箕面三中 校長室からのメッセージ

おもに保護者のみなさまに向けたメッセージです。生徒の近況を伝えるとともに、教育と子育てについての情報をお伝えします。

守られているということ

2016年05月30日 14時53分50秒 | 校長からのメッセージ

最近、学校では他者への信頼感が低い子どもがすこし増えているという実感を教育関係者はもっています。

人に対する基本的な信頼感が薄い原因は、いろいろと考えられるでしょうが、一つは幼少期からの「愛着」の形成不足があると思われます。

たとえば、赤ちゃんが泣くと、親があやしてくれ、ミルクをくれます。また、おむつを交換してくれます。これが「愛着」の芽生えで、子どもの欲求に対して、親からの適切な対応が重ねられていくことで、子どもはおとなへの基本的な信頼感を高めていくのです。

「愛着」が十分に形成されると、その子は愛情をもって他者に接することができます。また「認めてほしい」という欲求(承認の欲求)も正常な形で人に示すことができます。

愛着形成が不十分な子には、教職員はたっぷりと愛情を注ぎこみ、人との出会い直しを促します。これは不可能なことではなく、教育のもつ可能性です。

それを怠り、問題が顕在化してから子どもとのかかわりを深めたり、コミュニケーションを図ろうとすると、指導や支援は困難を極めることとなります。

このように、子どもは生まれてからずっと、大人から「守られている」という感覚を内面に蓄えていくことがとても大切なのです。
コメント

ヘルプよりサポート

2016年05月28日 07時25分21秒 | 校長からのメッセージ


基本的に、親の役割は、子どもを自分の思うようにすることではなく、子どもが自分で学びとる環境や条件を整備したりすることです。

子どもが自分で、生活や人生を何とかできるように力を伸ばしていくのを支えることです。
 
去年の入学式でも触れました。たとえば、おなかがすいている子どもがいたとしましょう。あなたは魚を釣ってあげますか? それとも魚の釣り方を教えますか?

魚を釣ってあげるのは、子どもをなんとかしようとして、親が子どもの代わりに活動するHELP(ヘルプ)です。

ヘルプは子どもが乳児・幼児の時にはたいへん必要なかかわり方です。この時期では、子どもはたっぷりと親に依存することが必要だからです。

一方、魚の釣り方を教えるのはSUPPORT(サポート)です。魚の釣り方を教え、そのあとは子どもが自分で魚を釣るのを見守ります。

このとき子どもは様々なことを学びます。釣るタイミングが合わなければアタリをしっかり見ようとします。少ししか釣れなければ餌を替えてみようとします。魚が食い渋っているときにはじっと我慢して待とうとします。

このようにして子どもは、人生が自分自身のものであることを知り、よりよいやり方を考えます。子どもは、この学びのプロセスを通して強く、たくましくなるのです。

思春期の子に対して、親がすべきことで必要なことは、いうまでもなくサポートです。ヘルプではありません。

サポートを受けながら子どもは、ときとして目を輝かせながら、また時としてつらくて涙をこぼしながらも、自分の生き方をつくりあげていきます。たいへんでも、最後は自分で引き受け、自分で問題を解決することを学んでいきます。

子どもが中学生の場合でも、時と場合によってはヘルプが必要なこともあるでしょう。

しかし、子ども本人が自立していく力を蓄えていくために親がすることは、圧倒的にサポートである場合が多いことを心得ておき、実行していきたいものです。
コメント

思春期の子どもには離れず、入り込まず

2016年05月26日 22時31分22秒 | 校長からのメッセージ

小さい子どもが、たとえばジャングルジムに登ろうとするとき、少し登っては、離れて見ている親の方を見ます。見てくれているのを確かめると、また次の段をのぼります。

このようにして、子どもは少しずつ行動を広げていきます。親が見守っていてくれるているとという安心感を伴う寄り添いがあってこそ、他者への信頼感の基礎が築かれていくのです。

そしてこの信頼感の基礎をもとに、思春期を迎えた子どもは親から離れようとしたり、戻ろうとしたりしながら成長していきます。これが「自立」に向かうという状態です。

このようにとらえるならば、幼少期でのネグレクト(虐待の一形態)は、子どもに対する無関心であり、子育てについての重大な課題となります。

マザーテレサはいみじくも言いました。「愛の反対は、無関心である」と。

つまりネグレクトは、子どもが他者への信頼感を寄せる道すじを妨げます。

また、親による子どもへのかまいすぎも過度の干渉となります。

あたかもわが子は自分のものと言わんばかりに、子どもの内面にズケズケと入り込み、子どもが自分で解決しなければならない課題をかわりに解決しょうとする。これでは、子どもは自立に向かえないのです。

思春期の子どもを、離しもしないが、内なる世界に侵入もしないというほどほどの距離感、つまり「少し離れながらも、いつも見守っているよ」という子育ての態度がいちばん大切なのです。
コメント

人は人によってのみ人となる

2016年05月24日 06時32分51秒 | 校長からのメッセージ


わが国での家族の姿は近年、大きく変わってきています。ひとり暮らしが増えました。

学生や若い世代に限らず、30代、40代、50代……そして独居老人。わが国では、いまや世帯の数でいえば、単身生活者は二人以上が同居する家族を上回っています。

その結果、いまの時代、人々の生活様式は「個人化」してきています。

そして二人以上で構成される家庭にも「個人化」が入り込んでいます。子どもや老人は個室が当たり前だし、夫婦がそれぞれ自分だけの部屋を望むことも珍しくないそうです。

家族が日々の暮らしのために、お互いが協力しなくてはならないことが、昔よりずっと減っています。

食事を用意するのに、すべて、材料から煮炊きすることはあまりありません。服を布から裁縫することもなくなりました。

そして、家族の誰かに「お手伝い」をしてもらう必要も少なくなりました。

「個人化」は衣食に限りません。子育ては保育所や学童保育、教育は学校や塾と、家庭の外に頼る割合が増えました。

また、いまの時代、子どもが家庭で「お手伝い」を見つけるのはかなり難しくなっています。電化製品が家事の大半をやってくれます。洗濯は全自動洗濯機が、お皿洗いは食洗器がやってくれることも珍しくありません。つまり子どもの仕事があまり家庭の中にないわけです。

その結果、家族といっしょに住んではいるが、極端な場合、家族の中の共同的なつながりは「バラバラ」という状況が生まれてきています。

このような状況は、自分だけの時間や空間を大事にし、他人よりは何よりもまず自分に関心が向くという傾向を加速させます。

社会学の研究者はこのことを「私事化」(=privatization プライバタイゼーション)と呼んでいます。

そこで、こういった時代であるからこそ、家庭の中で子どもと親が一緒にできる活動(キャンプやバーベキューなどでもいい)を見つけましょう。

あるいは地域の人と子どもがいっしょに取り組める活動(ボランティア活動など)に子どもたちが参加するよう意図的に誘ってみてください。

ある人が言いました。人は社会的存在である。つまり、人は人によってのみ、人となるのです。つまり人とかかわりあうことで、自らを成長させることができるのです。多くの人々で知恵を集め、次の社会を担う子どもたちの豊かな成長を育みましょう。
コメント

教育とは、引き出すこと

2016年05月22日 08時15分39秒 | 校長からのメッセージ


「生きる力」とは、自分の生き方を大切に思い、日常生活で起こるさまざまな問題に対応していく力であろうと考えます。困
難なことにへこたれず、自分の感情をコントロールでき、他者の感情とうまくつきあう力であるともいえます。

本来、子どもはそういった力の芽を内側に内在させています。しかしそれは、引き出し、育んでいかないと、ものごとに対して活用できる力とはなりません。

子どもの引き出し、育んでいくためには・・・

①子どもの存在を無条件で受け入れることから始まります。子どもは肯定され、愛されてこそ、力を発揮していきます。子どもを信じ、まかせることです。ただし大人は、子どもから求められたときには、最小限の支援を行います。

②自分の毎日を自分の力で生きることが必要とされます。これは子ども自身が請け負う「責任」であるといえるでしょう。

思春期とは親から離れはじめる時期です。いつまでも親が「これはこう、あれはこうして」とかかわっていれば、子どもは自分の「責任」を果たすことができにくくなります。

③他者の役に立つ喜び(貢献感)を味わう体験を積むことも、「生きる力」につながります。人の役に立つ喜びを知っている人は、人とつながろうとします。人間関係を豊かにひろげていくことができます。
そして学齢期を過ぎた頃には、「働く」という行為で人の役に立つ営みを続けていくことになります。


私たち大人が、忘れてはならないことは、大人が思春期の子どもの力を育てていくというよりは、子どもが内在している力を引き出し、子どもみずからを力強くしていく手助けをすることです。

このように考えると「子育てとか教育とは、教えるというよりは引き出すことである」ということばの意味の深さが理解できます。 
コメント

「きちんとやりなさい」「ちゃんとしなさい」

2016年05月20日 06時37分15秒 | 校長からのメッセージ


「きちんとやりなさい」「ちゃんとしなさい」

この言葉は子どもに対して親がよく使います。学校の先生の中でも児童生徒に対してよく使われる言葉です。

しかし、考えてみればこのような言葉を子どもにかけたとき、実際に子どもに伝わっているのでしょうか。

「きちんと」や「ちゃんと」とは、どのようにすることが「きちんと」であり、「ちゃんと」であるか、説明できますか。

もしあなたが具体的に言えないのなら、子どもはもっとわからないでしょう。

では、どのように「きちんと」するのか、「ちゃんと」するのかが、わからない子どもには、どういったらいいのでしょうか。

たとえば、親が電話で知人と話している横で、子どもたちが騒いでいるとき・・・。

「ちゃんと静かにしていなさい!」というよりも「いま電話をしてるのよ。いまの声の大きさが10としたら、5の大きさで話してな」

このように、子どもに何かメッセージをつたえるときには、具体的に冷静に伝えることで、子どもは親の意を理解します。
コメント

詩:友だちがいるって悪くないよ

2016年05月18日 07時38分26秒 | 校長からのメッセージ



これは言わないでおこう とか
ここはあわせてうなずいておく とか
友だちっていっても ビミューだよね
かけひきしたり 使い分けたりさ

幼稚園からずっといっしょの おさななじみのあいつとは
好きなバンドも 服もちがうから
最近は話があわないけど
いっしょにいて それぞれ好きなことしてても
話さなくても 平気なんだ
そういうのは 安心するよ

あの子は 女どうしではキツイこと言って いじわるなのに
男子の前では 上目づかいしてかわいこぶるから
じつはけっこうきらいだった
でも あたしが好きな人とサヨナラした日に
いっしょに泣いてくれた
やさしいところも あるんだよ

いつも かならず信じられたり
どんなことがあっても 仲よくできる友だちってのは
まだ 見つからないけど
部分的にほっとできる友だちと
部分的につきあってるんだ
ちょっとさみしいけど
そういう
友だちがいるって 悪くないよ

出典:『中学生の巻 みんなのノート』(金子由美子・橋本早苗著、大槻書店発行)


この詩は、ある公立中学校の保健室を訪ねてきた中学生が「みんなのノート」に書き残した詩の一つです。

友だちグループの中で、「空気」を読むとか、相手に合わせるとか、自分だけが違ったことをしないとか、いろいろと気を遣って、いまの中学生は学校生活を送っていることが多いようです。

この詩を書いた中学生は、そのような気を遣わなければならない関係でも、友だちがいてくれるとありがたいと思っています。

けっこう気を遣いあう友達関係を認めたうえで、さらに、この人といっしょにいればほっとする、安心することができる、どんなときにも仲よくできる友達を見つけることもできるのが中学校の3年間です。心からうちとけることができる友だちをつくるのが中学時代かもしれません。
コメント

皐月に想う

2016年05月17日 07時08分21秒 | 校長からのメッセージ


その青葉には、
大地の底からの
ほとばしるような
力があふれ、
薫風と陽光に息づく
大自然のいのちが
刻々にあふれている。
(『続・道をひらく』より


爽やかな季節となりました。
校内の敷地も青葉が茂っています。
一面に新緑があふれています。

皐月まっただ中のいま、本日より中間テストが始まります。

1年生にとっては、初めての定期考査。
2年生にとっては、3年生に向けた「助走」のテスト。
3年生にとっては、これから何回も続くテストのスタートライン。

三中の生徒たちも、5月のそよ風と明るい陽射しをいっぱいに受け、いのちを輝かせほしいと願っています。
コメント

生徒会表彰される

2016年05月15日 00時03分45秒 | 校長からのメッセージ



保護者のみなさま、14日の授業参観・PTA総会・学年懇談会には、ほんとうにたくさんの方々がお越しくださり、ありがとうございました。

みなさんは三中校区しか見ていないので、お気づきではないかもしれませんが、土曜参観とはいえ、お父さんが授業参観にお越しになる割合は箕面市内でも、ダントツに高いと思います。

それだけ学校や教育に対する関心が高く、アカデミックな地域性だと感じています。

ということは、学校はそれに応えていくべきと認識しています。ありがとうございました。


🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

さて、5月13日には「いじめZERO活動」の取り組みを讃え、箕面三中生徒会が、大阪府民生児童委員協議会連合会主催の第68回大阪府民生委員児童委員大会で、平成28年度「子どもさわやか賞」を受賞しました。

地域の子どもたちの健全育成に貢献する活動を進めてきたという点が選考理由です。

前回の生徒会会長と副会長が、大阪国際交流センターでの表彰式に代表生徒として出席し、府下19校の代表として、表彰状を受け取りました。

受賞後には、これも代表で大阪府からインタビューを会長・副会長の生徒が受けました。
🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹🔹

なお、三中校区では「いじめZERO活動」を、今年度より、三中に加え、西南小、南小、幼稚園、保育所で進めていくことになっています。

中学生のシンボルは缶バッジですが、小学生以下の学校園所では、ストラップを配ることになります。

三中校区全体で、子どもたちのいじめに対する意識を高めていきたいと考えています。
コメント

「いじめZERO活動」1年生でも始まる

2016年05月13日 07時55分33秒 | 校長からのメッセージ




三中ではこのたび、1年生でも「いじめZERO活動」が始まりました。

いじめにをなくすための、生徒一人ひとりのメッセージが、いま1年生の教室前ローカに貼り出してあります。

メッセージカードと引き換えに、生徒会から缶バッジを生徒はもらいました。この缶バッジを身につけることは、「自分はいじめをなくしていきたい」という自己の意思表示です。

「三中っていじめZEROの活動をしている学校なのにいじめがあるのですか?」と、ときどき地域の人や保護者の方から言われることがあります。

活動をしていても、残念ながらいじめは起こります。今の中学生が置かれている現状からは、数の多い少ないはあれど、完全にゼロにするのは難しい状況です。

ただし、「いじめZERO活動」を進めることにより、いじめに関する生徒の意識が高くなり、いじめが起こりにくくなります。生徒の自治力が高まればいじめの未然防止につながります。かりにいじめが起こっても、深刻化する前に食い止めることができます。

いまの時代、生徒会活動や委員会活動のような自治活動は、子どもがたちが安心して学校生活を送らせようとするとき、鮮やかに色づきだすのです。
コメント

(続)なぜ勉強しないといけないの?

2016年05月11日 06時54分17秒 | 校長からのメッセージ


前回のブログで、勉強する意味は、同じ一つの物事、現象や結果、できごとなどを広く、深く、状況に応じて見ることで、考える力をつけるため、と書きました。

それは、「自分のため」という角度から勉強する意味をいったものです。

つまり、自分がより豊かに生きるために勉強する。それはその通りです。

しかし、あなたは一人で生きているのではなく、必ずといっていいほど、誰かと一緒に生活しています、生きています。

一緒の誰かとは、保護者のみなさんにとって代表的なのは、自分のお子さんです。自分が成長することで、わが子の力をもっと引き出すことができるのでないか、もっとわが子の成長に役立つことができるのではないかと思われることがあるかもしれません

あなたからみて、あのお母さんは立派なお母さんだと思う人が、近くにいませんか。

もし、いるなら、「あのお母さんなら、私の息子(娘)とうまく付き合い、息子(娘)の力をもっと引き出し、伸ばしてあげれるかもしれない」と、本音では感じるかもしれません。

でも、あなたはあなた。あなたはあなた以下でもないし、あなた以上でもないのです。お子さんにとっては、あなたこそが、かけがえのない親です。

「子育ては自分育て」といいます。親だからといって、完成した人格ではありません。親だって学習し、成長していくのです。

だからこそ、親自身も勉強しなければならないのです。人間は一生学習するのです。それが「生涯学習」の本当の意味です。

勉強は自分のためにだけするものではありません。あなたの成長を待っている誰かが、あなたの横にいるのです。

私自身、校長を務めるため、他の人のために、やはり学習を重ねています。ブログを書くため、学習しています。

勉強するもう一つの意味は、人の役に立つためにあると私は感じています。
コメント

なぜ勉強しないといけないの?

2016年05月09日 06時23分23秒 | 校長からのメッセージ


もうすぐ中間テストです。

とくに1年生にとっては、中学校での初めての大きなテストです。
学年で示す「テストの受け方」を理解して、一生懸命に取り組んでほしいと願っています。

さて、中学生が教師や親によく尋ねることの中に、「なぜ、勉強しないといけないの?」があります。

「何言ってんのよ。高校受験のためにきまってるじゃない。そんなこと考えているひまがあるなら、ひとつでも英語の単語を覚えなさい!」

これが、いちばん多い答え方かもしれません。これで、子どもが「しゃーないな」で、勉強にむかえば、それはそれです。

子どもが勉強するのがイヤで、勉強しなくていい理由をさがして、なんやかんやと聞いているだけなら、正対して答える必要はないでしょう。

「勉強をしたくない」という気持ちを受け止めるだけで、「やらなしょうがないな」という気持ちになり、勉強に戻る子がほとんどです。


しかし、子どもがなぜ勉強をするのかを真剣に考えて、勉強をする意味を問うているときは、話は別です。

たとえば、数学の因数分解をやって、どんな役にたつの?」とか「化学式を知ったからといって、生きていくのに役立つの?」。

このように、勉強の意味をさがして聞いているときには、勉強する意味を、私たち大人は言えなければなりません。

ただし、答えは一様ではなく、大人がそれぞれ考えていることを伝えるのでいいと私は思います。

私が思う勉強する意味は、一つの物事、現象や結果、できごとなどを広く、深く、状況に応じて見ることにより考える力を高めるため、ということです。

これを置きかえると、鳥の眼、虫の眼、魚の眼で物事を見るということです。

鳥は高い所からものを見るので、広く見ることができます。

虫は近づいてよくものを見るので、深く見ることができます。

魚は水の流れにのって見るので、時代の流れや状況に応じてものを見ることができます。

たしかに、勉強をしなくても生きていけます。生活していけます。しかし、考えることに関しては勉強をしていないと広がり、深まり、状況に応じるには、たいへん窮屈になってしまいます。

ですから、勉強によりたくさんの知識を身につけ、それらの知識を生かしていけるなら、生き方や生活の仕方を豊かにしていけると、私は思います。

実際、私自身も、テレビとかで大河ドラマを見ていると、中学生のとき習った歴史が鮮やかに蘇り、ドラマの内容と学習で得た知識がつながりだし、ドラマをさらに楽しめると実感します。

保護者のみなさんも、中学生が勉強する意味を、自分なりにもっておいてください。

コメント

思春期の子どもの子育てにひどく悩むときに

2016年05月07日 12時09分43秒 | 校長からのメッセージ


思春期の子どもの気持ちはたいへん不安定です。その不安定な気持ちをそのまま態度や行動に表す子どもと接したとき、親もたいへん動揺します。

たとえば、たいへん極端な場合、子どもは「死ね!このクソばば!」という反抗的な発言をとる場合もあります。

このようなとき、親も大いに動揺し、冷静でいることは難しく、「いったいどうしたらいいの?」と思い悩みます。

このような場合、親本人が子ども時代の自分を思い出してみてはどうでしょうか。いまの子どもの態度に、あなた自身の満たされなかった少年・少女時代が重なってきませんか。

もしオーバーラップしてくるのなら、今の子どもの姿に、過去の満たされなかったあなた自身の姿を見つけ出し、わが子の反抗的な態度が許せなくなっているのではないでしょうか。

そうであるならば、親は自分の過去を客観的にふりかえってみましょう。

たとえば、
「いじめにあって辛かったのに、誰も聞いてくれなかった」、
「父親から暴力をふるわれたが、相談する人がいなかった」など、
悲しかったこと、辛かったことを思い出して、自分が封印していた心の整理をしていきます。

姜尚中さんは、「吾輩は過去である」(=過去こそが自分のすべてである)とおっしゃっています。

歩みだすことも、引き下がることもできず、立ちすくんでいる子ども時代の自分に向き合い、それでも自分は今ここに生きているという自覚にいたったとき、あなたのSTORY(=HISORY)ができあがります。このとき、わが子の思春期の反抗に接する親の態度に変化が生まれてきます。
コメント

ちはやふる

2016年05月05日 06時49分43秒 | 校長からのメッセージ


映画「ちはやふる 下の句」を観ました。上の句も以前に観ています。

「千早ふる(ちはやふる) 神代も聞かず 竜田川 韓紅に(からくれないに)水くくるとは」
(在原業平)


[訳] 不思議なことが多かったという神代でも、こんなことは聞いたことがない。竜田川の水を、紅葉(もみじ)の葉が紅(くれない)にくくり染めにするなんて。

「ちはやふる」は神にかかる枕詞ですが、映画での解説によると、例えばこまが速くまわり、まるで消えて止まっているような状態をいうとのことです。

それに対し、「荒振(あらぶ)る」とは、こまが雑にまわり、不安定な状態という意味です。こまはいつ止まるかわからないそうです。

千早振るこまの回転は、静止しているように見えても、その回転は猛烈に回っており、まわりのどこからでも触れれば触れたものが弾きかえされる力を持ちます。

千早振る状態は、旋回によって生まれた中心軸が、周囲へ向かってエネルギーを放射し、中心に向かって吸収する力を兼ね備えているとのことです。

「ちはやふる」はわたしたちが目指すべき姿であり、生きて動いていながらエネルギーを発して 、吸収もする。
このような人の生き方に通じるものです。


さて、映画の主人公・綾瀬千早(=広瀬すず)は、ちはやふる勢いで、瑞沢高校かるた部のメンバーてして、かるた(百人一首)の大会の個人戦でかるたクイーンと対戦します。

詩暢は松岡茉優扮する最強のかるたクイーンで、「団体戦はかるたが好きでない者がするもの。ほんとうにかるたを極める者は個人戦にしか出ない」と言い放ちます。

しかし、千早には、彼女を応援する瑞沢高校かるた部の仲間がいます。仲間に支えられ、励まされ、カッと目を見開いた千早はかるたクイーンに果敢に挑んでいきます。

学校の教師である私には、やはり仲間の大切さを痛感していますので、クイーンの生き方よりも、綾瀬千早の態度に共感しました。

ところで、高校でかるた部がある学校はさほど多くはないですが、近隣では大阪府立吹田東高校は全国大会にも出るほどの活動をしています。

「ちはやふる」は三中の子にも、ぜひ観てほしい映画です。できるなら、GWの間にお子さんを連れて観に行ってください。





コメント

経験を糧とする

2016年05月03日 16時29分26秒 | 校長からのメッセージ

ついこの前まで、「寒い、寒い」とつぶやき真夏の暑さを恋しく思っていました。

しかし、暖かくなってくりると、今度は「暑い、暑い」と言い始め、真冬の寒さを懐かしく思うようになるのでしょう。

人は逆境にあると、周りの人々の支えを心底ありがたいと感じます。

しかしうまくいきだすと、ありがたいという気持ちを忘れ、他者への不満さえ言い出すことも多くなります。

かくも、人は勝手なものです。人間はとかく過ぎてしまったことは忘れやすく、いま自分が置かれている状況に不満をもちます。

暑さ・寒さならば、そのうちに季節とともに緩んできます。しかし自分が直面している現実は嘆いていても打開できないことが少なくありません。

大切なのは、つらいことも楽しいことも、すべて自分にとっての体験と受け止め、一つひとつを自分の肥やしにしていくことではないでしょうか。

私自身、前任の箕面六中での校長を務めていた期間に経験したことが、今の三中での糧になっていると感じます。

困難なことでも、周囲の力を借りながら、乗り越えることができるかもしれない。また、困難なことに直面している人には、なんらかの役に立てればいいと思います。
コメント