箕面三中 校長室からのメッセージ

おもに保護者のみなさまに向けたメッセージです。生徒の近況を伝えるとともに、教育と子育てについての情報をお伝えします。

年配は過去を語りたがり、若手は今を語る

2016年04月29日 11時08分26秒 | 校長からのメッセージ
みなさんは、ジェネレーションギャプを感じることはありませんか。

職場で、家庭で、中学生のわが子は何を考えているのやら、職場の若い人とは話が合わないと感じたり、年配の上司と話す話題がわからない。

40歳代後半から50歳代の上司は、私自身を含めて、昭和時代やバブル期のことを話すのが好きなようです。「あのな、むかしはな・・・」と、とくとくと話します。

また40歳前後の就職氷河期世代は、自分が体験してきた苦労話をするのも、なかなか気持ちのいいものです。

一方、20歳代の人たちとは話題が合わないと思っている人もいるでしょう。その人たちは、基本的に、今を話したがるので、現在について尋ねるのがいいと思います。

上司から「○○さんの年齢の人って、どんな映画を見にいくの」と聞けば、若い人は答えてくれます。

このように、世代によって話題を変えて話しかけるのがいいようです。現在は社会の変化が急速であり、メディアも数多くあるので、どの世代も共通で盛り上がれる話題は、あまり多くないと考えた方がいいようです。

そのため、私は中学生が関心をもつようなことには、できるだけ自分も知ったうえで、朝礼とかで話をします。

もちろん職場の仲間内で仕事の話をするなら、それは共通の話題になります。学校の教職員なら子どもの話だと、熱心に話しあうように。


あと、上司の年齢になっている人が気をつけること。それは話す話題を見つけようとして、部下のプライベートなことを話題にするのはよくありません。

上司から部下への質問には、ある意味で心理的な強制力がはたらくからです。
「休みの日は、どうしているの?」と上司から聞かれと、部下は言いたくなくても、突っぱねることができず、答えざるをえなくなります。

いまの時代は、人間関係で適当な距離を保ちながら、緩やかな人間関係でまわっていくつながりを、多くの人が望んでいると、私は思います。
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雑談力が職場づくりの鍵

2016年04月27日 11時07分08秒 | 校長からのメッセージ

以前の学校では、ゆったりと時間が流れていました。

完全学校週5日制になる前は、土曜日の午前中にも授業がありました。

とくに土曜日の午後の中学校では、教員は時間的な余裕をもち、部活などにゆったりと従事していました。

しかし、いまや学校に求められる課題は多様化し、教育改革の要請を社会からうけ、授業時数を確保しながら、子どもの成長をサポートしなければなりません。

当然、職員室での雑談も減ってきます。三中はまだ教職員間の雑談がある方だと、私は思っています。

しかし、一般的には市内の学校をみると、夜は部活を終えた頃からやっと教材や明日の授業の準備をする時間が始まります。

みんなが黙々と仕事にのめり込み、聞こえるのはパソコンのキーを押す、かすかな音のみ。横の同僚と雑談を交わす余裕もありません。

雑談と聞けば、仕事に関係のない話。ムダな時間のように思えますが、私はそうとは思いません。

仕事トークではわからないような、意外な同僚の人となりがわかります。このように考えると、雑談の中身がどうかというより、その人の何十年という長い生き方がわずかな時間で見えることもあります。

今、国や箕面市では、学校の運営を組織的なものにしょうというベクトルが働いています。

私はそのベクトルを否定はしません。しかし、雑談で人間関係を築かないまま、「機能的に」仕事にいそしむ教職員団で、子どもへの教育がうまくいくでしょうか。

学校は子どもたちに、交流を重ね、人間関係を広げていかせる場です。人間関係を深め、同僚性の高い教職員のもとで、子どもたちは集団になじんでいきます。

この意味で、学校ほど教職員のつながりが大切な職場はないと、私は信じています。
子どもに人間関係を学ばせるという点で、大人のありようがひじょうに重要になるという、特別な職場なのです。

雑談から協力しあう組織が生まれます。何か急ぎのお願いごとをしても、
「なんで私がしないといけないの!」と拒否されたり、
生徒同士のトラブルが起こったとき、「あんたのクラスの生徒でしょ」と無関心に突き当たったり。
(三中は、ことわっておきますが、そんなことはありません。ご安心ください。)

多くの場合、人間関係で仕事はまわります。学校の場合、教職員の人間関係はとくに重要です。

だって、生徒はよく見ています。
あの先生とこの先生は仲がいい。
あの先生は、学年のなかで浮いている。

じつに生徒はよく見ています。そしてあたっていることが多いのです。(笑)

平易な言い方をすれば、仲の悪い教職員団で仲の良い生徒集団は生まれない。

雑談力は、かくも重要な職場づくりの「潤滑油」なのです。

私は雑談が交わされる職員室づくりを進めていきます。



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幸せは「認めるもの」

2016年04月25日 20時08分51秒 | 校長からのメッセージ

自分のことは、なかなかわからないものです。

昨日には、これは楽しいと思っていたことが、今日になると、つまらないことと思うことがあります。

他者を攻撃したり、人に嫉妬する。人にこび、あとで自己嫌悪を抱く。

とかく自分のことはわからないもの。迷いやすい存在です。

かくして、自分では自分のことはわかりにくいのですが、周りの人のほうがよく見ていることがあります。

テニスをしているアスリート自身は相手の選手とのやりとりで、目の前のことしか見えず気がつかなくても、観客の方が試合の大局をわかっていたりすることがあります。

同じことが私たちの生き方にも起こります。周りからみれば、あの人は幸せと思っていても、本人はそう感じていない。

「なんやかんや言っても、あなたはけっこう幸せだと思うよ」と言われます。そのように言われて、ハッと気がつくことがあります。大局を見て意見してくれる人のおかげです。

しかし、これが大きな仇となることもあります。「あんたに、何がわかるのよ。何も知らないくせに、勝手なことを言わないで!」とキレます。キレても幸せになるわけではないのに。

大局的的な見方で自分が幸せと気づくのも、自分自身で幸せだと思うのも、結果的には自分が決めることです。

つまり幸せとは、「あるもの」ではなく、自分で「認めるもの」なのだと思います。
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人を後ろから照らす「光」になる

2016年04月23日 15時03分25秒 | 校長からのメッセージ

みなさま、本日はお忙しい中、お集まりいただき、大変、ありがとうございます。

さて、三中から見える木々も新緑をつける頃となりました。右側の窓から見える木々をご覧ください。

ついこの前まで葉を全部落とし枝だけになっていた木々は、春の訪れとともにツボミをふくらまし、花を咲かせていました。

そして、いまはあのように新緑をつけています。

このように、毎年同じ営みを繰り返すのが自然のチカラです。

この自然のチカラは時として、私たち人間に猛威を振るいます。
1週間前の熊本大地震がそうです。

亡くなられた方には、ご冥福をお祈りしますとともに、私たち人間はあらためて大自然をコントロールすることはできないと思い知らされます。

自然と言えば、たとえば私たちは外に出て、地面に立つと、自分の足元から黒い影が伸びていることに、気がつきます。

でも、私たちは、影が伸びているのは、とりもなおさず、後ろから自分を照らしている光のおかげであると、ふと気がつくのです。

思えば、私たちはふだん自分のチカラで生きていると思いがちですが、じつは人に支えれ、生かされています。

今日一日を考えてみても、自分がやったことより、やってもらったことの方が、圧倒的に多いのです。

私自身、三中の教育活動は、教職員をはじめ、保護者の方々、地域の方々にやってもらっていることが圧倒的に多いと感じています。

お勤めされているお母さんたちも、自身の仕事を考えるとやってもらっていることが多いと実感されるのではないでしょうか。

ここにお集まりのみなさま、今回委員さんになられ、ここに出席されているのも、何かの「縁」です。

どうか、今年1年間、他の保護者の方やひいては子どもを照らす「光」になっていただければ幸いです。

どうかよろしくお願いします。

以上で、私からのごあいさつとさせていただきます。

(本日のPTAオール委員会での、校長あいさつを大意要約して載せています)



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山を下りるという時代

2016年04月21日 23時13分29秒 | 校長からのメッセージ


富士山にかかる雲海を見た。ちょうど熊本に地震が起こった翌日だった。

山を登るときは、重い荷物を背負い、急な斜面を上がるに懸命であり、ゆっくりと景色を見ることはなかった。

しかし、山を下るときには余裕がある。雲海の美しさに気がつく。
はるか遠くに海が見える。足元の高山植物に目を向けるゆとりさえある。

山を下ることにマイナスな感情を抱く人もいるだろうが、下山はけっしてマイナスではない。

山を登るのは、科学や経済を成長させようと、がむしゃらに登りつめた「成長社会」。
しかし、成長経済や成長社会はいつまでも続かなかった。

いまや、日本は経済成長に行き詰まり、追い打ちをかけるように熊本地震をはじめとする自然災害が降りかかる。

科学は、けっして万能ではない。大自然の力に私たちはこのことをおもい知らされた。

ならば、私たちは山を下りよう。成長を追い求めるのではない、別の生き方をすべきだ。人と人が豊かにつながり、他者に貢献するという成熟した生き方に価値を見いだす。他者にかかわり、他者が喜んでくれることで、自分が幸福感を味わう。

このような生き方を求め、実行するのが「成熟社会」である。いまや、私たちは「成熟社会」を生きている。

相次ぐ自然災害は、時代の変わり目を私たちに知らせている。
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言い訳には、「前置き」を作ってから

2016年04月19日 19時49分29秒 | 校長からのメッセージ

学校で生徒が友だちとふざけていて、ガラスを割ったとき。

教員が
①「誰が割ったんや。なんで割ったんや」
と言うと、子どもからは言い訳が返ってくることがよくあります。

「遊んでいて、○○くんがボールを投げそこない、ぼくがバランスを取れなくなって、ガラスにぶつかりました」

これに対して、
②「ガラスが割れてしまったけど、割れてしまったことは仕方がないね。ケガはしていないか。
それに、割れたガラスがそのままだと、ほかの子にあぶないな。片づけてくれるかな」

このように言うと、「はい」と素直に片づけてくれます。

私は教員になった頃、ガラスが割れたときには、先輩教員から②のように話すよう、教わりました。

そのときは、ただ単に生徒の安全を気にかけるのが最優先されるからだと思いました。

それは、その通りです。しかし、後になって②の話し方には、もう一つの意味があると気づいたのでした。

それは思春期の子を相手に話しているという点に着目すると、なるほどと思います。

思春期の子は、自分が責められたり、否定されたりすることに対して、敏感に反応することがあります。

すると、自分を守るために言い訳をします。指導する側にしてみれば、「素直じゃない」と感じ余計に声を荒げて「なんで割れたんや。お前が割ったんやろ!」となり、教員と生徒の間はギクシャクしたものになってしまいます。

ですから、まずは「前置き」を作るのです。つまり「割ってしまったことは仕方がない」という前置きです。

②の話し方を私が先輩教員に勧められた意味は、「前置き」を作ってしまうということだと、あとで気づいたのでした。

子どもがしてしまったことを、あれこれ言っても仕方がないという前置きを作ってから話をすると、そうならばこれからどうしていけばいいのかを考えさせることができるのです。

そして、いっしょに割れたガラスを片づけながら、「どうしていて割れたの」と聞くと、子どもは割れるにいたったストーリーを語ってくれます。

なにかの問題が生じたとき、とかく大人は「なぜ?」と、理由や原因を求めます。大人が求めるので、子どもは言い訳をするのです。

このやりとりばかりを続けると、問題が起きるたびに子どもは言い訳を繰り返すようになります。

このように考えると、言い訳ばかりする子は、じつは大人が言わせているとみることもできるのです。

人の行いには、理由や原因がわかったとしても、直せないことがたくさんあります。

「起きてしまったことは仕方がない」というスタンスで、これからどうすべきかを焦点化したほうが会話は上手くいきます。

ただし原因や理由の追究はムダではないことも確かです。再発を防止するには効果もあります。

その意味で原因・理由を探すのなら、ちょっと時間をあけてから、冷静に問いかけるべきです。

「さっきのことだけど、なんで割れたんやろね?」と原因・理由を見つけ、「だったら、これからどうしたらいい?」と解決法を見つけるといいのです。

ただし、このときも相手を責めないで問うのです。話をしたり、指導したりするのは、次からどうすべきかという見通しをもつためなのです。

以上は、ガラスが割れたという学校での指導について、例をあげ説明しましたが、ご家庭での子育てについても、あてはまります。言い訳の多い子にはぜひ実行してみてください。
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富士山に関わって

2016年04月17日 14時28分57秒 | 校長からのメッセージ



やはり、富士山は素晴らしい。


富士山にかかっていた雲が晴れる。

つもった雪が少なくなっていく。

雪解けの水は、川に注ぎ、流れていくものもあれば、地下に染み込み、伏流水になる場合もある。

そういえば、関東の銭湯には、湯船にそびえる壁に富士山の絵が描かれていることが多いと聞く。

じつは、富士山の雪解け水が伏流水となり、銭湯の湯に流れこんでいるらしい。

だから銭湯の湯は「霊水」と言えるのです。

富士山について、もうひとつ。

5年前に校長になったとき、聞いたことば。

晴れよし、曇ってもよし、富士の山。おなじ山に違わざりけり (中村天風)

このことばは、いろいろな変化や困りごとにであっても、「不動の心」を持ちなさいという意味かと私は解釈します。

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人財を育てる

2016年04月15日 22時27分14秒 | 校長からのメッセージ

親にとって、わが子はいつまでたっても子どもです。

子どもが成人したとしても、結婚しても、かりに父親や母親になっても、元気にやっているかと気にかけます。

私の長女は結婚して、愛知県に住んでいますが、仕事をちゃんとやっているだろうか、朝が早い出勤なので疲れていないだろうかと心配になります。

代わってやることができるなら代わってやりたいとも思います。これが親の気持ちかと思います。

三中にも教職に希望を抱き、初任者や若い教員が入ってきました。親の思いを受け、愛情をもって育まれてきた人たちです。

ですから、人はけっして人材ではなく、「人財」です。この人財をどのように教師として育てるか。

それは、私をはじめ、ベテラン教師の果たすべき使命であり、役割です。

とはいいながらも、あれもこれも教えようと口を出すのは、人育てにはならない。それは本人のためにはなりません。

自分でやってみて、うまくいかなければ、なぜうまくいかなかったのかを考えさせる。答えはいつも自分の中にあるのです。

しかし、けっして放任ではないし、過干渉でもない。本人のもつ内なる力や資質を引きだすこと。簡単ではないが、人財を育てる秘訣はここにあると思います。

いずれにしても、人財が親やたくさんの人からの愛情を受けたかけがえのない存在であることを意識して向き合いたいと思います。
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新しくなった生徒会スローガン

2016年04月13日 16時17分12秒 | 校長からのメッセージ



みなさんは、三中生徒会スローガンをご存知でしょうか。

「信頼・友情・感謝を大切に 今日も輝け 箕面三中」
が生徒会スローガンです。さまざまな機会で、生徒たちに周知しています。

これは、6年ほど前に生徒会がつくったものです。生徒会昇降口の入り口上には、横長の看板にして掲げています。当時の生徒会メンバーが、自分たちで色塗りをしました。

しかし、長年にわたり、風雨にさらされ、老朽化していました。そこで、本日、看板を一新しました。

耐水加工をしますので、10年の使用に耐えるはずです。今回は業者に頼みましたので、生徒の作業は入っていませんが、生徒会のメンバーには、スローガン以外の別の活動で関わってもらいたいと考えています。

三中生には、スローガンのように、輝いて、前向きに、意欲的な学校生活を送ってほしいと願っています。

また、今日の午前中には、全校生徒の個人写真を撮影しました。どの生徒もいい表情でカメラにおさまりました。
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離任式・対面式

2016年04月11日 17時32分13秒 | 校長からのメッセージ


本日は8:50より、体育館で離任式、対面式を行いました。

三中から異動した教職員は全員で10名。
西田教頭、岩崎先生、長谷部先生、勝田先生、石田先生、坂本先生、溝畑栄養士、中西先生、岸田校務員、高沖先生です。

このうち、今日は8名の教職員が離任式に出席されました。三中生にお別れのあいさつを一人ずつしてくれました。

わたしは、最初に生徒に、次のとおり話しました。

「人には、忘れてはならない恩が4つあります。
①生んでくれた恩
②育ててくれた恩
③教育してくれた恩
④仕事を教えてくれた恩
です。

①と②は、保護者、つまりお母さん、お父さんたちに感謝することになります。
④は、みなさんにとってはこれからのことになりますが、学校の先生たちは、先輩の先生に教えてもらいながら、教職を覚えるのだから恩があります。
③は教え導いてくれたことに感謝するものです。

離任式は、みなさんが先生に教え導いてもらったことに感謝する式です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それぞれの教職員が、生徒たちに伝えたい最後のメッセージを、熱く語りました。

その後、代表生徒たちから、一人ひとりに花束が渡され、生徒たちのつくる花道を去っていかれました。

みなさんの今後のご活躍とご多幸を、心より願っています。

離任式のあとは、生徒会役員の交代式、また、1年生て2・3年生が向き合う中、1年生の代表があいさつをしました。

「よろしくお願いします。わたしたちは、先輩たちの活動を引き継ぎ、いじめのない学年をつくっていきます」と、宣言しました。

かくして、平成28年度の箕面三中が本格的にスタートしました。



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HOWを聞いてほめる

2016年04月10日 16時59分26秒 | 校長からのメッセージ

子どもをほめることは、子育てや教育でやはり重要な行為です。

ほめることは、相手を認めることになり、「あなたの努力や取り組みを認める」=「あなたを認める」。よって子どもの意欲が高まる、となるからです。

しかし、中学生は一筋なわではいきません。
大人の言葉の裏を見ようとします。素直にとらないこともあります。

「ほめればいいってものではない」
「見え見えだ。そんなんで、喜ぶと思ってんの」
「なにか魂胆があるのでないか」
「ほめたあとで、何かしなさいというんじゃないだろうか」

このように感じることは、よくありますし、思春期の成長段階から考えると、むしろ自然なことです。

また、同じようにほめていても、「よくできる子」の場合は、大人にも、子どもにも、ほめる・ほめられるに「慣れ」が生まれてきます。

部活をしている子が試合で上手くシュートをきめました。「シュートがうまいね」と、大人が言ってほめました。

最初は、子どもも言われて喜びましす。しかし、シュートがうまい子は、同じようにシュートがきまります。

すると、子どもも大人も慣れてしまい、ほめても新鮮さがなくなり、ほめるのが難しくなってしまいます。

ほめられても、「いつものことやし・・・」と、子どもから返ってくるかもしれません。

この「慣れ」を越えるやりかたがあります。それはHOWを聞くことです。つまり、「どうやって」を問うことです。そうすると、子どもは結果に至るまでの話をしてくれます。

「あの決勝点になったシュートは、どのように打ったの」

「パスを受けて、前を見たらディフェンスの子が近づいてきたから、このままシュートを打ったら、きっとシュートをカットされるなと思った。」

「なるほど、で、どうしたの?」

「それで一度シュートを打つフェイントをかけ、ディフェンスを外し、ワンドリブルで右へ出てマークを外したらシュートが打てた」

「よく、冷静にプレーできたね。そうやって決勝点になったんだ」

この会話は、あまりほめることにはなっていませんが、十分に子どもを認めることになっています。部活でなくても、勉強のことについても、作品づくりでも、同じです。「どうやって」を聞くことで、子どもは工夫したことや心理面での状況を話してくれます。

ぜひ、子どもをほめるだけでなく、HOW(どうやって)を聞いください。「見てくれている」とか「認められている」と子どもは感じます。

また子ども自身が語ることで、自分の行為や取り組みをふりかえり、こう努力したから、あの結果につながったという整理をつけることもできます。






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今日は「節目」の日

2016年04月08日 16時37分34秒 | 校長からのメッセージ



今日は新入生(45期生)の入学式、その後全校生徒を対象にした始業式を行いました。

全校生徒には、私から次のような話をした。
🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

みなさんにいきなり質問です。理科に関係する質問です。
「雪がとけると、何になりますか?」
水になると考えた人、間違いではありません。
でも、私が思うのは「雪がとけると、春になります」。

三中にも、春がやってきました。新入生のみなさん、あらためて言います。入学おめでとう。2・3年生のみなさん、進級おめでとう。

なぜ、今日の日を「おめでとう」と言うのでしょうか。それは、入学式や始業式は、みなさんにとって、「節目」になる式だからです。

じつは、私には娘が二人います。上の娘はもう24歳になっています。私は結婚して7年間子どもが生まれませんでした。家族は子どもがほしいと願っていました。そして、妻が妊娠したという知らせをきいたとき、どれほどうれしかったことでしょうか。

ですから、私たち家族にとって、子どもというものは生まれたり、つくったりするものではけっしてありませんでした。子どもは「授かるもの」だったのです。私たちは一つのいのちを授かったのでした。

みなさんは、お宮参りを知っていると思います。子どもがうまれるとすぐ神社やお寺にいきます。みなさんの中にもお宮参りをした人もいるでしょう。これは、「子どもを授かりましたよ」と神様・仏様に報告にいくのです。

そして、七五三はそれぞれ節目の年に「こんなに大きくなりましたよ」と見せに行く日本の伝統的な式なのです。いのちを伸ばし、成長してくれた。だから、「おめでとう」なのです。また、人びとは少しよそ行きの格好をするのです。

みなさんにとって、きょうは節目の日なのです。小学生から中学生になったという節目、後輩から先輩になったという節目、2年生から最高学年3年生になったという節目の日なのです。この日を大切にして、新しい学年をスタートしていきましょう。

みなさん、どうかこの節目を大切にしてください。この竹のように、節目があるから自分がこれだけ伸びたと、後でわかるからです。

もう一つ、節目ではいったん自分をリセットすることができるということも覚えておいてください。

わたしは、いつも思うのですが、「我が輩は過去である」ということ、過去こそがすべてです。未来はまだ何もないゼロの状態です。

このなかには、今までに勉強のことや友だちのこと、学校生活で悩んだ人、苦しんだ人がいるかもしれません。それは無駄にはなっていません。なぜならその悩みや苦しみを経験して、あなたという「いのち」がここに今あること。これがどれほど大切なことかと、私はつくづく思います。

そして過去の自分や引きずった気持ちをいったんリセットして、やり直せばいいのです。やり直して、また新しい生活を築いていけばいいのです。

このようにして、過去は未来へとつながっていくのです。これから1年間、三中生のみなさんの安心でき、健康で充実する学校生活を、私は心より祈っています。
🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹
この1年間、すべての三中生徒の充実した学校生活を、心より願っています。

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桜に寄せる願い

2016年04月06日 19時21分32秒 | 校長からのメッセージ


人の心にも花がある。

どんな人にも心の花がある。

形さまざま色とりどり。
いずれにしても、

その花は

自他ともにひらかせねばならない。

精いっぱいの喜びに、

力いっぱい咲き誇らねばならない。

(松下幸之助『続・道をひらく』より)


桜が満開です。三中の正門東側の桜も、今が見頃です。私はしばしの間、花の一つひとつを見ています。

花は一つとして同じ形のものはなく、それぞれです。

しかし、どの花もが、精いっぱい自ら咲き誇っています。

だから人はそれらの集合体の桜の花をみると、きれいだと感じるのかもしれません。

新年度に始まる新しいクラスも、全員の生徒が自分の持ち味を発揮して、咲き誇れるようになってほしいと願います。
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向き、不向きより前向き

2016年04月04日 14時57分28秒 | 校長からのメッセージ


春は、新しい門出のシーズンです。

この前卒業した42期生は、三中での3年間の課程を修了し、初めて高校という環境に入ります。

また、三中の教職員にも人事異動がありました。他の学校へ転勤した人、新しく三中教職員になった人。

保護者のみなさんのなかにも、新しい職場にかわった人もいるのではないでしょうか。

人は新しい環境に身を置くと、多かれ少なかれ、初めて経験することに直面します。

好奇心旺盛に新しい生活を楽しむ人はいいのですが、新しい環境に馴染みにくい人もいます。

「かなわんなあ!」「できれば避けて通りたい」と思うことがあるでしょう。

なんなく事が運び、苦労せずにすむならそれもよかろう。しかし現実はそうはいかない場合が圧倒的に多いのですよ。ほんとうに。

ならば、後ろ向きな言葉は控えて、気持ちを切り替えた方がいいように思います。

新たなことに向き合うなかで、困難なことにぶつかれば、人は磨かれます。ひょっとすれば、自分自身が気づいていなかった潜在していた力を知るかもしれません。

「わたしって、意外と○○なんやわ」と感じることがあるかもしれません。

春のポカポカ陽気の日光を浴び、ウルトラマンのようにエネルギーを蓄え、心を軽くしましょう。

思い上着を脱ぎすて、身も軽くして新しい環境に溶け込んでいく。
どうやら、それがいいようです。

こんな学校は私には向いていません。
こんな職場は、私には不向きです。
なんて言わず、前向きに臨めば道は開くのです。

「向き、不向きよりも前向き」が大切なんです。

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叱ったあとには仲直り

2016年04月02日 21時22分25秒 | 校長からのメッセージ


ときとして、おとなは子どもを叱らなければならない場合があります。

しかし多くの場合、大切になるのは叱ったあとのアフターフォローです。叱ったあとの対応次第で叱ったことが、意味を持つようになるかどうかが決まります。

だれでも(おとなでも)言えることですが、叱られると、多かれすくなけれ気まずいものです。

「なんでわたしばっかり」と納得できていないかもしれません。
ふてくされていることもあります。次はバレないようにやろうと思っているかもしれません。

叱られたあともその気持ちを持ち続けていたら、叱った効果は期待できません。

叱られたあと、何より大切なのは気持ちの切り替えです。叱られたあと切り替えができれば、「仕方ないな」と叱られたことを受け止めることができるのです。

すなわち、叱ったあとにいい関係でいると、子どもは同じ間違いを繰り返さないのです。いい関係とは、ひらたくいえば仲直りすることです。

叱られるのが、おとなでも同様です。私もときには教職員を叱らなければならないことがあります。「あんた、それはないやろ」「それはアカンやろ!」・・・。

しかし、叱ったあと部下のところに歩み寄り、「強く言ってゴメンな。でもあなたには一歩先を見てほしいや」
「あんたやからこそ、言っているんやで。何しろ期待してるから」

このように諭すと、たいていの場合、叱られたことを肯定的に捉えます。むしろ叱られてよかったと感じるのです。次は間違えないようにしょうと思います。

そしてこのアプローチについて、私は立場が上の人から声をかけるべきだと思います。上司の方から声をかけにきてくれた。すると、叱られた教員も人間関係を戻そうとするのです。

上司は部下が働こうという気持ちにさせ、部下の力を引き出すことが役割です。ならば、落ち込んでいる教職員に声をかけるのは上司がやるべきことです。

以上のことは、教員と生徒の間にも当てはまります。親と子の間にも当てはまります。

すなわち、叱ることと仲直りするのは表裏一体なのです。
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