バックから入線。まず、最後尾はオハフ50 33。国鉄時代にオハフ50系で33番目に製造されたものなのか。
2両目は、オハ50 22。ということは・・・
オハ50 11。
11+22+33 というふうに連結していれば、真岡鉄道が意図的に改番したことがうかがえます。
国鉄時代に活躍した、オリジナル番号のままのほうがよろしいのでは。
運転席。スイッチや多数のメーターがあります。示された数値をどう読み解けばよいのか理解できず・・・。
S8・日立 と刻印されています。これも我が故郷の山口県で製造されたものです。昭和8年を西暦にすると、1933年。計算してみたら御年90。この先もずっと現役で頑張って欲しいと思います。
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真岡に行ったのは四回。
初めての時は仕事がらみで、自車で行って散会し「んん~?あの逆スイカみたいなカワイイ電車は何?」と気づいたのが初っ端です。近くの寺内駅に寄って時刻表を見ていたら機関車が走るとわかりました。「よし行くぞ」で土曜日の早朝、首都高速で道に迷ったり(車にナビ無し、当時はガラケー笑)半泣きでギリギリ到着し真岡駅に車を停めて、その時はまだいて、レアと言われていたC11に乗りました。動き始めの各車両の「ガッチャン」今どきの電車にこんなのないですよね、感激でした。
三回目はその仕事関係で、足もなく近くにコンビニもなかった張付けの中国人に差し入れをしに行って「週末遊びに行く?一緒に機関車に乗ろうよ」と強引に誘導し、四回目に乗りました。その時はC12。
機関車って乗っちゃうと見られないんですよね、痛しかゆしです。
C11の時はすぐ戻って寺内駅で折り返してきたのを観ようと待っていたら、ご高齢のご夫婦がそこから乗ると、ご主人はカメラを首から下げて待っていた。ご主人が鉄ちゃんで「行きたいというので一人ではもう無理だからわたしも一緒に来たのよ」と奥さん。「じゃあお見送りしますよ」といって寺内駅の前の畑のあれは麦だったかな、あぜ道(ホントは入ったらダメですよね)から腕を振って見送りました。ゆっくりだから踏切まで走って行ってそこでも。もう80代かというご夫婦でしたが、お二人とも立ち上がって手を振ってくれました。
…勝手に「美しい記憶」にしてあたためています。
ほっこりしてしまいそうな、楽しいお話ありがとうございます。えー!4回も行かれたんですかっ!?私が行ったこともあるところに、老婆心さまも行かれているんですね。このあいだの、小倉も、ですね。(笑)
C11は本当に幻の機関車でしたね。今は東武鉄道さんに売却してしまって、東武のSL大樹で活躍中とのこと。
80代のご夫婦、鉄道に興味があっていいですねぇ・・。うちの家族で鉄道ファンは私だけなんです。家族旅行に鉄道旅を組み込むのは絶対無理・・・。