癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

スキーのち濁川温泉での年越し

2018年12月31日 | 日常生活・つぶやき

 ここ5年間は温泉に泊ってのんびり年越しをすることにしている。2015年は湯の川温泉のホテル万惣、2016・2017年は濁川温泉ふれあいの里、2018年はホテル恵風だった。
 今年は、「迎春の膳」という特別料理と多彩で濃厚な感じの温泉に惹かれて、3度目の「カルデラ濁川温泉保養センターふれあいの里」で過ごすことにした。

 


 妻の希望で、一昨年同様、大沼グリンピアスキー場でスキーを楽しんでから旅館に向かうことにした。2時間券で十分だというので、13時から15時まで滑って、宿には15:30にチェックイン。



広い本館のロピー(ふれあいの間)


 過去2回は新館の部屋に泊まったが、本館にある温泉や食事場所までの長い渡り廊下が寒いのが難だった。そこで、今回は部屋にトイレはないが、少し安くなる本館の部屋を予約してみた。
 リフォームされているのか、新館の部屋より広くてきれいだった。しかも、階段を降りるとすぐに温泉と食事の部屋で、寒い思いをしないで済んだ。


岩風呂や檜風呂のある大浴場のほかに露天風呂もある。(公式サイトから借用)


いよいよ一番の楽しみな大晦日の特別料理「迎春の膳」













最後に出てきた年越しそば、すまし汁、デザート

大晦日の温泉三昧で、これだけの年越しの特別料理を食べて、ここの値段で泊まれる宿はほかには見当たらない。

 ちなみに、この濁川温泉は、直径約2kmのカルデラ地形の濁川盆地にある温泉郷である。ここで温泉か発見されたのは江戸時代のこと。
 寛政10(1798)年に奉納された薬師如来像が歴史の古さを感じさせる。その後、文化4 (1807)年、温泉場の開設を村役人の加賀屋半左衛門 が幕府に願い出たところ、幕府下役の小川喜太郎、間宮林蔵が巡見し、山道の開削を命じ、新たに湯治場を開設したのが濁川温泉の開湯とされ、以来、効能の高い湯治場として今日まで利用されてきている。


 開湯の地である「元湯神泉館」前には、昭和38年に設置された「濁川温泉発祥の地」の記念碑がある。現在営業している温泉は7軒。


 1982年に運転が開始された地熱発電所があり、温泉熱を利用した野菜のハウス栽培が盛んである。

 みなさん、良いお年をお迎えください。

雁毛山(せたな町大成区)

2018年12月30日 | 登山・旅行

ヨリキ岬から眺める雁毛山(帰り撮影)

 昨日、 函館山の会のHa会長とSHOさんからお誘いを受けて、せたな町の太櫓山塊の雁毛山(491.2m)に登ることができた。日本山名辞典では「かりげやま(がんけやま)」となっている。二等三角点の山(点名は同じ)である。


GPSトラックログ

 吹雪模様の中、5:30にSHOさんを迎えに行き、七飯町役場駐車場でHaさんを乗せた。七飯は晴れていて星が出ていた。向こうの天候は心配だったが、現地まで行って判断しようと八雲から熊石に抜けたら、青空が見えて、大成区のヨリキ岬からは目指す雁毛山が見えていたのには驚いた。

 せたな町大成区宮野の交差点から小川沿いの林道に入る。今夏に登った松倉山への林道と同じ林道である。当初はその入口から歩くことを覚悟していたが、冬季伐採作業が入っていて、4.4km先の南尾根の取り付きの林道跡まで車で入ることができた。歩いたら往復3時間は掛ったであろう。


 除雪された駐車帯のすぐそばが、地図上に掲載されているこの山の西側を通る廃道化した林道の取り付きだった。この林道跡は太いネマガリダケが生えていて、非常に歩きづらかった。
 自分はいただきもののスノーシューを初めて履いて、いつものアルミカンジキが背負ってスタート。慣れていないので、非常に歩き辛い。


 ネマガリダケに手こずりながら45分ほど歩いて、斜度の緩いところから人工林の尾根に取り付いた。ここで、スノーシューからかんじきに履き換えた。


 人工林の中は、雪が少なく、ネマガリダケも生えていないので、非常に歩きやすいし、途中には作業道もあった。しかし、2人は歩くのが速く、ラッセルもしないのに遅れてしまう。付いて行くのがやっとだった。


人工林から抜けると、目指す頂上がチラッと見えた。またネマガリダケの中を進むが、この辺りから積雪が多くなり、あまり気にならない。


途中に岩場もあった。


頂上が近くなると斜度が緩み、、積雪が多くなり、ナマガリダケも気にならずに快適に歩けた。


展望のない山頂に到着。190cmのHaさんと176cmのSHOさんに挟まれると、子供のような自分。

 Haさんも道南224山の完登を目指しており、渡島大島と松前小島の山を除いて、これで、未踏が5山になったそうだ。自分はまだ15山残っているが、いろいろ情報をいただいた。


8:30スタート、登り2時間、下り1時間、11:40ゴール。天気予報からしてもまさか登れるとは思わなかったし、林道歩きが免れるいう幸運にも恵まれ、難なく1山ゲットとなった。
 
 帰りに地元のあわび山荘の温泉に入って、厚沢部回りで帰って。これで、今年の登り納めとなった。

 帰宅後、休むと動きたくなるので、すぐに朝できなかった町会館駐車場の雪掻きをした。

2018年「挑戦と感謝」の10大感動

2018年12月29日 | 日常生活・つぶやき
 この1年間、1日も欠かさず更新を続けてきたこのブログを改めて見直してみた。今年は一時的な急性疾患に見舞われた入院もあったが、相変わらずの「やりたいこと三昧」の1年だった。

 これまでの退職後は年間100日を目標にしてきた山行日数は61日に終わって、退職後15年間でもっとも少なかった。その分、2回の歩き旅が53日と最も多く、合わせると114日になった。

 いずれにしても、今年も多くの新たな出会いや感動に満ちた、若い頃からの座右の銘である「挑戦と感謝」の1年でもあった。
 
 そんな中から、今年の締めくくりとして、特に感動の大きかったことを時系列に沿って10個選び出して、「10大感動」としてみた。

◎今年もクロカンスキー大会5レースすべて完走(1/21~2/26)

 ここ10年以上連続出場している、1/21「HBCラジオハウス歩くスキー大会(15km)、2/5「札幌国際スキーマラソン大会(50km)」、2/12「おおたき国際スキーマラソン大会(15km)」、2/19「恵庭クロカンスキー大会(30km)」、2/26「湧別原野オホーツククロカンスキー大会」のすべて(いずれもその大会の最長距離部門)を完走できたことを素直に喜びたい。
 長距離の運転が負担でなく、完走できる内には、これまで通り、同じ最長距離部門に参加し続けたいと思っている。
 
 なお、3月第1週に開催されていた「十勝大平原クロカンスキー大会」は、一昨年の台風によるコース決壊で2年続けて中止となったが、この大会は今年で「廃止」が決定した…。当日の夜、山仲間が集まって、飲み会を開催してくれていただけに、非常に残念である。

◎14年ぶり2回目の四国遍路(逆打ち)・43日間心の旅(3/11~4/23)

 いつかは、いつかはと思っていた2度目の四国遍路だったが、公職から一切解放されたことにより、ようやく実現し、今年のメインイベントとなった。
 今回は、逆打ちで88ヶ所霊場に別格20ヶ所霊場を加え、最後に1番から88番の間も繋ぎ、43日間で踏破することができた。
 14年前に初対面でお世話になって以来お付き合いいただいている松山市の法起坊見習いさんには、今回もことのほか“お接待”をいただいた。そのほかに14年ぶりの再会できた4名の方々のほかに、新たな多くの一期一会にも恵まれて、まさに「挑戦と感謝」に満ちた感動の歩き旅だった。

◎登山とお遍路の3回もの講演会(5/12、5/26、10/5)

 函館蔦屋書店から昨年の内に依頼を受けていたが、夏山シーズンが始まってからと、延ばしてきた「北海道の山の魅力を語る」の講演を5/12に行った。蔦屋書店や北海道新聞のイベント紹介もあり、蔦屋書店始まって以来という120名もの参加をいただいて大盛況だった。

 それに引き続き、2週間後に同じ蔦屋書店からお遍路の講演も依頼され、「一人歩きの四国遍路・挑戦と感謝・心の旅」と題して行った。こちらも100名ほどの参加をいただき、北海道新聞と函館新聞の取材を受けて、その様子が掲載された。

 さらに、10/31には、北斗市のきたえーるで開催された自分が代表を務める「新日本百名山・恵山を登る会」主催、アルパインツアーと救心製薬共催の「岩崎元郎さんの健康登山講座in北斗」の第2部「山のよもやま話」は、岩崎さんと私の対談形式で行われた。180名の参加者だった。

◎千歳マラソン・函館マラソン(共にハーフ)・大沼グレートラン完走(6/3、7/3、10/14)

 例年は、4月の伊達ハーフに参加していたが、四国遍路と重なったので、函館マラソン(ハーフ)の練習を兼ねて、6/3の千歳マラソン(ハーフ)に初めて参加した。こちらはほとんど練習なしでfunranのつもりで臨んだが、意外と快調に走れて2時間16分台で走ることができた。妻は10kmの部に参加し、これも1時間05分台の好タイムだった。

 メインレースの函館マラソン(ハーフ)は、雨のレースになり、一時は土砂降りだった。65歳の再出場以降の昨年の自己ベストを更新するつもりで臨んだが、わずか5秒及ばなかった。それでも、70歳以上の部で、昨年と同じ13位で、翌日の新聞にも載ることができた。

 秋の大沼グレートランは、1週間前に同じコースをスロージョグで走っただけで臨んだこともあり、funrunに徹して楽しんで走った。

◎海抜0㍍の田子の浦から村山古道を通っての富士登山(7/23~25)

 かねてから、富士山再訪は海抜0㍍からと決めていた。たまたま、田子の浦からスタートする、平安時代から江戸時代までの修験道や参拝道の「村山古道」が再開削されたことを知った。そこで、その道を通っての登頂にトライ。
 山頂で3日目のご来光を仰ぐことができ、前回の「日本三百名山完登」以来の再訪が叶った。
 この前後に、北アルプスや東北の山にも登ることができた。北アルプでは、立山の大汝山に登り、「国内3000m超峰21座」を完登することができた。

◎胆振東部地震・ブラックアウト(9/5~7)

 未明3時ごろに大きな地震で目が覚めた。その後、すぐに停電となった。震源は厚真町付近で震度7の巨大地震で、函館の震度は5だった。厚真町の大規模な山崩れを中心に安平町、鵡川町などの被害が大きく、札幌の清田区でも液状化現象で住宅地が大きな被害を受けた。
 さらに、全道的な停電のブラックアウトという初体験の現象に見舞われた。我が家でも復旧に25時間を要したが、全道的な完全復旧までには1週間ほどを要した。その間もその後も、交通障害や物資の流通停滞など、日常生活が未曾有の大混乱となった。

◎「尿路感染症・急性前立腺炎症」で入院(9/13~18)

 前日の夕方からおしっこが近くなり、ちょろっとしか出ない。夜中から、おしっこの度に最初から最後まで尿道に激痛が走るようになった。1回で出る量が少ないので、20分ごとに尿意が襲う。その度に激痛との闘いが辛くてほとんど眠ることができなかった。
 翌朝、初体験の血尿が出て、血の塊のようなものも混じっていた。慌てて前立腺肥大の検査でお世話になった平田泌尿器科で診てもらったら、急性の感染症だろうとのことで、点滴治療のため即入院。
 土日の自宅での外泊も含めて述べ6日間の入院となった。結局、病名は「尿路感染症・急性前立腺炎症」だった。

◎HP「一人歩きの北海道山紀行」開設20周年を迎える(9/29)

 このブログの親サイトである「一人歩きの北海道山紀行」が、9/29で20周年を迎えた。PCを始めて4ヶ月後に開設したHPである。
 最初のサイト名は、当時の目標だった一人歩きの北海道百名山完登にちなみ、「一人歩きの北海道百名山」だった。アップした山が300山を超えたころに現在のサイト名に変えた。
 開設以来、このHPの存在が、自分の人生を大きく変えたと言っても過言ではない。
 まず、HPを媒介とした山仲間がどんどん増えたこと、翌年には、北海道の山の情報交流のためのHYML(北海道の山メーリングリスト)の開設にもかかわった。その仲間のお陰で、同行者も増え、夏山の登山道オンリーの山から冬山も、さらには、沢登りと薮山へとどんどんステップアップしていった。

 特に退職後の14年で、北海道の山だけでなく、「日本三百名山+道外の山」「四国遍路」「海外トレッキング」「歩き旅」などのコンテンツが増え、ブログ「癌春日記」とも連動し、どんどん充実してきた。いわば、自分のここ20年間の遊びの記録であるが、豊かな人生の大きな糧となっていることは間違いない。

 特筆すべきは、現在330万件を超えているアクセス数である。山岳雑誌への執筆依頼も、北海道新聞への連載依頼も、拙著「ほっかいどう山楽紀行」の発刊も、すべてこのHPのお陰である。 しかし、基本的には、自分の記録である。それがほかの方々の参考になって来たのはうれしい限りである。これからも、「登っては書く」「歩いては書く」を可能な限り踏襲するつもりである。自分の財産として充実したものになり、さらには、少しでもほかの方のお役に立てれば幸いである。

◎念願の「ランプの宿・青荷温泉」ほか十和田・奥入瀬の旅(10/19~20)

 紅葉のピークにはちょっと早かったが、妻同伴で泊ることができた。青森県黒石市の山奥にある「電気もねぇ、テレビもねぇ、電波もなければスマホも繋がらねぇ」が売りの人気のランプの宿・青荷温泉。一軒宿の有名な秘湯である。ずっと以前から泊りたいと思っていた念願の宿だった。

 フェリーで渡り、青森でレンタカーを借りて、まずは弘前市の伝統的建造物巡りをして宿へ向かった。本館のほかに、離れの宿泊棟が3棟、温泉は本館の内湯のほかに外に3棟あり4つの湯巡りが楽しめた。翌日は、紅葉の十和田湖~奥入瀬渓流を巡ることができた。

◎奥州街道歩き旅(三厩~盛岡)・10日間の歩き旅(11/16~25)

 奥州街道は、日本橋から三厩までの約800km、110以上の宿場を持つ、最長の街道である。この端から端までは、松前藩の参勤交代が利用した街道である。今回は、そのうち、「松前道」と呼ばれている三厩宿~盛岡宿間の22の宿場を繋ぐ約280kmの歩き旅にトライ。

 この区間を参勤交代で歩いた大名は松前藩と八戸藩くらいのもので、東海道や中山道に比べて。物足りなさは否めなかった。特に宿場の面影はほとんどなかったし、本陣跡も松前藩が利用した三厩でしか目にできなかった。
 一番多く目に付いたのは、明治天皇の明治9年と14年の2回の東北巡幸に伴う史跡や石碑だった。それと東海道や中山道より多く残っていた一里塚である。ほかには、北海道では触れることのできない歴史的な文化財や史跡を中心に観て歩いた。
 また、野辺地以南には山越えの道が多く残っていて、当時へのタイムスリップも楽しむことができた。しかし、時期的に遅かったので、後半の数日間は雪道の歩きも経験した。

 来年は2度に分けて、春は、福島県白河までの南部道・仙台道を、秋には五街道の奥州道中と日光街道を歩いて、日本橋を目指したい。

今季一番の寒波 & 富弘カレンダー

2018年12月28日 | 日常生活・つぶやき

 昨日から強い冬型の気圧配置になり、全国的に今季一番の寒波に見舞われている。雪も断続的に降り続き、昨日は、朝と午後からと2回の雪掻きをした。函館空港は34便が欠航した。

 今朝は、-11.4℃まで冷えたようだ。函館でマイナス2桁の気温になるのは、ひと冬に何度もない。それだけ冷えたということである。雪もまた新たに7cmほど積もっていて、朝から雪掻きで良い運動になった。軽い雪だったので助かった。


まずは、我が家の前の雪掻き


その後、亀田本町会館の駐車場。雪の量や重さにもよるが、両方で1~1.5時間は掛かる。
広いだけに終わった後にはちょっと運動をしたかな?と思う充実感がある。


◎来年も富弘カレンダー


 我が家の居間に飾るメインカレンダーは、2010年の上信越の日本三百名山巡りで、彼の故郷である群馬県みどり市の道の駅になっている富弘美術館を訪れた際に、翌年のカレンダーを購入して以来、ずっと「富弘カレンダー」をamazonから購入している。

 星野富弘さんは、元中学校の体育教師で、クラブ活動の指導中鉄棒から落ちて、頸椎を損傷し、手足の自由を失う。その後、口に筆を加えて文字や絵を描き続けている。
 その詩画作品が毎年カレンダーとして販売されている。淡い色調の水彩画と、それに添えられた彼ならではの含畜のある短い詩とその柔らかく温かい文字が好きで、毎年居間に飾っている。

2019年のカレンダーの絵だけを、紹介したい。

表紙


1、2月


3,4月


5,6月


7,8月


9、10月


11、12月


インディアンカレー&ガーデンカフェ「ラムズイヤー」

2018年12月27日 | 食べ物

 2年前のランチパスポートで訪問した店の中で、唯一数回リピートしている店が、中島町にある「LAMB'S EAR」である。ランチパスポートの期間中にも再訪したほどである。
 何を食べても美味しいし、店内の雰囲気や店主の柔らかな物腰の接客対応がとてもが好感が持てることもある。

 この店は、本町で30年営まれた老舗インドカレー店「ラージ・モリタ」が移転し、店名も新たにカフェスタイルのカレー店として生まれ変わった店なのだそうである。

 店名の由来は「ラムズイヤーというハーブ」。葉が仔羊の耳に似ていることから名付けられたといわれ、グレーのベルベットのような、さわるとフワフワしていて幸せな気分になれる植物のこと。
 そのハーブと羊の優しい雰囲気のように「皆様に愛される優しいお店に」という想いも込められているという。

 メニューはスパイスの効いた本格的なインドカレーを中心に、オリジナルのラムズイヤーカレーなど豊富にあるが、今回は、野菜たっぷりの下記の2メニューを注文。

我が家の一番人気の「ナンピザサラダ」1000円。ピザもドレッシングも非常に美味しい。
いつもこればかりだが、今度は、看板メニューのカレーも食べてみたい。


「グリルチキンGARDENライス」1300円。      
ライスの上にはレタスやパプリカなどたっぷり盛られた野菜とグリルで焼いたチキンフライドチキン。
皮がパリパリで肉はやわらかくボリューム満点。とても美味しいタリアンドレッシングが付いる。
ライスは好みの量で調節してもらえるので中にした。


デザートのラムズ2セットの「チャイとアイスクリーム」600円


 「空間の提供」もコンセプトとし、店内は落ち着いた優しいウッド調の雰囲気。



店内にはヒツジがいっぱい


柔らかな光のクリスマスツリー(訪問日12/24)


ラムズイヤーの葉と花<他サイトから借用>
この葉がヒツジの耳に似て、手触りがヒツジの毛のようにふわふわしている

サル山温泉・ウォーキング

2018年12月26日 | ウォーキング・ジョギング・マラソン

 昨日、珍しく青空が広がったので、昼食後にロングウォーキングに出掛けた。コースとして、湯の川にある市立熱帯植物園の冬季限定の「サル山温泉」を往復しようと思ったら、妻から「SNS上で、五稜郭タワーの屋上にサンタクロースが昇っていると賑わっているので、写真に撮って来て!」と言われた。

 そこで、五稜郭公園経由で、電車通りを歩き、熱帯植物園からは、旧戸井線を利用した緑園通り~富岡本通線を歩いて周回した。
 距離は、13.5km。所要時間は植物園での時間を入れて3時間10分。歩数計は約2万歩だった。


五稜郭タワーの屋上の梯子に昇っているサンタ・・・肉眼ではほとんど分からないが、ズームで撮って判明。


角度を変えて撮影



人間を思わせる、何とも言えないこの表情が堪らない


熱帯植物園の中のブーゲンビリア


バナナの花と実


歩行者と自転車専用の緑園通りの旧戸井線建設時の?道路下のトンネル

トラピスト男子修道院並木道ライトアップ

2018年12月25日 | イベント鑑賞・参加

 12/17~24の間、北斗市三ツ石にあるトラピスト男子修道院「灯台の聖母トラピスト修道院」では、名物のトラピスト通りの並木道400mが150基の照明でライトアップされていた。
 クリスマスイブの昨夜は、一日限定で、通常のライトアップのほか、地域の方々などの協力により作成したワックスキャンドルが設置されるというので、出掛けて来た。


修道院正面の階段に灯されたワックスキャンドルとライトアップ


修道院の前にハート形に設置されたワックスキャンドル


修道院の扉


明りが灯る聖堂・・・あとで分かったことであるが、中も公開されていたようだ。


聖堂の横で、北斗市の名産品や温かいコーヒーやココアが販売されていた。
ここの営業のお手伝いをしていたスキー指導員仲間からココアをご馳走になった。


道路にも雪が積もっていれば、もっときれいなはず。


 なお、2012~15年は、クリスマスイブに、並木道に手づくりのワックスキャンドル約300個が並べられる「ローマへの道・冬物語」と称される催しがあった。それが、2016年から、現在のようなライトアップに変わったようだ。

やむなく七飯岳へ

2018年12月24日 | 登山・旅行

まだ雪の少ない七飯岳牧場斜面を登る

 当初の予定では、SHOさんと2人で駒ケ岳の南西尾根(函中コース)から剣ヶ峰の根元まで登る予定で出掛けた。しかし、駒ケ岳はスッポリ低い雲に覆われていた。そこで、転進先を探したが、平野部は西から雪雲が広がり始めて、青空の下に姿を見せているのは七飯岳だけだった。
 やむなく、七飯岳へ向かった。昨日に函館山の会が登っているので、トレースがはっきりしているだろうと思い、スパイク長靴でスタート。


登山口をスタート。林道は踏みしめられてガリガリだった。


採石場の上の尾根を登る。


採石場を見下ろす。すでに函館山も雲の中で見えなかった。


旧採石場の下から山頂を見上げる。奇跡的にこの上だけに青空が広がっていた。


旧採石場の上の南西尾根の林の中で一休み。


頂上到着とほぼ同時に雪が降り始め、展望も青空もなくなってしまった。写真を撮って即下山。


我々が登り始めるころに到着した、BMWのSUV車に乗った単独の女性が登って来た。
足には12本爪のアイゼンを付けていたところを見ると、本格的な冬山もやられる方なのだろう。


すでに芽を膨らませているネコヤナギ?

8:25スタート登り1時間50分、下り1時間05分、11:25ゴール。


この3連休に年末大掃除を一人でやっている妻への罪滅ぼしに買って帰ったクリスマスケーキ

SAJ指導者研修会(2日目)

2018年12月23日 | スキー・クロカン

 昨日に引き続き、スキー指導者研修会2日目。今日の日程は、9:30~11:10 昼休み 12:15~13:30 14:00閉会式という運びだった。
 日差しには恵まれなかったが、気温が高く、風もなく、雪質は少しゆるんだが、快適に研修を深めることができた。
 
 ここ数年スキー教程が変わっていないので、特別目新しいことはなく、これまでのパラレルターンへの指導の3本の矢(プルークから、横滑りから、シュテムから)の確認と留意点等が主な研修内容だった。


講師の滑りを観る


閉会式恒例のシーハイル。音頭を取るのは最高齢の函館スキー連盟顧問のFu氏。

 年内にゲレンデスキーを履くのはこれで最後だろう。次は、1/7のライフスポーツコーチ研修会に続いて、ライフスポーツの第1回講習会の1/9になる予定。
 その間、年末と年明けには大滝でのXCスキーの練習の予定だが、山スキー(BCスキー)の初滑りはいつになるか・・・?

SAJスキー指導者研修会(1日目)

2018年12月22日 | スキー・クロカン

226名の参加者が並ぶ開会式

 本日と明日の2日間、七飯スノーパークを会場にした全日本スキー連盟指導者研修会に参加。
 功労指導員は研修会参加は免除されているが、何年も参加しないと置いていかれる感じがするので、2年に1回は参加すようにしている。また、この機会に懐かしい指導員仲間と再会できるのも楽しみである。
 
 雪が少なくて、果たしてできるのか心配だったが、思ったよりずっと雪質が良くて、快適な滑りができた。また、気温も高く、寒さを感じなかった。


講師陣と主任講師挨拶


研修テーマに即した全体デモンストレーションを観る参加者


研修テーマに即した全体デモンストレーション


班編成は年齢順に行われるが、ここしばらくは「花の1班」。最高齢80歳を筆頭に全員元気な70歳代。


講師の後を続いて滑る

初冬の函館山散策

2018年12月21日 | 登山・旅行

鞍掛山ピークの崖の上から眼下の立待岬を見下ろす


トラックログ

 ここ10日間ほど雪が降らず、歩道はツルツルかグシャグシャでウォーキングもできない。
 そこで、晴れ予報を信じてスパイク長靴を履いて函館山散策に出掛けた。しかし、最後まで晴れ渡ることはなかった。

 下山後入浴するつもりで、10:00谷地頭温泉の駐車場に車を置いてスタート。鞍掛山~七曲コース~千畳敷~山頂~車道~登山口~13:15谷地頭温泉と周回した。函館山もまだ雪が少ない。
 距離は9.5km、時間は山頂での15分の休憩を入れて3時間15分、歩数計16,000歩だった。

 温泉から七曲がりコース登山口までの車道を歩き、夏の間は薮で歩きづらいのであまり行っていない鞍掛山へ寄ってから七曲がりコースを登った。


鞍掛山ピーク下の要塞跡


今年新しく付け替えられた七曲がりコースの曲がりの数の札。
ここは最後の曲がりなので、コース名は七曲がりだが、実質的には26曲がりである。


地蔵山から先ほど登った鞍掛山と立待岬を見下ろす


ハリギリの冬芽


花火のようなシシウド?


千畳敷コースから見下ろす寒川海岸。正月にお客さんを案内して下りる予定


山頂から望む函館港越しの駒ヶ岳~横津連峰


下山は車道を下ったが、途中観音コースでショートカットした。その途中の17番観音


車道の3合目付近から、教会群と東本願寺を見下ろす


谷地頭温泉で遅い昼食に食べたお得感満点の天丼(600円)。消費カロリー<摂取カロリー?
天ぷらが8個も載っている(エビ2本、イカ、キス、カニカマ、ナス、カボチャ、大葉)
 

思いがけない訃報・・・お参り

2018年12月20日 | 日常生活・つぶやき

 一昨日、Haさんから「Saさんが12月5日に亡くなっていたんだって。なにか聞いていない?」との電話が入る。まったく考えてもみなかったことなので、耳を疑う思いだった。その10分ほど前にSaさんへの年賀状のコメントを書いたばかりだった。新聞の忌中広告やおくやみ欄はこまめに見ているが目にはしていない。

 実は、40代前半に3年間務めた職場で気の合った5名(お世話になった先輩ばかり)が、職場を離れても20年以上にわたって、お互いの家を回っては年に数回麻雀をしながら交流を続けていた。10年ほど前にその中のひとりが旭川へ引っ越してからも4人で続けていた。そのうちにSaさんの奥さんが体調を崩し、Saさんが参加できなくなり、お互い年賀状だけのお付き合いになってしまっていた。特に現職のころは同じ研究サークルや最後は同じ職種でずっとお世話になった方である。

 Haさんに連絡をくれたのが、当時の職場の同僚で、Saさんとは子供のころから家族ぐるみのお付き合いをしていたTa女史とのこと。もっと詳しく知りたいのでこちらから直接電話をしてみた。本人も間接的に聞いたとのことで、翌日、その情報源であるSaさんのお姉さんへ直接電話してみるとのことだった。

 そして、昨日電話が入り「11月に体調を崩し、病院で検査したら肝臓癌でステージ4と判明。即入院したが、まもなく黄疸症状も出て、自らの意思で終末医療の病院へ転院したそうだ。しかし、ひと月も経たない12月5日に亡くなった。故人の意思で、葬儀は誰にも知らせないで身内だけで行ってほしいとのことだったので、新聞にも載せなかった」とのこと。
 奥さんはSaさんの入院後から施設に入っているので、家にお参りに行くこともできない。Ta女史の記憶では、「お寺の名前は分からないが、お墓が久根別の3軒並んでいる真ん中のお寺のあったはず」とのこと。

 せめてお墓参りだけでもと、昨日の内にそのお寺を探しに出掛けた。しかし、久根別には3軒並んだお寺はなかった。スマホで調べたら、北斗市役場(旧上磯町役場)のそばに、3軒並んだお寺があることが判明。境内に入って行ったら、タイミング良く住職さんが出てきたので、尋ねたら、やはりそのお寺だった。「お墓はありますが、まだ納骨はしてないので、お骨を預かっています。お参りするのであれば、納骨堂でされたらいかがですか?」とのことだった。「仲間と相談して、明日にでもお伺いします。その時は電話を入れます」と話して帰って来た。

 HaさんとTa女史に電話を入れ、HaさんからMuさんに連絡を取ってもらい、今日の9時に我が家に集まり、4人でお参りに行くことになった。
 お供えする花は買ったが、供え物を何にするか悩んだ。一升瓶をひとりで空けるほどの酒豪だったので、ワンカップのお酒とつまみ類・・・と思ったが、お寺に魚のつまみというのもまずいだろう。そこで、ワンカップの酒と彼があまり口にすることがなかったお菓子と果物にした。

 そして、本日、予定通り9時過ぎに自分の車に同乗してもらってお寺へ向かった。お寺では、納骨堂にストーブを焚いてくれていて、彼の遺骨の下に花や供え物等を置けるテーブルを用意してくれていた。お線香をあげてから30分ほど、彼を偲んでいろいろな思い出話をした。共通の思いは「多分、奥さんの体調が悪かったので、自分は具合が悪くても病院に掛らないで、ずっと我慢していたのだろう」ということだった。

 お寺を後にして、久しぶりの我が家にも上がってもらい、1時間半近くいろいろ思い出話に花を咲かせた。「お互いこんなことでもないと、なかなか会えないよね。今度はこんなことでないときに会いたいね」と別れた。 

 Ta女史の記憶のお陰でなんとかお寺が分かり、まだ納骨する前の遺骨にお参りすることができたことは幸いだった。しかし、年々、親しかった方やお世話になった方が、少しずつ亡くなって行くのは仕方ないことだが、寂しい限りである。

2018年の山を振り返る

2018年12月19日 | 登山・旅行

今年1番の山となった、海抜0㍍の田子の浦からスタートし、3日目のご来光を待つ富士山山頂。
平安時代から江戸時代まで続いた修験の道・村山古道を通って登頂し、宝永山を経由して下山(7月)。

 今年は、今日の段階で、退職後15年間で山行日数が最少の59日に終わっている。その1番の原因は、天候に恵まれなかったことである。
 これまで必ず出掛けていた花の時期と紅葉時期の大雪山系は悪天候が続いた。また、毎年欠かすことのなかった日高山脈も、ペテガリ岳の計画はあったが2度にわたって悪天候で中止した。ついに大雪も日高もピークを1山も踏むことができなかった年となった。
 2番目の原因は、道内では主だった山は何度も登り、だんだん登りたい山がなくなって来たこともある。それでも、四国遍路と奥州街道(三厩~盛岡)の歩き旅の日数を合わせると112日になったがせめてもの救いである。

そんな中で、道内の山で印象に残るのは、下記の山々である。

 初めて鋭く尖った西峰を踏むことができた恵庭岳(9月)


これも初コースの南西尾根(函中コース)から剣ヶ峰に立った駒ケ岳(5月)


スキーで登った隅田盛(駒ケ岳)(2月)


「日本の山1000」(山と渓谷社)掲載の道内の山102山の内、唯一未踏だったアトサヌプリ(硫黄山)(2月)


長年の念願だったオタモイ山~写万部岳のスキーでの循環縦走(2月)


「白水岳に登り隊」による登山道再開削の笹刈り作業に2回参加した白泉岳(6月)
自分は参加できなかったが、秋には隣の南白水岳まで開通した。


15も連続する滝を遡り、笹薮尾根に逃げて登頂した笹山(松前)(9月)

 今年の特筆すべきことは、上掲の笹山もそうであるが、道南の地形図に掲載されている224山の内登り残していた薮山46山のうち、27山を踏破でき、残りが19山になったことである。低山は1日にいくつも踏破し、残りは、奥深い山や積雪期にしか登れない山ばかりとなった。来年中に、松前小島と渡島大島の3山を残して、なんとか全山踏破したいと思っている。

 道内の山は不作だったが、7月の北アルプス~富士山~東北の山は、天候にも恵まれてそれなりに充実した山旅だった。ただし、北アルプスは精神的な弱さが出て、縦走計画を断念したことに悔いが残っている。


国内3000m超峰完登の大汝山(立山)
立山は、三百名山巡りで主峰の雄山だけで戻り、最高峰の大汝山には登っていなかった。


穂高連峰と槍ケ岳を近くから眺めることができた念願の蝶ケ岳


今回登った東北4山の内、一番印象深かった岩手山の裏の顔・鬼ヶ城循環縦走(上が越えて来た鬼ヶ城稜線)

 今年は、道内の山では強い印象に残る山行が少なく、北アルプスではなぜかネガティブな気分になり縦走を断念したが、まだ守りには回りたくないし、体力も落ちているとは思っていない。
 来年は、後期高齢者の仲間入りをするが、過去10回経験している山行日数だけで100日突破を目指し、それらのリベンジと、道内の山の再訪や新ピーク、道南の薮山全山踏破、残りが45山になっている「東北百名山」の完登への挑戦も目指したい。

北海道新聞みなみ風連載「どうなん・とうほく山楽紀行」
本日掲載の51回目「鳥海山」(秋田県・山形県)は、下記の「最新情報」でどうぞ!
 http://sakag.web.fc2.com

古民家カフェ・茶房 無垢里

2018年12月18日 | レトロ建築・古民家カフェ

堂々とした門構え、庭の古木が印象的な、蔵を併設した純和風の茶房無垢里。

 西部方面には古民家や蔵を改造した洒落たカフェが多い。その中でも、旧相馬邸の向かいに位置する、明治29年築の蔵を利用した純和風の茶房 無垢里は、その豪華さから、竣工当時は元松前藩家老家だった施主の名前をとって「下国御殿」と呼ばれたという。なお、母屋は昭和初期の建築とのこと。
 
 以前から入ってみたいと思っていたが、中の写真を撮りたかったので、日曜日の昼に妻を誘って出掛けた。12月25日から2月末まで冬期休業に入るので空いているだろうと思ったが、次々とやってきて、あっという間に満席になり、カウンターで待っている客もいた。


右が茶房の玄関、左は母屋の玄関


玄関から入り、蔵の入口から眺める蔵の中のメインルーム


3組のテーブルしかないが、周囲に配されている調度品の数々は、さりげなくも頑なに和を意識した、素朴な味わいを感じさせてくれる。蔵の中ということを忘れさせてくれる落ち着いた雰囲気がうれしい。


一番目を引く大型のオルゴール。中を覗くとオルゴールの円盤が見られる。


立ち入り禁止になっている階段に飾られているクリスマスツリー


窓と意匠が美しい障子


昔懐かしい火鉢


蔵の中のメインルームから玄関を眺める。引き戸が大きい。


玄関の右手にある1組限定の2畳間の部屋(ここだけ喫煙可)


きのこスバゲティ(コーヒーor紅茶付き)


めんこい田舎しるこ(コーヒーor紅茶付き)


どちらにもセットになっているコーヒー。
これらのほかに、クリームぜんざいやおでん盛り合わせが人気らしい。


カテゴリーに新しく「古民家・古建築探訪」を設け、過去記事をこちらに移しました。

講演会「菅江真澄が巡った蝦夷地」

2018年12月17日 | イベント鑑賞・参加

 12/15(土)に函館中央図書館で開催された、菅江真澄没190周年函館講演会「菅江真澄が巡った蝦夷地」という講演会に参加した。

 今まで、江戸時代後半に蝦夷地にやって来たという菅江真澄のことは漠然と知っていたし、秋田県や青森県の山や旧街道には、多くの歌碑が立っているのを目にしている。しかし、具体的にどんな人物で、蝦夷地ではどんなことをしたのかは知らなかったので興味があったからである。


 講師は2名で、石井正巳(東京学芸大学教授)の演題は「函館で詠む菅江真澄」


長谷部一弘(函館市縄文文化交流センター館長代理)の演題は「菅江真澄が観た蝦夷風俗」

 石井氏は、主に菅江真澄が書いた寛政元年の「えみしのさへき」と寛政4年の「えぞのてぶり」の原文をもとに解説し、長谷部氏は、それらを訳した文章や真澄の描いたスケッチをもとに解説され、2人の内容はダブるところが多かった。



 菅江真澄は、三河吉田宿近郊(愛知県豊橋)の出身で、1873年(30歳)に旅に出て、長野、山形、秋田、岩手、宮城、北海道を旅して、多くの旅日記・地誌・図絵を残している。


 蝦夷地に滞在したのは 1788年(35歳)~1792年(39歳)の5年間で、そのうち、1789年には、松前から上ノ国、江差を通り、太田山神社に参詣している。そのときの旅日記が「えみしのさへき」である。主にアイヌ語のことについて書かれている。
 さらに、同じ年に函館周辺にいて、昆布漁の様子と道具を描いて「ひろめかり」として残している。
 1790年~1791年の2年間は、旅はせずに、松前城下に滞在し、松前文子を中心とした幕臣、その子弟、藩医、神職、商人等との歌作に精進していた。その様子は「ちしまのいそ」として残されている。
 1792年には、松前~噴火湾沿い~有珠まで旅をして有珠山に登っている。その旅日記が「えぞのてぶり」で、主にアイヌの風俗について書かれ、地形の図絵も多く残している。

 蝦夷地の後は、1829年(76歳)に没するまでの29年を秋田の地で過ごしている。秋田県内をくまなく歩き、すべての市町村に足跡を残している。だから、秋田県の山に菅江真澄の足跡が多いことも納得。