箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

教職の自律性・独立性・同僚性

2021年05月31日 08時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私は、よく教員に示していたことは、仕事に「責任」があるということです。

「責任」と聞けば、「ちょっと荷が重いな」と思う教員がいます。
でも、責任はresponsibility=response(応答する)+ability(力)です。

「あなたに、授業、学習指導、生徒指導、学級経営などを任せます」
「あなたには、それらに適切に対応できる力をもった人です」という意味で、授業者・学級担任、部活顧問などを任されているのです。

こう考えると「責任が重いな」という気持ちを、前向きな気持ちに変えることができます。

つまり、教員には自分で自らの責任を果たしていくという自律性が求められます。


そして、教員の仕事は、協同して子どもに接し、チーム学校とかティーム・ティーチングなど、複数の人間で仕事を行う場合があります。

ですが、実際は教室で一人で児童生徒を相手に授業などをやり、子どもにかかわることが圧倒的に多いのです。

そういう意味で、教職は独立性の高い仕事です。独立性の高いのが、教職の特性なのです。

ところが、教師一人で多様な30人ほどの子を相手にするわけですから、当然悩みや迷いが生まれます。

そんなとき、職員室には相談したり、愚痴をこぼしたり、アドバイスをしてくれる教職員が必要です。だから、教職員間には同僚性が求められるのです。

また、世間ではあまり知られていませんが、教師は子どもの学びを深くし、学力を向上させるために、授業の質をブラッシュアップする「授業研究」を協同で行います。

教員同士で授業を参観し合い、子どもの学習意欲を高め、学びの多い授業にするために、スキルや方法を協議をする活動が「授業研究」です。

ここにも、自主性や同僚性は必要です。

自分の授業での方法は、好きに決めていい(独立性・自律性)ですが、児童生徒が学べているかいないかを見る目を養い、助け合うこと(同僚性)が求められるのです。

教職とは、自律性と独立性と同僚性によって支えられる仕事です。

進化した補聴器

2021年05月30日 06時40分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学校には、難聴の障害を持つ児童生徒がいる場合もあります。

その子たちは口話法(相手の口の動きを読みとり、なにを話しているかを理解する方法)、または手話を使ったりして、コミュニケーションをとっています。

そして、補聴器を併用している場合が多いです。

その補聴器は、最近10年間で大きく進歩しました。

わたしが難聴の生徒を担当していた30数年前と比べるとその進歩・進化には大きなものがあります。当時、生徒たちがよく使っていたのは「耳かけ型補聴器」でした。

まわりの雑音を補聴器が拾ってしまい、教室の休み時間のざわざわした音が「ワー」と聞こえしまう点を雑音抑制機能が解消します。、休み時間には、補聴器をした両耳を手で押さえていた難聴の子の光景を思い出します。

また、音の増幅についても、聞きとりづらい音は大きくでき、聞き取れる音は小さくできる機能がついている補聴器もあります。

また、本人に対して前から来る音は大きくして、後ろからの音は小さくできる補聴器もあります。

難聴の子に後ろからけっこう大きな声をかけて、相手を驚かせてしまった経験が、わたしにはあります。

難聴の子にとって、補聴器はからだの一部のようなものです。補聴器によって、かなりの音がわかるようになります。

また、口話法を使う児童生徒にとって、相手がマスクをしていると口の動きがまったく見えなくなります。

その場合は、距離を開け、マスクを取って話すなどの工夫が求められます。

印刷の時間を減らす 学校の働き方改革

2021年05月29日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学校では、以前から児童生徒に配るプリント教材や、「たより」、学校発文書、保護者向けプリントは、教員が授業の合間で印刷するのが慣例となっています。

それも、最新の印刷機ではない学校が多いため、印刷だけでもけっこう時間がかかります。

大阪府の場合、府立高校には印刷を担当する職員がいますが、小中学校には配置されておらず、教員は山積する仕事の合間に、自分で印刷をしています。

また、カラー印刷も自在にできるという環境ではなく、カラーコピー機やフルカラー対応のプリンターは、トナーやインクの使用量が制限されています。

この問題の解決法はの一つは人の配置です。自治体によっては、印刷を担当する業務支援員がいて、原稿を教員からもらうと、必要枚数、必要部数の印刷をしてくれます。

もう一つは、自治体の改善策です。千葉県市川市では、教育委員会が学校の印刷環境の見直しを進めています。

印刷時間を短くして、カラー印刷も十分にできるサービスとして、エプソンが「スマートチャージ」を提供します。

学校での使用状況に合わせて、プランの選択が可能です。また、1分間に100枚という高速印刷ができます。さらに、複数ページの資料を1セットずつちょうあいすることもできます。

これは学校向けの「アカデミックプラン」というもので、カラー印刷もモノクロ印刷も同額で、学校規模による印刷枚数のちがいに対応し、大容量インクを学校規模に合わせ配分し、低コストを実現します。
機械本体、消耗品、保守費用を月額にするなど、優れたサービスです。

本来、教員の仕事は、授業や日々の学校生活、学校行事、部活動等を通して子どもと向き合うことです。

わたしの教員時代は、通信やプリントは本来の業務のための付随したものとして考え実行していました。

でも学校での働き方改革、時間外勤務の縮減が叫ばれる中、印刷に膨大な時間をかける業務は教員から切り離すのも一つの方法だと思います。

行動を変え、意識が変わる

2021年05月28日 08時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ


何かに取り組むとき、「意識が変われば行動が変わる」ということがあります。

学校でなら、「子どものためになることは実行する」という意識を教職員が高くもてば、このコロナ渦の中でも、修学旅行を感染防止対策を万全に行ったうえで、学校として実施できます。

ただ、学校に限らず、組織では、構成員の意識を変えて揃えるのは、そう簡単ではないのです。

そこで、逆の考えをしてみます。


行動が変われば意識が変わる」です。

昨年、コロナ渦で休校が続いたとき、今までのように授業をすることが困難になりました。

そこで、自治体によっては、最初、授業の動画を家庭に配信することにしました。

次にオンラインで授業を行うようになりました。

教員にとっては初めての経験でしたが、試行錯誤してやるうちに、Zoomの使い方にも慣れてきました。

そうすると、今まで保護者に学校へ来てもらい行っていた説明会や懇談会も、忙しい中、保護者に学校に来てもらわなくても、オンラインでできることに気づきました。

教員研修も、学校を空けて研修会場に向かわなくても、講義形式の研修なら学校で受講できるし、参加者がグループワークをして話し合う場面がある研修でも工夫すればオンラインでできる。

このようなことに気がついたのでした。

でも、どうしても直に面するのが必要な会合や懇談会はあるので、それは今まで通りやればいい。

要は、場合に応じて集まり方やコミュニケーション方法を変えればいい。

やり方を変えてみる。行動を変えてみると、それぞれの気づきが生まれ、学びがあり、意識の変革につながることがあるのです。

じつは、児童生徒が行う参加型体験学習も同じしくみなのです。

体験学習の組み立ては、「計画を立て(PLAN)、体験してみる(DO)、ふりかえってみる(LOOK)、成長する(GROW)」となりますが、意識の変革はGROWに位置することになります。

教師が知識を伝達するだけでなく、児童生徒自身が体験して学びとる学習が必要ですし、いま国が推奨する「主体的で対話的で、深い学びの学習」も、この学習原理を一部取り入れています。

子どもに育てられる

2021年05月27日 07時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

子育ては、子どもの側から見れば、親に「育てられる」行為・活動・営みです。

これはよく言われることですが、親の側から見れば、子育ては親が育つことでもあります。

「子育ては自分育て」とか「子育ては親育て」と言われるとおりです。

わが子を育てることを通じて、親が子どものときの自分と親との関係をふりかえり、思い出したりすることで、親のありがたさをあらためて感じます。

また、親ができなかったことを、わが子にはしようとしたり、また、子育てをする中で、子どもにどう伝えたらいいかを考えることで親が成長するからです。

人を育てることで、自分と向き合い、自分を見つめ、ときには反省したりすることで、自分も成長していくのです。

このような訳で「子育ては自分育て」というのです。

同様のことが、学校の先生と児童生徒との関係においてもいえます。つまり、教師は子どもを育てるのですが、じつは子どもによって育てられるのです。

子どもを温かく受け入れ、成長へと導きます。そのためには、自分はどんな力を身につけなければならないのか、授業について研鑽を積み、学び続けることで、自己成長があります。

工夫して子どもにこう話しかけたら、子どもが喜んでくれた。

そして、結果としてみたとき、「子どもに育てられた」と、教師はしばしば言うのです。

人間を育てる教育に携わることで、自身が人間として育てられた。

時代は変わっても、「人育ては自分育て」は子育て・教育の真理を言い当てています。




「はざま」で生きること

2021年05月26日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「くれなずむ」と言う言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。

3年B組金八先生の主題歌「贈る言葉」の歌詞の冒頭に出てきます。

暮れなずむ町の 光と影の中 去りゆくあなたへ 贈る言葉」。

この「くれなずむ」とは、太陽が沈む前、日が暮れかけてから暗くなるまでの間を表します。

昼間から夜に移る、明るいような暗いような景色を思い浮かべます。

ある意味、あいまいな時間だとも言えます。

このあいまいさについて、人が生きていく上で、シロかクロか、ハッキリしないグレー、つまり、はざまの中で生きるあいまいさも必要でないかと思うのです。

納得しなければならないとか、正しくなければならないとか、答えを出さないといけないというように貫き通すことも大切かもしれませんが、それで自分を責めたり、他者にそれを求めすぎるのも考えものです。

人には事情があり、そうなっていることもあるのです。

今回の「自粛を求める」に対して、したがう人としたがわない人がいた場合、したがわない人の攻撃にまわると、お互いにしんどくなります。

それよりも、その事情を受け入れたり、理解したほうがいいと思います。

「まあ、いいか。人にはそれぞれ事情や理由があるから」とあいまいさとつきあっていくのです。

学校教育でも、子どもに正しいことを教えるべきですが、理屈通りいかないことがあることも子どもが学ぶことがあってもいいと、わたしは思います。

その上で、自分はどうするかを考えればいいのです。

人は人、私は私。

この信条をもち、おとなになっていけばいいのです。

くれなずむの隙間をわかる人が多くいた方が、実際、生きやすいのだと思います。


幸福は生きることの意味を感じるとき

2021年05月25日 07時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしの知人で65歳以上の高齢者が新型コロナウイルスのワクチンを申し込むと、7月接種となりました。なかなか順番がまわってこない。

不満が渦巻きます。

また、東京オリンピック開催に否定的な人が多いのですが、政府や大会実行委員会はその声に耳を傾けようとしない。

このように、日本では、新型コロナウイルスに対する政府や関係者の対応に不満をもつ人が多いのが現状です。

今年3月に国連は「世界幸福度2021」を発表しました。

フィンランドが4年続いて幸福度トップだったそうです。

フィンランド国民が幸福を感じるのが高いのは、それほど悲惨な生活をしている人が少ないからではないでしょうか。

とにかく、フィンランドの公的制度をフィンランドの人びとは信頼しています。

政府の公的制度が人びとを公正に守ってくれると、人びとは国を信頼します。そして、その制度を維持したり、さらなる充実をしようとする政治家を選びます。

けっきょく、「信頼」がキーワードになるのではないかと思います。

マスク着用や人との距離を開ける、外出を控えるなどのコロナ対策は、人びとの自発性に委ねられます。

政府への信頼が高いと、感染予防・防止に協力しようとするのではないでしょうか。

フィンランドのコロナ感染死者は5月現在で900人ちょっとです。

幸福とは、感情にすぎません。この日本の生きづらい世の中で幸福を感じるのはどんな時でしょうか。

買いたいものが買える。行きたいところへ行けるなどで幸福を感じるかもしれませんが、それは長続きしないでしょう。
すぐに、「次はこれが買いたい」とか「次はあそこへ行きたい」など、人の欲望は果てしなく続きます。

中学生が職場体験をして、自分のおこないが人を喜ばせることを知ったとき、大きな満足感を得ます。「はたらくこと」で、自分も社会や他者に貢献できることを理解したとき、元気な様子で学校へ戻ってきます。

教師が、こころを傾け、手をかけて育てた子が卒業前から、「先生、ありがとうございました」といわれるとき、大きなやり甲斐を感じます。

けっきょく、人が生きることや人生を意味のあるものにしようとしたとき、他者とかかわる喜び、人に必要とされる喜びを感じるとき、幸福と感じるのではないでしょうか。

「一人ではない」 意味のある他者になる

2021年05月24日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、以前から中学生に「孤独にはなっても、孤立はするな」と何度か話したことがあります。

これは、中学生は友だちと群れているのも楽しいですが、周りに合わせ自分の意思や考えを出さずにいることもあります。

だから、ときには敢えて一人になって、読書をしたり、じっくりと考え、自分を見つめることが、自分がどう生きるかにつながるので、思春期の中学生には必要である。

ただし、孤立は周りの他者と人間関係が途絶えている状態なので、望ましくない。

およそ、そのような意味で、中学生を啓発してきたのでした。

この考えの基本には、孤独が人を成長させるという経験があります。

しかし、最近では、本人が望まない孤独もあるのではないかと考えます。

多くの人が生きづらさを感じる世の中です。人間関係で悩む人がいます。

まして、ここ2年はコロナ禍で、生活苦や生きる意味を見出しにくいという困難に直面する人もいます。

その人たちに、孤独を勧めるのは、一人で、自分で解決しなさいというメッセージになるかもしれないからです。

本人が望まない孤独であるなら、孤独を勧めることはできません。

また、友だちがいても、何か満たされない。心に穴が空いているという寂しさを感じる子もいます。

孤独はイヤ、孤立もイヤという子もいるでしょう。

そんな時、支えてくれるのは、やはり意味のある他者です。

相談できる関係が、今の時代、何よりも必要になります。

おとなは、「電話相談もあるから、相談してほしい」と言います。

でも、いまの若い子はあまり電話をつかいません。

そのため、わたしはLINE相談など、SNSを活用する相談体制をもっと充実させるべきでないかと考えます。

その際、相談を受ける側は言葉のチカラを意識して、メール文も吟味して、「こう書けば相手はどううけとるか」を常に意識している必要があります。

また、学校の教師は、自分の言葉で子どもを支えることがあるし、落胆させることもあることを心得たいと願います。



揺るがない価値観をもたせるには

2021年05月23日 07時52分00秒 | 教育・子育てあれこれ


価値観が多様化する時代です。

そのなかで、子育てをする親御さんは、ある意味で、難しさを感じる時代です。

また、うちの家の教育方針はこれだと思っても、他の家庭は違っているかもしれない。

たとえば、うちでは子どもが中学生の間は、スマホを買い与えない。

こんな方針を貫こうとしても、子どもは「みんなが持っている。なければ友だちづきあいもできない」と言います。

他の親に聞いてみると、「今の時代、スマホぐらい中学生がもたないと。だって、学校でもネットにつながるタブレットをどの子にも持たせるのよ」

わずか10年で、親のスマホに対する考えや価値観は、大きく変化しました。

そんな時代にあって、迷うことも多く、親はいかに自分の家の価値観を子どもに伝えていけばいいのでしょうか。

一つ、必ず伝えるべきは、学習や学力についての価値観を明確に示すことです。

それほど、10代の子にとって、また親にとって、勉強・学習が占める関心は大きいのです。

数学が苦手なわが子は、数学が苦手なことを気にしています。

そんなわが子の得意やなことやできることに目を向けて、
「数学で100点をとるのと、歌を上手に歌えるのも、同じ素晴らしい才能だと思うよ」と言うのです。

大切なのは、そのことを親が思っているだけでなく、はっきりと言葉にしてわが子に伝えることです。

それも、一度だけでなく、折に触れ何度も言うことです。

そう言われ続けたた子は、他の子には負けないことがあるという自信をもつことができます。

燃えるような自信につなげていけます。

親が認めてくれていると感じることが、子どもが自分の揺るがない価値として肯定して、捉えることになります。

つまり、人間には多様な価値があることを、自然に学んでいくのです。



 同じあやまちを繰り返さない 新型コロナウイルスとハンセン病 偏見・排除

2021年05月22日 07時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ


ハンセン病はらい菌が皮膚や神経をむしばむ病気です。しかし、今では治療法が確立され完治する病気です。

ハンセン病の感染力は弱く、ほとんどの人は自然の免疫をもっているので、感染しにくい病気です。

治療をしないで放っておくと身体の変形が起こり、障害が残ることもありますが、早期治療をすれば障害は残りません。

日本では、家族が感染しないように隔離する方針が日本政府によりとられてきました。

第二次世界大戦後も強制隔離政策を継続させる悪法「らい予防法」が制定され、患者は家族と住み慣れたふるさとから引き離されるという負の歴史を重ねてきました。

ハンセン病は、患者さんから感染する可能性はまったくといっていいほどないことが明らかにされ、らい予防法は、1996年に廃止されました。

しかし、社会の人びとの無知、誤解、偏見から、大勢の患者、回復者、家族が苦しんできました。

その苦しみは想像を絶するものでした。私たちは二度とこんな歴史を繰り返してはならないのです。

しかしながら、昨年から続いている新型コロナウイルス患者や医療従事者に対する偏見・排除には、ハンセン病の場合と共通する性格を持っています。

それは、本人だけでなく、家族にまで偏見のまなざしを向け、排除するという点です。

私たちは、ハンセン病と同じ過ちを繰り返してはならないと、強く思います。

ときどき新型コロナウイルス感染者を「隔離」すると言われますが、意識を高くもつと、この言葉のもつ意味あいはセンシティブです。

ふるさとの美しさに想う

2021年05月21日 06時25分00秒 | エッセイ


私が小学生の頃、学校行事として「写生会」がありました。児童が郊外へ出て、深まった秋の風景を画板につけた画用紙に絵の具で写生するというものでした。

どの場所を選ぶかは子どもが自由に決めました。

ある子はお寺にそびえ立つ、葉が黄色に染まった銀杏の木とお寺を写生しました。
また、ある子は遠くから眺めた自分の学校を写生していました。

わたしは、茶色や赤色、黄色に染まった里山を描くことにきめました。

なぜ、それを選んだのか。

初夏や夏には青々としていた山々(「山したたる」といいます)が、さまざまな色をつける(「山装う」といいます)ようすが、ほんとうにきれいさと見事さに惹きつけられ、ぜひそれを絵にしてみたいと思ったのでした。

ただし、そこは絵を描く卓越した技能が自分に備わっていないため、わたしが見ているもの描かれたものの間には大きな隔たりを自ら感じていました。

ただし、私が見ているものは、まぎれもなく生まれ育ったふるさとの息をのむような美しい里山であり、私の体をつかって表現する絵との間の隙間を埋めることは、子ども心にも簡単でないことも感じていました。

そして、同時にその隙間は埋めることができずいまに至っています。

そして、いまや「美しいいう思い・心情に意味がある』とわりきり、過ぎていった長い年月を受け止め、ふるさとに生きることを続けています。


距離はあけるが、こころは近くに

2021年05月20日 08時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ

いま、コロナ渦がとくに10代から30代の若い女性に心理的な重圧をかけています。

なかには、「死にたい」という願望につながるケースが増えています。

既婚者の場合、夫からの暴言・暴力がコロナ渦により激しくなることがあります。夫がリモートでのワークや家にいることが多くなり、夫婦の距離近くなったりや密度が濃くなったりして、夫と過ごす時間が多くなりました。

また、収入が減って生活苦になる場合もあります。非正規やパートタイムで働いていた女性が飲食店等の時短営業の影響を受け、収入が大幅に減ってしまい困窮するということもあります。

住居がなくなり、ネットカフェを渡り歩き寝泊まりしている人も増えてきました。

若い女性の中でも10代の女性の場合は、もう一つ悩みが深くなります。

わたしの教職経験からみると、中学生で父親からの家庭内暴力を受けている子は、じっさいにいます。

また、高校生ともなると、バイトでの収入が減り、家計を助けながら学業を続けていくのに困難を来すこともあります。

もともと、10代の女性は思春期での悩みを持っています。それは心が成長し、安定していく過程におけるふつうの状況であり、心の揺れや葛藤と向き合い、乗り越えていくことでおとなに近づいていく成長期の特徴です。

ところが、この思春期にコロナ渦の影響によって、生活の不安定さが重なれば、その影響はさらに大きくなるのです。

リストカットをしたり、「わたしなんて生きていて、何の価値があるの?」と思いつめてしまう子もいます。

ただし、わたしの知りうる限り、思春期の10代の若い子の問題は、新型コロナウイルスの感染が起こる前から起きていました。

今回、コロナ渦で社会が不安定になり、いままで一般には潜在していた社会の問題があぶり出され、顕在化したという見方をするのが当たっているように思います。

コロナ渦で、程度の軽重はあれども、だれもが少しは心理的な影響を受けています。生活苦の問題に対しては、公的な助けが必要です。

また、人と人が距離を開けるように制限があるいまだからこそ、他者と心でつながる必要がますます高まります。

学校の教職員は、複雑で揺れやすい思春期の生徒の心に寄り添い、「心配している」という温かさで、心情を揺らさないようにするのではなく、揺れ幅を小さくする役割を担いたいのです。


子どもの声なき声に耳を傾ける

2021年05月19日 08時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


3度目の緊急事態宣言が出された大阪府では、大阪市のように授業の一部をオンライン授業に切り替えたケースもありました。

また、府内全域の学校に、学校行事の中止・延期が求められました。

さらに学校の部活動を5月末まで原則休止となっています。

これらの対応は、もちろん変異株が急速に広がってきたからです。
ただし、子どもに感染が拡大はしていないとして、地域での一斉休校にはなっていません

このような状況で心配なのは、児童生徒への心身への影響です。

今までも、昨年の一斉休校により、友だちとの交流ができず、不安を示す児童生徒がいました。また、体調不良になった児童生徒がいました。

昨年の春には、なぜ学校を休みにするのかという明確な説明がないまま、「今が感染拡大防止の正念場」だと一斉休校が伝えられました。

こんなとき、子どもの「声」を聞くことがとても大切です。

よくよく考えてみると、私たちの社会では、おとながきめて、こどもに「こうなりました、こうしましょう」ということが多いのです。

それはしかたのないことです。児童生徒はおとなより未熟な存在だからです。

でも、未熟だからといって、存在しないものではないのです。

存在しているのだから、ちゃんと理解できる、納得できる説明をするのがおとなの責任です。

それと同時に必要なのが、子どもの声を聞こうとすることです。

子どもの願いや思いを聞き、教育を進めていく。これが学校教育の根底に位置づく原則です。

人口減少社会を担うことになる今の子どもたち

2021年05月17日 08時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ


ずっと言われてきた日本の人口減少問題では、2053年に人口が1億人を下回ると言われてきました。

しかし、昨年からのコロナ渦はそれをもっと早く加速させるかもしれません。

コロナ渦で家計が悪化したなどの理由で、2020年に生まれた子どもの数は過去最低になりました。

もはや経済・社会の高成長は望めないです。
日本は今後人口減少で低成長となっていくでしょう。

人びとが富を分け合って、おたがいに支え合う社会にシフトしていかなければなりません。

一方で、コロナ渦が明らかにしたものは、人と人がつながることのありがたさと大切さでした。医療従事者への励ましや応援のメッセージなどがその一例です。

人びとが支え合うしくみを、制度として作り直したり、創設したりする、国としての動きが人口減少時代にふさわしい社会のありようだと思います。

日本は、わたしの子ども時代から一貫して経済成長を追求してきました。でも、これからはちがう将来像を志向します。

人びとが安心して、一日一日暮らせるよう、格差を改善していかなければなりません。

非正規で働く人への経済的支援を拡充する。賃金を引き上げる。そのためには、高収益をあげている大きな企業への課税を増やすことなども必要ではないでしょうか。

けっして高度に成長する経済ではなく、低成長でも人びとが安心して、人とのつながりで幸福を感じながら着実に生きがいを感じる社会こそがめざす日本の将来像です。

いまの小中学生は、日本の人口が予測どおり1億人を切る頃には、30歳代後半から40歳代後半の年齢層になっています。

将来の経済・社会の牽引役ともいえる人たちには、今のうちから学校教育で学んでおくべきことがあります。

それは、自己を大切にしながらも、硬直していない、ゆるやかな人間関係をもとに利他の活動を実行することです。

そのことが、ひいては個人や社会の幸福につながるという体験を学習の中に取り入れることです。

これは、集団活動をする学校だからこそできることです。

授業が楽しい

2021年05月16日 08時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ


家庭を離れ、クラスメートといっしょに学ぶ。

この授業というたくさんの時間が学校にはあります。

学校でいちばん大事なことは、児童生徒にとって授業が楽しいことに尽きると思います。

子どもたちは、難しい内容を学習しても、1時間や一つの単元が終わるころには「わかった」「前よりかしこくなった」と思う積み重ねをしていきます。

そのような毎日を積み重ねてきた子は社会で難しい問題に出会ったり、自分が困難に直面しても、議論して、対話して、トライアンドエラーを繰り返して、他者と協力して解決していこうとするでしょう。

ところが、授業で自分の意見や考えを発表する機会がなく、板書をノートやプリントに書き写すことが中心の授業になると、退屈になり、ボーっとしたりして意欲が高まりません。

結果的に、難しい課題や問題に直面しても「困難をやり過ごす」という術を学習してしまいます。

将来、困難をやり過ごすことが生活をしていく上で役立つときもあります。

でも、すべてにおいてそれが生き方の中心的な態度になるのはよくないです。

少々の困難には立ち向かう力をつけるという授業のはたらきに、みんながもっと目を向けるべきだと思います。

そして、授業をつかさどる教員は、「教育のプロ」としての気概と自覚をもち、指導技術の向上に向け、日々研鑽を積む態度が欠かせません。