箕面三中 校長室からのメッセージ

おもに保護者のみなさまに向けたメッセージです。生徒の近況を伝えるとともに、教育と子育てについての情報をお伝えします。

空気を読まないといけないの

2016年12月30日 16時17分49秒 | 校長からのメッセージ


KYは、空気を読めない人として、一般的には支持されません。

①相手の気持ちを察する
②その場に合わせ、適切な言動をとる

これができないと、空気が読めない人と失笑を買うことになると考えられています。

とくに、日本人の行動様式は伝統的にハイ・コンテクスト(High Context)と言われ、いわゆる「文脈を読む」ことに価値が置かれます。

黙っていても、目と目が合えば通じ合う、に代表されます。

これが、KYを揶揄する根拠にもなっていると思います。

一方、英語圏の人びとは、一般的にLow Contextの世界で生きています。直接言葉ではっきりと自分の意見や考えを主張します。

言葉にして言わないと、相手には通じないという考えかたが根づいています。


では、日本の社会では、KYの人は迷惑な存在なのでしょうか?

私は、決してそうとは思いません。他人を気にせず、自分の信念をつらぬいて行動する人は、一方的に迷惑がられる人ではないはずです。

私は朝礼など、生徒の前で話すときは、基本的に自分の信念で話します。

かりに、聞いている生徒が、私たちの日常からみれば、それは理想だ、私たちの実際の生活と離れていりと思うこともあるでしょう。

しかし、周りを読み、無難な商品を作って売れる時代ではありません。

まして、いまの生徒たちは、グループから浮かないように、自分だけがかわったことをしないように、場の空気を読み、お互いに気をつかい、学校生活を送る傾向が強いのです。

したがって、KYになりたくないという意識が常に働くのです。

もちろん、一人よがりはいけないです。しかし、あまりにも空気を読みすぎるのは、その子らしさがなくなります。

空気を読まない子も、一員として認める。そんなクラスは誰にとっても居心地がいいはずです。

(写真と本文の内容は関係ありません。)

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徳は弧ならず

2016年12月28日 18時21分27秒 | 校長からのメッセージ

アニメ「ONE PIECE」は、少年冒険アニメの王道を行く漫画です。そこに出てくる主人公のルフィの行動はハチャメチャですが、彼には仲間や協力者が、入れ代わり立ち代り集まってきます。

これは、ルフィがいつも他者のことを思う人だからでしょう。

仲間のためなら自分のことはそっちのけで、自らの命もいとわない性格で、いわゆる人徳を備えているから、人が集まってくるのでしょう。

孔子は論語の中で、「徳は弧ならず、必ず隣あり」といっています。

人徳を備えた人は孤立することがなく、困ったときでも必ず周りには、助けてくれる人がいるのです。

三中でも、やはり友だち思いの生徒は、クラスや学年でも支持を受け、多くの生徒が周りに集まってきます。

この意味で、今でいうクラスの中のリーダーとは、統率力があり、クラスのみんなをグイグイとリードしていく人物ではないのかもしれません。

むしろ、友達思いで、なおかつクラスメートとクラスメートを結ぶ「つなぎ役」(=潤滑油)の役割をする人がリーダーであり、人が集まってきます。

最近の社会・世の中では、「個人化」が進み、関心が他者よりも自分に向く傾向があります。他者とのつながりが弱くなっています。

かつ、多くの人が「わたしのことをわかってほしい」というヒリヒリとした気持ちで、自分を軸として言動することにもなりがちです。

三中の生徒たちも、例外ではありません。そこで、学校では「集団づくり」に力を入れ、子ども同士のつながりを強くする取り組みを行っています。
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生きていさえすれば

2016年12月26日 08時29分05秒 | 校長からのメッセージ
インフルエンザが流行りだしています。

インフルエンザにかかったら、子どもが高熱を出します。

高熱を出して、しんどそうにぐったりしていのに接すると、気になって心配になり、早く元気な子に戻ってほしいと思うのは、親の自然な心情です。

元気であってくれさえすれば・・・・・。
こうも思います。

しかし、元気になると、そのように思ったことは、すぐに忘れてしまいます。

本来、子どもが生きていることだけでもありがたいことです。

いつ災害に巻きこまれるかもしれない、いまの時代に、子どもが日々無事に生きていることだけでも、感謝したいものです。

もし、そのように心底思えるなら、子どもにかかわる問題や心配事は、気にならなくなり、ビクともしなくなるのではないでしょうか。

中村天風という人が言いました。



晴れてよし、曇ってもよし 富士の山 同じ山に違わざりけり

これは、「不動の心をもちなさい」という意味だと、私は捉えています。

子どもと私は、いまはいっしょに生活しているが、この子はいずれ自力して親のもとから離れていくもの。

親はこのような悟りをどこかでもちながら、日々中学生のわが子と接することが必要と、自分の体験からも思います。

子育てに悩みや問題があったとしても、わが子が自立し、巣立っていく日まで、仲良く暮らしていこうと、不動の態度で臨んでいきたいし、いってほしいと思います。
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努力が開く可能性

2016年12月24日 19時22分21秒 | 校長からのメッセージ


12月24日、八尾市プリズムホールで、大阪府吹奏楽アンサンブルコンテストが開かれました。


今日は府下129校の中学校が出場しました。

箕面三中吹奏楽部は、管楽八重奏で出場しました。

結果、金賞を受賞しました。(金賞受賞率は、約35パーセント)

「努力は報われる」とあらためて感じました。

努力しても、報われないこともあるでしょう。

たしかに、そうでしょう。

しかし、努力しなければ、ずっとゼロなので、願いや夢が叶うことは絶対にありません。

その意味で、努力することは無限の可能性を開くのです。
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大切ないのち

2016年12月23日 09時09分46秒 | 校長からのメッセージ


昨日、体育館で終業式を行い、2学期が終了しました。

生徒たちには、自転車事故でわが子を失った箕面市内の母親の手記を、私から読みました。

その手記には、自転車を安全に乗ってほしいこと、そして、一つしかない自分のいのちを大切にしてほしいという、切なる思いが込められています。


こんな詩があります。ドイツの詩人ハンス・カロッサの詩です。

生きていなさい!  星が私に言いました。
生きていなさい! 森も小川も言いました。


この詩は絶望して、生きる勇気をなくして、森に入った人に自然がささやいた言葉です。

このように、自然は人に生きる勇気を与える場合がありす。
絶望に向かって振れていた人の振り子が、大自然の景色に接したとき、希望に向かって振り始めることが、実際にあります。

全校生徒のみなさん、この1年間をどういう状況でくぐり抜けてきたとしても、くぐり抜けた日々はすべてみなさんの糧つまり宝物になっています。

楽しかったり嬉しかったりしたこともあったかもしれませんが、つらかったり、悲しかった思いをして、悩んだ日もあった1年だった人もいるでしょう。

しかし、その経験は、ここにいるみなさんの誰一人としてムダになった人はいません。その経験の意味があとでわかることもあります。

どうか、来年もしっかりと生きてください。
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大事なものは、目に見えない

2016年12月21日 22時34分54秒 | 校長からのメッセージ

「昼のお星は眼にみえぬ。見えないけれどもあるんだよ」(金子みすゞ)

目に見えないもののなかにこそ、じつは、大切なことがあるのではないでしょうか。

東日本大地震の直後、さかんに流れていたACのCMに、「思いは見えないけれども、思いやりは目にに見える」というフレーズがありました。

そして高校生ぐらいの男子生徒が、おばあさんの手をひいて階段をいっしょに昇っていく映像が映し出されていました。

クラスの中で、困っている生徒に対して、言葉をかけたり、行動を起こすことが道徳的には重要視されます。

しかし、そもそも友だちが困っていることに気がつかなければ、言動で表すことはできません。

とかく関心が自分に向きやすいこの時代にあって、他者が困っていることに気がつく生徒になってほしいと思います。
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変えようでなく、変わることを願う

2016年12月19日 09時51分19秒 | 校長からのメッセージ

今日から、2学期末の三者懇談。子どものことで、こんな相談がある場合も考えられます。

うちの子は、どうしてこんなにやる気がないのか?

このように、悩まれる保護者の方もおられのではないでしょうか。

どのようにしたら、この子を意欲のある子にできるのだろう。

意欲のある子にできる→意欲のある子に変えたい→どうしたら変えることができるか→この子をなんてか変えたい

この気持ちは、子どもを心配する親の愛情から生まれています。

しかし、裏返して考えてみましょう。「この子を変えたい」は、「いまのこの子はよくない」ということです。

これは、相手を否定するメッセージを送っていることになります。

このメッセージは、子どもを奮起させるためには、ある程度は必要です。

しかし、あまりにも何度も、「よくない」、「よくない」というメッセージを送られた子は、自己肯定をできないようになり、変わろうという意欲を削いでしまいます。

私の経験上、子どもが何に対しても意欲がない、とときどき親御さんから聞きますが、生きて生活しているのだから、何らかの意欲はあるはずです。

子どもが、本人なりにやろうとしていることややろうと思っていることを見つけます。
やらないことよりも、いまやっていることに目を向け認めていく。

教師にもあてはまることですが、親が「変えよう」と思っているときは、子どもは変わりにくいものです。

子どもは変わるものと信じて、かかわりをもっていくと、案外子どもが変わりだすことがあります。
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おせち料理を忘れない

2016年12月17日 08時29分06秒 | 校長からのメッセージ





三中生徒昇降口入った右側に、いま、お正月料理やおせち料理が、写真や絵、模型で展示しています。

本校栄養教諭が、日本の伝統的なおせち料理を知ってほしい、できれば実際につくってほしい、賞味してほしいという願いで展示したものです。

いまは、一からおせち料理をつくる家庭は減ってしまいました。買う人も多いのではないでしょうか。

お正月に田舎に帰省すると、向こうで実家がつくったおせち料理をいただく場合もあるでしょう。


私の子どもの頃は、正月三が日はあまりほかの料理は食べず、おせち料理をずっと食べていました。

じつは、私の家でも、けっこう田舎ですが、いまやおせち料理を買うようになってしまいました。


煮しめ、酢の物、焼き物で構成されるおせち料理はお祝い食の三本柱です。

伝統的料理を忘れずにいたいと思います。
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虹のように

2016年12月14日 06時49分25秒 | 校長からのメッセージ


1年生は、先日、授業で「虹のように」の教材を通して、多文化理解の学習をしました。

1枚目の写真を拡大して、本文を読んでみてください。

「虹のように」を読んで、意見・感想を交流しあったあと、書いたメッセージが2枚目の写真です。


おそらく、外国にルーツをもつ人は、今後国内でさらに増えてきます。

今の中学生が社会に出て働く頃には、職場の隣の同僚が外国人ということもあるでしょう。

そのとき、いっしょに仕事をするうえで、習慣や考え方、文化、宗教のちがいなどに出くわします。

そのちがいを排除することなく受けとめ、相手を認め、折り合いをつけ、合意をとりつける力(合意形成力)が必要になります。

その意味でも。多文化理解教育は大切です。
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進路で親子の意見がくいちがうとき

2016年12月12日 17時37分34秒 | 校長からのメッセージ


           
親が子どもの生活(学校生活・家庭生活)について、いろいろと心配されるのは当然です。

たとえば、進路を考えるとき、親には子どもに進んでほしい進路があります。
子どもには、自分で進みたい進路があります。

これらが一致しないとき、どちらを選ぶことを重く考えるかは、子どもの考え方や親の考え方にもよるでしょうが、基本的には子どもの意向を尊重すべきだと、私は考えます。

その理由は、誰の進路なのかを考えれば、親であろうとも基本的には「親の言うとおりにしなさい」とはならないからです。

中学生が考えることです。大人からみれば、子どもは圧倒的に経験が不足しています。だから「経験のある私が話して、進路を変更させなければ」と思われる気持ちは、理解できます。失敗したらかわいそう。失敗させたくないという気持ちが働きます、

しかし、その決定が子どもの人生において、とんでもない結末になるとか、家庭の経済上無理であるなどの場合、高校受験で明らかに学力が届かない場合などを除き、失敗しないように親が先回りすることは、子ども自身が自分で引き受け、自分で考え、悩み、解決にむけて取り組む機会をなくしてしまうことになります。

「親なのに、わが子にそんな冷たい態度でいいの」「私が守ってやらないと誰が守ってくれるの」と、子どもの生き方に「ああしなさい」と指示するのは、子どもの人生への「介入」です。

この点を深く見つめると、親が介入したくなるのは、子どもが失敗したとき、子どもが解決に向けて動き出せないとか、失敗したときの子どもなりの責任をとれないと思っているから、となります。

子どもを一人の人として尊重するということは、子どもが直面する課題を自分に引き寄せ、考え、こうしようと意思決定する力を育てることです。

ただし、親は何もできないのではありません。以前にも、ブログで述べていますように、思春期の子どもがHELPを求めてきたら、「こう思うけど」「こうしたら」と、子どもを援助することができます。

子どもが「助けて」と言わない限り、子どもに寄り添い「心配しているよ。なにかあったらいつでも相談してね」と気にかける態度でいることも親ができることです。
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人のつながりは連綿と続く

2016年12月10日 08時32分40秒 | 校長からのメッセージ


12月には、我が家では父の法事を行います。

この機会には、故人の思い出話を交わしたり、人柄を偲ぶなど、感謝の気持ちが起こります。

思えば、私たちのいのちの始まりには、必ず父母がいます。

さらにその父母にも、それぞれ父母がいます。その先代には、あまたの人が生きていました。

先代の人々は、どのように生き、次の世代に何を願い、いのちをつないできたのでしょうか。

その生きざまや願いを想うとき、自分もいのちを大切にしたいと思います。

そして、はるか彼方の過去から、ずっと先の未来へ連綿と続く家族のヒストリーのなかに、いま自分が存在していることを、あらためて見直すのです。

それは同時に、先人から受け継いだいのちを大切に思い、それを後継者につないでいくという役割・使命を自覚することになります。

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給食のない日

2016年12月08日 18時22分50秒 | 校長からのメッセージ




本日は3限より2年の球技大会でした。

グランドと体育館に分かれ行いました。

たいへん盛り上がり、躍動感あふれる大会となりました。

球技大会の場合、昼食時間をはさむので、今日は2年生だけがお弁当となりました。

中学校は給食のない日が年間を通じて多い、お弁当が続くと家庭ではたいへんだ、という意見を聞きます。

たしかに中学校は、小学校より給食の日が少なくなっています。昨年度に体育祭に関連して給食のない日が続き、保護者の方から意見をいただきました。

そこで、今年度は体育祭関連では、給食の日を増やしました。

今後も給食のない日をなんとか減らせないかと検討していきますので、なにとぞご理解をお願いします。



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人は一生学び続ける

2016年12月06日 05時47分48秒 | 校長からのメッセージ

一般的にいう「勉強」。これには勉めて(つとめて)行い、人に強いる(しいる)というように、とかく「勉強はしなければならない」というような「苦行」を連想させます。

だから、教師や親は子どもに「勉強しなさい」と言います。

しかし、勉強は知らなかった知識を身につけるものであり、元来楽しいものです。

自分の中学校時代をふりかえっても、地理には自分が行ったことのない地域に目を向け、「どんなところか」と思う楽しさがありました。

歴史には、ずっと昔に生きた人びとの時代に思いを馳せるので、ある種のロマンのようなものを感じました。

理科の生物では、自分が育った自然環境と重ね、興味が駆り立てられました。

このように、勉強とは本来、楽しいものです。

もちろん、知識を身につけ、それを活用していくための努力はいりますが、進めていくうちに楽しさに変わっていきます。

ですから、私は生徒に対して、あまり勉強とは言いません。かわりに「学習」を使います。みずから学び習うという意味を込め使います。

三中で行っている教科の授業をみても思いますが、ただたんに知識を教師が説明し伝え、生徒がノートをとり、覚えるという昔ながらのやり方では、生徒は勉強をしんどいものと感じます。

一方、生徒が興味関心を高め、「学びたい」という気持ちを高めた、そのための活動ができる授業では、生徒の表情がちがいます。そこには、生徒の学びがあります。

学習の目的の一つは、人に役立つためというねらいは、以前にも書きました。そしてその喜びは、最終的に自分にかえってきます。

もちろん一義的には、目の前にある高校受験に合格できるための勉強も必要です。

そのことを踏まえた上で、中学生にとっての学習は、将来、人の役に立つためにやるものです。

人に貢献するには、学校だけで学習は完結するものではなく、人は一生学び続けるものです。人のため、自分のため。その基礎を築くのが、学校での学習です。

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写真が語り始める

2016年12月04日 09時23分01秒 | 校長からのメッセージ

第31回みのお市民人権フォーラム全体会が、12月3日に開催されました。

東北地方大震災後のフクシマを写真におさめるフォトジャーナリスト大石芳野さんの講演を聞きました。

大石さんは原発事故で被災した地域の人びとや風景を撮影されています。

講演では、農地を放射能で汚染された人びとの写真をスクリーンに映しながら、コメントを交えて話されました。

そのコメントは必要最小限にとどめていました。そうなると、不思議なもので、写真が語り出しました。

両手で顔をおおうおじいさんの写真は、農地を震災で奪われた悲しみが伝わってきました。

家族が全員揃った日常をとらえた写真。震災直後、最初は立ちすくんでいた。それでも私たちは生きていますといういのちが伝わってきました。

私自身校長をしていると、あいさつをする機会はたくさんあります。その度に、何を話すかを頭の中で精一杯巡らし、言葉にかえて伝えます。

しかし、大石さんのように言葉は少なめにして写真をみせます。すると、写真が語り始めるのです。

こういうやり方もあるんだと、あらためて感じました。

また、フクシマの人びとにとっていちばんつらいこと。それは忘れられることです。

さらに、フクシマから被災して、転校してきた子がいじめにあうといったニュースが、最近報道されました。

東北をおそった大地震は、今も終わっていないのです。私たちはこの事実を真正面から受け止めたいと思います。

(冒頭の写真は、大石さんからブログへのアップ許可をいただいています)
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ハードルを下げる〜新入生体験入学会〜

2016年12月01日 18時02分35秒 | 校長からのメッセージ




本日は三中の体験入学会でした。
西南小学校、南小学校の6年生が、午後からきてくれました。

体験授業と部活見学を行いました。

以下は、最初の私のあいさつです。
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6年生のみなさん、今日はようこそ箕面三中へ来てくれました。
わたしは、三中校長の主原といいます。

みなさんは、4月からの中学校生活を楽しみにしていると思います。でも、だれでも新しい世界へ入るのはすこし不安があるのではないでしょうか。

陸上競技にハードル走がありますね。中学入学へのちょっぴりとした不安はハードルを越えるようなものかと、私は思います。

だから三中では今日の体験入学会を開きます。体験入学会は、みなさんのもつ、不安というハードルの高さを低くするものです。そして小さな不安を、楽しみに変えたいと思っています。

そこで、私から、みなさんへ、今日の目標を言います。

一人でも多くの、三中で知っている人を増やしてください。
生徒会の生徒でもいいです。教室に案内してくれる1年生のお姉ちゃん・お兄ちゃんでもいいです。体験授業を担当する先生でもいいです。クラブの先輩でもいいです。クラブの顧問の先生でもいいです。

1人でも多くの人を知っていることが、みなさんにとってハードルの高さを下げることになります。

「あ、あの人知っている、去年の体験入学のとき授業をしてくれた先生や」
このように「人」を知っていることが、三中がみなさんにとってぐっと近くなるのです。

ところで、中学校のしくみは小学校とちがいます。みなさんの中には、今日は、とまどうこともあるでしょう。そんなとき、「中学校って私には向いていないな」と思うかもしれません。

でも、覚えていてください。「向き・不向きよりも前向き」という言葉があります。なんでも試してみよう、チャレンジしてみよう。このような前向きな態度で、今日の体験入学会を過ごすことが大切です。

そして、みなさん、4月には希望をもって、三中へ入学してくることを期待しています。
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