箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

人を応援することは尊い

2020年11月30日 08時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ


アーティストやアスリート、また芸術家、演奏者、芸能を仕事にしている人にとって、ファンの存在はありがたいものです。

ファンの中にも、いわゆる「オタク」というコアなファンがいます。

その人たちは、気に入った「推しメン」をもっていて、その人のタオルや写真、うちわなどのグッズをもっています。

この「オタク」を海外から来た人に説明するには、どんな英語を使うといいか。

They are the people who have a great enthusiasm for the artists they like.

They spend a lot of time and money on character goods, and it seems they know everything about these things.

さしずめ、こんな感じでしょうか。


人気がなくなると、一目散に離れている人が多いなかで、コアなファンはそのアーティストのもとに集まってきて、一生懸命に応援します。
これはこれで、素晴らしいことです。

そんな時、コアなファンは、どれほどそのアーティストを励ますことになるか。


人を励まし、応援することは尊いことです。

今はコロナ禍で、無観客のライブやコンサートで、オンライン配信をすることも増えてきました。

以前に浦和レッズのサポーターが「JAPANESE ONLY」という横幕を掲げた制裁で、当時にしては異例の無観客試合を課せられました。

レッズの選手は、「応援がないと力が何となく出ない。普段のサポーターの応援のありがたさを、あらためて感じた」というコメントを出していました。

わたしは、このエピソードを挙げて、中学生の体育祭でクラスの応援をしっかりしょうと呼びかけました。

応援や声援を受けると、人は全力で走っていても、あと一歩の力を出せることもあるのです。

他者を励まし、応援して勇気づける存在は、やはり大きいのです。




やっているときに声をかける

2020年11月29日 08時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ



こんな教師はよくない。

生徒が掃除をやっていないときに、

「ちゃんと掃除をしなさい」。

生徒がノートをとっていないときに、

「ちゃんとノートを書きなさい」

こんなとき、生徒はよけいにやりたくなくなります。

ところが、次のような教師は、生徒にやる気を起こさせる。

掃除をしているときに、

「一生懸命やってるね」

ノートをとっているときに、

「ていねいに書いてるね」

やったときに、認められると、生徒はいつもやるようになります。

その継続が「習慣」となります。

親がわが子に声をかける時も、基本的には同じです。



他者への感謝

2020年11月28日 08時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人は学生の間は、その人にとって親や先生の存在は、基本的に大きいと言えるでしょう。

社会に出るまでは、家庭で親が、学校では先生が気にかけてくれ、励ましてくれたりします。
 
つまり、自分のことをいいようにみてくれるという前提があります。

そこで、人は学生の間には親や先生がどう評価しているかを、軸として、それをひとつの目当てに生きています。

しかし、これが社会でも同じだと思い込んでいると、とんでもないのです。

社会はそんなに甘くないのです。お金が関係してくるので、家庭や学校とは違うのです。

社会へ出れば、自分は吹けば飛ぶような存在であると思い知らされます。

たくさんの人の中のたんなる一人であり、語弊があるかもしれませんが、いてもいなくても関係がない、通り過ぎていく存在になるのです。

これが社会の厳しさであり、いま就職したての若い人の中に、「仕事がつらい、やめたい。会社に行きたくない」と、SNSに書き込んでいる人がいるのは、こういった事情なのかもしれません。

そこで、自分のことを「特別な人」と思ってくれる家族や恩師、友人にいかに感謝できるかが試されてくるのです。

それが大人になるということなのでしょう。

他者に対して、どこまで責任をもてるかが大人になることなのだといえます。

別の言い方をすれば、自分のことだけを考えていると、悩みが大きくなり、深くなるのです。

自分はこれからどうなるのか、他者から自分はどう思われているか、自分がうまくいかないのはなぜ。

考えや思考のベクトルが、自分にばかり向くと、それで頭の中はいっぱいになり、となりで同じように悩んでいる人のことが見えなくなります。

やはり、関心のベクトルは、自分より他者に向けたほうがいいようです。

そうすると、周りの人に感謝できるようになります。

中学生に何度か伝えた言葉があります。

与えて恩を願わず。受けて恩を忘れず。

不安な1年を過ごして

2020年11月27日 09時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ

2020年もあと1か月ちょっととなりました。

新型コロナウイルス感染拡大の影響が大きすぎて、教育の現場でも、本当にたいへんな1年でした。

春という季節は、新しいスタートを迎え、期待して迎えることも多いですが、その一方で、まわりの環境が変化することに不安を抱きやすいものです。

期待ばかり、不安ばかりというのではなく、多くの生徒にとっては、期待と不安が入り混じった生活を送るのが、春という季節です。

そこに今年は新型コロナウイルスというイレギュラーなできごとが入ってきて、なんらかの影響を受けた児童生徒は多かったと思われます。

新しい学校、新しいクラス、新しい人間関係、新しい学習に思いを巡らせているところに、突然降ってわいたような臨時休校で、新しい学校生活を体験する機会と場を失い、「不安」が大きくなった子が多かったようです。

じっさい、再登校してきた生徒に「休校の間のあなたの気持ちはどんなものでしたか」と聞くと、多くの子が「不安だった」と答えていました。



6月に入り、途中から分散登校が始まりました。子どもはどんな様子だったのでしょうか。

ちょっと意外でしたが、子どもたちは、おとなしく、落ち着いていました。

分散登校はクラスの半分のクラスメートしか、その日には来ないので、少人数で、外から受ける刺激も少なく、ある意味、過ごしやすかったのかもしれません。

ところが、一斉登校が始まってからは、様子が変わってきました。体調不良を訴える子、何か気持ちが落ち着かないという子、うつむいて伏し目がちになる子などが気になるようになりました。

中学生は思春期の子どもですので、ただでさえいろいろな悩みを抱えています。そこに加えて、なにか落ち着かず、は「理由が自分でもわからないのです」という状況でした。

ちょっと眠れない、あまり食欲がない、急に泣きたくなる、家にいたら淋しくなる。

不安定な生徒が目につく日々が続き、思いあぐねた教師は、生徒の保護者に連絡を取りました。

やはり、親御さんも家庭でもわが子の様子にとまどい、どうしたものかと思案されていたのでした。

「うちの子だけかと思っていました」

「いいえ、まだ中学生なので、不安になるのは無理もないことですよ。不安になっているのはほかの子も同じです。どう支えていくかを学校と家庭でいっしょに考えていきましょう」

そうすると、保護者も安心して、相談がスムーズに進みました。

親御さんが落ち着くと、子どもが落ち着くこともありました。

考えてみれば、新型コロナウイルスで不安なのは、子どもだけでなく、大人も多かれ少なかれ同じです。

2学期、学校の教師は、生徒から相談を受けて、答えに導くことができなくても、不安な気持ちを聴く。

そして、現在の状況を生徒本人と保護者とともに、教師がいっしょに受け止めていく。

ここに、教師がいる意味があるのです。



行動が変わると意識が変わる

2020年11月26日 08時13分00秒 | 教育・子育てあれこれ

最近、国内で外国人が増え、接する機会が増えています。

それを背景に、乗り物のアナウンスが日本語とともに、英語などの外国語でも放送されることが増えてきました。

そのアナウンスについて、

飛行機に乗ると、CAの機内アナウンスはおきまりの「Ladies and gentleman・・・」から始まりました。

でも、今年の秋から日本航空JALでは、性別を前提としない「Good morning ,everyone」に変更しました。

また、国内では、家庭をもち妻である人が、家族外の人と話しているとき、自分のパートナーのことを「うちの主人が」という慣習は今でも残っています。

その会話には、男が一家の主(あるじ)であるという固定観念に基づく言葉としての「主人」が使われます。

一方で、「主人」のかわりに「夫」を使う人も最近ふえてきました。

また、「うちの嫁さんは」という「嫁」は書いて字のごとく、「女は家にいるもの」という固定観念に由来しています。

でも、心得た人は、「うちの妻」とか「わたしのつれあい」と言います。

このような変更は、とるにたらない小さなことかもしれません。

でも、おなじみの言い回しを変更することは、性のあり方をきめつけたコミュニケーションの方法を見直すきっかけになります。

人びとが言動や言葉を変え続けると、意識が変わることにつながります。

つまり、行動の定式化は、意識の変容になるです。

学校でも、教師が児童生徒のことを、名前を呼び捨てにするのは問題外だとしても、「くん」「さん」と呼び分けすることを見直す動きがあります。

また、スカートにするかズボンにするかで、制服を選択できるようにする学校も出てきています。

きめつけや偏見は、じつは、どこにでもあり、私たちの日常生活のなかに組み込まれていて、知らず知らずのうちに使ってしまいます。

でも、それにより、傷つく当事者がいます。

そこから抜け出すためには、何げなく使っている言葉や従っている習慣を意識的に変えてみる、小さな行動や工夫を積み重ねることが効果的だと思います。

学校の中で、教職員が行動を変えないと、児童生徒は固定化したものの見方、考え方しかできないままなのです。





SDGs「持続可能な開発目標」と学校教育

2020年11月25日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ
SDGsは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、2015年9月の国連サミットで採択されました。

国連加盟の193か国が.2016年から2030年の15年間で、17個の目標の達成をめざします。


17の目標をそれぞれ要約すると、次のとおりです。
目標1 貧困をなくす
目標2 飢餓をゼロに
目標3 すべての人に健康と福祉を
目標4 質の高い教育をみんなに
目標5  ジェンダー平等を実現
目標6 安全な水とトイレを世界中に
目標7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに
目標8 働きがいも経済成長も
目標9 産業と技術革新の基盤をつくろう
目標10 人や国の不平等をなくそう
目標11 住み続けられるまちづくりを
目標12 つくる責任 つかう責任
目標13 気候変動に具体的な対策を
目標14 海の豊かさを守ろう
目標15 陸の豊かさも守ろう
目標16 平和と公正をすべての人に
目標17 パートナーシップで目標を達成しよう



SDGsのユニークな点は、たんに目標を掲げて実現に努めるだけで終わらず、この数値目標を定期的にモニタリングしていくことにあります。

その進み具合をモニタリングしていく方法として、国連ハイレベル政策フォーラムで各国がその進捗状況を報告しあいます。

日本では2016年5月20日に第1回SDGs推進本部の会議が開催されました。それ以後は、毎年2回開催されています。

SDGsを取り組む領域は、おもに3つに分けることができます。

①経済・ビジネスでのSDGs
2017年11月に経団連が「行動企業憲章」を改定しました。
その中で、Society5.0(ソサエティー5.0)というコンセプトのもとSDGsに本気で取り組むことを宣言しました。

Society5.0(ソサエティー5.0)とは、狩猟社会(Society1.0)→農耕社会(Society 2.0)→工業社会(Society 3.0)→情報社会(Society 4.0)に続く超スマート社会(Society 5.0)のことです。

人類がこれまで歩んできた社会に次ぐ第5の新たな社会を、デジタル革新、イノベーションを最大限活用して実現するという社会がSociety5.0です。

これまでは企業はどちらかと言えば、儲けたお金の一部、余ったお金を使って社会貢献しようという考えでした。

しかしSDGsでは、本業で儲けながら世界を変えていくという大きな変換があります。ビジネスの力、お金の力を使って世界を変えていこうという流れになっています。

いまは、消費者が持続可能な世界に考慮していない企業の商品は買わなくなり、持続可能な社会に考慮している企業の商品を好んで買う傾向になっています。

②地方創生のSDGs
日本国内の各地域でもSDGsを活用して地方を創生していこうという流れになっています。

2018年からその動きは始まり、2020年7月に「SDGs未来都市」が発表され、33の都市が選ばれました。

SDGs未来都市は、持続可能な都市・地域づくりを目指す自治体を政府が選び、10都市には予算をつけてサポートしています。

どの未来都市も、経済、環境、社会の3つの面で、そのバランスをとりながら取り組んでいます。

この3つのバランスを取ることが持続可能を実現する上でたいへん重要だということがわかります。

③次世代・女性のエンパワメントとしてのSDGs

SDGsの取り組みの中でも、その対象を、とくに直接人に焦点をあてたものです。

働き方改革、社会での女性の活躍、多様性・バリアフリーの推進、子どもの貧困対策、次世代の教育振興、健康経営の推進、感染症対策などの保健医療の研究開発など多岐にわたります。


以上が SDGsの概要ですが、このブログでは教育をテーマにしています。
そこで、SDGsは日本での教育にどう関係するのでしょうか。

教育については、SDGsの目標4が示すように就学前から小学校、中学校、高校などのすべての学校で質の高い教育を提供することが求められます。

そのためには、子どもの学力を伸ばす質の高い授業が、毎日、どこの学校でも実践されなければなりません。

また、かりに新型コロナウイルス感染症が収束したとしても、今後もあらたな感染症が広まるかもしれません。

そこで、感染拡大防止のためにも、1学級の人数をもう少し少人数で編成できるようにすること、またICT環境の充実など教育条件の整備が急務になります。

かつ、子どもや若い世代が自分の権利を自覚し、自分の能力を開花させる育成環境を提供するよう努めなければなりません。

さらに、学校での人権教育では、SDGsのとくに目標1、5、10、16に関連して、男女共生の学習や平和学習、さらには年齢、障害の有無、家庭の経済的状況、人種、民族に関係なく、みんなが対等な立場で共生することを学ぶ学習機会が保障されなければなりません。

また、この人権学習は、学校卒業後も生涯学習の中でも学べるようにする必要があります。

このように、SDGsの推進のためには、学校教育の役割も重要であると、わたしもあらためて認識した次第です。

(画像は、NMB48がTwitterに公開している、SDGsとタイアップした楽曲披露[日本科学未来館]のものを使わせてもらいました。)

関心が他者に向くこと

2020年11月24日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いまの人びとは、個人の関心が他者にではなく、自分に向く傾向が強くなっています。
この傾向を、研究者はプライバタイゼーション(privatizatin=私有化)と呼びます。

この用語が教育界や社会的な人間関係について使われるとき、プライバタイゼーションは「個人化」という意味でとらえることができます。

個人の関心が自分に向き、言動が他者ではなく自分軸で行われます。

他者のことよりも、「わたしが」、「わたしは」となります。

「わたしが、こんなに傷ついている」
「わたしがこんなにたいへんな思いをしているのに」
「わたしの悲しみ(腹立たしさ)をわかってほしい」
「わたしのことを気にかけてほしい」
・・・・・・・・・・・・・・・

みんなが「わたしのことをわかってほしい」という、ヒリヒリした気持ちでいるのです。そんな時代です。

そのなかでも、周りや環境になじめない、なじみにくい人は、臨床心理に基づくカウンセリングや教育相談で、傷ついた心を癒したいという人が増えています。

このコロナ禍で「自粛警察」が問題になったのも、「わたしはこんなにがまんしているのに」とか「わたしはこんなに協力しているのに」という思いが強いからと考えることができます。

「マスクをしない人は許せない」「時間を守らず店を開けて、けしからん」という発想になります。

そこで、いまの時代に必要なのは「公共性」という概念です。

「公共性」は、自分と社会の関係を知り、社会に参画する主体として自立することや他者と協働してよい社会をつくり、今の社会の課題を解決しようとする言動になって現れます。

公共性はさまざまな人が社会で共に生きていくために、学校の児童生徒が学習して、身につける言動様式です。

先ほどのマスクをする/しないについてなら、公共性を考える学習では、次のようになります。

小学生や中学生は、新型コロナウイルスに感染しても、それが即、生きるか/死ぬかという問題にはならず、無症状のままかもしれない。

でも、高齢者は体が弱ってくるので、感染すると重症になりやすい。
そのとき、マスクをしていれば、飛沫を防ぎ、感染しにくい。そこで街を行きかう人にマスクをしてほしいと願っている。だから、私たちはマスクをつける。

たんに「高齢者を大切にしよう」という価値観を教えるのではなく、高齢者が身体的に弱い場合が多いので大事にするのだと理解できます。

かといって、四六時中マスクをするのでなく、屋外の人が混み合っていない場面ではマスクを外していてもいい。
それでも誰かが前からやってきたらマスクをつけるのもありだね。

子どもたちは、このようなことを柔軟に考えます。

いまの日本はゼロか100の議論になりすぎます。
白か黒か、〇か×かという結論でなければならないという力学が働きます。

子どももたちが、ゼロか100ではなく、その中間を選ぶという公共性へ対応できることが望ましいのです。

人を排除するのではなく、合意に基づき誰にとってもよりよい社会を形成していく公共性を身につけることが、いま強く求められます。

子どもファースト 人として聴く

2020年11月23日 07時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
そもそも学校の職員室は、子どものことを話できる部屋です。

今年度は新型コロナウイルス感染防止のため、教員の仕事はさらに増え、たくさんの業務があり、隣の同僚の教職員と話しできる時間はほとんどないという状況に陥っています。

でも、子どものことを話できない職員室は、今以上に時間がなくなり、たいへんになってきます。

つまり、子どものことが優先順位の一番に来ない学校、つまり子どもファーストのでない学校は、困る子がさらに増えていき、結果として親御さんも困るようになります。

このコロナ禍は、まだ収束の兆しが見えません。先が見通せず、大人も不安を感じて、日々を過ごしています。

子どもへの影響はいかほどのものでしょうか。

さて、不安を感じる子どもにとっては、居場所が必要です。

その居場所とは、安心できて、ホッとできる空間です。家庭での居場所がなくなってきているというのが最近の傾向です。

そんな子どもにとって、学校が居場所になればいいと以前からわたしは考えていました。

なおかつ、職員室に子どもがいけば、困っていたとしても、何とかなる。何とかしてくれる。

子どもにとっての教師がそういう存在になればいいのだと思います。

このとき、基本的に教師は「おとな」ですが、「先生」です。先生として子どもに接するとき、子どもの思いを受けとめよう、わかろうとしても、「先生」は正解を捨てきれません。

子どもの話を聞いた後(聞かない教師は問題外!)、「でもね、・・・・」「わかるけどね、・・・」と先生としての言葉を差し込んでしまいます。

そこで、「先生」ではなく、たんなる一人のおとなとして話を聞くと、肩の力が抜けて、「そうか、そうか」と聴くことができます

そのように聴いてくれる大人には、こどもは丸ごと好きなこと、言いたいことを話してくれます。

なにも口を挟まずずっと聴いているだけで、スッキリする子も多いものです。

自分でも整理のつかないモヤモヤした気持ちを、言葉にしておとなに全部話すことで、自分の気持ちが具体的になります。

「こう思っていたのか」と、自分で気づくことになり、案外と答えを見つけたりすることも多いものです。

ときには「先生」からふつうの「おっちゃん」「おばちゃん」「おねえさん」「おにいさん」になることも必要です。

この点で、教師の仕事はある意味で、対人関係の専門職であるのです。

あわただしい! 高校生の就職活動

2020年11月22日 07時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ


高校3年という学年は、生徒本人が卒業後の進路をきめる大切な学年です。卒業後に進学ではなく、就職をする高校生もいます。


その高校生の就職活動が、今年の場合新型コロナウイルス感染拡大のため、大きな影響を受けました。

通常は、高校3年の4月になり、本人が就職に向け、自分の適性等を見つめなおす機会と場を設けます。

そして、教員と面談などをして。自分のめざす事業所を定めていきます。

夏休みには教員が引率して、職場見学を行います。
どの生徒がどの職場に応募するかの校内選考会も夏休み中に行います。

そして、生徒は履歴書を書き、提出します。

ところが、今年は5月まで臨時休校が続き、6月から分散登校になり、夏休みも短縮されました。

そのため、生徒は授業の合間に就職の準備を進めることになったのでした。

今年の高校生対象の求人活動は、高校から事業所への応募書類の提出を10月5日からにするなど、1か月遅らせましたが、高校生本人たちにとっては窮屈な日程でした。

就職のための準備期間がなく、十分な指導を受けられなかったのです。


学校にしても、大学進学の生徒が推薦入試の応募書類提出の時期と、就職のための応募書類提出の時期が重なり、教員は両方の対応をすることになりました。

新型コロナウイルスによる臨時休校の影響を、大学進学にむけた高校3年生の不安として報道されることはあります。
でも、就職希望生徒の話題をメディアはほとんど取り上げません。

ここにも、じつは「全国一斉休校」のしわよせが寄せているのです。

心の命ずるままに

2020年11月21日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
谷村新司さんの名曲『昴』の歌詞のなかに、次のような一節があります
 
「我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ」

この「心の命ずるまま」に関連したエピソードがあります。


わたしがWindows Meのパソコンを買ったのが2000年ごろでした。

いまから約20年前でしたが、そのときは20年後にこれほどネットが発達して、おおぜいの人びとに行き渡るとは想像できませんでした。

今の時代、インターネットやSNSが行き渡り、怒涛の如く情報が氾濫しています。

そのなかには、デタラメな情報、人を傷つける情報もネット上にあがっています。

たくさの情報から、真偽を判断して、誰を信さぞるか、一人ひとりが選択しなければなりません。

自分で調べ、納得した情報を取り入れることが必要になります。

スティーブ・ジョブズはアップル社の創業者めすが、斬新な思考でインターネット革命を起こしました。

ところが、経営方針が苛烈すぎて、周りとのあつれきををうみ、解雇されています。

でも、彼は信念を貫き、たくさんの功績を残して、5年後にはアップル社に戻ります。

そして開発したのがiPodやiPhoneです。

自分の中にある声に耳を傾け、自分で考え、判断することがてきれば、先行き不透明な時代でも、進歩し続けることができるのでしょう。

彼の言葉を紹介します。


「他者の考えに溺れて、自分の内なる声がかき消されないように。何よりも大切なのは、自分の心と直感にしたがう勇気をもちなさい。」

思春期の女子への教師の接し方

2020年11月20日 08時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
女子の児童生徒で思春期に入った子の対応に苦労する男性教師がいます。

LGBTの児童生徒もいます。男子、女子とひとくくりにして論じるのではなく、個人差はあるという前提で、一般的な生物学的な性として、女子の思春期傾向を考えます。

小学生でも4年生になると早い女子児童は思春期が始まります。

この時期には、自立の芽が出てきて、大人に対して反抗する発言や行動をとる子が多くなります。

その一方で、ささいなことを気にしたり、不安な気持ちになったり、友だち関係での悩みが大きくなったりします。

そのような子どもたちを、理由も聞かず、頭ごなしにどなりつけたりすると、反発して教師への不信感が一挙に高まります。

こうなってしまうと、関係の修復はかなりたいへんになります。

反発されるからと、教師は声をかけることをためらいます。

すると、ますます悪循環になり、関係が悪くなります。

私の教職経験上、以下の点に気をつけるべきと思います。

まず、ふだかんからよく気にかけて、よく話を聞くことが関係づくりの土台になります。

それも、えこひいきはダメで、どの女子にも公平に接します。学校の日常生活で、ささいなことでもよく声をかけ、話を聞きます。これをどの女子に対してもするのです。

「先生は、わたしのことを気にかけてくれる」と思ってくれる子が増えれば、教師と女子児童生徒との関係は良好になります。

さらに、ていねいな言葉を使い話すことが必要です。

大人の女性として尊重し、名前を呼び捨てにしないことや命令口調で話さないことを心がけて、実行するのが望ましいです。

これは、思春期の女子に限らず、すべての児童生徒に必要であり、言われた相手がどう受け取るかを思えば、当然のことです。

また、相手に論理性が育ってきますので、理屈の通らない話し方はせず、筋の通った話し方をするのです。

さらに、教師がグループの女子とうまくつきあうことも必要です。

思春期の女子は、子どもにもよりますが、グループ化して、グループで固まろうとしやすい傾向があります。

グループ化がクラスづくりに弊害をもたらすという考えもありますが、壊そうとするのではなく、グループを生かした集団活動を進めていくという柔軟な仲間づくりをしていきます。

要するにていねいに接すること、これに徹することです。

このように考えていくと、教師としては、当然のことをするということです。




会えない時間が会いたくする

2020年11月19日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新型コロナウイルス感染拡大を防止するため、人びとは日本だけでなく海外でも「STAY HOME」を強いられました。

家にいる間、以前から引きこもっていた当事者は、どんな思いでいたのでしょうか。

まず学校の場合です。
ふつう多くの不登校の児童生徒は、友だちが登校しているとき、自分だけが休むことにある意味の「負い目」を感じて家にいます。

その点で、「休みの日や夏休みのような長い休みには、安心して休める」という思いの子が多かったようです

だから学校の臨時休校が終わったときには、数は多くはないですが、「ずっと休校のままがよかった」という感想を持った子がいました。


つぎに、学校以外に目を向けると、「STAY HOME」の期間中のいわゆる「ひきこもり」の人たちはどうだったのでしょうか。

じつは、女性についていえば、「引きこもり」の人は、「家事手伝い」や「主婦」という言葉に隠れてしまいますが、潜在的に少なくない数になります。

その人たちにとっては、オンライン会議システムを使い、当事者同士が交流することが可能になりました。

「リアルが好き」「交流相手の表情がわかりにくい」という声がありましたが、一方で、一歩も家を出れない人や遠くに住んでいてもオンラインなら交流しやすかったようです。

彼女たちの中には、「世界で『家にいる』が呼びかけられたので、安心して引きこもりができた」という感想をもった人がいます。

「〝離れていてもつながろう!″というメッセージが広がっていたが、誰ともつながることのできない私はつらかった」という声もありました。

引きこもりは人とつながりたくないと思われがちですが、本当は、共感できる人との出会いを必死で求めているのです。このことをより強く自覚できた」

人にとって、「会うことができない時間」は「会いたいという気持ち」を色づけ、くっきりとさせ、高めるのです。

「主権者としての学習」が必要

2020年11月18日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本では、自分たちの力で社会の課題を変えることができると思う青少年が、諸外国と比較して極端に少ないという調査結果が出ました。

たとえば、「18歳で投票権が与えられることについてどう思うか」という問題に、友だち同士の中で、真剣に話し合う学生はほとんどいません。

これは、「政治や社会の課題について、自分の意見を言ってはいけない」と思う大人の影響かもしれません。

そもそも、個人として、政治や社会の課題について意見を表すことは、まったく問題はありません。

しかし、意見を言おうものなら、「この人、なにを固いこと言ってるの」と思われるのでないかという力が働き、少人数のグループの話題になることは少ないのです。

同調圧力も働きます。言ってはいけないというタブーとする雰囲気があります。

でも、将来の国をつくる大切なテーマこそ、きめつけやバイアスがかかったり、考えが凝り固まっていない、柔軟な発想ができる若い子たちに議論してもらうべきです。

大人は子どもの力を信頼して、「難しいから、子どもには無理」ときめつけないで、任せてみることが必要です。

人が傷つけられたり、被害を受けたり、安心して暮らすことが脅かされる社会の課題は、往々にして個人の努力、自助ではどうしようもないことが多いのです。

貧困の問題や児童虐待、野宿生活者の問題、非正規雇用、福祉の問題などは、社会のしくみが生み出すのです。

社会のしくみが生み出す問題は、社会を変えることで解決に向かうという展望をもつことができる、学校教育での「主権者としての学習」がいま必要です。


葉の色の移り変わりに想う

2020年11月17日 08時22分00秒 | エッセイ


けっこう寒くなったと思ったら、温かい日が続いたりします。
行ったり来たりして、冬に向かっていくような気がします。

新型コロナウイルス感染が拡大して、昼間の時間の過ごし方が変わった人もいます。

リモートの業務にかわり、通勤の時間が短くなり、すこし自由になる時間の余裕が生まれた人がいます。

そのような人からの話です。

余った時間で外へ出て散歩すると、桜の木やモミジの木を見て季節の移り変わりに敏感でいられます。

そんなことに気づいたというお話でした。


一日一日、緑の葉に黄色が混じり、それに赤色が加わります。

緑から赤色へ変わっていく過程は、人の一生に似ていると思います。

緑色=みずみずしい
黄色=美しい
赤色=鮮やか

葉っぱ一枚一枚がエンディングに向け、輝きを増していくのです。赤色の葉は温かく、ホッとする気持ちになります。

齢(よわい)を重ねることは、体力が衰えて、活気がなくなるように思われることが多いですが、かえって輝きを増し、豊かに暮らすことができるのが理想的です。

では、豊かさというのは、どんなことでしょう。何を指標として豊かさを測るのでしょうか。

お金が老後を暮らすのに十分あることが豊かさという考えもあるでしょう。

人とつながっていることを豊かさだと感じる人もいるでしょう。

出かける場所があることかもしれません。

孫の成長を喜ぶことだという人もいるでしょう。

人にかかわり、その人に喜んでもらえることが目安なるかもしれません。

毎日を大事にして生きることに豊かさを見つける人もいるかもしれません。

やりたいことがあることかもしれません。

木々の葉が緑色から、黄色、そして赤色に変わるのは、「成熟」に向かうということです。

人生が長くなる中で、「成熟」に向かう人が増えればいいなと思います。

冬コロナに向けて

2020年11月16日 08時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校は、この11月までで、臨時休校をしていた学習の遅れをとりもどすのに、懸命に取り組んできました。

学校行事をとりやめたり、規模を小さくして行ったり実施してきました。

そして、その一方で懸念されるのは、児童生徒と教職員の疲れとストレスです。

今年の厚生労働省の調査では、ここ8月の自殺した人は、昨年の同期と比較して、246人も増えたと報告されています。

その中でも、高校生女子は昨年の7倍増えました。

今後、学習意欲の低下、不登校、引きこもりなどが増えるのでないかという心配があります。

これは新型コロナウイルス感染懸念が長引き、生徒たちのメンタルヘルスへの影響が大きくなるだろうという理由によります。

もうしばらくすれば冬がきます。現在、第三波の到来と言われていますが、新型コロナウイルスの感染に油断はできない状況です。

ここまで持ちこたえてきたのは、学校の努力です。

学校は、できるべき対策は、ほとんどやってきました。
教職員の疲労は2学期末にはピークに達するでしょう。

そこで、学校関係者の総合力で危機を乗り越えていきたいところです。

学校、教育行政、地域のボランティア、PTAなどの協力で、「冬のコロナ」に向き合いたいところです。

リモートの仕事で時間調整がしやすくなったパパ
外歩きをセーブしている元気な高齢者
オンライン講義で大学に行かず、時間的余裕のある大学生
などが学習支援員、スクールサポートスタッフ(SSS)として、学校の支援にまわってくだされば、学校は助かります。