どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

~からの自由

2015年10月20日 | 日記
朝 古着を出しに行く

洗濯を済ませ 部屋を片付けてから 昨日の徘徊の日記を書き始める

実は 退職してから毎日日記を書こうと密かに決めていた

ひとつくらいは自分に何かを課しても良いと思ったし 毎日何かしら考えたり思ったりすることはあるはずだと想像していたが そんなに簡単なことでもないとこの頃感じ始めている

第一 私のように退職してしまった独り者にはそうそう出来事が起こることもなく もしも今日は何もしないと決めて寝ていたら一日は静かに音も無く過ぎていく生活なのだ

でも そいつは面白くないなぁ

いつかは 寝ていたくなくともそういう時が来るかもしれないのに


労働者だった時は毎日が流れるように進み またその流れにうまく乗りながら日々を送ることが大切だった

その流れは必ずしも自分の望み通りというわけでは無いが とりあえあず流れの中にいればある種の安心を得ることはできたし そのことも十分わかっていた

今は これも予測していたことではあるけれど 流れからして自分で見つけなければならない

何しろ 足枷になるようなものは無く 後ろ髪を引かれるようなこともなく 誰かのために何かをしなければならないということもない日々だし

ボートに乗るのか カヌーにするのか 浮き輪ひとつで行くのか 危険は何か 正しいことか 時間配分や健康状態まで どこの岸で休むか 座礁することも考慮しながら 慎重かつ大胆に進んでいく

う~ん これって人生の冒険者になったってこと?(かっこよく言えば)


「~からの自由」は会社や仕事というよりも 「あの人」からの という点で達成した

「~への自由」は 責任と孤独を引き受けながら 自主的に積極的に自分の人生に関わっていくことで達成されると思っている

これで良いのか と考える時 決まって両親が出てくる(霊の存在を信じていないので 姿が見えるわけではない)

手本になるというわけでは無いが 今の私をどう思うだろうか 何を言われるだろうか 褒めてもらえるだろうか 情けない奴だとは思われないか 私は胸を張って やってるよ~ と言えるだろうか

両親は勝手に私の人生から消えて自由になったけれど 私はまだまだ「親からの自由」は達成できていないのかもしれない と思うこともある

とりあえずは 親の遺品からの自由を達成することが今の目標
コメント (2)
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