「フェミ臭ゆえ不可なアニメ」の条件、ひっかかりポイントがやや言語化し辛い。
原作者ないしアニメ制作者が男に向けた邪性にポリコレを被せてるのを見て取っているのだろうが、パターン化されたものとしてこういうのが攻撃対象となる、というのと、その中に「こういうのがまさにそれ」があるのだが。
一昔前のヤクザ・チンピラ行為を正当化し自慢するような作品を比較対象とすると絞り込めるような気がする。 ただ一般に「内面の悪は悪として描く」のが男側の主流だから発案者から責任者から紹介者観客まで軒並み頭悪いクズじゃないと世に出ないと想う。
そして旧来の人類にそうした違いを見ても見ぬふりしすぐ忘れる、そういう習慣が根付いている事を不快とする。 それは善ではない。 内面の悪を見逃すのを寛容と称するのは利に聡いだけ。