箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

令和時代の学校教育

2019年04月30日 14時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
今日で平成という時代が終わります。
 
平成の時代の終わりともに、私が教職を定年退職できたのは、区切りとして 、少し感慨深いものがあります。
 
平成の途中から、私も仕事でPCを本格的に使い始めました。初めて携帯電話を持ちはじめたのは、今からちょうど20年前でした。
 
インターネットが注目され出した約25年前には、ネットは人と人、人と情報をつなぐ道具として、肯定的に捉えられました。
 
また、誰でも発信者になれるという利点が大きかったのです。
 
事実、このブログも、ネットのおかげで私は発信することができています。
 
 
このように、利点の多いネットですが、いまはコンピュータが計算して、私たち一人ひとりの好みや言動がデータ化され、それに応じた情報を「あなたにおすすめ」として送ってきます。
 
YouTubeなどは、たとえば野球に関する動画をいくつか閲覧したら、その後は野球関連の情報を、おすすめとして集中的に送ってきます。
 
つまり、本人には知りたい情報だけが集中して送られてくるという傾向が出てきたのです。
 
この状況は、ある意味で、ネットは繋がりのツールから、分断のツールとなる側面を表しています。
 
ネットの進行とともに、平成年間にマスコミの役割や書籍を中心にした出版業界が停滞しました。
 
小中学生でいえば、読書習慣が形成されないまま、ネット社会に加わっていくのです。
 
人びとの考え方や価値観も多様化してきて、いま平成の終わりまでやってきたというのが、今日的状況です。
 
 
 
 
人と人が分断にしむけられやすい、いまの時代にあって、来たる令和の時代に何を期待するか。
 
それは、人間社会の普遍的価値ともいえる「人と人のつながり(連帯)」を維持発展させることです。
 
そのための学校教育が果たす不易の価値は、今後もますます注目されなければなりません。
 
学校には、集団生活があります。学習を仲間と一緒にします。学校行事に集団で取り組みます。部活動は生徒間のタテの関係を学ぶ機会です。
 
高校では、いま集団に頼らない学習スタイルが始まりつつありす。
 
心斎橋では、個人がネット学習をして単位を取得する高校が人気を集めています。
 
その学習法を否定するわけではありません。時代の要請があるからです。
 
しかし、とくに小中学校は、仲間と助け合い、力を合わせて、一つのことを成し遂げるという経験を積むことができる、社会に出るまでの、その子にとっての最後の救育機関なのです。
 
人と人が出会い、直接的に会話をして、豊かにつながり、その価値を体感できる学校教育の存在が見直される。
 
このことを、来たる令和という時代に期待したいと思います。
 
 

地域に支えられて

2019年04月29日 19時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
本日は箕面三中校区の西南小校区青少年を守る会の歓送迎会が、西南図書館であり、私もお招きにあずかりました。
 
私がこの3月まで、4年間、箕面三中の校長を務めてこれたのも、保護者の皆さま、地域のみなさまのおかげです。
 
私が退職したので送る、また新しい校長が着任されたので迎える、という意味で、今日の会を開いてくださいました。
 
 
 私は、ありがたいことに、花束をいただきました。
 
ありがとうございました。
 
この受けた恩は忘れることができません。
 
 
「与えて恩を願わず、受けて恩を忘れず」を心に刻んでいます。
 
思えば、私が4年前に箕面三中に着任したとき、地域の人が温かく私を迎えてくださいました。
 
それ以後、地域の人びとに支えられて、4年間の校長という期間をまっとうさせてもらったのです。
 
このご恩は一生忘れることはないのです。
 
青少年を守る会のメンバーには、会長をはじめとして、役員のかた、保護司のかた、青少年指導員のかた、こども会のかた、西南小PTA役員、三中PTA役員・委員のかたなど様々なメンバーがおられますが、中には三中保護者OB・OGのかた、現役の三中生の保護者のかたがたがおられます。
 
そのすべてのみなさまに感謝します。
 
箕面三中の子どもたちが、健やかに成長できるのは、とりも直さず、この人たちのご尽力のおかげです。
 
三中校区の地域は、教育力が高く、アカデミックな校区です。
 
土曜日に参観授業をすると、お父さんやおじいちゃんの出席が多いという、教育熱心な地域です。
 
その地域で、三中の子が育まれています。
 
 
 
「地域に開かれた学校づくり」は、さまざまな側面があります。
 
施設を開く学習を開く、人を開く運営を開くなどの側面があります。
 
しかし、その中でもいちばん大切な側面は、学校側が地域の人たちに「心を開く」ことで、まず始まるというのが、私の持論です。
 
しかし、地域の人たちは、まず私に心を開いてくださいました。
 
そして、今日の歓送迎会では最後まで、私に心を開いてくださり、この絆は大切にしたいと思います。
 
お礼の申しようもないのです。ありがとうございました。

Happy Wedding Day

2019年04月28日 16時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
本日は、この3月まで私が校長を務めた箕面三中の教職員の結婚披露宴でした。
 
その教職員は、新郎として神戸市のハーバーランドにあるアニヴェルセル神戸という結婚式場で結婚式と披露宴を挙げ、私は新郎と同じ職場のもと上司ということで、お招きに預かりました。
 
箕面三中に縁のある教職員も私を含め、9名が式に参列しました。
 
 
 
10時からの結婚式でしたが、ウエディングチャーチで夫婦の契りを結びました。
 
 
 
結婚式終了後は、屋外で新郎新婦に花吹雪が舞い、新郎新婦が投げたブーケを参列者が受け取りました。
 
 
 
現在高1になった箕面三中卒業生もお祝いにかけつけてくれ、祝福してくれました。
 
ありがとうございました。
 
白と青の風船を全員がもち、合図とともに一斉に風船を大空にはなちました。
 
今年の3月14日の卒業式で、私が式辞のなかで述べたような、自立への旅立ちの風船を思い出していました。
 
 
 
さて、新郎と新婦の出会いは、大学時代でした。フットサルが二人の縁を結びました。
 
仲良し夫婦になれると、私は確信しました。
 
 
 
 
 
披露宴では、3年担任クラスの生徒たちが作ってくれたお祝いのビデオメッセージを流して、宴に花を添えてくれました。
 
高校生になり、忙しいなか集まり、お祝いの言葉を贈ってくれて、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
お料理も美味しく、新郎新婦からのプレゼントであるケーキバイキングが屋外であり、参列者全員にウェディングケーキのおすそ分けもありました。
 
 
 
新郎新婦にとって、またご両親にとっての喜びが私にまで伝わってきて、ホロリとときました。
 
ほんとうに、ほんとうに、おめでとうございました。
 
 
ちなみに、私の主賓あいさつを紹介しますと・・・
 
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
 
結婚披露宴お祝いのことば
 
 
「経験と時間が人をつくる」。 新郎( )さんは、私にこのことをあらためて教えてくれました。
 
本日はまことにおめでとうございます。ご両家のみなさま、ご親族のみなさまにおかれましても、喜びはひとしおのこととお察しいたします。心からお祝い申しあげます。
 
ただいまご紹介にあずかりました大阪府の箕面市立第三中学校もと校長でございます。この3月まで校長を務めていました。
 
新郎と同じ職場のもと上司ということで、ご指名をいただきました。ご来賓の方々、ご年長の方々をさしおきまして、たいへんせんえつとは存じますが、ひとことお祝いの言葉を述べさせていただきます。
 
新郎( )さんは保健体育科の若手教員で、現在1年生の学級担任を務めておられます。
 
3年前、彼は初任者として箕面三中に着任して、1年、2年、3年と学級担任を務めてきました。
 
そして、3年を担任した彼は教師として大きく成長された1年でした。
 
クラスに学校に来にくい不登校傾向の生徒がいました。彼はその生徒に寄り添い、温かくサポートしました。その結果、その生徒は、自分で進学する学校を考え抜き、みごとに高校進学を果たしました。
 
3回の学級担任という経験、そして3年間いう時間は、人をつくります。彼は、この真実をあらためて、私に教えてくれました。
 
もう一人前の教師として、どこの学校に行っても恥ずかしくないほど、成長し、育ってくれました。
 
これからも、教員としてのますますの活躍が期待できる人物であることを、まずもってお知らせさせていただきます。
 
 
さて、ご結婚という門出に際して、私がお伝えしたいことの一つは、自身の経験を通しても思うのですが、「夫婦というものは、自分が変わるということがポイントである」ということです。
 
ふつう人は、人間関係で衝突が起きたとき、どちらに非があるかを考えます。とこが、ほとんどの人は「悪いのは明らかに向こうや」と考えてしまいやすいのです。でも、こう考えている間は、残念ながら夫婦ゲンカが絶えないでしょう。
 
しかし、なかよし夫婦は、違う考え方をします。「自分が変わる」という選択をするのです。「たしかに向こうも悪いかもしれないけど、自分も直したほうがいいことは、実際あるよね」と考え直すのです。
 
学校の先生は、生徒を指導して、子どもを変える仕事です。ただし、大人の場合は「相手を変える」のは、無理です。無理と言えば言い過ぎかもしれません。「相手を変える」のはかなり難しいです。
 
だとしたら、自分を変えるほうが手っ取り早いのです。かといって、我慢しすぎるのも考えものです。言いたいことはお互いしっかり言って、小さなケンカをしながら、柔軟に自分も改める点がないかを見つめてほしい。このようにお二人に期待します。
 
最後になりますが、私が中学生に伝えてきたことがあります。
 
学校には先生や友だちの代わりはいくらでもいます。
 
しかし、自分を産んでくれた父親や母親の代わりはひとりもいないということです。
 
新郎新婦が今日という日を迎えることができたのは、とりもなおさずご両親のおかげです。
 
お二人は「与えて恩を願わず、受けて恩を忘れず」と心に刻んでください。
 
ご両親の後ろには、長年のご苦労と喜びが鮮やかに色づいています。よく、今日の日をお迎えになることができました。心よりお祝い申しあげます。
 
みなさま、このたび( )さんは、( )さんとの縁を、結婚という形に結実されました。
 
お二人が幾久しく、末永く幸せでありますよう、またご参会のみなさまのご健康とご多幸を心よりお祈りし、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。
 
ありがとうございました。
 
平成31年(2019年)3月28日
 
 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
 
 
 
 

自由のたいへんさを知る

2019年04月27日 08時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
先日、散髪をし終え、公園の横を通りかかると、小さな子どもが、父親に付き添われ、遊んでいました。
 
「ブランコはうまく乗れるようになったな。よし、次は滑り台だ」
 
このように、その父親はわが子に言っていました。
 
 
子どもは楽しそうに見えましたが、私は子どもが好きな遊びをさせてあげればいいのに、と思っていました。
 
 
 
 
「今日は何をして遊ぶ?」
 
「綱渡り!」
 
もし、子どもがこう言えば、フィールドアスレチックのある公園へ連れて行けばいいのです。
 
子どもに、「何をしてもいい」という自由をもたせてほしいと思います。
 
このことは、子どもが中学生になっても同様です。
 
「これをしなさい」ではなく、好きな道を選んでもいい。ただし、自分で責任をもつことを教えます。
 
 
年齢が上がれば上がるほど、自分の選択や自分の行動に責任をもつことが求められます。
 
たとえば、「ほかの人に迷惑をかけない」などは代表的な責任です。
 
その点だけを踏まえるなら、何をしてもいい。
 
 
これで、子どもは親離れができますし、親は子離れができます。
 
大人になるとは、子どもが自由を手に入れることです。
 
 
ただし、自由を手に入れた子は、同時に自由のたいへんさに気がつくのです。
 
大人とは、自由を謳歌しつつ、そのたいへんさを知っている人のことであると、私は思います。

命を吹き込む

2019年04月26日 12時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
「私にとって大切なものは自分の名前です。
 
なぜなら、両親からもらった生まれてはじめてのプレゼントだからです。
 
一生残る自分のものとなるので、とても大切にしたいです。」
 
 
 
この文は、昨年度の中学1年生の女子生徒が書きました。
 
 
また、私は昨年度の入学式で、次のとおり式辞で1年生に話しました。
 
 
一部引用
 
私は次のように考えます。モノに名前をつけると、モノがモノでなくなるのです。
つまり、モノに名前をつけると命が吹き込まれるのです。
だから、名前をつけることを「命名」というのです。
そうだとするならば、みなさんは自分自身のことを考えてみてください。みなさん一人ひとりにも名前がついています。これはお家の人がつけてくれた場合が多いでしょう。
こんな大人になってほしいという願いを込めて、みなさんは命を吹き込まれ、今まで12年間、生きてきたのです。
みなさん一人ひとりがモノではなく、今を生きる大切な「人」なのです。
だから、みなさん、自分というかけがえのない存在を、どうか大切にしてください。自分を大切にする人は、友だちや周りの人を大切にできると、私は信じています。
入学おめでとう。そして、どうかクラスや学年の仲間も、人として大切にする三中生になってください。3年間の中学校生活が、豊かに、実りあるものになるよう、みなさんの成長を心から祈っています。
 
 
 どうか自分の名前を大切にしてください。

親の不安から

2019年04月25日 19時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
私の娘が保育所に通っていたときのことです。
 
発熱かなにかで、1週間ほど保育所を休んで家にいました。
 
久しぶりに出席した日は、ちょうどキャンプ場へ出かけ、リクレーションをする日でした、
 
 
しかし、娘はしばらく家にいたので、クラスの輪に入れず、立ちつくして泣いていました。
 
この日は、親も参加する日で、私も行っていましたが、娘が泣いているのを見て、動揺しました。
 
保育所の先生は、「だいぶ長い間、休まれていたので、遊ぶに馴染めないのでしょう。少ししたら、慣れてくると思いますよ:」と話されました。
 
でも私は先生に、「もう今日は連れてかえります」と言って、なにか逃げるかのようにして、帰りました。
 
ほかの子たちが嬉々として楽しみ遊んでいるのに、うちの子はできない。
 
わか子が、集団から取り残されると、私には当時若くて耐えられない気持ちになったのでした。
 
その次の日から保育所では、「今日はいままでどおりふつうに楽しくあそんでいましたよ」と、連絡帳に書いてありました。
 
私は、心配しすぎたなと思いました。
 
 
 
このような経験があるので、ほかの子ができているのにわが子ができない光景を目にした親があせる気持ちはよくわかります。
 
 
関連して、こんな中学生の親御さんがいます。
 
子どもが、試合なのに水筒を忘れたといっては届けに来られます。
 
子どもが困るだろうからと、届けにこられるのです。
 
わが子がちょっとでも、困った状況に置かれると、すぐに手をさしのべてしまいます。
 
いわゆる過干渉です。
 
これは、子ども困るからという思いから出ていることもあるでしょうが、親自身が自分の不安を抑えられないからかもしれません。
 
もっとも、水筒を受け取り、「ありがとう」と喜び子どもがいるのも今の時代です。
 
しかし、「なんでもってきたんだ」と嫌がり、ひったくるように受け取る中学生もいます。
 
 
子どもが家に帰ってきたら
 
「水筒忘れていったけど、大丈夫だった?」
 
こんな問いかけなら、子どもに嫌がられない程度の干渉です。
 
というか、心配していた親の自然な気持ちの表し方です。
 
心配だとしても、子ども自身がどう考えて行動するかが、いちばん大切です。
 
日頃のから、子どもの考えを尊重していれば、子どもは「大丈夫?」という問いかけに、自分なりに答えるようになります。
 
「部で用意したスポーツドリンクがあったから、それを飲んでたよ」というふうに、素直に答えます。
 

厚生保護女性会総会にて

2019年04月24日 07時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
昨日は箕面文化・交流センターで、厚生保護女性会の総会があり、その二部で私が講演をさせていただきました。
 
36年間の教職を振り返り、「思春期の子どもの願いと思いを見つめて」という演題で小1時間お話をしました。
 
厚生保護女性会のみなさまには、平素より子どもたちの健全育成へのご尽力に敬意を表するとともに、感謝申し上げます。
 
 
講演で話した内容を一部紹介します。
 
 
わたしは、よく箕面三中の子に言っていたことがありました。
 
それは、「中学生は悩むのが仕事である」ということです。また「孤独はいいが、孤立はよくない」とも伝えてきました。三中の子はこの言葉をしっかりと覚えていてくれて、ときどき「あの言葉が忘れられない」と言ってくれる生徒がいます。
 
 
そのほかにも、たとえば
 
・名前をつけることで、命が吹き込まれる。これを命名という。(入学のとき) 
 
 
・欠点は、同時に長所でもある。(コンプレックスが強い生徒に)
 
 
 ・与えて恩を願わず、受けて恩を忘れず。(年度替わりの時期に) 
 
 
・災害時には中学生は守られる人であると同時に、人を守る存在でもある。(避難訓練時に) 
 
 
・転んだ時には、何かをつかんで起き上がってきなさい。(失敗して落ち込んでいる生徒に)
 
 ・大きな車輪はゆっくりと回る(不登校の子が卒業するときに)
 
 ・努力しても報われないこともあるかもしれない。しかし努力は無限の可能性を開く。(努力から逃げようとする子に) 
 
応援することで、限界を突破する力が生まれる(体育祭のときに)
 
 ・目的と目標をとりちがえるな。きみたちはどう生きるか(卒業式のとき)  
 
 
校長は、直接生徒と接する機会が少ないので、わたしはいかに生徒のなかに残る言葉を贈るかを、けっこう大切に考えてきました。
 
そういう意味で、子どものなかに言葉が忘れられないもととして、一生残るならばたいへんうれしいのです。 
 
(以下省略)
 
会場から、いくつか質問もしていただき、たいへんありがとうございました。

すぐに花が咲くのではない

2019年04月23日 16時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
 
 
 
私が出会い、みてきた中学生のなかには、自分の目標に向かい努力を重ねる生徒がたくさんいました。
 
それは、学習での努力であったり、特技やスポーツでの努力であったりです。
 
私自身は努力を続けるだけで、十分な価値があるとは思っているのですが、結果が出たか出なかったかに本人がこだわる気持ちをもつのも当然です。
 
そのとき、思い通りの成果や結果が出ないことも、もちろんあります。
 
たとえば、部活で勝利できるとか賞をもらうとかという結果が出ないことがそれにあたります。
 
吹奏楽のソロコンテスト大阪大会で、上位入賞した男子生徒が、関西大会に出場して入賞できなかったということがありました。
 
もちろん練習は毎日続けていました。しかし、本番では体調や運も関係します。
 
思い通りの演奏ができなかったのです。
 
そんなとき、大人はどういう言葉をかけるか。一般的に多いのは慰めの言葉でしょう。
 
「また、がんばればいいやん」
 
でも慰めだけの言葉では、本人の気持ちにそぐわないのです。
 
「がんばったのに、賞がもらえなかった」と、本人は言うかもしれません。
 
では、こんな言葉はどうでしょうか。
 
 
 
花がすぐ咲くのではない。
 
花が咲くまでには根が伸びる時間が必要です。
 
 
言葉一つで落胆している生徒を励ますことや勇気づけ、次がんばろうという気持ちに変えることができると、私は考えています。

いらだたないこと

2019年04月22日 13時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
中学生になると、子どもは優劣をつけられることがふえてきます。
 
 
このことは、以前にもブログで触れました。
 
中学校は小学校と違い、生徒間の差が見えやすいしくみになっているからなのです。
 
このことに関して、わが子が「できない」ことが出てくると、本人も最初は驚き、次に自信をなくすことがあるのですが、本人以上にいらだつのは親御さんでもあるのです。
 
すると、親はとかく「ああしなさい、こうしなさいと子どもを「できる」ようになることを願い、わか子にせっつくようになります。
 
数学が苦手な子に、こうやって問題を解くのよ。
 
「こんなのが、わからないの!」とイライラします。
 
 
 
そうではなく、
 
少し易しい問題をさせると、「そんなのはわかってるよ」。
 
「最初からやっていけば、どこでつまづいたのかがわかるのよ」
 
そうすると、「あ、ここからわからなくなったのか」と自分で気づくことができます。
 
本人が気づくことができれば、自分から取り組めるようになります。
 
だから、親はああしなさい、こうしなさいではなくて、
 
「最近どうなの? お母さんが手伝えることはある?」と聞きます。
 
「なにもないよ」ならほっておけばいいでしょう。
 
「いつでも言ってね。手伝うから」
 
「ちからになるからね」
 
これだけで、子どもは自分のことを気にかけてくれている、と感じます。
 
こんな会話を続けていると、子どものほうから話しかけてくることもあるでしょう。

タイミングを味方に

2019年04月21日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
中学生に伝えます。
 
 
努力することは大切です。
 
 
しかし、努力が足りないと、目的を実現できません。
 
 
また、努力が足りても、夢に届かないこともあるかもしれません。
 
 
十分な努力を重ねても、タイミングを味方にしないと、物事は成就しないのも一面の真実です。
 
 
努力を続けて、精進していると、あるとき、パズルがぴたりとはまるように、すべてが自然に動き出し、流れ始めます。
 
そのタイミングまで、じっと待ち続ける我慢強さと粘りづよさがある人は、タイミングを味方につけることができます。

考える前に感じる

2019年04月20日 11時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
小さい子にお母さんがよくいう言葉。
 
「考えなさい。ちょっと考えたらわかるでしょう」
 
 
熱いお茶をお母さんがお子さんに出しました。
 
「熱いから、気をつけるのよ」
 
なのに、子どもは一気に飲もうとします。
 
 
「熱(あつ)! 」
 
 
そして母親は、
「だから言ったでしょ。考えなさい。ちょっと考えたらわかるでしょう」
 
となるのです。
 
 
 
ところで、私は小学生のとき、信州上高地に家族旅行で行きました。
 
上高地を流れる梓川の水に手をつけました。
 
「冷(つめ)た!」
 
雪解けの水は、驚くほど冷たいことを感じました
 
それだけではなく、川はけっこう深く、流れも急でした。
 
川に入れば、流されると感じました
 
だから、落っこちないようにしようと感じました
 
 
つまり、子どもは、最初は考えるのでなく、感じるものなのです。
 
そして、最初から「考えなさい! 考えたらわかるでしょう」ではなく、最初に感じさせて育てるのです。
 
子どもからすれば、「考えろというけど、何をどう考えたらいいのかわからない」となるのです。
 
まず自分で体験させて、感じさせるプロセスを経て、子どもは考えるようになるのです。
 
今の時代、学校の授業では思考力を伸ばそうとします。
 
先日に行われた全国学力学習状況調査でも、子どもの思考力を大切に捉えています。
 
しかし、思考力は、自分で体験させて感じることが基盤になります。
 
もし、お子さんが中学生でも、遅くはないのです。
 
どんどんチャレンジさせ、体験させ、その体験から感じさせるのです。
 
それが積み重なって、思考力を高めていくのです。
 
私は、考える力はこのようにして育んでいくのだと考えています。
 
 
 

三中を離任する

2019年04月19日 17時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
申し遅れましたが、4月9日は箕面三中の離任式でした。
 
 振り返って、その日を再現します。
 
まず職員室で、三中教職員に退任のあいさつをしました。
以下の内容で、話しました。
 
三中では、4年間校長を務めました。至らぬ点も多々あったとは存じますが、みなさんのおかげで任期を終えることができました。
 
 ◆子どもへの接し方のお願い
 
①子どもを温かく見守る。「寄り添う」という態度~子どもから心を離さず、チャレンジを見守る
 
②しっかりと子どもと対峙する。「向き合う」という態度~子どもの前に立ち、子どもの問題と向き合う
 
③子どもの心をしっかりと抱きしめる。「受け入れる」という態度~理屈抜きで子どもの心や存在を抱きしめる。
 
私は、学級担任をしていたころ、自分が予定したり、計画したとおりに行おうとしていました。
 
子どもの反応や子ども一人ひとりの様子にあまり目が向けられていないこともありました。
 
自分がよいと思う価値観を子どもに伝えていこうとしていたように思います。その中で苦しんでいる子の存在に気づいていなかったのです。
 
何が大切かは、子ども自身が考え、決めることです。教師は「こうしなければならない」という価値の伝え役ではないのです。
 
その際、教師は「子どものことは見えていない」ということを自覚するべきです。だからこそ、教師は子どものようすをよく見て、考えるのです。 
 
◆教職員として
私は、探究する態度がいちばん大切だと考えています。変化の激しい時代にあっては、子どもに求められる学力も変わってきます。だから探究する態度が教職員の基本的な資質としていちばん大切だと考えています。
 
自分の授業はこれで完成ということがないのです。もっと子どもの力を伸ばす授業をしたいという思いで授業を研究し、実践していってほしい。
 
学校教育に求められるのは、確かな学力をもとに、自ら社会にかかわり、人と協働して、社会に関わる意識と行動力を子どもたちに培うことである 
 
◆保護者に対して保護者は学校教育の受け手ではなく、あくまでも、子どもが受け手です。
 
保護者は学校と協力しあい、子どもの成長にかかわり、子どの人格の完成を目指すために、ともに活動するパートナーです。
 
しかし、子どもを指導するとき、とかく子どもの後ろにいる保護者のことを、教師が気にするという構図になりやすい。
 
教師と保護者がともに子どもを育てるパートナーであるという信頼関係を築いてほしい。  
 
◆教職員団のあり方学校が教師を支え育てるのです。
今後、私は教育専門員として、全中学校を回り、教職経験年数の少ない教員の指導に当たります。
 
三中にも回ってきます。しかし、私が教員を育てるのではない。学校という組織が教員を育てるのです。
 
教育専門員は個別のかかわりしかできません。教員を育てるには、学校での同僚性が必要です。
 
このことは4年間いつも意識していました。教員は、子どもの成長に影響する責任の重い仕事です。
 
「責任」は、英語でresponsibilityです。responseとabilityです。
 
つまり、あなたに任せます。あなたは子どもや保護者に最適の対応ができる能力があると学級づくりや授業実践を任されている人です。
 
その意味で、教職は独立性が高い仕事であるのです。授業や学級経営も一人で多様な生徒を相手にする。自分で考え実践しなければならない。
 
だから人に頼れない。自主性も大切になる。
 
しかし、子どもの課題はたくさんある。どうしても不安になったり、迷ったり、苦しくなったりする。そのとき、支えてくれる同僚が必要になる、愚痴をこぼせる相手、悩みを相談できる相手が必要になる。これが同僚性あり、同僚性のある職場が教師を育てるのです。 
 
◆校長として私は最後の責任は自分一人で受けるという覚悟で臨んできました。
 
でも、その前提として、三中一人ひとりの教職員がそれぞれの責任を受ける態度で教育活動にあたってくれました。これがなければ最終責任を私が受けることもできなかった。
 
4年間にわたり私をサポートしてくださり、お礼の言葉もありません。箕面三中の今後のますますの発展とみなさんのご健康とご多幸を祈っています。ほんとうにありがとうございました。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
 
続けて、体育館で、三中の子にお別れのあいさつをしました。
 
箕面三中校長離任式あいさつ〈H31(2019).4.9〉
「懐の深い人になってください」  
 
おはようございます。最初に、箕面三中のみなさんに、次の言葉を送ります。 
「人間はな、他の人を喜ばせるのが一番なんや。」  
 
私は4年間、箕面三中の校長を務めました。この度、定年退職を迎え校長を退くことになりました。 
 
4年間のなかで、私は、三中の子にさまざまな話を伝えてきました。 
 
そして、今日が私からのほんとうの最後の話になります。何を伝えようかと考えました。 
 
たくさんある中でも、伝えることを一つ選んだのが「懐が深い人になれ」という言葉です。 
 
1年生のみなさんが、これから体験することで、2・3年生の人は体験して知っていることですが、中学校は小学校とちがって、まわりの友だちと自分の差が見えやすいということがあります。 
 
たとえば、小学校ではテストをすれば、みんながいい点数をとります。しかし、中学校では定期テストがあり、自分が60点だったのに、となりの子は90点をとっている。 
 
自分はサッカーがかなりできると思っていたのに、部活に入るともっと上手いともだちがいた。 
 
その子は、家に帰って言います。「お母さん、私って勉強ができると思っていたけど、もっとできる子がいるねん。」「お父さん、僕ってサッカーがうまいと思っていたけど、もっとうまい子がいたわ。」 
 
つまり、中学校は小学校と違って、友だちとの差が見えやすいのです。残酷だと言う新入生もいるかもしれない。
 
しかし、それは、小学校の方がいいとか、中学校の方がいいという話ではないのです。 中学校は、人との差が見えやすいという、学校のしくみになっているということです。  
 
社会へ出れば、競争があります。アイドルの世界では、誰が選抜メンバーになるか競いあいます。仕事で結果を出したら、給料が上がります。小さな社会である中学校でも、賞や勝ち負けがあります。 
 
ただし、誤解しないでください。私は競争に勝ち抜きなさいといっているのでは、けっしてないのです。 
 
私が伝えたいのは、かりに勝てなかったとしても、自分を見失う必要はないということです。勝てなかったら、人助けをしたと思えばいいのです。あなたは勝つことができた人を喜ばせたのです。人は、他の人が喜んでくれることが、一番うれしいのです。  
 
でも、自分が勝てたら、もっとうれしいんじゃないかと思っている人がいるかもしれない。そんな人に、私は伝えたい。
 
負けた者が小さくならなくていいんです。嫉妬、うらやみ、屈辱、卑下、そんなものは一切無用です。 
 
結果で自分をいじめても仕方がないのです。一生けん命努力する人はそれだけで何にも代えがたい価値をもっているのです。
 
自分を好きになれずにどうして元気が出るのか。負けたっていいじゃないですか。私のおかげであなたは勝てたんだ。ありがたいと思いなさいと言えばいい。もし、あなたが勝ったなら、負けてくれた人に感謝したらいい。 
 
人間は、これくらい幅のある方がいいのです。これを「懐が深い人」といいます。
 
そうです。みなさん「懐の深い人」になってください。
これが私からみなさんへの最後のメッセージです。  
 
その点で、三中の子は、この4年間で、この私の考えを実現してくれました。「自分は自分。私は私で努力する。友だちのすごい点も認め、自分の努力も重ねてきた。そしてお互いがつながっていた。 
 
私は信じています。みなさんの中にダメな子とか、悪い子なんて子は一人もいないのです。もしそんなレッテルのついた子がいるとしたら、そんなふうにしか子どもを見ることしかできない大人の心が豊かでないのだと言います。 
 
懐深く、自分の努力はおこたらず、なおも、友だちを認める。三中の子はこんな子だったと私は考えています。
 
私自身が、36年間の教職生活の中で、中学生の生き方を三中の子に教えられたと思っているのです。
 
4年間ありがとうございました。 私は三中の子が大好きでした。 
 
大切な、大切な、三中の子の幸せを、心から願っています。 ありがとうございました。
さようなら。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
 最後に、今回いっしょに三中を離任する教職員とともに、代表生徒から花束を受け取りました。
 
 
大原櫻子の「ひらり」のBGMが流れるなか、生徒の作る花道を通り、退出しました。
 
生徒からの拍手に感銘を受け、三中を後にしました。
 
この4年間、生徒のみなさん、保護者のみなさん、箕面三中を応援してくださり、ありがとうございました。
 
 

クールな先生

2019年04月19日 11時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
さいきん、クール・ジャパンという言葉がよくつかわれます。
 
 
「クール」(cool )とは、「冷たい」とか「冷静な」「涼しい」という意味があります。
 
また、「かっこいい」という意味もあります。
 
さて、ものごとに取り組むとき、「熱い」という熱心さは必要です。
 
とくに教育には、「熱血先生」という言葉があるように、熱さは必要だと私は考えます。
 
生徒に対して熱い思いや態度で教育にあたることは大切で、教育が人と人とのふれあいで営まれる行為だからです。
 
 
ただし、頭はクールで、心は熱い教師でないといけないのです。
 
観察や見極めは冷静でありながらも、心は熱い闘志をもたないと、判断を誤ります。
 
いつもカッカとしていて、思慮深さが足りないと、生徒の様子を正しくみることはできません。
 
生徒の様子をみるとは、生徒の言動の背後にある生活背景にまで思いをいたすということです。
 
熱いだけでは、生徒の姿を見誤ります。
 
 
例をあげます。
 
いつも上靴のかかとを踏んで歩いている反抗的な生徒を学校でみかけたとき、「だらしない生徒だ」というのは簡単です。
 
しかし、思慮深いクールな教師は、その上靴を踏む態度から、生徒の生活背景の課題がないかということまでみようとします。
 
足が大きくなって、新しい靴を買ってもらえない。だからしかたなくかかとを踏んで歩いている。
 
すると、いつも注意されるから、学校で反抗的な態度をとる。
 
それを詳しくみていくと、新しい靴を買ってくれないという家庭の経済的な問題が浮き上がってくる場合もあります。
 
その点を踏まえ、生徒と向き合う教師に、生徒は心を開きます。
 
教師になるなら、こんな教師を志してほしいと、私は考えています。
 
頭はクールで心が熱い教師が、本当の意味での「クール・ティチャー」なのだと思います。
 
 
 
 
 

桜散れども

2019年04月18日 17時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 今年の入学式では、桜が満開でした。
 
今ではもうすでに桜は散って、青葉が芽を出し始めています。
 
中学校では入学式・始業式から1週間以上が過ぎました、
 
いつまでも桜にこだわっていては、前に進めないのです。
 
良寛の『辞世の句』にこんな句があります。
 
 
散る桜 残る桜も 散る桜
 
 
人は欲をもたずに生きるものです。
 
生も枯れるも一体なのかもしれません。
 
 
生も枯れるもどちらも「よい」と肯定すればいいのです。
 
それが自然というものです。
 
桜の花はいつも花弁を下に向けて、人間を見守ってくれています。

手間ひまをかける

2019年04月17日 07時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
長年の教職経験を通じて、私が思うことがあります。
 
 
人間的に価値のあるものは、手間ひまがかかるということです。
 
 
手間ひまがかかるというのは、ときとして、別の言い方では面倒くさいということです。
 
 
私は恋愛も人間的に価値のあるものだと思っています。
 
 
しかし、その分、好きになったとか、つきあうとか、あの子が振り向いてくれたとか、じつに面倒くさいうえに、ごちゃごちゃしています。
 
でもその分、恋愛には価値があります。
 
 
教育も本来、手間ひまががかかります。
 
 
割り切っている教師にはあてはまりませんが、誠意をもち子どもと向き合う教師の場合、自分の行為にすぐに答えが出ない。
 
子どもの成長は、中学生でいうなら3年はかかります。
 
ときとして、卒業後に答えが出る場合まであります。
 
考えてみれば、教育とはいちばん面倒くさい営みであるかもしれません。
 
 
それは教育が人と人のかかわりあいで、絶えず行われるからでしょう。
 
 
しかし、この手間ひまをかけた行為を通して、人間として成長していけるのです。
 
 
この手間ひまをかけることを楽しめるようになった教師は、教育の意義を知っています。