箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

東南アジア諸国との友好関係とは

2024年03月31日 06時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは大学生のとき、英語研究部(ESS)に所属し、英語でのディスカッション活動をおもにしていました。

他大学のESSとのジョイント・ディスカッションもありました。

ディスカッションのテーマはいろいろありましたが、その一つはMutual Relationships between Japan And ASEAN Contriesでした。

日本とASEAN諸国は、どのように相互の友好関係を築くべきかを、英語で討論しました。

その当時は1980年代であり、日本はアジアで唯一の先進国、ほかのアジアの国々は中国を含めて、開発途上国という時代でした。

日本は、アジアの開発途上国に対してどう支援をしていくかについて、英語を駆使して話し合ったのを思い出します。

ただ、今にしてみると、当時は経済的に豊かな工業国日本が、貧しい東南アジアの国々をどう支援してあげるかという「上から目線」で東南アジアをとらえていたと、自省します。

そして、おそらく1990年代までは、日本には、「東南アジアを助けよう」という意識があったと思います。

しかし、中国が力をつけ、経済発展を達成し、東南アジア諸国が追いかけてくる状況になった今、日本人のなかには「負けてはいられない」という意識が働きだしているのです。

その意識変化がどのような形で現れているかを見極めなければなりません。

日本で、最近「国家主義」が勢力を見せ始め、自国の歴史や文化を重要視して、国としての誇りを示すべきという流れが気になります。

しかし、東南アジア諸国は「平和主義」です。経済的につながり、豊かな国、人びとのしあわせをつくっていこうというスタンスです。

アメリカと中国が対立関係にあっても、東南アジア諸国はどちらにつくということはなく、共通して、平和を希求しています。

日本は、第二次世界大戦後、平和国家を貫いていまにいたっています。

わたしが過去にディスカッションした、相互の友好関係(Mutual Relationships)とは、豊かな国、人びとのしあわせを求める国々の集合体という友好関係を築くという点で、今こそ鮮やかに色づいてくるのだと考えます。





デジタルコンテンツが増える中学の教科書

2024年03月30日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ
2025年度から、中学校の教科書が新しくなります。

教科書には検定制度がありますので、2024年度に各自治体では教科書採択委員会を開き、どの教科書会社の教科書を採択するかを検討・決定します。

そして、2025年度からは新しい教科書を授業で使っていく運びとなります。

さて、このたびその検定教科書が文科省によって公表されました。

学習指導要領は、引き続き「主体的・対話的な深い学び」の学習を重視しています。

その意味で、生徒が自ら学べるための工夫として、どの教科の教科書にも、各ページの随所にQRコードが貼られ、その数は大きく増えました。

それが、今回の検定教科書の最大の特徴です。

QRコードのリンク先には、動画や統計資料、図形、音声など多岐に渡る学習コンテンツが用意されています。

一人1台端末を活用して、学習での理解を深めたり、主体的に学習ができるよ、各社がこぞってデジタルコンテンツを充実させているのです。

なかでも、2024年度からデジタル教科書が本格的に導入される英語の教科書は、コンテンツの数が著しく増えています。

わたしが考えるのは、学習は時代の流れを受けますので、デジタルコンテンツの活用は当然必要です。

しかし、万能ではないことにも留意しておくべきです。

というのは、以前に数学の図形の授業で授業者は率先して電子黒板にデジタルで対称移動などを指導していました。

デジタルでは図形の移動は自由自在です。

でも、その一方で昔ながらの図形の実物模型を黒板に貼り付けて、手で動かしていました。

そちらの方が、デジタルより、直接的で、とっつきやすく、三角形が重なったりするのが、視覚に届きやすいのです。

模型は黒板上にずっと残っています。授業者が外さない限り。

でも、デジタルは次のステップの学習に移行すりとき、モニターから消えてしまうのです。

あらためて、アナログのよさを再認識した次第です。

何でもデジタルではなく、今までの指導法と組み合わせて活用していくべきでしょう。









人を希望を与える黄色いじゅうたん

2024年03月29日 07時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ
菜の花は美しいとしみじみと思います。畑一面に黄色いじゅうたんを敷きつめたようです。

寒くて長い冬が終わり、見るからに元気な黄色い花が咲き、お互いが競い合うように春の彩りを添えてくれます。

その黄色の印象が強すぎることなく、他の花や周りの緑と調和するのです。

これがマリーゴールドとかひまわりの場合は黄色の印象が強すぎることがあり、周りと調和しないこともあるのです。

そういえば、昔聞いた話ですが、自死を考えていた人が、あてもなくさまよっていると、東京四谷駅の裏にさしかかったとき、見事な菜の花の群生を見たそうです。

あまりの美しさに、心打たれ、死に向かっていた心の振り子が、生きる方向に打ち出したそうです。

自死の意図が消えて、「やっぱり生きよう」と改心したそうです。

菜の花は人に希望を与える花なのです。

感動することで、短く感じない

2024年03月28日 06時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私も感じることが最近では多いのですが、月日というものはあっという間に過ぎていきます。

この前、お正月を迎えたと思ったのに、もうまもなく4月で、進級、入学シーズンをむかえようとしています。

人は年齢を重ねるほど、月日の過ぎるのが早いと思うようになるようです。

その理由は、年齢を重ねるにしたがって、新しい体験や経験が少なくなるからではないでしょうか。

若いときに、時間が過ぎるのが長く感じられるるのは、新しい体験や経験を通して、考えることが多くあり、感動することが多いからではないでしょうか。

その意味で、若い頃は人生が充実しているからともいえます。

ですから、ある程度年齢を重ねてきたら、新しいことにチャレンジしてみたり、未知だった人と出会うようにするといいのではないかと、考えます。

行ったことのないところへ出かけるのも効果的だと思います。

要するに、感動することを増やすのが、日々を充実させ、「あっという間に1年が過ぎた」ということをなくしていくことになるのでしょう。



女子大だからこそできること

2024年03月27日 07時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
近年、女子大が共学大に変わるケースが増えてきました。

志願者数でみると、たしかに女子大離れが進んでいて、学生数を確保するためにたくさんの女子大が共学化してきています。

しかし、今から「うちの大学も」と共学化するのなら、もう遅いのではないかと、わたしは考えています。

そもそも、女子大の教育内容が共学大より劣っているということはありません。

質の高い教育内容や就職支援に手厚い女子大はたくさんあります。

事実、わたしも女子大の講師として、女子学生に関わっているからこそ、そう思うのです。

教職員が丁寧に指導して、企業からの評価はけっして低くはないのです。

くわえて、男女格差が以前として大きい日本では、まだまだ女性に特化した教育機関が存在する意義は大きいと考えられます。

意欲はあるのに一歩踏み出しにくい女子学生の力を引き出し、自信をもってキャリア形成をする人を育成するのは、女子大だからこそできるのです。

そして、女性として大切にされている、尊重されていると学生が実感できる大学経営で、特色のある大学教育を提供することで、女子学生を集めるのが、生き残る道です。

冒頭に言った今から共学化するのは遅いとは、そういう意味です。

今から共学化するなら、数ある共学大学の一つとして、埋もれてしまうでしょう。

女子大では、大学祭もイベントも部活も、女性がリーダーを務めます。

グイグイと人をひっぱって動かすのではなく、力でもって押し切るのではなく、人と人をつなぎながら合意をとりつけ、ものごとを成し遂げる。

自分の意見をもちながら、周囲の意見を尊重して、対話を重ね、さまざまなことにチャレンジする女子を育てるのが、女子大の強みです。







気まぐれがいい

2024年03月26日 07時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
太陽は規則的で、毎日東から昇り、西に沈みます。

人に例えれば、裏切らない、信頼を置くことができる人です。

ところが、月は気ままです。

出没する場所は、バラバラです。

カタチも満月だったり、三日月だったりします。半月のときもあります。

さらに、新月は姿を現さない。

加えて、夜だけとは限らず、昼間に白い月がでていことさえあります。

太陽は安定した、絶対的な存在感を示します。

月は気まぐれ。

それでも月は、はちゃめちゃで、それが魅力でもあります。

進む翻訳機能

2024年03月25日 05時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ
少し前まで、学校教育での英語教育の目的は、英語の習得だけでなく、言語学習を通して、異文化を知り、人同士が相互理解を深めるというねらいでした。

しかし、グローバル化の流れの中で、英語習得を将来の職業につながるという必要性が認知され、英語を聞いて、話して、書いて、読めることにシフトしてきました。

そもそも英語は、学習指導要領での選択教科だったのですが、必修教科となりました。

小学校でも英語学習は重視されるようになり、もっぱら実用面が重視され、使える英語を日本社会では要求します。

ところが、昨今のAIの進化は目を見張るものがあります。

かなりの程度まで、翻訳機能が充実してきています。

海外文学を翻訳するのに使えるかといえば、まだそこまでは無理で、誤訳をすることもあります。

その文学が書かれた背景まで理解して、作品の機微を伝えるには、不十分です。

しかし、作品の内容やあらすじを把握するくらいであれば十分に使えます。

今後AI翻訳が改善され、翻訳家の仕事を脅かすことになり、普及すれば単なる道具として英語を学ぶのではなく、言語を通じて異文化を知り、相互理解を深めるという少し前の外国語教育のあり方に戻るのではないかと思います。


また、語学を英語に特化する必要もなくなると思います。


あなたは悪くない

2024年03月24日 07時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校に通ってくる児童生徒の家庭背景や幼少期から育った環境はいろいろです。

大人への十分な愛着が形成されずに育ってきた子は、あまり大人への信頼を寄せません。

十分な愛情を受けなかった子は、学校でひねくれたり、すねたりすることが多くあります。

自己肯定感が低いことが多く、クラス集団の中でも、「どうせオレなんか」「わたしなんかいなくったって・・・」が口ぐせのようになっている場合が多くあります。

その子たちに愛情をかけ、人との出会いなおしをさせ、前向きに生活を送っていけるように支えていくのは、教師の役目です。


「あなたは、悪くない」

映画「Good will Hunting/旅立ち」(グッドウィルハンティング 旅立ち)は、1997年にアメリカで公開されました。

その映画の中で、心理学者ランボーが、青年グッド・ウィルに言った言葉が、

「あなたは、悪くない」でした。


薄幸の生い立ちのトラウマを引きづり、暴れて、おどけて、大声でどなる青年。

そうなると、人が近づかなくなり、孤立して、余計に他者に悪態をつき、悪循環に陥ることも多いのです。

しかし、ランボーはちがっていました。

相手を責めず、受けとめ、青年を抱きしめました。

そうして、苦しむ青年もまた自分を抱きしめ、自分を許すようになるのです。

そして自らに言うのです。「あなたは悪くない」と。


学校教育の中でなら、こうして築いた人間関係は信頼関係に変わります。

これが教師にとっては、教師をつとめる醍醐味です。

子どもを見捨てずにかかわるのです。



この映画のテーマを体現したような楽曲が国内にもあります。

「最後のカタルシス」という曲です。

歌詞の意味をかみしめたいと思います。



最後のカタルシス(2012年)

作詞:秋元康  作曲:伊藤心太郎

やさしい瞳で
叱ってくれたね
あなたは
母親のように…
まわりの大人は
あきらめてたのに
どうして
名前を呼んだの?

路地裏のネオン
雨に打たれた猫
荒んでた心に
希望の光が射す

もう一度 生きようか?
ここから抜け出すんだ
ボロボロの過去なんて
捨ててしまおう
もう一度 生きようか?
未来は外にあるよ
眠ってた魂は
最後のカタルシス

少ない金貨を
握らせてくれた
あなたに
返しに来るから

道のゴミ袋
誰かの怒鳴り声
望まれず生まれて
望まれる夢を見てた

俺なりに生きてみる
やりたいようにやるさ
この世に正解も
間違いもない
俺なりに生きてみる
何かが始まるだろう
傷ついたその分だけ
祈りはカタルシス

もう一度 生きようか?
ここから抜け出すんだ
ボロボロの過去なんて
捨ててしまおう
もう一度 生きようか?
未来は外にあるよ
眠ってた魂は
最後のカタルシス

俺たちは生きるんだ
たとえ何があっても
そのドアを開けてみろ
すべてはカタルシス


カタルシス(catharsis)は、浄化と訳されることが多いです。

心の奥底にしずんでいたネガティブな感情を吐き出して解放して、重くイヤな気持ちを浄化します。


行間を読むときに使う知識

2024年03月23日 07時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私たちは日常生活で、毎日さまざまなできごとに出会います。

そのできごとをどう捉えるかは、そのできごとだけでなく、原因は何だったのかとか、このできごとは、のちにどういう影響がでるだろうかと考えるのです。

つまり、私たちはできごとの行間を読もうとするのです。

そのときに使うのが、その人の知識です。

その知識は、自分の経験とつながりをもつのです。

経験に基けば、その知識はたんなる「知っていること」ではなく、いきた知識になります。

小さな子どもは、経験に基づき知っていることが完全な知識でなくても、どんどん言葉を使い、一気に語彙を増やしていきます。

試行錯誤を重ねて増やした知識は、次の学びにつなげていけます。

子どもの学びや学習とはそういうものです。

ときとして、知識の修正が求められることもありますが、子どもは柔軟なもので、失敗をして修正していくのです。

失敗をして、学び、課題を克服したとき、子どもの精神力は強くなります。 

そのような学習が学校の授業の中でとりいれられていれば、子どもが学びから逃げ出すことはありません。

もう昭和モデルは捨てないと

2024年03月22日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昭和時代の高度経済成長期には、夫は自分の時間をすべて仕事に費やし、一家の収入を稼ぐのがふつうでした。

妻は家事労働を一手に引き受て、それによって一家の暮らしが成り立ち、国は高度経済成長を維持して、経済大国になっていきました。

しかし、令和の今、そのようなモデルは成り立ちません。

大きな経済成長は望めないですし、夫の収入は一家をまかなえるほどはありません。

夫も妻も働かないと、生活ができず、子どもも育てることができないのです。

それが昭和の頃と大きく異なる点なのですが、日本の社会は依然として、家事労働のほとんどを妻が担っているのが現実です。

それだけではありません。日本は法制度や税制度も昭和モデルをもとに作られたままです。

夫が稼ぎ手で、妻は被扶養者であるという前提で、年金制度もできあがっているのです。

そして、家事労働は無償と決められ、家事労働対する国支援はほとんどないのです。

これでは、子どもを産んで育てていこうとする気になれないです。

少子化は、時代が変わっているのに、昭和モデルをひきずっている社会のあり方が引き起こしているといえるでしょう。











教師の存在意義とは

2024年03月21日 07時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今の学校では、教師は忙しく、児童生徒とゆっくりと時間をとって話す余裕がありません。

 

わたしが教師になってしばらくは、土曜日にも授業が午前中だけありました。

 

それは、完全学校週5日制が導入された1992年より以前のことです。

 

土曜日の午後からの時間は、ほんとうにゆったりと時間が流れていました。

 

中学の場合なら、ゆっくりと昼食をとって午後からは部活にいそしむ。

 

そのような教員生活を送っていたのを思い出します。

 

しかし、その後は、学校に求められる教育のとりくみ課題は肥大化し、社会からの要請もあり、「これはしなければならない、あれもしなければならない」となり、業務量が増えてきています。

 

授業の準備も、学校行事の準備もあり、本来の仕事の一つである生徒との対話もままならないのです。

 

そのようにして小学校6年間を終え、思春期を迎えた生徒(中学生)は、心が揺れ動く、変化の大きい年齢になっったときに、教師に自分の悩みや困りごとを相談することを知りません。

 

つまり、「先生は相談できる相手である」という認識をもっていないのです。

 

それにくわえ、いまは教師自身も「話ができる人間関係」を求めていないかも知れません。

 

そこで、生徒にすれば「先生に相談してどうなるの?」となります。

 

生徒にとって、それだけの存在にもなっていないのかもしれません。

 

でも、わたしが知っている限り、「先生に助けられた」とか「先生に救われた」という実感をおとなになってももっている人は、じっさいにいます。

 

どんなに忙しくても、生徒の話を聴き、生徒の相談相手になることは、教師である以上は必ず求められる業務だと思います。


教師の存在意義は、ここにあります。

 


英語が使えるだけでは・・・

2024年03月20日 07時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
イギリスの教育情報誌が、世界大学ランキングを発表しました。

それによると、1位はオックスフォード大学、2位はスタンフォード大学でした。

日本の大学は、東京大学が29位、京都大学が55位と低迷しています。

中国やシンガポールの大学よりも遅れをとっています。

日本の大学の評価は低下し、少子化による学生数の減少が見込まれています。

そこで、いま日本では、秋季入学を導入する予定の大学があったり、海外からの留学生の受け入れ拡大をはかる大学が増えています。


そして、英語による授業が行われ、日本人の学生にとっては、各国から集まった学生に囲まれ、世界の共通語である英語を身につけることができると意図しているのが、最新の大学情報です。


しかし、長年英語教育にかかわってきたわたしから見ると、英語は使えるにこしたことはないですが、グローバル世界や国際世界で活動するには、それだけでは不十分です。


世界や国際的に通用する人権感覚・人権意識を身につけていないと、立ち行かなくなります。


国連の人権理事会が、日本に是正を勧告している案件が多数あるのが現状です。


英語が使えるだけで、コミニケーションができると考えるのは早計です。


国際的に通用し、活躍できる人材は、人と人との間の良好な人間関係を築くことができる人です。


コロナ禍が思い出に変わるとき

2024年03月19日 06時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
阪急電車の宙吊り広告に、思わず視線が釘づけになりました。

関西学院大学からのメッセージでした。

次のように書かれていました。

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「声のない時間を

会えない距離を

たしかに乗り越えた

今があるのはその証

流れ落ちずに

積もるもの

人はそれを思い出と呼ぶらしい



手がかかる子でも

元気でいてくれるなら

いいと思った

もう戻ることは

できないけれど

見えない距離をつなぐもの

人はこれを思い出と呼ぶらしい


Soar toward the future

関西学院大学

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卒業シーズンですが、3年で卒業する学校なら、2年間は感染防止で制限された学校生活の日々が続いた人。

4年で卒業する学校なら、入学と同時に3年生の終わりまでキャンパスへ自由に行けない日々が続いた人。

いわば、「フルコロナ世代」が、今春卒業します。

それでも、何もできない学校生活ではなかった。何もしない人はいなかったはずです。誰もが何かをしてきたのです。

今、耐えた日々が思いに変わる頃。祝卒業‼️

責任を果たすことと他人にたよること

2024年03月18日 06時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ
責任と格差社会が進行する今、「親ガチャ」という考えが、最近よく言われます。

子どもは親を選ぶことができない。生まれた家庭環境により、その子の人生が決まってしまう。

何が出てくるかは、自分で選べないというガチャポンになぞらえた言葉です。

それは「環境決定論」をもとにしています。


それに対する反論も、対極から言われることがあります。

何を親のせいにしているのだ。自分の努力が大切だ。自分が努力すれば人生は変えることができる。

こちらは、「自己責任論」とでも言えるでしょう。

この二つのどちらにつくかでは、極端すぎます。

ものごとは、なんでもそうスッキリと分けることができないことが多いものです。

かりに自分の人生がたとえ生まれてきた環境によって決まっているとしても、自分が自分である責任は自分にあるのだから、人生を自分のものとして引き受けていく。

そのように、中庸で、ポジティブな考え方をするから、その人らしい人生が色濃くつくられていくのだと、わたしは考えます。

しかしながら、それは中庸と言いながら、結局は本人の努力を求めるという点で自己責任論でないのかというそしりを受けるかもしれません。

しかし、それにはあたりません。

責任を果たすとか、責任を引き受ける人生というのは、他者にたよらないということではないからです。

困ったとき、苦境にあるときには、「助けて」と、他者に助けを求める人間関係を維持して、自分が自分である責任を引き受けるのです。

わたしは生徒たちに、そのことを「自立」という言葉でまとめ、中学生の時期はは自立に近づくことが目標であると伝えてきました。

ひらたく言えば、自立とは何でも自分ですることではないのです。困ったときには人に頼り、「助けて」と言える豊かな人間関係を築くことが、ほんとうの自立です。

そう言ってきました。

親ガチャでも、自分の努力が足りないのでもない、人は他者にたよりながら、自分が存在することの責任を果たすのです。








ある程度見通しがつくと、まず決断・行動する

2024年03月17日 17時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
ものごとをなすとき、見通しを立てたり、もったりすることは大切です。

でも、完全な見通しをつけてから、決断し行動する人は、じっさい決断し、行動することはできないのだと思います。

たしかにどうすればうまくいくか、どうすればリスクを回避できるかを考えることは必要でしょう。

しかし、あまりにも完全主義におちいると、いつまでも決断できず、行動できずに終わってしまうことがあります。

iPhoneのように、ある程度機能が充実してきたら、まずは世の中に出す。

そして、ユーザーが使っていくと不具合が見つかる。

それをその都度、アップデートして、不具合を解消しながら、より精度を高めていく。

iPhoneが成功しているのは、力強く前に向かって行動を起こしていくことが原動力になっているからでしょう。