箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

気にしないのがいちばん

2019年10月31日 08時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ




私たちには、相手の行動の原因を、その人自身に求める傾向があります。

相手の行動だけにフォーカスして、その人の気持ちや自分との関係をイメージして、相手に原因を求めてしまうのです。

これを、心理学的には「対応バイアスがかかる」といいます。

具体的に言います。

LINEで「既読」になっているのに、相手から返事や返信がないとき、悶々とする人がいます。

わたしにも経験がありますが、「あのメッセージが、相手の気に障ったのか」とか「相手はわたしのことを嫌っているのでは」とまで思ってしまうのです。

既読スルーになっているのは、読んだけれど、あとでじっくり返信しよう、今はちょっと忙しいからなど、またはそう思っているうちに返事を忘れていたという事情があるのかもしれません。

なかでも、既読スルーが気になるのは、相手が自分にとって、「重要な人」である場合、既読スルーされると、ますます気になります。

中学生の場合、「スルーされた」と、友だち関係のトラブルになることもあるほどです。いじめにつながることも実際にあります。

相手の心理を過剰に読みすぎないこと、考えすぎないこと、気にしないことが、精神衛生上いいようです。


人生は秋の落ち葉

2019年10月30日 06時54分00秒 | 教育・子育てあれこれ









青々としていた草木は、秋が深まり、広葉樹の木々の葉はきれいに色づきます。緑の葉を蓄えていた道端の草も、茶色に染まります。

それとともに、毎日木々色づいた葉を、毎日のように街路に落とします。

歩道を踏めばカサコソと音がします。落ち葉がなにか悲しみを誘うようです。

この時期、毎日毎日掃いても落ち葉がたまります。これがとりもなおさず人生なのです。

私たちは、ルーティーンワークで日常生活を送っています。

そんな生活に物足りなさを感じる人はいませんか?

こんな同じことばかりの連続でつまらない・・・。

しかし、毎日同じことを繰り返すのもまた人生なのです。

中学生には、現状に甘んじることなくチャレンジをしなさいとは、校長のときによく言っていました。

それは、今でもその通り思っています。

しかし、一方では、平凡なことを毎日繰り返すことも大切であるし、ありがたいことです。

毎日同じことを繰り返す。これすなわち非凡なり。

「地球市民」とは

2019年10月29日 07時12分00秒 | 教育・子育てあれこれ






今年も、11月に「多民族フェスティバル」が箕面で開催されます。


私は学生の頃、英語が好きで、大学も英文科に進学しました。

その当時は、グローバル化という言葉はまだ聞かず、国際化という言葉がよくつかわれいました。

そして、「国際化に向けて、『国際人』とは」というテーマで、大学ではディスカッションを英語でしていました。

その後、教員になってから、講演で落合恵子さんの話を聞きました。

私はその話に深く納得したことがありました。

「国際人とは英語が話せるだけではありません。英語を使い、相手の背景を理解して対等につきあう人権を尊重する人のことです」

私は感銘を受け、深く納得して、その教えを受け、私は英語の教員として、機会あるごとに中学生に話してきました。

「英語を使うとき、相手の多様性を理解できる人になってください」と言ってきました。

そして、世界はいまやボーダレスが進み、グローバルの時代へと変わってきました。

校長のとき、かなり多くの3年生が、「将来、英語を使う仕事をしてみたい」と意思表示をしていました。

世界共通語として、英語はたしかに便利な言語です。

世界で英語を母語としている人々は、約2割です。

それ以外の人びとは、英語以外の言語を母語としています。

ところが、違う言語を母語とする人どうしが会話するときには、共通語として英語を使う場合が圧倒的に多いという現状があります。

したがって、「地球市民」として、日本人も英語が使えるほうがいいというのは、その通りです。

グローバル化が進み、アメリカの「一国化」が進むなか、英語はコミュニケーションをとるのに、必要不可欠なツールです。

でも、言葉は意味さえ通じればいいのではありません。

言語の背景には、民族、宗教、社会と密接に繋がった文化があり、そこまでを理解しないと、本当の意味でお互いのことが理解できたとは言えないでしょう。

相手の文化を知るには、早いにこしたことはありません。

おとなの偏見や刷り込みが入る前に、学生のうちから直接顔を合わせて、交流することで、文化のちがいや考え方のちがいに触れることで、相手を理解し、対等な関係のパートナーとして、育ってほしいと思います。







何でもきいてくれる

2019年10月28日 08時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ






いまは三世代で暮らしている家庭は減ってしまいました。

しかし、子育てという点では、子どもがおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らすことには、意味があります。

祖父、祖母と同じ屋根の下で暮らすのは、子どもの成長にとって大きな効果があると、私は考えています。

基本的におじいちゃんやおばあちゃんは孫をかわいがり、まず孫に怒るということがありません。

「お腹が空いた」と言えば、お菓子を出してきて「これを食べなさい」とさしだしてくれます。お小遣いをくれることもあります。

うちの家でもそうでした。

両親にしてみれば、「甘やかして」「ご飯前なのに、食べさせて」「厳しく育てているのだから、教育上よくない」・・・。

不満が募る場合もあるかもしれません。

親は、「危ないからダメ」「虫歯になるわよ」「ご飯前だからお菓子はダメ」というようにとかく子どもに規制をかけます。

それはそれで、わが子のことを思ってしつけようとするのだから、必要なことです。

でも、そんな親が「甘やかさないでくださいよ」と言って、ある程度は祖父・祖母はきいてくれても、父母のように、孫に厳しく接することは、基本的には期待できません。

ただ、子どもがしたいことを、「いいよ、いいよ」ときいてくれる人がいることを経験することは、子どもにとってはたいへん重要なことです。.

親であっても、子どものしたいことをかなえてやることは必要です。

どうしてもほしいなら、一つだけ買ってあげるとか子どもの希望をかなえることはできます。

赤ちゃんが泣いたら、サッとかけより、なぜ泣いているかわからなくても、赤ちゃんが喜ぶことで、親も喜ぶことができる。

こんな体験をもつ親御さんも多いでしょう。

このことで、赤ちゃんは、人とかかわることの楽しさと喜びを感じていきます。

人は自分の存在意義と生きる価値を人間関係の中に見出すのです。

幼いときに、なんでも受け入れてくれて、願いをきいてくれる人、希望することをさせてくれる人がいたという経験を積むことが大切だということです。

このことは、子どもが中学生になってから、なんでもしたいことをさせるのとはわけが違うのです。







秋の青空に想う

2019年10月27日 09時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ









秋のさわやかな、抜けるような青空が広がっています。

しかし、この空はときとして、その様相を変え、曇り空や灰色の雲に覆われ、台風19号のような大雨をもたらします。

私たち人間は天候を操作し、天気を変えることはできません。
自然のままに、雨の日、晴れの日、曇りの日、雪の日を過ごすのです。

日々の生活を送ると、ときとして人は気を遣ったり、期待通りにならなかったり、人との悲しい別れに遭遇したりして、こころが疲れてしまうことがあります。

そんなときは澄みきった青空を見上げると、たとえひと時かもしれませんがこころがリセットされます。

さわやかな大空を吹き抜ける風になりたい。


     風になりたい(THE BOOM)
「生まれてきたことを 幸せに感じる かっこ悪くたっていい あなたと 風になりたい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天国じゃなくても 楽園はじゃなくても あなたに会えた幸せ 感じて 風になりたい」


新聞の役割

2019年10月26日 14時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ




新聞は、事実を報道する役目があるのはもちろんです。

新聞を読んだ人は意見や感想をもちます。

それが集積されると、「世論」になります。



10月20日の毎日新聞には、次の記事がのっていました。


台風19号で避難所生活を送る被災者は、19日午前11時現在で4646人にのぼる。

今も1000人以上が避難している長野県では、記者自身も家族と避難所へ身を寄せた。

だが、そこは必ずしも安心が得られる場所ではなく、結局は自宅へ引き返した。

避難所といえば「体育館で雑魚寝」が定番だが、その環境は国際基準に照らすとかなり劣悪と指摘される。

このままでいいのか、震災の避難所を取材した経験のある記者と共に探った。」



たしかにこの記事は、事実を報道しています。

しかし、この新聞には別のページにも関連記事として、「雑魚寝が問題だ:」と続いていました。

わたしは、その新聞を読んでいて、記者の恣意的な意図を感じました。

つまり、避難所での雑魚寝を問題化しようという意図を感じました。

記事を読むと、雑魚寝は問題だと、わたしも考えます。

しかし、いまこの時期に避難所での雑魚寝を問題にすべきでしょうか。

避難所が周りを気にしたり、寝にくい体育館のフロアで休んでおられる苦労を思うと胸が痛みます。

しかし、行政も鋭意努力しています。

その取り組みの結果、やむをえず雑魚寝で我慢してもらっているのです。

新聞は、行政の必死な対応の様子も、事実として報道すべきです。

災害対策として、多くの自治体は学校を避難所に設定しており、今後どこかで災害が起きて、人びとが避難するとき、雑魚寝が予想できます。

いま、雑魚寝をしなくてすむ避難所を設置しようとすると、莫大な予算がかかります。

問題にするだけで、あとは行政が雑魚寝しなくてもすむ避難所を用意しなさいという新聞を発行する側の無責任な態度を感じます。


新聞は、避難者のために行政も必死で取り組んでいることも報道すべきです。

その上で、今後、雑魚寝をせずにすむ避難所の運営を展望するのであり、それが公平な報道であると言えるでしょう。

しかし、今回の報道は、雑魚寝をピックアップして取り上げ、それだけを問題化して世論を形成しようという意図が透けて見えてきます。

まして、今はインターネットの時代です。

一面的な事実の断片と取材を切り貼りして、拡散することにネットは長けています。
 
そのようなネット環境の中に人びとが置かれているという点も、新聞を出す側はふまえなければなりません。


公的な新聞が、意図的に避難所の不備を煽るような記事を載せていることに危惧をいだきます。

わたしのような教育関係者は、子どもへの影響をやはり考えてしまいます。

中学生がこの記事を読めば、「避難所ってひどいんだ」という一面的な印象をもってしまうかもしれません。

子どもには、さまざまな角度から報道された資料をもとに、自分自身の考えをもってほしい。

そのためにも、新聞は多面的に、公平に、客観的に事実を伝え、読者の判断に委ねるという報道メディアであってほしいと考えます。






運命とは必然

2019年10月25日 07時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ









考えていること→言葉で表現する
言葉→行動に移す
行動→習慣になる
習慣→人格が変わる

この理(ことわり)に似た言葉を、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相が言っています。固い信念をもち、低迷していたイギリス経済を立て直しました。

もう少し具体的に説明します。(   )内は具体例です。

自分の考えを言葉にしてはっきりとまわりに打ち出します。(わたしは丈夫な歯をつくるために歯の衛生に努める)

言ったことは、言うだけでなく、必ず実行して行動にします。(食後には必ず歯磨きをする)

その行動を続けると、自然にその行動ができるようになり、その人の習慣となります。(歯磨きの意義など考えず、ふつうに歯磨きをする習慣がつきます)

すると、その人は「このようにする人」という人格になります。(あの人は歯が健康で、高齢になっても入れ歯がいらない人である)

サッチャー元首相は、人格が変わると運命までもが変わると言っています。

もしそうだとするならば、「運命だからしかたがないね」「運命はなりゆきだから」
と言っていたことまでもが、意味が変わってきて、人は考え方ですべてが変わっていくのであると解釈できます。

つまり、運命は偶然ではなく、必然であるとなります。

この理(ことわり)は、中学生にも当てはまりますし、おとなの仕事の仕方にもいかすことができます。



創造的な感性

2019年10月24日 07時04分00秒 | 教育・子育てあれこれ





今日は雨降りです。

おそらく、この世の中で、雨降りがいいという人は少ないでしょう。

雨にちなんだ曲があります。松任谷由実の『冷たい雨』は、雨を扱った失恋ソングの代表です。

「冷たい雨にうたれて、街をさまよったの 
もう許してくれたっていい頃だと思った 部屋に戻ってドアを開けたら あなたの靴と 誰かの赤い靴 
あなたは別の人と ここで暮らすと言うの 
こんな気持ちのままじゃ どこへの行けやしない」


切なくなる歌詞です。

一方、こんな言葉もあります。

「雨を感じることができる人もいるし、ただ濡れるだけの人もいる」(ボブ・マリー)

同様に、かりに晴れていて、同じ道を歩くとしても、美しい花を見て「きれいだ」と感動する人もいるし、何も感じずに通り過ぎる人もいるでしょう。

「レゲエの神様」と言われるボブ・マリーは、過ぎゆく日々をただ無為に過ごすのではなく、豊かな心でものごとを感じとり、クリエイティブな感性を磨くのがいいと、雨を例に出して言っています。

増える小学生の暴力

2019年10月23日 07時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ







全国の小中学校、高校は、年に一度文部科学省の「問題行動調査」を報告します。

先日、2018年度の調査結果が公表されました。

それによると、児童生徒による暴力件数は、2017年度と比較して15%増え、過去最多となりました。


その増加分は小学校での暴力件数です。(中学、高校では2010年頃から減りつづけています。)

小学校での暴力件数は、前年度と比較して、なんと29%も増え、暴力件数全体の約半分を占めています。

小学校の暴力については、「児童間暴力」.がいちばん多く、次に「対教師暴力」、その次に「器物破損」となっています。

加害児童は低学年の増え方がとりわけ顕著です。小1でも、小2でも、それぞれ40%以上増えました。

私が初任者として箕面市の中学校に着任した頃は、全国的に校内暴力が吹き荒れていた頃で、中学生の「荒れ」が社会的な問題になっていました。

そして30年以上が経過した今、中学の暴力行為は激減しており、まさに隔世の感があります。

いわゆる「やんちゃな子」や「ごんたの子」が、いまや皆無になったと言っていいほどです。



その一方で、小学校低学年児童の暴力が増えているのです。

今までなら、「口げんか」ですんでいたことでも、悪口を言われた、ドッヂボールで負けたなどのことで、暴力に発展することがあるのが現状です。

子どもから言葉が出てこず、相手に手を出すなどして、自分の感情を表すケースが多いようです。

暴力行為をする子どもを指導するには、その子の話をおとなが時間をかけ、じっくりと話を聴く必要があります。

そして、ものごとや人間関係のもめごとは、言葉で話し合って解決することを、ていねいに教えていかなければなりません。








Trick or treat

2019年10月22日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ





ハロウィンが、日本でもすっかり定着しました。


10月31日、魔女やお化けに仮装した子供たちが近くの家を1軒ずつ訪ねて、Trick or treat(トリック・オア・トリート)=「お菓子をくれないといたずらするよ」と唱えます。



これは、箕面市の中学生が実際につくったカボチャをくり抜いた作品です。

アメリカの家庭では、カボチャの菓子を作り、子どもたちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティを開きます。

この祭を私が初めて知ったのは、大学の英文科で、アメリカ文学を読んでいて、ハロウィンが出てきたときでした。

当時、日本ではまだ知っている人はほとんどいませんでした。

しかし、今では、わが国でも「仮装する日」として、テーマパークや街中を仮装した人やコスプレの衣装を着た人が集まるお祭りとなっています。

冒頭の作品は、そのような時代を反映して、箕面市内の中学生が作ったものです。

ハロウィンのキャッチフレーズをうまく表現しています。


時間を有効に使う

2019年10月21日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ







人が世の中を生きていくのに、不公平なことに出会う場合は多々あります。

しかしどの人にも、公平に与えられるものがあります。
それは「時間」です。

「もう! 忙しくて時間が足りない」

「夢中になり、時間がたつのを忘れていました」

「ああ、また今日も1日が長く、時間のたつのがゆっくりだ」

とかく、人は時間に対して、不満をこぼします。

でも、1日の長さは万国共通であり、日本でも中国でもヨーロッパでも同じです。

経済的に富む人も生活に困窮している人も、中学生でも小学生でも同じです。

縄文時代を生きた人も、現代を生きる人も同じ1日の長さを生きていたのです。

それなのに、時間がたつのが早いとか、もっと時間が欲しいとかいうのは、人の勝手な受け取り方なのでしょう。

時間を使うのは自分であり、時間を支配するのは自分であるという自覚をもつことが大切です。

効率を考えるとか、ゆったりと過ごすなど、時間の活用方法を考えてみると、時間の有効な使い方が見えてくるかもしれません。

私たちは充実した時間を演出するプロデューサーであるのです。時間をうまく使える人は充実した生活を過ごすことができると言えます。






昨年度まで、箕面三中の生徒が合唱した曲「時の旅人」(作詞:弓剃田健介さん)の歌詞を紹介します。



「めぐるめぐる風 めぐる想いにのって なつかしいあの日に 会いにゆこう

めぐるめぐる風 めぐる想いにのって ぼくらは 時の 時の旅人

・・・・・・・・・・・・・・・・

汗をぬぐってあるいた道 野原で見つけた 小さな花

幼い日の 手のぬくもりが帰ってくる

やさしい雨にうたれ 緑がよみがえるように 涙のあとにはいつも君がそばにいて

生きる喜び おしえてくれた おしえてくれた

今、君と未来の扉開こう 今、君とあふれる希望をうたおう

・・・・・・・・・・・・・・・・・」



私たちが何気なく過ごしている間に、時間は立ち止まることなく過ぎていき、過去をつくります。

過去の素晴らしい思い出や充実した未来も、現在がつくっているのです。

「時の旅人」のように、現在を精いっぱいに生きていきたいと思う、今日この頃です。


月曜日がやってくる

2019年10月20日 07時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ







問います。

生徒たちにとって、月曜日はどんな日でしょうか。

親御さんたちにとって、月曜日はどんな日でしょうか。

みなさんにとって、月曜日はどんな日でしょうか。

「ああ、また学校が1週間はじまるのか」

「また、仕事をしなければならない。1週間も」

「早く、休みにならないかなあ」

こんなふうに感じる人がいるかもしれません。

私の場合は、あまりそんな思いにはなりません。

市内の8中学校をまわって、若い教員の授業を指導する。

いい授業がしたいと願う教員の願いを受けると、それに応えたいと思います。

だから、月曜日は「また1週間が始まる」という、そのスタートです。



しかし、月曜日が憂鬱でたまらないという人もいるでしょう。

その場合は、考え方を変えます。

次の月曜日が来るまで1週間もある。

たくさんの人に会える。この喜びと楽しみをもち、月曜日を迎える。

こんなpositive(ポジティブ)な気持ちで新しい週を迎えます。

1週間の中で、月曜日の朝を喜ぶ。
次の月曜日が来るまでに、まる1週間もあると思ってはどうでしょうか。



自由のはきちがえ

2019年10月19日 14時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ








昨日のブログで
「自由を求めてきた思春期の中学生は、大人になってから、自由のたいへんさを知ることが多い」
と書きました。

このことは、じつはたいへん重要なことです。

自由とは何かを理解している人々の中に民主主義が育つからです。

私たちの社会は、人びとが互いの権利を認め合い、成り立っているのです。

相手を理解して、主張するときは主張して、譲るところは譲って生活しています。

その点において、自由なのです。

しかし、自由の意味を理解しない人びとが集まった社会では、人は自分だけの権利を主張しあうようになります。

いまのクレーマーは、こんな事情で生まれているとも言えます。

自分だけの権利を主張する人が多くなると、法律ができたり、裁判にかけてシロクロをつけようとするのです。

そして、法律に触れないとか、裁判にならないことなら何をしても「自由」と考えがちです。

あちらこちらで、争いやいさかいが起き、民主主義が働かなくなります。

いま、時代の流れはそのような潮流にあるように、私は感じています。

自分にとって有利であったり、自分の思い通りにできることが「自由」だと、いまの中学生がはきちがえているふしもあります。

その流れをとめるためにも、まず大人が自由の本来の意味を理解すべきです。

そして、子どもたちも、自由のたいへんさを知ってほしいと思います。






反抗期の意味

2019年10月18日 09時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ







思春期の子どもに現れる特徴の一つに、反抗期があるということがあります。

しかし、最近では反抗期のない中学生が増えているように感じることの多いのが、私の実感です。

その分、「仲よし親子」が増えているように思います。

反抗期というものは、大人になりたいと思う、あるいは、自分はもう大人だと思い、自由を求める子どもの前に、壁のように立ちはだかる大人という存在への反抗です。

反抗期のないことを、子育ての成功だと勘違いする現代の風潮もあります。

でも、反抗期がないということは、自分の自由を阻む壁にぶつからず大人になるということなのです。

対人関係で人は必ず壁にぶつかります。反抗期がなく思春期を過ごしたなら、将来対処できなくなる心配があります。

人間関係のトラブルに関して、「あの人が悪いから」とすぐに他者のせいにすることになるかもしれません。

反抗期があった場合でも、自由を求めてきた思春期の中学生は、大人になってから、自由のたいへんさを知ることが多いのです。

ましてや、反抗期のないまま大人になった人は、自由な人生と引き換えになる、自分が引き受けなければならない義務や責任を自覚できず、困ってしまうことになりがちです。

中学生のすさまじい反抗を吐露される親御さんに出会いましたが、考え方によっては、そういう子ほど自立が早く、義務や責任を引き受け、自由な人生を送る人になりやすいと言えます。


子どもは権利の主体者

2019年10月17日 07時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ




箕面市のある中学校では、いま「国連子どもの権利条約」が掲示してあります。

正式名は「児童の権利に関する条約」といいます。

子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約です。

 18歳未満の児童(子ども)を、権利をもつ主体者として位置づけています。

おとなと同様に、子どもをひとりの人間としての人権を認めています。

子どもが育まれ成長する際に、特別な保護や配慮が必要たいう権利も定めています。




前文と本文54条からなり、子どもの生存、発達、保護、参加という権利を保障しており、1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効しました。

日本は1994年に批准しました。

近年増加しており、深刻な社会的問題になっている児童虐待防止の根拠にもなる条約です。

中学生がこの掲示を見て、子どもの権利を知るとともに、自らが権利の主体者として自覚を高める。

その意味で、この掲示物は大きな意義があります。