箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

社会の課題を市民参加で解消する

2022年01月31日 07時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2022年の1月も今日で終わりになりました。

わたしは小学校6年生のとき大阪万博(EXPO70)の三菱未来館で、その当時では珍しかった3Dの映像を,生まれて初めてみて感嘆しました。

館内では車に乗り進んでいくと、目の前に大きな川があり、その洪水が飛び出し自分に迫ってくる、また火山へ車が入ると、今度は目の前にマグマが迫ってきて、自分が飲み込まれそうになる。

いまでこそ、テーマパークのアトラクションではふつうに体験できることですが、当時はまだ平面の映像や映画しかない時代で、三菱未来館が提供する「飛び出す映画」は、わたしにとって画期的でした。

そのとき、子ども心に「すごい。科学はどこまで進歩するのか。科学は万能だ」と感じたのを思い出します。

しかし、今の時代「科学は万能でない」と多くの人が考えるようになっています。

いま、気候変動がいわれ、科学者は「今の気温を産業革命前の気温から1.5度下げるには、温室ガスの排出をゼロにしなければならない」との見解を示しています。

ところが、そのためにはものすごい量のCO2削減が必要になり、一方でエネルギーをどのように安定供給するか、その両立は困難をきわめます。

今後10年間で異常気象、感染症、生物の死滅、貧困、デジタルデバイドに備える国際的協力を世界経済は訴えています。

これらの項目すべてが,科学では対応できないのです。まさしく「科学は万能でない」と、わずか50年ほどで価値観がひっくり返っているのです。

こんな時代にあって、人類はどうしていくのか。

今までは専門家が自分たちのもつ知識だけで問題を解決してきた時代です。

しかしこれからは人びとひとりが社会の課題を自分事として認識し、行動する時代になるのかもしれません。

科学者や為政者、企業、市民が協働して、課題解消に取り組む。

そうすれば、事態の改善になるという見方ができるのかもしれません。

複雑になる課題に対しては、さまざまな人びとが協働することで対応していくのです。

しつけに暴力を使わない

2022年01月30日 08時06分00秒 | 教育・子育てあれこれ


子どもの言動を親が諫めるときに、「そういうことをしちゃダメでしょう」と言葉で伝えることと、たたく(なぐる)こととでは、意味がまったく違います。

たたくということは、腕力のある強いものが弱いものを従わせるための暴力です。

子どもは納得していないのに、暴力による屈辱を感じながらしたがわなければならないのです。

こんなしつけをされても、子どもには自分で自分を律するという自律性は育ちません。それどころか、自尊感情を傷つけられ、自己肯定感を失わせる行為になります。

傷つけられた自尊感情を回復するのは、なかなか困難なことです。学校では、自尊感情を下げた子どもは、集団になかなかなじみにくいものです。

親が子どもに「ダメだよ」と言うのはいいのです。でもたたくのはいけません。たたきたくなったときほど、親は自制しなければなりません。

今の時代、たたくことで子どもがいい方向に変わることはけっしてないのだと、知っておく必要があります。

親の言うことを強く押しつけられ、自分の願いはあまり聞き届けてもらえないことが続きますと、子どもはやがては反抗的な言動が増えてくることが多いと思います。

子どもをたたかずに育てている親は、自分の意に沿わない行動があっても、受け入れる力をもっているということです。

逆に、たたかずにいられない親は、人を受け入れることができないのです。

以上のことは、親と子の関係だけでなく、学校の教師と児童生徒の関係にも、そのまま当てはまります。

体罰をせずにいられない教師は、児童生徒を受け入れることができないのです。

昔はけっこういましたが、今の時代でも「先生、息子が悪いことをしたときには、殴ってもらってもかまいませんよ」という保護者が時としています。

今の時代の子育て・教育で、暴力が入り込む余地はまったくありません。

環境問題を身近に感じるいま

2022年01月29日 08時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は大阪の北部の緑多い地域で生を享(う)け、ずっとそのふるさとに住み続けているので、この約50年の自然環境の変化は身をもって感じています。

満点の星が見えにくくなった。
雪があまり積もらなくなった。
車の騒音が大きくなった。

このような自然環境の変化を肌で感じます。




いみじくも、今年2022年は、「ストックホルム会議」(国連人間環境会議 1972年)から同じく50年が経ちます。

そのときすでに環境の問題が提起されていました。

「環境問題は人類共通の課題」と打ち出されました。

また、石油資源はいずれ枯渇すると警鐘を鳴らしていました。

しかし、当時はインドやブラジルなどの途上国を近代化して経済成長をさせるという課題があり、環境保護を全面的に押し出す状況にはなりませんでした。

その後、1990年が近づく頃に世界的な気候変動が認識されだした1992年の「地球サミット」(国連環境開発会議)では、環境保護が世界で取り組む環境問題の課題として提案されました。

しかし、ソ連が新体制に移る時期で、資本主義を世界中に広げるという流れが主流でした。

その結果、経済成長を資本主義拡大路線で実現しながら、環境問題も貧困問題も解決していくという潮流に世界の国々は飲み込まれていきました。


つまり、この50年間は、環境保護よりも開発優先を続けるというベクトルが働き続けていたのです。

この50年間を反省することなく、今回SDGs(持続可能な開発目標)が世界的に進められようとしています。

SDGsを進めていくのは必要不可欠ですが、この50年間に気候変動が深刻化し、動物や植物が受けた被害を思うと、あまりにも大きな代償を払ってきたと思います。

今では線状降水帯やスーパー台風、竜巻、サンゴの死滅など,多くの人びとが環境問題を身近に感じるようになりました。

新型コロナウイルスの大流行も、科学者はその背景に無秩序な自然破壊、森林伐採をあげています。

いまや世界でのいちばん最新の考えは、成長を追い求める資本主義からの脱却です。

しかし、日本はまだ火力発電や原子力発電にたよる議論をしています。

新型コロナウイルス対策でも、早く終息させ、経済を立て直すという成長追求の議論が中心です。

でもいまは昭和のように経済成長を追い求める時代ではないのです。

コロナ渦ではさまざまな面で私たちは、「不自由」な生活を強いられています。

「早く前のように戻ってほしい」と私たちは言いますが、もう前のようにまったく同じに戻ることはないと、わたしは思います。

外出を控えること、困っている人には補助金や給付金、医療従事者を尊重する機運、ひとり親家庭(母子家庭)が受ける大きな生活苦の認識が深まるなど・・・。

十分ではないにしろ緊急の事態のとき、わたしたちは生活様式や考え方を変えるチャンスを受けとりました。

ある程度の生活ができればそれでいいという考え方の中で、「成長」ではない、あたらしい生き方を探していき、そのなかにしあわせを感じる社会の時代がもうそこまでやってきています。

個人が自由に情報を出せる時代

2022年01月28日 08時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今は、個人が自由に情報を発信できる時代になりました。

昭和の時代なら、新聞や雑誌、プリントなどの紙媒体で情報を伝える時代でした。

たから大々的に情報をたくさんの人びとに伝達するには、ある程度の印刷機(いわゆる輪転機)などをもっていないとできないことでした。

しかし、いまはデジタルでインターネット空間に情報を広げることができます。

また、情報の発信者は新聞社や雑誌社のプロの人が主流で、理性を働かせ情報を選んで出していましたが、いまはまったく「ふつうの」人、一般庶民がその時の感情を交え発信できるのです。

その変化に伴い、「この情報は出していい」、「この情報は出すのはダメ」という判断ができる教育が必要になり、学校教育でもそれを担っていくべきでしょう。

また、受け取る側も、受けた情報を読み解く力が必要になり、情報の真偽を考え、必要な情報を取捨選択することも求められています。

このような情報リテラシーの研修は、一般社会でもなされるべきですが、成人するまでに学校教育の中で、児童生徒が学習するよう、カリキュラムに位置づけられなければなりません。


それでは情報を自由に発信できることに規制・統制を加えればいいでないかという主張も出てきます。

事実、ヘイトスピーチのような実害が出ていて、明らかに差別を助長するような書き込みがインターネット上に溢れているからです。

たしかに、その状況には許しがたいものがあります。

しかし、一方で言論の自由は民主社会の基盤です。

人の尊厳を踏みつけるような考えや意見は断固受け入れてはなりませんが、自由に言論できる環境は保障していかないと、情報規制・情報統制がどこまでもできるようになりかねません。



第6波の影響が心配

2022年01月27日 08時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新型コロナウイルスの感染第6波が広がり、さまざまな影響が出始めています。

保育園もその一つで、休園するところが増えています。

厚生労働省の報告では、全国で1月20日現在、約330箇所が休園しています。

これは、過去最多です。

これまでは、2021年9月の195箇所がいちばん多かったのですが、それを第6波は軽く超えました。

保育園の子どもの家庭は共働きが多いので、保護者の就労にも影響します。





また、エッセンシャルワーカーとして仕事に従事する公共交通機関にも第6波の影響が広がりつつあります。

関西の大手私鉄の阪急電車は、昨年は10月以降感染者はゼロでしたが、今年に入り15人感染者がでたそうです。

運行関係の従業員の1割が休みで欠員になると、運行ダイヤを変更して、電車を減らすことになるといいます。

阪急電車は社会インフラに影響が出ないよう、感染防止を徹底するとのことです。

大阪府箕面市の学校でも、教職員や児童生徒の感染が相次いでいます。

また、大阪府立高校でも、1月下旬に臨時休校や学級・学年閉鎖など、何らかの休業を行なっている学校が約半数になります。

なにかとたいへんですが、感染にはピークがあります。

ピークのあとは感染者数は下降していくので、引き続き感染防止に努めていきたいところです。




生まれ月に想うこと

2022年01月26日 07時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ
年の始めに神社仏閣でおみくじをひいた人も多いのではないでしょうか。

中学3年生なら、受験を控えて大吉を願いおみくじをひく人もいるでしょう。




おみくじは大吉が出るといいとされています。

でも、大吉はそのあと運勢は巡るので、次は凶に向かっていきます。

そこで、小吉や中吉が出たほうがいいという考え方をする人もいます。

さて、カバー写真は中学生の作品で美術科の作品に国語科の俳句をあしらった2教科のコラボ作品です。

生徒は自分の生まれ月を選び、このコラボ作品を作りました。

中学生には中学生らしい感覚や思い・願いがあります。

ふと立ち止まり、作品を見入るひとときでした。



子どもは権利の主体

2022年01月25日 08時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ
不登校とみなされる児童生徒は、2020年度で19万人を越え、今までで最多になりました。

児童生徒数全体は減っているのに対して、学校に行けない児童生徒の数は増えていますので問題は深刻さを増しています。

その増加の理由の一つとして、文科省は新型コロナウイルスの感染拡大をあげています。

制限が多い学校生活が、大人が想像する以上に子どもたちには重くのしかかっています。

休校した分の授業の遅れを取り返すためのカリキュラムの過密化(2020年度)、マスクをつける学校生活、学校行事の中止・変更、部活動が思う存分できない、全員が前を向いて話さずに給食をとる・・・。

制限のある学校生活でも、対応できる柔軟さをもつ子ども多いですが、自由に人と話せない、思う存分活動できないなど,学校生活全般にわたる制限が重荷になる子どもがいます。

それが、子どもというものです。

家庭にも、不自由な学校生活を強いられる子どもの負担を受け止めきれないという課題もあります。

子育てがうまくいかないという課題は、コロナ渦の前から顕在化していましたが、コロナ渦が深刻さを加速させています。その際たるものは、子どもへの虐待です。

親がまわりから孤立していて、子育てに不安を感じることが多いことが虐待を深刻化させているという見方もできます。

民間団体の調査では、親が自分の生まれ育った市町村以外のところに住んでいる人が全国で7割をこえています。

この事実は、親の実家が遠くにあることが多いということを意味します。

それゆえに、子育てに実家の親の助けをあてにしにくいという傾向がみてとれます。

見知らぬ土地で実家に頼れず、手探りで子育てを多くの親がしているところに、今回のコロナ禍が重なっているのです。

このような状況に対して、NPOが運営する子育て支援サークルは、大きく貢献しています。


行政が運営する公的な子育て支援に参加するのには、けっこう気をつかわねければならないですが、民間のサークルなら気軽に参加でき、子育ての悩みを相談できたりします。

民間のNPO団体等は、行政の縦割り施策の弊害の隙間を埋めながら、柔軟に活動しやすいという「強み」があります。

コロナ渦のような場合には、子どもを保護するため、「全国一斉休校」のように大人の舵取りの施策や対策が優先されがちです。

しかし、すべてが大人本位でものごとを進めれば、そのしわ寄せは子どもにきます。

子どもの権利条約」は子どもを権利の主体と定めています。

日本が批准している意味をあらためて考えたいと思います。


「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」は、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約です。 

この条約は、1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効しました。

 日本は1994年に批准しました。 


子どもの権利条約が定める「4つの権利」

①生きる権利
子どもの命が守られ、健康かつ人間らしい生活を送ることができる権利です。


②育つ権利
子どもが自分たちの持つ才能を伸ばし、心身ともに健康に成長できる環境が整備され、保証される権利です。


③守られる権利
子どもがあらゆる暴力・虐待・搾取から守られ、幸福に生きられる権利です。


④参加する権利
子どもの意思が尊重され、他人の権利を侵害しない範囲で自由に発言や活動ができる権利です。

今一度、子どもは権利の主体であるという崇高な理念にたちもどり、大人本位の施策や事業に子どもの願いや意向が反映されるよう望みます。


生きている躍動感

2022年01月24日 08時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
年齢があがるとともに、とても寒いときは手の指先が冷たく、血が体の先端細部までいきわたっているかが、気になるのがわたしの場合です。

こんな詩があります。

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心臓から送り出された血液は 十数秒で全身をめぐる

わたしはさっきのわたしではない

そしてあなたも 

わたしたちはいつも新しい
(川崎洋 「いま始まる新しいいま」より)

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強い生命力と情熱を感じさせる詩です。

心臓は英語でheart(ハート)ですが、「心」とも訳されます。これは心は心臓にあるという昔の人の考えからきているのかもしれません。

こんな歌詞もあります。

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胸の奥 苦しくなるような
熱く燃える何かを感じたか
思い切り空気を吸い込んで
巡る血と情熱に何か見えたか ♪♪

ずっと前から
ライバルだった
君がいたから
ボクは頑張ってこられた
橋の下に
今日 競う川がある

僕らのレガッタは
青春のグラフィティー
風と光の中
汗と水しぶきの粒 🎵

僕らのレガッタは
眩しく過ぎた日々
生きることの意味を
教えてくれたレース
今でも

秋元康「僕らのレガッタ」より)

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胸に手を当てれば、人は心臓の鼓動を感じます。

体の中にある臓器なので、ふだん意識することはないですが、これが人の生きている証(あかし)です。

心臓の鼓動はつねに血液を送り出し、いのちを更新させているのです。

このことを、私たちは自覚していたいと思います。



2022年に想いを寄せて

2022年01月23日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染が拡大し、感染が少なかったお正月のことがだいぶ前のことに感じられますが、年賀状の話題です。

大阪府の箕面市立中学校での生徒が冬休み中に作った年賀状デザインの展示です。

平面的な図案だけでなく、立体の作品もあります。

生徒の創意工夫が感じられます。

中には、観る人の視線を惹きつける秀作がいくつもあります。

全校生徒の作品がクラスごとに展示されていますので、全作品が揃うと圧巻です。

今年は寅年ですので、多くの作品がトラをどこかにあしらっています。

全校生徒で投票をして、ベスト作品が後日決まることになります。

新型コロナウイルスで、制限のある学校生活が続きますが、それぞれの想いや抱負を抱き、1年を過ごしてほしいと思います。

2022年は一生に一度しかないのですから。

少子高齢化の「先進国」として

2022年01月22日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ


わたしの母は高齢になり、87歳となっています。1930年代の生まれですが、じつはそのときの平均寿命は50歳ぐらいだったのです。

そしていまは「人生100年時代」と言われ、人の寿命は倍増したのです。

そうすると50歳までは地図があったのですが、それから先は地図のない道を歩くことになります。

いま、日本は少子高齢化が進行しています。地図のない道を行こうとしているのです。

が、ほかの先進国もやがてこの問題に直面することになります。日本は少子高齢化でも「先進国」なのです。

そうならば、他の国に見本を示すことができるのではないかと思います。

年をとっても働ける人には就労の機会を確保し、若い人と高齢者が協力し合い、幼い子が目を輝かして暮らしていける国の見本を示せればいいと思います。

果てしなく強い

2022年01月21日 08時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ

本来的に人間は弱いものです。

毎朝ジョギングをすると決めたのに3日間しか続かない。間食をしないことにしたのに、すぐ食べてしまう。なかなか長続きしません。

中学生なら、宿題の提出ギリギリにならないと、とりかからない。

このようなことは多いと思います。

「人間とは本来弱いものだ。だが、信念とか使命感で行動するときは、なぜか果てしなく強くなる。」  (中内功)

感染症が広がり、社会や経済が行き詰まり、閉塞感が漂う今の時代にあって、この言葉は鮮やかに色づきだします。

ダイエーを率いて、「価格を決める権利をメーカーから消費者に取り戻す」という強い信念をもち、ときとしてメーカーとの対立も辞さずに、消費者本位の流通システムを確立しました。

でも、晩年は凋落して、経営者の座を追われて、さみしくこの世を去りました。

信念の強さで成功を実現し、また人間の弱さも自らの身をもって体現したのです。
​​​​​
この両方があるからこそ、信念による強さはコントラストで、より引き立つのです。

属性と多様性

2022年01月20日 09時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ


今回のブログでは「属性」という言葉を考えます。

属性とは、そのグループで共通して備わっている性質や特徴という意味です。

アンケート調査などでは、性別、世代、学歴、職業、年収などが属性に含まれますが、ここでは国籍や人種も属性に含めます。

そして、一般的に日本人は、この属性にこだわりをもったり、執着する傾向が強いと私は思います。

属性とセットになって考えられることが多いのが、共通にもっている性質や特徴であり、これは今の時代では、きめつけやステレオタイプにならないという「あそび」は必要です。

かりに共通した性質・特徴があったとしても、一人ひとりの人間であり、その人個人としてみることが必要になります。

令和の時代になり、日本では「多様性」という言葉が流行語のように使われています。「多様性を認める」とか「尊重する」と使われます。

そこでは、「属性できめつけず、人個人としてみること」が多様性の尊重であるという主張になります。

しかし多様性とはもとからあるものであり、だれかが認めるものでも、認めないものでもないはずです。

本来は、それをことさら強調するものでもないはずなのです。

文化芸術を大切にする

2022年01月19日 07時59分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ドイツのメルケル前首相は2020年5月にスピーチの中で、コロナ渦での芸術について述べました。

「ドイツは文化の国です。全国の劇場、ミュージアム、オペラハウス、文芸クラブなどで多彩なイベントが展開され、そのことに誇りをもっています。その文化は私たちのアイデンティティを表現しています。

新型コロナウイルスは私たちに文化的な生活を深く中断させます。とくにその影響は多くのアーティストに現れますが、さらに深刻なのはフリーランスのアーティストです。

文化的なイベントは、私たちの生活において非常に大切なものです。アーティストと観客は相互に作用しあい、自分自身の人生に目を向けるという、まったく新しい視点をもてます。

そのため、いっそう感謝するのは、デジタルを使ったアイデアでたくさんのアーティストがワクワクするようなプロジェクトに取り組み文化を供給してくれていることです。」(以上メルケル前首相 スピーチ)

そして、文化芸術へのこの信念をもとに、アーティストへの手厚い施策を講じました。

しかし、昨年の日本では、外出を自粛する要請が出され、芸術は「不要不急」とみなす動きが見られました。文化が軽くみられているのです。

文化芸術は観る人の心を揺り動かせ、生への希望を与えてくれます。

表現される人物の状況や境遇に思いを寄せ、自分はどう生きるかを考えさせてくれます。

その価値は、いまようやく見直されています。

オンライン配信や制限ありの有観客でのイベントの動きが出ています。

大きな打撃を受けた文化芸術界ですが、芸術を支えることで人びとを支えることにつながる意識変革が国や自治体に求められるのです。

「○○に帰れ」と教師が聞いたときに

2022年01月18日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


2000年代のはじめ頃から、在日コリアンに対する差別的な書き込みがインターネット上で増大し、街中で公然とデモ行進が行われるようになりました。

これをヘイトスピーチとかヘイトデモといいます。

当事者の在日コリアンは「体が震え、その場に長くいることができなかった」、「許されないこと。本名で生きていく子どもが心配」、「怖い。安心して生活できる日常が壊されていくように思った」・・・。

このヘイトスピーチが、社会を分断させ、亀裂を生じさせているという問題意識に立ち、2016年に「ヘイトスピーチ解消法」を国は定めました。

この法では、脅迫する表現、著しく侮辱する表現、社会から排除する表現をヘイトスピーチと定義し、違法行為にあたるとしています。(ただし、罰則規定がありません。)

その後、自治体でも条例の制定が進みました。

なかでも、川崎市の「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(2019年)は画期的です。これは、ヘイトスピーチに刑事罰を科すものです。

それでもネット上にある匿名のヘイト投稿に法的措置をとるには、被害者自身が投稿者の情報を開示するようにプロバイダーやブログ運営者に要求する必要があるのですが、裁判を起こさなければならないのが実状です。

裁判を起こすには費用や労力がかかり、被害者の負担があまりにも大きいのです。

学校で、児童生徒が在日コリアンの友だちに傷つく言葉を言う場合があります。

わたしはそのきわめつけは「韓国へ帰れ」という言葉だと思っています。

外国人であることを理由に社会から排除しようとする意図を感じるからです。また、その人がこの場にいていいと思えない、存在そのものを否定する言葉だからです。

もし、教師がそのような発言をクラスで聞いたら、授業中であっても、いったん授業を止め指導する人にならないと教師をしている意味がありません。

しかしながら、都市部では教員の大量採用が続き、世代交代も起きるなかで、在日韓国・朝鮮人問題の知識が足らない、意識の低い教師が増えているのも事実です。

「そんなこといったらだめだよ」ぐらいにしか言えない教師が増えています。

教員がしっかりと研修を積まないと、当事者の子は学校生活での居場所が見つからず、深く傷ついたまま、学校で過ごすことになります。

夢と志

2022年01月17日 07時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新年を迎えて、「今年の抱負」を考えた人も多いのではないでしょうか。

なにか目標を持つと、世の中の状況がどうであろうと、それに影響されず、自分の心の持ち方で対応していけることも多いと思います。

困難な状況に直面しても、心の持ち方一つで、困難の受け止め方がかわり、行動も変わっていくからです。



中学生のような若い人が将来への夢を持ったりすることは大切です。

ただ、よく混同されるのが志(こころざし)です。

夢と志は異なります。

夢は「自分は○○になる」「○○のお店を開く」などのように、自己実現のために追い求めるものです。

いっぽう、志は他者のために生きようとする夢です。たとえば、製造業であるなら、「お客さんのためにいい製品をつくる」とか企業経営なら「社会の発展のために会社を経営する」といのが志です。

自分の夢を実現して、自己実現にいたることも大切です。

しかし、「わたし」のためにだけ生きる人を他者が応援してくれるのは少ないものです。

だから、中学生には伝えたいのですが、自分はどのようにして周りの人の役に立つかを考え志をもってこそ、自分の生きがいや働きがいは生まれてくるのです。

夢と志は分けて、今年の抱負を考えるのがいいでしょう。