箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

ハロウィンの日

2020年10月31日 09時12分00秒 | エッセイ
わたしは、大学時代の専攻でアメリカ文学を読んでいたとき、はじめて「trick or treat」という言葉に触れました。

そのころ、日本ではまだハロウィンを祝う習慣はなく、カボチャのランタンのイラストをみて、少し奇異に感じたのを思い出します。

アメリカでは、1930年代になり子どもたちのお菓子をもらいたいという気持ちと、人々にいたずらをしたいという遊び心がいっしょになり、現在のハロウィーンという風習がアメリカで広まっていったのです。

その合言葉が、trick or treatです。
このorは、「・・・かそれとも———」という意味と考えますが、「・・・さもなくば———」であるとも考えることもできます。

「いたずらをするぞ、さもなければわたしをもてなせ(=おかしをくれ」といったところでしょうか。

日本では、近年仮装をして街中を歩くのが定番になっています。

「ひとりぼっち」を感じる女性

2020年10月30日 08時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


NPO法人の中には、家庭や学校に居場所のない少女・女性をサポートする活動をする団体があります。

女性に直接会って話を聴いたり、LINEを使った相談活動を行い、サポートをしています。

そのNPOが行ったアンケートでは、新型コロナウイルス感染症の感染防止策である外出自粛と休業要請は、とくに10代から20代の女性の心と体への影響の大きさがうかがえます。

新型コロナウイルスの感染拡大の前から、家族関係がうまくいかず、家に居場所のなかった女性は、ステイホームしている間、安心できる場所や相談相手がなく、大きな不安を感じざるをえない状況に陥りました。

家族や友だちとの人間関係に不信感をもち悩む女性は、新型コロナウイルスによる影響があると答えた人は、96%にもなります。

その内容は、「心配なことや不安が増えた」がいちばん多かったのです。

そのほかにも「消えたい、死にたい」、「ひとりぼっちだと感じた」「眠れない」「自分を傷つけることが増えた」も多かったのです。

収入減の不安と自宅にいるストレスと答える人や「いつも行くところが休みで行く場所がなかった」「自傷行為が増えた」いう回答もありました。

学生でない人は経済的に困難な状況にあることを吐露していました。

秋から冬にかけて感染が拡大したら、また自粛が求められるでしょう。

学校の保健室には、中高生の居場所という側面があるので、悩む女子生徒の相談を手厚くすることが大切です。

また、学生でない人へは、国や自治体の組織的なサポートが必要です。

常に笑顔がいい

2020年10月29日 07時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ

I’m glad to see you.

英語圏の人は、このような言葉を、ふつうにさらりと口にします。でも、日本人は「そんなにダイレクトには・・・」と感じて、なかなかスッと言えません。

人は、言葉を使い、感じていることを表現することができます。

この少子化の時代に、子どもを授かったことを幸せに思う親はけっして少なくはありません。

虐待が増えているとはいえ、子どもがいれば、そこから幸福感を感じる親は、今の時代でも多いものです。

ただ、その思いを子どもに常に伝えている人は、あまりいないのではないでしょうか。

「お前がいてくれて、お父さんやお母さんはどれほどしあわせなことか」。

じかに子どもに面して、こういうことが言える親御さんは少ないと思います。

国民性のちがいもあるでしょう。習慣のちがいもあるでしょう。

でも、言えなくても、伝える方法はあります。
それは、わが子に対して、親が笑顔でいてくれればいいのです。

その笑顔に接する子どもは、「わたしがいっしょにいると、お父さん(お母さん)はしあわせなんだ。楽しいんだ」と理解します。

このことは、学校の先生の笑顔も同様です。児童生徒は教師が笑顔でいることで、「私たちのクラスの授業が楽しいんだ」と理解します。

親御さんでも、教師でも、「相手の身になってみろ」とか「人の気持ちを考えなさい」という人は多いです。

でも、他者の苦しみや悲しさを理解できるためには、その前提として、誰かと喜びや楽しみを十分に分かち合う体験がさきに必要です。

それができてはじめて、人の苦しみや悲しさという感情に接して、ともに苦しさに共感したり、悲しむことができるのです。

つまり、笑顔は子どもの感情を感じとる情緒・感性を豊かに育むのです。

たくさんの人に笑いかけて、子どもをたくさん笑顔にしてください。

喜び・楽しさを分かち合う経験が多ければ多いほど、子どもはしあわせな人になります。

とくに幼い子どもは母性で包み込むことで、人への愛着関係は育まれます。

お母さんの笑顔は、「無敵」です。どんな子育ての方法よりも、母の笑顔は力強いのです。

ひとくくりにするこわさ

2020年10月28日 08時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルスは、未知のウイルスであり、多くの人がその人の立場で、対応に四苦八苦、試行錯誤することになります。

こんなときには、政策や対応の方針をきめるのに、頼りにするのは専門家の意見です。その意見や具申を聞き、試行錯誤しながらやっていくのが望ましいのです。

ただし、その専門家の意見はもしかするとbestでないかもしれない。でも、betterであることはたしかです。

じっさい、マスクの励行や消毒の効果は大きいのではないでしょうか。
例年ならもう学校ではインフルエンザ感染者が出始める頃ですが、今年は感染者がほとんど報告されていません。

したがって、新型コロナウイルスに関する科学的根拠に基づく専門家の意見を聞き、対応策や政策に反映される必要があるのです。

くわえて、社会全体で新型コロナウイルスに向き合っていくには、その専門家の意見を人びとに正確に伝えることが必要になります。

その点で、メディアがもつ、正確な情報を人びとに伝えるという役割に注目するのです。

しかし、いまはインターネット上を使い、みんなが「専門家」になり、自由に意見や考えを表すことができるしくみがあります。

でたらめな情報もインターネット上にあふれています。

このような状況では、テレビのニュースや新聞記事には、信頼できる情報を伝えることがより一層求められます。

たとえば、医療従事者の現場での苦闘のありさまを伝え、新型コロナウイルスに関する忌避・偏見を取り除き、応援する人々を増やしたのはテレビや新聞での報道の効果であったと考えることができます。

でもそんなプラス面だけではなく、今回はマイナス面もあったと私は感じています。

たとえば、「夜の街関連」という言葉をテレビや新聞は何度も何度も流しました。行政をつかさどる長たる人も放言していました。

しかし、なんでもひとくくりにしてそのグループを特徴づけると、そこに感情が起こってきます。感染を拡大させているのは「夜の街」だという印象を人びとに植え付けます。

今回、「夜の街」に従事する人をひとくくりして、「夜の街関連=いけない人たち」と印象づけることに、テレビの番組や新聞記事も多分に「貢献」しました。

とくに、マスメディアといわれる媒体は、同じ情報を異なる番組が共通して一斉に、繰り返して流すので、読む人や見る人は「ああ、そうなのか」と思ってしまいます。

じつにこわいことです。

正しい情報とは、じかに人がそのひとくくりにされたグループの中の人と実際に出会うことで、印象は大きく変わることも多いものです。

実際に会ってみると世間で言われることとは大違いということも多いものです。その人と親交が深まることも多いものです。

人を介在させることなしに、グループで人をひとくくりにして「みんながそうである」ときめつけないこと。
その役割がメディアに強く求められます。

学校教育も、グループは人そのものではないことを児童生徒に教えることが大切です。

人をグループとして見るのでなく、それぞれ生きている個人として、多面的に見る感覚や習慣を身につけさせることがぜひとも必要です。

子どもに意見表明の機会を

2020年10月27日 08時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本では、若い人が政治や社会に働きかけ、現状を変えようと運動したり、活動するのが減ってきて久しくなります。

「18歳意識調査」が2019年に行われました。日本財団が実施したもので、このたびその結果が公表されました。

それによると、

①「自分で国や社会を変えられると思う」
日本は18.3%。インドは83.4%、インドネシア68.2%。日本はいちばん低い。

②「自分の国に解決したい社会課題がある」
日本は46.4%。9つの国の平均は72.7%。これも日本がいちばん低い。

③「社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論している」
日本27.2%。 平均は63.9%。これも日本がいちばん低い。


この数値は、いまの中学生をみていても、共通する点があります。

③などは、学校生活のなかで、議論しょうとする生徒はほんとうに少なくなったと思います。

①は、何でもあてがうことの多い日本の家庭や学校では、国や社会を変えようとする子どもの意欲も高まらないのが納得できます。

②は、政治や社会への関心が高くないという意識の低さを表しています。


おそらく、学生が国や政治、社会を変えようと活動した大きな波は、日米安保条約反対で立ち上がった1960年代の「全学連」が最後でないかと、私は考えます。
  

それ以来、若い人は社会課題に関心が薄く、無関心な人が多くなってきているのが実情でしょう。

とくに最近では、行政がトップダウンで物事を指示してきて、末端の人びとはそれに従うという構図が強くなってきています。

今年でも、新型コロナウイルス感染防止のための全国一斉学校休校、修学旅行の中止、行き先変更、学校行事の中止、簡素化など、一方的に決定事項が出てきて、児童生徒は文句をあまり言わず、それらに従っています。

命にかかわる一大事だから、行政がかじ取りをするのは当然だろうという考えは理解できます。

しかし、納得いかないことがあるのに、もの言わず従う人は賛成しているのと同じです。

たとえ子どもでも、少しぐらい意見を表明する機会があったほうがいいです。

学校でもなにか子どもの発案で、可能な提案を取り入れることもできるはずです。

「子どもの権利条約」では、「子どもは意見を表明することが保障されなければならない」とうたわれています。

子どもは教育を受ける主体であり、客体ではないのです。
 
子どもは大人から保護される立場にあります。

保護される当事者の主権をぞんざいに扱う社会は発展しにくいのではないでしょうか。





教職員がかかえる重荷

2020年10月26日 10時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学校が6月に再開して以降、ずっと新型コロナウイルス感染防止に努めています。

毎日の消毒や児童生徒同士、教職員と児童生徒が密にならないよう留意して、教育活動を進めています。

教職員は業務量が増え、体力的にきついのはもちろんですが、いちばんの精神的にきついのは「自分が感染したらどうしよう」という不安やプレッシャーです。

もし教職員が感染すれば、数日間は確実に全校が臨時休校になります。また、自分がかかわる児童生徒が濃厚接触者に認定されるかもしれない。

自分の感染のために、おおぜいの人に迷惑がかかるという心配は、影響を受ける人の数が多いだけに重圧となります。

新型コロナウイルスには、誰もがかかる可能性があるのです。感染症に対して知識と経験が豊富で、設備や技術にすぐれた病院ですら感染が拡大することもあるのです。

知識、経験、装備、技術が十分でない学校の教職員には荷の重い業務を続けることになります。

本来は、誰もが感染する可能性があるウイルスであるので、感染を非難されるものではないのです。

ところが、学校で感染者が出ると、その先生は誰だとか、何年何組の生徒なのか、誰なのかと誹謗中傷の対象になってしまうという現状があります。

困っている人がいる。たいへんな状況にある。自分のかたわらにそんな人がいるときにこそ、教職員はその心労をねぎらい、みんなで助け合っていこうとする同僚の人間関係が必要です。

なぜか。それは、そのような教職員の態度や姿勢を児童生徒は、ちゃんと見ている、知っているからです。

助けあわない大人のもとでは、子どもは助け合うことはないのです。それが、子どもを預かる学校の特質です。

どこか寂しさが漂う演奏

2020年10月25日 06時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ


秋は音楽のコンクールの季節です。地区の大会をくぐりぬけてきた個人やグループが集まる全国大会も開催されます。

でも、今年は新型コロナウイルスのために、中止になったコンクールがあります。

または映像審査に変更されたケースとか実演できる機会はあるが観客なしで行うものもあります。


では、映像審査用に演奏者が作る映像とはどのようなものでしょうか。ピアノ演奏者に聞いてみました。

全編を編集なしで弾くので、緊張することに加え、それは舞台で生演奏するのとはちがった緊張感があります。

審査する側は、戻して聴きなおすので、曲想の全体像がつかみにくい


もう一つ、観客なしの演奏とは、演奏者にとってどのようなものでしょうか。

客席からの刺すような視線が感じられず、演奏者の演奏に対して客席から醸し出される息づかいのようなものがない。

その息づかいがホールに充満して、演奏家が奏でる音が息づかいと一体になる臨場感がない。

映像だけの演奏には、なにか孤独感が漂い、どことなく暗さが漂う曲想になってしまう。それが明るい雰囲気の曲であっても。

このような状況は、演奏者には苦痛となるのではないでしょうか。

音楽は舞台やホール、劇場とともに発展・発達してきたという長い歴史があるのですが、その演奏が誰もいない空間で寂しく響くという環境に閉じ込められるのです。

新型コロナウイルス感染の時代では、この寂しさは、演奏者が感じる孤独感であり、観客とともにありたいと願う演奏者の心の叫びが一体化したハーモニーとなり会場に流れるのです。

進化する学校の体操服

2020年10月24日 09時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ



学校で生徒が着用する体操服は、最近、たいへん進化してきています。

なかでも、半そでの体操服は白色が多く、下着が透けて見えるかどうかで、私もつい最近まで学校指定の半そで体操服を選ぶ一つの基準にして、どれにするかを検討した覚えがあります。

下着が透ければ、生徒もいやがりますし、保護者も心配になります。


そして最近になり、「制服のカンコー」が開発・販売した「MIENNE」(ミエンヌ)シリーズが画期的だと話題になっています。

ミエンヌは、白色でも下着が透けにくい体操服です。
糸の質を改良しながらも、かつ快適さを損なわないよう編み方の構造を工夫し、非常に高いレベルで透けるのを解消しました。

また、酸化チタンを練りこんだ糸などを使い、UVカットの機能もあわせ持っています。

さらに、通気性をよくし、汚れも落としやすくもなっています。

私が教員になったころの学校の体操服といまの体操服では、その品質やデザインの進化に隔世の感があります。

(写真はカンコーのWEBページから掲載させてもらいました。)

清濁合わせ飲む 中学生

2020年10月23日 16時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ

わたしの校長在任中のことです。

母親である保護者の方から、ときどきこんな依頼がありました。

「子どもが、この学校に在籍しているかどうか、夫からの問い合わせがあったときには、在籍して通っていることを隠しておいてほしい。」

学校はその意向を受け、問い合わせ等に応じないなどの対応をすることが多いのです。

また、教職員はそのような家庭の事情を把握したうえで、その生徒が日々充実した学校生活を送れるよう支えていくのです。

さまざまな事情により、子どもを連れて母親が父親と離れて暮らしている家庭があります。

そのさまざまな事情の中でも、家庭内暴力(DV)から逃げるために、地域で子どもとひっそりと暮らしている女性(母親)がいます。

その数はけっして少なくないという問題を、今回の新型コロナウイルスがあぶり出しました。

新型コロナウイルス感染防止措置として打ち出された一人10万円の特別定額給付金が、DV被害の問題を顕在化させたのでした。

ご存知のように、給付金は、家族全員のぶんが世帯主に一括して支払われます。

世帯主が配偶者であり、その配偶者から暴力を受け、避難している場所が明らかになるのを避けるため、住民票を移さず子どもを連れて家を出て、他の校区に住んでいる女性たちが自治体の窓口を訪れました。

「給付金をもらうにはどうしたらいいですか」。

給付金をもらうのに自治体の職員に理解があればいいのですが、行政の職員もきまり通り業務を遂行しようとする場合が多く、DV被害者にとって、たいへんだったようです。

市町村の役所や警察を被害者自身がまわって、何度も同じ説明をしたり、申請しなければならず、窓口が一本化されていないという問題が大きくなったのです。

たしかに市町村でも、男女共同参画センターでDV相談を受けている場合があります。

でもDV被害者を一時保護する権限は婦人相談所がもっており、これは都道府県の所管です。

このような行政の構造や連携の不備という課題を、今回のコロナ禍は顕在化させたのでした。

また、今の時代でも、同居していて夫と妻が対等な関係でない家庭が依然としてあります。

夫は、「オレに入ったお金はすべてオレのものだ」と家族への給付金も取り込んでしまい、渡さない家庭もあったようです。

日本の法整備は、諸外国と比べて遅れています。DV法(配偶者暴力防止法)などの充実や被害者支援として相談所や地域にシェルターを整備するなど、課題が多くあります。

学校では、そのような大人の事情とは別に、子どもへの教育の充実に努めます。

でも、中学生ぐらいになると、制度の不備に目を向けるようにもなります。

学校ができることは、被害者救済制度の不備があるという現状の中で、せめて子どもには充実した学校生活を願い、サポートすることです。

学校は、基本的に夫婦の問題を変えることはできません。

物事がわかってくる中学生の子どもには、家庭状況を知った上で、清濁あわせ飲み、「自分はどう生きるか」を考えさせ、前を向かせていくのです。

学習するほど安心できる 新型コロナウイルス

2020年10月22日 06時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「新型コロナウイルス感染症で、子どもたちに心理的な負担や影響が出ていて心配だ」と学校の先生は言います。

教員は、学校で多くの子どもたちと接しています。だから「子どもたちのことが心配」という人の直感と現場の声に、社会は耳を傾けなければなりません。

このたび、兵庫県教育委員会が、新型コロナウイルス感染症による児童生徒への心理的影響を調査した「心とからだのチェックリスト」(7月実施)の結果を発表しました。

全学校ではなく、抽出した小・中・高の学校を対象にアンケート調査をした結果です。

すると、「この1週間に、なかなか眠れないことが、ほぼ毎日あった」と答えた割合は、小学1~3年で13.4%になりました。
小学4~6年が6.3%、中学は4.0%、高校は3.7%というように、年齢が上がるほど低くなりました。

「むしゃくしゃしたり、いらいらしたり、かっとなったりする」が「ほぼ毎日ある」は、小学1~3年が11.2%で、小学4~6年が9.8%、中学は5.8%、高校は4.2%でした。

「こわくておちつかない」「頭やおなかが痛かったり、からだの調子がよくない」などは、小1~3年にだけに多く見られた傾向でした。

このことから、年齢が低いほど、新型コロナウイルス感染症の心理的な影響やストレスが出ていることがわかりました。

とくに小さな子どもの心理的な負担をやわらげ、安心感をもたせる大人の役割が大切であると改めて思います。

また、「コロナウイルスはどのように広がっていくかを知っているか」は「知らない」が小学1~3年が15.6%、小学4~6年が2.9%、中学は1.1%でした。(高校は調査せず)

そこで、小中学生の場合、新型コロナウイルス感染症に関する知識が多いほど、心理的なストレスをもちにくいのではないかということも推測できます。

家庭や学校で、新型コロナウイルスの広がりかたについて、学習する機会をさらに充実させ「正しくおそれる」ように教えることが望まれます。

注意して見守りたい 大学中退の問題

2020年10月21日 08時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今年度、ほとんどの大学は4月からの前期講義を遠隔授業で実施しました。学生はキャンパスに出向かず、自宅で授業を受けました。
(後期は、オンラインと対面を併用している大学が多い。)

また、自粛要請に伴い、営業をとりやめたり、営業時間を短縮した店が多く、大学生のアルバイトが激減しました。

これにより、学費が捻出できない、大学生活を楽しめないなどの影響を受けた学生は、大学を中退するのではないかという懸念が問題になっていました。

このたび、文科省は10月中旬になって、今年の4月から8月の中退率を発表しました。

それによると、今年の中退率は0.38%で、昨年同期の0.48%を下回りました。

このことから、新型コロナウイルスにより、学生が大学をやめざるをえなくなるという危機は、とりあえずは回避されたように思えます。

さらに、オンライン講義のひろがりやキャンパスに入れないことで心配されていた「大学生活への不適応、修学意欲の低下」は15.6%にとどまり、昨年の15.9%から大きな変化はなかったことがわかりました。

ただし、大学を中退する学生は多くなかったとはいえ、それは家計が苦しい学生を支援するため、ほぼすべての大学が前期授業の納入猶予をおこなった対応策が功を奏したとも考えられます。

数字を見る限りでは新型コロナウイルスによる学業の断念は現段階では見られませんでした。

ただし、後期に入り、学生のキャンパス入構を開始して、対面講義を再開した大学のなかには、実際にクラスターが発生している場合があります。

予断を許さない状況が続いているのはたしかです。

新型コロナウイルスへの対応は長く続くということが見込まれます。

生活困窮学生は潜在的にいるとの認識をもち、感染症が長期化する状況のなかで、今後も注意深く大学中退の問題を見守っていく必要があると思います。

マリーちゃんが教えてくれたこと

2020年10月20日 08時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私の娘が小さい頃の、東京ディズニーランドでのエピソードを紹介します。

シンデレラ城の前でショーがありました。

家族で席をとり、ショーを楽しみました。

ショーの後、「よかったね」と会話していると、娘が「あっ、忘れた!」と言いました。

聞いてみるとシンデレラ城の前のベンチに座ってショーを見たとき、小さなマリーちゃんのぬいぐるみをベンチの上に置きました。
ショーが終わって、そのまま忘れてきたということでした。

「しかたないね」と言いながら、帰阪してから、「もう出てこない」とあきらめながらも、試しにディズニーリゾートに問い合わせの電話をかけてみました。

すると、担当者は忘れた日時と場所をたずねたうえで、「ありますよ。届いています。お送りしますから」と回答してくれました。

やはり聞いてみるものだと思いお礼を言い、送り先を伝え電話を切りました。

数日後、宅配便の方が届けてくれました。
「(着払いの)送料はいくらですか」と聞くと、ここでさらに驚きでした。

「リゾート側が、送料はいらないとのことです」。

なんと、送料まで負担して送ってくださったのです。

やはり、ディズニーは愛と感動を届けるところだと思った次第です。

子どもの願いと夢を裏切らないとあらためて思いました。さすが、ディズニーは愛と感動を届けるところだと思った次第です。


このエピソードで、もし「忘れ物だから見つかって当然」と思い込んでいたら、ここまでの感動はなかったでしょう。

さらに、送料までむこうが負担してくれた。

私や娘には、新鮮な驚きでした。そして、驚きは感動に変わったのです。



ここから思うことがあります。

人間は生きていく上で、もっといいものとかもっとおいしいものを求めつづけるよりも、要求水準を一番低いところにもってくるのがいいのでないかと。

社会や世の中、他者に要求するレベルを「あきらめ」に置くのです。

「小さな目立ちくいマリーちゃんだから、見つからないよね」とあきらめていると、予想外の反応があったとき、思いがけない、ちょっとしたことで感動や喜びが生まれるのです。

おもん見れば、人の一生はつらいことの連続です。
一生背中に重い荷物を背負って歩くようにと思えるときがあります。

こう思って過ごしていると、ちがうことに出くわしたときの喜びはとても大きいのです。

つまり、不条理や理不尽はあるものだと思うのです。
でも、だからといって、投げやりになり、やる気をなくしたり、失望するのではありません。

不条理・理不尽を受け入れ、誠実に生きるのです。

そうして、予想外のできごとに出くわして、感激・感動を享受する。

以上、マリーちゃんが私に教えてくれた人生訓です。

 授業は「予定調和」しないことが多い

2020年10月19日 09時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


みなさんは、中学校の国語で芥川龍之介の『トロッコ』を学習したのではないでしょうか。

私も中学1年のとき、この『トロッコ』を学習しました。

この作品はいまも中学生の国語の教科書に載っています。

わたしが去年、箕面市内の中学校の国語で、『トロッコ』を教材にした授業を参観していた時のことです。

工事用のトロッコにのせてもらった良平は、最初は嬉々として楽しんでいます。

でも、トロッコが滑走するうちに、あまりにも遠いところまで来てしまい、だんだんと不安な気持ちが高まってきます。

その良平の心情の変化を、作品の描写の移り変わりから読みとるのがこの授業のねらいです。

ある生徒は、みかん畑のみかんの「匂い」→明るい、石油の「臭い」がした紙に包んだ菓子→暗い」と良平の心情の変化していくことに気がつきました。

授業者(=教師)は生徒の間をまわるなかで、その生徒の読みとりを的確に把握していました。

あとでその考えをクラス全体の場へ引き上げ、他の生徒たちに紹介しました。

さらに別の生徒が「匂い」から「臭い」と漢字が変化していることを加えて指摘しました。

結果的にクラス全体の読みとりが広がり.深まりました。


ふつう、授業者は前もって「授業案」を作って、授業に臨みます。

授業の「つかみ」に何をもってきて、ひろげて「展開」していく部分、「まとめ」の部分という学習の流れを予定しています。

また、生徒への「発問」を何にするか、予想される子どもの反応をふくめて、1枚のシートにまとめたものが「授業案」です。

ところが、授業者は40名近くの生徒を相手に、授業をします。予定通り、授業が進行しないことも多いものです。

授業経験の少ない教員ほど、「授業案」どおりに授業を進めようとします。

授業とは、授業者が予定した通りに進むものでないことが多いのですが、予定通り授業を進めなければならないというとらわれが強いからです。

そうすると、生徒が発するつぶやきや意見が、教師のふるいにかけられ、予想していなかった生徒の意見は、「ストライクゾーン」からはなれた「ボール球」として扱ってしまいます。

この「みかん畑のみかんの匂い→明るい、石油の臭いがした紙に包んだ菓子→暗い」も「匂いが臭いに変わっていること」は、授業案の予定にはなかったかもしれません。


参観した授業は、授業者がそれぞれの生徒がどんな「つぶやき」をしているかを的確につかみ、全体の前に発表させて、柔軟に対応していきました。

多くの人が学校時代に授業を受けています。だから、授業とはどんなものかをご存知です。

しかし、教育のプロとして実践する授業は、専門性が高く、奥の深いものであり、教師の授業の準備(「授業研究」とか「教材研究」と呼びます)は、きわめて大切なものです。

そして、授業は予定調和しないことも多いのです。授業経験の多い教師や授業がうまいと言われる教師は、子どもの深い学びを生み出すことができます。



    

同調圧力から抜け出す

2020年10月18日 07時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今の中学生の集団(グループ)は、生徒と生徒を仲間関係と信頼関係でつなげる取り組みをしないと、グループ内での同調圧力が強く出る傾向にあります。

グループの意向に「いや」と言えない。トイレに自分一人で行けばいいのに「いっしょに行って」と言われると断れない。

自分だけが異論を言いにくく、賛成に回ってしまう。
「空気を読めない子」とグループから言われたくない。

グループ内ではたらく「同調圧力」はかなりのものです。

そして、そんな同調圧力を内側にためたグループがクラスの中にいくつか乱立している。これが4月当初の学級開きの状態です。

もっとも、学校で、仲間づくりや集団づくりをすすめていくと、グループ間の交流が進みます。

またグループ内でも同じようにしなければならないという力は弱まってきて、いわゆるクラスの団結や絆が生まれてきます。

しかし、よく考えてみると中学生の集団にはたらく同調圧力は、なにも子どもだけの問題ではありません。

おとな社会も同じです。むしろおとなの姿が中学生に投影されていると、私は考えています。

おとなに働く同調圧力や「世間のまなざし」を、今回の新型コロナウイルスはみごとにあぶりだしました。

マスクをしていない人をにらみつける。
夜間遅くまで店を開けていれば、悪口の落書きをする。
感染した人を中傷非難する。

いわゆる「自粛警察」は、「世間」という概念がもつ同調圧力が働くことで生まれます。

この世間とは「人に迷惑をかけない」という力学的な価値観です。

この人は「人に迷惑をかけている。なんでみんながやるようにしないのだ!」という勢いで、非難をする人になるのです。

日本政府が、人びとに求めた「自粛」要請は、「ルールは守るものよ」「こんな非常時なんだから自粛しないさいよ」という人々の同調圧力を起動させることになったのです。

ただ、今回はコロナ禍で極端に出ましたが、「世間」というものはずっと昔から日本社会にでは、幅をきかせてきました。

親がわが子に「世間さまに顔向けができない」とか、犯罪加害者や刑務所から出所した人の家族が非難されるというように、以前からありました。

ただ、考えようによっては、日本社会では「人と違うことをしない」とか集団から逸脱する行動は慎むという価値観があるので、治安が保たれているという、同調圧力のプラス面はあると思われます。

マスクをしなければならないと聞いたら、ほぼ100%、みんながマスクをします。これが感染防止に役立っているという側面はあるのでしょう。

しかし、行き過ぎた同調圧力は、人びとをかえって生きづらくさせます。
生きづらさは、間接的にでも、自殺者の増加につながることもあります。

中学生友だち関係の課題、「同調圧力」を言う前に、まず私たちがそれぞれの人を認めていくように態度を変えていくべきでないかと考えます。