箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

学校の働き方改革のポイント

2022年05月31日 07時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
どんな組織でも、「やらされている」と組織の成員が感じているようでは、意欲的で生産的な経営はできにくいものです。

学校の場合も同じで、学年が命じるから、校長がやれと言うからという事情で、たとえば学校行事のチーフをやっている教員がいるとすると、その仕事にはモチベーションが伴いません。

そうではなく、行事を通して子どもの輝く笑顔が見たいからという動機でチーフを務めるなら、きっと救育効果の高い取り組みとなります。

教職員が自律して教育活動にいそしむためには、学校が教職員を信頼することが大切です。

自分に任されているという自覚がやる気を喚起します。

管理職、教職員、学校が良い意味で対等な関係になるようにするべきです。

教職員一人ひとりの心身の幸福を向上させることで学校も成長する。

そのような「働き方改革」を進めていくべきでしょう。

主観による序列をつけることにNo!

2022年05月30日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ
いま大学のミスコン(「ミス〇〇(大学名)」)は様変わりしています。

開催をとりやめた大学がありますし、顔にマスクをつけコンテストを実施する大学もあります。

また、美しさという評価基準をあらため、社会貢献の活動を基準にしてコンテストをする大学もあります。

そもそも、ミスコンテストやミスターコンテストは、美しさで人を評価するものです。

美しさは、見る人の主観による影響を受けることが多いのです。

多様な人格をもつ人を主観的な基準で順位をつけるミスコンは、今の時代にはそぐわないものです。

「メーラビアンの法則」というものがあり、人は初対面の人を見た目の外見という視覚情報だけでおよそ70%ほど「この人はこうだ」と判断することがあります。

そのこと自体に善悪はないのですが、ミスコンやミスターコンが、そのような見た目だけで判断し、公的機関がコンテストを行い序列をつけるのですから適切なイベントでないと言われても仕方がいでしょう。

まして、日本では女性アスリートの中から、選んで「美人アスリート」という冠をつけ報道します。

また、多くの日時会話でも、人びとのなかで「イケメン」という言葉がよく使われます。

「イケメンと言ったらダメなの」と思う人は少なくないのではないでしょうか。

「美しすぎる〇〇」ともてはやすメディアもあります。

テレビ番組で、「美しい」とか、「太っている・太っていない」という外見上のことが話題になったとき、「太っている人」を意図的にカメラのズームを当てるのは、カメラマンの意識、番組のプロデューサーの意識がどこにあるかを物語っています。







SDGsがめざすのは、地域でのしあわせ

2022年05月29日 09時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私の家の土地の側を国道が通っています。最近は交通量が増え、よく車やダンプが通ります。

音自体はそれほど気にはならないのですが、道ばたに空き缶、ペットボトル、家庭用品のゴミを車中から投げる人がけっこういます。

環境にやさしくしてほしいと切に願います。

さて、SDGsの活動は、世界規模の視野で見ると壮大すぎて、「個人として何をすればよいのかがよくわからない」という声が聞かれます。

やろうとしている目標はいいと思うけど、自分の仕事や生活で何をどう実践するのかにとまどうことも多いと思います。

つまり、SDGs活動を自分にどう引き寄せるかが課題となります。


1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤をつくろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任、つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公平をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう


このように、SDGsは17の目標を掲げていますが、その目標をそれぞれ、世界のそれぞれの地域で生活するみんなにとっての目標ととらえればいいのでしょう。

一人ひとりの行動が社会や世界に影響を及ぼすのです。だから世界的視野よりも地域に視点をむけ、地域でどう活動するか(Act Localy)に絞ると取り組みやすくなります。

SDGs教育を学校で実践するとき、環境教育の一環ととらえる教職員が多いようです。
でもSDGs教育は環境教育と重なる部分はあっても、環境教育と同じではないのです。

SDGsは人間が人間として安心してしあわせに生きるためのきまりごとです。

「誰一人取り残さない」というスローガンが示すように、自分自身や自分のすぐ周りにいる人がしあわせであるためにどうしたらいいか、なのです。

たとえば、冒頭のペットボトルについて言えば、ペットボトルがマイクロプラスチックになり、ウミガメが飲み込み困っているので、ペットボトルをなくしましょう。

それが環境教育です。

でも、ペットボトルをつくる企業の人やドリンクを売る会社の人、その家族までもがしあわせになるにはどうしたらいいかを考え、行動することがSDGs教育です。

さらに、よく指摘されるのは「SDGsは自己矛盾だ」という点です。

たとえば、8で「働きがいも経済成長も」と言いながら、「陸の豊かさも守ろう」としていますが、経済を成長させるために森林を切り開き道路を作れば、緑を減らすことになるじゃないか、という矛盾点です。

しかし、SDGsにとりくむとは、全目標を広い視野でみて、矛盾点をどう折り合いをつけて進めるかということです。

知っておきたい 補助犬のこと

2022年05月28日 07時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ
補助犬には3通りあります。

*盲導犬:視覚障害者が安全に歩行できるように補助する犬

*聴導犬:聴覚障害者に音源を知らせる補助をする犬

*介助犬:手や足に障害のある人を補助する犬

これらをひとくくりにして補助犬といい、身体障害者補助犬法は不特定多数が利用する公共施設や交通機関で補助犬を受け入れるように義務づけています。

この法律が成立して今年で20年になります。

しかし、厚労省の調査では、7割の人が法律を知らないという結果が出ています。

実際、周りの理解はあまり進んでおらず、入店拒否や同伴拒否が起こっています。

レストランに盲導犬を連れて入ろうとすると、「他のお客様の迷惑になります」と断られたケースがあります。

ホテルに宿泊するため予約するときに「盲導犬もいっしょです」と伝えると、断られたりすることがあります。

わたしは以前に中学生を対象にした、盲導犬を連れた視覚障害者を学校に招き、講演を聞かせてもらう学習をしたことがあります。

でも、最近ではそのような学習をする学校が減っているそうです。

また、補助犬に関する報道も減っています。さらに、理解を深めるための企業の啓発研修や取り組みも停滞しています。

とくに学校では、法律の学習も必要ですが、それよりも、生徒が補助犬を連れた当事者の話を聞き、それとあわせて法律があることも学習するのがいいと思います。

そういう人は社会に出たとき、勤務中に補助犬を連れた人が来たとき、「ああ、学校で習った」と思い出して、少なくとも入店を断らない、受け入れるたいう行動につながる可能性が開かれていくからです。

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ちはやふる・・・

2022年05月27日 12時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
5年前に映画「ちはやふる 下の句」を観ました。

映画では、百人一首にも収録されているつぎの歌をとりあげていました。

千早ふる(ちはやふる) 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに(からくれないに)水くくるとは
(在原業平)

[訳] 不思議なことが多かったという神代でも、こんなことは聞いたことがない。竜田川の水を、紅葉(もみじ)の葉が紅(くれない)にくくり染めにするなんて。

「ちはやふる」は神にかかる枕詞ですが、映画の中でのセリフの説明によると、例えばこまが速くまわり、まるで消えて止まっているような状態をいうとのことです。

それに対し、「荒振(あらぶ)る」とは、こまが雑にまわり、不安定な状態という意味です。こまはいつ止まるかわからないそうです。

千早振るこまの回転は、静止しているように見えても、その回転は猛烈に回っており、まわりのどこからでも触れれば触れたものが弾きかえされる力を持ちます。

千早振る状態は、旋回によって生まれた中心軸が、周囲へ向かってエネルギーを放射し、中心に向かって吸収する力を兼ね備えているとのことです。

「ちはやふる」はわたしたちが目指すべき姿であり、生きて動いていながらエネルギーを発して 、吸収もする。

このようなエネルギッシュな人の生き方に通じるものです。









人生は選択の連続

2022年05月27日 05時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人が生活して、生きていくうえで、選べることは大事です。

どの学校を受験するか、離婚するかどうか、引っ越しするかどうか・・・。

生きていくのは、選択の連続です。

選ばないで、他者の決定に従うのは、ある意味で楽なことかも知れません。

他者に任せると自分は悩まなくていいし、考えなくてもすむからです。

ただし、黙っているのは賛成しているのと同じとみなされることもあります。  

何に関しても、自分が選択したことが正解かどうかはわかりません。

でも、何度も自分に問いかけ、整理しながら考え、見つめなおして決めたことであるなら、決めたあとはその選択が正解になるようにしていくしかないのです。



たわいもないことを話せるしあわせ

2022年05月26日 05時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日常生活のコミュニケーションで、人はいつも大切なこと、忘れてはいけないことだけを話しているのではありません。

親子での会話、仲間同士の会話、近所の人との会話などで、たわいもないことを話すことが多いものです。

思い出話でも、同じでしょう。たとえば「前にディズニーランドへ行ったとき、買ったばかりのアイスを地面に落としたこと覚えている?」と成人した娘にわたしが尋ねました。

娘は「そう。半泣きになっていたら掃除をしているお兄さんがすぐにアイスを片付けてくれて、新しいアイスを手渡してくれた」

「あのときは、うれしかったな。さすがディズニーと二人で言ってた」。

こんなたわいもない、他の人にはどうでもいいような会話はよくするものです。
 
「オリエンタルランドがめざす企業の顧客満足の本質は、このエピソードがらもわかるように・・・(うんぬん)」というような高尚な話をしているのでなく、たんなる親子の思い出を話しているのです。

しかし、うれしかったとか楽しかったという話で、心と心がこだましあうことは、大きな力をもっています。

たわいもないことをふつうに話せることほどしあわせなことはないのです。

そんなとき、なんでもない日常がくっきりと光り輝くのです。

コロナ災禍で、人と人が距離を物理的にあけるようになり、リモート会話も普及していますが、対面でのなにげない会話ができるほど価値のあることはないのだと思います。


競争か分配か

2022年05月25日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
資本主義とは、資本家が工場などを所有し、労働者を雇用し、製品を生産し、利益をあげるやり方です。

アダム・スミスは個人が利益を追い求める自由競争で経済が効率的にまわり、社会全体が豊かになると「国富論」で説きました。

ところが、自由放任経済は世界恐慌を引き起こしました。(1929年)

そこでジョン・メイナード・ケインズは、政府が需要を作り出し、雇用を生み出し、失業者を救済するべきであると主張しました。

その主張は、1929年の世界恐慌に対処するルーズベルト大統領のニューディール政策に反映されました。

一方でカール・マルクスは「資本論」で、富と貧困を生み出すメカニズムを明らかにして、生産を国有化するべきとしました。

その流れを受けて社会主義の中国、ソビエト連邦が生まれました。

第二次世界大戦後は、資本主義の国で積極財政で、所得の再分配をはかる「福祉国家」が主流になりましたが、1970年代の石油危機で、借金財政が深刻化しました。

そこで企業の自由競争で活性化をはかるミルトン・フリードマンによる新自由主義が勢いを増しました。

そして、今はその新自由主義にほころびが目立っています。

競争か分配のどちらを重視するかが資本主義の歴史です。




教員の長時間労働

2022年05月24日 05時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2016年のことです。小学校でおよそ3割、中学校でおよそ6割の教員が月に80時間以上の時間外労働をしていることが明らかになりました。

月80時間以上になると、いわゆる「過労死ライン」を超えていることになります。

そこで、文部科学省は教員の働き方改革を推進するようになりました。

2019年度には教職員給与特別措置法(給特法)が改正され、時間外労働は月45時間までと決まりました。

そして、教員の労働時間の管理が厳しく言われるようになりました。

そのため、家での持ち帰り仕事が増えました。

時間外勤務は、いわゆる残業になりますが、教員の場合、残業手当はつきません。

そのかわり、給特法では、基本給の4パーセントが一律に支給されています。

これにより教員の場合、時間外労働=手当という感覚が薄いのです。

また、労働環境は劣悪でも、「子どものために」という使命感がやりがいにつながり、とかく労働時間が長くなっても、それをいとわない人も多いのです。

しかし今の時代、働き方改革は断行すべきです。

働きすぎて体をこわしてはもともこもありません。

ただし、課題を抱えた子や指導に手を焼いた子が、だんだんと人間関係が深まり、「先生、ありがとうございました」と言ってくれると、それは教職への最大のモチベーションになります。

かけた時間と苦労が報われたと実感します。

そのような教職の特異性が、世の中にもっと認知されながら、働き方改革を進めていけばいいと思います。



戦争の本質とは

2022年05月23日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ロシア軍のウクライナ侵攻が続いています。

戦争とは、一般に、戦争をしかけた国が批判・非難されます。

ウクライナの民間人が惨殺され、何の罪もない子どもたちがいる学校まで空爆されていると聞きます。

私たちは、国と人を結びつけて考える傾向があります。

ロシアの人=悪と考えがちです。

でも、ウクライナの子どもか傷ついているのはもちろんですが、じつはロシアの子ども、その親も同じように傷ついているのです。

これが国と国の間の戦争の本質です。

親であれば健やかな成長を願ってこころをくだいて育てた子が、お互いに罪もない、恨みもないのに、殺し合わなければならない。そこに、どんな正義があるのでしょう。

これが戦争の理不尽な本質です。反戦を訴える動機はこの点にあります。



中学校部活改革 吹奏楽部の場合

2022年05月22日 07時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今は中学校の部活を教員が顧問をする体制から、地域へ移行させていく方向性が国により示されています。

少子化が進み、生徒数が減っていくなか、一つの学校だけではチームが組みにくくなっていたり、教員の長時間労働を解消して、働き方改革を進める必要から、地域へ移行させていくというものです。

土日は学外の指導者、コーチが部活を指導して、平日も指導する完全な移行も視野に入れられています。

部活改革というとき、自然と運動部が人びとの念頭にあります。

しかし、そのとき文化部ではあるが、ほぼ毎日練習をしている吹奏楽部のことを忘れてはなりません。

吹奏楽部は文化部の中でも人気があり、生徒数の約1割が所属しています。

多くの文化部が平日の活動が2時間以内におさまりますが、吹奏楽部は2時間以上になることが珍しいことではありません。

全国的にみると、「地域移行」はケースによっては土日は学校でなく、活動を地域で行うこともあります。

でも、吹奏楽部は大きな楽器も使います。簡単に運ぶことができないので、学校を活動の拠点にせざるをえないえないという課題があります。

吹奏楽部は、指導者の内一人は学校の教員がなるべきでないかと、わたしは考えます。




選ぶのは難しい

2022年05月21日 11時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人が生活を送り、生きていく上で、選択したり選んだりできることは大事なことです。

黙っていたり、誰かの決定に従うばかりなら、他者に任せる、つまり賛成しているのと同じになってしまうのです。

ただその反面、選ぶのはある意味で難しいこともあります。

自分が選択したことが正解かどうかはわかりません。

しかし、何度も自らに問いかけ、整理して考え、見つめなおして決めたのなら、決めたことが正解になるようしていくしかないのだと思います。



守られていること

2022年05月20日 07時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ


近年、学校では他者への信頼感が低い子どもがすこし増えているという実感を、教育関係者はもっています。

人に対する基本的な信頼感が薄い原因は、いろいろと考えられるでしょうが、一つは幼少期からの「愛着」の形成不足があると考えられます。

たとえば、赤ちゃんが泣くと、親があやしてくれ、ミルクをくれます。また、おむつを交換してくれます。

これが「愛着」の芽生えで、子どもの欲求に対して、親からの適切な対応が重ねられていくことで、子どもはおとなへの基本的な信頼感を高めていくのです。

「愛着」が十分に形成されると、その子は愛情をもって他者に接することができます。

また「認めてほしい」という欲求(承認の欲求)も正常なやり方で人に示すことができます。

愛着形成が不十分な子には、教職員はたっぷりと愛情を注ぎこみ、人との出会い直しを促します。

これは不可能なことではなく、教育のもつ可能性です。

それを怠り、問題が顕在化してから子どもとのかかわりを深めたり、コミュニケーションを図ろうとすると、指導や支援は困難をきわめることになります。

このように、子どもは生まれてからずっと、大人から「守られている」という感覚や実感を内面に蓄えていくことがとても大切なのです。

小川の流れに想う

2022年05月19日 10時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしの家の近くに小川が流れています。

子どものときから慣れ親しんだ川です。

何度も釣りをしました。

方言かもしれませんが、「アブラハヤ」が釣れました。

かなりの年月が過ぎ、いまは釣りをすることもなくなりました。

でも、そんなことに関係なく、何十年も小川の水は流れ続けています。

小川は石や岩、また伸びている木の根も関係なく包み込み流れています。

子どもの頃から、わたしがいろいろ思ったり、落ち込んだり、よろこんだり、そんな思いとは関係なく、長い年月をサラサラと流れ続けているのです。

だから、かりに多くの困難や行き詰まりに直面しても、小川のようにすべてを包み込み流れていきたいと、わたしは思います。

悔しさや悲しみ、心の葛藤があっても、心の支えをあてにして、寛容をもち続けること。

それを小川の流れから思います。

地域は大阪

2022年05月18日 07時05分00秒 | 教育・子育てあれこれ
大阪のホテルは多すぎるという経済評論家の指摘があります。

コロナ禍により、インバウンド(訪日外国人観光客)の宿泊が大きく落ち込み、もとに戻ることはなかなか期待できません。

だから今後、大阪のホテル経営は供給過剰で行き詰まっていくのでないかと言われます。

そこで、大阪は国内観光客をターゲットにして、運営していくべきだとわたしは考えます。

じつは、インバウンドが増加する以前(2000年代前半の頃)、大阪のホテルはインバウンドにたよらなくても経営が成り立っていました。

その後2020年前には、大阪はおよそ28兆円の旅行消費額でした。

そのうち、インバウンドによる消費額は5兆円たらずで、残りは国内旅行が占めていました。

その点をふまえ、大阪の魅力を国内観光客にもっと発信すれば、ホテル経営は成り立つだろうと考えることができるのです。

食べ物が豊富です。「粉もん」と言われる食文化があります。

おいしいし、安いです。

おせっかいやきで人情に厚い大阪の文化をウリにすればいいのです。

地下鉄を降りて地上に出たら、にわか雨が降っていました。

見ず知らずのおばちゃんが近づいてきて、「ねえちゃん、この傘を持っていき」と声をかける。

「こんなシーンは東京ではぜったいありえません」と東京から来た女性が言います。

伝説のように言われますが、じっさいにあめちゃんをもって配るおばちゃんもいます。

この先、インバウンドが戻っても、国内旅行者を大切にする大阪を軸にホテル経営を進めるべきです。

大阪府では「地域に開かれた学校づくり」を進めてきて、約30年になります。

その地域とは、ずっと児童生徒が住んでいる自治体、市町村単位でしたが、これからは地域を道府県単位に広げ、大阪を好きな子を育てることを学校の教育活動で進めていくべきです。