている下を進み、帰りはずっと尾根を下ってきたら、上の道に出た。


下の方はこんなはっきりした道だったが、途中ではっきりしなくなった。
その後、細い尾根に取り付いて、南尾根を狙った。


南尾根に出たら、古い作業道が続いていたので、それを辿った。
頂上が近くなると、だんだん薮が濃くなったが、道の痕跡ははっきりしていた。


 やがて、フキで覆われた幅の広い林道跡に出た。これが北側の丸山集落から続いている林道である。
 その林道は頂上へ続いているので、右側へ進んだ。


そろそろ頂上だろうとGPSで確認しようと思ったら、道端に立つ三角点が目に飛び込んできた。
このような林道の縁にある三角点は非常に珍しいケースだ。三等三角点(点名・丸山)だった。

 下りは、最後まで尾根の上の作業道跡を辿ったが、途中で分からなくなり、そのまま薄い薮を下ったら、スタート地点のすぐ上の作業道に出た。


人家を見下ろすとまもなくゴール。

登り 13:30スタート~14:00頂上<30分>、下り 頂上14:05~14:30<25分>


 帰りに寄ったうぐい沼(浮島公園)


◎残りの3座について
 あと残りは、奥尻島の神威山と勝澗山、せたな町太田の天狗岳である。
 奥尻島最高峰の神威山は、航空自衛隊の基地の中にあるので、勝手に入ることができない。しかし、申し込めば一等三角点を見る(写す)だけなら許可してもらえると聞いていたので、5月中旬に電話してみた。
 その電話では、5月中旬から6月中旬は、大規模な演習等があるので、それ以降にしてほしいと言われた。そこで、6月20日に設定し、航空自衛隊第29警戒隊のホームページの最後の「お知らせ(問い合わせ)」のページに掲載されている「基地見学等許可申請書」に記入して郵送した。数日前に許可の電話をいただいている。
 勝澗山も簡単に登れそうな薮山なのでそのときに登る予定である。


 219座完登ゴールの山に設定した(太田)天狗岳。すでに同行申し込みがあるので、今のところ、奥尻の後の日曜日6月23日の予定である。この山は、非常に急なので、冬より掴まるもののある夏の方が怖くなさそうだ・・・?

『ついにやった!前人未到の1594山・北海道「Ko玉の全山登頂記』~発刊!

2019年05月28日 | 登山・旅行

<表紙の写真は、最後の1594座目となった2016年8月6日の長官山登頂時>
著者:児玉保則 編集;Ko玉さんの山を讃える仲間 発行者:西條 寧。
制作協力:北海道新聞社事業局出版センター B5版227ページ。定価:1,500+税
登山・アウトドア用品の(株)秀岳荘(白石店、北大店、旭川店)、紀伊國屋札幌本店、函館・三省堂書店(川原町)で発売中。

 鶴首していた本がようやく発刊され、著者の3回忌命日(2019年5月29日)に発売されることになった。
 この本は、このブログにも何度か登場している今は亡きKo玉さんこと児玉保則さんの存命中の原稿と彼の山行記録ノートを基に、西條さんを中心とした「Ko玉さんの山を讃える仲間」が編集したものである。ちなみに、Ko玉は児玉さんが生前使用していたネット上のハンドルネームである。

 児玉さんは、前人未到の北海道全山1594座完登という快挙のわずか9ヶ月後に尿管がんで還らぬ人となった。この本の発刊は、西條さんがその偉業を記録として残そうと、その入院中に持ちかけて2人の共同作業での編集が始まったのである。何とか彼の存命中に発刊しようと、大急ぎで原稿を揃え、依頼原稿も集めて、おおよその体裁が整ったところで彼は逝ってしまった。
 だから、この本の「はじめに」、「発刊によせて」、「著者あとがき」は、平成29年3月~5月になっているし、拙筆も含めて「山仲間からの投稿」も彼の存命中のものが掲載されている。

 それから2年後の発刊となったのは、「児玉さんの存命中に間に合わなかったのなら、もっと時間を掛けて立派なものしよう」と 西條さんを中心とした「Ko玉さんの山を讃える仲間」の編集スタッフが、ある程度揃っていた原稿(特に児玉さんの山行記を中心に)に加除修正等の手を加え、校正に校正を重ねた結果である。

 昨日、西條さんからこの本が直接送られてきた。早速に手にとってページをめくってみた。表紙の写真になっている長官山には、札幌での会議と重なって立ち会えなかったが、その夜に開かれた祝賀会には駆け付けることができた。その祝賀会が生前の彼に会った最後である。(入院中に見舞いに行くことになっていたが、そのときは、彼の体調が悪くて実現できなかった)

 目次の構成は、転勤族だった彼の赴任地ごとに、その間に登った山の中から彼の印象に残った山を抜粋した登頂記録文が掲載されている。章項目だけ書き出すと、下記のようになっている。

 第1章・網走へ転勤、第2章・札幌へ戻る、第3章・名寄へ転勤、第4章・名寄から再び札幌へ戻る、第5章・函館への単身赴任、 第6章・再び札幌へ戻る(3回目)、第7章・目標を「北海道全山登頂へ」、第8章・北海道脊梁線の縦走(襟裳岬~宗谷岬)、第9章・北海道全山登頂達成 第10章・全山登頂を振り返って、・山仲間からの投稿、・北海道全山登頂一覧表  

 圧巻は、最後の方に31ページにわたって掲載されている「北海道全山登頂一覧表」である。掲載順は山名の五十音順だが、登頂年月日を初め、参加メンバーの名前も載っている。凄いのは、地形図に名前が記載されている山以外に、通称のある山や、私が冗談で言った函館山の名前のある13のピークにも登っていて、それも1594山の中に入っていた。

 私に関わることだけをピックアップすると、秀岳荘社長の「発刊によせて」には、私のことも紹介されていて、聞いていなかっただけに驚くとともに非常に光栄に感じる。

 第5章の「函館への単身赴任」の「函館での生活のスタート」では、私とのことが詳しく書かれている。その章の中で、2人で登った「赤岳」の登頂記録文が掲載されているし、同行できなかったが「健康八流」にも私が登場している。
 そのほかに、第2章には、彼と初顔合わせとなった平成16年の「ポンネアンチシ山~余別岳」が載っている。彼とはそれ以来13年間のお付き合いだった。第6章には、やはり一緒に登った「夕張中岳・小天狗」が、第7章には、彼の500m以上全山登頂に立ちあった「中尾山」も載っている。p174の祝賀会の写真のど真ん中に私も写っていた。

 山仲間からの投稿では、彼からの希望で寄せた「土砂降りの大滝山~初神山」の拙文が載っている。

 「北海道全山登頂一覧表」の参加メンバーから自分の名前を拾ってみたら、強烈な薮山が多く印象の強い山ばかりだったので、もっと多く登っていると思っていたが、わずか26山だった。
 そのほかに、参考WEBサイトにも、拙サイト名が載っている。光栄なことである。

 自分がこれまで登っている北海道の山はまだ721山である。彼の半分にも満たない。しかし、現在、道南全山219座完登まであと5座を残すだけとなっている。これは、彼が全部登った山である。せめて道南だけでも彼の後塵を拝したいと考えている。

 西條さんからは「児玉さんの偉業を偲ぶ会は必ず開催しますので、ぜひとも参加してください」と連絡をいただいているので、その日を楽しみにしている。 

網戸の張り替え

2019年05月27日 | 日常生活・つぶやき

 昨日から急に真夏の暑さになり、窓を開けて過ごしたくなった。ところが、3階の南側の3枚の網戸がボロボロになっていた。なぜか同じ南側なのに2階の網戸はしっかりしているし、南側以外の網戸は2階も3階も大丈夫である。3階の南側が風当たりが強いからなのであろうか?

 張り替えを業者に頼むとかなり高いようだ。妻にネットで検索するとやり方が出ているよと言われて、「網戸の外し方」「網戸の張り替えの方法」で検索したら、出てくる出てくる・・・。実は、妻が数年前にベランダの上の小さな天窓の網戸を自分で張り替えていたのだった。今回は、自分がやらなくては・・・と腹を決める。

 そこで、3階部分の3枚と、2階部分の1枚の張り替えに挑戦。それが上手く出来たら、2階の居間のベランダの大きな網戸も次にやろうと考えた。

 

 3階の和室の南側のボロボロになっている網戸(左)。
 まずは、網戸を外すところから始まる。ネットで調べた通り、上の両側の外れ止めのネジを緩めて下げると簡単に外すことができた。

 

 車庫にビニールシートを敷いて作業の準備をする(左)
 まずは、網押さえゴムの端を引出し、ゴムを引っ張りだして網を外す(右)
 この後、溝の汚れをブラシで落とし、雑巾で枠の汚れを拭いた。
 
 近くのホームセンターの開店時刻に合わせて出掛けて、張り替え用ネットと網押えゴムを購入。
 ネットは90cm幅の計り売りのものを必要な長さだけ購入。網押さえゴムは太さが3.5cm、4.5cm、5.5cmの3種類あったが、外した現物を持参して、4.5cm×7mを2袋購入。網を抑えるクリップも売っていたのでそれを購入。最も大切なゴム押さえローラーは、以前妻が買ってあったものを利用。


必要なものを用意して、いよいよ作業開始。まずは、3階の階段ホールの小さな網戸にトライ。
新しい網を窓の大きさより、縦部分を10cmほど大きめにカットする。網の上の方をクリップで止める。


ゴム押さえローラー・・・これはまさにすぐれ物だ。

 

手で引っ張りながら、ローラーでゴムを埋めて行く(左)たるみが出たときは、ゴムを外して、引っ張りながらもう一度ゴムで押さえる。
ゴムを埋め終わったら、カッターでゴムの外側に沿って切って行く(右)


 徐々に作業にも慣れて、だんだん上手にできるようになった。予定通り、4枚の完成。

 なんとかできたので、居間のベランダの大きな網戸も近々張り替える予定だ。 

これまで目にした中での最大のクルーズ船ほか & 異常な暑さ

2019年05月26日 | 日常生活・つぶやき

7:10、港町埠頭に着岸したMSCスプレンディダ

 去る5/17にやって来たが、港外に停泊して、乗客をテンダーボートで若松埠頭へピストン輸送していたMSCスプレンディダだが、今日は港町埠頭に着岸した。
 このクルーズ船は、今年函館に入港する中では2番目の大きさだが、自分が目にした中では最大である。
 イタリア船籍で、137,936トン 船客定員:4,363名 クルー:1,370名 全長:333m 全幅:37.92mの大きさである。 

◎朝の入港風景

 8:00着岸予定だが、いつも早く入ってくるので、6:45に北埠頭へ向かった。すでに港内に入って来るところだった。


6:50、港内に入って来るMSCスプレンディダ


ちょうど正面を向いた角度から


舳先を北に向け、港町埠頭へ向かう


着岸寸前


舳先のズーム


◎夕方の出港風景

 17:00出港予定なので、その光景もカメラに収めてきた。


乗客を対象に営業していた元祖バスラーメンもスピーカーからチャルメラを鳴らしながら見送った。
 船の後ろの方に先日乗客を運んでいたテンダーボードが3隻見えた


見送りというか出港風景を観に来た市民。今日はよさこいの踊りなどでのお見送りのセレモニーはなし。


上の甲板や部屋のベランダ?から出港を眺める乗客


出港していく後ろ姿


港外へ出たMSCスプレンディダと入港してきた津軽海峡フェリーのツーショット


◎5月なのに記録更新の猛暑日


 今日の函館の最高気温は28℃を観測して驚いていたが、帯広では正午までに38.3℃を観測し、5月の歴代全国最高気温を更新したらしい。


佐呂間では39℃を超えたようだ

 今日は、全国で北海道が一番暑かったようだ。それにしても、まだ5月である。ここ数年は異常気象が続いているが、このあともこのような暑さが続くのだろうか?

◎6回目の練習ラン(備忘録)

 そんな異常な暑さだったが、9時過ぎに10km走るつもりで五稜郭公園へ出掛けた。走り始めはそれほど感じなかったが、徐々に熱くなって走っていてもだるさを感じるようになり、スピードが上がらない。徐々にラップも落ちて来た。
 無理しないで、7kmで打ち上げた。帰宅後気温を調べたら、すでに26℃を超えていた。
 ①6'15 ②6'27 ③6'32 ④6'30 ⑤6'39 ⑥6'30 ⑦6'39
 いつも、本番前の1週間は走らないので、今週末の千歳マラソン(ハーフ)までは練習をしないで、足を休ませることにする。

例年より早い?五稜郭公園のフジ

2019年05月25日 | 花・紅葉だより

 すでに五稜郭公園の藤棚がピークを迎えているというので、出掛けてみた。例年なら6月に入ってからのことが多い。
 きついくらいの甘い香りを漂わせながら、ほぼ満開を迎えていた。
 
 フジには2種類あって、蔓が左巻きがノダフジといい、花房がほっそりと長い感じで、右巻きのヤマフジ(ノフジ)は、花房が短くぽっちゃりしているらしい。この五稜郭公園のフジは、どうやら左巻きで花房が長いので、ノダフジなのであろう。
 なお、本州を旅すると、山にほかの木に巻き付いて自生しているものを多く目にするが、北海道では目にすることはない。北海道のフジはすべて本州から持ち込まれたものに違いない。

 北海道の最古のフジは、札幌市の天神緑地にある「天神藤」で、樹齢200年と言われている。画像を観ると、確かに幹の太さが見事である。伝えられているところによると、明治時代に、この地に開拓者が入植した際、内地(道外)から藤の盆栽を持ち込んで植え替えたといわれている。












弘南観光登山ツアー「恵山縦走と海向山」のガイド(2日目)

2019年05月24日 | 登山・旅行

スタート前、これから登る海向山をバックに(左端が添乗員さん)

 今日も最高の天候に恵まれた、午前日程の海向山周回登山だった。昨日の恵山とはまったくタイプの違う山を楽しむことができ、みなさんも大喜びだった。

 8:30に高原駐車場で合流。8:40にスタートして、T字路からは反時計回りで登った。ハルゼミの鳴き声が凄かった。


林の中の急登を登る。


コイワカガミ


ハクサンチドリ


エゾヤマツツジとこのコース一番のビュースポット


コヨウラクツツジ


山頂での記念写真


1本だけ目に付いたムラサキヤシオツツジ


椴山(456峰)で東側の展望を楽しむ。霞んでいて下北半島は見えなかった。


椴山からの下りで目にできたシラネアオイの一番大きな群落


11:50、バスに乗り込むみなさんを見送る・・バスの窓から全員手を振ってくれた。
この後、湯の川温泉で入浴し、遅い昼食を食べて、新幹線で青森へ帰る。


帰りに、つつじ公園に寄ってみた。

つつじ公園駐車場とつつじ山(前山)


珍しいつつじの花見宴席


サラサドウダン

 この後、無料の恵山福祉センターの温泉に入って、弁当を食べて帰路に就いた。2日間恵山まで通勤した感じだった。

弘南観光登山ツアー「恵山縦走と海向山」のガイド(1日目)

2019年05月23日 | 登山・旅行

スタート前、恵山をバックに

 一昨年に引き続き、弘前市の弘南観光開発(株)の登山ツアーのガイドを依頼された。その依頼メールをいただいたのが、たまたま奥州街道歩き旅の帰りの仙台から弘前まで乗った弘南バスの中だった。バス会社は親会社だそうだ。

 さて、ガイドの方だが、今日は恵山縦走(高原駐車場~恵山~ホテル恵風)で、明日が海向山(周回)である。
 今朝の新幹線で青森から新函館北斗駅へ。さらに、バスで高原駐車場までやって来る。ツアーは恵山登頂後に椴法華コースをホテル恵風へ下って宿泊の予定である。自分は泊まらないで日帰りするので、朝の内に車でホテル恵風まで行き、下山するコースを高原駐車場まで登って出迎えることにした。 


ホテル恵風の登山口付近のエゾヤマツツジはまさに満開のピークを迎えていた。

 これもたまたまだが、今日のまったく同じコースを、この恵山を新日本百名山に選んだ岩崎元郎さんご一行が来ることは知っていた。こちらが早く着きそうだったので、時間調整で石仏巡りをしていたら、登山道を登って行く姿が見えた。彼等が下山してくるのと出会うのは確実である。


東京のアルパインツアーの「岩崎元郎さんと登る新日本百名山・恵山」のメンバー。先頭が岩崎さん。

 12時前に駐車場に到着。昼食を食べて、バスの到着を待った。12:35にバスが到着。メンバーは添乗員さんを含めて12名。挨拶をして、準備運動ののち、恵山をバックに集合写真を撮って、12:55に登山開始。


明日登る海向山をバックに権現堂コースを登る


太平洋をバックに溶岩帯を登る。
途中で、下山してきた岩崎さんご一行とすれ違う。昨秋の北斗市のかなで~るでの講演会以来の再会である。
うっかりして写真を撮るのを忘れた。向こうのガイドは恵山の生き字引である恵山支所の松本さん付いていた。


人面岩


 14:10、足前が揃っていて、予定より15分速く1時間15分で頂上到着。10分ほど休んで権現堂へ。


 権現堂にお参りし、14:25下山開始。


頂上付近に咲いていたコメバツガザクラ


やはり頂上付近のミネズオウ


権現堂コース分岐から岬展望台へ


上の斜面は蕾だけだったが、火口原まで下りてきたら咲いていたエゾイソツツジ


岬展望台にて


秋には紅葉のきれいな尾根の下にゴールのホテル恵風と恵山灯台を見下ろす。


やはり上の方は蕾すらあまり目にできなかったが、十三曲りコースの下に咲いていたサラサドウダン。


森林浴コースのシラネオアイの群落の復活を期して、昨日設置されたばかりのエゾシカ対策の電気柵。

 16:40、無事に下山し、ホテル恵風の前でお別れの挨拶。メンバーはホテルに泊まるが、自分は温泉に入って帰路に就いた。風は強かったが、素晴らしい天候に恵まれたツアー登山だった。
 明日は、高原駐車場で8:30に合流し、午前日程で海向山周回の予定。 

猫額庭も初夏の装いほか

2019年05月22日 | 花・紅葉だより
 昨日は朝から久し振りの雨が降り続いた。農家にとっては恵みの雨だったに違いない。
 ずっと雨が降らなかったせいか、一昨日は、畑の多い道東方面で、強風で畑の土ぼこりが高速道路を襲い、冬のホワイトアウトと同じような視界の利かない状態になり、車の多重衝突事故が多発したらしい。あまり聞いたことのない事故だった。

 今日は、からっとした初夏らしい青空が広がり、我が家の猫額庭も初夏の装いを呈している。


真っ赤で大きくて可愛気のないボタン。花言葉は「王者の風格」~確かに!


名前の分からないツツジ


今年は1株しか咲かなかったクマガイソウ~葉の株は10数株出ているのだが・・・
一昨年は8株咲いたのに、昨年は2株、来年は?


今年は不作年のサラサドウダン・・・なぜか1年置きに花の付きが変わる。来年は豊昨年の予定。


名前の分からない花


◎5回目の練習ラン※備忘録
 気温が上がりそうだったので、午前中に五稜郭公園の堀周りを10km走った。
 最初の1kmはアップのつもりでゆっくり走り、それ以降はビルドアップ走(徐々にスピードを上げる)のつもりだったが・・・。

 ①7'29 ②6'40 ③6'34 ④6'38 ⑤6'20 ⑥6'17 ⑦6'12 ⑧6'13 ⑨6'20 ⑩6'09
 タイム1時間04分54秒 平均ラップ6分29秒/km(最初の1kmを除くと6分21秒/km)

慰霊の道の草刈り~桧沢の滝

2019年05月21日 | 斉藤浩敏さん行方不明関連

周りをきれいにした慰霊プレート


 昨日、故齋藤浩敏さんの慰霊プレートの立つ場所までの慰霊の道の草刈りに行ってきた。ここは、2014年2月下旬に毛無山~設計山縦走中に行方不明になり、4月上旬に遺体が発見された場所である。

 誰かが植えたチューリップが咲き、写真にははっきり写っていないが、やはり誰かが植えたサクラソウ、ツルニチニチソウ、ピンク色のオドリコソウ、オダマキなども咲いていた。また、最近供えたと思われる花やペットボトルに入った水などもあった。やはり、慰霊に訪れる人は5年経った今でもいるということである。
 また、昨年はプレートのボルトが緩んだのか、途中までずれ落ちていたが、誰かが、上まで上げてボルトを締め直してくれた方もいたようだ。


 毛無山登山口から大野川に架かる桧沢橋を渡る。


 草刈り機で刈りながら前進。昨年も刈ったので、笹は生えていなかった。
しかし、フキなどの夏草が結構茂っていたが、踏み跡はしっかりしていた。


 作業を終えて、齋藤さんに来年も来る約束をして、現地を去る。


◎桧沢の滝へ


新緑に染まる桧沢の滝
 作業を終えて、草刈り機とリュックを下の登山道との分岐に置いて、桧沢の滝まで往復した。


補修されていた10ヶ所ほどの橋


 このような渡渉地点が10ヶ所ほどあるが、来る5/26の毛無山登山会へ向けて、主催団体である「北斗の自然に親しむ会」(会長・丸岡進氏)の手によって、きれいに橋が架けられていた。毎年、雪解け時期には流されるので、毎年補修をしなくてはならない・・・頭が下がる。


ブナの若葉が美しい


下の流れから写す桧沢の滝

◎途中に咲いていた花々

珍しく2個の花を付けたシラネアオイ


サンカヨウ


キバナノイカリソウ


タチカメバソウ


ノビネチドリ


アマドコロ


チゴユリ


少しだけだが、伸びたウドの上の部分と沢に生えていたフキを採って来た。
ウドは天ぷらに、フキは天かまとの油炒めになった。残りは佃煮とみそ汁にするらしい。


 車に乗る前にダニチェックしたら、ズボンに4匹。着替えて、温泉に入って帰宅したのに、だいぶ経ってから、首の辺りを這う2匹をゲット。それまでどこにいたのか?


最近は元気のある木古内町

2019年05月20日 | 日常生活・つぶやき


 
 木古内町は、一時は函館市と飛び地合併を画策したり、2012年には木古内高校も廃校になり、渡島館内唯一の高校のない町になったりで、イマイチ元気がなかった。
 しかし、最近の木古内町は元気を盛り返している。そのきっかけは北海道新幹線の木古内駅だが、それに合わせて開業した木古内道の駅みそぎの郷が起爆剤となっているようだ。人気急上昇し、訪れる人が多くなっている。開業から2年連続「北海道の道の駅満足度ランキング総合1位」にもなっていて、最近は町としても観光に力を入れてきている。




この時期一番人気のソフトクリーム「みそぎ塩いちご」


◎薬師山芝桜~増殖中で数年後にはもっと広くなるだろう。





薬師山下の遊歩道の八重桜

◎札刈村上芝桜園~個人宅の施設だがこの時期一番の観光地である。




◎サラキ岬のチューリップ公園




◎隣町(北斗市)の当別トラピストの八重桜並木





せせらぎ温泉を発着点の17kmLSD

2019年05月19日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

発着点のせせらぎ温泉

 函館マラソンへ向けての4回目の練習は、妻と一緒に、北斗市のせせらぎ温泉を発着点とした17kmのLSD(Long Slow Distance)に取り組んだ。走り終わってすぐに温泉に入れるのがうれしい。


 走ったコースのログ
せせらぎ温泉~新函館北斗駅~道の駅なないろななえ~赤松街道~鳴川~道々676号~大野市街地~せせらぎ温泉

 このコースの利点は、トイレ休憩を取れるところがあることと、歩道が広くて走りやすいことである。
 妻の希望で7分/kmを切らないスローペースで走り通した。結果は、走行正味タイム2時間05分56秒、平均ラップ7分14秒/kmだった。タイムはともかく、ハーフを走る足ができたものと思われる。


国道227号と新函館北斗駅への道路の交差点で目にした「令和」の文字を彩った花壇


新函館北斗駅前へ向かう快適な歩道を走る。駅でトイレ休憩。


新函館北斗駅から国道5号へ抜ける道路を七飯町へ入る


水が湛えられた田んぼと仁山~木地挽山


2回目のトイレ休憩を取った道の駅なないろななえをあとにする


函館新道入口から赤松街道へ


鳴川から右折し、大野方面への道路へ。ここで11kmだった。


新幹線高架の手前で北斗市へ戻る


おばあちゃんの運転するトラクターと新幹線高架


おひさま~けっと(マーケットイベント)が開催されていた意冨比神社(おおひじんじゃ)。
 大野育ちにとっては、8月27日?の子供の頃のお祭りが懐かしい。

 13時にせせらぎ温泉に戻ってきた。入浴料が300円から350円になっていた。1時間近くのんびり入って疲れを癒す。
 このあと、妻が木古内の道の駅の人気ソフトクリーム「みそぎ塩いちご」が食べたいというので、木古内までドライブ。途中寄ったところも含めて明日アップ予定。

函館山からの雲海

2019年05月18日 | 道南の風物詩

函館山山頂から眺める函館平野を覆う雲海と駒ケ岳~横津連峰

 函館山の風物詩の1つに初夏の雲海がある。函館では、海上の湿った空気が冷やされて海霧が発生し、津軽海峡から函館市街地や函館平野を覆う雲海が見られる。だいたい4月の終わりごろから8月くらいまでが雲海の季節。

 昨日も、平地は霧に覆われたような天候だったが、今朝もそんな感じだった。そこで、函館山山頂のライブカメラ画像を見たら、見事な雲海が広がっていたので、朝食後すぐに妻を誘って車を走らせた。


市街地や津軽海峡を覆う雲海と汐首岬や恵山方向


眼下に覗く町並みと雲海の向こうの駒ケ岳


雲海の上に頭を出す千畳敷方向


西側の函館湾を覆う雲海と当別丸山~桂岳


眼下の薬師山の新緑と微かに覗く山裾の住宅地


 このように平地全体を覆う雲海は朝のうちだけで、徐々に開けてくることが多い。
 今日も時間とともに平地でも青空が広がって来たので、お昼に函館山ライブカメラを見たら、市街地を覆うだけになっていた。

12時現在の函館山山頂ライブカメラ画像
 このように津軽海峡から延びた雲海が市街地を覆う光景は日中でも見られることが多い。

過去記事 2016年6月29日の「日の出直後の函館山の大雲海と午後の海霧」

クルーズ船のツーショットほか

2019年05月17日 | 日常生活・つぶやき

港外に停泊しているMSCスプレンディダ(左)と港町埠頭に停泊した飛鳥Ⅱ(右)

 今日は、今年の函館港に入港するクルーズ船で2番目に大きいMSCスプレンディダ(137,936トン)と飛鳥Ⅱ(50,142トン)が入港する予定になっていた。
 飛鳥Ⅱが港町埠頭に停泊するので、MSCスプレンディダは埠頭には接岸せずに港内の3区(北埠頭の近く)に停泊する予定だった。その大きさを北埠頭から眺められると楽しみにしていた。


 朝早く出かけたら、MSCの方は港内でなく、港外に停泊し、テンダーボートで乗客を若松埠頭へピストン輸送していた。

 MSCスプレンディダ(イタリア船籍)~137,936トン 船客定員:4,363名 クルー:1,370名 全長:333m 全幅:37.92m 
 飛鳥Ⅱ(日本船籍)~50,142トン 船客定員872名、クルー:470名 全長241m、全幅29.6m


7時近くになったら、飛鳥Ⅱが入港してきた。


港町埠頭へ接岸しようとする飛鳥Ⅱ


飛鳥Ⅱの全景


飛鳥Ⅱの先端部


乗客をピストン輸送するテンダーボートとMSCスプレンディダ(海岸町船だまりから撮影)

 港外にどのように停泊しているのか見たくて、入舟漁港へ車を走らせた。

入舟漁港の赤灯台から眺めるMSCスプレンディダとテンダーボート

 このMSCスプレンディダは5/26にも入港して港町埠頭に接岸する予定なので、今度は近くでまた見たいと思っている。

◎3回目の練習ラン※備忘録
 今日は、夕方妻と一緒に国道5号を函館新道入口までの往復10kmのコースを走った。
 往路は一緒にゆっくり走り、復路はこちらのペースで少し飛ばして走ってみた。妻も頑張って付いてきた。一昨日よりはかなり楽に走れたので、次は15km走にトライするつもり。

 タイムは1時間05分47秒 平均ラップ6分34秒/km
 往路 ①7'30 ②6'49 ③6'56 ④6'22 ⑤6'33 タイム34分10秒 ラップ6'52
 復路 ⑥6'03 ⑦6'03 ⑧6'25 ⑨6'29 ⑩6'29 タイム31分29秒 ラップ6'18 

◎我が家の特製野菜味噌ラーメン

走ったあと、疲れた体で作ってくれた我が家特製のニンニクたっぷりの野菜味噌ラーメン
登山から帰るときにリクエストすることが多い。今日も汗を掻いたあとだったので美味しかった。
中の太い茎は、開いたギョウジャニンニクの茎の醤油漬け。