どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

父のへその緒

2015年10月21日 | 日記
本日 再び家の整理に入る

夏・冬用に加えて体重の増減もあったから仕方が無いとしても なんでこんなに礼服が出てくる?

しかも女性用と違って男性は上下のスーツだから いや ほんと参る

今日で洋服ダンスは全て整理して やっと捨てるだけになった


押し入れには父の小学校卒業の賞状から始まり・・・・もう書くのも飽きる・・・

青春時代の写真も数多くあり 昔はそんなに写真を撮ったのかと思うほどだ

いずれは出征があると覚悟して友人と撮り合ったのだろうか

私なんか 青春時代の写真は数えるほどしかないのに 

とにかく知らない人の写真が多くて もうその方々も生きていらっしゃらないだろうし(と勝手に決める) 私自身 彼が誰なのかもわからないのでほとんど破って捨てた(父ちゃん ごめん!)


何度も書いているから想像に難くないとは思うが ネガまできちんと取ってあるし おそらく戦地から戻って最初の就職だったと思われるが 昭和21年に入社した会社の辞令のようなものも出てきて そこには月収600円と書いてあった

兄は戦死し 二人の妹と両親を抱え(体が弱かった祖父はその頃はもう働けなかったかと思う) 弟は家のことはお構いなしという中で 父は大黒柱として働いたと聞いている

父にとって兄は頼りになり また男気もある優しい人だったというから もしも戦死せずに戻ってきていたら父の人生も変わっていたかもしれない

それからまもなくして両親は出会うけれど 付き合うようになってからも結婚に至る道のりは遠かったようで 随分と母を待たせたと父は言っていたっけ

結婚式こそきちんとあげることはできたけれど新婚旅行までは手が回らず 式が終わってからどこに行こうかと二人で相談し 定番の熱海にしたと笑って楽しそうに話してくれた二人の顔を忘れることはない


基本的には収入や貯金の額 借入金の話などは子供に話さなかったし 話さなくてもだいたいは察しがつくけれど それでも古い貯金通帳やら土地の売買の証書やら 見たことも無かった家の経済史の片鱗を見るにつけ 両親が力を合わせて一からこの家庭を築きあげてきたのだということはよくわかった

昔は生意気にも 結婚して親になった以上はそんなことは当たり前だと思い 不満(金銭的なことではなかったが)をぶつけたこともあったが 親だって完璧な人間というわけじゃなく それでも出来る限りのことはやってくれたのだと 今は素直にありがたかったと思う って もう遅いか・・・

でも両親だって子供としての立場では似たようなものだったかもしれないし 親はそういうもの 子供はそういうもの かもしれない

親にならなかった私が親心をわかったと言う資格は無いのかもしれないし 実際にわからないこともあるのだろうけれども 在りし日の記憶と残された物を結びつけながら二人の心の謎解きをしてく作業は そう悪いものでもない 


追記:そういえば 父のへその緒も出てきたのです

   自分のそれは母子手帳と一緒に持ってはいるけれど はてさてこれをどうしたら良いものか・・・

  
コメント (4)
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