箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

子どもに情報を伝える

2020年02月29日 05時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ



子どもに情報を提供するのは、親の役割です。

あるアイドルがインタビューを受けて、話しているのを聞いたことがあります。

「もともと、なぜオーディションを受けたのですか」とインタビューアーが聞くと、

「こんなオーディションがあるけど、受けてみない?と母親に言われて、受けてみたら合格しました」と、本人が答えていました。

これを聞いて、本人の意思よりも、娘をアイドルにしたいという母親の願望でアイドルになったという点で、もとは本人の希望でないから、母親の「やらせ」だと解釈する人もいます。

でも、そうでしょうか。きっかけはどうであれ、「今」が大切なのです。本人が納得していて、アイドルの生活を楽しみ、今が充実しているなら、それで十分ではないでしょうか。

そもそも、子どもが手に入れることのできる情報は、量的にも質的にも限度があります。そこで、親が子どものもっていない情報を手に入れ、子どもに提供するのです。

また、子どもにはないものの考え方や見方も伝えます。

これは、命令したり、強制したり、強要しているのではなく、子どもが選ぶ選択肢を増やしていることなのです。

もし、「受けてみたら?」と勧めてみて、子どもが「いらないよ」なら、引き下げます。

習いごとにしても学習塾にしても同じで、親は押し付けにならない言い方で、意見や考えを言うことが大切です。

卒業を控えて

2020年02月28日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されていますが、現在のところ、箕面市立中学校の卒業式は3月13日に予定されています。

卒業まであと14日です。

中学3年生の教室で見つけたメッセージペーパーです。

昨日は4時間、3年生の授業を参観しました。

授業で感じたのは、3年生の成長でした。

授業で生徒たちの考え方に触れる機会がありました。

大人としての考え方ができるようになっていました。

この3年生は1年生のとき、けっこう大人に対する反発・不信を言い、わたしもその思いを聞いたことがありました。

でも、あと学校に登校するのは10日ほどになりました。

3年間で中学生は成長する。

信頼が生まれる。

わたしは、あらためて、この真実を確認したのでした。



子どもの意欲は対人関係の中で生まれる

2020年02月27日 07時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ




対人関係に人はつまずき、傷つきます。対人関係に身を置くと摩擦が生まれることもあります。ストレスの原因にもなります。

しかし、対人関係では、つまずきや摩擦は必ずといっていいほど生じるものです。自分が傷つく経験や体験を避けることはできないのです。

しかし、一方で、楽しさや生きる喜びもまた、対人関係の中でしか得ることができないのも事実です。

ですから、子どもに対して「人とつながるのは素敵だよ」と、対人関係のなかに入っていく意欲を子どもがもてるように支援していくのです。

子どもがその意欲をもつのは、自分に価値があると思えるときであり、それは無視をされたり、「お前なんかいなくていい」とか「消えろ」「死ね」と叱責されることで、奪われていきます。

子どもへの虐待の深刻さは、この点にあります。

また、子どもをほめすぎることも、自分に価値があると思えなくします。自分の価値は、他の人による承認によって得られるものではなく、自分で「自分はこれができる」と知っていることです。

それを自信といいます。


打ち明けられたら

2020年02月26日 10時46分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人の性には多様性があります。

私は教師になりたての頃、「男子は・・・、女子は・・・」とよく生徒に言っていたものでした。

その当時は、クラスの生徒名簿や出席簿は、最初に男子をかためて五十音順、そのあと女子が五十音順に並んでいました。

しかし、教職36年間の途中で、自分の性に違和感をもつ生徒に出会い、わたしの「固定観念」は、大きく揺すぶられることになりました。

その生徒は女子としての自分の性ではなく、男の子として扱われたいという思いをもっていました。

制服についても、スカートははきたくない、ズボンをはきたいと言いました。

性の多様性に触れ、私の考えは大きく変わりました。

性的少数者の課題やLGBT(Q)への理解が、社会でとりあげられるようになり、世の中もかなり変わってきています。

なかには、親しい友だちや仲間に、自分のことをわかってほしいという願いで、自らの性指向について打ち明ける当事者もいます。

打ち明けられた人がどういう反応をしてくれるかにより、その当事者が
「わかってくれた。言ってよかった」
となるか
「わかってくれない。言わなければよかった」
と思うかは、打ち明けられた人の反応により変わります。

「そんなこと関係ない。わたしは気にしないから」

そしてこの後、友だち関係が疎遠になっていくことがよくあります。

石川啄木の詩にあります。

「打明けて語りて

何か損をせしごとく思ひて

友とわかれぬ」


そうではなく、「よく、わたしに言ってくれた。ありがとう。大切なことをいう相手にわたしを選んでくれた、その気持ちがうれしい」

後者のように言われたら、打ち明けた当事者は「わかってくれた」と思いをもってくれるでしょう。

打ち明けた相手が信頼できる人でないと、当事者は打ち明けたことを後悔することがあるのです。


一青窈の曲に「受け入れて」というナンバーがあります。

この曲は、一青窈さんが知り合いの人から自身が性同一性障害であることを打ち明けられた経験をもとにして作詞した曲です。


「受け入れて」(作詞 一青窈)2008年

背もたれの助けを借りないで
大きな伸びをした
春が経つ

変わりゆく僕を
変わらない君が信じているから

どうか隠れずにいられるのならば
行き過ぎた夢でも
なりたい何かなりたくて

変わりゆく僕を
変わらない君が支えているから
どうか泣かずにいられるのならば
愛すべき人たち
お願い強くなりたくて

even if the world ain't ready for you

まだまだ足りない僕だけど
受け入れて


意味の深い歌詞です。

体験には両方が必要

2020年02月25日 07時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ









中学生にもなると、楽しいことがある一方で、悩むことも増えてきます。

自分が無力に思えたり、自分の存在する価値をさがそうとしたり。

親御さんも、その悩みや本音をお子さんから聞かれることもあるでしょう。

そんなとき、お子さんのことで、心にとめておいてもらいたいこと。また、必要な場合にはお子さんに伝えてほしいことがあります。

それは・・・

「辛いことはこころを強くする。 
楽しいことはこころを豊かにする。
その両方が人を成長させていく」


人が大人になって生きていくには、つらい体験だけでも、楽しい体験だけでも、人間の成長のためには完全ではないのです。

両方の体験があってこそ、人として豊かに、大きくなれるのです。

「わたしは精いっぱいやった」だけに満足するのでなく、こころを耕すような楽しいことも体験してください。

何のために生きているのか

2020年02月24日 08時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ



第二次世界大戦のころ、人びとは食べるのに必死でした。

悩みを感じているヒマもないほど必死でした。

人は、一生懸命に生きようとしているときには心に余裕がなく、たとえば「生きるとはどういうことか」など、哲学者にでも任せておけばよかったのです。

翻って、今の時代では、若い子が悩みなどあまりなく、楽しく学校生活を送っていると、一見思えます。

しかし、中には、ものすごく悩んでいる子もいます。

悩んでいることを、ほかの誰にも言えないほど悩んでいます。

それが、いま、大人にはわかりにくいのです。

「わたしなんて生きていてなんの意味があるの?」

「消えてしまいたい」

こんな深い悩みを抱えた子もいます。

リストカットを繰り返す子もいます。


昔の中学生も悩んでいました。

しかし、以前は、どこの高校・大学にいき、なんの仕事につくか。そして誰かと結婚する。

こういう節目は、人生の課題でした。

そこまでたどり着けば、自己というものが確立したのです。

しかし、いまはみんなが大学にいくようになり、なんらかの仕事に就くのが一般化すれば、昔の人が悩んでいたような進学、就職、結婚という課題は課題でなくなったのです。

そして、いまの子どもたち(中学生以上)は、「なんで生きているのか」という、人間の根源的問いに直面することになったのです。

そんな悩みの深い子は、学校の成績なんてつまらない、就職してどうするのかなどと周りの友達を見ていて思うのです。

でも、「それなら、お前はどうするんだ」と聞かれると、答えられないのです。

安定した人間関係があり、安心感をもつ子は、「まあ、とにかく生きていこう」と思いやり過ごしていきます。

でも、そのような支えが少ない子は、学校でもさまよう姿を見せます。

この点が、小学生にはあまりなく、中学生とむきあう中学教師のたいへんなところです。

そんな生徒に対して教師が、話を聴いていると、ふっきれるとまではいかなくても、
「ちょっとがんばってみるか」と何かをやり始めたりします。

本来、「何のためにいきるか」など、10代でわかるのは無理なのでしょう。

「まずは生きていくか」と、人生の難問を心に抱えて少しずつ歩き出すのです。






できごとをどう見るか

2020年02月23日 08時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
人間生きていれば、さまざまなことに出会います。
 
わたしの教職36年間で、中学生に関わってさまざまなできごとがありました。
 
そのいくつかを思い出して、いま思うのは・・・
 
人をコントロールするのは、できごとではないのです。
そのできごとに対する、わたしの見方がコントロールするということです。
 
私がはじめて中学生の進路指導をしたときのことでした。
 
家出をする生徒がいました。家庭に不満、学校生活にも不満がありました。
 
家出をする生徒を担任したこと。家出はできごとです。必死に生徒を探しました。
 
でも、なぜ家出をするのかを考えたとき、中学生の心理を勉強する機会を与えられているという見方をしたとき、探すのがつらいとは思わなかったのです。
 
つらいのは、家にいることができない生徒なのでした。
 
自分に起こることは、当人が、そのことをどう見るかによって意味があるかないかが分かれてくると思うのです。

まちがいからの立ち直り

2020年02月22日 09時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ
 
 
 
人は誰でも失敗するものです。
 
中学生は、まだ未熟な存在です。
 
間違いもします。
 
間違えたら、おとなは教える。それが教育です。
 
このときのおとなの態度がどうあるべきかを、うまく言い表している言葉は・・・
 
「わたしはあなたがつまずいてしましたことに関心はない。 あなたが立ち上がることに関心があるのだ」
 
この言葉はアメリカ第16代大統領リンカーンの言葉です。
 
英語では、
I am not concerned that you have fallen – I am concerned that you arise.
となります。
 
中学生は、まちがいや失敗をしたとき、じつはまちがいをしたことや失敗をしたこと自体を気にしてクヨクヨすることが多いものです。
 
輪をかけるように、まちがいを責めるおとなもいます。
 
それが必要な時もあるでしょうが、その子の立ち直りを願うことが必要です。
 
そんなとき、こんな言葉を言われれば、「よし! がんばろう」と思えるのではないでしょうか。
 
 

子どもの力を信頼する

2020年02月21日 06時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ









親と中学生の子どもの間には、当然年齢差があります。おおむね、短い場合は20歳で長い場合は40歳ぐらいの開きがあります。

当然親は、わが子より年上になります。

そこで、親は「この子は、わたしが教え、導かないと、問題を解決できない」と思ってしまいがちなのです。

そのため、子どもになにかと口出し、手出しをします。

しかし、心得た親は、大人と子どもの関係を対等なものと考えます。

大人が中学生の子どもにできるのは、子どもが自分の人生を生きるサポートですが、できるのは見守ることです。

これは、子どもをほったらかしにしているのではありません。

必要なときには、親が前に出ますが、必要のないところでは出ていかないのです。

考えてみれば、教育という営みとは「子どもには、自分の課題を自分で解決できる力があるので、見守ること」なのです。

ですから、子どもを信頼して、尊重することが、中学生以上の年齢(場合によっては小学校高学年から)への接し方だと考えます。

この考えに立つとき、学校で教師が生徒を「おまえ」と読んだり、ため口を使うのは、私は対等な関係でないと、最近では考えるようになりました。

親近感があっていいじゃないのという考え方もあるでしょうが、対等な関係で、子どもを尊重していれば、上からみるような言葉に違和感を感じます。

ていねいな言葉で、大人は子どもに接するべきです。

ほめることの功罪

2020年02月20日 09時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ










「小さい子はほめて育てよ」と、言われます。

その通りです。

しかし、大人が子どもを「ほめ続ける」ことは、小さい子どもにとってよくないということを、以前のブログで書きました。(2018年10月22日)

親がほめ続けると。小さい子は「自分は何でもできる」という万能感をもってしまい、自信過剰で他者との人間関係がうまくいかなくなるという弊害があるからです。

ただし、誰でも、それは大人でも、ほめられると悪い感じはしません。ただ、大人なので、ほめてほしいと、あきらさまにはいいませんが、人は潜在的にはそのような欲求をもっているのかもしれません。

くわえて、子どもをほめ続けることがいけない、もう一つ理由があります。なにかしたときにほめ続けると、子どもは自分が行うことの価値は、他者からの承認で決まるとかんちがいしてしまうのです。

中学生を育てる点でめざすのは、将来自立する人になることです。

自分の行為の価値が他者からの承認できまると思うと、自分で自分の生き方や人生を決めていくことができなくなり、自立することから離れてしまいます。

そもそも、自立した人は、他者から評価を受けようが、受けまいが、突き抜けたところで、自分の価値を知っています。

ほめられようが、ほめられなかろうが、揺るがぬ自信をもっているものです。

自分を認め、信頼する子

2020年02月19日 06時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ





私たちの一生には、じつにさまざまなできごとがあります。

楽しいこと、うれしいこと、苦しみ、悲しくつらいことなどに出くわします。

そのようなとき、何があっても、自分を信頼できる、自分を認めることのできる人、自分は大丈夫だと思える人は、頼もしいものです。

ものごとがうまくいかないで落ち込むことがあっても、短所があっても、わたしはわたしと自分を認める感覚をもつことが、子どもにとっても、たいへん大切です。

そういう子どもは、つらくても耐えようとします。失敗しても、またやり直したらいいと思います。

また、人との関係においても、気にいってもらえるように振る舞う必要がなく、ありのままの自分でいいと思います。

もちろん、人との関係で周りがその人をはげまし、助けになってくれることもあります。

しかし、最後には、結局、本人が自分を信じて、ものごとを受け止めようとする力が決め手になります。

子育てや教育では、自分を信頼できて、自分を認める子に育てることが、学習でも、学校生活でも、家庭生活でも、地域での暮らしでも、将来の職場でも、意欲をもって前向きに生きることができます。

そのためにも、大きな役割を果たすのは親です。

わが子のすべて、長所も短所も認めて、すべてを愛することで、子どもが自分を認める芽が育ちます。

親から受け入れられ、認められない子が、自分を信頼して、自分を認めるようになることはないからです。



ほめるタイミング

2020年02月18日 06時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ






私が英語科の教員として、授業を担当していたころのことです。

中学1年生の生徒で、英語は好きだけど、テストになると、なかなか点数の取れない子がいました。

勉強のしかたの相談にのったりしていました。

たしか2学期の期末テストでしたが、その生徒は80点台の後半の点数をとりました。

いつも平均点ぐらいの点数だったので、私は名前の横に、点数を記入するだけでなく、Very good.と書きました。

そのことは、忘れていましたが、大学進学が決まり、英文科へ行くと報告に来てくれました。

二人で中学生時代を思い出して話していました。

私はそのテストのことは気に留めていませんでしたが、その生徒はしっかりとおぼえていました。

「先生のVery good.があったから、今がある」と言っていました。

20点以上点数があがったときに書いてくれたVery good.が、ほんとうにうれしかったそうです。

がんばればいつかは努力が実ると思いました。

それを、先生も認めてくれたと感じてうれしく思ったそうです。

この生徒の場合、本人が英語の学習にがんばるというプロセスがあり、結果的に点数が上がりました。そのタイミングで教師が
Very good.とほめたという3つの事実が重なって、生徒の自信となったのです。

もし、Very good.がなければ、本人だけの喜びにおさまってしまったでしょう。

私は、そのように考えました。

ほめることの教育的効果はたしかにあります。

かといって、「ほめる」とはおだてて、その気にさせる行為ではありません。

事実に基づいて発することばです。

しかも、そこにはタイミングも必要だと思います。

夢をもちにくい中学生

2020年02月17日 07時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ


子どもが夢をもつことは大切であると言われます。

Dreams come true.というように、夢は実現するものです。

しかし、自分の目標や夢をなかなかもてない中学生がいます

それはなぜでしょうか?

その理由にはいろいろとあるでしょうが、一つには、夢の押しつけなっているからと考えることができます。

①人に押しつけられた夢

「自分の目標をもって、それにむけ努力をしなさい」とまわりのおとなが言っているということはないでしょうか。

もちろん、子どもも最初はテレビなどで見て、自分もあのようにフィギュアスケートの選手になりたいとか、サッカー選手の活躍を見て、プロのサッカー選手になれればいいな。

アイドルが、キレのいいダンスを見せているのを眺めて、アイドルになりたいと思う子もいるでしょう。

子どもは、ほのかな夢やあこがれとして思ったとします。

しかし、いまは親の力の入れようが昔とはちがいます。

私が、部活の顧問をしていたころは、親御さんが試合会場に来て応援することなど皆無でした。

生徒と顧問だけで、中学校の代表として対戦をしたものです、

しかし、いまや両親は言うに及ばず、おじいちゃんやおばあちゃんまで応援に来られることもあります。

公式試合でなく、練習試合でも、家族が応援に来られる場合もあります。

ことわっておきますが、私は家族が応援に来なくていいと言っているのではありません。

今の時代は、部活の大会に家族が応援するのが普通である、いや、保護者が部活の運営を助けてくれているという面もあります。

ただ、子どもの才能を伸ばすのに、保護者も必死になりすぎることから、子どもはほのかな夢として捉えていても、それだけでおさまらないという事情があります。

わが子の可能性を伸ばせるかもしれないと親がスポーツクラブや習い事に通わせることに躍起になりますが、いつの間にか子どもはそこまで強い意志でないので、「やらされ感」を、感じる場合があります。

中学生にとなると、子どもは他の子と比べて、力の差を歴然と感じるものです。

それでも、努力を強いられと、押しつけと感じてしまいます。

中学生が目標や夢をもちにくい理由
②子どもの責任となる

「あなたが、習いたいと言ったことでしょう」と子どもに言うこともあるでしょう。

たしかに、習いたいと子どもから言いました。

でも、いい結果を出せなかったり、途中でやめたいと思っても、親からこのように迫られると、子どものたつ背がないのです。

もう、あやふやな気持ちでやりたいとか、なりたいと言わないでおこう。

こう、思うかもしれません。

以上、中学生が夢や目標をもちにくい理由を二つあげました。





心の命じるままに

2020年02月16日 10時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ



谷村新司の曲「昴」(すばる)の歌詞に次の一節があります。

我は行く、心の命じるままに ♪♪

人は自分の心の命じるままに、発言できたり、行動できたりできるのが、メンタル的には、いちばんいいと思います。
 
人は、社会の中で、職務や人間関係のしがらみの中で、生きていることもあり、やりたくないこともやらねばならない。

自分としては、不本意でも、言わなければならない場合もあります。

そういうこともありますが、わたしは自分が信じることや経験から学んだことを他者に伝えるときは、自分がイキイキしてくるのがわかります。

わたしは、いま、教職に就いて年数の浅い教員やこれから教員になろうとする学生さんと話すことがよくあります。

ふつうは、教員として一般的なサポートをしますが、ときには自分の中学校教員36年間を通して体得した教育論を話すこともあります。

そのときには、熱が入り、経験談を語ることで自分が信じることを伝えます。

たとえば、「子どもは好きな人からしか学ばない」とか「思春期の子どもの心の揺れを側で感じる教師になれ」「授業をする教員にとっていちばん必要なのは探究する態度である」などいろいろあります。

このとき、自分の心の命じるままに語っているのです。

「心の命じるまま」とは、「自分の真実」です。

人は、自分の心が動くもの、つまり「これだ」と思えるものに関しては、心を尽くすのです。

大げさかもしれませんが、人生に責任をもつことにもつながります。

これは、難しいことではないのです。

いま感じていることに素直になり、自分が信じていることを伝えるという極めてシンプルなことなのです。




ミスしても許されるのが家庭

2020年02月15日 11時48分00秒 | 教育・子育てあれこれ
以前に、「たっぷりと依存する経験を積んだ子は自立するのが早い」と、ブログに書きました。(2015年9月21日のブログ)

さて、ここで注意したいのは、依存と自立を対極のものとして捉えないことです。

自立していても、依存していることはあるとか、親子間でなら子どもが親に頼りながらも自立していることはあるということです。

家庭は社会や職場と違い、その人がミスや失敗をしても、許される場です。

ミスや失敗をしても、「仕方がないね」とか「次はがんばろう」で許されるのです。

ただし、ミスや失敗から目をそむけてはならないのであり、親が「そんなのは失敗ではない」とか「たいしたことない」ではなく、失敗したことをちゃんとわかっていなければなりません。

わが子がうちの家庭にいることが大切なのであり、家庭の中で認められていたら、子どもは大人になって失敗しても自信をなくさないからです。

自分を認めている人は、立ち直ることができます。


いろいろと足りない点や欠点短所はあっても、親がその子が存在する大切さを認めていると、子どもは立ち直ることができるのです。

学校の先生のなかにも、失敗した生徒を叱りつけても大丈夫な人がいます。

その先生は、失敗というその行為自体を叱っているのであり、その生徒自身を否定しているのではないからです。

家庭に話を戻しますが、子どもの失敗を失敗として捉え、それでも許される親子関係があるから、子どもは大人になったとき、自分のミスや失敗を、自分で引き受けていくようになります。

どんなことに出会っても、自分の責任として引き受けていく人になります。

責任を引き受けながらも、他者の助けがいるときには、「助けて」と言える人間関係をもっている。

それを「自立」と呼ぶのだと考えていいのだと思います。