箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

決めたら、そこで勝負

2019年08月31日 07時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ





中学生でも本人が決断しなければならないことがあります。

3年生で、どの高校を受験するかは、その最たるものです。

進路以外にも、決めなければならないときもあります。

昨年度、学校のサッカー部ではなく、学外のサッカーチームに入っていた生徒がいました。

あいにく3年間で一度きりの沖縄修学旅行とサッカーチームの大会が重なってしまいました。

彼は悩みましたが、サッカーのほうに出場して、修学旅行は欠席すると決めました。

クラスの生徒は、事情を聞いて理解して、大会に送り出してくれました。

そして、その大会での活躍が評価され、今は高校でサッカーを続けています。

このケースから、私が思うことがあります。


決断するまでがたいへん。決めてしまえば、あとは進むだけ。


このことは、何事にも通じます。

進学も同じです。

受験校を決めたけど、よかったのだろうか。
あっちのほうにすべきだったのではないか。

いつまでも後悔や迷いを引きずっていては、本来の力を出せないかもしれません。

でも、覚悟をした子は、力強く前を向き、実力を発揮します。



防災壁新聞

2019年08月30日 12時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ










中学生が夏休みの課題で作った防災新聞の原稿です。

2年生の作品で、丁寧に調べてまとめています。

この作品について、一人ずつ先日の家庭科の時間に、「印象に残ったこと」「知ってほしいこと」をクラスで発表しました。

聞いてなるほどと思うことが多くありました。

これをグループで数人分あつめレイアウトをして、「防災壁新聞」として仕上げます。

仕上げた壁新聞は、9月の文化祭で展示すると聞きました。



帰るところは母校

2019年08月29日 15時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ








今日は2学期で初めて三中を訪問しました。

昨年度まで三中にいましたので、2年生、3年生は知っている生徒です。

廊下や教室で会うと、声をかけてくれます。
こちらからも、声をかけます。

今年の4月までの4年間の日々が蘇ってきて、いろいろなことを思い出します。

一方で、昨年度と変わらない風景が目に映ります。

生徒が行き交う2階廊下、敷地内の池、広々とした玄関内のロビー。

変わらない風景に出会います。

あの頃と変わらないのは、心豊かな時を過ごした証であるのかもしれません。

三中は私にとっての「母校」です。

こんな曲があります。

さあ 母校へ帰れ!
人生の道 迷ったら
一度来た道 引き返して
あの校庭に立つんだ

さあ 母校へ帰れ!
帰る場所がなくなったら 
いつだって 戻って来い
あの言葉を思い出す

さあ 母校へ帰れ!
もしも泣きたくなったら 
あの懐かしい校庭へ
涙を捨てに行けよ

さあ 母校へ帰れ!
何もできなかった自分  
あの頃を思い出して
やり直そう もう一度

(NMB48 『母校へ帰れ』の歌詞を引用)

偶然を期待しない

2019年08月28日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ





中学校では、今の時期、3年生の実力テスト(学力テスト)が行われます。

夏休み中の学習のあと、本人の学力の進捗状況をみるテストです。

高校入試に向けての学力状況をはかるテストでもあります。

3年生は部活に励んだ生徒が多いでしょうが、多くの人が引退しました。

その部活については、試合でたまたまいいプレーができれば、その生徒はうれしいものです。

それは偶然かもしれません。

しかし、私からみれば、今まで練習していたから、出せたプレーです。

つまり、「偶然」は、日々の努力の「必然」なのです。

ちゃんと部員の様子を把握している顧問なら、このことをわかっています。



学習も同様です。

たまたまいい点が取れることはほとんどなく、いい点が取れるのは、日々の学習の努力がつくる「必然」なのです。

3年生は部活引退後のこの時期から、高校入試に向けた学習が本格化します。

覚えておいてほしいセオリーです。





夏の終わりに

2019年08月27日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ






箕面市の中学校では、昨日から2学期が始まりました。生徒たちが元気に登校してきました。

いっときの暑さが、かなり和らいできました。

この時期、もう夏や夏休みは終わったと思い知らされます。

しかし、
「夏祭り宵かがり 胸のたかなりにあわせて 8月は夢花火、私の心は夏模様」(井上陽水「少年時代」)

このような、夏休みを引きずった気持ちの生徒もいるでしょう。

それでも、学校は動いていきます。

そして、季節は徐々に移りゆき、秋の足音が聞こえてくるのです。


信頼関係を学ぶ

2019年08月26日 07時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ




2019年度の2学期が、箕面市立の学校で今日から始まります。

夏休み中の部活で真っ黒に日焼けした生徒を見かけます。

2学期、中学校は大きな学校行事、文化祭や体育祭のあることが多いです。

その学校行事は、実技教科の発表をする機会でもあります。

たとえば、文化祭で踊りや美術作品、合唱を発表する。

体育祭で走りを発表する。

そして、多くの場合、団体で取り組むことが多いのです。

実技にはいろいろとありますが、今回は音楽をとりあげます。


中学校の文化祭では、一つの学年がクラス単位で、また全体合唱を披露する学校があります。

文化祭のために、連日練習を重ねて美しいハーモニーの合唱を磨きあげます。

クラス発表の場合は、そのクラスを構成する生徒の音楽的な才能(音感など)に合唱のできばえが影響されることは、たしかにあります。

それ以外に、クラスの仲間関係の状況が合唱に反映されます。

まとまったクラスや仲のよいクラスは、声がよく出て。やはりいいハーモニーを作り出します。

でも、停滞したいるクラスは声が小さいとかハーモニーがうまく調和していないなど、クラスの状況が如実に表れます。

学年合唱はクラスの集合体でうたうので、同様に学年の仲間関係が影響してきます。




また、学校行事だけでなく部活の吹奏楽の演奏でも、部員の技術の高さはある程度揃いますが、コンクールなどで入賞するとなると部員同士の人間関係やチームワークが問われてきます。

そこで、わたしが経験上、音楽の発表について考えていることは、次のことです。

信頼しあっている人たちが発する音は自然と美しい音楽になる。


音楽でいちばん大切なことは何かというと、個人の技術であるという考え方もあるでしょう。

それも関係しますが、団体で発表する場合、いちばん大切なのは生徒同士の信頼関係であり、顧問と部員たちの信頼関係であることは、動かしがたい真実です。

この点を考えたとき、中学生は人との信頼関係を築き、信頼関係の大切さを学ぶためにも日々学校に来ているという考え方もできます。






何かできることを

2019年08月25日 08時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ








明日から箕面市の小中学校は2学期の開始です。

学校へ登校するのを楽しみにしている子どもが多いのは、今も昔も変わらない心理です。

しかし、なかには「明日から、また学校か。気が重いなあ」と感じている子どももいるのがいまの現状です。

とくに1学期に、学習や人間関係で悩んできた子どもは、それがまた毎日やってくるのかと思い、気が重くなるのです。

あっけらかんと「楽しみだ」と嬉々として登校してくる子は、大きなストレスとはあまり縁がありませんが、みんながみんなそうではありません。


4年前に、文科省が子どもの自殺が増えるのは9月がいちばん多いというレポートを出しました。

その傾向は毎年続いています。夏休みはいちばん長い学校の休業なので、家庭でホッとしていた子には、切り替えが難しいのでしょう。

もし、子どもが学校に行こうと思うけど足が向かない様子なら、親御さんも心配です。

サボっているのではないのはわかるが、どうしたらいいかと心配になります。

登校に気が向きにくいだけでなく、教室に入ることがしんどいという場合もあります。

そんなときは、現段階で少しでも、何かできることは何かを話し合ってみるのも一つです。

「どんな方法なら、学校へ行けるかな?」と聞いてみて、たとえば「遅れてでも少しなら行けるかも」とか、子どもが一歩踏み出す方法を学校と相談してみてください。

学校は、教室に入るまでの準備として、別室への登校や子どもとの面談、保健室での受け入れ、スクールカウンセラーとのカウンセリングなど、柔軟なサポートを行います。

(本文の内容と写真の人物は、関係ありません)



体験から気づきまでには時間がかかる

2019年08月24日 06時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
学校では、さまざまな体験活動・体験学習を行なっています。
 
学校行事である文化祭や体育祭、宿泊行事は体験活動です。
 
職場体験や福祉体験などは、体験学習です。
 
 
家庭でも子どもたちに体験をさせます。
 
習いごとやどこかへ親子で旅行に行く、スキーに連れていくなども、広い意味で体験活動です。
 
これらの体験活動に共通していることがあります。
 
体験を子どもが身につけたり、自分のものとするには、ある程度の時間が必要だということです。
 
学校では、生徒に応じて、必要に応じて、体験の意味づけを、教師が生徒に行います。
 
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体験の意味づけを行わなくても、時間をかければ、多くの子どもは体験したことを自分のものにしていくことができます。
 
たとえば、習いごととして、バスケットチームに入っている子は、テレビ番組を何気なく見ていて、「あっ、あの選手のディフェンスの外し方は、この前コーチに教えてもらった!」。
 
そうか、コーチが言っていたかわし方は、あのようにゴール下でのプレイで使うんだ。
 
それを知った子は、実戦でゴール下のクロスプレイで、うまくディフェンスを外し、シュートにつなげ得点しました。
 
 
 
このようにして、子どもは体験したことを、自分のものにしていきます。
 
したがって、体験の意味に気づき、体験を自分のものにしたり、自分の行動につなぐまでには、時間がかかるのです。
 
この点から考えると、習いごとはあまりたくさんのことを習わせると、子どもが忙しくなりすぎて、習ったことが未消化のまま、別のことを体験することになります。
 
私の出会った生徒の中には、中3でたくさんの特技や資格を持つ子がいましたが、その子は器用に体験を自分のものにしていたのだと考えます。
 
たいていの子どもの場合、習いごとは少なくして、それにしぼりこんだほうが、体験学習や体験活動がその子の行動の変容に効果が出やすいと思います。

夫婦の難しさ

2019年08月23日 16時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 




 
 
夫婦はお互いにちがう性格をもっています。
 
なんでも用意周到で、細かいことにも気がつく性格の人と細かいことにはあまりこだわらない性格な人の組み合わせのように、ちがう性格の場合が多いのです。
 
もっとも、自分もパートナーも、細かいことを口出しするような似かよった性格な場合、それが子を持つ親は、子どものことに細かく口出しして、子どもは息がつまることになるでしょう。
 
また、どちらもが「なんとかなるさ」で、おおまかな性格の人なら、子どもはおおらかでしょうが、学校で忘れ物が多かったりするかもしれません。
 
子どもを育てる親という点でみると、夫と妻はちがう性格の方がいいのかもしれません。

子どもはバランスがとれるからです。
 
ただし、夫婦がまったくちがう性格だという場合、お互いを理解しあうのがけっこうたいへんです。
 
ちょっとしたことでも、意見が合わず、口論になったりするかもしれません。
 
パートナーと話していて、相手の考えかたを聞いたとき、「わたしとはちがうけど、そういう考え方もあるのだ」と思えるか、思えないかが決め手になるのでないか。
 
それは、ある意味で相手を認めていることになり、気持ちのもちようがかなり変わります。
 
ただし、子どもに対して、つい悲観的、否定的な発言をしてしまう親は、子どもはネガティブな態度になり、教育上好ましくないのはたしかです。
 
その際、もしパートナーが楽観的、肯定的な考えかたやものの見方をする人なら、役割をわけて子どもにかかわるのがいいでしょう。
 
子育ても簡単ではないですが、夫婦も簡単ではないのだと思います。
 
 

失敗を見つめる

2019年08月22日 09時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
誰でも失敗はしたくないものです。
 
大人でも、子どもでもみんなが「成功を願って」と言います。 
 
まして、中学生の場合、失敗を怖がり新しいことにチャレンジするのをためらう傾向にありますから、失敗したら取り返しがつかないと思いがちです。
 
このなると、多くの生徒が、チャレンジしにくい状況に置かれます。
 
このことを踏まえた上で、私が伝えたいのは、「失敗を見つめることができたら、それは失敗でない」ということです。 
 
小さい頃から、アレルギー体質で、野菜以外のものはほとんど食べることができず育った中学生がいました。 
 
その生徒は、中3のときの秋の箕面市青少年弁論大会に出場して、「こんな経験をしたボクだから、将来は医師になり病気の子を救いたいというテーマで弁論をしました。 
 
その生徒は、高校進学の時、いちばん行きたい私立高校には不合格になりました。
 
 しかし、彼はくじけたりはしませんでした。 
 
気持ちを切り替えて、公立高校に進学して、いまも医師になる夢をもち続けています。 
 
成功(=合格)から学ぶよりも、失敗(=不合格)から学んで医師になった人の方が、患者さんの本当の心の痛みがわかるのかもしれません。 
 
おそらく、彼はそう考えて、「失敗」をみつめて今も医師になるため、勉学に励んでいます。 
 
彼の経験を通して、私は「失敗を見つめ、失敗を失敗にしなかった」という学びを得ました。 いま、彼は高校2年生になっています。

ココロの穴を埋める

2019年08月21日 08時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
私たちは、とかく他者と自分を比較して、私はこれができないけど、あの人はできる。
 
私にはこれがないけど、あの子はもっている。
 
私はあのように、上手くは話せない。
 
私たちは、他の人と一緒に生きていたり、生活を送っているのだから、自分以外の人たちと無関係ではいられません。
 
そこで、自分と他者との比較が始まり、比較の中で自分の価値を見いだそうとしてしまいます。
 
そして、中学生は、できないことやもっていないことを、自分の中に多く見つければ見つけるほど、自信を失います。
 
そういうことが重なってくると、「あなたはあなたのままでいい」と、誰かが言ってくれても、そう思えず、自分のことが好ましく思えなくなります。
 
いわゆる「自己肯定感」が下がり、自分のことがイヤになることになります。
 
大人にもそういう傾向があるのだから、悩みやすい思春期の中学生ならなおさらです。
 
「わたしって、生きていて何の価値があるの」と思いつめると、自分を傷つけることで、こころにポッカリと空いた穴を埋めようとします。
 
さまざまな条件が重なると、なかにはリストカットというカタチで現れることもあります。
 
「切る」と、その瞬間は心がスーとすると、本人は言います。
 
私が約10年前に出会ったリストカットをくりかえしていた女子中学生はそう言っていました。
 
 
 
リストカットは、自分を傷つけることで自分の苦しさを表す一つの手段です。
 
だからわたしはできるだけ、その子の苦しさを理解しようとしました。
 
リストカットは、本人のつらさの表現ですから、本人の言うことを否定せず聴くようにしました。
 
その子とは3年前に再会しましたが、いまは教員を志し、現在、他市の中学校に「講師」として勤務していると聞きました。
 
だから、わたしはよく言うのです。
 
 「中学生は悩むのが仕事である」と。
 
自己を肯定できないことは、他者との比較から出てくるのですが、経験上一つ言えることがあります。
 
 それは、
他人と自分を比べなくなったとき、人は自分のことを好きになるということです。
 
それができるには、一定程度、年齢を重ねていく必要もあります。

大人たちは、その子が年齢を重ねるまで、その子をしっかりと見守っていきたいのです。

働くことにやりがいを見つける人に

2019年08月20日 08時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 



 
これからの時代、わが国では平均寿命は上がり、60歳定年が延長される可能性があります。
 
ともなって、一生涯同じ職場で働き通すのではなく、転職が多くなり、また兼業や副業も規制が緩和されるであろうという人もいます。
 
いまの中学生が社会に出て、働くようになる頃には、仕事に対する人々のとらえ方や意識も少しずつ変化しているかもしれません。
 
今の全国の小学校6年生の子どもの約半数が100歳まで生きるという研究者もいます。
 
もし、人生100歳時代が来るなら、今までは60歳定年、20数年が余生だったのに、定年後まだ40年も生きることになります。
 
また、男女共同参画社会は、対等な男女の雇用という面では、まだまだ課題がありますが、いま以上に改善はされてくるでしょう。
 
ほんとうに少しずつですが、育休をとる男性も増えてきました。
 
 
ただ高齢化社会が進行しても、「働くこと」が人の人生のなかの大きな位置を占めることに変わりはないでしょう。
 
ということは、働くことに生きがいをいかに見つけるかは、今後も重要な課題になります。
 
もちろん、経済面から収入を得るために働くという人もいるでしょう。
 
でも、働くということで、社会や他者に貢献しているという実感をもてることが、「働くこと」の大きな役割であり意味です。
 
転職や副業が増えても、それぞれの仕事で、働く満足感や周りや人への貢献感を保っていくことが必要です。
 
少なくとも「面白くないから、仕事をやめます/かわります」や「ほかの仕事もします」という意識や考えにならないことが、今の中学生たちに求められるのでしょう。
 
そもそも、仕事はやらされていると思うからしんどくなり、重荷になったりするのです。
 
この仕事をやるという覚悟をして、やりがいを見つければ、仕事が楽しくなるのではないでしょうか。
 
衣食住の欲求や安全の欲求、承認される欲求などと並んで、働きがいを感じたいことは、人間の根源的な欲求なのでしょう。
 
今の中学生が働く欲求を実現できるよう、取り組むものごとにやりがいをみつけられる人になることを願います。

途中でやめない

2019年08月19日 07時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
 
 
 
 現代の子どもたちは、たくさんのやることがあり、けっこう忙しい毎日を過ごしています。
 
学習はもちろん、部活動や、学校生活でがんばる、文化祭や体育祭などの学校行事に取り組むこと以外に、習いごともあります。 

その習いごとは多岐に渡ります。ピアノ、ダンス。空手、バレイ、将棋、ゴルフ、新体操、剣道など、学校の部活にはないものが多いのですが、わたしの校長在職中に中学生が習っている(習っていた)と聞きました。
 
「少しでも、この子の才能を伸ばすことができれば」と親御さんは願います。
 
「才能が開花すれば、豊かな人生が送れるかもと期待して、わが子を通わせることもあります。 
 
親の気持ちとしては当然だと思います。
 
安積良斎(あさかごんさい)は、江戸幕府末期に吉田松陰に影響を与えた学者です。
 
 この人は、習い始めたことは途中でやめてしまえば、これまでの努力や苦労が無駄になるという教えを説いています。 
 
習い始めたことは、たとえ失敗に終わるとしても、最後までやり遂げることが大切で、そうすれば次につながるということを言っているのだと考えます。
 
 その教えは、「半途(はんと)して怠れば、前功を失い未熟に復する」という言葉で残されています。 
 
私たちは、やり始めたことは途中でやめず、最後までやり通すことが大切だということを心に刻みたいと思います。 

なぜ努力するのか

2019年08月18日 07時30分00秒 | 教育・子育てあれこれ





努力は必ずしも報われるとは限らないと、ある人は言います。

その通りかもしれない。

ただし、このときの「報われる」とは、優勝するとか、賞をとるとか、合格するとかという、いわゆる成功すること、または夢や念願が叶うことを言っています。

しかし、私が中学生に伝えるのは「報われる」ということは、成功することや夢実現だけではないということなのです。

中学生に対して、教育的に言うならば、次の言葉で表されることを伝えたいのです。

努力は成功を保証しないが、
努力は成長を保証する。

努力した人は、必ず以前の自分と比べて、新しくできることが増えたり、不得意なことが得意になったり、諦めやすい性格が粘り強くなったりします。

人が努力する価値や意義は、この点にあるのです。


過去は見つめるもの

2019年08月17日 06時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
過去を慈(いつく)しんではいけない。
 
人は、よく、過去のことを思い出します。
 
思い出して、「楽しかった」のはいいのですが、「あのときはよかった」と、過去を美化して慈しむのはやめておいたほうがいいようです。
 
現在を肯定的に見れなくなるからです。
 
 
過去の積み重ねの上にいまがあります。
 
「過去こそがすべてです」と、姜尚中さんは『悩む力』の中で、おっしゃっています。
 
だから、いまが人生でいちばんいいときなのです。
 
では、未来はどうか。
 
未来は、まだ何もないゼロの状態です。
 
こう考えたとき、自分が積み上げてきた過去こそがすべてです。
 
過去をきっちりとふりかえり、現在につなげたとき、未来が展望できます。
 
姜尚中さんは、そのことを言っているのでしょう。
 
中学生が孤独になり、自分をみつめると、内省的思考ができます。
 
何度か触れていますが、中学生は時には孤独になり、自分が生きてきた道のりをふりかえることには、大きな意味があります。
 
実際、中学生も3年生の終わり頃になると、中学3年間、または小中9年間をふりかえり、あのときのあのことがあるから、いまの自分があると思えるようになる子が多くなります。