箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

感染症対策と話し合い活動

2020年06月30日 08時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校は平常登校が始まったとはいえ、新型コロナウイルス感染防止の対策は、授業時にも必要です。

休校になる前には、児童生徒相互の話し合い活動を取り入れた授業がやっと浸透してきて、どこの小中学校でも行われようになってきたところでした。

でも、今回の感染防止策として、教師が一方的に説明する授業に戻ってしまっては残念です。

感染症対策をしながらも、話し合い活動は行いたいものです。

そこで、考えられる話し合い活動を紹介します。

まず子ども同士の間隔はあいていることが絶対条件です。

次に、話し合い活動は1時間の授業で1回だけにします。

教師は、いちばん話し合わせたい場面を絞り込んで、1回だけ話し合い活動を設ける計画で授業に臨むのです。

机と机が離れている状態で子どもは向き合って話し合うことになります。

この状態では、子どもは自分の考えを伝えにくいので、タブレットを使い、自分の考えたことを画面に書きます。

その画面を他の子が見ることができるように、グループで画面共有します。

タブレットがなければ、スケッチブックにマジックで書いて、表示します。

または、一人一枚のミニホワイトボードに書きます。

グループの他の子に見せ合います。

密を避けるために、子ども同士の話し合い活動はできないと思ってしまった段階で、授業実践は思考停止してしまいます。

工夫をすれば、話し合い活動のある「協同学習」はできます。



保育士をねぎらう

2020年06月29日 08時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
小学校に入るまでの幼児の育ちにとっていちばん大切なこと。

それは大人との身体接触です。体と体の触れ合いです。いわゆるスキンシップです。

ジョイント・アテンションという言葉があります。

たとえば、小さな子がお母さんの背中におんぶされ、公園を散歩していました。

すると、公園の樹木から、突然一羽の鳥が飛び立ちました。

お母さんは、小さな「アッ!」という声をあげて、鳥の方を見ました。

すると、背中におんぶされている子も、お母さんと同じ方向を見上げます。 

これが、ジョイント・アテンションというもので、密着した関係では、母親がするように幼児もするのです。

このようにして、小さな子どもは、大人とのかかわりの中で、成長していきます。

小さな子どもにとって、いかに大人との身体的触れ合いが大切かということです。

ところが、今回の新型コロナウイルス感染防止のためには三密回避が不可欠と言われます。

保育所や保育園では、保育士が子どもと一定の距離を取らねばならない、マスクをして保育をせざるをえなくなっています。

これは、子どもの成長にとって、少なからぬ影響が出るのではないか。わたしは心配しています。

保育士がマスクをしていると、小さな子どもには、顔の表情が見えません。なかには、口の動きを見て、何を言っているかを理解する子もいます。

そのため、ある保育園では、保育士が顔写真を胸に貼り付け、保育にあたっていると聞きます。

また、小さな子どもは、大人との肌の触れ合いで、心理的に安心します。そして情緒が安定します。

いかに、保育士が苦労をして、保育所を運営されているかは、容易に想像できます。

また、保育園は学校が臨時休校している間も、社会からの要請を受け、開いているところが多かったのです。

たしかに、医療従事者は、コロナ対策の最前線で奮闘されています。

しかし、保育士も子どもと親、そして社会を支えてきているのです。

もっと、人びとは保育士の奮闘に想いを寄せ、その苦労をねぎらっても、ねぎらいすぎるということはないと思います。

また、行政はもっと保育士の人員配置を手厚くして、処遇改善をはかるべきだと思います。



オンライン授業が問いかけるもの

2020年06月28日 07時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染防止の必要から、一気にオンライン授業が拡大しました。

ただし、オンライン授業が拡大する前から
タブレットを使い、インターネット上の授業を行う学習はありました。


たとえば、箕面三中では、2016年に総務省の「ドリームスクール」の実証実験のため、2年生数学で、オンライン授業を試行的に行いました。

そのあとも、国内ではオンライン授業が行われてきたのですが、今回の休校措置により、一挙に、とくに大学を中心に広がったのです。

オンライン授業は、どこにいても、さらには国境を超えてでも、画面を共有できます。人どうしが心を通わせることもできます。

私も大学生とオンライン講座をしていますが、こちらの言うことや質問に対して、対面しているのと同じように答えてくれます。

少なくとも、双方向のコミュニケーションは成立します。

ただ、オンラインの場合、視覚から得る情報は、実際に対面して話すリアルな面談よりは、どうしても少なくなります。

そのぶん、相手の話す内容から情報を吸収しようとする度合いが大きくなります。

だから、面接などの場合は、視覚情報つまり第一印象に強く引っ張られることがないぶん、オンラインはむしろ対面式より効果的であると言えるかもしれません。

また、大学生の場合、キャンパスに行けず気の毒だという世間的な見方はできます。

しかし、当の大学生本人たちは、我慢して学習しているというよりは、新型コロナ流行の「いま」にあって、楽しみながら、学んでいると言えないこともないようです。

残念だという思いや、悲壮感という言葉は、あまり感じられないようにも思います。

このような変化の中で、学習のスタイルが変わってきているようにも、私は思います。

今までは、「一斉授業=全員履修」だったのが、オンライン授業の拡大により、「個別学習=個に応じた習得」へと変化してきています。

これは、さらに深まっていくと、学校・大学という「場」で、対面する教員という「人」だけから学ぶという学習の形態が変わっていくという意味です。

ただし、いいことばかりではありません。家庭環境の差が、学習が可能かどうかに影響します。

また、学習者に自律した学習態度が必要です。自己調整ができる力をもっていないと、学びから外れていく心配があります。

また、長年中学生を教えてきた教職経験から思いますが、授業によって生徒に伝わるものは、知識技能や思考力・表現力だけではなく、それ以上の、もっと人間的なものであるということです。

このように考えると、オンライン授業は、ある意味で、教師というものの存在意義そのものを問いかけているとも言えます。



新型コロナウイルスが照らし出したグローバリズムの課題

2020年06月27日 07時30分00秒 | エッセイ
グローバル化は、今回のコロナウイルス感染症の世界的な流行で、その負の側面を照らし出しました。

まず、人が国境をこえて動くことで、コロナウイルスが、国と国をこえて持ち込まれ、世界的な感染拡大につながりました。

もう一つは物流です。日本では少し前までは、ものづくりの品質の高さを売りにしていました。

自動車は性能が良く、コンパクトで燃費がよく、省エネでありながら、高いパフォーマンスをもち、世界でのニーズが高まり、それが日米貿易摩擦に発展したのが、1980年ごろでした。

ソニーがウォークマンを売り出すと、その発想と商品コンセプトは、世界で支持されました。

このように、日本経済は国際競争力の高い製品を作り、発展してきました。

もちろん、今でも、日本製の製品の品質には定評があります。

しかし、その後中国や東南アジア諸国が、科学技術を発展させてきて、すぐれた製品を製造するようになり、日本製品の優位性が薄れてきました。

そこにグローバル化の流れが重なり、日本企業は利益を上げるため、賃金の安い国に生産の拠点を移してきました。

このようにして、日本の製造業は「空洞化」していきました。

今回、マスクや医療ガウンが手に入らなくなったのは、国外でほとんどを製造していたからです。

その国が供給をストップすれば、日本国内では品薄になるのです。

この方法は、短期的に見れば利益は上がるでしょうが、長期的に見れば10年後、20年後には、自国の製品供給網は弱くなります。

安いからという理由で、主軸となる製品の生産や部品組み立てを外注すると、自社で作らないとわからない技術も失っていきます。

いまや、利潤の追求だけが企業の使命ではないのです。

国民の健康と安全に必要不可欠な食品、医療機器、葉を電子機器など、それに関連する資材などは、他国に依存せず開発して、製造して、調達しなければ先ゆかなくなるでしょう。

JAPAN AS NO.1と言われていた時代は、私が就職した頃でした。

それにあぐらをかいている間に、世界情勢は大きく変わり、IT業界は遅れをとり、日本経済はいまや閉塞状態にあります。

その中で、いまの子どもたちがどんな将来を展望して、未来の夢や目標を描くかとなると、学校教育の課題につながっていきます。

私は、もっと人が一人ひとり尊重され、人同士がつながりあい、生きていく。

しかし、日本国内だけの「内向き思考」ではダメで、多様性を認め、共に地球市民が生きていく方向性の中に、日本社会の未来があると思います。

もう、後戻りはできません。


「導き」ができる教師

2020年06月26日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ

教師にもいろいろな人がいますが、真剣に子どもに向き合ってきた教師なら、子どもに伝えたい信念をもっています。

 

将来のためには、子どもはこれを身につけなければならない。


子どもの成長のためには、いまはこうしなければならない。

 

このような信念や強い思いがあるからこそ、子どもに向き合うエネルギーが湧いてきます。

 

そして、子どもが直面している壁を乗り越えたときに、それを本人の自信に返していくことが大切です。



 

ふつう、子どもの気持ちを受け、それに寄り添いサポートしていくことが教師には望まれます


そのときには、教師はその段階での子どもの願いに沿うような支えをします。

 

でも子どもの将来や子どもの成長のためには、寄り添うというより、あえて一歩高みの段階へ引き上げたり、一歩高い目標をねらわせたりすることも、その教師に確固たる信念があるからこそできることです。

 

自分の経験ですが、以前、1・2年生では、ほとんど登校できなかった生徒がいました。


3年生から登校するようになりました。


その生徒に対して、青少年弁論大会に出るようにすすめました。


その誘いかけに、最初、その生徒は迷っていました。


学校にくるだけでも精一杯である生徒に、一人でたくさんの人の前で弁論させるのは、生徒の気持ちに寄り添うなら、そっと見守り、極度な緊張感に出会わせることは避けるのがふつうでしょう。


しかし、自分の不登校だった過去を弁論することで、その子に自信をつけることができる。


その信念でその生徒にかかわりました。


その生徒は、出場を決め、練習を重ね、当日立派に自分の歴史を振り返り、将来に向けた展望を、弁論で語ることができました。


臨床心理士をめざし、大学は心理学を選びました。



そういった教師のかかわりは、サポートするというよりは「導く」という言葉がピッタリとくると思います。

 

これを乗り越えたら本人の自信になる。そして意欲を自分で出すことができるはず。


この熱い思いがその教師を裏打ちしているのです。


オンラインとリアルの両方

2020年06月25日 07時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
この4月から教諭になった学校の教員にとって、初任者研修は、教員としての力をつけていく大切な機会です。

そもそも、この3月まで大学生だった人は、在学中に学校現場で研修を一定程度積み、4月から学校に着任して、バリバリ働くという研修制度は学校の教員の場合、ありません。

4月1日よりいきなり「学校の先生」として、教職経験の豊かな教員に混ざって奮闘することになります。子どもや保護者からは、「せんせい」と呼ばれます。

そして、現場に着任してから、研修が本格化します。
この研修は教育委員会が「官制研修」として主催します。

研修日の午後には、初任者は学校を離れてて、集合型の初任者研修会に出席します。

研修会は、年間に13回ほど開催されます。その度ごとに、研修場所まで移動していました。

たとえば、大阪府箕面市の小中学校の初任者は、府内をブロックに分けた一つ、豊能地区(池田市、豊中市、箕面市、能勢町、豊能町)の一つの会場に、一堂に集まり、研修を受けます。

ところが、今年度は、今回の新型コロナウイルス感染防止のため、現在、集合型研修をせず、リモート研修に変更になっています。

それで、研修がどうなったかと言えば、講師の講演を聞く研修なら、リモートで十分できるということが明らかになってきています。

参加者は、講演を聴いてレポートを提出します。質問があれば、チャットに書き込めば、回答をもらえます。

主催者も会場確保をしなくてすみます。会場までの旅費(交通費)も支給せずにすみます。

また、初任者は受け持ちの子どもを置いて、学校を離れるということをしなくてすみます。

今後も、オンライン研修会は、新型コロナウイルスがおさまっても、続いていくのではないかと、私は考えます。

ただ、オンライン研修は、主催者からの一方通行の情報提供になりがちになりがちです。

だから、初任者のニーズが高い教育項目を研修内容にとりあげるとか、教育委員会のなかでも、若手職員が研修課題を設定するなどの工夫が必要になるでしょう。

さらに、教職は、多様な子どもと接し、保護者からの理解・協力を得るなど、ある意味で対人関係の専門職という側面があります。

対面して、相手の表情や所作・雰囲気などを見て、言葉を交わしていき、コミュニケーションのスキルを上げていきます。

その仕事内容を考えれば、オンラインではなく、リアルな対話を身につける研修が必要です。

今後は、オンライン研修でいい部分とリアルでしか見ることのできない部分の、両方のメリットを効果的に展開する教員研修が求められるようになるでしょう。

また、教職にかかわらず、企業の入社面接や新人研修も、オンラインでいける部分とリアルでしかいけない部分の両方のメリットを組み合わせて、効果的な方法が用いられることになるでしょう。




あたたかい言葉

2020年06月24日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ

教師は、生徒に対して、言葉を正しく使い、その場面にあった表現を使えるように指導するべきです。


授業は公式の場です。教職経験の少ない、若い先生の授業での言葉づかいに対して、先輩教師が指導します。


「〇〇やねん」でなく「〇〇です」と言いなさいと直したりします。

 

では、次に生徒が使う言葉に対して、教師がどう応対するかについて、考えます。


たとえば、いまの若者言葉(JK語)のひとつに「ぴえん」があります。


悲しいことに出会ったとき泣く」という意味を表す言葉ですが、多くの教師は、生徒が「ぴえん」と言ったり、書いたりしたとき、注意をして直させるのではないでしょうか。


「悲しかった」とか「残念だった」と言いなさいとか、書きなさいとか。


私も、言葉を直すように指導すべきだとは思いますが、言葉には感情交流ができる役割もあります。


「ぴえん」は泣き声の「ぴえーん」から来たもので、響きがよく、使いやすいし、目をうるうるした顔の絵文字といっしょに使う若い子が多いようです。


感情をうまく伝えることができるので、言葉としては正しくないけれども感情の交流はうまくできるのでないかと思います。


だから、「ぴえん」は言い方としては適切でなくても、言葉としては生きているのでないかと考えられます。


どんなに正しい言葉でも、生徒の心の中に入っていかない言葉は「死んでいる」言葉ともいえるのでないかと思います。

 

SNSでの誹謗中傷の言葉で、先日、女子プロレスラーが亡くなりました。ひいては昨今の思春期の子どもたちの言葉の問題には、心が痛みます。言葉は人を傷つける「凶器にもなることがあります。


「受けた言葉は、今までずっと私がいちばん私に思っていました」。体の中から絞り出されたような言葉に、胸がえぐられるようなつらさを感じます。

 

言葉は、自分が使った言葉がどのように相手に伝わっていくかは、体験しながら獲得していくところが大きのです。

失敗しながら身につけ、わかっていくのが人間なのです。


ただし、言葉を「凶器」にしてはならないのです。また、たとえ「凶器」として使われることがあったとしても、それをうまくかわせる人であってほしいとも思います。


純粋で心優しい人が、ひどい言葉を全身で受け止めてしまった哀しさがこの事件にはあるように思います。

 

学校教育の場で、子ども同士があたたかい言葉を交わせるようになるには、教師自身が自分と他者を大事にして、日常生活の中であたたかい心を伝えることができるようになることだと、わたしは思います。


そのモデルをもとにして、子どもは自己を大切にするようになっていくのでしょう。


沖縄慰霊の日 6.23

2020年06月23日 20時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
沖縄は今日6月23日、「慰霊の日」を迎えました。

75年前、沖縄県民の4人に1人が犠牲になったと言われる、唯一の地上戦である沖縄戦。

最終の激戦地となった糸満市摩文仁の丘に築かれた「平和の礎(いしじ)」で、本日追悼式が行われました。

平和の礎がある沖縄平和祈念公園には、毎年たくさんの修学旅行生が訪れます。

今年は、新型コロナウイルス感染症拡大のため、修学旅行生は激減しました。

現地に行き、平和の尊さを知ってほしかった、感じてほしかったと思います。

  
沖縄県立首里高校3年生の高良朱香音さんが、式典で平和の詩「あなたがあの時」を朗読しました。

その一部を引用させてもらいます。


「あなたがあの時」

・・・・・・・・・・・・・・・

ありがとう

あなたがあの時
あの人を助けてくれたおかげで
私は今 ここにいる

あなたがあの時
前を見続けてくれたおかげで
この島は今 ここにある

あなたがあの時
勇気を振り絞って語ってくれたおかげで
私たちは 知った
永遠に解かれることのない戦争の呪いを
決して失われてはいけない平和の尊さを

・・・・・・・・・・・・・・・
あなたがあの時
私を見つめたまっすぐな視線
未来に向けた穏やかな横顔を
私は忘れない
平和を求める仲間として






平和の願いよ、届け。6月23日。


転んだら起き上がる

2020年06月23日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ

黒人男性が警察官に首を押さえつけられ亡くなった事件を発端に、アメリカで抗議活動が広がっています。


アメリカでの黒人差別問題への抗いは、長い歴史があります。

「I Have a Dream」は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが人種平等と差別の解消を呼びかけた有名な演説です。

「人生山あり、谷あり」と言いますが、

 

生の価値とはけっして転ばないことにあるのではなく、転ぶたびに起き上がり続けることなのでしょう。

 

南アフリカ共和国の大統領だったネルソン・マンデラが残した言葉です。

 

南アフリカ共和国では、アパルト・ヘイトの人種差別がかつて浸透していましたが、彼はその根絶に取り組みました。

 

その反対運動により、捕らわれの身になり、27年間も獄中生活を強いられました。

 

彼は、それに屈することなく、人種差別を撤廃させました。

 

私は、「転んだら、なにかをつかんで起き上がれ」をモットーにしていますし、中学生にこの言葉を何度か伝えてきました。

 

人が一生を過ごすなかで、失敗や挫折は避けることができないでしょう。

その失敗から学ぶとか挫折をバネにして不屈の態度で生きる。

 

このような教訓を、ネルソン・マンデラが教えてくれます。


インフォーマルな空間と時間

2020年06月22日 08時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ


中学校にはさまざまな教職員がいますが、おおまかに言えば、教師と生徒がいます。

お互いの関係は、教師と生徒という関係性です。

関係づくりはすぐにできるものではありません。

でも、たとえば授業とかの場面ではなく、授業が終わり職員室まで戻る教師が廊下を歩きながら、ついてきた生徒と話す。

経験上、わたしは思いますが、歩きながら話すと話しやすいのです。

「ぼくが中学の時、こんなことがあって、先生ともめてね。夕方、親とぼくの二人が学校に呼び出されて、・・・」。

それを聞いた生徒は、クスッと笑い、「先生もやんちゃだったんだ」と言われる。

こんな場面は、教師と生徒というフォーマルな関係ではなく、人と人の関係に変わっているのです。

こうなると、生徒は自分の家庭生活を話してくれたりします。

「うちのお母さんはね、・・・」。

「そうか、あんまりお母さんに心配かけたりしないように」と話すと、歩みよりができます。

「うん、わかった」。

こんなインフォーマルな空間と時間が、大切なのです。

いまは、新型コロナウイルス感染防止で、こんなゆったりとした機会はなかなかもてません。

でも、こんなひとときが、教師と生徒の関係について、とても大切だと思います。

9月入学は熟慮するべき

2020年06月21日 07時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス感染拡大のための臨時休業で、できなかった授業の時間をとり戻そうと9月入学を導入しようという案が政府から突然出されました。


検討チームは1か月ぐらいの検討で首相に導入の見送りを提言しました。そして9月入学案今年度からでなく、中長期的な課題として検討することになりました。


そもそも政治主導で出される提案(発案といってもいいし、「思いつき」と言ってもいい)は、今回の学校の臨時休校についても同様で、「国がきめたからこうなります」というように国民への影響力が強現場が混乱するという危うさをもつことが多くあります。


今回のコロナウイルスに対しては、今まで経験したことのない対応で、学校現場がアタフタとしながら、多忙をきわめているときでした、


そのときに、突然9月入学・始業の制度を導入しようとするのは、学校関係者にさらなる過度の負担と混乱を強いることになるのは、容易に想像できることでした。

 

ある評論家が、「教育のグローバル化のためには、コロナ禍の今だからこそ、9月入学を導入するのです」という意味の発言をしていましたが、とんでもない話です。

 

教育のグローバル化のために9月入学を行うのであれば、義務教育ではなく、高等教育で入学・卒業の時期の多様化をはかっていけばいいのでないかと、私は考えます。

 

それよりも、義務教育では感染予防のための「三密回避」を考えたとき、1クラスの児童生徒数が多すぎることがいちばん大きな問題です。


また、オンライン学習や家庭学習の必要性が今回、クローズアップされました。


その点でも、子どもの学習状況をていねいに把握して、個別の学習ニーズに応えるためにも1クラスあたりの児童生徒数を減らすべきです。

OECD諸国の中でも、日本の学校のクラスの人数は国際基準に照らしても、多すぎます。

 

その検討と同時並行で、9月入学を展望していくべきです。


そもそも、9月入学案は、臨教審(臨時教育審議会)で今までに何度も検討されてきたのですが、企業の採用時期、人事面など、ほかの社会システムとの調整が必要と考えられていました。


拙速に小学校から高校までを一気に9月入学に移行させる案は、乱暴すぎます。

 

それを受ける学校関係者の戸惑いを考慮せず、トップダウンで物事を進めるのでなく、熟慮することで、新しい制度は導入すべきです。


時を超えた実感

2020年06月20日 06時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大阪府では、緊急事態宣言解除後、児童生徒全員が登校する平常登校が再開して、1週間が経ちました。

教職員は、感染防止のため、一人同士の距離の確保、手洗い・消毒、給食の実施など、こころを砕き、かなり疲れた1週間でした。

その一方で、いまの子どもと先生の気持ちを如実に表す言葉があります。


孔子は『論語』の中で、こう言われました。

子曰(いわ)く、学んで時に之(これ)を習う

亦(ま)た悦(よろこ)ばしからずや

朋(とも)あり、遠方より来たる

亦(ま)た楽しからずや


先生はこう言われた。いくつになっても学習するのはいいものです。
遠くから友だちがやってきて、みんなで集まって、学習するのはとくに楽しいです。

これは、長い間の臨時休校後に登校してきて、教室で学習できた児童生徒の気持ちではないでしょうか。

一人で学習するのもいいが、友だちと一緒にできるのは、やはり楽しいのです。

その子たちを迎えいれる学校の先生も、やはり楽しく、うれしいのです。

中国の古典は、時を超えた人の実感を、現代社会に伝えています。






ほかに使っちゃいました

2020年06月19日 07時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ

あるNPO法人が、生活困窮世帯を対象に行ったアンケート調査結果があります。

インターネット環境がないとと答えた家庭は約6%でした。

インターネット環境があると答えた家庭のうち、通信量の無制限が約7割、制限があるが約2割でした。

家庭に子どもが自由に使える端末は、スマートフォンのみが、全体の約三分の1、いずれもないが1割ちょっとでした。

この状況のもとでは、新型コロナウイルスの感染拡大防止のための休校期間中に、子どもがオンラインの学習ができた/できなかったという格差につながったと考えられます。

公教育の絶対的な原則は、学校教育の中で家庭環境に関係なく、すべての子どもに同じ教育機会を保障することです。

これは、自治体がすべきことです。しかし、今回の休校期間で明らかになったことは、日本の教育の分野でのICT環境の整備はきわめて遅れているということでした。

文部科学省の4月16日時点での調査では、全国1213自治体のうち、デジタル教材を使うのは3割で、双方向型のオンライン授業をするのはわずか5%でした。

は、国はICT整備に、何もしなかったのでしょうか。

そうではありません。国は、今の「GIGAスクール構想」より前に、「教育のIT化に向けた環境整備4ヶ年計画」で、地方公共団体に財政措置をしてきました。

2014年度から2017年度までの4年間、単年度約1,678億円(4年間総額約6,712億円)もの地方財政措置が講じられてきました。

このお金で学校に電子黒板や無線LAN、タブレット、学習アプリなど整備してくださいというものでした。

ところが、他にお金がいるからという理由で、ICTは後回しにして、他にお金を使った自治体が多かったのです。

(なお、この財源を教育のICT化に使った自治体は、今回の休校期間にデジタル教材やオンライン授業を実施できています。)

そして、今回、「いやー、うちの市の学校では機材が揃ってなくて、オンライン授業ができないのですよ」と、言っているのです。

地方自治体はどこも財政難で、他にお金を使う必要があるのもわかります。

でも、教育にお金をかけないと、社会は発展しません。

学校教育で児童生徒を育てるのは、日本の未来社会への先行投資という側面があります。

せめて、地方行政の関係者のみなさんは、後ろめたさを感じながら、「じつは、ICT用の予算は、ほかの事業に使ってしまいました。児童生徒のみなさんには、申し訳ないのですが、一人1台のタブレットをお渡しできていません」と正直に言うべきです。







誹謗中傷されれば傷つく

2020年06月18日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
SNSでの誹謗中傷の書き込みが問題になっています。

先般、著名人を自殺に追い込む事件が起こりました。

わたしは学校教育に従事する者として、人を傷つけるような誹謗中傷は許されないと、生徒に言ってきました。

言葉一つで、人を励ますこともできるが、人を傷つけるのも言葉であると伝えてきました。

そして、わが国では誹謗中傷がよくないという良識が、けっこう多くの人びとの意識に浸透していると思っていました。

しかし、インターネット上のひどい書き込みは、匿名性という「よろい」を身につけ人により行われます。

匿名性のため、人は思慮がたりなくなり、受けた相手を深く傷つける言葉を発したり、表現する「自由」を行使することが平気になります。

インターネット上の誹謗中傷を書き込んでいる人に、被害者は法的措置を取れないのでしょうか。

それはかなり難しいのが現状です。

まず、サイトの運営者に書き込みの発信者を開示するように請求するだけでも時間と労力がかかります。

開示請求を弁護士に頼めば、最低50万から60万円ほども費用がかかります。

かりに、開示請求が通り、相手のIPアドレスがわかっても、プロバイダーがもつログ情報の期限が切れていて、書き込み相手の特定にまでたどり着かないこともあります。

こんな状況を鑑みて、発信者の特定を簡単にするための制度改正を、現在、国は進めています。

人が考えや意見を述べる自由は許されるべきですが、面識も話したこともない特定の個人に対して書き込みをするのは慎重になるべきだと思います。

相手は感情をもつ人間だからです、誰だって誹謗中傷されれば、気になるし、傷つくのです。

学校教育の中でも、SNSの正しい使い方を教育するのは、今の時代を生きる子どもにとって、喫緊の課題です。

安易な書き込みはたやすくできますが、受ける側には人が控えているのです。その人の気持ちに想像力をはたらかせたいのです。





心の琴線に触れる教師

2020年06月17日 06時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ

教師はアンテナをもたないとつとまりません。

 

そのアンテナとは、子どもの心をキャッチするセンサーのようなものです。


生徒の外見的な様子から、「なにかいつもと違う。学校生活や家庭生活で、何かあったのではないか」と気になるセンサーです。

 

「Aはいつもと様子がちがう。落ち着きがない。なにか心配事でもあるのでないか」


こう思った教師が、その子にアプローチして話してみると、お母さんが病気で入院して不安な気持ちであることを打ち明けてくれるといったケースが実際にありました。


教師の中には、子どもの心の状態を直感的につかむことのできる人はいます。でもそんな人は、ごく一部の教師です。


多くの教師は、日々の教育実践からの経験をもとに、子どもの置かれている状況をキャッチして、その子に必要なサポートや指導をしていくのです。

 

学校、とくに中学生の場合、十分な信頼関係が築かれていないままに、教師が子どもの心の深い部分にいきなり立ち入るのは、難しいものです。

思春期を迎えた中学生が相手なら、なおさらです。


教師が熱くなり、「さあ、悩みを話してごらん」と促したところで、「ハァ? ウザー!」と言われるのがオチです。


実際、経験年数の少ない教師の場合、無自覚に、土足で生徒の心に足を踏み入れ、生徒との人間関係がまずくなってしまうこともあります。

 

そこで、どの教師にも実行できるのは、まずは、その子が好きなことや得意なことを聴くことです。

若い教師はまずこれを実行するように伝えています。

 

どの子にも、それぞれ好きなことや得意なことがあります。それほど突出した才能や知識・技能でなくても、本人がとにかく好きなことや得意なことに耳を傾けることです。


これは、とくに特別な訓練やスキルがなくても、できることです。

 

そして、生徒が話す内容を、大人の尺度で否定したり、価値判断をせず、いったんは受け入れます。

 

たとえば、電車・鉄道、クルマ、ロボット、アニメのキャラクター、アイドルオタク、ネット動画、You Tuber、スポーツ、ネイル、ツイッター、スイーツ・・・。


これらは、大人にとっては、とるにたらないものと思うかもしれません。それを長い時間じっと聞くのは、しんどいかもしれません。


それで、相手をこバカにしたように笑うのなら最初から聞かないほうがマシです。

 

でも、子どもは、自分が語ることを聴いてくれ、共感してくれるおとなに対してはよく話し、またその大人の話もよく聞こうとするのです。

 

そこから、おとなは子どもとつながることができます。子どもの心の琴線にふれる働きかけができます。