箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

全寮制のグローバル教育

2022年11月30日 08時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
英語力を高め、国際感覚をもった世界に通用する生徒を育てる、全寮制の学校がいま全国に広がりつつあります。

その学校の多くは、グローバル教育を進めていて、海外の大学進学をめざします。

「国際バカロレア」(国際的な大学入学資格)と日本の高卒の資格が得られます。

長野県には、United College ISAK Japanという学校があります。

ここでは、およそ70カ国から200名の生徒が集まって学んでいます。そのうち約60人ほどが日本人学生で、あとは海外からの留学生です。

その生徒たちが進学する大学は、15以上の国に広がります。

授業料と寮費をあわせると、年間で500円ほどかかります。

こうなると富裕な家庭の子しか行けないように思えますが、給付型の奨学金をおよそ7割の生徒がもらっています。

広島県の離島にある広島県立叡智学園は、IB資格がもらえる全国でたった一つの全寮制の公立高校です。

日本人の生徒は1学年40人で、高校では外国人留学生が60人加わります。

少子化のため1世帯の子どもの数が少なく、親は数少ない子どもに集中して教育費をつぎこむことができます。


教育への関心も高く、思春期の時期に全寮制を体験して、依存から自立できるグローバルな人になってほしいという願いもあるでしょう。

こういった事情で、いまグローバル教育を進める全寮制の学校が増えてきているのです。

ただし、語学力があることや英語ができるだけでは、グローバル時代に対応できる人に十分とは言えません。

多様性を受け入れて、相手の文化のちがいを知っていて、尊重しあい、人権感覚豊かに行動できる人であることが要件です。

前述の学校はそのような資質も育みます。








自立が前提

2022年11月29日 07時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
政治に関して、ヨーロッパの国と日本で決定的に違うのは、政治家の言葉が国民を動かすという点です。

たとえば、ドイツのメルケル首相は2年前の新型コロナウイルスへの対策について、スピーチをしましたが、その言葉は多くのドイツ国民を動かしました。

もちろんヨーロッパには、政治家の言葉が国民を動かしてきたという積み重ねた歴史があるのです。

政治家が政治哲学をもっているからです。

一方、日本の場合はどうでしょうか。

「首相は歴史から審判を受ける」(中曽根康弘もと首相)という気概をもった政治家は見つからないほどのお粗末な意識です。

自立して思考し、判断し、表現することが政治家には必要なのに、みんなが周りを見て発言し、行動しようとします。

たんに責任の所在を拡散しようとしている人が多いと思います。

自立していることは、民主主義の前提であるはずです。

その点で、第二次世界大戦後の民主主義は、いまだ日本に根付いていないというように考えざるをえません。






一瞬を大切に

2022年11月28日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ


つぎのような禅問答があります。

人の命の長さはいかほどでしょうか。

ある人は「平均寿命まで」と答えます。

また、ある人は「人生の楽しみがなくなるまで」。

さらにある人は、「病気で息がなくなるまで」と言います。

真理は「人の命は呼吸の間にある」ということです。

長い人生だと思えば、人は怠けがちになるかもしれません。

今日一日だと思えば、精一杯に生きようとするでしょう。

この一呼吸だと思い、いのちがそこで絶えても悔いがないという気持ちで物事にあたるといいでしょう。
その一瞬、一瞬を大切にするという戒めです。

人の命は呼吸にあり。

相手の不機嫌に合わせない方法

2022年11月27日 07時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ


高校時代のわたしの思い出です。

定期テストのため、前日12時は過ぎ、テスト当日の夜明け前までテスト学習をして、数時間だけ睡眠をとり、その日のテストを受けてきました。

そして、次の日もテストですので、その日の夕方に少し寝て、またその日は深夜までテスト学習をする。

この学習の仕方に効果があるかは人それぞれだと思いますが、わたしはそうしていたのです。

すると、夕方に帰宅した父が「試験前に寝ていて大丈夫なのか!」と、定期テストのたびごとに言っていたのを思い出します。

私としては、自分で考えてテスト勉強をしているのに・・・」と残念に感じたのを思い出します。



じっさい、テスト前日にわが子ぎ寝ていたら何かを言う親は多いと思います。

自分の考えとタイミングで、休もうとするとまわりの人とぶつかることがあるのです。

親にしてみれば、子どもが机に向かい勉強をしている姿を見せるだけで、「ちゃんとやっているな」と安心できるのです。

こういう例に限らず、相手が一方的に自分に注意してくることはあるものです。

そのように自分を非難したり、小言を言ったりしてくるときの対処法は、相手に対して「なにか事情があるのだろう」と想像してみるのです。

「親は子どもの学習する姿を見て安心したいのだろう」と想像してみるのです。

自分への非難だと思うと、子どもとしてはいい気がしません。でも、親の不安がそう言わせているのだと思えば、イラッとくる気持ちも少しはおさまります。

私が父に発する言葉も、「大丈夫だよ」となったかもしれません。

このように、親には親の事情があると、ちょっとでも思えると非難や小言に振り回されずにすむのです。

この「相手にも何か事情があるのかも」想像するやり方は、自分は相手の小言をいう心境や不機嫌に振り回されないための方法です。

本当の事情は確かめなくてもいいですし、わからないままでいいのです。

不機嫌になった事情は、相手が自分で解決するべきものなのです。

感情をため込まないためには

2022年11月26日 09時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人は生きていくうえで、対人関係を結ばなければ立ちゆかなくなるのがふつうです。

対人関係により、人は助けられ、社会生活を送ることができます。

他者と接することで、楽しさや喜びの感情が湧き、動き出します。

つまり、対人関係を保つが故に、感情が生まれるのです。

その感情が楽しさや喜びの場合はいいのですが、悲しさや悔しさ、憤りであるときにはその対処法が必要になります。

何らの事情があり,真面目な人ほど「仕事なのだから、がまんしなければ」と持続させ、抑圧された感情はたまっていきます。

その感情を吐き出す機会、解放する機会を持てなかった人は、病気にいたり身体的な症状として現れます。

このことはおとなでも子どもでも同じです。

おとなの場合は、その感情を紙に思いのまま書き出し、自分のたまった感情を吐き出す方法は意外とと効果があります

その紙面は人に見せるものではなく、書き終わったらシュレッダーにかけるなどして捨てます。

または、SNSにロック付きのアカウントで思いのまま書き記すのもいいです。

子どもの場合は、抑圧された感情がたまってくると、不登校になったり,不適応を起こしたりします。

この感情は今までのたまりたまったものですので、本人自身にも何が不登校の理由になっているかもわからず、ただ「学校に行きたくない」となることもあります。

ため込んだ感情をときほぐすには思いっきり好きなことを楽しむとか、体を動かすのも効果的です。

また、自分の範囲内で、たまった感情を「あの日、あのとき、あの場で、こんなことを言われた」など、洗いざらい書き出してみると、そのことに集中すればするほど、あとで心は軽くなっていることはよくあることです。

親子関係において、幼い頃から自分の親に言いたいことが言えずに抑圧されてきた子どもが,時間をとり、親に対して感じてきた感情を書き出してみると、重い心が軽やかになることがあります。

子どもにとっても「書くこと」「綴ること」は、自分の絡み合った感情や気持ちをときほぐす有効な手段になります。

すがるようにページをめくる子

2022年11月25日 07時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ

みなさんの中に、学校時代を振り返れば、休み時間にあまりクラスメートと話したり、おしゃべりしたりせず、教室でじっと本を読んでいる子はいませんでしたか。

たくさんの生徒がいれば、そのような生徒は何人かいることが多いものです。

子どもにとって、家庭や学校が居場所があり、安心できる、心地よい場であればいいのですが、そうでない子もいます。

そのようなとき、読書に助けを求める子がいます。

家庭が安心できない。学校も安心できない。こんなときに、すがるようにしてページをめくる子がいます。

本で描かれる世界に、自分を投影し、本という「窓」を通して、「ここ」ではない世界にいることを想像し、自分がいる場所を探そうとする。

そのようなことで助けられている子どももいます。

そんな子に対して、「友だちと遊ばないか」とか「みんなといっしょに行動したら」と声をかけるのではなく、本を読むことを大切にして、その価値を認めることができる教師に、子どもは心を開くでしょう。

このかかわりや営みは、一人1台のICT機器では代用できない読書がもつ「世界」への没入です。

長引くコロナ禍 子どもへの影響

2022年11月24日 09時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染が長引くなかで、子どもへの心身への影響は、おとなが思う以上に深刻です。



不登校の児童生徒は増えています。

十分に睡眠がとれない。(睡眠障害)

食欲がなく、食べれる量が減った。(摂食障害)

また、不登校に関連して、思春期の早期から現れやすいですが、起立性調節障害(OD)の症状を示す子もいます。

朝から午前中にかけて、血圧が上がらず、起きることができにくい。

コロナ感染症で、不安が大きくなり、十分な睡眠がとれず寝不足になります。

すると自律神経の働きが乱れ、それが血圧の低さにも関係します。

くわえて、身体のしんどさを言う子ども、頭痛をうったえる子ども、情緒不安定になる子ども、視力が低下した子どもの例があります。

虫歯の増加や肥満傾向と見受けられます。

朝起きれない、学校に行きたくないという児童生徒が増えました。

小学生の場合は、学校行事や宿泊行事がなくなると、精神的な負担が大きいようです。

子どもが一人で抱え込まないよう、相談できるよう、おとなが支えていく必要があります。

教師は忙しくても、忙しいというオーラを出さない方がいいです。

子どもは案外先生の様子をみているものです。

忙しそうで相談できないと、ためらう子がいます。

こんなときこそ、明るく陽気に児童生徒に接するのが教師の役目です。

ここ数年で学校の冷房化が進みました

2022年11月23日 09時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今頃のように、こう寒くなってくると、夏の暑かったころのことを人はすぐに忘れ、「寒い、寒い」と言うようになります。

さて、このたび全国の公立小中学校の普通教室の冷房化率が約96%になりました。

2016年の調査結果では、学校の教室のどこにも冷房がないという学校が結構ありました。

近年、熱中症の問題が大きく取り上げられるようになりました。

普通教室とは○年○組とういう学級が使う教室で、児童生徒が学校で最も長い時間を過ごす教室です。

それに対して「音楽室」「理科室」「調理室」などは特別教室になります。こちらへの冷房化も進んでいます。

私が校長在任中だった頃とは、隔世の感があります。

岐阜県多治見市は、34度越えを記録するなど、東海地方の「暑い街」ですが、数年前に保護者の方が「どこにも冷房はついていません。子どもは汗を流し授業を受けています」と言われていたのが印象に残っています。

実際、2018年4月現在で、多治見市の学校のクーラー設置率は0%でした。

大阪府箕面市はいち早く普通教室の冷房化を進め、2017年には体育館の冷房まで全校で終わっていました。

体育館は子どもの活動のためもありますが、災害時には避難所になることもあるので、今の時代では、冷房化を進めなければなりません。

先行きが見通せない部活の地域移行

2022年11月22日 08時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 このブログでも中学校部活の地域移行について、複数回にわたってとりあげました。

2023年度からの3年間で、部活動を学校から地域に移行させるというものです。

その移行への課題は、何度か指摘していました。

課題の一つとして、地域によっては活動を担える人が足りないことをあげました。

このたびスポーツ庁と文化庁は改正案を出しました。

それによると、果たして、指導者が地域によってはいないので、当面は学校が主体的に運営する部活も併存させるという方針転換です。

現場感覚からすると、指導する人や団体が地域にない場合もあることは、はじめからわかっていました。

もっとリサーチをして、しっかりとした制度設計をもつて地域移行を打ち出すべきだったのです。

そこで、学校主体の部活を残すのなら、教員が顧問をしなくてもいいようにして、学校の働き方改革を進めるという本来の目的はなし崩し的に頓挫するのではないかとわたしは考えます。

部活の問題は中学校の教員間では、長年の課題であり、部活の教育的意義や教員への負担などひっくるめ諸事情を勘案して、学校の先生が引き受けてきた長年の経過があります。

学校が教育の専門的考えに基づき、運営してきたのです。

そこにスポーツ庁や文化庁がメスを入れるのなら、安易に「顧問から地域の団体や指導者に任せればいい」という単純な思考は取り除いてしかるべきです。

変わる「家族」のカタチ

2022年11月21日 05時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いま、家族・世帯の形態が大きく変わっています。

ふつう、昭和の時代の中頃からは、「家族」といえば、両親と子ども二人の家庭(場合により祖父母のいる三世代家庭)をさしました。

その幻影は令和の時代の今も引き継がれ、一般的に「家族」と聞いたときに、両親と子ども二人を人びとがイメージすることも、まだ多い思われます。

しかしながら、実態は異なります。

1960年には全世帯のうち、1人暮らし世帯は300万世帯で14.5%でした。

しかし、2020年には38%にまで増加しました。

つまり、令和の今という時代は、世帯の中でいちばん多いのは1人暮らし世帯なのです。

それほど家族のカタチはかわってしまっのです。

従来の家族像は、多くの場合、もう崩れているのです。

そうなると、さまざまな影響が社会に現れてきます。

たとえば、生命保険への影響です。

1人暮らしの人は、保険金が出たときの受取人がいないので、生命保険をかけなくなります。

だから新しいタイプの生命保険制度を創設する必要があります。

いまのままでは、生命保険は成り立ちにくい危機に直面するのです。

ほかにも、一人暮らし世帯の増加に伴う影響が出てきますが、その一つに衣食住の食では、食品の販売も一人暮らし向けのコンパクトなものが流通するようになります。

学校教育の中でも家庭科等の時間に、性別にもちろん関係なく、どの児童生徒も自分自身で「一汁三菜」を基本に献立を考え、料理をつくることのできる力を身につける。

このようなことも、学校教育の今日的課題です。



手放すこと

2022年11月20日 07時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ

子どもが生まれると、親はわが子に無償の愛を注ぎ込みます。

そのように育んできたわが子が辛い思いをしたり、イヤな目にあわないように願うのは当然です。

子どもを産み、育むことは人生の「大事業」です。

しかし、わが子を自分の所有物だと勘違いしないでおきたものです。

これは考えてみれば、世の中の万物に通じることかもしれません。

子どもは「授かりもの」と自覚すべきであり、親の所有物ではありません。

「所有」とはものをもつことですが、人はものをもつと自分のコントロール下に置けると思ってしまいがちです。

もう、中学生にもなれば、ある程度自分で考え、自分で行動し、その責任も一定程度自分で引き受けなければなりません。

そうして、おとなに近づくと、子どもは親が言うとおりのことに従うとは限りません。

親が「こうしなさい」と忠告や指示をしても、子どもは親の言うことをきかないことも多いものです。

親が子どもを抱え込まないことです。

自分の子どもに愛着があり、守ってやりたいと思うのは当然ですが、仏教用語では「放下」(ほうげ)といい、こどもを親が抱え込まないことは放下の心境です。

わが子が自分で考え、自分で行動を決めることができるようになったと、かえって喜ぶべきなのでしょう。

時を生きる

2022年11月19日 11時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ


時計は絶えず時を刻み続けます。

時の流れは,決して止まることはないのです

時の流れは、場合によっては残酷と思うこともあります。

○月○日○時までという〆切に間に合わない。

もう少しだけ早く家を出ていたら、あのバスに間に合ったのに。

もうあと5秒車が遅く進入してきたら、人と接触しなかったのに。

「時」と無情なもの。

だからこそ、私たちは今この瞬間をしっかりと過ごしている、しっかりと生きているという大切さをもっと知るべきでしょう。

世の中は理不尽、不条理であふれています。

その世の中に不満をもつ人もいるでしょう。

それでもなお、今、生きているのをしあわせと呼ばずしてなんと言えるでしょうか。

このことを自覚したとき、これからやってくる未来が意味を持つようになります。




インプットを大切に

2022年11月18日 07時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ

単純に考えれば、表現することはアウトプット(OUTPUT)であり、学習したり、研修したりすることはインプット(INPUT)になります。

アーティスト、俳優や芸術家は表現する機会が多く、アウトプットが多くなります。

しかし、アウトプットばかりを続けていると中身への注入がないので、からっぽになってしまいます。

このことは表現家だけでなく、どんな仕事にも多かれ少なかれ通じることだと思います。

学校の教師も授業をやっていても、たえず研修を積まなければ中身のない授業になっていきます。

そのため、法では「自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない』(教育基本法第9条)と定めています。

「教師は多忙」という報道は、近年になってよく目にするようになりました。

その「多忙」な業務に日々直面している教師であっても、授業の準備や研究をあとまわしにしたり、おろそかにする子とは避けなければならないのです。

わたしはしばしば中学校の教師の授業を参観しますが、「準備不足だ」と感じる授業が散見されます。

教師は、他のクラスでも同じ授業をするし、また何年か後には同じ単元の授業をする機会があるでしょう。

でも、一人の生徒にとって、その学年、その教科の、その単元の授業は、ふつう一生に一回です。

教師はこのことを自覚して、日々研究・研修を積み、インプットを増やし、豊かなアウトプットとしての授業を実践してほしいものです。

絶対的なもの それは命

2022年11月17日 07時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ある小学校のクラスの課題は、子どもたちがものや公共物を大切にしないことでした。

子どもたちは運動場でクラスボールを使い、仲良く、楽しく遊び、休み時間のチャイムに間に合うように教室に帰ってきます。

でも、ボールを運動場に置いたまま戻ってくるのが難点でした。

学級担任の先生は、どうしたものかと考え、一つのアイデアを示しました。

ボールに「ピーコ」という名前をつけました。

それからは、子どもたちに変化が出ました。

「ねえ、ピーコ、もうすぐ運動場に行くからね」

「ピーコ、いっしょに教室へ帰るからね」

子どもたちは、それはそれは、ボールを抱っこしたりして大事にするようになりました。

このエピソードからわかるように、ボールに名前をつけたことで、子どもたちにはボールが生きているクラスの友だちのように思えるようになったのでした。

つまり、ボールに命が吹き込まれたのです。

だから、名前をつけることを「命名」というのです。

それぞれの人間に名前がついていることで、それぞれに命を持っているのです。

名前とは人に絶対的な意味をもたせるのです。


東洋では、絶対的な働きを「命」(めい)といいます。

大いなる宇宙からの働きかけを「天命」といい、個人の肉体を「生命」といいます。

日本では古くからその人の生涯に絶対的な意味をもたせてきました。

生きていくには命を使うから「使命」であり、命を運ぶから「運命」なのです。

こう考えれば、命とはいかに価値のあるものかということが理解できるのです。

国際的な紛争、戦争で生きることが阻まれるだけでも、命を粗末にするのであり、命の絶対的意義を否定することになるのです。

そのような話を中学生に話したことがあります。

家路で見る夕陽の美しさ

2022年11月16日 10時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ


慌ただしい日々をお過ごしの人が多く、わたしもそうですが、じっと夕陽をながめることなど少ないかもしれません。

でも、日が暮れていく様子をじっとながめていると、ほんとうに夕陽ってきれいだと、あらためて感じるのです。

あくせくするのを少しやめて、いつも通り過ぎるのではなく、一度立ち止まってみると、じつは身近にあった小さなしあわせに気がつきます。

緊張ではりつめた心がすこしずつ緩んでいくのです。



また、二人で夕陽を見ながら家路につく時には・・・。


二人で歩く家への帰り道

頬がいつもより赤く見えるのは

夕日のせいかもしれない


こんな、相手のかすかな変化にも気がつくのです。