箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

とどまらず、次の段階へ

2018年09月30日 07時53分42秒 | 教育・子育てあれこれ



私は、小学5年のとき、父に連れられて初めてプロ野球を観に行きました。

行った球場は西宮スタジアムでした。

初めて見る球場は、グリーンの芝とこげ茶色のグランドのコントラストが、照明灯のカクテル光線に照らされ、ほんとうにきれいでした。

その美しさは今でも、はっきりと脳裏に焼きついています。

その日の対戦は阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ)対南海ホークス(現福岡ソフトバンク・ホークス)でした。


その阪急ブレーブスには、当時、盗塁王だった福本豊選手がいました。

彼は1番バッターで、出塁するとよく走りました。

盗塁は足が速いだけでは成功しません。

彼は、投手のクセを盗む技術に長けていました。ふつうの選手なら気がつかないようなちょっとした投手のクセを見抜き、盗塁を重ねたのでした。

クセを盗まれ、いいように走られたのが当時のライオンズのエース東尾投手でした。

そこで、東尾投手は「降参した。自分のクセを教えてくれ」と、福本選手に頼みました。

「企業秘密」ともいうべき情報を大胆にも教えてほしいと言ったのですが、福本選手はあっさりと教えました。

そして、次のシーズンで東尾さんは、そのクセを直してきました。

すると、福本選手は東尾投手の新しいクセをまた見つけ、盗塁を重ねたのでした。

「(クセを)直されたら、また新しいクセを見つけたらええんやから。」と福本選手は言いました。

これが、「盗塁王」と呼ばれるゆえんなのでしょう。

かなりのものを作り上げながら、そこにとどまらず、さらに次の段階に到達する。

たゆまぬ研究が大切なのだと思います。

ふてくされない

2018年09月29日 07時44分48秒 | 教育・子育てあれこれ



人間は感情のいきもの。

楽しいことがある反面、

おもしろくないこともあります。

自分では「これでいい」と思ってやったことが、人から非難され、辛い思いをすることがあります。

なんでわかってくれないの?

と思うこともあります。

仕事をしていれば、つらいこともあります。

中学生も、生活の中で納得いかないこともあります。

なかには、不条理なこともあるでしょう。


でも、私には教師経験が30年を超え、人生経験からわかったことがいくつかあります。


不条理とも思うことにでくわして、それを「納得できない」「おかしい」と表明するにしても、
人はふてくされた時に、すべてが終わるということです。

つらくても、その中で、自分ができることを見つけて、それをすることで、局面が変わっていくと信じています。


PTAとは

2018年09月28日 17時53分41秒 | 教育・子育てあれこれ





文部省は、昭和22年(1947年)に、「父母と先生の会-救育の民主化のために-」というPTA結成の手引き書を作り、全国の都道府県知事あてに送りました。

その手引き書には、PTAの趣旨を「子どもたちが、正しく健やかに育っていくためには、家庭と学校と社会とが、その教育の責任を分け合い、力を合わせて子どもたちの幸福のために努力していくことが大切である」としています。

また、先生が中心となった会ではなく、先生と父母が平等な立場に立った組織をつくるべきであるとしています。

この後、全国各地でPTAが設立され、組織化されてきました。

翌年の昭和23年には、全国の小中学校の7割近くにPTAができあがりました。

この当時のPTAの活動は、戦後復興の時代を受け、学校の制度・環境の充実のための要請・要求が中心となっていました。

とくに、栄養失調の子が多かったので、学校給食の制度化は強く要請されました。

それから約70年が経ち、子どもを取り巻くさまざまな環境改善について、要請活動を行うことは日P(日本PTA全国協議会)により継続されています。

それとともに、戦後とは比較にならないほど複雑化した社会環境を見すえ、保護者の成人教育の場としての活動を展開しています。

たとえば、箕面市の「イキイキさわやかに学ぶ会」は、会員さんへの人権啓発の機会として、委員さんが、人権課題を学習する「社会教育」の場なっています。

三中からも、委員さんが手分けして出席されています。


PTAの第一義の目的は、子どもたちの健やかな成長のために活動することです。

したがって、三中では、毎月第1土曜日を定例として開催している運営委員会では、かなり詳しく三中の教育活動や生徒の様子について、学校からお伝えして、意見をうかがう会になっています。

役員や委員になるとたいへん、と保護者の方々は思われがちですが、学校の情報を聞けるという点では、一般の会員の方よりもかなり多くなります。

私は職務上PTAに協力をお願いする立場である以上、わか子の小中学校のときには、委員をやりました。

以前に私が勤務していた中学校では、9年間広報委員会を担当しました。

そのときには、広報委員長さんから教えてもらったに広報誌の作成スキルは今でも十分に役立っています。

また、それをきっかけにして、自分も学習しました。

三中教員が発行する学年だよりや学級通信、また学校だより、さらには、三中PTA広報誌、運営委員会だよりなどの校正・決裁などに、おおいに役立っています。


授業研究会とは

2018年09月27日 17時30分12秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は6限が校内授業研究会でした。

その関係で、ご家庭にはお弁当を用意してもらいました。ありがとうこざいました。

美味しそうなお弁当を、たくさん見つけました。





さて、6限には3年生の各クラスで、研究授業を行い、教職員が分かれて参観し、その後研究協議をしました。

今年度、三中では「生徒の確かな学び」を実現する授業はどうあるべきかを研究して、それをいかす授業を行い、研究を深めています。

推進主担教員は、松下達郎(3年所属、国語科)です。


研究授業は次の通りでした。

3年A組 数学
3年B組 国語
3年C組 社会
3年D組 理科
3年E組 体育


ところで、授業はふつう三部に分かれているのが鉄則です。

「導入」と「展開」と「まとめ」です。

導入:
いわゆる「つかみ」で、生徒の学習への興味づけ。

展開:
その授業の中心になる学習で、授業者(教師)からの発問があり、学習者(生徒)が考え、その考えを深めていく活動。

まとめ:
1時間の学習をふりかえり、自分が学んだことを確かめる。



今年度、三中は研究グループを導入グループ、展開グループ、まとめグループに分け、教職員はそのどれかのグループに入り、研究授業を参観し、授業後の研究協議も、グループごとに行います。


「あの導入は、生徒の興味関心を高めるのに効果があったね。」

「あの場面では、もう少しつっんで生徒に考えさせるべきだったのでは。」

「まとめのときには、Aくんはこれがわかるようになったと、1時間の学習をしっかりふりかえり自分の学びを確認していたと感じました。」



このような内容を話しあいます。

その研究協議のあと、教職員全員でグループごとに話し合ったことを報告しあい、三中教職員全体のものとします。

以上が授業研究会のおおまかな流れです。



学力向上とは、たんに生徒がテストで高い点数をとったかだけで判断するのではありません。

子どもがどれだけ深く考え、学習への意欲を高めることができたかが、学力向上です。
それが、生涯の学びにつながるからです。

点数は、その結果としてついてくるものです。

三中では、こういった考えに基づき、学力の向上を図っています。

大切な人は誰?

2018年09月26日 11時07分23秒 | 教育・子育てあれこれ




東京では、きたる2020年の東京オリンピック開催に向け、盛り上がっています。

私は、小さな子どもの頃、東京オリンピックをテレビで見ました。1964年のことでした。

オリンピックを開催するにあたっては、交通アクセスの確保も必要になります。

1998年の長野オリンピックのときに、こんなエピソードがありました。

長野での移動手段はタクシーがおもでした。

地元のタクシー会社は、すぐに予約でつまりました。

ほとんどの会社のタクシーは、貸切で埋まりました。

そんな中、「中央タクシー」だけが、貸切を断りました。

これは、一人の社員のつぶやきから始まりました。

「オリンピックの期間中、いつもうちのタクシーで病院に通っている、あのおばあちゃんはどうするんだろう?」

いつも、うちのタクシーを使ってくれる地元住民をないがしろにしてはいけない。

その会社は、オリンピック期間中でも、貸切を断って通常の営業を続けることを決定しました。

他社はオリンピックの間、3倍の売り上げでした。

中央タクシーは、もちろん売り上げは伸びませんでした。

しかし、オリンピックはすぐに終わりました。

多くのタクシー会社は、一挙にお客を失いました。

他方、地元の人たちを大切にした中央タクシーは、今まで他社のタクシーを利用していた人まで乗ってくれるようになりました。

翻って、「東京オリンピック特需」でお祭り騒ぎをして、大切なことを忘れてしまうことを、私は懸念します。

「自分にとって大切にすべき人は誰なのか」を忘れてはならないのです。

目新しいことにとびつき、今まで大切にしてきたことをないがしろにしては、大切な人を失います。

人を大切にしない組織は衰えます。

生徒を大切にしない学校は行き詰まります。

また、三中の子にも、自分にとって大切な人や友だちが誰なのかを考え、学校生活を送ってほしいのです。

十五夜の月に想う

2018年09月25日 10時50分04秒 | 教育・子育てあれこれ




今年の十五夜は9月24日でした。

残念ながら満月は見えなかったようですが、23日の夜は雲が多いなか、その切れ目から満月を見ることができました。

三中の給食コーナーにも、いまお月見に関する展示をしています。


私の家では、子どもの頃は、月見団子とススキの葉、それからサトイモの葉を外に飾りました。

それをおばあちゃんといっしょに、庭に準備したことを、懐かしく思い出します。

また、晩秋の頃には、渋柿な皮をむき、干し柿を作るおばあちゃんの横にすわり、「こうやってな・・・」と干し柿の作り方を教えてもらったこともあります。





三中の給食コーナーに書いてあるように、収穫に感謝する、月に感謝する気持ちは、いつの時代であっても大切です。

自然と自然の恵みに感謝することを、私たちは忘れてはならないと、自然災害の多いこの時期、痛切に感じています。

三中の子にとって、学力も必要ですが、自然と共生して、環境を大切にする習慣も身につけてほしいと思います。


体験は自分に残る

2018年09月24日 14時05分15秒 | 教育・子育てあれこれ



私が子どもだったころ、親は1年に1回、夏休みに家族旅行で、日本各地に連れて行ってくれました。

いまでも、どこへ行ったかははっきりと覚えています。

小1で淡路島、小2で南紀白浜と三段壁、小3で福井芦原温泉と東尋坊、小4で岡山鷲羽山と鳥取砂丘・大山、小5で乗鞍・上高地、小6で那智の滝・・・。これが高校生の途中まで続きました。

自分が知らない場所へ行くのは、今にして思いますが、ほんとうに新鮮な驚きでした。

だから、小学校の社会の教科書に鳥取砂丘が出てきたら、「あっ!ここへ行ったことがある。ここでこのラクダに乗って写真を撮った」と思わず口にしました。

田舎の小学校でしたので、クラスの友達はあまり日本各地を回った経験がなく、「ウソ言うな!」と、こっぴどくたたかれました。

教科書に載っていることは、ほとんどの子にとっては、行ったことのない未知の場所だったのです。

私も黙っていればいいものを、「ウソちがうもん。ホンマに行ったもん」と言い返しました。

それで、クラスでいじめられました。

ただ、私は中学生で地理を習うと、自分で言うのもなんですが、あちらこちらへ実際に行ったことがあるので、学習への興味関心はとても高かったのです。

小さいときに、いろいろな場所を訪れるのは大切だなと感じます。



また、何度か書いていますが、私は小さいときから自然とともに大きくなりました

毎日、自然と共に遊んでいました。

春はタンポポ、レンゲの花を摘み、夏は朝から昆虫採集、秋には稲刈り、その頃には里山は紅葉や茶色で染まりました。きれいだと思いました。冬は雪遊び、凍って氷がはった池の上を歩いたりしました。

ですから、中1の2学期中間テストは、第2分野の生物が試験範囲でしたが、満点をとりました。

この体験談からもわかるように、実際に体験する学習はとてと大切です。

自分が体験しているから、興味をもち、関心が高まる。学習が面白い。よく学習する。テストで高い点をとる。

学習は、学ぶことへの興味関心に支えられているとあらためて思います。

このように、教師になってから、自分をふりかえり思っていました。


ただ、いまはもう一つ、体験する学習について、さらに思うことがあります。

それは、体験学習の積み重ねの大切なことは、「よき思い出」として、のちにまでずっと残るということです。

知らない場所の訪問を体験して、家族と楽しい時間を過ごした、知らなかった人に、旅先で出会った。

失敗してケガをすることもあったが、竹を鎌で削り弓を作った、汗を流しながら釣りをしてフナを釣り上げた。指がしびれるほど冷たい手で雪だるまを作った。

中学生になると、クラスで猪名川の源流になる川の近くでキャンプをしました。

こうした体験が、子どもにとっては得がたい、幸せに満ちた経験だったと、今になって思うのです。

子どもの頃の体験は、「よき思い出」として、いつまでも記憶から消えることはないのだと、この歳になって思うのです。

三中の子も、豊かな体験をして、物事への関心を高め、よき思い出をたくわえ大きくなってほしいと思う、今日この頃です。

居心地がよすぎる家庭

2018年09月23日 20時04分37秒 | 教育・子育てあれこれ


親が子どもをしいたげるのでなく、優しく大切に育った子どもでも、反抗期がないまま思春期を過ごす子がいます。

子どもに反抗期がない、自立したがらないのは、多くの場合において、子どもを大事に、大事に育てすぎたからと言える場合があります。

子どもが困らないように、何でもやってあげる。

ずっとこれを続けると、子どもは面倒なことを避けるようになります。

家の居心地がよく、ほかの人とかかわったり、家庭外の世界に出たくなくなります。

楽できるから、ずっと家にいたい。大人になっても家にいたい。このようになる可能性があります。

中学生になると、大切な人が親から友だちに移行するのが一般的に言えます。


家庭外で、人と接するのは、思い通りにいかないもの。

しかし、失敗や挫折を経験して、対応する力や乗り越える力が養われていきます。

「仲良し親子」はいいのですが、反抗期がないのも考えものです。

自分の子どもだからかわいい。だからつらい思いや経験をさせたくない。私もそう思いますし、親なら当然そう思います。

でも、子どもにとって挫折や失敗は宝です。

子どもが困っているとき、「心を鬼にして」、自分で解決させるように仕向けることも、自立に向かうためには必要だと、私は考えます。

彼岸花のように生きる

2018年09月22日 10時40分34秒 | 教育・子育てあれこれ





彼岸花が咲き誇る季節になりました。

赤色の彼岸花(曼珠沙華)は情熱・独立などが花言葉です。

これだけ赤い花が咲くと見事です。

一方、自宅の前には、少し珍しいでしょうが、白い彼岸花が咲いています。

白色の彼岸花は再会を楽しみに待つという花言葉と言われます。

人との出会いは、旅のようなもの。通り過ぎて行く人も多いものです。

私たちは、一生の間で、どれだけ多くの人と出会うことでしょううか。

松尾芭蕉は、「月日は百代の過客にして 行き交う人もまた旅人なり」と『奥の細道』で記しました。

その中で、再会できる人は「縁」で結ばれた人なのかもしれません。

私たちは、時として、ふとこの縁に気づいたり、実感することがあります。

三中生は、若い子らしく、情熱をもって生き、自立を目指して、独立心を高め、なおかつ、人との縁を大切にする人になってほしいと願う、彼岸花の咲く頃です。

開かれた学校とは

2018年09月21日 18時45分26秒 | 教育・子育てあれこれ


あるお母さんが、わが子を背中におんぶして公園へ散歩に行きました。

公園に足を踏み入れ、樹木が茂る場所へ近づきました。

すると、小鳥たちが、人の気配を感じて、青空に向け、何羽かが飛び立ちました。

お母さんが、「あっ!」と言って、小鳥たちの方を見ました。

すると、背中におわれた小さな子どもも、お母さんが向いているのと同じ方向を見ました。

こんな小さな子どもでも、お母さんが向けた注意に対して、同じ注意を払うのです。

これは、専門的には「ジョイント・アテンション」(= joint attention)といいます。

私は、このエピソードを、約20年前に、当時大阪大学の教授であった、故池田寛さんから教わりました。

おとなと子どもの関係が、幼少期から築かれ積み上げられ、子どもは豊かに成長していくという研修でした。

ここからおとなから子どもへのかかわりが、子どもの育ちにとって、いかに大切かがわかります。


当時、池田先生は、地域の人間関係が希薄になる中で、教育コミュニティを再構成する必要性を説く地域コミュニティ論を唱導されていました。


地域に開かれた学校という言葉が言われて久しくなります。


今まで、日本社会では親だけではなく、近所の人など地域の人との人間関係が子どもを育ててきた。

その人間関係が弱体化したのなら、学校をキーステーションとして、子どもとおとなが出会い、関わり合う人間関係を再構築しよう。

これが、地域に開かれた学校のねらいです。目指すものは、子どもの豊かな成長です。



それ以来、私は市内の別の中学校で、開かれた学校づくりの推進教員の仕事をしてきました。



その頃から府内各地域で、学校にゲストティーチャーや外部講師を招聘して、一緒に活動したり、子どもが教わる取り組みが始まったのです。

西南小校区の西南ジャンボリーや南小校区のみなみパワフルランドなどは、遊びを通して地域のおとなが子どもにかかわり、子どもの成長を育む活動です。

じつは、太田房江もと大阪府知事は、この考えを拠り所として、府内各地域に中学校区を単位とした「地域教育協議会」を構成して、コミュニティを形成する予算付けをされました。「すこやかネット」と呼ばれる事業でした。

ただ、箕面市の場合、従来より「青少年を守る会」の小学校区を単位とする活動がしっかりと根付いていましたから、中学校校区単位の活動が広がらず、今に至っています。

ではあるのですが、子どもの豊かな成長のために多様なおとなが学校教育にかかわっていくことが必要であることは言うまでもありません。



今年度でいえば、三中では、2年生が「あすチャレ」をやりました。また、職場体験もおとなから中学生へのかかわりがあります。

昨年度では、1年生が障害のある人に来てもらい、クルマいす体験や点字の学習などの福祉体験をしました。また、3年生がNGOの人やLGBTの当事者に来てもらい、聞きとりをしました。


加えて、開かれた学校とは、「人」を開くだけでなく、学校が「情報」を開くという側面も大切です。

とかく、「学校は情報を出さない、学校は情報を隠す」と言われます。

私がブログを毎日更新しているのは、三中のことや三中教育の考えに関する情報をできるだけ多く、保護者の人や地域の人に知ってほしいと意図するからです。


生徒の気持ちに寄り添う教師

2018年09月20日 11時33分18秒 | 教育・子育てあれこれ



私は、教員だった頃を含め、生徒を引率して、何度も沖縄修学旅行に行きました。

校長になってからは、CAのチーフの方が、行きも帰りも、離陸前にご挨拶に来てくださいます。

「今日は、○○航空をご利用いただき、ありがとうございます。生徒さんにとって思い出になる空な旅となるよう、心より願っております・・・」

私は、「中学生ですので、騒がしくしたりするかましれませんが、ほかのお客さんにご迷惑をおかけしないようにします。どうぞよろしくお願いします」などと、言葉を返します。

また、那覇空港に到着すると、「箕面市立第三中学校のみなさま、本日はご搭乗ありがとうございました。よき修学旅行になりますよう、願っております。またのご利用をお待ちしております。」と、アナウンスが流れます。

いつも、ほのぼのとした気持ちになります。


さて、チーフパーサーについて、こんな実話があります。

「夫婦のお客さまが、大きな人形を胸に抱き、いくら言っても離してくれません。人形ごとシートベルトをしています。安全確認ができません。」

CAからこの相談を受けた、チーフパーサーは、そのお客様のところへ行きました。

「お客様のお子様は、おとなりの席に座らせてあげて、お子様にもシートベルトをかけてあげましょう。お母様はそのままご自身でベルトをおつけくださいね」

女性は、「わかりました」と素直に、となりの席に人形をすわらせ、シートベルトをしました。

飛行機は、無事に離陸できました。



そのチーフパーサーに、後日、手紙が届きました。

その夫婦の夫からでした。

「妻は子どもを亡くし、あの人形をかたときも離さなくなりました。外へ行くときも、いっしょでないと出歩けなくなりました。

あの日、あなたに『お人形』てなく、『お子様』と言っていただいて、妻は嬉しかったようです。本当にありがとうございました。」

チーフパーサーは、そんな事情があるとは思いつかなかったものの、人形を抱くお母さんのただならない様子から、なにか強い思いを感じとったのでした。

人には、他人にはうかがい知れない事情があることもあります。

チーフパーサーは、振り返って、こう語っていました。

「お客様の繊細な心に寄り添うことで、かたくなだった心がほどけることがあることを、私も学びました」



さて、最後は話を教育につなげます。

三中にも、なかなか心を開かない、かたくなな態度をとる生徒がいます。

多くの教師が、その子とすんなりと会話ができにくい。

でも、特定の教師とは打ち解けることができる。

きっと、その教師は、思春期の繊細な心に寄り添うことができるのです。かたくなな心はほどけ、その教師は会話ができるのかもしれません。

この意味で、中学の教師は、無神経ではつとまりません。

また、無神経な言葉で余計にその生徒を傷つけるかもしれません。

生徒の思いを感じとり、繊細な気持ちや心情に寄り添いえる教師に、生徒は心を開きます。

蚊帳からエアコンにかわった半世紀

2018年09月19日 18時44分59秒 | 教育・子育てあれこれ



本当に暑い今年の夏でした。

7月20日から、私はずっと暑さ指数(WBTC)の記録をとっていました。

箕面市が定めた、外での運動に制限を加える基準のWBTC28度を超える日が圧倒的に多くありました。

エアコンも、体育館はほぼ毎日稼働させる状況でした。

さて、このエアコンですが、エアコンのついている普通教室(いわゆる○年○組という教室)は、全国的にみると、半数にも満たないのが現状です。

新聞でも報道されましたが、しばしば暑さで取り上げられる岐阜県多治見市は0パーセントです。

千葉市も0パーセントとなっています。

一方、東京都は95パーセントを超えています。

つまり、自治体による差が大きいのです。

このエアコン設置と耐震化工事は、背中合わせの関係にあります。

これほど地震による自然災害が多発するここ約30年間において、耐震化工事は必須条件です。

限られた予算の中で、耐震化工事を優先すればエアコン設置が後手にまわったという経緯があります。

さて、箕面市はどうかというと、耐震化率100パーセントは大阪府下で一番に達成しました。

それだけではありません。耐震化工事とあわせ、校舎の大規模改修も同時に進めました。

それにより、トイレは美装化され、太陽光パネルも整備されました。

五中・六中は設立年が新しく、耐震化工事の必要がなかったので、かわりに体育館の屋根を改修、外壁の塗装し直しなどができました。

また、その後、箕面市の場合、普通教室だけでなく、特別教室へのエアコン設置もかなり進みました。

そして、昨年度には、学校が避難所になることも勘案して、体育館のエアコンも整備されました。

それは、文化祭にお越しだった親御さんなら、そのありがたさを実感されたことでしょう。

暗幕を張り巡らし、締め切った体育館でも、快適に子どもたちの発表を鑑賞できたことでしょう。

また、中学校での給食の導入も、各中学に給食棟を新設し、自校炊飯方式で実現しました。生徒たちはあったかいごはんやおかずを食べることができます。

これらの救育事業は、国や府からの補助金をうまく活用して、箕面市のお金もメリハリをつけてつぎ込むという市長部局の舵取りのおかげです。


さて、猛暑・酷暑が「日本の夏」を大きく塗り替えています。

私の小さい時は、部屋に蚊帳を吊るし、その中にホタルを放って、ホタルの光を眺めながら眠りにつきました。扇風機がなくても、うちわがあればしのげました。

質素な生活でしたが、そこには風情ががあり、子どもらしいほのかな楽しみがありました。

それでも、夜はけっこう涼しかったのを思い出します。約半世紀前には、田舎ではそうやって暮らしていました。

その後、扇風機が入り、電化製品が生活に入り込む生活に変わっていきました。

50年前のことが懐かしく思い出される今日この頃です。

人生はこれからが面白い

2018年09月18日 07時25分53秒 | 教育・子育てあれこれ




昨日のブログでは、親が自分の将来のライフプランを今のうちに考えておいてもいいのでは、と書きました。


1978年生まれのもとJ Jモデル・堂珍敦子さんが、雑誌『VERY』(光文社発行)の2018年9月号で、いま助産師を目指し、学生業をしていますと、次のように述べておられます。


🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

助産師になりたいと思ったのは、双子を出産した後。

もっとたくさのお母さんと赤ちゃんに関わりたくなったんです。

でも、まだ子どもも小さいし、通学なんて無理に決まっていると、とりあえずベビーマッサージや食育など自宅で取れる資格をいくつも取得したけど・・・とこか物足りない。

5年くらいモヤモヤと悩んでいました。

そのうち40という年齢が見えてきて、人生も折り返し地点。

子育ては大事だけど、自分の人生をどう生きるか、まだ人生の半分あるならなんでもできるはず、と長男が中学入学、末っ子が、3歳で入園というタイミングの去年、看護専門学校に入学しました。

「たいへんだね」と言われるけど、勉強より家の仕事の方がはるかにたいへん。

家事は誰も褒めてくれないけど、勉強はがんばった分だけ結果が出るから!

自分のできる範囲でなく、未知の世界に飛び込まなきゃ新しい何かは生まれない。

子どもたちには、「何歳でも夢はもっていい」「自分の人生は大事にしてほしい」ということを、私の生き方で伝えていければと思います。

🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

これを読まれたかたは、「特別なケースね」とお考えかもしれません。

でも、私は前任校の保護者で、看護学校に通い、実際に看護師になった人を知っています。

その人は、中学生の母親でした。

このブログをお読みのお母さんがたも、人生100歳時代がくると言われているいま、これからの生き方をみつめ、何かあらたな資格をとり、社会で活躍する生き方をされてみてはどうでしょうか。

お子さんは、いずれ成人します。

自分で楽しめる、今後の生き方をさがしてみるのもいいかもしれません。

箕面市は長寿のまち

2018年09月17日 14時13分17秒 | 教育・子育てあれこれ




本日は敬老の日、西南小校区の敬老の集いが、西南小でありました。

第一部では、来賓祝辞で、箕面市長から長寿について、次のような紹介がありました。

全国に約1800ほどの自治体があるのですが、箕面市は長寿が、1800の自治体のうち男性は7位、女性は20位だそうです。

なかでも、女性は近畿圏の自治体の中では、1位になるのです。

健康で長生きする人が多い箕面市であり、とくに女性は近畿地方の中で一番長生きする人が多い市町村であるということになります。

このブログをお読みのお母さんがた。みなさんは長生きする人になられるかもしれません。

100歳までは無理でも(いまの小学5年生は、その半数が100歳まで生きると、専門家は言っています)、かなり高齢まで生きることができます。

そうなると、子育てはあと10年ほどです。

お子さんの成長がなによりも喜びというのはわかります。

でも、子育ても大切ですが、子育て終了後、ご自分の人生は、30年以上続く人が多いのです。なかには、子育て後、40、50年ほど続く人もいるでしょう。

ご自分のライフプランを今のうちに考えておかれた方がいいのではないかと、私は思います。

ということを、私は考えていました。



さて、第二部(演芸)の司会は、三中演劇部が務めました、

じつは、いま箕面市立中学校で演劇部があるのは三中だけです。

そのことを、部員が自己紹介を兼ねて会場で伝えると、「へー!」という声が、会場からあがりました。

そうなのです。三中演劇部は、歴史のある文化部なのです。

ほかの中学校では、部員が減っていき、廃部になりました。三中演劇部は、少人数ながら、活動を続けています。

また、演芸では、三中吹奏楽部が演奏しました。

お年寄りの人にも馴染みの深い選曲で、「上を向いて歩こう」、北島三郎の「まつり」などてした。

またアンコールでは、来たる9月30日のマーチングコンテストで演奏する「元禄」を披露しました。

地域の高齢者も手拍子をして演奏を聴いてくださいました。

ありがとうございました。どうか末永くご長寿となりますよう、お祈りいたします。

教職の意義とは

2018年09月16日 12時00分40秒 | 教育・子育てあれこれ




(写真は働き方改革のポスターTeamSpirit より引用させてもらいました。)


いま働き方改革がさかんに言われています。

国の考えでは、「1億総活躍社会」を実現するためには、働く人の個々の条件や事情に応じて、多様な働き方を選ぶことのできる社会にしていく改革です。

その背景には、日本社会が少子高齢化が進み、生産年齢人口が激減する中で、50年たっても人口1億を維持して、職場や家庭、地域で誰もが活躍できる必要性が指摘されています。

ただし、学校の教員の働き方改革は、文科省が一般社会とは少し違ったトーンで、各自治体の教育関係者に伝えています。

教員は、一般企業にくらべ、メンタル疾患で病休になる人が多くなっている。それは時間外勤務の長さが問題だ。

日本の教員は時間外勤務が他のOECD諸国とくらべ、格段に長い。だから学校の組織化を進め、本来学校が担うべきでない仕事と担うべき仕事を切り分け、早く帰りなさいというものです。

一般社会にしても、学校社会にしても、国が国民に言っていることは、「働き方を変え、生産性を上げよう」ということです。

ですから、「LGBTの人は生産性がない」というような発言が中央省庁の関係者から出るのです。

人生100年時代が来て、長生きできる人が増えます。社会保障費が増え続ける。だから、元気で長生きして、国民一人ひとりが生産性を上げましょうというのが本当のねらいでしょう。

しかし、こと学校に関して言えば、教員の労働の本質的な価値は何かと言えば・・・、

子どもに知識や技能を教え、それを活用する学力をつけ、人と人間関係を築き、社会人としての力を育てることです。

現代は、人間の価値を、その人の生産性で決めようとする社会になりつつあります。

生産性を測るのは、GDPが指標になります。経済の視点、おカネの視点で人間の価値を決めようとする方向に、ベクトルが向いています。

しかしながら、この世の中には、生産性では測れない価値があるのです。

児童生徒とともに、笑ったり、泣いたり、悲しんだりすることで、子どもも教師も成長します。

そこには、感動があります。人としての尊い喜びがあります。





昨日の文化祭の劇では、観ている人が楽しみ、喜んでくださり、演じたクラスの子が満足そうにクラス写真をみんなで撮っていました。

子どもたちも学級担任にも、笑顔で写真を撮っている、その裏には、取り組みの途中で、いくつかの問題やトラブルに出会い、それを一緒に乗り越えてきた経過があります。

だから、感激もひとしおなのです。


学校の場合、たんに、労働時間や仕事の仕方を変える技術論では、問題解決には向かいません。

教職という労働の価値は、生産性では測れません。

私は、これが教職の尊さであると思います。

「たかだか、学校の教師が」、「世間知らずの教師が」という世間からの言葉に対して、教師は教師で、矜持をもち、もっと自分の仕事に自信をもち、子どもを育てることの尊さをひろく伝えていくべきだと、私は考えます。