狸喰うモノ牛愛でるモノ

アラフは扇動者、教育を知らない

機能している自由弾圧に「教室」がある。

2024-05-09 14:17:40 | Weblog

「教室」とは教師の独裁が認められている空間であり、親が教師に子どもの自由弾圧を依頼する制度である。 これが現代の学校教育。

左翼が自由を口にしながら同時に自分たちが弾圧する側となる事を求め続け、味方である場合に異を唱えないのもこの「教室教師」経験をメンバー共通の根拠としているから。

私が求める言論統制にはこれに近いものがある。 第一にモラル、場合によっては知能で切り分けが為され、発言が制限されるというもの。 モラルのない人間が影響力を行使する事が禁止されていて、モラルのある人間は発言に関して無制限自由とされる社会。

私の基準だと左翼の問題は個々のモラルの無さにある、となる。 教師の問題も同様で、モラルと見識の狭さが。 モラルがあり見識の広い人物は大勢の教師となるべきか。 これは是だろう。 他者の発言に優先されるべきか。 是とする、ただし救急を除くと。
逆に言うと悪人と馬鹿は病気、大怪我以外での発言は許されないとなる。 それが良い社会かと問われると、秩序立ってはいて多くのものが守られる場であろう。 バカッターやインスタバエの逆の理想。

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天のモノは孤立を選ばない。 二人いれば癒着を選ぶ。

2024-05-09 13:05:17 | Weblog

エデン物語に「人が一人で居るのは良くない」との場面がある。 彼らの悪の表れと見る。
唯一神を選ぶ人は社会で孤立する。 癒着を選ぶ人は唯一神を選ばない。 天に善へと人を導く能力はない。 摂理的な問題があってそうなっている。 彼らはそれに気づかない。

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終末トレイン視聴者らをSIROBAKOアンチが憂う

2024-05-09 13:01:35 | Weblog

表題のアニメの。 評判が良いようで、絵もよく動かったので「引っかかる何か」を感じつつ視ていたが、先日「自衛隊叩き回」とも取れる回があり切り。 決定後に引っかかる何かを調べてみたらSIROBAKOの制作者だった。
「引っかかる何か」は何だったのか。 多分だが
1 悪役作り
2 左翼志向
3 決めつけ
4 底意地の悪さ

多分1~4全部連動してる。
良い(かもしれない)点は
1 平成ガイナックスを志向してそう

あたりかと。
悪役作りでの組み立て方しか出来ず、1970年代正義の左翼志向になる、いや逆だろう。 1970年代あたりの左翼志向を受け継いでいて、それに沿って悪役作りをする。 リベラルジェンダーなステレオタイプと底意地の悪さは肉付けとバランス取りのつもりなのだろう。
遡って、三十年前のガイナックスには善の道と悪の道の2つがあったのではと思う。 どっちを選んでもウケる視聴者層が違い、悪の道の礼賛者を見た制作者がこうなった。

感想としては「邪神がヤサを変えた」である。

さてどうするか。 第一案は「放置」である。
行動力と実行力があったらやる事は簡単、アンチコメをあちこちに書き込む。 それで終トレ支持者らはリベラルワナビーを止めるかというと、効果はあると見る。 若年層には効き、聞かない層は長期的に隔離され、その後ゆっくり枯れていく。 その枯死に旧支持者らは「文化が失われた」とするだろうが私は「いじめ文化を一つ減らせた」とする。

放置で何が起きるか。
そのアニメ制作者らはどうなるか。 百回叩かれれば何かしらか思うものも出来よう、何らかの形で「普通の人」になるだろうと期待できる。 それをする気力はないね。

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