箕面三中 校長室からのメッセージ

おもに保護者のみなさまに向けたメッセージです。生徒の近況を伝えるとともに、教育と子育てについての情報をお伝えします。

子どもがぼやくときには

2016年02月27日 11時26分38秒 | 校長からのメッセージ



家で子どもがぼやくことがあります。

友だちのこと、部活での不満、先生の対応について・・・。

子どものぼやきに、親はどうつきあったらいいのでしょうか。

おとながよく取り違えてしまうのが、ぼやきと相談の区別です。

子どもがぼやきを言っているときには、解決を求めていない。しかし、相談のときには解決を求めている。この違いがあると思います。

だから、子どもがぼやいているときには、とくに解決を求めているのではないので、聞き流すといえば乱暴な言い方になりますが、ただ聞いてあげることで十分だと考えています。

聞いてもらえることで、子どもの気持ちは満たされます。基本的に解決方法やアドバイスはいりません。

しかし、たんなる子どものぼやきに対しても、「誠実な」おとなは、「わたしがなんとかしなければ」と、解決に乗り出そうとすることが往々にしてあるのです。

「こうしたらいいんじゃない」とアドバイスしたり、「そんことをしているからアカンのよ」と攻撃に転じることもあります。なかには、「学校へ行って、先生に言ってくるわ」ともなります。

子どもにしてみれば、ただ話を聞いてほしかっただけなのに、怒るんやったら「もう、いいわ」とキレたり、傷ついたりします。

基本的に子どもは自分のなかに、解決策を持っているのです。解決策を持っているので、相談しているのではないのです。ぼやきは聞いているだけでいいのです。

ここまで読まれた保護者の方のなかには、そうはいうけど、子どもの持っている解決策って確かなものなの?おとなからみれば、ちゃんとかを考えていない、いい加減なものですよ。そんなのは解決策になっていないことが多いんですよ。だから、私は解決に乗り出すのよ・・・。

このような声が聞こえてきます。たしかに、子どもの考えている解決策が間違っているのが明らかなときは、やはりおとなが介入しなくてはなりません。

しかし、まっこうから反対したら子どもは聞きません。よけいにかたくなになりがちです。この点が、中学生という思春期の子どもへの接しかたのポイントです。

そのようなとき、子どもが正しい方向に向いてくれると信じて、いっしょに考え、選択を子どもに託します。

おとなと子どもの意見を、同じまな板の上にのせて、子どもに選ばさせるなら、たいていの場合、正しい方を選びます。

あとになって、「なんや、ちゃんとわかってたんや」とおとなは思うんです。子どもにしてみれば、「何が正しい、何が間違いはわかっているけど、強要させられるのはイヤ」というのが思春期の子どもの本音です。

おとなが上手な接しかたを心得ていると、子どもが納得した上で、考え方や行動のしかたを正しい方向に直していくことができます。
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困っている人に目を向ける

2016年02月25日 20時58分20秒 | 校長からのメッセージ


「めぐまれているようでも、中学生のころは、自分がいちばん淋しいと思い込みやすいのです。
そんな時期にまわりの弱い人に目を向けられるかどうかは、人生の鍵だという気がします。」
(アグネス・チャンの『ひなげし語録』より)


自分もたいへんだけれど、まわりにも困っている人がいる。

そう思って、なにか助けになれないか。こう思う生徒がいます。

逆に、自分はなんと不幸なんだと悲劇の人になると、落ち込むばかりで何もしなくなります。

いじめられている人がいたとします。その人の気持ちがわかる人は、その人をいじめたりはしません。なにか助けになれないかと感じます。

いじめられている人に目を向けることで、自分をしっかりさせることができます。

「困っている人に目を向けられるかどうか」は、中学生の生き方を左右する大切な問いかけです。
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「子離れ」も大きなテーマ

2016年02月23日 19時45分41秒 | 校長からのメッセージ



いまや少子化と長寿化(高齢化)の時代です。この時代背景から、親が一生涯の中で子育てを終わらせる時期が早くなりました。そのため、子育てを終えてからの人生が以前より長くなりました。

親が子育てに大きなウエイトを置いていれば、ほぼ一生が終わるのではなく、子育て後の生き方をどうしていくか、何を生きがいとしていくのかを考えなければならなくなったということにつながります。

子どもはいつか親のもとを離れていきます。

今、「子離れ」は、多くの親にとって、大きなテーマなのです。いま子育て真最中の人たちは、なかなかこの点にまで考えが及ばないでしょう。

でも、私も含め、みなさんも「子離れ」のことを頭のどこか片隅に置いておいた方がいいのではないでしょうか。

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方法と感覚

2016年02月21日 12時21分27秒 | 校長からのメッセージ


教師は文字通り、「教える師」です。ただし今の時代は教師が「教える」よりも、子どもが「学ぶ」授業に重点が置かれています。

国語の先生は漢字の書き方、読み方や使われ方を教えます。英語の先生は、発音の仕方を教える場合もあるでしょう。文法を教える場合もあるでしょう。家庭科の先生なら、調理の仕方や包丁の持ち方なども教えます。

教科の基礎・基本の知識や技能を教わり、その活用力を身につけるとき、子どもの「学び」が重要になります。

どのように野菜を切れば、苦手な野菜を自然と食べるようなメニューができるだろうか。このとき、子どもの考える力を育むことができます。

また、友だちは「このようにすれば苦手な野菜を食べることができる」という別の考えを持っています。

それらを交流しあい、そして自分の考えをさらに深めることができます。いま求められている学力とは、基礎となる知識・技能を使い、考える、判断する、表現するなどの「活用力」となるのです。

しかし、私は、とくに体育だけは、すこし違った教科の特質があると考えています。体育の先生は課題となる動作の「方法」をおもに教えます。

投げ方や蹴り方、マット運動での動き方や跳び箱の跳び方などでは、手の出し方や足の振り出し方、視線はどこにおけばいいか、どのタイミングで回り始めればいいか、足の開き具合などの説明を生徒たちは先生から受けます。

しかし、ご存じのように、子どもは教師の指示通りに動けるものではありません。というか、指示された通り動けばその動作ができるようになるかといえば、そうとも言えないでしょう。指示通りに動こうと思えば、ぎこちない動きになってしまいます。

なぜそうなるかといえば、その動きには「感覚」が働いていないからです。体育の場合、とくに身体を動かすという感覚が必要になると思います。

大体の方法さえわかれば、あとは自分の身体を使って実際に試すしかないのでしょう。「ああ、ひじは高く上げるんや」くらいの理解にとどめて、とにかく投げてみる。

もしうまくいかなければ、どこが悪かったのかを考え、もう一度投げてみる。

うん、うまくいったやん。なんでうまくいったかわからんけど、もう一回投げてみる。
おお、なんかしっくりしてきたやん。よっしゃ、もう一回投げてみるで。

という具合に、みずからの内側に感じる「感覚」をフル回転させて、しっくりとくるポイントを見つけていきます。

このとき、子どもが頼りにしているのは「感覚」であり、教師が言葉で指示した「方法」ではありません。

私は、体育の先生が授業の仕方がよくないといっているのではありません。生徒が受ける「体育」という授業では、教師は「方法」を教えなければならないことが多いからです。

体育の教師だからといっても、自分には専門の種目があり、その他の競技や種目では「方法」を教えます。しかし、感覚は専門的にその競技や種目を何度も何度も繰り返して身につくのです。

箕面市の子ども体力が低迷しているといわれています。私は、これはその種目への「感覚」が伴っていないからだ、と考えています。

「感覚」が身につくまで、身体を動かすことにどれだけ時間をかけることができるかが問題にされるべきです。

箕面市の子どもの忙しさという生活習慣の改善とセットにして考えていかなければ、子どもの体力は向上していかないだろうと考えています。
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夢は内面の耕しから生まれる

2016年02月19日 18時22分10秒 | 校長からのメッセージ


卒業式のシーズンが近づいてきました。仕事柄、幼・小・高の卒業式に招待されることが多く、なかでも小学校の卒業式でよく感じることがあります。

それは、卒業証書を児童がもらったとき、たいていの小学校で「私の将来の夢は○○になり、~することです」と宣言する場面が、中学校の所属である私に、ある種の違和感を感じさせるという点です。

夢をもつことは大切です。また夢に向かって努力する日々は、その子たちにとって、かけがえがない輝く道のりとなるでしょう。このような子どもたちの態度は意欲的で、前向きでポジティブな日常生活を送ることにもつながります。

「私は医師になって、病気の人を助けたいと思います」と立派に言い放つ子もいます。

しかし、私は、ほとんどのすべての児童による、あの「宣言」を聞くたびに、素晴らしいという感情が起こると同時に、一方ではなにかしらの「うさんくささ」を覚えるのです。

中学3年生に「将来の夢は」と聞いても、決まっていない子が多くいます。それが現実です。まして、小学生が知っている職業は限られています。6年生にとって、将来の選択肢はそれほど多くないのです。

それを、みんなが「将来は○○になりたい」と言わなければならないような全体的な雰囲気に、ある違和感をもつのです。

どうしても夢がみつからない子は、「まだ今は見つかっていません」と大きな声で言えばいいのです。何も恥ずかしいことではありません。このような潔い態度で卒業していけばいいのです。

「私には将来の夢はまだ見つかっていませんが、高校に入学してから、いろいろなことにチャレンジして、じっくりと決めていきます。」と高校入試の面接練習で、三中の生徒たちは答えます。

もちろん決まっている子は、その夢を言います。聞くほうも、決まっているならそれを聞かせてくれればいいという程度に考えています。

そもそも、夢はそう簡単に描けるものではないと、私は思います。夢はそのへんに横たわっているものではありません。ネットで検索して調べても見つかるものではありません。

しかし、そのうちに魅力のある人と出会って何かに目覚めるかもしれません。ある日、何かのできごとで見つかるかもしれません。

あまり意欲的になれないまま活動を続けているうちに、そのおもしろさに目覚めるかもしれません。「やりたかったのはこれだったのか」と、後々に見つかる夢というのもあります。

夢実現(Dreams Come True)とか自己実現、「オンリーワンになるのだ」という時代の要請にあまりにもとらわれすぎ、縛られる必要はないのです。

このように言えば、「子どもたちが宣言しているのは、将来の夢という大それたものではなく、これから進むべき道のりを照らすために、あえて目標を定めるための『夢づくり』のようなものです」と、小学校関係者から反論を受けそうです。

しかし、中学生にかかわっている教職員の一人からすれば、そうであったとしても、卒業式の節目の機会で、無理矢理なにかの夢を、全員が宣言する必要はないと思うのです。

それよりも、職場体験のようなきっかけを利用し、じっくりと自らの内面を耕し、根を深く張らせる中で、大きな夢が描けると私は思います。

私の知っている中学生で、2年生のとき、心身のバランスを崩し、拒食症になり、学校を休みがちになり、とことん悩みながらやせ細っていった女子生徒がいました。

その子が、卒業式の日に握手をして、「先生、ありがとうございました。」と言って巣立っていきました。

その後、「私はあれほど食べられない毎日を過ごしたからこそ、いまは栄養士に将来なりたいと思います。だから高校卒業したら資格を取ります」と、報告に来てくれました。

この時私は思いました。悩みの中学時代はけっして、この子にはムダではなかった。
 
このように、ともに悩み、ともに考えた日々をくぐり抜け、やっと夢を見つける生徒もいるのです。悩みと苦労と流した涙があるからこそ、人の内面は耕されていくのです。

相田みつをさんは、次の言葉を残しています。「夢はでっかく、根は深く」。



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聴くがあり、発するがある

2016年02月17日 18時52分35秒 | 校長からのメッセージ


コミュニケーションとは、話すことと聞くことの、両方を指します。

これは当たり前のことなのですが、私たちはつい忘れがちになり、とかく話すことに注意をむけます。

声を発して、話すことに意識が向きすぎるのです。意思表示の声や言葉をいくら出したところで、相手の言うことを聴かなければ、その声や言葉は拡散し、消えてしまいます。

とくにスポーツでは、コミュニケーションの良し悪しが直接あらわれます。
相手がいかに的確な指示を声にして出していても、聴かなければ会話は成り立ちません。

誰にも届かない声を出し続けることほど、話し手にとってつらいことはありません。

これがスポーツの試合中の監督やコーチなら、やがて声を出すのがイヤになり、結果的にパスが通らなくなり、プレーが停滞して、チームの調子は上がらなくなります。

また、選手と選手の間での声かけも同じです。指導者は「声を出せ」といいますが、選手のなかに、聴き合う関係がなければ、声の出し方も形だけになり、「出しておけばいい」という声出しになってしまいます。

とくに球技の団体スポーツでは、コミュニケーションの柔軟性が大切です。誰かに届けたいという声と、それを待ち構えている聴き手。言葉とボールをやりとりしながらパスをつなぐ種目では、とくに重要です。

コーチや監督、顧問の中には常に尖った声で指示を出す人がいますが、そういう声出しはいまや、役に立ちません。
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よき問いは答え以上に大切

2016年02月15日 18時50分59秒 | 校長からのメッセージ


問い:
「法隆寺を支える材木はすべてヒノキです。
なぜヒノキを使うのでしょうか。」

強度では、圧倒的にケヤキの方が優れているのに。

志村史夫さんが、『古代日本の超技術』で書いています。

答え:
ケヤキは年月の経過てともに、急速に弱くなりますが、ヒノキは最初の200年間でじわじわと強くなり、最大で30パーセント近くも強度を増すそうです。そして、1200~1300年がたち、また元の強度に戻るそうです


先人の知恵は、私たちにはたちうちできないと思います。

よい問いは、ときとして答えより大切です。授業でも、本当によい発問は、子どもの考えや学びを深めます。



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行く言葉、来る言葉

2016年02月13日 18時02分48秒 | 校長からのメッセージ



「行く言葉が美しければ、来る言葉も美しい」
(韓国のことわざ)

英語で言えば
If the words to go are beautiful, the ones to come are also beautiful.
となるでしょうか。

とりわけ、発達途上にある小中学生に対しては、学校の教職員はきれいな言葉を使うべきです。

中学生なら、ときどき、「だまれ、うざい、きしょい」など、反抗的な態度と同時にきたない言葉を使ってくることもあります。

わたしも、小中学生のころ、ときどき先生から「おまえ」という言葉をよく言われました。「おまえ」については、教師が生徒に対して使っていいかどうか、その是非は意見が分かれるかもしれません。

自分も言われてその頃は、あまり深く考えていませんでしたが、その後教師になって「子どもの権利条約」や人権教育の研究・実践を進めるなかで、生徒に対して「おまえ」という言葉を使わないようになりました。

相手にいつもきれいな言葉で接すれば、きれいな言葉が返ってきます。
きたない言葉や不適切な言葉を言えば、同じようなきたなく不適切な言葉が返ってきます。

互いに配慮し、相手の心情を理解することが求められます。

きたない言葉を言われても、きれいな言葉で返せるように、自身の言動には日頃より気をつけたいものです。
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肯定的な言葉のシャワー

2016年02月11日 16時52分49秒 | 校長からのメッセージ

子どもに注意するときは、肯定的な言葉を使う方が望ましいと思います。

「さっさとしないと、遅刻するよ」
「しっかり勉強しないと、いい高校へいけないわよ」
「ちゃんと練習しないと、レギュラーになれないよ」

これらは、「~しない」「~できない」という否定なメッセージを含んでいます。

このように、大人が子どもをいましめたり、注意するとき、否定的な言葉を使うことが、往々にしてあります。

しかし、大人がいましめたり、注意をするときは、子どもの習慣や行動をやめさせたり変えたいのであり、けっして否定的な気持ちではないのです。

むしろ、言葉の裏には、子どもの成長や変化を応援する肯定的な思いが込められています。

ですが、発する言葉が否定的な表現なら、本来伝えたい肯定的な気持ちは、子どもには通じないことが多いでしょう。

「遅刻してもいいねん。いつものことやから」
「どうせ、いい高校なんか行かれへんもん」
「練習したって、試合には出られへん」

この応答のように、親の否定的なな表現を受け、子どもが否定的な気持ちになってしまうことがあるのです。

ならば、大人の肯定的な気持ちは、肯定的な言葉で表す方が、ストレートに伝わります。

先ほどの否定的なメッセージは、肯定的なメッセージにすると、次のように変わります。

「早く学校に行ったら、友だちとたくさん話せるよ」
「勉強をしっかりすると、いい高校へ行けるよ」
「よく練習したら、試合で活躍できると思うよ」

このように、肯定的な言葉で言うと、かなり受け取る側の感じ方や印象が変わります。

というと、「朝は忙しいのに、子どもにそんな悠長なことを言ってられない」と思われる方もいるかもしれません。

そうかもしれない。ときには、そんな場合でないこともあるでしょう。否定的な言い方をしてしまうとき、また、しなければならないときもあるでしょう。

ただし、だからといって、いつもいつも否定的なな言葉ばっかり浴びせられた子は、自分を否定的にとらえ、自信をなくしてしまいます。

「頭では、理解できました。でもね・・・」という親御さんの声が聞こえきてきそうです。

「どうしても否定的な言い方になってしまうんです。どのようにしたら肯定的な言い方ができるの?」

難しくないです。いつも意識してお子さんに肯定的な言い方をしていればいいのです。

私も以前は、生徒によく否定的なな言葉を使っていました。
でも、生徒を認めることの大切さを想い、言葉を考えて言うようにすると、できるようになりました。

ちなみに、先日、3年生の面接練習をしたとき、受け答えがあいまいで、最後まではっきりと言わない生徒の答え方が気になりました。

面接練習後のコメントを、私が生徒たちにしたとき、自然と次の言い方になりました。

「みなさん、面接官に質問されて答えるときは、話す言葉の最後、つまり語尾をはっきりと強く言うと、言葉がインパクトをもち、いい印象を残せますよ。」

「私の中学校は箕面市立第三中学校です」と
「私の中学校は箕面市立第三中学校です」では、最後を力強く言った方が、言葉がひきしまるでしょう。どうですか?

生徒たちは、うなずいていました。

私のこの言い方は、肯定的なメッセージですが、自然と私から出た言葉です。

大切なのは、面接に取り組む生徒のがんばりをわかっていること。

すると、「はっきりと話さないと、何を言いたいのかわからんよ」という否定的な注意ではなく、肯定的な言い方になります。

人間は意識し続けると、無意識にできるようになります。

保護者のみなさん、意識して肯定的な言葉のシャワーをお子さんに浴びせてください。


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やさしく、ふかく、おもしろく

2016年02月10日 18時34分27秒 | 校長からのメッセージ


むずかしいことを やさしく
やさしいことを ふかく
ふかいことを おもしろく
(井上ひさし)


井上ひさしさんらしい言葉だと思います。

とかく人は、難しいことを難しいままあらわしてしまいます。
ですから、ときどき、わたしたちが平素使わないような難解な語句が並んでいる文章を目にすることがあります。
そのような語句を使うのが、格調高く、かっこいいと思う人もいるようです。
たとえば、
「ご参集ください」←「集まってください」
「総費用を算定する」←「総費用を計算する」・・・。

しかし、難しいことを整理して、誰にでもわかる平易な言葉で表すことが、ひろく文書を伝達するときには大切です。

また、漢字にすると堅苦しく受け取る場合には、あえてひらがなを使ったほうが文章はやわらかい調子になります。

パソコンで打つと、
「できる」→「出来る」
「そのことについて」→「その事について」
などのように、あえて漢字に変換します。それをそのまま使う人もいます。

人は、漢字ばかりがたくさん並んだ長文を見ると、それだけで読む気がなくなります。
どうせ書くなら、読んでもらえる文章にしたいものです。(もちろん中学生の場合は、漢字を覚えなければならないので、習った漢字を使い文章をかかなければなりません。)

難しいことは、深く理解できていればやさしく表すことができるのです。

また、あることをやさしい言葉や文章で表すからこそ、そのおもしろさを伝えることができます。
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一つの言葉で、伝えることは一つ

2016年02月08日 18時01分11秒 | 校長からのメッセージ

2月4日のブログでは、子どもを叱るときのコツを書きました。

今回も叱るときのポイントについて、書きます。

「早く勉強しないと、スマホを買わないよ」
「部屋をかたづけないなら、家から放り出すよ」

親なら、わが子によくいう言葉です。
しかし、親のこのような言葉には、二つの伝える事がらが入っています。

①勉強をしなさい、部屋をかたづけなさい
②スマホを買わない、家から放り出す

このとき、ほんとうに伝えたいのは①の方です。②は言う側も、そのつもりではない場合が多いでしょう。

つきつめていうと、
スマホがほしいなら、勉強しなさい。
家から出されたくないなら、部屋をかたづけなさい。
という、一種の脅しや脅迫です。

言われた側は①と②のどちらを、受け取るでしょうか。
伝えた側の意に反して、スマホを買わない、家を出なさいを受け取る場合もあります。

そうなると、「もう買っていらんわ」「おー、出ていくわ」
これで家出した中学生も、実際にいます。

問題を複雑にしている原因は、二つの伝えたい事がらを、言葉にのせていることにあります。
①と②のどちらを受け取るかは、子ども次第になってしまいます。

子育ての言葉は、単純なほうがいいのです。

一つの言葉には、一つの伝える事がらにすべきです。

バレーボールをしていて、相手から二つも三つもサーブを打たれたら、レシーブできません。なんとか一つだけレシーブしても、そのボールはレシーブしてほしいものでないこともあるのです。

こうなると、ゲームはうまくいきません。親子のコミュニケーションはうまくいきません。

「ちょっと、早く勉強してほしいと思っているのだけど・・・」
「あなたの部屋がきれいになるといいんだけど・・・」
と言うと、

「うん、ぼくもそう思っていたよ」

という返事が返ってくるかもしれません。

この返事が返ってきたら、次の事がらがを伝えたらいいのです。

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情報の洪水から本質を見つける

2016年02月07日 16時58分26秒 | 校長からのメッセージ


私が小学生の時、父が「図鑑」をセットで買ってきてくれました。それはすぐに私の宝物になりました。

家から一歩外へ出ると、豊能町のそこはもう「自然の宝庫」でした。

珍しい虫を見つけると、家に帰って図鑑で、その虫の名前を確かめました。

カブトムシ、クワガタ、カナブン、タマムシ、メダカ、アメンボウ、ゲンゴロウ、カミキリ虫、バッタ、イナゴ、イモリ、ヘビ、マムシ、レンゲ、スミレ、たんぽぽ、イチョウ、フナ、コイ、ウナギ・・・。

ずいぶんとたくさんの動物や植物の名前を、自然と覚えました。

ときどき、逆のこともありました。図鑑で見ていた植物を、学校の帰り道に見つけました。三色スミレを図鑑で見ていたので、実物をとって、もってかえり母に見せました。

「三色スミレをとってかえったで」
しかし、それは、エンドウ豆の花でした。
当時はパンジーとかの花があまり出回ってなく、図鑑にのっている絵を見て、「この花が、図鑑のあの花や」と感じたのでした。

昆虫や植物の図鑑は、何度も何度も開くものだから、擦り切れるほどになってしまいました。

また、百科事典は学校の宿題をするときによく使いました。「ジャポニカ」、「万有百科事典」、「ブリタニカ百科事典」のシリーズ三種が本箱に常備してありましたので、よく調べ学習に使いました。

しかし今はどうでしょうか。インターネットの発達により、情報がいくらでも手に入るようになりました。

そうなると、いまや情報をもっているだけでは、価値は生まれません。しかも価値のある情報と価値のいない情報が渾然一体となり、インターネット上にものすごい量で溢れています。

とんでもないでたらめな情報も多くアップされています。
それに対する書き込みも、偏見に満ちて書かれているものも散見できます。

だからこそ、多くの情報の中で、その本質が何かを突き詰めることが価値になるのです。情報や知識を持っていることは、価値ではない。

情報や知識を見極め、それらを活用して、考え、判断し、表現する力をわたしたちおとなをはじめとして、三中の子にも身につけてほしいと思います。

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読書で広がる知の世界

2016年02月05日 18時20分01秒 | 校長からのメッセージ



「本は、わたしたちが見ることのできないおもしろいことをたくさん教えてくれます。
それは人間のように疲れたり、困ったりすることはまったくありません。
くり返し、くり返し、わたしが知りたいことを教えてくれるのです。」
(ヘレン・ケラー)


ヘレン・ケラーは2歳で熱病を患い、視力と聴力を失いました。また話すこともできないという「三重苦」を背負って生涯をまっとうしました。

彼女は目がみえない、耳が聞こえない、話せないという障害を乗りこえ、世界中の障害者をはじめ、多くの人々に希望を与えました。

どれだけ多くの人々が彼女から、生きる勇気をもらうことができたことでしょう。

ヘレン・ケラーにとっては、「知の世界」に近づく方法は、点字で書かれた本を読むことしかなかったのです。

最近は、電子書籍も出ています。便利なようですが、将来、紙の本が必要でなくなるかと言えば、けっしてそうではないと思います。

電子書籍は、いったん読むと画面が消えてしまい、一冊を読みきったという得られる満足感は乏しいかもしれません。

紙の本なら、何度も何度も読み返しができます。そこから、読者の見識が高まったり、深まったりするのです。

その人の「知の世界」が始まります。活字が自分の体内に入り込み、魂になり、血になり、肉になります。読んだ人の内面が豊かに広がっていくのです。

このことは、三中3年生の面接練習をしていても思いました。面接官(私)からの質問に対して、生徒の中には、場面に適切な用語を使い、面接官を納得させる答え方ができる生徒が何人かいました。この子たちはよく本を読んでいるな、と私は直感的に感じました。

読書は大切と、あらためて思っている次第です。とくに中学生には、たくさん本を読んでもらいたいと思っています。




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叱るには責めず、追いつめず

2016年02月04日 18時52分28秒 | 校長からのメッセージ
大人はどうしても子どもを叱らなければならないこともあります。

しかし、私も感じますが、叱ることはなかなか難しいです。

子どもは、いや大人でもそうでしょうが、叱られると・・・
①素直に聞き入れる
②反抗的になり、口ごたえや言い訳をする
③相手にしない、無視する
このどれかでないでしょうか。

ここでは、叱られて②か③の態度を子どもがとるときを、ここでは問題にしたいと思います。

教師や親など、大人が子どもを叱るのは、間違いをわからせて、正したいからです。正しい方向に導きたいからです。

そのためには、大人はどうしたらいいのか。
私も今までにたくさんの生徒を指導してきたなかで、かなり考えました。

そして、気づいたことがあります。それは「責め続けない」と「とことん追いつめない」です。


また、生徒が遅刻をしてきました。いつも遅刻をしてきます。先生が指導します。

「また遅れてきた。なんで遅刻をするの」

遅刻はいけない。それは本人もわかっています、でも生徒が返した言葉は、いつもの言い訳でした。

「クラブで疲れているから」

先生は言い返します。

「他の子もクラブをしてるのよ。でも遅刻をしないわ。きのう遅刻をしないっていったやないの。どうするの、朝の遅刻が重なれば、何十分も損しているのよ、わかってんの!」

このように、先生は感情的になり、生徒もイライラしてきます。

「そんなこと言っても、朝、起きれないときは起きれないんやから。ムリ!」

このように、叱るのは難しい。感情的になり、怒ることになってしまいます。

人は責められると自分を守りたくなる。
人は追いつめられると、逃げたくなる。

だから、大人が子どもを叱るときには、相手を守りながら、逃げ道を残すのです。

言葉が乱暴な男子で、友だちを傷つけることが多い子を指導するには・・・

「君の言葉で、イヤがって傷ついている子がクラスにいます」
・・・・・・・・・・・・・・・

「そんなつもりでいってないのに・・・」

そこで先生が続け、最後に付け加えます。

「私はこう思っているんだけど。私だって君がそんなつもりで言っているのではないとわかっているよ。
それどころか、いつもクラスを楽しくしようと、友だちに話しかけてるね。」

「だからこそ、友だちが感じていることをありのまま、君に話しました。これだけ話せば、君がわかってくれると思うから。

明日からは、君も言われた子の気持ちをわかっているのだから、しばらく言いたいことを言うのをガマンしてくれないか。
そうするとイヤな気持ちをしている子も、君への見方が変わってくると思うよ」

「わかりました。やってみます。ありがとう」

この通りうまくいかないこともあるでしょうが、基本的にはこの話し方が、子どもを守りながら、逃げ道を残す話し方です。

そして、1月30日のブログに書いた「子どもを動かすには、気持ちを動かす」に通じる話し方でもあります。

三中の教員にも伝えて実践するように勧めますが、親御さんも共鳴される方は、お子さんにやってみてください。
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年賀状グランプリ決まる

2016年02月03日 17時31分20秒 | 校長からのメッセージ


年賀状コンクールの結果が出ました。

学年別です。

B棟とC棟の渡りローカに貼り出しています。

立体的なデザインへの支持が多いようです。

秀作ぞろいです。

お家の方も、時間があれば観に来てください。

他にも作品を展示しています。
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