私生児?
春子は退院後、きびきびと働いた。
まるで、入院中やれなかったことを消化するように働いた。洗濯、掃除、食事作り、生け花、編み物。春子はとても楽しそうに活動した。
あるいは、活動することで精神の安定を保とうとしていたのかも知れない。
「春子……よく働くなぁ」
亮一が呆れた顔でいう。と、妻の春子は、
「だって……いままで入院して寝てばかりいたんだもの。その分も取り戻さなければね」「そうか」
亮一は笑った。
「…で?もう病気はいいのか?」
「えぇ。もう精神安定剤も飲まなくていいし、もう大丈夫よ。ただ…」
「うん?」
「精神を病んだこと…」春子は続けた。「誰にもいわないでほしいの」
「……なんで?」
「だって……恥かしいもの。おかしいと思われたら…」
亮一は笑った。
「笑いごとではありませんわ」
春子がむくれると、彼女の旦那は「誰にもいってないよ」といった。
「そうですの。……それはありがたいですわ」
「でも……小室さんだけは知ってる」
「みつ代?まぁ、みつ代なら大丈夫よね」
「まあね。あのひとはいいひとだから」
「えぇ」
春子は微笑んだ。亮一も微笑んだ。
しばらくすると、春子が、「……あのね」と、何かいいかけた。
「なんだい?」
亮一が尋ねる。春子は、「もうひとり子供が欲しいですわ。わたし…」といった。
「え?でも…」
「だめですの?」
「いや」亮一はいった。「…でも、君は子宮癌で手術して……もう子供が産めないじゃないか」
「そうですけど…子供を産めないなら……もらってきたらいいんですわ」
「もらう? もらうっていったって……子犬をもらうような訳にもいかんよ。人間の子なら…」
「そうですけど…養女がほしいのです」
「養女…?女の子かい?」
「えぇ。女の子を…可愛い女の子が欲しいですわ。そして、頭もいい。とっても可愛い子を…」
「しかし……育てるのは君だよ。大変だよ」
「わかってますわ」
春子は強く頷いた。
「……本当にわかってるのか?」
「えぇ!」
「………自分の腹から産まれた子じゃない。血もつながってない子供だぞ」
「えぇ!わかってます!私、一生懸命可愛がります!」
春子は強くいった。
何をいいだすかと思えば、養女か………
亮一は困惑した。
女の子をもらう…?…子犬をもらうように簡単にいうじゃないか…
女の子………?
確か、奈々子の子も……女の子……。しかし……
「お願いします!女の子……もらってきて下さいな」
春子は嘆願した。
亮一は何と答えたらいいかわからず、沈黙するのだった。
しばらくしてから、亮一は、「…そうだ」と思い出したようにいった。
「なんですの?」
「緑川が会社にきてね」
「……はい」
「なんでも入院するそうだよ」
「え?」春子は驚いた声でいった。「どこが悪いんですの?」
「癌らしい」
「癌?!まぁ…」
「でも。初期癌らしいよ。すぐ手術して、どこかで静養するらしい」
春子は同情の顔をした。
……ふん。同情か…ざまあみろ
亮一は妻の顔をみて、そう不遜に思った。
季節はもう秋だった。
夏のぎらぎらした陽射しは弱まり、なんとも清々しい風が心地好い。街路樹はもう赤や黄色で、都会にも秋がきているんだなぁと感じる。
ふたりはもくもくと歩いていた。散歩である。
亮一らは女子高生と擦れ違った。
彼女らはなにかおしゃべりしながらへらへら笑っていた。箸が転んでもおかしい年頃である。何がおかしかったのか。
亮一は昔のことを思い出していた。
彼が高校生のときのこと。
浜坂亮一は学級委員長で、進学校の高校二年生だった。もちろん勉強もしていたが、いやらしいことにも興味があった。
一番、やりたい年頃である。
亮一は当時、彼女がいなかった。それより勉強……と考えていたからである。
しかし、つい、いやらしいことを考えてしまっていた。
彼が妄想をふくらまして歩いているとき、近所の中学生の女の子をみかけた。
けっこう可愛い女の子で、髪はみつ編みだった。
亮一はむらむらして、その女の子に声をかけると公園に強引に連れていった。
そして、「由美ちゃん!」といって、椅子にすわらせると無理やりキスをした。初めてのぎこちないキスは数秒つづき、そして彼は彼女の唇からはなれた。
女の子は頭が真っ白になり、驚愕した。
と、今度は亮一は彼女のふくらみはじめた胸に手を触れ、はあはあと息もあらく揉んだ。「……いやっ!」そういうと、女の子は立ち上がり逃げ去った。
亮一は当時、その女の子が好きだった訳ではない。女なら誰でもよかったのだ。
彼は、胸を揉んだ手をみつめ、匂いをゆっくり嗅いだ。
女の子は警察にも両親にも、亮一にされたことを喋らなかった。
そのため、亮一は悲惨なことにはならなかった。
だが、女の子は亮一をゆすってきた。亮一のみぞおちに占めていた漠然たる不安が脅威的な形をとりはじめ、全身に警告の赤ランプがともっていた。ちくしょう! 罠にかけられた! 由美が短いスカートで、ふとももを、色気のあるふとももを俺にみせつけ、意味あり気な微笑をおくってきたから、強引に唇を重ね、胸を揉んだのに…。金を要求とは! 由美は「口止め料」として一万円要求してきた。
当時の一万円は大金である。しかし、少女は要求してきた。
亮一は脅迫に屈し、ひそかに金を払った。
たったひとつの過ちのために大金をとられた…
それから、少女は亮一の顔をみる度ににやにや嘲笑するようになった。
亮一は、あの少女を殺してしまいたい…… あの少女とのことをなかったことにしたい…… と、後悔し、強くねがったものだ。
当時のことを思い出し、後悔の念にかられた。
そして、奈々子を殺した光田利二と俺と、……どこが違うっていうんだ?
ざんき
と、慙愧した。
恥かしい昔の出来事だ。
しかし、過去のことは消すことは出来ない。
奈々子を殺した光田利二と……俺と……どこが違うっていうんだ?
自分だって女にいやらしいことをしたではないか……
光田は殺したが、俺は殺してない……
ただ、その差だけだ……
そう思っていると、息子の純也が、「どうしたの?お父さん…怖い顔して…」と心配げに声をかけてきた。
「ん?」
「なにかあったの?」
「い……いや。何もないよ」亮一は歩きながら、無理に口元に笑みをつくった。
そうしながらも、奈々子を殺した光田利二と……俺と……どこが違うっていうんだ?
と、自分の胸の中で自問するのだった。
奈々子を殺したのはホームレス……。なんで彼女がそんな男に…?
ふいに、家にひとりとなった春子は思った。
私が緑川さんに浮気心をもっている間に、彼女は殺された
私のせい……?
犯人の光田利二という男が憎いわ…
春子はそう思った。
春子は、自分の旦那が、松崎奈々子と浮気をしていたことなど露ほどにも知らない。
しかも、緑川さんは癌だなんて… 私は精神を病んだ……
天罰だわ……
奈々子からの天罰よ……
春子は思わず泣きそうになると、天井を向いて涙を堪えた。
「すいません!誰かいますか?!」
そんな時、玄関から男の声がした。
「は~い」
春子は玄関に向かった。ん
訪問客は武田玄信だった。
「…まぁ、武田さん」
「おひさしぶりです。奥さん」
武田は笑った。
武田玄信は、春子の夫・亮一と大学の同期で、産婦人科医で、春子は結婚式のときにあったきりだった。だが、春子は、この温厚な顔のひとを忘れてはいなかった。
武田は亮一の親友とかで、大学時代はよく「馬鹿」をやったという。
酒豪でもあり、グルメでもあるという。
「武田さん…お元気そうね」
「いやあ、奥さんこそ。こんなに綺麗な奥さんをもらって……浜坂のヤツがうらやましいですなぁ」
「まぁ、お上手ですこと」
「いえいえ、お世辞ではないですよ。本当に思ってるんですから」
ふたりは笑った。
「ところで……何のご用で?」
春子がきくと、武田は、「いやなに。ちょっと浜坂に用があるといわれて…きてほしいと」
「まぁ。主人が? ……!わかったわ!養女のことですのね?」
「え?」
春子はうきうきといった。「主人が私の願いを叶えて下さろうとして…」
武田は無言になった。まさか、奥さんは松崎奈々子の忘れ形見のことを知ってるのか…。まさか!そんな…。「…ご存じでしたか…」
「はい」
春子はいった。「女の子が欲しいのですわ、わたくし。可愛い女の子が…」
「……そうですか…」
武田は暗くいった。
「そんな女の子の赤ちゃん……おりますかしら?」
「そうですね……探してみます」
「まぁ!お願いします」
春子は至福の顔をした。
「…ということだ」
病院を訪ねてきた亮一に、武田はいった。日曜の午後だった。晴れで、もう冬だ。
東北や北海道や北陸はもう雪景色だという。しかし、東京にはめったに雪は降らない。 降っても、数センチぐらいしか積もらない。でも、その程度でも、雪がふると必ず東京人の中で滑って転倒して死ぬ人間が出てくる。
わずか数センチで死者が出るくらいなら、東北や北海道では何万人も死ななければならない。東京は雪に弱すぎる気がする。
「そうか」
亮一はいった。病院の応接室で、ふたりは珈琲をのんだ。
「…春子は養女がほしいと君にいったか」
「あぁ。まぁ、適当な女の赤ちゃんがいないこともないんだが…」
「松崎奈々子の子かい?」
亮一は平然といった。
「知っていたのか?!」
武田が思わずもっていたカップの中身をこぼしそうになると、亮一は、「まあな」といった。
「松崎奈々子の子をもらってみようか…」
「父親はわからんのだぞ。母親は殺害され、天涯孤独の赤子だ」
「父親は……俺かも知れん」
「え?」武田はハッとした顔をした。「お前が? まさか!」
「いや……実は、俺は松崎奈々子と密かに付き合っていた。男と女の関係もあった…」
「しかし…」
「俺はその子の父親かも知れん。引き取りたい」
亮一はいった。
「奥さんは?どうするんだ?バレたら…大変なことになるぞ」
「俺と奈々子のことは内緒だ。秘密にして”他人の子”として引き取りたい」
「おいおい…」武田は唖然として、「本気でいってるのか?」ときいた。
それにたいして亮一は、
「俺は本気だ」というだけであった。
春子は退院後、きびきびと働いた。
まるで、入院中やれなかったことを消化するように働いた。洗濯、掃除、食事作り、生け花、編み物。春子はとても楽しそうに活動した。
あるいは、活動することで精神の安定を保とうとしていたのかも知れない。
「春子……よく働くなぁ」
亮一が呆れた顔でいう。と、妻の春子は、
「だって……いままで入院して寝てばかりいたんだもの。その分も取り戻さなければね」「そうか」
亮一は笑った。
「…で?もう病気はいいのか?」
「えぇ。もう精神安定剤も飲まなくていいし、もう大丈夫よ。ただ…」
「うん?」
「精神を病んだこと…」春子は続けた。「誰にもいわないでほしいの」
「……なんで?」
「だって……恥かしいもの。おかしいと思われたら…」
亮一は笑った。
「笑いごとではありませんわ」
春子がむくれると、彼女の旦那は「誰にもいってないよ」といった。
「そうですの。……それはありがたいですわ」
「でも……小室さんだけは知ってる」
「みつ代?まぁ、みつ代なら大丈夫よね」
「まあね。あのひとはいいひとだから」
「えぇ」
春子は微笑んだ。亮一も微笑んだ。
しばらくすると、春子が、「……あのね」と、何かいいかけた。
「なんだい?」
亮一が尋ねる。春子は、「もうひとり子供が欲しいですわ。わたし…」といった。
「え?でも…」
「だめですの?」
「いや」亮一はいった。「…でも、君は子宮癌で手術して……もう子供が産めないじゃないか」
「そうですけど…子供を産めないなら……もらってきたらいいんですわ」
「もらう? もらうっていったって……子犬をもらうような訳にもいかんよ。人間の子なら…」
「そうですけど…養女がほしいのです」
「養女…?女の子かい?」
「えぇ。女の子を…可愛い女の子が欲しいですわ。そして、頭もいい。とっても可愛い子を…」
「しかし……育てるのは君だよ。大変だよ」
「わかってますわ」
春子は強く頷いた。
「……本当にわかってるのか?」
「えぇ!」
「………自分の腹から産まれた子じゃない。血もつながってない子供だぞ」
「えぇ!わかってます!私、一生懸命可愛がります!」
春子は強くいった。
何をいいだすかと思えば、養女か………
亮一は困惑した。
女の子をもらう…?…子犬をもらうように簡単にいうじゃないか…
女の子………?
確か、奈々子の子も……女の子……。しかし……
「お願いします!女の子……もらってきて下さいな」
春子は嘆願した。
亮一は何と答えたらいいかわからず、沈黙するのだった。
しばらくしてから、亮一は、「…そうだ」と思い出したようにいった。
「なんですの?」
「緑川が会社にきてね」
「……はい」
「なんでも入院するそうだよ」
「え?」春子は驚いた声でいった。「どこが悪いんですの?」
「癌らしい」
「癌?!まぁ…」
「でも。初期癌らしいよ。すぐ手術して、どこかで静養するらしい」
春子は同情の顔をした。
……ふん。同情か…ざまあみろ
亮一は妻の顔をみて、そう不遜に思った。
季節はもう秋だった。
夏のぎらぎらした陽射しは弱まり、なんとも清々しい風が心地好い。街路樹はもう赤や黄色で、都会にも秋がきているんだなぁと感じる。
ふたりはもくもくと歩いていた。散歩である。
亮一らは女子高生と擦れ違った。
彼女らはなにかおしゃべりしながらへらへら笑っていた。箸が転んでもおかしい年頃である。何がおかしかったのか。
亮一は昔のことを思い出していた。
彼が高校生のときのこと。
浜坂亮一は学級委員長で、進学校の高校二年生だった。もちろん勉強もしていたが、いやらしいことにも興味があった。
一番、やりたい年頃である。
亮一は当時、彼女がいなかった。それより勉強……と考えていたからである。
しかし、つい、いやらしいことを考えてしまっていた。
彼が妄想をふくらまして歩いているとき、近所の中学生の女の子をみかけた。
けっこう可愛い女の子で、髪はみつ編みだった。
亮一はむらむらして、その女の子に声をかけると公園に強引に連れていった。
そして、「由美ちゃん!」といって、椅子にすわらせると無理やりキスをした。初めてのぎこちないキスは数秒つづき、そして彼は彼女の唇からはなれた。
女の子は頭が真っ白になり、驚愕した。
と、今度は亮一は彼女のふくらみはじめた胸に手を触れ、はあはあと息もあらく揉んだ。「……いやっ!」そういうと、女の子は立ち上がり逃げ去った。
亮一は当時、その女の子が好きだった訳ではない。女なら誰でもよかったのだ。
彼は、胸を揉んだ手をみつめ、匂いをゆっくり嗅いだ。
女の子は警察にも両親にも、亮一にされたことを喋らなかった。
そのため、亮一は悲惨なことにはならなかった。
だが、女の子は亮一をゆすってきた。亮一のみぞおちに占めていた漠然たる不安が脅威的な形をとりはじめ、全身に警告の赤ランプがともっていた。ちくしょう! 罠にかけられた! 由美が短いスカートで、ふとももを、色気のあるふとももを俺にみせつけ、意味あり気な微笑をおくってきたから、強引に唇を重ね、胸を揉んだのに…。金を要求とは! 由美は「口止め料」として一万円要求してきた。
当時の一万円は大金である。しかし、少女は要求してきた。
亮一は脅迫に屈し、ひそかに金を払った。
たったひとつの過ちのために大金をとられた…
それから、少女は亮一の顔をみる度ににやにや嘲笑するようになった。
亮一は、あの少女を殺してしまいたい…… あの少女とのことをなかったことにしたい…… と、後悔し、強くねがったものだ。
当時のことを思い出し、後悔の念にかられた。
そして、奈々子を殺した光田利二と俺と、……どこが違うっていうんだ?
ざんき
と、慙愧した。
恥かしい昔の出来事だ。
しかし、過去のことは消すことは出来ない。
奈々子を殺した光田利二と……俺と……どこが違うっていうんだ?
自分だって女にいやらしいことをしたではないか……
光田は殺したが、俺は殺してない……
ただ、その差だけだ……
そう思っていると、息子の純也が、「どうしたの?お父さん…怖い顔して…」と心配げに声をかけてきた。
「ん?」
「なにかあったの?」
「い……いや。何もないよ」亮一は歩きながら、無理に口元に笑みをつくった。
そうしながらも、奈々子を殺した光田利二と……俺と……どこが違うっていうんだ?
と、自分の胸の中で自問するのだった。
奈々子を殺したのはホームレス……。なんで彼女がそんな男に…?
ふいに、家にひとりとなった春子は思った。
私が緑川さんに浮気心をもっている間に、彼女は殺された
私のせい……?
犯人の光田利二という男が憎いわ…
春子はそう思った。
春子は、自分の旦那が、松崎奈々子と浮気をしていたことなど露ほどにも知らない。
しかも、緑川さんは癌だなんて… 私は精神を病んだ……
天罰だわ……
奈々子からの天罰よ……
春子は思わず泣きそうになると、天井を向いて涙を堪えた。
「すいません!誰かいますか?!」
そんな時、玄関から男の声がした。
「は~い」
春子は玄関に向かった。ん
訪問客は武田玄信だった。
「…まぁ、武田さん」
「おひさしぶりです。奥さん」
武田は笑った。
武田玄信は、春子の夫・亮一と大学の同期で、産婦人科医で、春子は結婚式のときにあったきりだった。だが、春子は、この温厚な顔のひとを忘れてはいなかった。
武田は亮一の親友とかで、大学時代はよく「馬鹿」をやったという。
酒豪でもあり、グルメでもあるという。
「武田さん…お元気そうね」
「いやあ、奥さんこそ。こんなに綺麗な奥さんをもらって……浜坂のヤツがうらやましいですなぁ」
「まぁ、お上手ですこと」
「いえいえ、お世辞ではないですよ。本当に思ってるんですから」
ふたりは笑った。
「ところで……何のご用で?」
春子がきくと、武田は、「いやなに。ちょっと浜坂に用があるといわれて…きてほしいと」
「まぁ。主人が? ……!わかったわ!養女のことですのね?」
「え?」
春子はうきうきといった。「主人が私の願いを叶えて下さろうとして…」
武田は無言になった。まさか、奥さんは松崎奈々子の忘れ形見のことを知ってるのか…。まさか!そんな…。「…ご存じでしたか…」
「はい」
春子はいった。「女の子が欲しいのですわ、わたくし。可愛い女の子が…」
「……そうですか…」
武田は暗くいった。
「そんな女の子の赤ちゃん……おりますかしら?」
「そうですね……探してみます」
「まぁ!お願いします」
春子は至福の顔をした。
「…ということだ」
病院を訪ねてきた亮一に、武田はいった。日曜の午後だった。晴れで、もう冬だ。
東北や北海道や北陸はもう雪景色だという。しかし、東京にはめったに雪は降らない。 降っても、数センチぐらいしか積もらない。でも、その程度でも、雪がふると必ず東京人の中で滑って転倒して死ぬ人間が出てくる。
わずか数センチで死者が出るくらいなら、東北や北海道では何万人も死ななければならない。東京は雪に弱すぎる気がする。
「そうか」
亮一はいった。病院の応接室で、ふたりは珈琲をのんだ。
「…春子は養女がほしいと君にいったか」
「あぁ。まぁ、適当な女の赤ちゃんがいないこともないんだが…」
「松崎奈々子の子かい?」
亮一は平然といった。
「知っていたのか?!」
武田が思わずもっていたカップの中身をこぼしそうになると、亮一は、「まあな」といった。
「松崎奈々子の子をもらってみようか…」
「父親はわからんのだぞ。母親は殺害され、天涯孤独の赤子だ」
「父親は……俺かも知れん」
「え?」武田はハッとした顔をした。「お前が? まさか!」
「いや……実は、俺は松崎奈々子と密かに付き合っていた。男と女の関係もあった…」
「しかし…」
「俺はその子の父親かも知れん。引き取りたい」
亮一はいった。
「奥さんは?どうするんだ?バレたら…大変なことになるぞ」
「俺と奈々子のことは内緒だ。秘密にして”他人の子”として引き取りたい」
「おいおい…」武田は唖然として、「本気でいってるのか?」ときいた。
それにたいして亮一は、
「俺は本気だ」というだけであった。