箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

いまの大学生は・・・? いいですよ

2023年01月31日 05時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「最近の若者は・・・」という言葉は、いつの時代にも聞きます。


そしてその言葉に続くのは、たいていマイナスの表現というかネガティブな言い方が多いように思います。

 

 

「いまの若い人は、何を考えているかわからない」とか言われることが多いのです。

 

もちろん一括りにはできませんが、ひとつの特徴として自分らしさを求め、自分らしい生きかたを志向する傾向が強いようです。

 

会社や組織に縛られたくない。自由に生きたい、プライベートな時間を大切にしたいという願いはあるようです。

 

あまり、周りの人と張り合うことを好まず、「自分は自分」と割り切っている点が見受けられます。

 

昭和やバブルの頃に現役を過ごしてきた人からみれば、「覇気がない、ものたりない」と思うのではないでしょうか。

 

しかし、これらの考え方はあまりあてにならないと、いまの大学生と接した実感から、わたし自身は考えています。

 

相手に働きかけ、必要なアドバイスをするだけで、学生は話し始め、語り始めます。そして表現も豊かにできます。

 

あと、固定的な考えではなく、自由な発想をします。参加型学習やグループ・ワーキングをすると、その表現力を発揮します。


自由詩を書かすと、新しい表現を使います。

 

また、「性的少数者は生産性がない」問うような考え方はしません。ある程度の多様性を受け入れるキャパをもって、自然に受け入れています。

 

大学生と向き合っていると、なかなか楽しいと感じる今日この頃です。


ネットやスマホとどうつきあいますか?

2023年01月30日 08時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近のスマホは、動画を見ようと思うと、普通は広告がしばらく続くことがあります。

けっこうな時間続きますが、設定上しばらくの間広告を見ないと次に進めないので見ます。

すると、なかにはけっこうインパクトの大きさを狙った内容の広告もあります。

ユーザーが広告を見ていることで収益をあげるプラットフォーム企業はこのようにユーザーを引きとめます。

本人が好もうが、好まないにかかわらず、同じ傾向の情報が次々に出てきます。

これを、いわゆる「フィルターバブル」というそうです。

そこで、ふと思うのですが、自分で情報受信を取捨選択できないことを突き詰めていくとら人は分断される方向に向くのではないでしょうか。

学校教育の授業では、人は自分で考え、自分で判断して、自分の意思で行動することを子どもたちに求めています。


ところが、デジタル全盛のいまの社会では、自分で選んだつもりなのに、じつは知らない人から誘導されていることにもなりかねないと危惧するのです。

また、世界的にみれば、権威のある人が個人のスマホなどの端末から、情報を抜き取ろうとするニュースが報道されました。

これは、「監視社会」のはじまりと言えるのでないでしょうか。

被害に遭った人の生活状況や暮らしぶりを第三者が知ることができる。

しかし、社会のデジタル化が急激に進む今、もう後戻りはできません。

ネットやスマホがない生活は、とくに今の児童生徒の年齢層の人たちにとっては考えられないことでしょう。

かえってコミュニケーションやビジネスを広がる可能性ももっています。

だとするならば、ネットやスマホとうまく付き合っていく習慣づくりのための学習が学校教育でも取り組む現代的課題だと言えるでしょう。

あわせて、コンピュータが情報処理をする手順を知ったり、個人の情報がどう扱われているかを知ることができる対策が必要になります。

ふと気がついたときには、まわりからがんじがらめにされ、身動きできない不自由な世界にいることに、あとから気がつくことになります。

それが行き着くところは、誰にとっても不幸な戦争への突入でないかまで心配します。




貧困対策のいま 子ども食堂

2023年01月29日 10時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ

現在、子ども食堂は全国に7000か所以上あります。

おもに地域のボランティアが運営します。

大規模災害が起きると、子ども食堂が増える傾向にあります。

コロナ禍で対面式食堂ができないときには、弁当を届けたり、取りに来てもらうなどして対応してきました。

商店やスーパー、家庭で余った材料を持ち寄ったり、寄付する場合も多くなり、地域として子どもを支える動きにつながっています。

学校関係者としては、地域の力はありがたいと思います。

子ども食堂は子どもの貧困対策として、NPOや地域の人が立ち上げました。

しかし、いまは貧困の子どもを対象にするだけでなく、多くは親やおとなが集い、来れるときに来る、時間のあいたときに来るなどして、多世代が交流する場になっているのが多いいうのが現況です。

ただし、現代的な人間関係の特徴をあらわしていて、食堂の中は「ゆるやかな人間関係」です。

昔のような、日本の地域伝統の濃い、しがらみのある人間関係ではなく、食堂を通して知り合いであり、人を拘束するような面はあまりありません。

多くの子ども食堂は、親や地域の住民が自由に出入りし、自由な時間を過ごします。そして、「子どものために何かできたら」という共通の思いで集まっています。

ただ、昨今の物価高騰を受け、開催の回数を減らしたり、食事メニューを見直すところも出てきています。

貧困とは、文字通り、食べるものに事欠くというイメージを持ちやすく、最初はたしかに「食べられない子に食事を」で始まりました。

でも今では「食べられない貧困」に加え、孤立しがちという「人間関係での貧困」、自己肯定しくいとか自信がないとかの「自己認識での貧困」への対策の手立ての役割をもっています。









日本の出生率が下がり続けています。

2023年01月28日 09時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ

2018年時点で、勤務している高卒の未婚女性のうち、4割以上が非正規雇用です。大卒の未婚女性のうちおよそ2割が非正規雇用です。

 

高卒男性の約2割、大卒男性の約1割が非正規雇用です。

 

ここからわかるのは、日本では学歴社会が崩れたと言われることもありますが、学歴は雇用の安定・不安定にある程度は影響するということです。

 

さらに過去の数字と比較すれば明らかですが、非正規雇用が増えているというのが現実です。

 

おおむね、企業は非正規社員の育成には力を入れません。

 

しかし非正規でもキャリアを築くことができる支援が必要です。

 

学校でなら教諭であろううと常勤講師であろうと、子どもたちや保護者の前でならみんなが「先生」です。

 

常勤講師の育成にも力を入れます。

 

非正規の場合、子どもをもっても育てられないからという理由で少子化の流れはとまりません。

 

もっとも少子化の要因は経済的な問題だけではなく、若い年齢層の結婚観の変化もありますが。

 

さらには、子育てのたいへんさがすり込まれていることも関係しているでしょう。

 

また、若い人は共働きで、家事も育児も分担したいという人が,一昔前より多いといわれますが、妻の家事・育児の時間は夫の3倍以上という現状があります。

 

結婚してパートではたらく女性が増えても、男女の賃金格差もあるうえに、男性が長く働かなければならないのが実態です。

 

男女の賃金格差を是正し、子育てにかかる費用・教育費を補助し、非正規労働者の待遇改善など、総合的な策を打たなければ、出生率を回復させることは難しいです。

 

 


ひとくくりにした「思いこみ」を避けたい

2023年01月27日 08時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 

わたしは、人びとをグループに分け、ひとくくりにして「このグループの人はこうだ、これしかない」というステレオタイプ的な思いこみ・きめつけはできないと、基本的には考えています。

 

たとえば、「男の人は女の人より力がある(力持ちだ)」というきめつけがあります。」

 

たしかに、統計学的にデータ処理をすれば、男の人のはうが力があるということは、傾向としてみることができるでしょう。

 

でも、だからといって、「女の人は力がない」とか「女の人は弱々しい」というのはきめつけです。

 

そこでは、「個人差がある」という事実を排してしまうからです。

 

女の人にも、大きな力を出すことができる人がいる。つまり「女の人は・・・・」とひとくくりにはできないのです。

 

「女の人が会議に入ると長くなる」というのも、偏った見方であると思います。

まして、公の場でそれを公言したのだから、非難され、そしりを受けて当然かと思います。

 

たしかに女の人は、細かい点まで気がつくことが多く、それを会議でていねいに打ち合わせするので時間が長くなる傾向はあるのかもしれません。


でもそれによって会議後の本番で不測の事態を回避することもできることがあるでしょう。

 

また、わたしの知る限り、要領よく会議をまわし、論理的に人びとを納得させる女性もいます。

 

ということで、きめつけや凝り固まった思考はよくないように考えています。

 

それでいえば、TV番組の「秘密の○○SHOW」というのも気になります。

 

「愛知県の人はみんな味噌煮込みうどんをこよなく愛す」「大阪の人はみんなお好み焼きが好きだ。でも東京の人はもんじゃ焼きが好きだ」。

 

これも個人差を無視しています。わたしはこの番組もきめつけや偏見を助長する危険があり、アウトかセーフかのギリギリにあると思っています。

 

おそらく愛知県でインタビューをして、30人に聞いてみたところ25人までが「好きだ」と答え、5人は「うどんが固くて好きでない」と答えたとしましょう。

 

番組は、その5人のことはテレビにのせません。「好きである」とう25人ばかりを特集して特化して取りあげ、その中でもリアクションの大きい、言葉や言い方にインパクトのある人を「これでもか」と映し出します。

 

それを視聴している人は、「そうか、愛知県民はみんな味噌煮込みうどんが好きなんだ」と思いがちになるのです。

 

不特定多数の人に思いこみをうえつけるという点で、ちよっと「あぶない番組」であると、わたしは思うのです。

 

もちろん思慮深い人もいて、「好き嫌いが誰にもあるからね」という柔軟な見方をする人もいるでしょう。


でも、TVというメディアの影響力の大きさがあるので、思いこみを助長する影響力は大きいと思います。


多くの人に共通項があり、「概して〜だ」ということはあっても、「すべてが〜だ」とか「みんなが〜だ」という思いこみはなくしたいところです。


子どもよ 伸びよ!

2023年01月26日 07時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ
この冬最大と言われる寒波が到来し、大阪でも久しぶりに雪が積もりました。

それでも、わたしの子どもの頃の積雪はもっと量が多く、寒さももっと厳しかったのを思い出します。

ですから、春が来てレンゲの花のピンク色やタンポポの黄色い花を見るのは嬉しかったことを思い出します。

雪の中を咲く黄色い花があります。こんな詩があります?


           「まんさくの花」

 まんさくの花が咲いた と
 子供達が手折って 持ってくる
 まんさくの花は淡黄色の粒々した
 目にも見分けがたい花だけれど

 まんさくの花が咲いた と
 子供達が手折って 持ってくる
 まんさくの花は点々と滴りに似た
 花としもない花だけれど

 山の風が鳴る疎林の奥から
 寒々とした日暮れの雪をふんで
 まんさくの花が咲いた と
 子供達が手折って 持ってくる
                          (丸山薫)


まんさくの花は、北国では木々の春の芽吹きよりも早く、雪が積もった野に咲きます。

子どもたちは雪の中を分け入り、まんさくの花を持ってくるのです。

子どもには未来が開けていて、可能性のかたまりのようなものです。

大人にとっては生きづらい世の中、社会であったとしても、本来子どもは無邪気で、春の訪れを「いまか、いまか」と待ち望んでいるのです。

子どもよ、伸びよ。

そんなことを想います。

民生委員・児童委員とは

2023年01月25日 08時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ

いま、地域の民生委員・児童委員のなり手が見つかりにくく、欠員になっている地域が増えています。

 

民生委員は地域住民を訪問したりして、生活状況をつかみ、生活上の相談に応じて、助言や支援を行います。

また、生活困窮者を福祉関係の行政事業を紹介して、サービスにつなぎます。

 

高齢者の集いやサロンに出てくなくなった人には連絡をとったり、家を訪問して安否の確認も行ったりして、地道に地域で活動されています。

 

この役割はたいへん大きなものです。生活で困難をかかえている人のなかには、自分で役所や福祉事務所に行けなかったり、支援を受ける情報を受けとれなかったりすることもしばしばあります。

 

そのような家庭には、行政の福祉サービスが届かないのです。その家庭と行政の隙間を埋めるのが民生委員だといえます。

 

また、児童委員は児童や妊産女性の生活状況をつかみ、生活上の相談、支援・サポートにあたります。

さらに、社会福祉事業や青少年の健全育成の活動者と連携し、その事業をサポートします。児童福祉士や社会福祉主事の仕事に協力します。

 

学校では、様々な家庭状況・家庭背景を背負って児童生徒は学校に登校してきています。

そのなかには、遅刻・欠席が続くとか、学習に前向きになれない子どももいます。

家庭の困難な状況が学校生活に影響を与えたり、学校生活への適応等での問題などに、色濃く反映されるのです。

 

こんなとき、学校の教育活動の範ちゅうだけでは限界があり、支えにくい地域や家庭上の課題に対応するため、教員と民生委員・児童委員の協力・連携は子どもの健やかな成長を育むうえで、必然となるのです。

 

民生委員・児童委員は自治体が地域の世帯数を基準に、その地域での定数を決め、年間数万円の活動費が支給されるだけで、基本的には報酬なしのボランティア的な役割を担っています。

 

そしていま、各自治体では民生委員・児童委員になってくれる後任の人が見つかりにくいのです。

 

近年世帯の高齢化が進み、住民の課題は様々になり、民生委員・児童委員の負担感が大きくなり、なり手が見つかりにくいと考えられます。

 

さらには、近年の60歳定年の延長も関係していて、定年後も働くため引き受けられない人も増えているという事情もあるようです。

 

学校との関係では、家族の世話を学齢期の子がしているヤングケアラーの問題への対応など、学校が家庭とつながる「潤滑剤」に民生委員・児童委員がなってもらう場合もあります。

 

高齢化問題、困窮家庭増加の問題などは、国全体の問題です。

民生委員・児童委員の活動について自治体だけにゆだねるのでなく、待遇改善など国の財政的な措置も必要ではないでしょうか。


たやすくはない 学校の働き方改革

2023年01月24日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校の働き方改革はもとは2016年の文科省による調査結果が発端にさかのぼります。

小学校教員の約3割、中学校教員の約6割が月80時間越えの「過労死ライン」をこえて勤務している実態が明らかになりました。

そこで国は学校の働き方改革を推し進めてきました。

改革の骨子は、教員の現状の業務分けでした。

①必ず教員が担う業務

②学校業務ではあるが、必ずしも教員が担わなくてもいい業務

③教員の業務だが、負担軽減が可能な業務

中学校の部活動は②に区分けされ、現在は地域への移行がされようとしています。

では、この区分で学校は本当に回るのでしょうか。

また、教員自身はこの区分をどう受け止めているのでしょうか。

もちろん学校の実情や地域の実態もあるので、かならずしもこうだといいきれるものではありません。

教育に関わる課題は、個別・具体的であることが多く、どこにも適合する一般的な課題はあまりないことも多いものです。

部活動の業務は②に位置付けられました。

これを歓迎する教師もいますが、部活に教育的なやりがいを感じている教師もいます。

プリントの印刷や電話の応対は業務支援員をつける、また、いじめへの対応はスクールカウンセラーなどにも委ねることで、③になります。

しかし、学校によってはいじめアンケートを回数多くやっている場合があります。

とくにいじめへの対応は、センシティブなもので、週1回しか来ないスクールカウンセラーを待って対応できるものではありません。

いじめが発覚したら、大勢の教員を動員して対応します。

休み時間の児童生徒への対応やかかわりは②に入っていますが、生徒指導上の問題が多い学校では、欠かすことのできない業務と教員自身が考え行っている場合もあります。

さらに、休み時間の児童生徒へのかかわりは負担感が大きいが、教員である以上これはやるべき仕事だと考えている教員も多いのです。

「そんなことを言っているから、改革が進まないのだ。きっちり仕分け通りにやれぼ済むことだ。世間では通用しないよ。民間を見習いなさい」というお叱りの声もあるでしょう。


しかし、教育は人が人にかかわることで、子どもとの関係づくりをベースに行われる営みだから、一般的でオールマイティな仕分け区分におさまるものもあれば、そうならない場合も多いのです。

だから、働き方改革は是非必要ですが、学校が置かれている実態にあわせ、負担軽減をしていくことが大切なのだと、わたしは考えています。

また、一方では教員の定数を変更して人数を増やす方策もあわせて行うべきでないかと思います。



商業科・商業高校のこれから

2023年01月23日 08時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ

京阪神間では、すでに公立高校でも私立高校でも「商業科」のコースや「商業高校」は他のコースや他の学校として改編が進み、現在は数校のみが「○○商業高校」という名称で学校を運営しています。

 

商業高校の歴史は古く、明治時代の学制以降、日本経済の発展とともに各地で開校しました。


簿記や会計学を軸に事務職や販売職で働く人を輩出して、日本経済に貢献してきました。

 

しかし、いま全国的に見れば、少子化のもと高校の統廃合・再編が進み、普通科志向の高まりで、工業科、商業科、農業科などの専門学科は生徒を集めるのが難しくなっているのが現状です。

 

そのなかでもとくに商業科はここ50年で半分にまで減っています。

 

商業科や商業高校は、以前は資格や検定をとると就職に有利という理由でけっこう志願者が集まったという歴史があります。

 

でもいまは、簿記などはコンピュータがとってかわり、ビジネスに関する課題設定・解決策を見つける学習が「総合学科」でも行えるようになったりしました。

 

工業科や農業科の専門学科は、まだ一定程度専門の「強み」を発揮できていますが、商業科や商業高校は志願者からの人気が低迷しています。

 

1970年度には全国に全日制の学校のなかで商業科(商業高校)は、およそ17%を占めていましたが、2020年度には9%程度にまで減っています。

 

しかし、とくに地方では商業科(商業高校)は、卒業生の多くが地元で就職し、地域の産業を担ってきたという役割があり、このままでは地域産業の振興の先行きが不安になります。

 

そこで、自治体によっては、商業科(商業高校)を学年制から単位制に変更したり、履修科目の選択制を導入したり、講義型授業を減らしグループでのワーキング活動を多くして教育方法を工夫しています。

 

また、生徒の選択肢を多く設け、主体性をもとにマーケティングやプランニングなど、商業科でしかできない特色を出そうとしています。

 

 

さらには、地元の名物や地元産食料をオンラインで販売することを学習するなどして、新しい商業教育を始めています。


その「場所」だけがすべてではない

2023年01月22日 08時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ

たしは大阪府北部の山間部の田園地域で生まれ、小学校と中学校は小規模校へ通いました。


小学校1年生は10人の1クラスで始まりました。


途中でニュータウンの宅地造成が始まり、年を追うごとに徐々に子どもの数は増えてきましたが、中学卒業までずっと学年1クラスでした。

 

小学校1年からの幼なじみの友だちは中学卒業までいっしょに9年間を過ごしました。

 

その後、学年10クラス450名の生徒数の都会の府立高校に進学しました。

 

その時のカルチャーショックは、言葉に表せないほど大きなもので、わたしはなかなかなクラスや学校になじむことができませんでした。

 

いまでこそ「田舎暮らしがしたい」という人もいますし、「ぽつんと一軒家」に価値を見いだす人もいます。


しかし、わたしの高校時代は、日本が高度経済成長期をきわめたころで、生徒間では「田舎に住んでいる」というだけで揶揄したり、「田舎者」とさげすむムードがありました。世の中全体の価値観がそうでした。

 

1クラス25人ほど、お互いが知り合いであるという小さなクラス集団しか知らないわたしは、それはそれはとまどうことばかりでした。

 

くわえて、思春期の悩みの中で、自己肯定感を下げ、常に人の目を気にする毎日が続きました。授業中に指名されただけで、真っ赤に赤面していました。劣等感のかたまりでした。

 

先生も同様で、「毎日、山の中の遠いところから通ってきて、たいへんだな」と同情する声色にも、わたしは敏感に「田舎者扱い」を感じ取りました。

 

気を許せる友だちはクラスに一人もいない1年生でした。わたしはずっと違和感を抱えながら通っていました。

 

でも、通わないという選択肢はなく、「自分で入試を通ってきた高校。ここしかない」と思いこみ、自分の力を発揮することもなく悶々としていました。

 

その後、2年生のクラスでは都会の子4人とわたしで5人の友だちができ、いつもいっしょに行動するようになりました。


そのうちの一人の中学時代の友だち(他の高校生)とも知り合いグループの人数は増え、その友だちグループとは今でも時々会っています。

 

でも、そんなわたしのなかには、高校1年生のときの友だち・学校になじめなかった思い出は今でもしっかりと残っています。

 

今にして思えば、学校とはほんとうに狭くて限られたコミュニティであり、学校が人生のすべてではないのです。少し外に目を向ければ別の世界が広がっているかもしれません。

 

だから、教師として思うのは「いまいるところがすべてではない」という考え方や感覚です。

 

自分を責める必要もないし、入った学校がたまたま自分にはあわなかっただけなので、「なんでなじめないのだろう」と考えなくてもいいのです。

 

おとなでも、自分がホッとできる居場所をもっている人はさほど多くないのかもしれません。

 

あせらず、「生きているうちに、一つでも居場所が見つかるといいなあ」くらいの心構えでいいのだと思います。


待機児童は減りましたが・・・

2023年01月21日 09時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、2013年には教育委員会にいました。

そのとき、仕事の関係で関東方面の視察に行きました。

おもに小学校をまわりましたが、練馬区の保育園も訪問しました。

練馬区は待機児童を減らす施策に取り組んでいました。

当時、待機児童の解消は全国的な課題になっていました。

しかし、今では待機児童は大きく減少しています。

2018年には2万人たらずいたのが、2021年には1万人を割り、いまはピーク時の約1割ほどにまで減っています。

これほどまでに減ったのは、さまざまな規制緩和を国が率先して、自治体が減らす対策を進めてきたからです。

たとえば認可保育所は、広い敷地が必要です。

保育室の面積は厳しく決まっていました。また園庭も一定面積を確保しないといけなかったのです。

それをたとえば、保育室の面積要件を狭くしたり、園庭がなくても近隣の公園で代用できるなど規制を緩めてきました。

それにより、「子どもを預ける場所がない。これでは働けない」という保護者の要望を受け、都市部を中心にして自治体は競うように待機児童減少の対策を打ったのでした。

そこで、児童の受け皿は拡大したのですが、広い保育室と園庭のある保育所に入れる場合はラッキーで、外れた保護者は最低限の基準にも満たないところに預けざるをえなかったのです。

預け先を増やしたことで、たしかに待機児童は減ってきたのですが、それでよかったのかが問題になります。

昨今の児童への保育士からの暴力、送迎バスに置き去りにされた子どもの死亡などの問題は、保育サービス質の低下を招いた影響でないかとわたしは思うのです。

わたしは、まず保育士の数を増やすべきでないかと考えます。

教育や保育の決め手は、やはり人です。
保育士や教師は子どもの育ちを支える専門職です。

幼児期の子どもの成長はとくに著しいものです。昨日できなかったことが、今日できるようになった。

多くの子どもたちの成長を支援して支え見守り、間近でその成長に接することができたとき、これ以上ないという喜びを感じることができる仕事です。

保育士が身も心も余裕をもって子どもに接することができる環境を整備することこそ、いまいちばん求められる要件でないかと思うのです。



一人暮らしの人を外に出す

2023年01月20日 06時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
全国的にも似た状況はあると思いますが、大阪では昭和のニュータウン時代に建てられたアパートや団地が老朽化して、建て替えが進んでいます。

しかし、一部では古いままの棟もあり、そこに住む人は高齢の独居老人が多くを占める場合が散見されます。

そのままだと、ほとんどの人が外出せず、住民の姿をほとんど見ることのない団地群があります。

その人たちが外に出る機会をどうつくるか。できるだけ健康を維持できるように、サポートが必要になります。

高齢者が外に出たくなる企画を自治会がどう打つかが懸案になる地域があるのです。

この企画は発想とアイデアと広報が大切になります。

広報については高齢者が対象なので、SNSの効果に期待はしにくく、そこではやはり回覧板が必要になります。

ボランティアグループや自治会の活動の中から、「こんなことをやってみよう」という企画が出ます。

たとえば、独居老人のための買い物同行支援もその一つです。

それ以外にも、高齢者が自分も活動できること、またその活動により、地域への貢献感を感じる取り組みも必要です。

団地敷地内の土地を農地にして菜園を作る。

収穫という喜びを体験でき、その野菜が地域住民の食卓を潤すことで喜んでくれる人がいる。

それが高齢者の生きがいにつながる。

このように地道に取り組んでいる地域が府下にあります。

すでに、現在の日本では、若い層を含め、一人暮らしの世帯が全世帯の中でいちばん多い割合となってきています。

一人暮らしの人が、近隣の人をはじめとする他者と交流する機会をどう作るか。

地域のまちづくりの取り組みが、今後ますます必要となります。


大学での「あらたな学び」

2023年01月19日 05時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ

いま、社会に出てからも年齢とは無関係にキャリアアップを目指す人が増えています。

 

新しい知識や技能を主体的に身につけキャリア形成をしていきます。

 

いわゆる社会人の「学び直し」です。

 

わたし自身はこの「学び直し」という言葉があまり好きではありません。

 

過去やいままでの学びが十分でなかったのでやり直すという意味を感じてしまうからです。

 

過去に勤勉で十分に学んで社会で現在活躍している人にとっても、社会の変化に伴いあらたな知識や技能が求められるようになったのであるからです。

 

そういう意味では、「あらたな学び」という言葉がいいと考えています。

 

従来は社会人のニーズに合致した実践的な学習プログラムが、あまり大学にはありませんでした。また、学習者にとっても、どう時間をつくるか、学費をどのように捻出するかなどの問題がけっこう大きかったのです。

 

その状況下で、文部科学省が「社会人の学び」の制度を創設しました。それにより、さまざまな学習プログラムが整い、制度が充実してきています。

 

いま社会人が大学(大学院)であらたな学びをする教育は、「リカレント教育」と言われています。

 

これは従来からいわれてきた「生涯学習」とは性質が異なります。

 

生涯学習はもとはフランスのポール・ラグランが、1965年に「人間は一生学び続ける存在である」として、学校教育だけでなく、社会教育、文化的活動、スポーツ、趣味などをさまざまな機会で行う学習を提唱しました。日本では、1981年に中教審(中央教育審議会)が答申を出し、本格化しました。

 

しかし、リカレント教育は、学校教育を修了した人が、大学などの教育機関へリターンしてきて、職業能力の向上をめざし、より高い知識・技能を学ぶ学習です。

 

とくに、自ら問題点を見いだし、問いを立てて自分の答を研究することが重視されます。

 

ともすれば、現役の大学生の頃は、就職するための資格として(ツールとして)あまり必然性に迫られず学習してきた人が、卒業後に純粋に興味関心のあることを深く掘り下げることができるのがリカレント教育であるといえるでしょう。

 

わたしも今、大学に縁があり何度も大学の門をくぐっています。

 

みなさんも一度大学に戻って、キャンパス気分を味わいながら、好きなことを研究して,キャリア形成に役立ててみてはいかがでしょうか。

 


時間をかけない/かける? 今の学び方

2023年01月18日 07時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の時代は、とくに若い世代を中心にタイパが広がりつつあります。

タイパとは、Time performance (タイムパフォーマンス)のことで、できる限り短い時間で成果を出すとか生産性をあげる行為のことです。

映画の2倍速再生や大学のオンライン授業を早送りで見ることで、内容を知ることと時間の節約を両立できると考えます。

時代の要請があり、タイパをする人が増えているのはわかります。

でも、知識や情報を取り込み、それをもとに思考し、自分の考えを深めていくという点では、タイパは十分ではないのではないか、とわたしは思います。

自分が感じた疑問やしっくりいかない点を深めていくプロセスを省いてしまって、はたしていいのだろうかと思います。

おりしも、いま学校の授業ではアクティブラーニングを重視して、実践を重ねているのが現行の学習指導要領です。

問題を見出し、主体的に解決のための思考をして、他者と交流して話し合い、自己の思考を深めていくという学習を授業で実践するのが、学校の現代的課題です。

そうなると、いまの小中高生の学び方と大学生以上の世代のそれは、正反対になっているのです。

そもそも、社会や人間の営みの中には、たんに白黒をはっきりとはつけることのできない、グレーゾーンがあることもあります。

たとえば、沖縄戦での住民の集団自決などは、聴き手が同時の状況が深く理解できてこそ、相手は話そうとするのです。

そこには語り手と聴き手の間に、一定の信頼関係があってこそ、わが子を殺めた人の何とも言えないやるせなさに触れ、共感するのです。

そこでは、人間としての、葛藤・悩み・迷い・あきらめ・希望・いのちなど一言では言い尽くせない思いに深い分かち合いや共感があるのです。

「これは善、それは悪」という単純二分割できない複雑さの中に真実があることも少なくありません。

タイパは、この深いかかわりあいを重視しない学び方や生き方につながっていくのではないかと、わたしはいま危惧しています。



自らが体験したからこそ

2023年01月17日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
1995年1月17日、午前5時46分の阪神淡路大地震は、日本国内で初めて震度7を観測した大地震でした。

大阪の北部のわたしの自宅でも、すさまじい揺れ方で、最初は下からドーンと突き上げられ目が覚めると、次はガタガタガタという猛烈な横揺れが長い間つづきました。

家が潰れると思いました。

阪神間の被害は甚大で、、25万棟の建物が全半壊し、死者は6400人以上でした。

やっとのことで教育活動を再開できた学校の教師たちは、当時生き残った児童生徒に対して、願いを語り、思いを託しました。

「震災の体験を語り継いでいくことが、みなさんの役目です」。

学級担任のその言葉は児童生徒の胸に深く刻まれました。

その後、2011年の東北大地震では多くの子どもたちが犠牲になり、亡くなりました。

また、いつ地震が起きるかわからない。自分の体験を語り、いのちを大切にしてほしい。

この動機で学校の教師になった人がいます。

また、わたしの校長在任中に初任者で着任した教師がいました。

彼女は大阪教育大附属小学校で起きた児童殺傷事件のとき、その学校で学ぶ小学生でした。

自分の目の前で友だちが亡くなる凄惨な光景を体験しました。

彼女が教師になった動機は、「いのちを大切ににする人になってほしい」でした。

自ら体験をした事実とそれへの思いや願いを語れる教師の言葉は、他の体験していない教師の言葉より、深く児童生徒の胸に刻まれていきます。

いのちを大切にして、いのちのバトンをつないでいくよう、子どもたちを導く教師であってほしいと、この日1月17日に想うのです。