箕面三中 校長室からのメッセージ

おもに保護者のみなさまに向けたメッセージです。生徒の近況を伝えるとともに、教育と子育てについての情報をお伝えします。

しつけることは、子育ての基本

2015年09月30日 22時09分39秒 | 校長からのメッセージ



子どもは中学生になると、小学生の頃とはちがった態度を見せることがよくあります。
親の戒めの言葉に反抗し、言葉もきつくなり、ときには、いわゆる「憎まれ口」を言う場合もあります。

その態度に対して、親はつい腹が立ち大声で応酬します。そして声を大きくすると、相手も大きな声になる。そうなるとよけいに反発するようになる。・・・
どうしたらいいの?と悩む親がいます。

親が子どもをしつけるやり方や子どもへの言葉かけには、じつは対応法があります。この対応法はいろいろとあります。

たとえば、口うるさく言わない、「売り言葉に、買い言葉」を言わない。子どもを傷つける言葉を言わない・・・などが対応法の例ですが、詳しくは過去のブログに書いていますので、ご覧ください。

ただ、これらの対応法には、それらの基礎になる子育てのセオリーがあります。

それは「やってみせ、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」です。

この有名な言葉は山本五十六のもので、企業や組織における人材育成の金言となっていますが、子育てにも通じる名言です。

子どもが小さい頃は、子どもを前にして親がまずやって、モデルというか手本を見せます。そして、子どもはそれを模倣します。

そして「これはね・・・」と、おこないの理由や、「こういうときに役立つんだ」とおこないの意味を語ります。

そのあとは、子どもが実際に自分でやってみます。やったあとにはほめること(肯定的で効果的な評価)で、子どもは、しつけられていきます。

「しつけ」という言葉に漢字をあててみましょう。「しつけ」は、「躾」となります。身体の動きが美しい、つまり、親が自分の行動を調整しながら示し、子どものよき手本となって、人として望ましい行動を見せるのです。子どもはその美しい行動から学びとっていきます。

親による「しつけ」から、子どもは家族や社会の一員として、どうふるまうべきかを学びます。そして、子ども自身が自分を律する(=コントロールする)力を身につけることが最終の目標なのです。
コメント

多いと感じるか、少ないと感じるか?

2015年09月26日 17時56分41秒 | 校長からのメッセージ


 雑誌にこのような記事が載っていました。
🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸
電通総研が、「『若者×働く』調査」の結果を、8月13日に発表した。調査対象は、週3日以上勤務する全国の18~19歳の就労者3000人だ。
 その中で、とくにマスコミが注目したのが、「できれば働きたくない」と答えた割合が28.7%だったこと。40.4%が「仕事はお金のためと割り切りたい」と答え、調査レポート自体にも「消極的なマインド」と書かれていることもあり、否定的なニュアンスの記事もあった。
 しかし、この数字は多いのだろうか? 経年の調査ではないので過去との比較はできないが、わが身を顧みていただきたい。
 なお、「働くのは当たり前と思う」は、「できれば働きたくない」を上回る39.1%だった。
(雑誌『THE 21』2015年10月号(No.371・PHP研究書発行)の「今月のキー・フラッシュ」より)
🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸🔸
私にも、多いか少ないかは断定できません。ただし学校に身を置く立場からすれば、たとえばいまの三中の3年生が労働する年齢になったとき、約28%の生徒が「できれば働きたくない」と答えたとします。

33.3%が約3分の1ですから、学年の約3分の1近くの生徒が働きたくないと答えたとするならば、中学校としては、進路学習の課題として由々しき問題と感じざるをえません

私が思う仕事の価値とは、もちろんお金を得るためもありますが、いちばん大きいのは、社会に貢献できる喜びを得ることだと思います。

すべての仕事は、人の役に立ったり、人から喜ばれることで、働く人の意欲やモチベーションが高まり、生きがいになると私は思います。

ホテルのコンシェルジェは、最高のサービスをお客様に提供して、「ありがとう」と言ってもらえ、役に立つことができたと感じて、意欲が高まります。

医師は病気を治して、「先生のおかげで元気になれました」と患者から言われて、貢献感を得ます。

とくに教職は、生徒からの反応が直接的に返ってくるので、貢献感を感じやすいのかもしれません。

たとえば、やんちゃで手のかかった学年が卒業前に「先生、3年間ありがとうございました」と言ってくれると、3年間の苦労は一瞬のうちに吹き飛び、教員としてのモチベーションは、一気に高まります。

過去に校長をしていた学校でも、すこしかかわりの深かった女子生徒が、卒業前にわざわざ手紙をもってきてくれました。私はその手紙を読みながら、その子の卒業までの道のりをふりかえり、涙があふれ出しました。

「できれば働きたくない」と答える人が、人とのかかわりを億劫に感じているとするならば、人にかかわり、かかわることで自分が生きがいを得ることができることを中学生自身が学びとる進路学習が、中学校に求められています。

中学生は勉強するものという価値観が強く作用する(もちろん勉強は大切ですが)ため、働くことを遠い先のことと捉えていた生徒たちが、職場体験で「自分も働くことができるのだ」と実感して、自分と社会のつながりを感じる。

働くことで、他の人が喜んでくれる。
私ってけっこうできるかも。

こんな三中生に育ってくれる進路学習が必要なのです。

このように、私は雑誌の記事を読み解きます。

保護者のみなさまは、できれば働きたくないと答える約3割を多いと思いますか?少ないと思いますか?
コメント

「子どもを変える」ではなく、「親が変わる」

2015年09月24日 13時23分42秒 | 校長からのメッセージ


子どもの問題には、親の問題が背景になっていることがあります。

学校の教員なら、クラスの子に何らかの課題を見つけたとき、それを改善させる方向に指導をします。このとき、子どもの背後に親の問題が隠れていることに気づくことがあります。

こんな実例があります。あるとき、授業を抜け出した女子生徒(中学2年)に、階段の踊り場でわたし(学級担任)が指導をしていると、その子は泣きながら言っていました。

「私は定期考査にお母さんが、がんばれと言ったからがんばった。点数は20点以上上がった。なのに、お母さんはとなりの家の子は90点以上とったそうよ。となりの子と私を比べて・・・。」

この女子生徒は、泣きながら、壁をけって、悔しがっていました。

母親が、わが子の努力を認めるどころか、となりのもっと点数の高い子と比較したという悔しさが、授業を抜け出す行為のきっかけとなっていました。

このお母さんは、熱心さのあまり、家でいつも「テストでいい点数をとるように」と子どもに強いプレッシャーをかけていたのでした。

「そうだったの!」と親がこのことに気づくと、子どもへの対応が変わってきます。

親が子どもの問題の原因を子どもに求めるのではなく、自分に求めようとして、自分のことをふりかえり始め、接し方や言葉かけを変えてみたとき、子どもの様子が変わり始めることがよくあります。

わたしは三中の保護者のみなさんが上の実例のように、お子さんに過度のプレッシャーをかけているとは、もちろん思いません。

しかし、もし思いあたることがある方は、子どもを変えようとしないで、親が自分の態度や言葉かけの仕方を変えてみましょう。子どもの様子もすこしずつ変わってきます。

「子育ては親育てである」とよく言われるのは、このような面からも納得がいきます。
コメント

「自立」のためには、まず「依存」を

2015年09月21日 18時27分48秒 | 校長からのメッセージ


たとえひとときにしても、「こうしたい」という希望をおとなに頼り、かなえてもらえたら、子どもには安心感が生まれます。

この安心感とは「自分がおとなに受け入れられている」という感情です。この安心感があれば、いつかその子はそれを支えにして、一人で歩き出すことができるようになり、自立に向かっていきます。

自立と依存は対極の意味どうしですが、子育てにおいては、「自立するためには、たっぷりとした依存が必要」なのです。

人は自分が依存できる相手を信頼するものです。そして…
①人を信頼する子どもは、人とつながりながら生きていけます。
また…
②人を信頼する子どもは、自分も信頼することができます。そのような子は意欲や気力をもって自立して生きていきます。

ゆえに、おとなには子どもとの間に、子どもが依存できる関係をつくることが求められます。

この点で、子どもが「~したい」という要求を出してきたら、おとなは即座に「ダメ」とか「無理」と答えないほうがいいのです。

たしかにダメとか無理なこと、できない場合もあります。そのような場合には、「気持ちはわかるけど、・・・だからできないの」という理由を添えて説明しなければなりません。

つまり「即座にダメといわない」がキーワードです。即座のダメ出しは、おとなが子どものいうことを否定していると受けとられます。

即座に「ダメ」と言われた子どもは、「たよることができない」と感じます。つまり依存できなくなります。

また、即座に「ダメ」と言った後、子どもにいうことをきかせようと、おとなはさらに子どもを叱ることもよくあります。

かりに「おまえなんか(あなたなんか)、うちの子やない」と怒鳴ってしまったとしましょう。
このときの子どもの気持ちを考えてみてください。

怒鳴られた子どもは「おまえ(あんた)のところになんか生まれてきたくなかったわ」という感情を抱くことにもなります。

小さな子どもはうまく言葉にできないので何も言わないかもしれません。子どもは要求の理由を言葉で表すことができないからです。そもそも、理由なんてないのかもしれません。ただ「したいからしたい」のです。

思春期の子どもなら言語化できますので、「こんな家なんか出ていってやる」と返してくることもあるでしょう。

ですから、まずおとなは子どもの話に耳を傾け、依存できる関係をつくってください。それはいつの日か、子どもがたくましく自立していくチカラとなるのです。
コメント

三中文化祭から感じたこと

2015年09月19日 18時40分04秒 | 校長からのメッセージ


本日、文化祭には多数の保護者のみなさんにお越しいただき、ありがとうございました。

1年生のクラスの趣向をこらした「門」の展示、また教科やクラブからの展示にも多くの方が見に来られました。

作品を製作した生徒たちは、たくさんの人に見ていただき喜んでいました。

また、作品は人にみてもらってこそ光り輝きます。「きれいだね」とか「これいいね」の一言が子どもたちに達成感を届けます。

2年生のクラス合唱と全体合唱は、圧巻でした。まずよく声が出ていました。三中だけみていれば、わかりにくいかもしれませんが、2年生であれほど大きな声で歌える中学校は、市内にはありません。

しかも、ハーモニーが美しい。一生懸命ひたむきに歌う生徒たちの態度に、私は深い感銘をうけました。

3年生は、Final Festivalと位置づけ、劇を演じました。どのクラスも、「このクラスで仲間といっしょに演じることがうれしいねん」という気持ちが伝わってきました。

このような生徒たちの様子をごらんになり、「安心しました」という言葉を残し、帰られた保護者の方がおられたようです。

また、今日の発表には加わってはいませんでしたが、体育館で友達の活動を見るというかたちで参加していた生徒もいました。

教職員には、以上の様子を伝えたうえで、私は子どもたちをねぎらってほしいと言いました。
ただ「よかったよ」だけでなく、何がよかったのかを明らかにしてほしい。

そのためには、過去と今日の二つを比べるといいのです。
それにより、生徒たちは自分たちの変化や成長に気づくことができます。

これが、大人が行う「体験の意味づけ」なのです。→ブログ「体験と体験をつなげるのは、おとなの役割 http://blog.goo.ne.jp/mi3chu-kocho/e/55f2a57be3fcd71553fe78787c8b63a8

引き続き、これからも三中へのご支援をよろしくお願いします。本日はありがとうございました。
コメント

文化祭は「表現」の機会

2015年09月18日 18時45分20秒 | 校長からのメッセージ


明日はいよいよ文化祭です。
午前中には、2年生の合唱の練習を見にいきました。

あるクラスが「ハナミズキ」をうたっていました。ハーモニーがきれいで、女子も男子も一生懸命に大きな声を出しています。

生徒たちのその懸命な表情をみると、クラスの一体感が、強烈なインパクトをもってわが身に迫ってきます。中学生の力強さが伝わってきて、感銘をうけます。

そのような生徒たちのひたむきな態度に接すると、中学校にいてよかった、といつも思います。
この思いは、自分が学級担任をしていた頃と校長であるいまと、なんら変わることはありません。

文化祭は「表現」の機会です。ある生徒は歌や音楽で、自分の思いを表現します。またある生徒は劇やダンスで表現します。また、作品で表現する生徒もいます。

意思表示をすることが苦手
コミュニケーションが苦手
表現することが苦手・・・

最近の中学生は・・・、と揶揄する大人も世の中にはいますが、子どもの思いや願いはほとんど変わらないのです。

自分を表現することが少しだけ苦手になっただけです。

文化祭は、そのような子どもたちが、内に秘めた願いや思いを表現する機会です。

明日はぜひ、ご覧ください。





コメント

「思いやり」の落とし穴

2015年09月16日 19時39分46秒 | 校長からのメッセージ


「思いやり」いう言葉はたいへん響きがよく、保護者のみなさんも聞いたり、使ったりすることが多いのではないでしょうか。私たちが生活を送っていく上で「思いやり」のある人間関係をふくらませることは重要です。

学校の教職員が「思いやり」という言葉を学校の目標や学級の目標に使っている学校も箕面市内にあります。また、最近では行政・人権団体も「思いやり」を多用しています。

「思いやり」は、東北地方大震災以降、「絆」という言葉とともに、とくによく使われるようになった、と私は感じています。地震の直後、「思いは見えないけれど、思いやりは見える」というメッセージを、テレビで何度耳にしたことでしょうか。わたしは、そのころから「思いやり万能主義」(私の造語です)に違和感をもっていました。

私は「思いやり」を否定するのではありません。しかし、「思いやり」だけですべてがうまくいくとは思えません。それには二つの理由があります。

①どれだけ思いやろうとしても限界があるから。

「思いやり」は相手の立場に立って考える、相手の気持ちになって考えることだと思いますが、これは現実には難しいものです。「こうしたら相手は喜んでくれる」という「思いこみ」や「思いちがい」、ときには「思いあがり」が入り込むかもしれません。 

どれだけ大切に思いやっても、自分の視点から相手の思いや気持・心情を推し量る(おしはかる)だけでは、どうしてもすれちがいが起こります。

だからこそ、お互いの状況や気持ち・心情を、ケータイやスマホに頼るのではなく、実際に言葉を交わして確かめあうことが重要なのでしょう。

ですから私は常々、三中の子・教職員には、言葉にして相手の思いを聞き、言葉にして自分の思いを伝えることの大切さを訴えています。

言葉にして確かめ合うことで「思いやり」が人と人をつなぐ大切な橋渡しとして生きてくるのだと思います。

②社会や世の中には、思いやりだけで解決できない人権にかかわる問題があるから。

たとえば、貧困の問題。これはバブル経済崩壊後に急増した非正規雇用などにより、働いても、働いても収入が少なく、ひとり親家庭の場合、とくに貧困の連鎖が起こりやすいという、人間を大切にするためのセイフティネットが整備されていないという社会のしくみが生み出している問題です。

これは「思いやり」のような個人の心のありようでは解決できないのです。社会保障制度・福祉の充実や法の整備が必要です。

このような制度の充実、法の整備があってこそ、根本的な問題解決に迫ることができますし、そのうえで「思いやり」が生かされてくるのだと思います。
コメント

家族どうしだからこそ・・・

2015年09月15日 17時27分58秒 | 校長からのメッセージ



「家族は親しい者どうしだから、傷つけあうことなんてないです」。
これは思い込みかもしれません。


たしかに、家族はお互いによく知っているので、他人どうしに比べれば、心を開きあっている関係であるといえます。しかし、だからこそ、不協和により家族から与えられる衝撃はたいへん大きなものになるのです。

つまり、家族どうしだから傷つかないのではなく、家族だからこそよけいに傷つくのです。


さらに、もう一点。「家族どうしだから、理解しあっている」というのも一つの思い込みでしょう。

私の家では、家庭で、このようなとき、その家族がどうするかは、だいたい予想がつきます。

たとえば、妻と姑の間で、姑がこのことをやると妻はどういう反応をするかは、私には想像はつきます。

しかし、「なぜ妻がそのような行動をするのか」は、私にはいまだもってわかりません。このことは保護者のみなさんのご家庭でも同じでないでしょうか。

つまり多くの人は、家族の言動が予想できるので「わかったつもり」になっているだけなのです。

長く付き合っているので、いっしょにいる時間が長いので、予測がつくだけで、ほんとうに内面までわかっていることは少ないのではないでしょうか。

この長いつきあいは、それが長い分、不満が長続きし、蓄積され家族の人間関係は、こじれるとお互いの距離が近い分、他の人間関係よりたいへんになると言えます。

では、妻と夫、母と子の間など、家族間で意見などが対立したとき、どのように解決していけばいいのでしょうか。

逃避、あるいは回避するのがいいのでしょうか。これは、私の経験から言っても、問題の解決にはなりにくいと思われます。

やはり、話し合いがいちばん望ましい方法だと思います。とことん話し合うのです。

とことん話し合っても、結局問題の解決にまでたどり着かないかもしれません。しかし関係が少しでも良くなる可能性は高まります。お互いが自分の言い分となぜそう思うのかを伝え、とことん相手の意見に耳を傾けるので、歩み寄りがしやすくなるからです。

とことん話し合えば、相手の言うことにも「なるほど」と思うことがあるかもしれません。
また聴く態度をしめすだけでも効果はあると思います。

みなさん、家族どうしだからこそ、よけいに話し合わなければならないのです。


コメント

助け合い、協力し合う職員室づくり

2015年09月10日 20時58分56秒 | 校長からのメッセージ


私が学校経営の中でも、大切にしている方策の一つは、同僚性の高い職員室づくりです。

「同僚性が高い」とは、教職員どうしで相談しあえる人間関係があり、別の言い方をすれば弱音を出せて、子どものために協力しあい、支え合うことのできることです。

このような職員室を求める理由はいくつかあります。

①教師は多様な生徒と一人で向き合わなければならないから。

教職という仕事は、けっこう独立性の高いものです。 ティーム・ティーチングなど二人で授業をすることはあっても、基本的には35名以上の一人ひとりちがう多様な生徒たちと向き合います。 その生徒たちは、思春期の揺れる気持ちで、ときには行動や態度に表します。

当然、教師は指導上の課題に直面するとか、悩みも生まれます。このような時、教職員がチームになり協力し合い、助け合うことで、課題を解決し、悩みをやわらげることができます。

②助け合う教職員のもとで、生徒たちはつながることの大切さを学びとるから。

教職員団が一体感をもって、生徒に接していないのに、生徒はどのようにお互いにつながりあうことができるでしょうか。

生徒は先生たちの様子を、じつによく見ています。「あの先生とこの先生は、仲良しだ(仲が悪そう)」ということを敏感に感じとります。先生同士が仲良くないのに、子どもたちに「クラスで団結しなさい」といっても、説得力をもたないのです。

③教職は、メンタル面でストレスが高まりやすいから。

一般的にいって、メンタル面で休職に追い込まれた教師は少なからず、その直接のきっかけとして、同僚や校長・教頭との関係の悪化及び教師集団での孤立があります。

教師の場合、一般企業の労働者に比べると、「仕事や職業生活におけるストレスを相談できる相手」がいる人の割合が、約半分(45.9%)です。

一般企業の労働者の9割近く(89.0%)が「相談相手がいる」と答えたのに対して、教師のうち「相談相手がいる」と答えたのは半数にも満たない状況です。

とくに「上司・同僚に相談できる人がいる」と答えたのは、一般企業では6割以上(64.2%)いるのに対して、教師では14%しかいません。校長・教頭や同僚に相談できる相手がいないと感じている教師が約86%もいるということになります。(「教員のメンタルヘルス対策及び効果測定」東京都教職員互助会、ワエルリンクKK、2008年10月・平成14年労働者健康状況調査 厚生労働省より)

このような理由で、私は、助け合い、協力し合い、子どものことで相談しあえる職場環境づくりを重要視しているのです。

三中の現状は、教職員の職場満足度(教職員どうしの人間関係が居心地よく、満足できている度合い)が、一定程度高い状態にあると、私自身はみています。また、職場環境の大切さは折につけ教職員に話しています。

さらに、私自身が心がけ、実践していることもいくつかあります。

それは教職員から話しかけられたときは、どんなに忙しくても、どんな些細なことでも、まずは自分の手を止める、パソコンから目を離します。そして、顔をあげ、できるだけ相手の顔を見て話を聴くことです。

忙しいことが多い学校の現場ですが、忙しいのはどこも同じです。「忙しい」は、その字の通り、りっしんべんに亡くすと書きます。つまり自分の「心」を「亡」くすことです。

教職員の相談を自分にひきつけ、親身になって受けとめるようにするため、完璧ではないですが実行しています。

生徒と教師の関係でも同じです。
「あの、先生・・・」と生徒が声をかけてきたとき、作業をしながら「片手間」で生徒の話を聞くよりも、作業を中断して、書類から目を離して、生徒の方を向いてくれる先生に子どもは信頼感を寄せます。

「忙しくても、私のために時間をとってくれている」と感じる生徒は、先生のことが好きになるのです。

すべての人を大切にする学校こそが、公立学校の価値であると、私は思うのです。
コメント

多様性の理解とは

2015年09月08日 19時08分32秒 | 校長からのメッセージ



人と人との関係で、互いに理解し合う、わかりあうことが必要であることは、言うまでもありません。

グローバル時代に入り、今後、日本国内でも海外出身者と仕事でいっしょに働く機会も増えてくるでしょう。

日本国内では少子化が進み、わが国の産業を維持するだけに必要な労働者の絶対数が不足してきます。そこで国内企業が海外出身者を雇用するようになるからです。

そうなると今まで、「日本人」の中だけで基本的におさまっていた人間関係の築きかたが通用しなくなります。

つまり「以心伝心」や「あうん」の呼吸のように、相手の気持ちや意向を感じとり、つきあっていくやり方(HIGH CONTEXTといいます)の限界に、私たちは直面するのです。

「日本人」は、実際に相手と話してわかりあうというLOW CONTEXTをベースにしている海外出身者や外国人といっしょに活動していくことになります。

宗教的・文化的な価値観や考え方・行動様式のちがいに出会い、当然、あつれきが起こってきます。

ですから、いま「多様性」を理解して、自分の立場を明らかにしたうえで、合意点を見つけたり、おりあいを付けたりする「合意形成力」がグローバル社会で生きる日本人に求められます。

しかし、実際に外国人と深く付き合っていくと、すべてを理解しあって人間関係をつくるというのは、それほどたやすいことではありません。

たとえば、宗教的にできないことややらない習慣をもつ外国人もいます。時間の感覚が厳密でない価値観をもち、それを行動様式にしている人たちもいます。すべてを理解しあってと思っていたら、いつ理解できるかわからない。

三中にも、今年度の1学期まで外国人の女子生徒がいました。彼女はラマダンの断食の期間中、給食を食べずに過ごしていました。クラスの仲間たちは、文化のちがいを認め、「そうなんやね」という感覚で自然に受け入れてました。

このように、相手の「わからなさ」を、その人自身である、それが真実である、その人が信じていることであり、どれがいいとか、よくないとかという価値観ではなく、「それがその人」と尊重することが大切でしょう。

たとえば食品にしても、自分はあまり辛すぎるものは食べないが、においだけはがまんするというように、理解できないまま、お互いを認めなければならないということが起こってくるのでしょう。

つまり「そういうものである」と尊重して、認めていくことが多文化理解とか多様性への寛容であり、今後の日本社会を背負っていく子どもたちには、このようなとらえ方、考え方、行動が、よりいっそう求められてくるのでしょう。
コメント

子どもに届く語りかけを

2015年09月06日 16時47分33秒 | 校長からのメッセージ



親が自分の子どもを一人の人間として尊重することは大切ですが、必要以上に大人扱いする必要はありません。しかし、上からものを言うような言い方は、子どもから共感を得ることはできません。

学校の先生にも、子どもを一人の人間として尊重して接する態度が求められます。とくに、思春期の子は大人から「上から目線」で話されたり、扱われたりすると反発を感じます。

しかし、おとなが子どもに対して対等な関係で、話しかけることが習慣になっていると、気持ちを落ち着けて、子どもから話を聞いたり、子どもに話しかけたりできます。そして、感情的にならなくてすみます。

子どもと良好な人間関係を築く先生は、どのように子どもに問いかけるか、どのように伝えれば子どもの心に届くか、それを必死になって考えています。

たとえば、友だちとうまくいかなくなり、取り乱しており、悩みや困難に直面している、ときには涙している子どもに対峙したとしましょう。
いったい何と話しかければ、子どもに響くのか、どのような言葉かけが心を動かすか、頭の中をフル回転をさせているのです。

シンクロスイミングの井村雅代コーチは、北京オリンピックに向け、はじめてオリンピックに出場する中国のチームのコーチを務めていました。彼女は当時のことを、次のようにふりかえっています。

「北京オリンピック(2008年)で、中国はシンクロのデュエットで大失敗をしました。4位でした。これはやはり世界の大舞台で演技するという経験が不足していたためでした。

選手たちのショックは相当なものでした。そのすぐ数日後には、チームの演技が控えている。今、彼女たちはこわがっている。オリンピックは大舞台です。プレッシャーを感じないわけはない。しかしプレッシャーを感じているだけでは何の役にも立たないのです。本当の自分の力を全部出させるしかないのだと思いました。

そして私は三日間、何を食べ、いつ寝たかもまったく思い出せないほど、考え、考え、考え続けました。
彼女たちに本当の力を出させるためには? そして考えたあげく、私はチームの選手に次のような言葉をかけたのでした。
 『ここは北京です。多くの人が見守ってくれるよ』・・・
結果、彼女たちは立派なチーム演技を見せてくれました。(銅メダル)」

コーチの言葉は選手の心に届き、響いたのでした。この言葉は数日間でコーチが考えに考えぬいたものでした。

ただし、実際、学校の先生は、いま目の前で不安がったり、とまどったりしている子に対して、すぐに言葉かけをしなければならないときもあります。

親だって同じです。子どもと対等な関係にあり、子どものために考え抜いた親の言葉は子どもの心に届き、子どもは背中を押され、励まされ、自分がどうすればいいのかを決めて実行するのです。

おとなからの考え抜いた言葉は、このような大きなチカラをもつのです。ただし、その言葉は平素の対等な関係と信頼関係がベースになることは言うまでもありません。
コメント

「立ちどまっている子」にできること

2015年09月01日 21時40分02秒 | 校長からのメッセージ


学校へ行きにくい子どもは、まったく学校へ行くことが無理という状況がずっと続くのではなく、どこかでいつかは「変わり目」が来る場合が多くあります。

「変わり目」とは、「ずっと家でふさぎ込んでいたけれど、ちょっと学校へ行ってみようかな」と子どもの気持ちに変化が起こる節目(ふしめ)のことです。

ただ、このような気持ちの変化が起こったとしても、たいていの場合、再登校までの道筋を、自分でイメージすることはできにくいものです。

そこで、子どもが目標達成までの道筋を描くには、おとなの力が必要になります。

おとなに比べて子どもは経験が多くありません。でもおとなは、子どもよりは豊富な経験を積んでいます。また論理的に筋道を立てて考えることもできます。

子どもも、思春期の入り口あたりから、論理的な考え方がが少しずつ育ってきます。しかし中学生ではまだ十分ではありません。

だから目標に達するまでの道筋が見えにくいため、子どもは「もう無理!」とあきらめてしまうことにもなりかねません。

よって、おとなからの適切なサポートが必要になります。このとき、おとなは自分の経験と論理的なものの考え方を使い、子どもにアドバイスを示します。

ただし、この場合、おとなが一方的に道筋を示すのではありません。目標を達成までのプロセスを、子どもといっしょに考えるのです。

いまはこういう状況。これからはこうして、すると、次にはこうなって、そしてこうすれば、ゴールがまでたどり着く・・・。
具体的に目標を達成するまでの道のりを子どもといっしょに描くのです。

ただし、このときの留意点がいくつかあります。

🔷おとなが強引に話を進めず、子どもが納得できる道筋にする。説得するのではありません。
🔷そして、やってうまくいかない場合は、いさぎよく引き下がる。
🔷タイミングを見はからい、何度も試してみる。

たとえば、親が
学校の正門までなら行ける?
→うん、行ける。
じゃあ、先生に正門まで迎えてもらうように頼もうか?
→うん、頼んでみて

先生が、
教室でなく、別の部屋で勉強してみる?
→(やってみて、途中で帰りたくなった場合)今日は帰ってもいいよ。
また、次もここでで勉強してみる?
→してみる

次のときには、友達のAくんを休み時間にこの部屋に呼んでこようか?
→うん、ちょっと会ってみようかな・・・・・・・。


おとながこのような道筋を示し、再登校までのイメージをもち、一歩ずつステップを踏んでいった子が、登校できるようになり、ずっとクラスで過ごし、中学校を卒業していった例を私は知っています。

子どもがとまどい、立ちどまっているとき、おとなは以上の点に留意して、いっしょに目標までの道筋をつくり、イメージをふくらませることで、サポートしていきます。
コメント