箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

嘘をつかない

2021年07月31日 08時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人が生きる上で、ウソをつくことは何度かあるでしょう。

ときには、相手のことを思い、ウソをつくこともあるでしょう。

だから、一概にウソをついてはいけないとは言えないと思います。

教育や子育てにおいても、その子の成長にとってよかれと信じて、教師や親がつくウソもあるでしょう。

私も、本人が知らない方が、この子はいまがんばれると信じてウソを言ったこともあります。

高校受験で、志望校の学力にまだもう少しだけ届いていない生徒がいました。

その子の学習態度はよく、努力を続け、もうあと少しで合格圏に届く手前でした。

ここで、志望校を諦めさせると、彼は頑張れなくなる。

こう信じた私は、もう合格圏内にいる。いまの努力を続けていきなさい。でも、手を抜くと外れていくからと、伝えました。

彼は、学力をさらに上げていき、合格できました。

ということがありました。



しかし、人はウソをつき通すのはよくない。ウソをつき通すと、それが真実だと、自分も相手と思ってしまい、進路指導を見誤ってしまいます。

ロシアの小説家ドストエフスキーは、『悪霊』のなかで、次のように言いました。

「大事なのは、
自分に嘘をつかないことです。
自分に嘘をつき、
自分の嘘に
耳を傾ける人間というのは、
自分の、なかにも
まわりの人間のなかにも、
どんな真実も見分けがつかなくなって、
ひいては、自分に対しても
他人に対しても
尊敬の気持ちを失うことになるのです」


授業でのふりかえり活動の大切さ

2021年07月30日 07時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学校の授業のなかでも、児童生徒が学習の「ふりかえり」の活動を行う時間を十分に確保できている授業者(=教師)は、けっして多くはありません。

たいてい、45分か50分の授業で、学習したことを最後にふりかえる時間(5分程度)がくるまでにチャイムが鳴り、授業が終わってしまうことが多いためです。

時間を確保できても、ワークシートを配り、「友だちと話し合いができた」とか「今日の授業はよかった」、「また学習したい」などの感想を書かせるだけで、授業を終えることが多くあります。

しかし、それぞれの子どもが1時間の授業で学んだことを、自分の中に落とし込むためには(これを私は「内面化する」と呼んでいます)、「ふりかえり」が必要だと考えています。

「ふりかえり」は児童生徒に感想を書かせたり、それを発表する活動が中心になります。

それは、次の学ぶ意欲につながります。また、学習集団としての児童生徒同士の人間関係を高める効果もあります。

たんに、「楽しかった」という感想だけで終えるものではなく、今後の児童生徒の話し合いを活発にできるかという授業者としての次の指導のあり方が大きく問われる分かれ道になります。

「ふりかえり」は、児童生徒がまず自分の学び「何が今日の授業でわかったか」「自分は何ができるようになったか」を考えます。

でも、それで終わるのではなく、まわりの友だちとの関係を意識させる必要があります。

「友だちのよかったと思うところ」「その友だちをみて、自分はどう思ったか」「自分はどうしていきたいか」と進め、最後は自分につなげます。

もし、ふりかえりとしてワークシートを使ったのなら、授業者がそれを回収して、一通りチェックするだけで終わらせないのです。

要所で、「Aさんは、Bさんの発表を『いいね』と言っていたけど、何がよかったのか、もう少しくわしく説明してください」とかして、深堀します。

また、「Cさんは、Dさんの意見を聞いてうなずいていたけど、なにがよかったのかな」というようにCに尋ねます。

このように、授業者が、児童生徒の感想を、他の児童生徒とつなぐことで深めていくと、具体的になり、その子ならではの表現が出てきます。

子どもは授業者が思う以上に、いろいろな視点や発想を発揮したり、本質を突く意見や感想を言うものです。

「へー、ほかの子はこんなことを考えているんだ」とか「○○さんの意見を聞いて、納得したから、わたしの意見を変えよう」というように、考えを深めていくことにもなります。

このような「ふりかえり」を繰り返していくにつれ、子どもの発表や発言は鍛えられていきます。そして学び合いの関係のある学習集団が育ってきます。

個々の子どもは、自分の考えを伝えるにはどんな言葉を使うといいかなど、言葉の大切さを意識するようになります。

頭だけで得た言葉が、自分のなかに内面化され、自分の言葉としていきていくようになります。

したがって、授業のなかでの「ふりかえり」はたいへん重要で、これがないと子どもは「学びっぱなし」で終わってしまいます。

全勝でなくていい

2021年07月29日 07時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ

校長は、学校をまわして教育活動を展開していく役割の責任を負います。

学校といえども一つの組織です。

中学校なら、生徒の教育を学級担任や教科担任が引き受けて、仕事をしてくれます。

また、給食は栄養教諭や栄養士が業務を引き受け進めてくれます。

生徒の健康面でのケアは、養護教諭が担当します。

進路指導は進路指導担当、生徒指導は生徒指導主事、学年をまわすのは学年主任がいます。

それぞれの担当者が分担して責任をもち仕事をします。

そして、最終責任は校長がすべて引き受ける。

最終責任は、分けることはできないのです。

それ相当の重圧が校長にはかかってきます。

失敗は許されない。生徒が不利益になる失敗は許されないという覚悟をしていなければならない。

しかし、担当者だって人間です。ミスすることや誤りはあります。

部下を叱らなければならないときもあります。

でも、怒ってばかりでは、部下の意欲は上がりません。

校長は10戦10勝をめざして、ガチガチになるよりも、5勝4敗1引き分けぐらいでいいと構えているのがいいようです。


その方が、たとえ担当者の仕事にミスがあっても、怒るよりも励ますことができるようになります。

ただし、その4敗は取り返しのつく失敗でなければなりません。





教職の醍醐味とは

2021年07月28日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いまの時代の仕事は、一般的に言って、課せられた役割を果たせばそれ以上をめざす必要はない。
これが、今の職場のムードであると思うことが多いです。


仕事を楽しみ、仕事で自分が成長するという点では、相手の喜ぶ顔が見たい。
そのために仕事に全力で取り組むという意識は薄れてきているのではないかと感じます。

学校の先生も、そういう傾向があるようになったと感じるときがあります。

しかし、学校教育では児童生徒の喜ぶ顔や表情は、教師にとっては最大のモチベーションです。

教師自身も、かかわった子どもが手のかかるほど、その生徒が喜ぶことで、教師自身もうれしく感じます。

その子の成長は、教師としての成長でもあります。

相手の喜びを相手以上に喜ぶことができる教師は、教職の醍醐味を知っている人です。

その子が卒業していっても、また次に入学してくる子に「またこの子を喜ばせたい」と思うのです。

教職とは、この繰り返しであると言えます。






無関心はダメ

2021年07月27日 07時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
東京オリンピックは、多様性の尊重や共生社会への志向をスローガンにしています。

しかし、今回のオリンピック大会組織委員会では、ジェンダーの問題や障害者への人権侵害での辞任が続き、多様性尊重や共生社会の実現の理念は、足もとからのほころびが目立ちました。

スローガンを実現するには、無関心層の人が多いほど難しくなると、わたしは考えます。

賛成派の人と反対派の人がいる中で、無関心層はどちらにもなびくのです。

愛の反対は憎しみでなく、無関心である」とマザー・テレサは言いました。

学校でのいじめも同じです。

いじめる子といじめられる子という関係がクラスの中にあるとき、無関心な子の存在はいじめを黙認することになります。

また、自分への利害関係がありそうなときには、往々にしていじめる側にまわります。


自分に利害関係がからんでも、差別する側にまわらないクラスづくり、自分に利害関係がからんでも、差別しないことがメリットになるしくみをクラスのなかにつくること。

これが学級担任がいじめ防止に取り組む今日的課題であると、わたしは考えます。

生徒からもらった言葉

2021年07月26日 07時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ



中学校の教員の役割は、生徒を指導することであるのはもちろんです。

たとえば、中学3年生の進路を指導するとき、高校入試のしくみや高校の特色、学力的な難易度、部活動のこと、さらにはその先の大学についてなど、進路に関する情報をもっているのはもちろんです。

さらに、その生徒の学力状況や人がら、特性や得意なこと/不得意なことなどを、教師が知っていることも必須です。

そして、その子にあったもっともふさわしい高校を受験できるようにサポートしていきます。

わたしも出会った数多い生徒についてふりかえり、すべての生徒をを十分に進路指導できたかと言えば、後悔する場合もあります。

それは今も心の中にひっかかっています。

「あのときのあの言い方はよくなかった」。「申しわけない」こう感じることもあります。

でも、なかには大人になってから、次の言葉をわたしにかけてくれた女子生徒がいます。

「先生、中学のときのわたしの宝物は、わたしよりわたしのことをわかっている先生がいたことです」。

正直いって、この言葉を聞いてうれしかったです。教師のやり甲斐はこんなときに感じます。

たしかに、わたしはその子の進学する高校について、精一杯考え親身にアドバイスしたことは覚えています。

将来の夢に向かい、こちらの高校では、こういう単位の取り方ができるという方向性を示しましたのでした。

そのアドバイスをそのまま受けたのは、おそらく彼女の気持ちが素直だったからでしょう。

彼女は、そのアドバイスを受け、その高校を受験し、いまは夢であった医療の道に進んでいます。


教職での働きかた改革

2021年07月25日 05時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校が教員の働きかた改革をすすめるように、教育行政機関は、通知を出したり、学校を指導をしたりしているのが、いまの状況です。

大阪府箕面市の場合、学校に週1回ある「一斉退校日」には、19時には全員退勤しょうというものです。

また、部活動休養日は、土日のうち、どちらか1日は部活を休みにするものです。



しかし、いま、一部の企業では、新型コロナウイルス対策としてのテレワークをはじめとして、働きかた改革を見直す動きが出てきています。

それは、オフィスへ行かない、または早く帰らなければならないので、時間外の自己研鑽の機会がなくなってきたという問題が起きてきたからという理由です。

また、目先の利益を上げることに社員の意識が傾き、限られた時間内でできることことしかやろうとしない。

これでは、中長期的に見て、企業の将来のためにならないという反省もあります。

こういった事情から、働きかた改革を見直す動きが出てきています。

一方、学校でいえば、教員の仕事ほど、自己研鑽が求められる職種はないとまで、私は考えています。

今日、いい授業ができたから、私の授業は完成したというものではありません。

もっといい授業がしたい、子どもの学びをもっと高めたい、子どもを笑顔にしたい。

そのために研究し続ける資質は、教員にとっては一番必要だと考えます。

だから、
「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」(教育基本法第9条)。

「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」(教育公務員特例法第21条)。

このように、法に定められているのです。

その趣旨を踏まえ研修がありますが、それは多くが勤務時間内(校内・校外)に行われます。

時間外勤務を減らすため、校外の研修には出かけにくい。

また、教員が本当に自分の資質能力を磨くために研鑽を積むことができるのは、就業時間外に学校に残って行う自己研鑽、教材研究です。

教員は学校に遅くまで残って、世間話をしたりしているのではありません。

大多数の教員は明日の、これから先の授業や行事の準備に勤しんでいるのです。

また、いまの学校の働きかた改革は、それ以外の弊害も生み出しています。

従来から子どものために大切にしてきた学校のとりくみや教職員間の会議などが、「もう、よろしいやん。時間もかかることは」という声が職場内で出てきて、教育活動が停滞し始めているケースがあります。

その被害を被るのは、子どもであり保護者です。

だから、学校という、教職という特異性を踏まえ、働きかた改革を進めないと、この改革はうまくいかないと、私は考えています。

安心して相談できる空間

2021年07月24日 06時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
一般的に言って、思春期の子は身近な大人に悩みを打ち明け、相談しにくいものです。

そこには人間関係の「しがらみ」もあります。

ところが、縁やゆかりの薄い第三者には、相談しやすいと思うことがあります。

そのときに利用しやすいのがネット空間です。めんどうな手続きもいりません。

ただ、悪意のある相談サイトに引っかからないような工夫をしなければなりません。

第三者に相談するのは、「もろ刃の剣」のようなものです。

そこで知り合ったことがきっかけで、連れ去られるという事件も起こっています。

でも、良質の相談サイトもあります。

たとえば、ニフティは安全のために前もって投稿や返事の内容をチェックしたうえで公開します。

ネット空間には、悪意のあるものだけでなく、親身になって相談に応じ、必要な場合には面談や専門機関につなぐNPOのサイトもあります。

このような活動を充実させるには「人」がいります。また資金もいります。この活動を支えていく社会のしくみづくりが求められます。



温かい人間関係は、ずっと残る

2021年07月23日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ


子どもの中には、おじいちゃん・おばあちゃんといっしょに同居して暮らす子もいます。

私の家の場合、上の娘は0歳から、おじいちゃんが他界する23歳までいっしょに過ごしました。下の娘は16歳までいっしょに暮らしました。

一つ一つを思い出すと長い年数のように思いますが、祖父母と孫がいっしょに過ごす時間は、ほんとうに短いものです。

たしかに、歳が上がるにつれて子どももおじいちゃん・おばあちゃんに甘える度合いは少なくはなってきます。

しかし、温かい関係はちゃんと残るものです。うちの子は二人とも、おじいちゃん・おばあちゃんにかわいがってもらっていました。

おじいちゃんとは、告別式で涙を流しながら「おじいちゃんとの楽しかった日々」のメッセージを読みました。

おばあちゃんが体力的に弱ってきても、手助けが必要なときは、いやな顔ひとつせずに手をひいたり、車いすを押したりします。

おそらく、それは幼い頃、保育所まで迎えにきてくれたりして、祖父母に同じようにしてもらったからでしょう。

祖父母は、ある意味で、親にできないことをしてくれる人たちです。愛情を惜しみなく与え、孫のしあわせを願っている人です。そんな人は他にはいないのです。

時間をかけて育まれた温かな人間関係は、いつまでも残るものなのです。

うまくいかないときは・・・

2021年07月22日 06時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人の一生には浮き沈みがあるものです。

 

物事がうまくいかないと、不安になり、気分が落ち込みます。


いわゆるスランプというのもうまくいかないときです。


アスリートもスランプになります。


私は、子どもの学習にもスランプの時期があると考えています。


成績のふるわなかった中学生が、学習を重ね学力を伸ばしてきた。ところが学力が伸びない時期が続くことがあります。


それでもやり方をかえるなどして学習を続けると、また伸びてきます。

 

うまくいかないきには、じたばたせず、もがかず、あせらず、いまは我慢して耐える時期とらえて努力を続けるいいようです。

 

うまくいかないときは、耐えて力ををたくわえる時期なのです。


反抗期に向き合う

2021年07月21日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


最近は思春期の反抗期がない子が増えてきたというのが、経験上、わたしの実感です。

ずっと「なかよし親子」のまま子どもが思春期を過ぎると、それはそれで心配になります。

一方、親に激しく反発する中学生のことで、わたしは何度か相談を受けました。

そもそも第二次性徴期に現れる反抗期は、子どもが外見的にも、内面的にも急速に成長する時期です。

本人の力以上のことを全力でやろうとします。親にとっては、心配にもなります。

だけど、だからこそ子どもは大きく成長するのです。

そこで、制止せず、おさえつけず、子どもを信じて見守って、危険を避けるような工夫を尽くすようにします。

その反抗で親の心が傷つくようなことを言ったりすることもあるかもしれません。

でも、「そんな言い方をするのか」を「そんな言い方ができるようになった」と、思うようにしてほしいのです。

裏を返せば、親を信頼しているからこそ反抗するのです。

コントロールの荒れるピッチャーが投げてくるボールは、何でも受けとめることができるキャッチャーになったつもりで接していくのがいいように思います。

家庭での学習を支える活動

2021年07月20日 06時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ


近年、子どもの貧困の問題に注目が集まっています。貧困は連鎖します。

貧困による家庭での教育の格差も連鎖します。

子どもに学習習慣が備わっていないと、その子が親になったとき、その家庭には学習する習慣がありません。

親が学習に価値を置いていなければ、一般的に家計での教育費が占める割合は小さく、後回しにされがちです。

子どもの能力は、学習の習慣がなければ引き出されることはなく、眠ったままです。

困窮家庭や家族の介護などで,学習する時間や余裕のない子どもがいます。

本人ははじめからそういう状況にあるため、自分たちが抱える問題を問題と思っていないことがあります。

学習する環境にないという連鎖を断ち切り、どの子にも平等に学習の場が与えられるべきです。

その子たちをサポートするのは、第一義的には学校です。しかし、教師が家庭教育に入り込み家庭での学習習慣づくりをすることには無理があります。

そのとき、頼りになるのが学習支援のボランティアグループです。

経済的な事情で民間の学習塾に通えない子や自宅が学習する環境にないなど、いろいろな困難をかかえている子どもに勉強を教える役割を果たします。

いまの時代、子どもの学習習慣の形成は、学校の先生、家庭の親、地域でのボランティアの3者が、必要に応じて、連携しあうことが大切です。

連携とは、それぞれのフィールド(学校・家庭・地域)での、子どもの様子について情報を伝えてあい、コミュニケーションを深めることです。

そのキーステーションは、やはり学校であるべきでしょう。

悩みながら、迷いながらきめる

2021年07月19日 08時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
緩和ケア病棟の患者さんの思いは複雑です。

ある看護師さんに聞いた話では、担当していたがん患者がなかなか心を開いてくれないまま亡くなりました。

亡くなったあと、病室から家族に向けて書かれた一通のメモが見つかりました。

家族に寄せる思い、病気になり助からないという悔しさが書かれていました。

この患者さんは、もっていきようのないさまざまな思いを抱えたまま亡くなっていった。

「自分が、その患者さんに何をすることができたのだろうか。自分は何もその患者さんの胸の内をわかっていなかった」。

もっと彼に近づくことができたのではないか。

いまは、せめて患者の笑顔がなくならないまま最期を迎えてもらいたいと願い、緩和ケア病棟で看護にあたっている。

このような話でした。


また、看護師の資格を持ち、わが子を出産後、いつ復職するかを思いあぐねている人もいます。
新型コロナウイルス感染が広がり、看護師が足りず、早く復帰してほしいという声がかかる。

復職すれば、両親が共働きになり、子どもの学校園の行事や参観保育・授業にも行ってやれない。

自身が、子どものとき親が来てくれず、さみしい思いをしたので、わが子にはそれを感じさせたくない。

育児書には、「わが子が○歳になるまでは母親が家にいて育てるべき」というアドバイスが書かれていたりしますが、それには根拠がありません。

じっさい、わたしが出会ってきた中学生についても、幼いときから両親がフルタイムで働いて、夜しか家にいないという幼少期を過ごした生徒もいました。

また、母親がパートタイマーで勤務し、少年期を過ごした子もいました。

その中学生の間に、愛情に飢えているとか、飢えていないという違いはありませんでした。

どちらがいいとか、よくないという問題ではないと実感します。

このように、人が仕事にやり甲斐を感じるのがまぎれもない真実です。

しかしその一方で、わが子のことを大切に思うのも事実。

ほんとうに、人生は迷いの連続です。医療の分野でなくても、みんなが迷い、悩み、決断や決定をして、日々の生活を送っているのだと思います。

これが、とりもなおさず人生なのだと思うのです。

その決断や決定がよかったのか、悪かったのかと考え込むこともあるでしょう。

でも、決めたのなら、その決めたことが「よかった」となるようにしていくしかないのだと思います。



豊かな人間関係をつくれる人に

2021年07月18日 09時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私自身、あまりこの言葉は好きではないですが、いま「ひきこもり」の人が増えています。

「ひきこもり」と言えば、若い世代の人たちの問題と、いままで日本では考えられてきました。

学校時代に不登校になり、そのまま家庭に閉じこもっている若い世代に多い。

こんなイメージを持つ人が多いと思います。

でも、最近では、高齢者とその娘・息子がなくなっているのが発見されたという出来事があり、その娘・息子はずっと家に閉じこもるひきこもり状態であったと報道されています。

学校を卒業しても、1年ほどでやめて、また別の仕事を探して、そこも長続きしない人もいます。

私が教員の頃、高校進学をした生徒が中途退学する問題に出くわしました。

その退学理由を聞きとっているうちにわかったことがありました。

それは、学力的についていけないからという理由よりも、友だち関係が苦手とか築けないという理由が、多くを占めていました。

関西の場合、多くの子どもは、地域の小学校へ通い、いっしょに地域の中学校へ通います。

9年間慣れ親しんだ友だち関係を離れ、様々な地域からやってきた生徒と出会うのが高校です。

そこで、友だち関係をつくる難しさを感じる子も少なくないのです。

この課題を克服するとか、自分の居場所を見つけ、なんとか折り合いをつけるようになり、社会へ出ていければいいのですが、そのまま就職した人は人間関係をつくる難しさに直面します。

就職したばかりの新入社員は仕事ができなくて当然です。そこで、先輩社員に教えてもらい、また新人が入ってきたら、今度は教えて、人間関係のなかで仕事を身につけていきます。

いまネット上には、「仕事がつらい。上司や同僚がこわい。あしたからやめます」というような若い人のつぶやきが並んでいます。

そんな状況を意識して、子どもの頃から、さまざまな友だちと交流する機会をもっておくのが土台になるのは間違いありません。


「ひきこもり」の課題は、学校教育の課題でもありますが、子育ての課題でもあります。

子どもが小さいうちから、さまざまな制約はあるでしょうが、家にさまざまな子が遊びに来るとか、遊びに行く機会をもつのもいいと思います。

家庭が安らぎの場になっていますか

2021年07月17日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私が思うには、子どもの成長で10歳ごろは,大きな変わり目だということです。

もちろん個人差はありますが、10歳頃には,いろいろな課題が現れます。

学校での学習は難しくなってきます。友だち関係が複雑になってきます。
思春期の入り口なので、自分のことを見つめて、悩みや劣等感をもちやすくなります。

そんな時期に家庭はどうあるべきでしょうか。

家庭がホッとする安心の場であり、こころが安らぐ場であることが、それまで以上に求められるのです。

家での揺るぎない安心感という基盤があるから、人間関係が複雑化する学校での活動でノビノビできます。

さらに,本格的な思春期に入ると、家庭での安らぎはさらに重要になります

家庭での安らぎがたりないと、家庭の外にホッとできる場を求め、家出とか非行・問題行動に傾くことにもなりかねません。
それらは、子どものエネルギーが外に向かって出る場合です。

もしエネルギーが内側に向けば、不登校になったり、引きこもったりすることもあります。

そもそも、健全な人間関係の基本は、親子関係です。家に帰れば、親に思いっきり甘えることができる。

依存することができるという実感をカバンに入れて、子どもは学校へ出て行きます。

家庭がたっぷりと依存できる場で過ごした子は、自立に向かって歩み出すのも早いと思います。