箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

悩み深い思春期の子

2021年06月30日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ

思春期の中学生は、天真爛漫なこともよくあります。

なにごとにもきょうみがあり、箸がこけただけでも笑う子がいます。

しかし、そんな子ばかりではなく、悩みや迷いを引きずっている子もいます。

ときに、中学生は他者にはわかりにくいドロドロとした思いを抱えています。

わたしが出会った中学生の中にも、悩みや迷いを抱き、リストカットを繰り返す子がいました。

多くの場合、リストカットをする子は、死ぬために手首を切っているのではありません。

満たされない気持ち、心にポッカリとあいた空虚感を、「切る」ことで補おうとしています。

「切った」瞬間は、スッとしたと言います。

「自分を傷つけて! 自分の体を大事にしなさい」とおとなは言います。

でも、なんとかギリギリで友だちや世の中と折り合いをつけて生きていることを知って、そう言うのと、知らずに言うのとでは意味がちがいます。

思春期の子の悩みは、これほどまで深く、でも心は柔らかいことがあるのです。

自分が抱える課題を自ら引き受けて、自分の悩みや迷いにつきあい、いつか自分の問題を終結させるのもその子自身です。

おとなができるのは、自立を見通して、その子の力になりたいと願うことなのかもしれません。



情報環境の変化に合わせた授業が必要

2021年06月29日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


全国の学校で、児童生徒一人1台端末が、ほぼ整備されました。

新型コロナウイルスは、怖い感染症を引き起こします。いまでもその収束が見通しにくい状況です。

しかし、皮肉にも新型コロナウイルスは、全国の児童生徒が一人1台のタブレットやPCをもてるように、強力な追い風になってくれたという見方ができます。

それでは、学習のとき、一人1台端末をどのように使っていけばいいのでしょうか。

ひとつは、「調べ学習」に使うという方法が思いつきます。

今まで,私が教員だった1990年代頃は、たとえば「アジアを知ろう」の学習で、私のクラスはタイの文化や生活、食べ物、衣服を調べ発表をしました。

そのとき、タイの人に学校へ来てもらいましたが、それ以外は図書館などへ行って、書物から生徒は知識を得ました。

それが、いまや一人1台端末を使い、図書館に行かなくとも、インターネット上の情報にアクセスできるようになったのです。隔世の感があります。

ただし、そうなると、今度は情報が正しいものかそうでないかを判断する力も求められるようになります。

また、膨大な情報量がネット上には横たわっています。

教科の授業でも、教師が一方的に知識を伝達するような授業はもう通用しなくなります。

情報環境が大きく変化した今、新しい授業づくりが、学校の教員には求められているのです。


リスクをとる

2021年06月28日 06時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしが大学の頃、英語のディスカッションをさしていたとき、riskという言葉に出会いました。

その当時、リスクという言葉は珍しい単語だったのを覚えています。

ところが、いまでは一般化しました。

組織では、リスクマネジメントとか危機管理体制を整えることが重要になります。

また、自然災害が多発するようになった最近では、思いもかけないリスクに直面することも増えてきました。

たとえば、わたしが校長在任中の2018年9月3日の台風21号では、学校で夜に待機していると、隣接する小学校のポプラの大木が強い烈風に煽られ、中学校の敷地内に倒れ込みフェンスをなぎ倒しました。

さらに翌朝、校舎屋上にあがると、コンクリートの表面を覆っていたゴムラバーははがれ、太陽光パネルは歪み、破損していました。

このようなリスクや危機はコントロールのしようがないです。

ただ、もし生徒がいるときに地震など自然災害が起きたときには、適切な避難行動が取れるように準備しておくというリスク管理は問われます。

世の中はリスクを避ける方向になびいているのが今という時代です。

かといって、リスクは管理したり、避けることが最善かというと、リスクもさまざまであり、絶対に避けるべきものもありますが、あえて取らなければならないリスクもあります。

とくに中学生の場合、おとなになるためにはチャレンジしなければならないことに伴うリスクには、受けて立つようなことが必要なこともあります。

みずから変化を求め、果敢に挑戦していく態度があれば、成長・発達を望むことができます。

リスクは思いもよらないところにあります。リスクを避けようとする慎重さが、逆に課題解決を遅らせ、変えるべきことを変えないままに過ぎていき、それがより重大・深刻なリスクを生むことになるのです。

これから、予測不可能な社会で生きることになる、今の中学生はチャレンジを恐れない人になってほしいと思います。




大阪府の高校事情

2021年06月27日 10時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


大阪府の公立高校には、「大阪府立学校条例」があり、入試で3年連続して定員割れを起こした高校は統廃合の対象になるというものです。

現状では、2021年度入試では5年前と比べ、2倍にあたる40校が定員割れを起こしました。

これは大阪府立高校全体の約3割にあたります。

これだけみれば、府立高校は生徒から人気がないように思われますが、けっしてそうではありません。

もともと大阪は、関東とちがって、私立高校も人気はありますが、公立高校志向が強い地域で、現在でも北野高校、茨木高校、天王寺高校など、公立のトップ校は健在で、いわゆる「一流大学」への高い進学率を誇っています。

それらの高校の倍率は、1.35倍ほどの平均倍率で推移しています。なかには1.7倍を超える進学校もあります。

つまり、高倍率になる府立高校と定員に満たない府立高校という「二極化現象」が顕著になっているのです。

府内では、もともと公立私立間協議で、公立:私立が7:3という比率を維持してきました。
これは、少子化による生徒数急減での私学経営への影響を考慮したもので、それに応じて各中学校は進路指導を進めてきたのでした。

私が、進路指導をしていた頃は、私立は公立の約8倍の学費がかかると言われていました。

ところが、大阪府は、2010年度から、大阪府独自の私立高校授業料の実質無償化を一定所得以下の世帯を対象として導入したのでした。

この私学無償化とあわせて2011年度から7:3の比率が弾力的に運用されるようになり、私学選択・公立選択の志願傾向が一気に流動化したのでした。

それから約10年がたち、条例に基づき、いままでに府立高校5校が新入生募集を停止し、4校が廃校になりました。

これらの学校は1970年代の生徒急増期に開校した、交通の便がよくない地域に建てられた学校です。

しかしながら、定員割れを起こしている高校の中には、基礎基本からの学習に力を入れ、特色ある学科を編成している学校もあります。

そこでは、ひたむきに学習に励む生徒もいます。高い意欲の教職員がいます。

また、交通の便が悪く定員には満たないが、その地域にはほかに通う学校がないような地域1校の高校もあります。

学習が遅れている生徒や家庭環境等により学力を十分につけることができなかった生徒たちを受け入れ学びを保障している学校の価値は、定員を満たしたかどうかではかれるものではありません。

学ぶ意欲をもった子たちの学びを保障する公立高校の存続を視野に入れ、府立高校のあり方について抜本的に見直す必要があります。

変化するプラーバシー権

2021年06月26日 07時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「プライバシーの侵害」とは、自分の個人的な情報を他者との関係で、自らコントロールできない状態であると、私は教員になった頃、研修で教わりました。

その当時は「プライバシーの侵害」という言葉がはやっていました。

この考え方では、個人情報の漏洩は、「自分の個人的な情報が、勝手に外部へさらされ、自分でコントロールできない状態になっているから、大きな問題となるのです。

ところが、最近の若い世代は、子どもの頃からインターネットに親しみ、スマートフォンを使うのが当たり前になった世の中を生きてきている人たちです。

彼ら(彼女ら)にとって、プライバシーは「他者に知られない」よりも「自分の役に立つか」が基準になっているようです。

たとえば、自分の位置情報を明らかにして、登録しあっている友だち同士の間で、相手がどこにいるか(相手の位置情報)がわかるアプリが人気を集めています。

自分がどこにいるかを相手に知らせることで、近くにいる友だちと会っていっしょに行動できるとか、自分の都合を知ってもらうことができる→相手の都合を察することができる。

このうに、「自分の役にたつかどうか」が成立するようになり、プライバシー権に関する考え方も変化してきているようです。

これをつきすすめていくと、プラーバシー権とは自分に役立つように、他者に自分の情報を知ってもらう権利となるのかもしれません。

つまり、端的に言えば今の時代は、プライバシーを「自分の情報が守られる権利」(従来型)と「自分の利益のために情報を知ってもらう権利」(新型)が混在しているように思います。

学校教育の中では、児童生徒や青少年がネットを巡るトラブルに巻き込まれるのを防ぐため、一律に「自分の個人情報をネットにのせてはいけません」と教えています。

このことを児童生徒が学習するのは「従来型」の考えに基づいており、基本的にはそう教えなければならないでしょう。

しかし、「新型」が増えている状況を考慮したとき、多様化している日本人の意識を知った上で、自分がトラブルや犯罪にあわないようにどうするかを適切に判断できるような情報教育が必要なのかもしれません。

GIGAスクール構想とは、一人1台の端末にあらず

2021年06月25日 06時34分00秒 | 教育・子育てあれこれ


最近の若い人のなかには、車をぜひ持ちたいという人が減っています。

私の大学時代には、多くの人が車の免許を取るとなんとか車を所有したいと熱望しました。

当時は第二次オイルショックの頃で、「リッター○km」という燃費のいい車を各メーカーがしのぎを削って開発しました。

その一方で、ターボ等を搭載したパワフルなスポーティタイプの車にも人気が集まり、日産のDOHCエンジンやトヨタのツインカムエンジンなどに若い人は惹かれたものでした。

ところが30年以上たった今では、「車は持ちません。必要なときにはカーシェアで借りますから」という若い人はけっして少なくありません。

つまり、かつて私たちは車という「モノ」を買い、所有することで、遠くまでドライブしたり、移動するという機能、つまり「コト」を手に入れていたのでした。

でも、今では、買って所有するのではなく、シェア(共有)することで、コトを手に入れることができるようになったのです。

このことは、ICTについても同様で、アカウントをもてば、端末(ハード)はなくても、どの端末を利用しても、学習や仕事ができるという社会になってきているのです。

つまり、Society 5.0といえば難しいですが、要するにモノからコトへ価値が変化してきている社会なのです。

児童生徒は、いま学校で一人1台の端末を与えられていますが、かりに手元にある端末がかわっても、クラウド上にデータがあります。

だから、どの端末からでも必要な機能が使えて、コトがたりるのです。

このことを小学生のうちから経験させ、データをあやつることをねらったのが国の進める「GIGAスクール構想」です。

「GIGAスクール構想」といえば、すぐに「一人1台の端末を揃える』と思いがちですが、そうではなく、「アカウントが主であり、端末は従である」という発想の転換が求められるということです。

こんな学習環境の学校で学んだ子どもたちは、おそらく社会に出たときに、コトを駆使して、仕事をするようになるでしょう。

もちろん個人所有のタブレットやPCがあればあるでこしたことはないでしょうが、なくても生きていけますし、仕事ができるのです。

私が教員時代には、パソコンは仕事で必要になってきました。でも、当時は教職員一人ひとりにパソコンを与えるような自治体の予算はなく、教員は自費でパソコンを購入して仕事に使いました。

隔世の感がある、いまどきの社会の変化です。ここ30年ほどで人びとの仕事環境は大きく変わってきました。

6.23 沖縄は「慰霊の日」

2021年06月24日 06時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ

きのう6月23日は沖縄慰霊の日でした。76年前、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったのが、6月23日です。

沖縄県では、学校や役所は休みになり、沖縄各地で追悼式が行われ、戦争という惨禍が再び起こることなく、人類共通の願いである平和を求め、戦没者への慰霊をするのが、この日です。

ひめゆり平和記念資料館は、沖縄戦の犠牲となった女学生で構成されたひめゆり学徒隊の冥福を祈り、沖縄戦の惨状を語り継ぐために存在する館(糸満市)です。

しかし、当時の女学生は76年の歳月を過ぎ、いま高齢化が進み、亡くなった人も多くいます。

どのように戦争体験を風化させず、語り継ぎ継承させていくのかは、大きな課題です。なかなか継承は容易なことではないのです。

そこで、今年4月にひめゆり平和記念資料館はリニューアルしました。

それより以前に、わたしは教員・校長時代に修学旅行で中学生を引率して、何度も訪問しました。

リニューアル以前は、おもにひめゆり学徒隊の女学生それぞれの書いた手記がたくさん置いてあり、中学生はページをめくりながらていねいに読んでいました。

それでも、現代っ子は、修学旅行でなく、観光気分でふつうに沖縄を訪れると、なかなかじっと読むことが少ないのです。

このたびのリニューアルでは、絵本やアニメ、イラスト、動画を積極的に活用して、展示室の入り口にも工夫をしています。

以前は(無理もありませんが)表情の暗い、硬い女学生の記念写真が飾られていました。

それを見た若い子は「こわい、わたしとは関係ない、ずっと昔のこと」と心を閉ざしてしまいがちでした。

そこで、リニューアルでは、照明を明るくして、沖縄戦前の楽しそうに登校するようすを表すイラストを展示するように変更しました。

つまり、悲惨さを強調するのではなく、写真では残っていない女学生の「日常の学校生活」をイラストで描いたのです。

こうしたとき、来館する現代の学生は、「自分たちと同じように、楽しい日常生活を送っていたひめゆり学徒隊に違和感ではなく、親近感がわいてくるのです。

その同じ世界に立ってこそ、楽しく幸せな日々、生活が戦争で壊された残念さに共感することができるのです。

このようなコンセプトでリニューアルされたひめゆり平和記念資料館へ、多くの若い世代が行ってほしいと思います。

なお、新型コロナウイルス感染症の影響で、2020年度の入館者数は前年度より9割近く落ち込み、資料館は一時は経営危機に陥りました。

そこで、資料館がツイッターに「寄付のお願い」をあげたところ、またたくまに拡散され、なんと初日だけで900万円、20日間で3200万円ほどの寄付がありました。

ツイッターの威力はすごいと、あらためて思うとともに、これだけ平和を願う活動に共感する人がたくさんいると、心強く感じました。

Let It Be(なすがままに)

2021年06月23日 07時41分00秒 | 教育・子育てあれこれ


昨年の2月末に新型コロナウイルスの国内感染が広がりだし、全国一斉休校や4月8日からの緊急事態宣言が出た頃、人びとは2020年中に収束するだろうと考えました。(私はそう思いました。)

しかし、収まるどころか2021年にはさらに感染が拡大しました。

それでも今後を見通せば、「明けない夜はない」の言葉にあるように、いつかは長い間続いた営業自粛や集客施設の営業停止、イベントの自粛、旅行を控えるなど、「苦行」にも終わりが来るでしょう。

暗闇の中を歩いているようでも、その先には一条(ひとすじ)の光が差し込んできます。

このコロナ渦で、人びとが不安を感じ、イライラが増すのは、家族や職場で予定していた計画ができなくなったり、変更を求められたりするからです。

たとえば、家族旅行についていえば、その計画に至るまでの、家族の楽しみやワクワク感があり、旅行業者とのやりとりなど、そこにいきつくまでの努力は報われるはずだ、家族が楽しく過ごせ、しあわせに通じるという「思い込み」があります。

そういえば、少し前に見た韓国映画『パラサイト 半地下の家族」には「計画を立てることは無意味である。計画のないほうがむしろしあわせだ」というセリフがありました。

ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大を前に、人びとの気持ちのもちようを暗示していたように思えます。

人生ははかなく、苦労・苦行の連続です。だから、計画通りいくことはほとんどないし、計画なしに過ごすと焦りや不安、妬み、憎しみから解放されるというのが、この映画の伝えたいメッセージだったのかもしれません。

ゆったりと流れる大河を眺めていると、なすがままに流されて生きるLet It Beのような生き方もいいのでないかと、ときおり思うことがあります。

部活動が再開 大阪府

2021年06月22日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ


大阪府では、今年4月から学校の部活動を原則中止としていました。これは府内で感染が急に広がっていた4月、若い人に感染が広まる傾向にあったため、高校および中学校に対してとられた措置でした。

しかし、6月21日にから緊急事態宣言が解除されるのに合わせ、学校の部活動を再開させるように決まったものです。

部活がないので、16:00頃になると電車で見かけることが多かった高校生は、体力やエネルギーを持て余しているように思いましたが、これで活動に戻ることができます。

とはいえ、期末テスト1週間前になり部活動は停止ですので、部活動はじっさいのところ7月から再開する学校が多くなります。

運動部の生徒は、3年生の引退まであとわずかですが、部活動にいそしむ日々を送ってほしいと思います。

また、原則オンラインで行っていた大学の授業も、対面での実施ができるようになります。

まだ、新型コロナウイルス収束の見通しはたてられませんが、夜明け前の暗闇を少しずつ前に歩んでいるような状況です。

日本史の中で輝く女性の活躍

2021年06月21日 08時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ


このところ、ジェンダーにかかわる不適切発言が続いています。

総じて言うと、日本の歴史的な男性優位社会の意識が根底にあります。


でも、いまから1000年以上前の日本史をみると、女流文学は燦然と輝いています。

『源氏物語』(長編小説のパイオニア)をかいた紫式部、『枕草子』(随筆のはしり)の清少納言、『蜻蛉日記』(現代の私小説の先駆)をあらわした右大将道綱母など、日本文学史、女性史に大きな足跡を残しています。

これらの作家は、日本はもとより中国の文学にも通じているという教養を身につけ、確固たる地位を築いてきました。

ところが、およそ江戸時代頃には、武士の位置づけの確立とともに、男尊女卑が浸透したと考えることができます。

女性を低位に見る習慣や固定的な見方は、今の時代、時代錯誤と言われて当然です。

とくに、ここ最近のジェンダー平等の概念は、学校で「男女平等教育」、「男女共生教育」として、DVやハラスメントの課題対応も含め、児童生徒に対して実践が重ねられてきた成果の一つとして、人びとの意識の高まりによるものと考えられます。

学校での言葉がもつ役割

2021年06月20日 08時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ


去年から今年で緊急事態宣言は、大阪の場合3回出ています。

①1回目 2020年4月7日~5月21日

②2回目 2020年1月13日~2月28日

③3回目 2021年4月25日~6月20日

とくに今年2021年では、出ていない月は3月だけです。

緊急事態宣言がある意味、日常であるとも言えます。

「人流」という新しい言葉が生まれ、「密にならない」と呼びかけても、もう聞く人は、「はい、はーい」と聞き流すことにもなりかねません。

このとき、呼びかけの言葉に無力感がただよいます。

政治を動かす人は、「これは言わなければ」「これを伝えておかなければ」という思いで、言葉を発します。

その発した言葉により、課題は解消され、なんとかなるものと思っています。

しかし、聞く方はうんざりしているわけですから、言葉はむなしく響くことが多いのです。

この人の話は聞きたいと思う人がどれだけいるでしょうか。


さて、学校の教員からみれば、言葉はコミュニケーションの大切なツールです。児童生徒に新出の知識を伝えることができます。

でも、言葉には、本来、もっと重要な役目があります。

教師が子どもと言葉を交わします。それで人と人はそれで心を通わすことができるのです。

ということは、子どもも教師も他者とのつながっているという関係を確かめることができるのです。

それが言葉の価値です。

言葉で何を伝えるかというよりも、朝に登校してきた児童生徒に教師が「おはよう」と声をかけます。

ここには、新しい知識は含まれませんが、いつも声をかけてくれると、子どもの中に親しみがわいてくるのです。

言葉は、そのような役割をもつのです。

いまは、「不要不急の外出はやめ、会話はひかえめにしてください」と言われます。

でも、学校で教師と子どもが交わす会話が無駄なのかといえば、けっしてそうではないのです。

学校の中で、その子にとっては、その時間がいちばん大切な場合があります。

つながっているという実感を感じ、つながりを保っていくという意味で、たわいのない会話は、その子の学校生活を豊かにします。

人は必要なことだけしか話さなくなると、学校生活で失っていくものは限りなく大きいのです。

磨けば光る

2021年06月19日 08時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私が教職に従事して、40年近くになります。

その間に、たくさんの生徒に出会ってきました。

その経験から思うのは、生徒はそれぞれで、才能というものについて言うならば、あるものごとにおいて、才能のある生徒とない生徒はたしかにいます。

そこで、生徒本人は他者と自分をくらべます。

あの子が、キーパーをやれば、僕よりもボールを広い範囲で止めることができる。

あの子が数学のテストを受ければ、私が解けない証明の問題を解くことができる。

そして、自信をもったり、なくしたりすりのです。

でも、わたしは大切なことは人と比べることではないと、思います。

ダイヤモンドの原石は、磨けば輝きが増し高価な宝石になります。

でも、その辺に転がっているたんなる石ころでと、磨けばそれ相当に光るのです。

ないものをなげくよりも、できることを精一杯やって、努力を重ねればいい。

才能とはそういうものだと、わたしは思います。



「持続可能な開発目標」(SDGs)学習を学校で進める

2021年06月18日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は生まれてずっと60年ほど大阪府の山間部に住んでいます。今でも地域には自然がたくさん残っています。

でも、山を切り開いて国道477号線のバイパスを作ってから徐々に自然環境が変化してきました。

さらに、2018年9月3日の台風21号の被害で兵庫県を抜ける国道173号線が通行止めになったため、477号が迂回路になって以来、最近とみに車の交通量が増えました。

また、温暖化が進み、わたしの子ども時代には一冬に数回は雪が積もりましたが、近年は雪が降らず積雪も1年に一度あるかないかに変化してきています。

世界的に見ても、2050年までに温室効果ガスの排出をゼロにするという流れになっていますが、なかなか排出は減りにくい状況があります。

「環境が危機だ」と言い続けても、人びとの感覚はマヒしているのではないかと感じます。新型コロナウイルス対策にしても同じでないでしょうか。

政府や医療専門家が緊急事態宣言なので外出をひかえるように言っても、慣れてしまい出歩く現状があります。

近年急増している自然災害ですが、災害が起こると、避難方法やハード面の整備が叫ばれますが、すさまじい豪雨になる一つの原因に気候変動が関係しているので気候変動の対策という話になりにくいのです。

このような現状がある中で、今を生きる子どもたちが、食べ物や水、生活必需品がどこから来ているのかを知り、見直すきっかけを学習することは大切です。

たとえば二酸化炭素排出量を減らすための持続可能なエネルギーにはどのようなものがあるか、学校で使う電力を減らすには何に取り組めばいいかなどを学習することができます。

それは人びとの価値観に変化をもたらす可能性を生み出します。

学習した子どもが声をあげ、社会を動かしているおとなと協力して、社会を変えていく原動力になる。

このような考え方をするならば、今の学校でSDGsの学習に取り組むことはとても意義深いのです。

また、いまの児童生徒より少し歳上の世代(1990年後半から2000年すぎに生まれた若い世代)は、子どもの頃からインターネットに親しんでいる人たちです。

この世代の、ものをもちすぎない(車はいらないなど)という価値観や新しいつながり方の生活様式はSDGsに大いに反映されるべきでしょう。

その世代の後に続く今の児童生徒の世代が、社会を変える原動力となるためにも、「持続可能な開発目標を実践していくためにも、学校におけるSDGs学習は重要です。

ケーキの詰め合わせよりモンブラン

2021年06月17日 10時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は、以前に中学生に言った言葉があります。

その生徒は、習いごとで、空手、書道、ダンス、演劇などを習っていました。
それぞれに技能を伸ばしていましたが、高校進学を控えたとき、どれを選ぶかを迷っていました。

入試の面接練習で話す機会があったとき、わたしは言いました。

「ケーキの詰め合わせを食べたいの? モンブランがいちばん好きなら、モンブランだけを食べなさい」

その子は、結局、演劇の学習ができる学科を選びました。

才能のある子は、たくさんのことにチャレンジしたいと思いますが、あれもこれもではどれも身につかないことになりがちです。

一つの道を究めるためには、専念するものを絞った方がいいという、考えからでした。